休日ともなれば朝から酒を飲み、生きていても
何の意義あることもせずにまわりの人に迷惑ばかり
かけ、自らの欲望のままに生きている人。
暇があれば、NetNewsの読者へ“暴言記事”を投稿し、
相手の心を傷つけている人。
いつまでたっても、自らの悪行を反省しない人。
おそらくこういう人は、“人間らしい生活”をしている
方とは言えません。
えっ!? 何んですって? おまえの事だって? m(__)m
高橋信次先生は以下のように記されました。
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欲望を満たすための信仰は、祈れば祈るほど心が不調和となり、
不幸な人生を送るようになることを知らねばならない。
祀った当時は一心に祈り、祈る心で仕事にも精を出すから、商
売は繁盛、金もできる。
しかし金と暇ができると、祀ったものには無関心になり、形式
的なお勤め信仰になって行く。
繁盛したことへの感謝の心も忘れてしまう。
浪費をはじめる。欲望の満足ばかりを考える。いつかそうした
心の魔に克てなくなり、心は暗い想念に覆われ、安らぎもなく
なり、家庭生活を破壊し、動物霊に支配されて没落への一途を
たどるようになる。不幸を自ら選んで行くのである。
「さわらぬ神に崇りなし」という諺は、神理である。
神仏にさわらず、頼らず、神理に即した生活を、自らの努力
によって築き上げることが、神仏の心に通じることなのだ。
人間らしい生活への最善の努力こそ、私達の心に平和な安ら
ぎを与え、神仏の慈悲が約束されることである。
(心の発見・神理篇151頁から)
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やまもといちろう
# 個人的なご意見・苦情や、飲酒投稿をされている
# 方は、以下の掲示板へお願いします。
http://lightning.prohosting.com/~yoshiko/cgi-bin/ichiro/petitg.cgi
> 幸福を求めるのなら、人間らしい生活への努力を
> すること。これは間違いなく言える神理です。
そげんこつ、なか。
幸福ば求めむっなら、「幸福たーどぎゃんことぞ?」,「どげんばしたら、
そげんばなれっか?」を考えるこつのほうが先決ばい。
伝統的な宗教は不幸から何を学ぶべきかを教えてくれます。
麻薬的な宗教はインプットが足りないからアウトプットが得られないと考えます。
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Key fingerprint = 6735 9E69 7FD1 64F4 DD25 424F 5F1A CB55
幸福になろうと思うなら、まずは自らの思いと行いを反省し、
“相手に良かれ”、“勇気”、“智慧”、“努力”の思を惜しまず
“神の思いを我が思い”として生きること。
はい、これこそ紛れもない神理でしょうね。
IchirouYamamoto stupidly wrote:
>
> “相手に良かれ”
と思ってしたことが、“余計なお世話”となることが、
多々在るってことぐらい、小学生でも知って居るゾ。
# 何~んが、そげんこつが“神理”だ、こんバカタレが!