昨日、気仙沼市唐桑町の災害対策本部の穀田さんより、ご連絡がありました。
海外からいただいた支援金で洗濯機10台を購入させていただきました。
それが、無事に昨日各避難所に設置していただいたそうです。
こちらから送りました物資も無事に届き、活用させていただきますとご報告いただきました。
ご支援いただきました皆様ありがとうございます。
先日の気仙沼の訪問が、「bitsマガジーン」という、カナダの日系新聞に掲載されることになりました。
書かれたのは、中村ゆきさん。カナダのユニ会員で、OMNIという日系テレビ局のプロデゥーサーです。ゆきさんは、広島被爆者のドキュメンタリー作品で、モンテリオールドキュメンタリー映像部門の最優秀賞を受賞されています。また、「気心道とタオ指圧」(タオ出版)では、インタビュアーとして出演されている方です。
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東日本大震災の映像を毎日見ながらインタビュー、編集と苦しい1ヶ月が過ぎた頃、私はドキュメンタリー・フィルムを作ろうと決めた。日本総領事館JETプログラムで英語のアシスタントとして宮城県名取市、福島県福島市に滞在し、今回の大震災を心配した両親の懇願で一旦カナダに引き上げたものの、日本に戻った若者3人の責任感と勇気、思いやりに私の心が大きく動いた。オンタリオ州議会での記者会見で「子供たちのことを忘れないでほしい。彼らのことを記録に残してください。」と目頭を熱くして言った石川薫大使。無念の思いで死んでいった親。帰らぬ親を待つ子供たちのことを考えると胸が痛む。
「人間は自分勝手な生き物だと思ったけど、今回はそうではなかった」と東京から戻った友人の須藤栞さん。行方不明の5人の家族を案じる気持ちを抱えながら、精一杯義捐金集めの活動に専念するモガール和子さんは「犠牲者たちは私たちのネガティブエネルギーを浄化してくれたのだと思う。そう思わなと悲惨すぎる」と言った。オーストリアの高校生から預かった義捐金36万円を持って気仙沼に入り、避難所10か所に洗濯機を寄付した浄土宗のミュージシャン僧侶、「気」の指圧師・遠藤喨及氏は「相互の助け合いの精神が息づく『環境大国』」として生まれ変わったら、日本は世界で一番豊かな国になるだろう」と言い、気仙沼でボランティアとして指圧治療を行っている。彼らの思いやりと勇気ある行動、言葉が私の心を奮い立たせた。
正直なところ、危険と思われる場所に行って撮影などする気はなかった。
しかし、人間の温かさ、強さに触れ、「やるしかない!」という気持ちに変わっていった。放射線を体いっぱい浴びた被爆者たちは言う。「あわてるな。私たち被爆者でも生きているんだから!」だから、この程度の放射能汚染など怖くない。やるべきことをせずに人生が終わってしまう方がもっと怖い。
ドキュメンタリー・フィルム制作目的は一人でも多くの方々に被災地の様子と被災者について知ってもらうこと。この災害がなかったら東北地方の方々、彼らを取り巻く人々の素晴らしい人間性はここまで表面化しなかった?
今回はOMNI テレビのドキュメンタリー・ファンドを利用しないことにした。著作権の関係で数年間は全く自由が与えられないファンドはかえって邪魔になる。
ですから、どうかカンパをお願いします!少額でも1000人の人たちに協力をしていただければ何とかなります!大困難に直面しながらも、希望を捨てずに忍耐強く生きる人間の生き様を描くために、5月末、私は被災地に行きます。
中村ゆき![]()
647-272-2927
下記は「e-nikka」に掲載された記事です。
http://www.e-nikka.ca/Contents/communitynews.php?id=20110420163515
タオ療法による福島原発避難者への支援活動
これまでNPOユニでは、12回の募金活動を行いました。そして6回に亘って、被災地に支援物資を送って来ました。また気仙沼では、唐桑町の各避難所に10台の洗濯機の設置や、タオ療法によるボランティア活動も行われています。
これらの支援は、今後も継続されますが、新たに埼玉県加須市の避難所でのプロジェクトが立ち上がることになりました。
この避難所にいらっしゃるのは、福島原発から避難されて来た双葉町の方々です。規模は千数百人と巨大で、双葉町の行政組織もここに避難して来ています。言わば、ひとつの街があるようなものです。
そして多くの避難者の方々が、多大なストレスを抱えていらっしゃいます。また、そのストレスから、体調を崩されている方も多いものと思われます。
自治体からの要請により、NPOユニではこの避難所に「タオ療法ボランティア施術」専用のスペースを設けることになりました。他に常設の専用スペースがあるのは、東洋医学関係では、埼玉県鍼灸師会、埼玉県接骨師会、そして「タオ療法」となっています。他に、医務室、カウンセリングルーム等々があります。
NPOユニでは、施術ボランティアに従事する方が、無理なく活動を継続していけるように、施術ボランティアの交通費を負担する予定です。そして、タオ療法門下生の方々が交代で、タオ療法専用スペースに常駐するという支援体制を考えています。
加須市の避難所での活動は、タオ療法を学ぶ皆さんにとって、タオ心を実践するチャンスであり、またタオ心を生きるきっかけともなり得ると思われます。この震災という未曾有の出来事を前にして、日本人全員の生き方が、今まさに問われている時ではないでしょうか?
さて、加須市の避難所におけるボランティア施術の活動に参加し、この機会に、タオを実践するというお気持ちのある方は、至急、各クラスの指導員にお伝え下さい。たとえ参加開始の時期が先であっても、参加の意志表示だけでも早めにお申し出下さい。参加のお申し出や、日程の希望を先に出された方から、順次スケジューリングを行っていきます。
NPOユニ & タオオフィウス
4月10日~19日まで東京の中野駅周辺にて街頭募金を行いました。
タオ指圧のクラスの生徒さんや、チャリティー施術のメンバーが参加しました。
4月9日 10,100円
4月10日 14,037円
4月12日 1,600円
4月17日 15,550円
4月19日 5,868円
その他寄付金を57000円いただきました。
これを合わせて4月17日に気仙沼唐桑町にダンボール5ヶ分の物資を送らせていただきました。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
唐桑町の災害対策本部の穀田さんより、熱い感謝のメールをいただきました。
避難生活も長くなり、野菜が不足しているとのことですので、近々根菜を送る予定です。
先日気仙沼で活動されてきたユニメンバーの長谷川さんからのレポートです。
4月17日の朝日新聞に載っていた★被災地、偏る栄養/栄養士、現地入り支援★という見出しの記事です。
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長引く避難所生活で、被災者の栄養不足が心配されている。
支給や炊き出しに頼る食事はバランスが偏りがちで、避難所ごとの食事内容の差も大きい。
250人ほどが避難する、気仙沼市民会館。食事はおにぎりや魚の缶詰め、パンなど支給物資に、自衛隊が作る味噌汁。量は十分だが三月中にサラダなど野菜を提供できたのは二回だけだった。
「野菜が不足しています。」と松下尚子館長。食事を見た医師が全員に粉末青汁を配ったことがある。今月に入り炊き出しでシチューやカレーなど温かい料理が、増え一息ついた。
市内の老人ホーム恵潮苑では、入所者と他姿勢から避難した一人ら計90人が生活する。長期戦を覚悟し物資を長持ちさせようと、一日二食を続けてきた。納入業者が震災で打撃を受け、食材を十分に確保できない。「日常にはほど遠く、食の問題は深刻」と熊谷英夫施設長。
~中略~
被災地を栄養面でサポートしようと、避難所を調査した社団法人日本栄養士会の斎藤長徳常任理事は、「炭水化物ばかりで、たんぱく質が不足している。栄養不良による口内炎や抵抗力の低下も見られた」と話す。
~中略~
前神戸女子短大教授の森下敏子さんらは、阪神大震災の約一ヶ月後、神戸市内13の避難所で食事調査をした。
弁当やパンを組み合わせた食事を分析すると、ビタミンA、Cと鉄の不足が著しかった。豚汁やけんちん汁を加えると、
ある程度改善されたがどの栄養素も不足していた。また、避難所151人の約9割が何らかの異常を訴え栄養不足の影響と思われる肩凝りや便秘、皮膚の荒れや風邪、イライラが目立った。
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4月3日4日。泊さんと僕が避難所でいただいた食事内容は、山崎製パンのジャムパン、甘いサンドイッチ、おにぎり、焼きそば(避難者の方はご馳走だ、と言ってた、肉入りだったかも)、それと味噌汁は二回あった記憶があるが、一ヶ月近くもこのような食生活に耐え、更に、この先もまだ続くのか、と。
新聞記事を読み、唐桑の避難生活を続けている方々の体調が気になり、穀田さんに電話。避難所の食事内容について聞いてみる。以下、会話です。
Q:米は足りていますか?
A:はい、あります。
Q:一日三食分あるんでしょうか?
A:・・・いや、県本部からの配給と差し入れで、震災前の7、8割程度です。
Q:野菜はどうですか?
A:野菜は慢性的に不足です。やはり県本部からの配給と差し入れがあり ますが定期的にはないので。どの位の量かと言えば日常の二分の一以 下・・・です。
Q:肉とか魚はどうですか?
A:本部からも、差し入れも、ありません。炊き出しがあった時のみですね。つい先日、炊き出しあったんですよ!(穀田さんの声が弾んだ)和
歌山県の那智とかから来たボランティアの人達で、その時は久しぶりに食べました!野菜も結構摂れました。
Q:炊き出しはたまにあるんですか?
A:いえ、和歌山のボランティアが初めてです・・・ありがたいんですが、終わったら「ガンバってくださいね!」て、行ってしまう訳で、 その一食だけです・・・炊き出しはスポット的です。次はいつあるか、わかりません。
Q:芸能人やスポーツ選手が石巻とか気仙沼で炊き出ししてるところTVで見ましたが唐桑には来なかったんですか。
A:いやぁ、唐桑にはそういうのは全く来ませんね。(苦笑)
Q:味噌とか醤油はどうですか?
A:足りません。
会話が終わりに差しかかり、穀田さんに伝えました。
Q:野菜が必要だと思いますが、いかがですか、みなさん喜ばれるでしょうか?
A:ありがたいです。喜ぶと思います。
じゃ、このこと、ユニのみんなに伝えますから、と。
そして、調べた結果です。
先ず、東京方面から送るより気仙沼から近くの県あたりで見つけ、現金書留で送って宅急便で送ってもらうほうが送料が安くすみ、その分多く買えるだろうから岩手県や山形県の農産物直売所を調べ何件か電話。
しかし、南の方と違い、季節柄、葉物は少なく、今はほとんどない。地物は5月中旬過ぎると、ほーれんそう、も春菊もという十分にある。山菜なら今でも十分過ぎるほど提供できる。根菜類は8月位だったら大量に提供できるが今は大根くらい。なかなか種類と量を確保できるところがない。
やはり、東京方面からとか、まゆさんが言っていた京都からとか、関東以南の地域からか、送料が高くついても仕方ないか、と思い始めてきた。
そして、クロネコヤマトのホームページを見た。気仙沼地域にクール便の利用は出来ないことに気付く。だから、もし関東以南から送る場合、普通の宅急便車で送るしかない。根菜類なら大丈夫だろうが青物は心配だ。唐桑まで2,3日で届く平常時に戻りつつあるとは言え、まだ不安定感があるこの時期に、届いた箱を開けたら小松菜が腐っていた、なんてことになったら最悪だ。それは、避けたい。
それならば、根菜類はこちらから送るとして、青物はやはり、気仙沼の近くで探すしかない。
あっ、思い出した。気仙沼に向かってレンタカーを国道284号を走行中、農産物販売所があったのを。
調べて電話。しかし、そこも、種類も量も少ないから無理です、と。もう葉物はしばらくは無理か、とあきらめかけたら、電話に出られたオジさんがいい情報を教えてくれる。同じ284号沿いの、もう少し気仙沼寄りに旬彩館という産直販売所がありますよ、そこは専業農家が結構いて野菜の種類も量もあると思う、と。
ありがたい。連絡先を教えてもらい電話。
Q:NPO団体のもので、被災地の気仙沼、唐桑に野菜を送りたいんですが、そちらでは、野菜は今どんな種類があるでしょうか。
A:普通にだいたいのものはありますよ。
Q:普通って、葉物もあるんですか?
A:ありますよ。ホーレンそう、小松菜、春菊、水菜、等々。
Q:根菜類は?
A:ええ、ジャガイモ、にんじん、ゴボウ、玉ねぎ、等々。
何と、ほとんどの野菜が揃っているではないか!産直にもそれぞれ特色がある、と、どこかの産直のオジさんが言っていたが、こんな産直があったなんて!それも、なんと唐桑から車で30分かからないところにあった。
そして、訊ねた。
Q:例えば、数万円分を現金書留で送り、品目をこちらで指定し、それを宅急便で唐桑まで送っていただけないでしょうか?。
A:それは、やってないです。こちらに来て買ってもらう、形ですね。
Q:いや、こちらは、東京だから、そちらまで行けません。何とかお願い出来ないでしょうか?
A:ええ、そういうのは、ちょっと、やはり、やってないんで、すいません。
これ以上食い下がっても平行線の気がし、とりあえず電話を切る。
避難所に野菜を送るには、どうしたらよいのか、、、、。
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コックスバザールには、NPOユニ/ラカインセンターがありますが、
現地スタッフのラジョーさんから、日本の被災地のために募金箱を設置したと報告がありました。
彼の暖かい気持ちに感謝です。
新たに埼玉県加須市の避難所でのプロジェクトが立ち上がることになりました。
この避難所にいらっしゃるのは、福島原発から避難されて来た双葉町の方々です。規模は千数百人と巨大で、双葉町の行政組織もここに避難して来ています。言わば、ひとつの街があるようなものです。
そして多くの避難者の方々が、多大なストレスを抱えていらっしゃいます。また、そのストレスから、体調を崩されている方も多いものと思われます。
自治体からの要請により、NPOユニではこの避難所に「タオ療法ボランティア施術」専用のスペースを設けることになりました。他に常設の専用スペースがあるのは、東洋医学関係では、埼玉県鍼灸師会、埼玉県接骨師会、そして「タオ療法」となっています。
早速、本日3人の指圧クラスの方がボランティアに行きました。
そのお1人の感想です。
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これまで面識がなく、またこれから再び会えるかどうかもわからない、そういった方々に施術するのは初めてでした。
一期一会で必ず楽になっていただけると信じ、願いながら施術させていただきました。
すると患者さんの地震に対する恐怖感が伝わってきて、とても切なくなりました。
私は二人させていただきましたが、お二人とも喜んでくださり、ひざの悪かった方は、軽くなって正座ができたといってくださり、嬉しかったです。
今日の気持ちを忘れずに今後も施術させていただきたいです。
皆様からいただきました支援金で、気仙沼市唐桑町に支援物資をお送りいたしました。
4月23日 東京より
頭痛薬、下痢止め、胃腸薬、オロナイン、マキロン、虫刺され薬、バンドエイド、ガーゼ、綿棒、布テープ、マスク、
紙おむつ、デイバック(小型) チャイルド将棋、ツナ缶、ドロップ缶、ドライフルーツ、おかずのり
4月24日 京都より
じゃがいも、玉ねぎ、大根、にんじん(計90Kg-5箱)
避難所の野菜不足は深刻である。聞けば、パンやお握りなどの炭水化物ばかりの食事だという。
僕は一ヶ月近く、米と醤油だけで暮らしたことがあった。家出していた17歳か18歳のころのこと。
だから、炭水化物だけの食事が、どんなに大変でつらいことか、よくわかるのだ。
身体がだるくなるし、無気力にもなるのだよ。栄養のある食事ができないのって、けっこう心にもダメージなんですよ。
一ヶ月近くぶりで肉野菜炒めを食べた時に、涙が出そうになったのを憶えている。
避難所の野菜不足についての情報は、昨日入った。
それで、何とか気仙沼近郊から配送する方法はないか、ハセさんも僕も探しまわった。
しかし、なかなか見つからない。
気仙沼まで、届くまで数日かかるかも知れないからと、
八百屋さんが配送をいやがるのだ。
まゆさん曰く、探している間に時間が経つから、とにかく京都から送ってしまいましょう、と。
そりゃ、そうだ。
ということで、今日は早速、まさとさんとまひろさんの三人で野菜問屋に行った。
その足で宅急便屋へ行き、気仙沼に野菜を送った。1日も早く、新鮮な内に届いてくれよ〜。頼むぜい。
野菜の内訳は、じゃがいも30kg 、タマネギ 20kg、 大根30kg, 人参10kg。大箱6つぐらいにはなった。
他にも被災地に野菜を送って下さる人が、もっと出て来て欲しいなあ。
宮城で配送ボランティアをしてくれる人も探し続けている。

<写真は、宅急便屋さんの前。着いた時のことを無意識に想像したのか、ちょっと笑顔。>
この震災支援のために、海外のメンバーがそれぞれの国で支援活動を行っています。
以下はカナダのモントリオールで行われた活動の模様です。
絵手紙ワークショップ
東北地震から2日たった3月13日、さちこペレクリータ先生による絵手紙ワークショップを初めて開催しました。もちろん企画中は地震の事など予想もしませんでしたが、当日になってみてさちこ先生の機転により15名の参加者それぞれが心から自身の被害者のことを思い、作品を1枚お見舞いに遅らせていただく、ということになりそれぞれがそれぞれの思いをこめて描いてみました。にわか覚えというか、まったく初めての日本語を操って書き上げたカナダの人々の心のこもった1枚1枚です。
チャリティー指圧
4月3日、「help Japan !」と題してGUC主催のチャリティ指圧が行われました。開始時間の正午を待たず、予約してくださった方々がお見えになり会場の準備をお手伝い願ったりしてはじめからリラックスした雰囲気で2時間半、もう満員で息つく暇もなくあっという間に過ぎてしまいました。それぞれの人々から「ご家族は大丈夫ですか?ご親戚の方々は?・・」などと声をかけていただきとてもありがたく、みなさんの心の温かさを感じ続けた貴重な時間でした。中には家族中でこられた方もあり、皆さんの今回の災害に対する関心のほどがうかがえました。
おなじくカナダのトロント、アメリカのマディソンでもチャリティー指圧を行いました。
そして、カナダより 2000カナダドル(約17万5000円)
アメリカより 1000ドル(約8万5000円) 支援金としていただきました。
遠く離れた海外の方が日本をいろんな形で応援してくださっているのですね。感謝感謝です。

宮城県の野菜の宅配をされているところが見つかったので、
気仙沼唐桑町の災害対策本部の穀田さんに連絡をしましたら
「野菜は少しずつ各避難所の近くまで買いに行ったりできるようになってきました。それよりも、今は保温ジャーがあったらと思っています。」
聞けば、小さい炊飯器で何度も炊くので、冷えてしまうそうです。
さっそく、三升のご飯が入る保温専用のジャーを5つを
いただいた支援金から購入しましてお送りいたしました。
どうぞ、暖かいご飯が食べられますように。
気仙沼市唐桑町災害対策本部の穀田さんより、避難所の現状を送っていただきました。
<現状>
被災後約50日が経過し,一定程度避難所の運営においては,各自治会はじめ避難所の担当者(リーダー的存在の方・炊き出し担当の方・それぞれの分野での担当の方等)の努力と避難者の協力により落ち着いている状況にある。
唐桑地域で最大の避難所は「小原木中学校」で172人(4・27現在)ほかに「中井公民館」54人「鮪立老人憩いの家」50人「唐桑公民館・体育館」72人「唐桑小学校」63人「燦さん館」44人「第一高松園」26人「崎浜集会所」6人 計487人となっている。当初1,000人を超えていたが徐々にそれぞれ二次避難先等へ移り、約半数まで減少している。
今後,避難所の集約も考慮されるが,まだその段階に至っていない。
<物資について>
衣類等については,被災後の寒さもあり支援物資の多くが、防寒を念頭に集まり概ね各避難所へ行き渡っている状況。
靴については,長靴・スニーカー・サンダル等必要となっているが,相当数集まり避難所へ配送しているが,老若男女サイズが必要なためまだ足りていない状況。雨具・傘も同様。今後季節が移り夏物の衣類が必要になる。
<食糧について>
野菜は各避難所とも現在スポットで炊き出し支援によるメニューである程度提供できている。しかし,大切なことはあらゆる種類の野菜の継続的な支援であり,唐桑地域の避難所はまだその段階に至っていない。暖かい季節になり,保存の考慮を考えると冷蔵庫が必要(しかもある程度大容量:現実的には500?程度のもを複数設置することか・・・)
野菜については,本日(4・28)各避難所へ別紙の調査票を配布し明日回収する予定。
支援サイクルとして野菜の保存期限を考慮すると一週間単位で提供できるのが現実的かつ合理的と考える。
各避難者は当然一様でなく,避難所から通勤している方。職を失い探している方。小中高校生のいる世帯。老人のいる世帯。障害のある方々等々。避難者が個々に食材を求めその世帯の分の食材のみ購入し避難所へ持ち込むことは現実的ではない。
避難所によっては,一時的に食材提供を受けているところもあるが継続したものではない。
以上のことから唐桑地域避難所を網羅し継続した食材(特に野菜)の支援が重要である。
参考:唐桑地域配食数7,560食(4・21現在) 毎週月曜木曜配送
2011.4.28 唐桑災害対策本部 穀田
ユニ会員のお1人が、気仙沼市民会館へ食料を送りました。
炭水化物しか取れていない避難所がまだまだあるとのことを聞き
そんな避難所を探して、「味噌汁と高野豆腐ができるセット」を2箱送りました。
中身は醤油、味噌、出汁昆布、出汁の素、とろろ昆布、塩、砂糖、乾燥椎茸、高野豆腐、缶詰やレトルト食品少々(魚とか肉系)、麩。
暖かいおかずが食べられますように。
東京より、スニーカーを気仙沼市唐桑町にお送りしました。
また、会員さんよりご自宅で取れた夏みかんを送っていただきました。
京都より、会員さんからいただきましたT シャツ、ポンチョ、サンダル、軍手、レトルトカレー、みかん缶詰、お菓子をお送りしました。
今、必要な必要物資をお聞きしました。
1.夏物の衣類
2.お米
仮設住宅での生活が始まるにつれて、貧富の差ができてそうなので、5kg、10kgといった袋づめがあれば、困窮家庭に援助しやすいそうです。
http://www.npouni.net/blog/20110511-004905

気仙沼市唐桑町に大型冷蔵庫5台をお送りいたしました。
「唐桑も汗ばむ陽気になってきたので、大変ありがたいです。」
と、唐桑支所の穀田さんがおっしゃっていました。
「おかげさまで、避難所の人数は500人をきり、今月末には100戸、その次には90戸の仮設住宅ができる予定です。でも、せっかく入居の抽選に選ばれても金銭的な理由で辞退される方もおられて、金銭的な格差の問題がでてきています。ちかくのお店も並ばないでもほどに復旧してきていますが、仕事も財産も何もないという方もおられるので・・・」と。
家がある方、仕事がある方、財産が多少残っている方と、全く何もない方との格差の問題は、他の避難所でも出てきており、支援のあり方が問われているようです。
東京の中野駅前にて街頭募金を行いました。
5月15日 23,191円
5月17日 10,531円
短い時間でしたがたくさんの方にご協力いただきました。
どうもありがとうございました。
ライブ演奏の時は、何と太陽の光までさして来て、シチュエーションとしては素晴らしいものになった。仏さまのご加護やアレンジメントは、最後までドラマティックだった。

そして翌日は、関西国際空港からフライト。バンコクで一泊した後、ローマ経由で、ベローナにたどり着く。金曜日から行われる、イタリア代替医療全国大会でデモンストレーション等を行うためだ。
こちらでタオサンガの普及に頑張っている、ロリダナとアントニオの助人のためなので友情出演というやつである。
われわれは、走れメロスの気分で、イベントの翌日出発したのだった。写真は、ベローナの湖畔での朝食。

以下、UNIチャリティフェスティバルの写真です。

アイリーン・美緒子・スミスさん(グリーン・アクション)の講演

平賀緑さん(ジャーニー・トゥ・フォーエバー)の講演

岡野 弘幹さんのライブ演奏

三結&smoのライブ演奏

遠藤りょうきゅう&lamaniのライブ演奏

風力発電で遊ぶこどもたち

会館内1

会館内2

会館前庭

自転車発電中

ライブが終わってほっと
5月22日(日)京都国際交流会館にて、震災支援のためのチャリティーイベントとして「UNIチャリティーフェスティバル」を開催いたしました。
急きょ立ち上げたイベントで、しかも収益金の純利益は震災支援のために使うというこのイベントにどれだけの人が集まるのかと思っておりましたが、たくさんの出店者と、ライブや講演の出演者、ボランティアの方が集まっていただきました。
朝からの激しい雨で、一時はどうなることかと思いましたが、国際交流会館の方の好意により、会館内で出店できることになり、一階のロビーはとても和やかな雰囲気に包まれました。
昼からの雨上がりの爽やかな空気の中、屋外ステージでは自然エネルギーの講演やライブが行われました。

出店・募金の総純益として280211円集まりました。うち、経費を差し引いて228682円をUNIチャリティーフェスティバルの支援金とさせていただきます。
ご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。
支援金の使途については、後日出店者と協議の上決定し、HPにてご報告させていただきます。
気仙沼市唐桑町より、先日お送りした5台の冷蔵庫のお礼が届きました。
この度は、冷蔵庫を支給していただき有り難うございます。
これまでは配給された野菜を冷蔵庫で保存できないため、日持ちせず傷んでしまうため、処分することが時々ありましたが、これからは冷蔵庫で保存できるので食事のメニューも増えると調理担当スタッフ一同喜んでおります。また今回の冷蔵庫は冷蔵室、冷凍室どちらも大きく大量の物が保存でき重宝しております。また、これから暑い夏を迎え、避難者へ冷たい飲み物を提供していこうと考えております。
唐桑地域避難所/燦さん館、保健福祉センター所長 畠山孝一さん
オーストリアのユニメンバーより、日本に向けたメッセージと
支援金を頂きました。
そのほかにも、カナダ、アメリカでのチャリティーイベントの報告が
ユニメンバーより届きました。
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On May 28th the Global Uni Community of Tao Sangha Madison held a
Children’s Day Fundraiser for Japan. Children made kites, families made
dolls, parades put smiles on faces, and the sushi was delicious! Funds
were raised through short shiatsu treatments, Tao goods for sale, and through
the auction/sale of community member’s art, yoga classes, and services. The
slideshows and storytelling inspired us all with the Spirit of Japan. People
gave altogether about $500 to send to Japan. Thank you everyone far and near
for your support! Photos from the event will be posted on Picasa soon. Namu
Amida Butsu Deb for Tao Sangha Madison
5月28日、アメリカのタオサンガは、こどもの日チャリティ「ヘルプ・ジャパン!」
を企画しました。
さまざまな催し物、「スピリット・オブ・ジャパン」というスライド・ショーや、
ヨガ・ワークショップ、オークション、または子供たちが凧を作ったり、その他
もちろん、チャリティ指圧も行いました。
お寿司は絶品でしたし、皆様、皆様、本当にありがとうございました。
おかげさまでチャリティの寄付は、$500になりました。
タオサンガ・マディソン デボラ・ベックマン
[訂正]
先日、気仙沼市唐桑地域の各避難所へ洗濯機5台を送りましたが、オーストリアの高校生達が日本の被災者のためにと街頭募金活動をしてくれ集まった36万円でした。
↓
先日、気仙沼市唐桑地域の各避難所へ洗濯機5台を送りましたが、オーストリアの高校生達が日本の被災者のために校内で、募金活動してくれたお金を含めて、オーストリア、イタリアのサンガメンバーが寄付や、その他、様々な活動によって作ってくれた36万円でした。
NPOユニ会員の皆様へ
梅雨の恵みも、被災地の皆さんにとっては、足場の悪くすることにならないか、気になります。被災者の皆さんが、梅雨が恵みと受けとれる状況に早くなることを切に願います。
被災地によっては、まだまだライフラインも復旧していない避難所があります。そして、3食とも自衛隊の給食に頼っている避難者の方々がいらっしゃいます。
そんな避難所の一つ。気仙沼小学校と中学校に避難する、被災者約380人の皆さんが、震災後ほとんど新鮮な野菜を取れていないという、現地の声を聞きました。
そこでユニは、この小学校と中学校に避難されている380人の被災者の皆さんに、毎週少しづつですが野菜を届けていきたいと思います。
予算は毎週、3万5千円。月14万円になりますが、避難所に届ける野菜を購入する費用として、ユニ会計の中から使わせて頂きたいと思います。
そして自治体からの支援がある程度行き届くようになるまで、できる限り支援を継続したいと思います。
このため、センター内外での募金活動等も通じて、支援金を集め、野菜購入費にあてていきたいと思います。
他に皆様にお願いがあります。
避難所で毎食使う割り箸が、ゴミになってしまうそうで、 マイお箸があったらという声が届いています。
ご寄付頂けるお箸がありましたら、ご一報下さい。
会員の皆様のご理解とご協力に感謝致します。
NPO法人 ユニオフィス
UNIフェス開催を決めたのが、わずか1ヶ月前でした。そして、「被災地に炊き出しに行くつもりで、出店して下さいね」と、出店者募集を始めました。
出店料が無料とはいえ、そんなボランティアだけが目的のイベントに、一体、何店舗が集まるのか? 正直、私たちはとても心配でした。しかし結果的には、23店舗もの店が並ぶことになりました。
また天候が不安定だったにも関わらず多くの来場者が訪れて下さりました。また午後からは晴天にも恵まれ、多くの参加者の方にチャリティ•フェスティバルを楽しんで頂くことができました。
集計してみると、集まった全店舗の総純益は、280,211円でした。
一方、経費は、PA音響代(5万)、自転車発電代(3万)、ステージ•デコレーション代(3万)、印刷広告費(10万)などを含めて、合計251,529円と思った以上のものになっていました。
このため、経費の内、20万円をNPOユニで負担することにしました。そして、UNIチャリティフェスティバルによる支援金額が228,682円となりました。
支援金の使途については、6月12日(日)に、参加店舗の方々で集まり、ミーティングを行いました。
その結果、“栄養不足の避難所に送る野菜を送ろう。また、避難所生活を余儀なくされている子どもたちを支援しよう。子どもたちのいる避難所に玩具等を送ろう”ということになりました。
NPOユニの調査では、気仙沼の小学校と中学校に避難されている被災者の方々380人は、震災以後、現在もなお、野菜をほとんど口にされていにことがわかりました。極端な栄養の偏りのよる、被災者の方々の健康状態が懸念されます。
NPOユニでは、夏場に向けて大型冷蔵庫を気仙沼の5カ所の避難所に、各1台ずつ計五台送っていました。
しかしその調査結果を踏まえ、さらに、これに加えて、毎週3万5千円分の野菜を、380人の方々にUNI野菜定期便として送り始めるところでした。(これは行政からの支援が届くまで、可能な限り続けたいと思います)
そこで、UNIフェス支援金の内、118,682円を野菜定期便の費用に、また110,000円を、避難所に送る子どもの玩具の購入やリサイクル玩具の送料にあてることにしたいと思います。
子どもの玩具に関しては、必要としている避難所がどこかを、これから調査の上、リサイクル玩具の募集を始めます。
一人一人が、別々に被災地に炊き出しに行ったら、交通費もかさみます。また経費もかさみます。
でも、たとえ現地に行かなくても、皆さんで集まれば、より大きな被災地支援につなげることができる。そうユニは考えます。
そして皆さんと共に創造する、UNIチャリティフェスティバルが育つことを願っています。
UNIチャリティフェスティバルがメディアに取り上げられました。
5月23日付けの京都新聞と毎日新聞です。
以下の写真をクリックすると、拡大されて表示されます。
6月20日、気仙沼中学校の避難所へ生野菜を送りました。
東京の長谷川さんのレポートです。
毎週土曜日、中野駅前での街頭募金活動をやっている。先週は16188円の義捐金が集まった。最近では、ありがたいことに義捐金のリピーターさんもいる。全くありがたい。そして募金してくださった全ての皆さん、ホントにありがとうございます!!
募金で集まった浄財とNPO基金からのお金で野菜は築地市場の築地産直ファームさんから仕入れる。ファームさんは一円の利益もなく善意のみである。更にクール便の送料を少しでも安く、と、箱詰めにも神経を使っていただいている。いつも、ありがとうございます!!
今週から、しばらく生野菜を送ることになった。根菜類を送っても、気仙沼中学校、気仙沼小学校では調理ができないから。技術家庭科室も使わしてもらえないそうだ。
6月初旬に気仙沼の避難所巡りした。食糧事情を尋ね歩いた。時間がなく全ての避難所はまわれなかった。気仙沼中学校と気仙沼小学校には合わせて約380人の方が避難していた。小学校を訪ねたとき、ちょうど昼食の最中だった。失礼とは思ったが何人かの方に食事事情を尋ねた。
ある女性にメニューを訊いた。
海苔なしのおにぎりと豆腐半丁と大根と人参の入った味噌汁だった。朝食は、大手製パン会社の甘いロールパンと牛乳と野菜ジュー スで、食べなかったものが枕元に置いてあった。朝はだいたい、いつもこんなもん、と言う。夜は肉じゃが、が出るらしかったが、嬉しそうではなかった。
「自 分は着の身着のままでここにきたんです。私は生き残ったから・・・死んだ人のことを思うとね、食べられるだけでも・・・」「粗食だけれど、みんなそうだか ら・・・。」
避難所にやってきた時は体重が67キロあったのに59キロに減った。栄養が偏りすぎてる。野菜不足だ。関節が痛いと言っていた。
気仙沼中学校の避難者の佐藤清信さんは言った。「五月までは、野菜らしい野菜を口にしたことなかった。野菜と言えば自衛隊から届く大根と人参のごった煮だけ」と。
民生委員の小野道子さんは「おにぎりとオカズは、お菓子だったんです。」
隣に居た男の人は「おにぎりと、ようかんもあったなぁ」と、笑った。
6月から昼と夜はオカズの弁当が出ていた。「量は少ないけど揚げ物や野菜炒めが入っていた。感動しました。ただ生野菜はキャベツの千切りが一口程度なんですよ・・・生レタスが食べたいね」と清信さんは呟いた。
小野さんは「丸ごとのトマトなんて避難所にきてからお目にかかったことも無いです。」と。
東京に戻り小野さんに電話した。
生野菜を送ったらみなさん喜びますか?
「洗ってサラダにしてすぐ食べられるから喜びますよ」と。
送った野菜。
トマト40キロ
キュウリ20キロ
レタス20キロ
新玉ねぎ25キロ
セロリ5キロ。
21日。小野さんから電話。野菜届きました!明日みんなで作ります!一晩寝かせま~す(笑)。
22日、小野さんと電話で話す。「ありがとうございました。久しぶりに美味しい生野菜をいただいてみんな喜んでいました!!300人分くらいに小分けしていただきました!」
先日、気仙沼の避難所からNPOユニの事務所に、 沢山のお葉書が届きました。 なんと、皆さんからの御礼のお言葉でした。
一部ですが、ご紹介します。
気仙沼市唐桑町より、お礼状が届きました。
このたびの東日本大震災による未曾有の大災害に対しまして、迅速かつ多大なご支援を賜り、心から御礼を申し上げます。
今回の地震と津波により、本市も沿岸部を中心に壊滅的な被害を受けました。このような中で皆様から賜りました多くのご支援や救援物資、更には心温まるメッセージは、震災復興に向けての大きな励みとなり、現在、市民・職員一丸となって復興活動に取り組んでおります。
被災から5ヶ月が経過し、避難所にいた方々も待ち望んでいた仮設住宅への入居が決まり、大分落ち着きを取り戻してきております。
しかし、その一方で市内のいたるところにはまだ瓦礫が散在し、その撤去作業も思うようにすすんでいない状況ではありますが、市民と共に一歩ずつ復旧・復興に向けて進んで参る所存です。
今後とも、ご指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。誠にありがとうございました。
平成23年8月16日
気仙沼市唐桑総合支所 次長 千葉正光
ご報告が遅くなりましたが、今月上旬に気仙沼市唐桑町にすいかをお送りしました。
40個のすいかを送りましたが、「大きなすいかでのでびっくりしました」とのこと。
このすいかは、先のNPOユニの震災チャリティーフェスティバルの売り上げ金の一部によるものです。
ご協力いただいた皆様ありがとうございました。
40個 36000円 送料10000円 使わせていただきました。
被災地でボランティア指圧をしながら、音楽のLIVE ツアーをするというのは、かねてよりのアイデアだった。そしてそのアイデアは、不思議な経緯で実現したのだった。
まず、仙台の定禅寺Jazzフェスティバル http://www.j-streetjazz.com/ に出演することになった。
次に、石巻の洞源院というお寺でもライブをすることになった。古くからの友人で、クライブ(東京在住)というイギリス人ジャーナリストを通じて、である。洞源院は、さだまさしさんや南こうせつさんなんかもライブをした所だそうだ。
クライブは、7月2日に、僕らがアースガーデンという代々木公園の野外フェスで演奏した時に、初めてLiveを見に来てくれた。

<クライブ>

<クライブが撮った写真>
そうしたら何だかエラく興奮して、“俺が被災地でのライブをセッティングするから絶対行け”と、言い続けていた。(彼は、震災直後から救援物資を届けに、何度も石巻に車で通っていた)
CDアルバム「AMIRITA」も気に入ったようで、その夜は酔っぱらって、二度も絶賛の電話をかけて来た。(彼とは、いろいろと本気でケンカもしたが、この際、すべて水に流して許してやることにしよう。まあ、恐らく向こうも同じことを考えているに違いないが、、、)
最後に決まったライブは、気仙沼の唐桑(からくわ)町のライブハウスである。からくわ町には、震災当初からNPOユニとして様々生活物資や、洗濯機や冷蔵庫10台送るなどの支援をして来た。ご縁ある場所である。僕が3月下旬に、ボランティアに行った所である。
こうして、三カ所のライブツアーが実現することになった。それにしても強行軍である。バンド一行は、京都から車で12時間かけて仙台まで来て、一泊。
翌朝、三時間半かけて気仙沼へ行き、一日中ボランティア施術。(それにしても、バンド全員が指圧できるというのは、便利なものである)
さらに、その翌日も夕方まで施術し、夜はライブハウスで演奏した後、遅くに石巻に移動。
翌日の昼に石巻で演奏した後、夕方の出演に間に合うようにと、ダッシュで仙台に向かうのである。
石巻では演奏のみで、ボランティア施術する時間が取れない。それで、僕がバンド一行よりも一足先に東北に来て、石巻だけ前もって行っておくことにした。
というわけで、仙台に来た僕は、一人で、石巻の仮設住宅に向かった。ここは洞源院というお寺に避難していた人たちがいる所である。
午後、腰痛や膝関節痛のお年寄り等の施術をさせて頂いた。膝が曲がらなかったのが、曲がるようになった等で、喜ばれた。
ところで洞源院は、そんなに広いお寺というわけではない。でも、一時は400人もの避難者がいらしたそうである。
このスペースにどうやって、そんな人数でいられたのだろうか? と思った。 さぞかし、大変なことだっただろう。今は、全員が仮設住宅に入られた。
石巻は、広範囲で被災しているので、まだまだ津波の傷跡が、街のあちらこちらに残っている。

石巻でのボランティア施術の翌日は、3時間かけてバンド一行全員と気仙沼のからくわ町へ。二カ所の仮設住宅に二手に別れ、総勢6人で一日ボランティア指圧する。
仮設所リーダーの方は、“なるべく休みながらして下さいね”と、こちらを気遣って言って下さったが、そうもしていられなかった。
写真は、脱臼していると連れて来られた幼稚園児の「こころちゃん」。”治ったよ”と、足を上げて見せてくれた。2、3日は、無理しない方がいいと言ったんだけど、治療の後、しばらくしたら、後輪付きの自転車で走り回っていた。


三日目。夕方までボランティア施術。
その後、ライブハウスにて演奏。

最前列、車椅子から見てくれているのは、ライブハウスのオーナーご子息、由太さん17歳。
彼は、出演ミュージシャンに対して、とても厳しい採点をするとのことだった。
しかしどうやら、彼から合格点を頂いたようだ。場も盛り上がったみたいで、アンコール演奏も行った。
実を言うと、僕は演奏中、音楽以外は周囲の状況がまったくわからない。多分、あまりにも自己の内面に集中して入っているためだと思う。(念仏瞑想中の人を想像して下さい)先に、“場も盛り上がったみたいで”と書いたのは、自分には、場がどうなっているか、全然見えていないからである。
演奏後、夕食を頂いた後に、慌ただしく車に乗り、石巻に向けて出発。11時半頃、何とか薄暗い宿に着く。
石巻の宿泊所は、ほとんどが未だ再開できないでいる状態のようだ。今夜の宿、トイレは壊れていて、近くの公園まで行かなければならない。まあ、公園で寝ることを思えば、どうということはないけど。
かつて400人の避難者を抱えていたという石巻の洞原院。先月、紹介してもらってご住職の小野崎さんに電話した。その時、“半年目の9月11日の法要の前に、追悼の奉納演奏をお願いしたい”と言われた。それでLiveが実現することになった。
マスコミにも有名なお寺とは聞いていた。お寺の追悼法要は、NHKのニュースでも流すらしい。われわれは、朝から音響機材などをセットし、午後になってから、切ないような想いで演奏をスタートさせた。
音楽が、場にいる人々の心に染み入っていくのを感じた。
後で聞いたら、涙を流しながら聴いて下さっていた、お年寄りの方々もいらしたという。
演奏終了後。義援金の配布のため、東北一帯を巡っているという、台湾の仏教団体の方々が会いたいという。行くと、“素晴らしい演奏だった。東北全体の法要を企画したら、ぜひまた来て演奏して欲しい”とおっしゃられた。
長居はできず、定禅寺ジャズフェスティバル出演のため、仙台にダッシュで向かう僕たちだった。帰りは、洞源院の皆さんが、“演奏のお礼に”と言って、南こうせつさんの歌で送って下さった。法要に出れなくて申し訳ない、というようなことを僕が言ったら、”いや、演奏で十分に供養して頂きましたから”とおしゃって下さった。
果たして間に合うのかと、少し心配したが、仙台での演奏も無事修了。演奏中、人々が喜んで下さるのがこちらにも伝わった。

演奏後に、“こんな音楽は、今まで聴いたことがなかったです”とか、“胸に滲みて、素晴らしかったです!”などの言葉を聞くと、「大変だったけど、がんばって来て良かったな、、、」と思う。演奏を通して、仏さまの心が伝わればありがたいなと、寺のバンドとしては、そうも思う、、、。
http://endo-ryokyu.com/wp/?p=488
7人のメンバーで被災地へ行き、指圧のボランティア施術を行いました。
また、全員ユニメンバーのバンドLamaniが、追悼ライブ演奏を3ヵ所で行いました。
<9月8日>
朝、京都から車で、東北に向けて出発しました。
先発していた1名は、石巻の仮設住宅でボランティア指圧。
仙台に着くのに12時間かかりました。
<9月9日>
NPOユニがこれまで支援してきた、気仙沼の唐桑(からくわ)町に、朝3時間かけて移動。
着くとすぐに、小原木小学校と、中学校の2ヵ所の仮設住宅の集会所でボランティア指圧を始めました。
一見、明るく振舞われている皆さんでしたが、ぽつりと漏らされた言葉は、
「これまで仕事があって、水産でバリバリ働いていたけど、仕事がなくて運動不足なんだよね・・・」、と・・・。
なんとお慰めして良いものやら、返事につまりました。
津波ですべてを失った傷跡は、未だからだに残っているようでした。
指圧を通して伝わってくる、その切ない想いには、言葉がありません。
<9月10日>
唐桑町2日目。東京から毎月ボランティア指圧に来ているメンバーと合流しました。
そして朝、海岸沿いを走って、ボランティア施術のため、仮設住宅に向かいました。
唐桑の海は、地形が入り組んでいます。そして、岸壁や岩肌、また海が松島のように美しく、
津波が来なかったらこんなにきれいなところなのに・・・と想いました。
写真で見た被災直後の様子に比べたら、海岸の瓦礫や土砂は、きれいに片付いていました。
また道路も工事されていましたが、壊れた堤防は、被災直後と変わらずそのままで、民家も倒壊したままでした。
朝から始めたボランティア施術は、福祉センターの仮設住宅も含めて、三か所に分かれて行いました。希望される方が多く、ひっきりなしでした。
夜は、ボランティアの宿泊場としても開放されているライブハウスで、LAMANIがライブ演奏を行いました。
遅くに頂いた夕食後。石巻に向けてあわただしく出発しました。
<9月11日>
深夜、ようやく石巻に着いて、身を休めたのは、河口近くの旅館でした。
隣の家は全壊で、被災したとき、1階は腰の高さまで、土砂に埋まったそうです。
トイレは使えず、仮営業の宿でした。とはいえ、被害が大きかった石巻では、宿泊が可能な数少ない貴重な宿でした。
海沿いの道では、コンビ二などが、ぽつぽつと営業を再開していました。
しかし、街の至るところでは、瓦礫が山のように積まれていたり、また壊れた家屋群が見られるなど、まだまだ一部では、荒涼とした風景が続き、胸が痛みます。
朝、宿を出て向かったのは、2ヶ月前まで400人の被災者が避難されていたというお寺、洞源院です。
海が見えるほど沿岸部に建っているお寺ですが、高台にあるため、難を逃れたそうです。
法要前の追悼奉納コンサートをさせていただきました。
皆さん、心を澄ませて聴いてくださり、また中には、涙するお年寄りの方々も・・・・。
そして演奏後、仙台に向かう私たちを、皆さんが合唱して見送ってくださいました。
私たちは、定禅寺ジャスフェスティバル出演のため、仙台へと急ぎました。
仙台市街は津波の直接の被害は少なかったようで、中心部はにぎわっていました。
フェスティバルは、市内のあちこちに会場が分かれています。その中の1つ「花京院スクエアー」が私たちの演奏場所です。
NPOユニの活動について、簡単にお話しした後、祈りながら演奏させて頂きました。
”夕暮れ時の空に放たれた音が、どうぞ沢山の人を癒してくれますように・・・・”
祈りが通じたのでしょうか。観客と一体になったようなライブでした。
それは、休みなく動いた4日間が終わった瞬間でした。
7月から9月までの避難所へ野菜・果物を送った内訳です。
気仙沼市小学校、中学校の避難所へお送りいたしました。
こちらは5月に行われたユニチャリティーフェスティバルでの支援金から 支援させて頂きました。
ご協力いただきました皆様に感謝いたします。
7月8日 40,890円
7月28日 36,700円
8月15日 36,000円+10,000円(送料)
8月25日 24,330円
9月7日 24,330円
9月22日 24,030円
合計 196,280円
気仙沼小学校・中学校への支援状況をこれまでの経過も一緒にまとめて報告いたします。
ユニチャリティーフェスティバルの支援金もこちらへの野菜として使わせていただいております。
<6月中旬>
3.11から3ヶ月経っても避難所の気仙沼中学校、小学校の食事事情は悪く相変わらず野菜不足は続いていた。ゴールデンウィーク過ぎまで食べ物の多くは菓子パンやレトルト食品で、たまに口に入る野菜と言えば、大根とニンジンのごった煮。避難所に来てから、まるごとのトマトなど見たこともないですよ。」と、気仙沼中学校の教室に避難していた民生委員の小野道子さんは言っていた。他の避難者のみなさんに話しを聞くと異口同音に野菜が食べたい、特に生野菜が食べたい、と言う。そしてNPOユニで野菜定期便を送ることになった。
<7月>
野菜の仕入れ先に苦労していたが、ようやく見つかった。築地市場で仲卸業を営む、築地産直ファームさんが、ありがたいことに利益抜きで協力してくださることになった。
こうして、被災地支援の一環として野菜定期便がスタートした。
築地市場から第一便が気仙沼中学校へ到着。約200人分ほどの生野菜サラダは、小野さんと避難所のみなさん、現地ボランティアの方々が協力して作られた。
中学校、小学校の調理室は使えなかったので仕方なく、校舎前の空き地でつくった。
真夏の炎天下、200人分の生野菜サラダ作りは苦戦していた。野菜が傷まないように、わずかの日影を探しては移動しながら作業で三時間かかったという。
「一人、お椀に一杯分くらいの量でしたが、震災後、はじめての生野菜サラダに避難所のみなさん感激して喜んでたべてました。ありがとうございました!」と。
<8月>
第二便、第三便、と順調に滑り出したが、予想もしてない出来事がおきた。役所から小野さんに指導がきたのだ。
「そんな屋外で野菜サラダを作って、もしも食中毒がおきたら、誰が責任取るんですか・・・。」と。
「そんな責任、私に取れる訳ないでしょ・・・!」と、悔しさと腹立たしさを抑え、涙まじりの声で言いかえした。
結局、生野菜を送ることは中止となり、変わりに根菜類を送ることになった。届いた野菜は、小野さんが避難所のみんなに配って歩いた。もちろん、じゃがいもやニンジンやごぼう、などを受け取っても避難所では調理できない。
避難所にはシャワーはあるが風呂がなかった。それで、たまに風呂をもらいに既に仮設住宅に移り住む親戚や仲間の家に行っていたのだが、その時に、受け取った野菜を持っていき調理してもらい、それを一緒に食べた。ほんのわずかだが仮設の人も喜んだ。
<9月>
最多時は500人はいたという避難所気仙沼中学校も、残り数十人の避難者を残すまでになった。
小野さんも、ようやく、待ちに待った仮設住宅に引っ越すことになった。しかし、喜んで引っ越す訳ではなかった。
妥協しました、という。人里離れた不便な山の中で日当たりも悪く、すりばち状の底に整地してできたテニスコート内に作られた仮設住宅で、当ったとはいえ入居拒否者が結構いるらしく結構空き室が目立っていた。
そんな時、待てど暮らせど仮設住宅に当選しない小野さんに、役所はこの仮設住宅に入居をすすめてきた。
何度となく、すすめられたが、もちろん断わり続けた。しかし長い避難所暮らしで12キロも痩せ気弱になった小野さんは、とうとう「避難所よりはマシか・・・」という心境にハマり、この不便で日当たりの悪い仮設住宅に住むことに決めてしまった。
<10月>
気仙沼中学校の教室で半年間、避難していた小野さんが、56人の避難者が住む市営テニスコート住宅という奇妙なな名称の仮設住宅に引越して一ヶ月が過ぎた。「仮設の回りは藪でマムシがよく出るし、玄関を開けておくと蟻が入ってくるし・・・すみません、愚痴聞いてもらって!」と、笑っていたが、しかし、ボヤいてばかりもいられなかった。
バス停から、仮設まで歩いて20分はかかり坂道を登らなければならない。道幅も狭く、冬になれば雪が積もっても除雪車が入ってこれそうもない。せめて除雪用道具を市で何とかしてもらいたい、と、住民のために小野さんは交渉している。
そしてまた、民生委員である小野さんは、高齢者が大半のテニスコート住宅を一件、一件まめに回っていて気づいた。
それは、一人暮らしの老人で鬱と痴呆の人が多くなってることだった。それもそうだろう、津波で家も財産も流され着の身着のままで避難所にたどり着き、ショックと絶望感を抱き、仕事もなく孤独で未来に希望もなく一日中、部屋に閉じこもっていたら・・・。
そこで、小野さんは、あるアイデアがひらめいた。呉服屋に生まれたの小野さんは娘のころから針仕事が得意だった。これを生かせないか。そして、集会所で、古い着物を利用してパッチワーク作りを教えることを思いついた。部屋に閉じこもりがちな高齢者を一人でも多く引っ張り出して、みんなで楽みながら少しづつ笑顔を取り戻し、少しでも生きる希望につながれば、との切なる願いからだった。
今、一日も早く、集会所でそんな願いが叶うように、NPOユニでは、メンバーに箪笥に眠っている着物を寄付してもらえるように声をかけ、集まった着物をお送りした。
それと、「・・・ミシンも流されたのでミシンも一台いただけたらありがたいです・・・いや、もし、できれば、三台あったら、みんな楽しめるのですが・・・ホントにもらってばかりで申し訳ないですが、どうか、よろしくお願いします。」と、電話の向こうで言った。
文:長谷川森
気仙沼の赤岩牧沢テニスコート仮設住宅より、新年のご挨拶と共にたくさんの写真とお礼のお言葉をいただきました。
こちらは、仮設住宅の前の避難所の時より、野菜を定期的に送っておりました。
12月には仮設住宅の皆さんが集会所に寄って来ていただきやすい様に、コタツ、ストーブ、電気カーペット、ミシンを送らせていただきました。
民生委員の小野さんよりお礼のお手紙を一部ご紹介させていただきます。
「昨年は大変なご支援をいただき皆様の暖かい心のこもったご協力に感謝いたします。
私たちの仮説の場所は山のてっぺんに建てられていますが、すり鉢状になっている中に、9棟56世帯で住んでます。周りは草ぼうぼうでまむしや日本鹿、りす、小鳥、たまに子どもの熊などが出てきます。

なかなか大変な環境で、冬になり連日の積雪で、お年寄りの多いこちらの仮設では、買い物に行けず、辛抱の冬ごもりの日々を過ごしておりました。ですので、皆さんにはほんとうに感謝申し上げます。

私に、頑張る力を与えてくださいましたこと、感謝してもしきれない恩を受け、今なお冬を過ごせる敷物、コタツ、ストーブ、ミシンなどと野菜の配布のおかげで傷ついた心を癒せ、心を開く足がかりを作れました。

5月の1300人の避難者に生野菜を送っていただいてから、8ヶ月間、守り続けて支援し続けてくださいまして、本当にありがとうございます。今は赤岩牧沢テニスコート仮設の56世帯と、西高仮設の28世帯で野菜を分けております。ありがとうございます。