廣井先生、みなさま
市原さん追悼録では、大変お世話になりました。合宿所改修プロジェクトでの、カラー印刷云々のトラブルを体験するにつけ、追悼録を最後まで遺漏なくフィニッシュできたのは、廣井先生のお陰であると実感し、改めて感謝する次第であります。
それで、追悼録の縁で先週日曜日に、高野監督追悼録の原稿に市原さんのことを合わせて書いた4名(上田、清藤、綾、小林)のうちの一人である綾先輩(S43入)と共に高野家をご訪問し、お仏壇にお参りしてきました。いろいろあるけど、結論としては浄土真宗のお寺にお入りになった(だって、ご専門はキリスト教ですよね!)そうで、大阪湾、ユニバの近くのお寺にお墓があるそうです。高野家の中に入るのは、「辞めてやらぁ」事件で小林が高野監督の勤務先であった大阪府立高専の職員室を訪問した後にお誘い頂いた時以来で、丁度30年振りのことでした。そんなに長居することを予想していなかったのですけど、14時半に訪問してから4時間ほど、夕食にお寿司まで取って頂きまして、これまで我々の知らなかった高野監督の一面�‚
�、高野家のことをたくさんお伺いしました。我々より上の年代は、10数人規模で高野家での食事会などが頻繁に開かれていたようです。
娘さんは小林の1つ上、ご子息の和文さんは、守屋と同級で、ご存じのとおり、現在京都府立大学教授(創晶顧問)です。
https://researchmap.jp/read0089609
ここからが本題で、間さん追悼録での娘さんの寄稿内容にショックを受けた訳ですけど、和文さんも、自分よりもボートや学問のことを優先する高野監督に対していろいろ思う所があり、監督が亡くなられた際に、「葬式には出ない」とおっしゃられたという話を聞き、大変衝撃を受けました。
kurc94にメールしようかとも思ったのですけど、やっぱりメールでは誤解を招くことが多いので、ここで書くことにしました。現在の合宿所改修PJ、特にインテリア委員会などでdutyがheavyになっていると思うのですが、皆様には是非ご家庭を優先して頂き、ボート部活動にはあくまでもボランティアということでご参加頂ければと思った次第です。
あと、東大戦広告で「大広間」を採択するなら、やっぱり大広間の写真があった方が良いかと思い、先日の作業時に写真を撮ってきましたので添付します。まあ、大広間は来年でも使えるかもしれないので、今年しか使えそうにない「Building、、、」を今年使うのも手だとは思います。
コロナは、いつ収まったことになるのか判らないけど、市原家には、忘れず挨拶に行こう。
->せいご
それでは、また。
小林未明
追伸:花岡さんのご実家も自転車で5分くらいだそうで、先日もお参りにこられた(?)というようなお話をされていました。何にせよ、奈津子さんの口から、ボート部OBの名前が次々と出てくるのに驚いたというか、それだけご家族にお世話になっていたんだなと思いまして、でも誰にどう伝えていいのか判らず、ここに記録させて頂いた次第です。
2021-11-23 21:14 に Kobayashi Mime さんは書きました: