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加害者連中の人生哲学

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Mr. Right

未読、
2002/03/16 16:13:422002/03/16
To:
OR分野という分野に「欲張り法」というものがあり、可能な限り
は最大の効果を生むことから順にやっていくという考え方が有るが、
業績内容では本人リストはともかく余り何を残したのか分らない人
が人生での実践に於いて、
 「(できることで)最大の被害を与えることからやる」
考えを強行して人生の(準)最適化を図っている人達がいる。
論文で被害を与えようと思ったら、先ずはノーベル賞学者の無関係
の専門に迄落選依頼をし抜き、次にトップ誌の編集者数人(国際賞
審査員を兼ねる)に連続的に特別に執拗な落選依頼を掛け続け、
次に国際賞の人々の大部分や被害者の関連分野論文誌迄に落選依頼
を出し続ける。学会関係では学会(元)会長近辺から落選依頼を掛
け捲くる。人事で被害を与え様と思えば昔は業績を被害者の出れな
い学科会に公開しないとかともかく企業に叩き出すのが最大被害だ
が最近は「責任者」や上職位から順に執拗に一人ずつ一人ずつ異常
者A・Bが騙し込んでいく。司法対応も(後援会等で)「代表者」
と一旦組めば正義を超えた付き合いで地検からはもう対応させない。
こうなってはもう「やった者勝ち」で、だからこそ被害者も含めて
どれだけ多くの社会人が通報しようが少しも社会が良くならないの
である。中には日本で最大限の被害を与え様と思えば今の代では
「超高職位」に取り入れれば詐称できそれがトップや法律家の長迄
もが詐称を許す、正義や倫理を度外視した加担になって国内で最大
限に、誰に何をどれ程やっても絶対に事件にさせない手の付け様の
無い際限無い被害や苦痛を与え続けることすら可能である。

福岡のことは細かい配慮が行き届いても更に上の事では全く何一つ
公開されない様に、今の代の日本では、
 「大胆不敵に要所を押えて何をやってもやった者勝ち」
に余りになり過ぎているのではないだろうか?
地検では事実上代表者位に牛耳られてしまうとしか思えないが、そ
れ以上の地位と組まれた時点で今の日本では「もう御終い」で飛び
降りでもしなければもうどうしようもないのだろうか? 
最高裁判所は先進国に珍しいそういう不公平な特殊状況を少しでも
打開されようとされているのだろうか?

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Mr. Right

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