無報酬ということ

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yona

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May 5, 2011, 9:14:28 PM5/5/11
to 屋久島再生
最近の人間行動学とか心理学とかの研究成果によれば、
人間は無報酬の方がよく働くことがあるそうです。
道で通りかかりの人に、ちょっとした力仕事など助けを求めたとき、
お金をちらつかせたら誰も助けてくれなかったが、
ただ手伝ってくれと言ったら、多くの人が手を貸してくれたそうです。

我々はお金をもらうと、それは雇われ仕事、頼まれ仕事になってしまいます。
しかしお金をもらわなければ、自発的な仕事になります。
当然満足感は後者の方が大きいわけです。

人は本能的に、世の中や人の役に立ちたいという欲求があるようです。
それに素直に従って行動すると、純粋な喜びを感じることができます。
しかしそこにお金が絡むと、たちまちその喜びが消えてしまいます。
その金額が、自分の仕事の評価のように感じてしまったり、
その金額が正当か、他人や仕事内容と比較したりしまいがちです。

この震災で、多くの若者がボランティアで大活躍していますが、
感心だからと彼らにお小遣いを渡したら、
たちまちやる気をなくすことでしょう。

私は屋久島に移住して、初めて集落の会計報告を見た時、
そこに役員報酬とか、足代とか、細かなお金がびっしりあるのに驚きました。
集落内の仕事など、当然ボランティアだと思っていたからです。
なんだか子供のお駄賃のようでみっともないことのように感じました。
世界では地方議会の議員ですら無報酬という例も多いというのに。

ここの人たちは、こんな数千円とか1万円とかのお金を貰わなければ、
集落の仕事など引き受けないというのでしょうか。
もしそんな仕事なら、もう止めた方がよいのです。
自発的にやる気にならない仕事など、
集落自治としてやるべきではないのです。
会議費という名目で計上されているのは主に飲食代だそうです。
これもおごってもらうのを当然としているようで卑しい気がします。

こんなことはいつから始まったのでしょうか。
そして屋久島中、どこでも同じなのでしょうか。
原集落では、こうやってお金を貰っている人は何十人もいるようです。
もしかしたら区費が屋久島一高いのは
こういうこともその原因の一つかもしれません。

区長など職業的なごく一部を除いて、全部廃止するべきです。
それで悪くなるようであれば、もう集落自治そのものの限界でしょう。
新区長は宗教家だそうですから、こういうことには理解があると思います。
既成観念や旧弊にとらわれず、大きな見地からまた人間の本質から、
ものごとを見られるのではないかと思います。
改革に向けて、区長の奮起に期待します。

yona

unread,
May 7, 2011, 9:39:40 PM5/7/11
to 屋久島再生
集落の仕事を引き受けるのにお金を貰いたい、
あるいはお金を貰わないと割が合わないというのは、
やりたくもないのにやらされている、
自分の時間が犠牲になっていると感じるからでしょうね。

私は「げじべえの里」の仕事なら無報酬で引き受ける気になるのですが、
それは皆さんの役に立つことが明白だからだと思います。
いろいろ工夫すれば収益を上げられそうだ、
そうすれば集落の収入が増えて皆さんの区費を減らすことができる、
こうしたことに個人的にも喜びを見出せるからです。

しかし集落内の仕事で、引き受けようという気のするものは他にはありません。
もしやれといわれたら、やはり犠牲感を持つでしょうね。
みんなの役に立っている、良いことをしているという気がしないのです。

この集落には、たった200世帯しかないのになぜこんなにと思うほどの、
ちょっとした役場並みの大組織があり、驚くほどの仕事や行事があります。
それらが本当に役に立っているのかどうか、
みんなが参加したいと思っているのかどうか、はなはだ疑問です。
少なくとも私には一切と言ってよいほど関係ありません。
だから屋久島一高い区費をタダ取りされているように感じてしまいます。

まあ私は隠居暮らしで仕事をしているわけではないし、
かといってまだ人の助けを必要とするほど年老いてはいないし、
ここで生まれ育ったわけではないから伝統行事というものに共感を持てないし、
立場としては特殊なのだと思います。
だからたとえ自分には関係なくとも、お付き合いとして区費も払っているわけです。

しかしそれが有効利用されているかどうかには関心があります。
本当にこんなに多くのことをやる必要があるかどうか、
どうも他の集落では廃れてしまったものを無理して維持し続けていたり、
中には一度廃れてしまったものを強引に復活させたりもしています。
集落の団結とか伝統の保存といったことを声高に主張する人たちもいますが、
人々の心の離れてしまったものを形だけ保っても仕方ないでしょう。

一度、すべての集落の仕事や行事について、アンケート調査をするべきです。
それらが役に立っているか、今後も続けるべきと思うか、自分は参加したいか、
区民全員の本心を聞くべきです。
多くの人の支持の得られないものがかなりあるように思います。
不要のものを捨て、執着から離れる、それによって新しい世界を開く、
これも今流行の断捨離の一種だと思います。
それを常日頃行っていくことは集落組織においても必要なはずです。

yona

unread,
May 10, 2011, 8:51:36 PM5/10/11
to 屋久島再生
集落の役員などやりたくない、
総会なんかに出る気もしない(実際出席者は1/4くらいです)。
多くの人がそう思っているのに、
それではなぜ集落自治なんか続けるのでしょう。

昔だったら、集落というのはまさしく運命共同体だったわけです。
水も電気も、集落で協力し合って手に入れていた、
農業もみんなで助け合わなければ続けられなかった、
これなら集落に従い、それぞれの義務を果たすのは当然です。

しかし今、集落組織がなくなったら何が困るのでしょうか。
自分たちの生活に支障をきたすことなどまずありません。
つまり集落に昔のような必然性はなくなってしまったのに、
もう何のメリットもないのに、義務だけ押し付けられてはたまりません。

こんなことを言うと、集落をつぶせというのかと怒られそうです。
いやそうではなく、このまま行ったらつぶれてしまう、
実際のところ、もうかなり形骸化している、
精神的にはもう半分つぶれているようなものだと言いたいのです。

昔は日本全国、どこにでも集落組織はあったわけです。
今、それが残って機能している所なぞ数%くらいでしょうか。
屋久島も遅れているだけで全く同じ道をたどっています。

もしそうしたくなければ改革しなければならない。
みんなが参加したい、必要と思うから自ら進んで行う、
そういうことに絞り込んでいくしかない。
これは義務だと無理強いしたり、
わずかな金を配って引きとめようとするなんてとんでもない、
いかにボランティア精神を喚起するかです。

人心が集落自治から離れる、
それは自治体にも無関心になることにつながります。
首長も議員も、何も期待できずどうでもよくなる。
しかし恐ろしいことにそんな役場も議会も存続します。
そして住民が無関心なのをよいことに、
一部の人が好き勝手のし放題になります。
日本全国に蔓延する民主主義の形骸化は、
最も身近なところから始まっていると考えます。
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