縄文杉ロープウェイ

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yona

ungelesen,
26.02.2011, 21:11:5226.02.11
an 屋久島再生
屋久島の基幹産業が観光であることは厳然たる事実です。
そして基幹産業の振興は住民にとって生命線ともいえるものです。
したがって県議も町長も各立候補者はすべからく、
どのように観光振興するかを公約の第一に掲げなければならないはずです。
しかし誰もそんな具体策を提示していません。
常識的に見れば、選挙以前にもう全員、候補失格と言えます。

私は以前から縄文杉ロープウェイ建設を主張してきましたが、
選挙が近付いてきた今、現実問題として争点の一つにしてもらうために、
ここで改めてそれをまとめてみたいと思います。

まず観光振興に何が必要か、今は何が欠けているかという問題です。
天候に左右されず、季節を問わず、老若男女を問わず、
大勢の観光客が集まる場所、それを受け入れられる施設というのは、
観光振興にとっては最大の目玉でしょう。
残念ながら今の屋久島にはそういうところがないのです。

縄文杉ロープウェイはこの問題を一挙に解決します。
縄文杉ということで多くの人を呼び集められるし、
途中の景観もすばらしく、春夏秋冬の変化を見たくて、
リピート客も呼べるでしょう。
ロープウェイなら大量輸送が可能で、
また子供でも障害者でもすべての人が行けるようになります。
そして台風などの時以外は、ほとんど年中稼動できます。
後は環境に配慮した展望施設を作るだけです。
経営の観点から見ても、ロープウェイの乗車賃や施設入場料で、
固定した収入が期待できます。

いろいろ振興策はあっても、これほど効果的なものはないと断言できます。
そもそも私自身が観光客の立場に立った時、
また親戚などのお客様を迎えた時、
一番欲しいと思うのがこれだから間違いないはずです。

ではなぜそれほどのものが実現できていないのか、
その反対論をいろいろ見てみると、問題点は2つに集約できるようです。

1.ロープウェイ建設は自然破壊、環境破壊である。
2.縄文杉は特別な存在(神?)であって、観光などに利用したり、
大勢の人に見せたりしてよいものではない。

これからこの2点について順に考察していきたいと思います。

yona

ungelesen,
28.02.2011, 00:57:4928.02.11
an 屋久島再生
ロープウェイ建設は自然破壊だから反対だ、という意見について考えてみます。
屋久島には何かというと自然保護、環境保全などを、
大上段に振りかざす雰囲気があります。
しかし人間が生きていく限り、自然破壊は避けられません。
どこまでなら許容できるか、全ては程度問題であるのは仕方ありません。

ではその程度を判断するのに、まず現実を見てみます。
今、奥岳周辺の自然破壊の最たるものは、
ヤクスギランドと白谷雲水峡への道路拡張工事でしょう。
私は屋久島に来た時、その破壊のすさまじさに唖然としました。
なんでこんな立派な山岳ハイウェイなど作る必要があるのだろう。
個人的には今も、即中止するべきだと思っています。

しかし屋久島では誰も反対などしていないようなのです。
昔、自然保護で立ち上がった人たち、
NHKのプロジェクトXで讃えられた人たちなど今も島に大勢います。
しかし今回は、誰も反対などしなかったようです。
ということは、あの程度は必要悪、許容範囲だというのが、
この島の住民の総意であるということのようです。

それどころかあの日本山岳会ですら「屋久島への提言」の中で、
これらについては何も触れていません。
ということは彼らもこの程度は許容範囲と考えているのでしょう。
(登山道脇の踏み付けぐらいを問題にしているのに、
これほど広範囲の破壊を見逃すのは、本来矛盾しているのですが)。

ではこれらの道路とロープウェイと、自然破壊の度合いを比較してみます。
破壊する面積は、ロープウェイは鉄塔を建てるぐらいですから、
もう比べようもないほど小さいといえます。
道路は延々と続く不毛の土地で容赦なく生態系を分断しますが、
ロープウェイは周辺の自然にほとんど影響を与えません。

さらに車が増えれば排気ガス汚染が山奥に広がります。
駐車場も拡張しなければならず、破壊面積はどんどん拡大します。
ロープウェイはこれらのことには一切無縁です。
そしてより少ないエネルギーで大量輸送ができます。
車よりも電車の方が環境に優しいというのは常識でしょう。

景観としても、道路は山肌にくっきりと傷跡を切り刻みますが、
ロープウェイは景観の中に溶け込んであまり目立たなくできます。
屋久島では道路はたいてい台風のたびに崩れて補修しなければならず、
お金もかかり、さらにまた自然破壊が広がることになります。
それに対しロープウェイはめったなことでは崩れないように作れます。

以上、道路建設を認めておいて、
ロープウェイは自然破壊だとするのは全く理不尽であると言えます。
それどころか私は、この二つの道路工事そのものもやるべきではなく、
両方ともロープウェイにすれば良かったのにと思っています。
もしそうしていたら、観光客の数は数倍にもなっていたはずです。
都会で観覧車に人気があるように人は高いところから眺めるのが好きです。
この島の奥は、あの太鼓岩からの景色のようなものばかりでしょう。
そうした連綿と続く山々と深い谷の織り成す屋久島のすばらしい景観を、
誰もが車窓からいつでもゆっくりと眺めることがができたはずなのです。

yona

ungelesen,
06.03.2011, 01:49:4406.03.11
an 屋久島再生
少し時間が開きましたが、この問題の続きとして、
縄文杉は特別な存在(神?)だ、だから観光開発などもってのほか、
といった意見についての反論です。

まず、縄文杉が発見されたのはつい昭和41年のことです。
つまり昔からの住民の信仰の対象などではありえません。
これがたとえば永田岳などなら、それは本当に土俗の山岳信仰の対象であり、
聖域だから一般登山客はむやみに入るな、というなら判りますが。

縄文杉をもてはやしたのは、主に外部の登山家や文化人などでしょう。
多くの人たちはそれに影響されたり、あるいはそれぞれの目的、
ある時は自然保護、いやそれ以上に観光振興のシンボルに利用してきただけです。
そのため実際以上にもてはやされ、奉られただけで、
実質において「神聖にして犯すべからず」存在などでは全くありません。
それどころか観光ポスターなど世俗の目的に使い尽くされていますし、
ガイド業などの人たちの身過ぎ世過ぎの手段に盛んに利用されています。

それはともかく、縄文杉のような得がたい自然の造形は、
手付かずの大自然の中で静かに観賞したいという気持ちは判ります。
しかしそれを突き詰めていくと、そのためには、
すでに切り払ってしまった周りの木々を元に戻し、
登山道も展望台もなくしてすべてを元の森の中に帰すべきだということになります。
すでに今の状態でも、自然のままでは全くなくなっているのです。

大自然というのは、人間にとってそんなに居心地のよいものではありません。
それを楽しめるのは、本物の冒険家など一握りの猛者たちだけです。
多くの人が楽しんでいるのは、楽しめるように作り変えられた自然でしかなく、
また鑑賞のために、そこそこ快適な環境の用意が必要です。

しかしそれを悪いということはありません。
それが現実であり、多くの人がそれで楽しめているのですから。
そういうことは全く認めない、自然には一切手をつけるなというのは、
ある意味、原理主義者と同類です。
それは個人の信念とか信仰の範囲なら勝手ですが、
それを他人に押し付けてもらっては困ります。
イスラム過激派と同じで本人たちは大真面目でも世界は大迷惑なのです。

もちろん私はそういう人たちを否定するつもりはありません。
住み分けが必要だと考えています。
屋久島にはまだまだ広大な手付かずの自然があり、
ほとんど人に知られていない屋久杉もいくつも残っているはずです。
自然至上主義者の行けるところはたくさんあります。
だから縄文杉など、すっかり観光名所になってしまったものは、
一般観光客に渡してやればよいのです。

島の自然エリアを、三つに分類したらどうかと考えます。
一般観光客用、一般登山客用そして開発禁止エリア。

一般観光客用エリアは、老若男女が春夏秋冬楽しめるよう開発します。
アクセス手段も公共交通を整備します。
一般登山客用エリアは、中高年登山パーティーや山ガール用のところです。
登山道を整備し、有人の山小屋、必要箇所に快適なトイレを設置します。
これらの利用はみな有料で、それを整備の原資に充てます。
開発禁止エリアは開発も商用利用も一切禁止です。
猛者たちだけがひっそりと楽しめる聖域です。
全体の9割以上がこれになるはずです。

世の中、いろいろな人がいて、いろいろな要求があります。
それぞれが自分と違ったものも認めて、住み分けを図る必要があるはずです。
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