1991年のHPC(その一)

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Jul 4, 2022, 4:41:53 AM7/4/22
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、6月27日から1991年に入り、6回にわたって連載します。最初の2回を簡単にご紹介します。

前年初めから日本の株価は下がり、バブルは崩壊していたのに、甘く見ていた人が多かったようです。湾岸戦争が勃発し、日本は派兵を迫られます。4月筆者は東大に移りましたが、筑波大学のQCDPAXは本格稼働に入り、CP-PACS計画も進みます。立花隆氏が筑波大学に来訪してルポルタージュを書きます。第五世代は最終年度を迎え、新情報(RWCP)の準備が進みます。

アメリカは8月第二次日米半導体協定を強要して、日本国内で生産する半導体規格をアメリカの規格にあわせることや、日本市場でのアメリカ半導体のシェアを20%まで引き上げることを露骨に要求しました。スーパーコンピュータでも、日本のスーパーコンピュータの性能は見せかけだと批判し、日米で性能評価ワークショップがハワイで開かれ、筆者も参加しました。

航空宇宙技術研究所では、三好甫先生を中心として、アメリカの批判を招かないようにしながら、VP-400より100倍高速な数値風洞計画が進みます。なお、「数値風洞」の項は7月4日から全面改訂しましたので、もう一度お読みください。

Supercomputing Japanの2回目が池袋で開催されます。リクルートISRは、SX-2Aの計算時間400時間をアカデミアに提供するほか、青山でワークショップを開催します。たまたまですが、リクルートISRの所長であったRaul Mendez氏のインタビューも本誌で7月4日公開されています。

アメリカから「日本では公的な研究機関でも、企業の研究部門でもMPPの開発は盛んにおこなわれているが、商品のMPPは作っていない。企業は非常に保守的である。」との批判がなされています。日本のMPPは10年以上の遅れをとっていたと言われます。

小柳義夫

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Jul 19, 2022, 12:46:58 AM7/19/22
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、6月27日から1991年に入り、6回にわたって連載しています。真ん中の2回を簡単にご紹介します。先週は第100回となりました。前回の連載で100回になったのは2003年の記事なので、だいぶペースがゆっくりです。

各社のPIMやAP1000など日本も超並列機を開発していますが、松下電器はスーパースカラプロセッサOHMEGAを独自開発し、超並列機ADENART-IIに向かいます。日本鋼管は、井戸禎光氏ら約10名の技術者をDallasのConvex本社に派遣し、超並列機(後のExemplar SPP)の共同開発に入りました。このことは製品が出てから知りました。

日本でもようやく電子メールやニュースが普及し始め、アカデミアだけでなく産業界にも広がり始めました。BITNETとWideとの電子メール交換が正式に開始しました。まだ漢字はダメでした。インターネット接続も広まりつつあります。

SC91のBoFでHPF (High Performance Fortran)への動きが始まり、精力的に開発が進みます。データの分割だけを指示することにより、データ並列性を検出し、自動的に並列化する言語です。同時並行的にMPIの標準化の動きも進みます。

アメリカのブッシュ政権は、上院議員ゴアなどの提唱するHPCC計画を始めます。1993年にはクリントンーゴア政権に継承されます。その一つとしてPetaFLOPS Initiativeも始まります。

これに対抗して、ヨーロッパはいかにすべきか、ECはCERN所長Rubbiaに検討を依頼し、Rubbia委員会は「ハードは無理なので、ハードは諦めアプリ開発で優位を取れ」と勧告します。筆者は「それではよいアプリはできない」と批判記事を書きました。

高エネルギー研のコンピュータ関係で大変お世話になった番野善明技官が帰宅時交通事故で亡くなられました。実はアマチュア天文家としても知られ、小惑星番野 (3394 Banno)は番野氏を偲んで命名されました(最近知りました)。

1991年の最後は、は国際会議やアメリカなおdの産業界です。CM-5が発表されます。

小柳義夫



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Aug 1, 2022, 10:40:39 PM8/1/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、8月1日の第103回で、1991年の記述を終わりました。最後の2回について簡単にご紹介します。(全目次は、バナーの「特集記事」のプルダウン・メニューがらご覧ください)

科学研究費総合研究島崎班は、福岡で国際会議ISS'91を開催しました。全プログラムを掲載しましたが、講演者や題目を見ると当時のHPCの状況が浮かんできます。

HPCに関連の深い高エネルギー物理学関係の2つの国際会議CHEP 1991とLattice 91がつくばの高エネルギー物理学研究所で開催されました。前者では、岩崎洋一が格子QCD専用計算機について総合報告を行いました。

第4回目のSCはニューメキシコ州のAlbuquerqueで開催されました。、私は出席できませんでしたが、会議中のBoFからHPF Forumが始まりました。ISCの前身である第6回Mannheim Supercomputing Seminarでは、基調講演を含む過半数のプレゼンがドイツ語だったようです。

シリコンバレーのSanta ClaraではSupercomputing USA/Pacific 91という単発の「国際会議+展示会」が開催され、日米の有名人が講演を行いました。私は日本からの訪米団の団長を務め、周辺の研究所も訪問しました。

本格的なMPPがアメリカの企業から登場します。TMCはCM-5を発表し、Intel社はParagonのプロトタイプであるTouchstone DeltaをCaltechに設置しました。KSR社はKSR1を出荷しました。Cray社はC90を発表するとともに、MPPの計画が報道されます。Convex社もCray互換のベクトルだけでなくRISCチップを搭載したMPPの開発を始めています。アメリカでは超並列の花盛りですが、日本では??

ドイツのParsytec社は、T9000を搭載したGCシリーズを予告していましたが、T9000は夢に終わります。

1991年に創業された企業としては、HPFコンパイラで有名なApplied Parallel Research社、筑波大学のT2Kを製造したAppro社、A84FXの設計でも使ったBroadcom社(の初代)、そして武田喜一郎のソフテックなどがあります。

終焉を迎えた企業としては、Stardent社、FPS社、Digital Research社(CP/Mで有名)などがああります。

次回は1992年に入りますが、公開はお盆明けの8月22日からを予定しています。

小柳義夫@RIST

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Aug 22, 2022, 2:42:11 AM8/22/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日の第104回から1992年に入りました。7回に分けて連載します。初回の記事を紹介します。これまでの記事は、バナーにある「特集記事」のプルダウン・メニューからご覧ください。

その前に訂正があります。第102回に国際会議ISS'91のプログラムを掲載しましたが、これは準備段階の素案でした。島崎眞昭氏から最終プログラムをいただきましたので、修正しました。また、高エネルギー物理学関係の2つの国際会議CHEP 1991とLattice 91の開催場所ですが、CHEP1991が筑波大学、Lattice 91が高エネルギー物理学研究所でした。これも訂正してあります。

社会では、『ミンボーの女』が公開され、伊丹十三が暴漢に襲われます。新聞に不思議なGコードの掲載が始まります。米国留学中の服部剛丈君が射殺されました。ブッシュ(父)に代わり、クリントンが大統領に選ばれます。風船おじさんという話題もありました。

日本のHPC界では、第五世代が終了し、通産省はRWCPを発足させます。文部省関係でも、科研費の重点領域「超並列原理」、筑波大学のCP-PACSプロジェクト、広島大学のINSAMなど超並列処理の研究プロジェクトが始まります。小柳研究室は「超並列原理」に「場モデルによる超並列処理の研究」という課題で応募し採用されたので、マルチグリッド前処理共役勾配法の研究を推進しました。

学術情報センターはSINETの運用を正式に開始し、大学関係でのインターネットの利用が急速に発展します。

次回は1992年(b)で、国内の会議と日本の企業の動きなどについて書きます。

小柳義夫@RIST

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Sep 4, 2022, 11:02:45 PM9/4/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1992年に入っています。7回に分けて連載します。先週と今週の記事を紹介します。国内会議、日本企業、標準化、性能評価、ネットワーク、日米貿易摩擦、中国のスーパーコンピュータなどです。

横浜で開かれたJSPP92では、パネル討論会「並列計算機の実用化・商用化を逡巡させる諸要因とは?――その徹底分析と克服――」が企画されました。30年後の今なら考えられないテーマです。筆者は、「悪玉」(ベクトル計算機擁護派)としてパネリストに引き出されました。さて善玉は誰か?

アメリカではParagonやCM-5など本格的並列計算機が登場しているのに、日本では、S-3800やVPP-500などベクトル計算機の花盛りです。日本でも、やっと高並列計算機AP1000やCenju-IIが登場します。ベクトル計算機の時間貸し事業を行ってきた計算流体力学研究所とリクルートの両社は事業から撤退します。世界を驚かせたビジネスでしたが、バブル崩壊には勝てませんでした。

日米関係では、アメリカの大学や政府関係では日本のスーパーコンピュータを拒否しながら、日本には買え買えと圧力を強めています。核融合科学研究所(土岐市)では、クレイリサーチ社と日本の3社が応札し、日本電気が落札しましたが、クレイリサーチ社は日本政府のスーパーコンピュータ調達審査委員会に苦情を申し立てました。たしか当時委員長は故森正武先生だったと思います。委員会は申し立てを却下しましたが、クレイリサーチ社はなおも引き下がらず、研究所は、翌年3月の設置後、異例の「公開デモ」を行いました。

中国では、Cray-1に似た銀河1号(1983年)に続き、X-MPに似た銀河2号を開発し3台が稼働します。実用機であるところがすごい。

次回は1992年(d)で、世界の学界の動きと国際会議です。WWWが広がり始めますが、これがインターネットの主要な利用形態になると私は不覚にも理解しませんでした。

小柳義夫@RIST

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Sep 20, 2022, 1:28:13 AM9/20/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1992年を7回に分けて連載しています。先週と今週の記事を紹介します。「世界の学界の動き」と「国際会議(特にSC92)」です。

前信で紹介したように、筑波大学では計算物理学のためのCP-PACSの開発を始めていますが、世界中で同様なプロジェクトが進んでいます。QCD Teraflops Project、APE100、GF11などです。APE100やGF11はSIMDですが、他はMIMDで、それぞれ自分のが最適と謳っています。

第6回のICS会議は初めてアメリカで開催され、富士通は300 GFlopsを越える並列ベクトルスーパーコンピュータを予告します。後のNWTとVPP500です。AIHENP 92(南仏)とCHEP1992(アヌシー)では、Tim Berners Leeが自らWWWのデモをやっていました。

コロンブスの新大陸到着500周年のSC92は”Voyage and Discovery”というタイトルの下にミネソタ州Minneapolisで開催されました。Larry Smarrは基調講演”Grand Challenges! Voyage of Discovery in the 1990’s”において、スーパーコンピュータの意義を強調しました。Steve Chenは招待講演で、Virtual Prototypingについて詳しく語りましたが、彼の作ったSSI社の動向については一言も語りませんでした。案の定、翌年には破綻します。

SC92の最終日(金)に、Seymour Crayの生まれ故郷のChippewa Falls(Wisiconsin州)にあるCray Research社の工場を見学しました。同社が開発中の超並列計算機(後のT3D)について面白いやりとりがありました。

次回はアメリカ企業の動きなどです。超並列の花盛りです。

小柳義夫

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Oct 2, 2022, 10:20:55 PM10/2/22
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日公開の「新HPCの歩み(第110回)-1992年(g)」
で1992年(全7回)を終了しました。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を紹介します。

1980年代に創業した超並列ベンチャからは、MP-2(MasPar Computer社)やCM-5(Thinking Machines社)が出荷されますが、押しも押されぬ半導体の大企業のIntel社も、超並列機Paragonを出荷します。大企業の登場で、吹けば飛ぶようなベンチャ達はどうなるのでしょう。Alliant Computer社が倒産します。しかし、これはまだ序幕に過ぎませんでした。

高性能なマイクロプロセッサがいろいろ登場します。SuperSPARC(Sun Microsystems社)、PA-7100(Hewlett-Packard社)、R8000(MIPS Technologies社)、Alpha 21064(Digital Equipment社)、PowerPC 601(IBM社)などです。これらで超並列機を作れば鬼に金棒でしょう。

本誌(HPCwire Japan)の親誌であるHPCwire(米国)は、1992年9月2日に創刊されました。わたしはすぐ有料購読者($195/年)になりました。今年は30周年です。

今週号では、1992年時点で日本に設置されていたベクトルスーパーコンピュータ一覧を公開資料に基づいてまとめました。膨大なので間違いもあるのではないかと思います、ご教示ください。(「設置時期」の定義が、「搬入」「据え付け」「稼働」「検収」「運用開始」などあいまいです)日本設置の(商用)並列スーパーコンピュータについては1993年のところで一覧を示します。ご期待ください。

小柳義夫@RIST

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Oct 17, 2022, 1:03:09 AM10/17/22
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に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1993年に入っています。ご愛読を感謝します。余談ですが、1993年のノーベル化学賞はPCR法の発明(1983年)に与えられました。新型コロナでこんなに使われるとはMullis氏もびっくりでしょう。先週と今週の記事を御紹介します。

1993年1月に発足したクリントン政権は、日本へのアメリカ製スーパーコンピュータ輸出に血道を上げ、日米スーパーコンピュータ摩擦がさらに燃え上がります。日本は景気対策の補正予算で10台強のスーパーコンピュータを購入することになり、アメリカからの圧力がさらに強まります。

航空宇宙技術研究所では、三好甫氏の主導のもと富士通と共同開発したNWT(数値風洞)が稼働し、飛行機の研究などに活躍します。11月のTop500では堂々のトップを取り、その後も含め合計4回トップを取っています。

この年、情報処理学会の数値解析研究会が、HPC研究会に進化しました。広島大学INSAMには3月にParagonが入り、翌年3月には東大の情報科学専攻に富士通のAP1000+が入ります。

リクルートISRは3月閉鎖されますが、Mendez氏は自分の会社ISRを立ち上げます。つくば第一ホテル(その後オークラを経て、ホテル日航つくば)で、ISRワークショップが開かれます。この場で、アメリカの並列機ベンダは、補正予算でスーパーコンピュータ調達を予定している日本の組織関係者と出会います。

富士通は、NWTと同じ技術によるVPP500を発表し、発売します。また、AP1000を中心に並列ワークショップPCW'93を開催します。日本電気もMIPSアーキテクチャのプロセッサを搭載したCenju-3を発表します。

IBM社は2月世界中にSP1を発表し、日本でも大々的に披露します。後に書くように、同年Cray Research社も超並列コンピュータT3Dを発表します。前年のIntel Paragonを含め、世界的大企業が超並列に乗り出してきました。

IIJ(株式会社インターネットイニシアティブ)が商用インターネットを始めるために、ユーザ企業になりそうなところに出資を要請しましたが、「インターネットが事業で使われるようなことになれば、全裸で逆立ちして銀座を歩いてみせますよ」とのたもうた大幹部がいたとか。パソコン通信と同様にホビーとしてしか見られていなかったのでしょうか?

小柳義夫@RIST

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Oct 30, 2022, 10:15:49 PM10/30/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1993年に入っています。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。

先週号では、1993年時点で日本に設置されているアメリカ製並列コンピュータの一覧を掲載しました。日本のメーカはまだ及び腰だったので、大学も民間も多数の米国製並列コンピュータを設置しています。でも、アメリカ政府はもっと売り込みたいようです。

並列化ソフトの標準化としては、PVM、MPI、HPFが並行して進んでいます。MPI標準化は順調ですが、HPFの議論は少し発散気味です。

Top500が始まりましたが、私は「Forbesの長者番付でもあるまいし、どうして順位をつける必要があるんだ」とバカにしていました。Meuer教授から参加を勧められましたが断りました。今と違って、マスコミが注目することもなく、ひっそり発表されました。日本では、関口智嗣氏の尽力により、「性能評価の標準化」調査研究が始まります。

アメリカ政府のHPCCは、ブッシュ(父)大統領時代の1991年から始まっていますが、クリントン・ゴア政権は、省庁を越えて多額の予算を投入します。ゴア副大統領は情報スーパーハイウェイ構想を打ち出します。これは、ゴアの父親Al Gore, Sr.が、上院議員であった1956年にInterstate Highwayを推進したことにちなんでいます。

Gordon Bell氏は「つぶれるべきコンピュータ会社が政府(特にARPA)の援助により生き延びている」と批判しました。結果的に1994年にはTMCやKSRが経営破綻に至ります。

NSFは有識者によるパネルを設置し、「デスクトプからテラフロップへ、HPCにおけるアメリカの優位を活用して」と題した報告書を出し、NSFへの投資の重要性を強調しました。1985年からの4スーパーコンピュータ・センター体制の次期計画はどうなるのでしょう。

ヨーロッパやアジアの政府関係機関もスーパーコンピュータの設置や利用に力を入れています。いよいよスーパーコンピュータ時代の到来です。

来週は1993年に開催された種々の国際会議の話題を書きます。

小柳義夫@RIST

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Nov 13, 2022, 8:53:17 PM11/13/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1993年に入っています。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。テーマは国際会議です。今週号はSC93について、その他の国際会議は先週号に載せました。

HPC分野のヨーロッパベースの国際会議として、第1回のHigh Performance Computing and Networking(HPCN)がアムステルダムで5月17日~19日に開催されました。その後、日本からもかなり参加しましたが、2001年の第9回で終わりました。ドイツで6月に開催されているMannheim Supercomputer Seminar(後のISC)に負けたようです。

ACM SIGARCH主催のICSの第7回が初めて日本で開催されました。組織委員長は村岡洋一、プログラム委員長は田中英彦。最終日に「1998年(5年後)のスーパーコンピューティング」というパネルがあり、日米のベンダーがパネリストとして各社のロードマップを披露しました。翌日には、早稲田大学の同じ会場で、科研費島崎班の最終年シンポジウムを兼ねてWBPE(代表、津田孝夫)が開かれました。

アジアを中心とした計算物理の国際会議ICCP-2が北京で開催され、私は“Parallel Computers for Computational Physics”という講演を行いました。私としては2度目の中国でしたが、再び故宮を見学し、万里の長城(八達嶺)に登りました。八達嶺では、公開されている東側の端から西側の端まで制覇しました。その後、1999年にICCP-5を金沢で開催します。

第6回目となるSC'93がポートランドで開催されました。テーマがネットワークの方に広がり、展示は初めて100件を越えました。日本からも富士通や日本電気が出典しています。昨年からですが、K-12(幼稚園から高校3年まで)という標語で特別のプログラムや展示が企画されていました。高校生などのスーパーコンピュータ利用の成果が発表され、ハイスクールの先生が多数参加していました。日本の高校にはパソコンすら整備されていないのに。

第2回のTop500が会議に合わせて発表されました。ただし、Top500 BoFが開かれるのはSC'94からで、会議中にイベントはありませんでした。NWTが遂に堂々の1位にランクインし、2位のCM-5の倍以上でした。しかし今と異なり、とくにマスコミで話題になることもありませんでした。10位以内には、社内とカナダにある2件のSX-3が入っています。合計、富士通は35件、日本電気は32件、日立は25件が載っています。すべてベクトルです。

来週はお休みで、次回は11月28日です。Cray社やIBM社が遂に本格的な超並列機を導入します。

小柳義夫@RIST

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Dec 4, 2022, 7:18:39 PM12/4/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日で1993年分を完載いたしました。ご愛読を感謝します。先週と今週の記事を御紹介します。

誰かが「Killer Micros」と言ったように、マイクロプロセッサの進歩が著しく、超並列機もこれまではカスタムCPUが主流でしたが、高性能な汎用品のCPUを搭載する超並列機が台頭してきました。特に、この年に登場したIBM社のSP1とCray Research社のT3Dは衝撃的でした。吹けば飛ぶようなベンチャーではなく、歴とした大企業が社運を賭けて開発したこともあり、あっという間にこの業界を席巻しました。グラフィックスの会社であったSGI社もChallengeシリーズでHPC市場を狙っています。ヨーロッパでも、Parsytec社、Parsys社、Transtech社、Meiko社などが活躍します。

そのあおりを食らってか、これまで超並列の雄として君臨してきた、CM-5のThinking Machines社や、Kendall Squares社や、nCUBE社や、MasPar社などを暗雲が覆います。翌1994年には決定的になります。

他方、大会社も安泰かというとそうではなく、IBM社はダウンサイジングによる大赤字でCEOが交替し、Cray Research社の業績も上向きません。IBM社はなんと食品会社ナビスコからCEOをスカウトしました。

一人わが道を行くSeymour CrayのCray Computer社は、やっと最初で最後のCray-3をNCARに設置したものの、資金が足りなくなり、経営陣は金策に走り回っていました。でもSeymourは強気で、「Cray-4、Cray-5と作り続ける」と豪語しました。これも翌1994年決定的になります。

Intel社はx86のシリーズとしてPentiumを発表し出荷しました。奇しくも先日、2023年からPentiumやCeleronのプランド名を使わない、との発表がありました。30年は長いというべきか。

1993年、台湾出身のアメリカ人Jen-Hsun Huang(黄仁勲)らはNVIDIA社を設立します。その後の活躍はご存じの通り。

次回はいよいよ1994年です。超並列業界に激震が走ります。

余談ですが、先日、江沢民元国家主席が亡くなられましたが、一度だけ生の江沢民主席を見たことがあります。WCC2000でのことでした。対日強硬派だそうですが、テクノクラートとしてかなりの迫力でした。前回のシリーズに書きました。「HPCの歩み50年(第74回)-2000年(c)-」https://www.hpcwire.jp/archives/10124

小柳義夫

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Dec 19, 2022, 1:26:33 AM12/19/22
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1994年に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。6月に松本サリン事件、10月にはスイスで太陽寺院の信者53人が謎の集団死と、いよいよ世紀末が近づいています。

スーパーコンピュータの性能評価に関する日米ワークショップが、1991年の第1回に続いて、ハワイ島コナで開催され、6名ずつが参加しました。先日大噴火を起こしたマウナロア山のある島です。前回、アメリカ側は現実サイズの問題での全体性能評価の重要性を強調したのに対し、日本側は技術要素ごとの評価の重要性を強調し、対立しましたが、2回目では相互に理解するようになりました。翌年の国際ワークショップPERMEAN95(別府)の企画を全参加者で詰めました。なお、第1回の日本側代表を務めた島田俊夫氏(当時電総研、後名古屋大学)は、去る11月23日に亡くなられました。ご冥福を祈ります。

大学関係では、筑波大学とKEKにVPP500が、東工大と東北大流体研にCray C90が導入されます。

航空宇宙技術研究所は、NWTでGordon-Bell賞に応募し、Honorable Mention(準賞)を受けました。日本から同賞への初登場でした。

電子技術総合研究所(産総研の前身の一つ)ではNinfの開発が始まりました。従来のライブラリがソフトウェアを自分の使うコンピュータに実装して問題を解くのに対し、RPCによって直接に解が得られるような環境を作ろうとするものです。グリッドのさきがけの一つです。

この年3月、第1回のHOKKEが開催されました。5月のJSPP94では、大学生・院生・高校生などを対象に、並列ソフトウェアコンテストPSC94を開催しました。富士通研究所からAP1000(64プロセッサ)を使わせていただき、整数データ4800万個のソーティング課題を出しました。26チームが参加し、1,2位は東大院生、3位はANUの学生でした。PSCはこのあと数年続きます。第7回のSWoPP 94は、7月に那覇市で開催されました。ある日おやつに山のようなサーターアンダーギーが出ましたが、なぜでしょうか。

9月のIBM HPC Forumでは、当時NASA AmesのD. Baileyを講演に招待しました。

来週は、日本の企業の動きや標準化活動などです。来年は1月10日から連載を開始します。

小柳義夫

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Jan 9, 2023, 11:33:00 PM1/9/23
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新年おめでとうございます。二十世紀の語り部小柳義夫です。
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に掲載中の『新HPCの歩み』は、1994年の出来事を書いています。前回(去年最後)と今週の記事を御紹介します。「日本の企業の動き」「標準化」「性能評価」(ここまで先々週の記事)、「アメリカ政府関係の動き」「日米貿易摩擦」「ヨーロッパの政府関係の動き」「アジアの政府関係の動き」(本日公開の記事)です。ぜひともご笑覧ください。

中でも印象深いのは「日米貿易摩擦」です。筆者自身その渦中にありました。これを書き出すと血が騒ぎます(歴史を語る者としては慎むべきですが)。1993年のところに書いたように、日本政府は平成5年度補正予算に10件のスーパーコンピュータ新規導入案件を含め、アメリカ側のいう通り、[入札価格]/[評価点]を使った公正な総合評価方式で落札者を決めました。アメリカ側はほとんどを取る勢いだったのですが、日本企業もねばり、結果的に、10件のうち6件7台がアメリカ製に決まりました。しかし不満だったのは日本クレイで(当時営業だったHPCwire Japanの西克也編集長ごめんなさい)、単独応札の2件しか取れませんでした。競合相手は日本のベンダではなく、アメリカの同業他社でした。

日本の企業では、日本電気が初のCMOSベクトルスーパーコンピュータSX-4を発表し、最大構成で1 TFlopsが可能だと豪語しました。世界中に多数売れましたが、公表されている最大構成は東北大学とカナダ大気環境省のピーク256 GFlopsでした。「最大構成で1 TFlops」を標榜したTシリーズのFPS社や、CM-5のTMC社は経営破綻したので、「二度あることは三度ある」にならないか心配しました。

標準化では、MPIは順調に規格制定が進みましたが、HPFは漂流を始めました。Unixの標準化について対立していたOSFとUIは、共通の敵であるMicrosoft社への対抗のため遂に合併しOSFとなります。他方、Red Hat Linux 1.0が公開されます。

Tom Sterlingは、30 cm角の立方体でPetaflopsが実現できる超伝導スーパーコンピュータなどという夢想を振りまく一方、汎用品(COTS)のハード・ソフトを使ったBeowulf clusterの概念を提唱しました。

アメリカのクリントン・ゴア政権はNII構想をどんどん進めています。(日本以外の)アジア諸国でも自作や輸入のスーパーコンピュータがどんどん設置されています。

来週は、NCSA Mosaicが登場し、Shorが量子コンピュータにより因数分解が多項式時間で解けることを証明します。

小柳義夫

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Jan 22, 2023, 8:38:32 PM1/22/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1994年の出来事を書いています。先週と今週の記事を御紹介します。「世界の学界の動き」と「国際会議」です。

CERNのTim Berners-LeeがWWWを提唱したのは1989年ですが、これが広まるにはweb browserの普及が必要でした。その嚆矢がAirMosaicで、トップの表示画面には蜘蛛の巣(web)と地球儀の絵が出ています。地球儀はぐるぐる回っていた記憶がありますが、この版かどうかは分かりません。

最近政治家まで「量子コンピュータ」を口にするようになりましたが、この年、Bell研究所にいたアメリカの数学者Peter Shorは、量子コンピュータを用いれば、整数の素因数分解が多項式時間で解けることを証明しました。RSA暗号も真っ青!? あと、コンピュータとは関係ありませんが、Fermatの最終定理の証明が提示されます。翌年受理。

アメリカでは、CalTechの近くで2月にPetaflopsに向けた会議が開かれ、その可能性、技術課題、それを活用する応用などが議論されます。このころ世界的にも、日本のNWT(数値風洞)がやっと100GFlopsを達成したばかりなのに、その1万倍を目ざすとは、さすがアメリカのチャレンジ精神ですね。

翌1995年に開く予定の第一回のHPC Asiaに向けて、準備会議(後のsteering committee)が2月、工業都市の新竹にあるNCHCで開かれ、アジア太平洋各国のHPCの現状を分析しました。その後、開催場所を募ったところ、台湾と1997年に返還を控えている香港とが立候補しましたが、投票により、台北で開催されることが決まります。当時円高で、日本は二の足を踏んでいます。

6月には、Mannheim Supercomputer Seminar(後のISC)で3回目のTop500が発表され、SNL (Sandia National Laboratory)がParagonで、NWTを越えて念願のトップ (Rmax=143.4 GFlops)を取ります。しかし11月の第4回では、NWTがチューニングで抜き返します。どちらのTop20でも半数は日本に設置されている日本製のスーパーコンピュータです。このほか日本製ではカナダにSX/3が設置されています。

ヨーロッパ版の IBM HPC Forum であるSup’Eur 94 が、1994年10月2日~5日にオランダAmsterdamの自由大学で開催され参加しましたが、SP1などの並列コンピュータでどんどん実用的なアプリが稼働していることが報告されていました。GMDの若手が、ADAPTERというオープンなHPFコンパイラ(トランスレータ)を開発した話にも興味を持ちました。。

第7回のSC 94は、首都Washington DCで開催され、空前の参加者でした。首都ということもあり、DOEのHazel O’Leary長官が開会式に登場し、彼女はNIIにおいてDOEがいかに重要な役割を演じているかを強調しました。前にも述べたように、NWTによる等方一様乱流のシミュレーションの論文がGordon Bell賞のHonorable Mention(一種の準賞、現在はない)として表彰されました。

1994年はあと2回、来週はアメリカの企業の動きなどです。

小柳義夫

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Feb 5, 2023, 5:29:08 PM2/5/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日(2月5日)で1994年を終了いたしました。先週と今週の記事を御紹介します。

この年の最大の事件は、超並列ベンチャの雄と目されていたTMC (Thinking Machines Corporation)とKSR (Kendall Square Research)の2社が相次いで経営破綻し、連邦破産法第11章(Chapter 11)の適用を申請したことです。TMCは経営判断のミス、KSRは不正経理とインサイダー取引と原因は違いますが、背景にはIBMやCray Researchなど大手が超並列業界に進出したことと、冷戦終結による軍事予算の縮小などがあったと言われています。

そのIBM社はSP1に続いてSP2を発表し出荷します。1996年11月のTop500では、トップは筑波大学のCP-PACSですが、何と1/4がSP2です。日本にも10台以上が設置されます。(当初、日本の設置個所の一つに「動燃」と書きましたが、「原子力発電技術機構」の間違いで、訂正しました)Convex社はPA RISCを搭載した超並列機SPP1200/SPP1000を発表し出荷します。販売は順調に見えますが、損失を出し続けています。

同じく超並列で注目されていたnCUBE社とMasPar Computer社は、HPCとは違う方向に活路を探します。

Cray ResearchはCMOSのベクトル計算機J90を発表しますが、経営は苦しく、合理化を迫られています。Seymour CrayのCray Computer社はGaAsのCray-4を華々しく発表しますが、債務超過も膨らんでいます。

ヨーロッパでは、Transputer T9000を搭載する超並列機が開発されていましたが、T9000がなかなか売り出されず、ひと昔前のT800に他の演算用のCPUを組み合わせたノードで、つなぎのマシンを作ります。T9000は開発があまりに遅れたので、他のプロセッサに追い越されてしまい、結局商品にはなりませんでした。

SGIの創業者のJIm Clarkは、Mosaicの発明者AndreesenとNetscape Communications社を創業します。同社でCookieが発明されます。

次は1995年。アメリカではASCI計画が始まります。日本では阪神淡路大震災やオウム事件が起こります。

小柳義夫

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Feb 19, 2023, 7:24:07 PM2/19/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1995年に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。

日本でもネットワークが急速に普及しています。日本のネットユーザは、ニュースグループに流れて来た田中眞紀子科学技術庁長官のメッセージに驚きました。

政府調達におけるスーパーコンピュータの定義は、1990年の日米協議で決まった「300 MFlops以上」のままでしたが、関係者の尽力により、やっと「5 GFlops以上」に改められました。直近のTop500のRmaxでは121位以上に対応します。

日本原子力研究所は、1957年にいち早く計算室を設置していますが、1995年、これを改組して駒込に計算科学技術推進センターを設立しました。目的は、原研内部の計算需要に応えることはもちろん、当時ようやく実用化しつつあった並列処理に関する基盤技術を政官学の共同研究によって開発し、その成果を科学技術庁傘下の研究期間へ普及させることでした。

同じころ、現在わたしが所属しているRIST(高度情報科学技術研究機構)が、原子力データセンターを改組して設立され(更田豊治郎理事長)、三好甫氏を副理事長に迎えます。7月には「地球環境シミュレーションシステム開発推進委員会」が設置されます。(理事長名は、14日(火)に加筆しました)

今から考えると、この原研とRISTの動きは「地球シミュレータ」開発への一連の布石のように思われます。

東大大型計算機センターは、汎用コンピュータを含めて予算の見直しを行い、T3E級の超並列型スーパーコンピュータを導入することとなりました。外国系2社、国内1社が応札し、日立がSR2201/1024で落札しました。このマシンは、1996年6月のTop500で見事トップを取ります。大学の共同利用センターがトップを取るのは空前絶後でした。

東京工業大学総合情報処理センターは、ETA10に代えてCray Y-MP C916を導入します。これを用いて高校生向けのプログラミング・コンテスト「SuperCon’95」を開催し、私立六甲高校のチームが優勝しました。このコンテストはその後毎年開催されています。

Top500で上位を保っている航空宇宙技術研究所のNWT(数値風洞)は、Gordon Bell賞のPerformance部門で、昨年のHonorable Mention(佳作)に続き、QCDの計算で本賞を受賞しました。

高エネルギー物理学研究所は、VPP500/80を1995年1月に設置し、5月から正式に稼動させました。NWTに続く最大構成のVPP500でした。

2回目のHOKKE(HPCとアーキテクチャの評価に関する北海道ワークショップ)が札幌で開催されました。懇親会のスナップ写真がWeb上に残っています。懐かしい顔が見えます。

昨年に引き続き、学生(高校生から大学院生まで)を対象としてPSC(並列ソフトウェア・コンテスト)'95が開催され、各社から資源をご提供いただいたAP1000、Cenju-3、SR2001、SP2の上で、密行列連立1次方程式の直接解法を競いました。表彰はマシン毎です。3位までの入賞者には各社から豪華な賞品が贈られました。日本クレイからは参加賞(Tシャツ?)。

科研費重点領域「超並列」は最終年度を迎え、10月からは産学連携の並列・分散コンソーシアム(PDC)が始まります。

日本ではいろんな企業が、ユーザ向け・一般向けの研究会を開いています。今年から始まった日本電気のNEC HPC研究会の他、日本IBMのIBM HPC Users’ Forum、日本サンのNSUG(日本サン・ユーザ・グループ)シンポジウム、日立のHAS研、富士通のSS研などです。

統計数理研究所の外部評価に参加し、貴重な経験をしました。また、HPCとは関係ありませんが、オウム真理教でも貴重な体験をしました。生番組「報道2001」(フジテレビ系列)に1時間ほど出さされました。

ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history

小柳義夫

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Mar 5, 2023, 7:14:10 PM3/5/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1995年の第4回まで書き進んでいます。先週と今週の記事を御紹介します。

日本の3社はスーパーコンピュータの新製品を出しています。富士通はVPP300を、日立はSR2201を発表し、日本電気はSX-4を出荷します。

HPF標準化の作業はいよいよ熱気を帯びています。HPF Forumなどのプログラムが出て来たので、先週の公表後、水曜日に追加しました。Ken KennedyとかJohn Levesqueとか、ビッグネームも見えます。でもHPFはどこに行くのでしょう。

アメリカではASCI計画が始まります。1997年6月にCP-PACSからトップを奪うASCI-Redの仕様が次第に明らかになります。

1984年から始まったNSFのスーパーコンピュータセンター群は、10年後のリストラを迎え、将来計画を一から設計するためにHayes氏を主査とするパネルが設置されました。結果が発表されるのは1996年です。

SC95では、I-Wayという大規模なメタコンピューティングの実験が行われ、その成果の上に、グリッド環境を構築するために必要な基板技術の開発を行うプロジェクトGlobus Projectがが始まります。

日本に数年滞在していたDavid Kahanerは、欧米と日本、アジアの間の技術情報ギャップを埋めるためATIPをニューメキシコ州で設立します。

最も古い半導体の国際会議ISSCCではソニーの山田氏が基調講演をしています。

Mannheim Supercomputer Supercomputer(後のISC)で発表されたTop500では、相変わらず航技研のNWTがトップを占めています。

前年のHawaiiの会議で開催が企画された「計算機性能と解析に関する国際ワークショップ -- PERMEAN'95 --」が、別府でSWoPP直前に開催されました。当時日本では、性能チューニングは、達人の技のように考えられていましたが、欧米ではこれを科学として発展させる方向が出ていました。

リオデジャネイロで開催されたCHEP95では、日本からの参加者の川口湊福井大学教授が、市電乗車中にひったくりに遭って路上に転げ落ち、亡くなりました。


ご笑覧いただければ幸いです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50history
です。

小柳義夫

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Mar 19, 2023, 10:30:15 PM3/19/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1995年(全8回)の後半に入っています。先週と今週の記事を御紹介します。HPC Asia 95とSC95(第1部)です。

第1回のHPC AsiaであるHPC Asia 95は、1995年9月に台北で開催され、technical sessionに600名以上参加しました。展示では、日米各社に加えて地元台湾からの出展も多く、盛況でした。長い沈黙を破ってSteve Chenは、招待講演において、汎用プロセッサを用いた共有メモリ計算機を開発していると発表しました。日本の3社からも、三浦謙一、河辺峻、渡辺貞が総合講演を行いました。

San Diegoで12月に開催されたSC95では、アメリカの研究予算が減少し、スーパーコンピュータセンターの数も減るという中で、いかに新しい展望を開いていくかが論じられていました。

展示のGala Openingの行われる12月4日(月)に、IEEEのSSS (Scientific Supercomputing Subcommittee)が会場近くのホテルで開かれ、三浦謙一氏と私の企画で、「日本におけるHPCC活動」に関するプレゼンテーションが行われました。3社の他、NWT、GRAPE、RWC-1の発表がありました。最後に、Thorndyke氏が、日本視察の報告をしました。実装技術が要と見ています。Top500の上位にしばしば登場するものの、日本のHPC活動はアメリカではあまり知られていないので、よい機会であったと思います。SC95の続きは来週です。

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Apr 2, 2023, 9:56:42 PM4/2/23
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1995年のHPC(その四)

HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日、全8回にわたる1995年の記事掲載を完了いたしました。先週と今週の記事を御紹介します。SC95の後半と、アメリカ企業の動き、ヨーロッパ企業の動き、企業の創立・終焉などです。

SC95では、第一回から続いているCenter Directors’ Round Tableが開催され、細りゆくNSF予算のなかで、今後の方針が議論されました。HPFについては、Workshopはドタキャンされましたが、HPF ForumはBoFとして開催され、HPF2.0への拡張が議論されました。HPFコンパイラは各社頑張っていますが難しそうです。

Gordon Bell賞では、航技研、山形大、広島大連合が、NWTの128プロセッサでQCD計算を行い、179 GFlopsを出してPerformanceカテゴリーの賞を獲得しました。牧野淳一郎・泰地真弘人は、GRAPE-4で112 GFlops相当の速度を出し、special-purpose machineカテゴリーで入賞しました。Price/Performance賞はMITの人に。

11月(実際は12月)のTop500は、上位5位までは前回と同じでNWTが相変わらず首位です。上位20位までに日本設置のマシンが9件入っています。

わたしは気づきませんでしたが、SC95ではI-Wayという最初の大規模なメタコンピューティングの実験が行なわれ、全米17カ所の計算センターを結合し60以上のアプリケーションを走らせました。この成果を基にGrid ComputingとくにGlobusの開発が進みます。

汎用マイクロプロセッサは、どんどん進化します。Pentium Pro, Alpha21164, UltraSPARC-I, SPARC64などです。最後の2つは、世界初の64ビットSPARCです。これらはPCやサーバのみならず、超並列コンピュータのエンジンにも使われていきます。

Cray Research社は、ベクトルではT90、超並列ではT3Eを出します。しかし収益という点では一向に改善せず、1994年CarlsonがCEOを辞任し、1995年Samperが指名されます。努力も空しく翌年にはSGIに吸収されます。

超並列の雄と目されていたnCUBE社はOracleに編入され、ストリーミングサーバのメーカに転身し、MasPar社は意思決定ソフトウェアの会社に変身します。TMC社も再建計画が進み、翌年にはChapter 11の保護から脱却します。Convex社は、協力関係にあったHewlett-Packard社に買収されます。

Steve Chenが設立したSSIは1993年に破産しましたが、その技術を引き継ぐChen Systems社はついにSMPサーバCS-1000を発表しました。でも、翌年、Sequentに吸収されます。

省電力で一時活躍したTransmeta社が設立され、Yahoo!社も立ち上がります。他方、Cray Compter社は、再生の見込みがないので連邦破産法第7章(Chapter 7、日本の破産法に相当)の清算処理に移行しました。

次は1996年です。アメリカのNCARでのスーパーコンピュータ調達において、大騒動が巻き起こります。

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Apr 16, 2023, 10:43:00 PM4/16/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先週から1996年に入っています。全8回です。先週と今週の記事を御紹介します。日本政府の動き、日本の大学センター等の動き、日本の学界(アカデミア)の動き、国内会議などです。企業関係の一般向けテーマの会合は国内会議に入れています。

1996年は、村山首相の退陣のあと、橋本龍太郎の自社さ連立内閣で始まりました。菅直人厚生大臣が、厚生省エイズ研究班の資料を役所の倉庫から発見したのもこの年です。前年制定された科学技術基本法に基づき、第1期の科学技術基本計画(5年間)が閣議決定されました。これにより、地球シミュレータ計画や、日本学術振興会の未来開拓学術研究推進事業なども始まります。日本原子力研究所の計算科学技術推進センターは駒込から中目黒に移り、国内外の5台の並列コンピュータを設置して並列数値計算ライブラリプログラムの開発を推進しました。わたしもそこに足しげく通うことになります。

東京大学大型計算機センターは、1996年2月にHITACHI SR2201/1024を設置し、6月のTop500において首位を占めました。大学の一般向け共同利用センターがトップを取るなんて初めてで、おそらく今後もないと思われます。なぜなら、この後は国家主導のスーパーコンピュータセンターでなければ首位を取れなくなるからです。インターネットが普及し始め、京都大学大型計算機センターでは公衆回線(音声電話経由での接続)を廃止しました。他のセンターも同様と思われます。

筑波大学計算物理学研究センターも、東大のSR2201に続いて3月にCP-PACS/1024を設置しました。ピークは300 GFlosでしたが、メモリが小さいのでTop500には出しませんでした。おそらくLinpack性能は180 GFlops程度で、出せば2位には入れたと思います。その後2048プロセッサに増強し、11月のTop500では、Linpack性能368.2 GFlosで、見事1位に輝きました。

1024プロセッサの段階で、某新聞社(朝日です)が、「NECのSX-4は1 TFlopsだから、その方が高性能だ。CP-PACSはチャンピオンではない。」などと珍奇なことを言い出しました。SX-4の1 TFlopsは、カタログ性能に過ぎず、実機のCP-PACSと比較するのは無意味と反論したのですが、今週号に載せた「どれがチャンプ」などという珍奇な記事を出しました。

記事をよく読むと、「日本クレイの杉原正一総合企画部長は「製造能力はあるわけで、筑波大に抜かれたとはおもっていない。今年中には、筑波大の二倍の六百ギガフロップスのマシンを実際に出荷する」。NEC広報部は「筑波大のは研究用で、うちのスパコンとは市場が異なる。直接比較はできない」。富士通広報部室は「組み上げたという意味では筑波大が最高速になるのでしょう」と反応は様々だ。」とあり、クレイは負け惜しみっぽいが、各社とも分かっています。ちなみに、600 GFlops以上のCray T3Eが登場するのは翌1997年11月のTop500で、SX-4の最大の実機はピーク256 GFlopsでした。

高エネルギー物理学研究所は、前年に設置したVPP500/80の資源を使って、公募型の「大型シミュレーション研究」を開始しました。

関口智嗣(電総研)氏の主導により、大学、国立研究所、企業の研究部門などで開発した応用ソフトウェアを産業界の実用段階まで育成しようということで、企業からの会費により、産業基盤ソフトウェアフォーラム(SIF)を設立し、3年半活動をつづけました。現在の私のRISTでの活動にもつながっています。また、日本版netlibを作ろうと、有志でPHASEプロジェクトを始めましたが、ミラーサイトとしてだけしばらく続きました。余談ですが、「棟上(とうじょう)」とフリガナを振ったら、MS Wordが「むねあげ」のお間違いでは、と警告を出しました。余計なお節介です。

JSPP並列ソフトウェア・コンテスト(PSC 96)は第3回で、私が委員長を仰せつかりました。問題は「3,276,800個の1次元複素データの高速フーリエ変換および逆変換」としました。浮動小数演算量はO (n log n) ですが、データ移動がポイントでした。PSCもそろそろネタに困るようになりました。

ご笑覧いただければ幸いです。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history
です。

小柳義夫

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May 7, 2023, 10:56:04 PM5/7/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1996年に入っています。先週は連休中で休載しましたが、先々週と今週の記事を御紹介します。日本企業の動き、標準化、性能評価、アメリカ政府の動き、日米貿易摩擦、ヨーロッパや各国の動き、世界の学界の動きです。

最大の事件は、NCAR(アメリカの国立気象研究所)のスーパーコンピュータ導入をめぐる政治介入です。技術審査と入札によって日本電気のSX-4を中心としたシステムが落札したにも関わらず、民主党の下院議員が政治介入します。曰く、「アメリカの税金を日本や他の国の企業を助成するために使うべきでない」と。連中は、日本には、日本の税金でアメリカのスーパーコンピュータを買えと言っています。研究者は高性能のマシンを使いたいだけなのに、それを「企業への助成」ととらえるところに助成体質がしみ込んでいます。クレイ社はダンピング提訴に踏み切り、事件は年を越します。

さて、富士通はVPP300の並列度を上げたVPP700を発表します。日本だけでなく、イギリス、ドイツ、フランスなどに売れています。また超並列機としてはAP3000を発表しました。AP1000はテストベッド的でしたが、これは実用的な超並列サーバです。日立は、CP-PACSの商用版であるSR2201を出荷し、既報のように東京大学のSR2201/1024は6月のTop500でトップを飾ります。

標準化ではHPF Forumが精力的に作業を進め、HPF 2.0原案がまとまります。日本関係からは、富士通アメリカの三浦謙一氏や、1995年までRice大学に滞在していた日本電気の妹尾義樹氏が参加しています。また、グリッド関係では、Globusプロジェクトがオープンソースプロジェクトとして始まります。

5月からSNL (Sandia National Laboratory)にASCI Redの設置が始まります。11月22日にはLinpackで327 GFlopsを出していたそうで、もう一歩早ければ筑波大学CP-PACSの1位は幻になったかもしれません。3 TFlops級を狙う次のASCI Blueは、IBMとSGIの提案から一つを選ぶのではなく、両方を採択しLLNLとLANLに設置することになりました。

NSFのスーパーコンピュータセンターのリストラでは、現4センターがPACI計画の最終候補になりました。来年にはここから2センターを選ぶことになります。さて、残るのはどこか?

BostonのThe Computer Museumのいわば西海岸支所として、101号線に近いMoffett FieldにThe Computer Museum History Centerが開設されました。1999年にはBostonが閉館となり、すべてがこちらに移ります。

中国は、Alpha21164を使った312 GFlopsの「神威I」を完成しました。神威藍光や神威太湖之光の遠い先祖です。

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May 21, 2023, 9:42:10 PM5/21/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1996年の話の後半に入りました。先週と今週の記事を御紹介します。内容はこの年に開かれた国際会議ですが、SC96については、今週と来週の2週に分けて詳しく書きます。今週は前半だけ。

1993年にヨーロッパベースの国際会議として始まったHPCN Europeは、4回目をBrusselsで開催し、展示も講演も力(リキ)が入っていましたが、恐らくこの年がピークで、その後衰退の一途をたどり、2001年が最後となります。

Manheim Supercomputer Seminar(後のISC)で発表された7回目のTop500では、東京大学大型計算機センターのSR2201/1024が堂々トップに入り、日本の新聞は小さく報道しました。トップ20位までの22件中、9件が日本設置のマシンでした(内8件は日本製)。Top500全体では93件が日本設置。

1997年にSeoulで開く予定の第2回HPC Asiaの準備会がMaui HPC Centerで開催され、私は初めてマウイ島を訪れました。

今週号はSC96の前半です。11月にペンシルバニア州のPittsburghで開催されたSC96での最大の話題は、スーパーコンピュータの父Seymour Crayの不慮の事故死でした。すばらしい追悼講演が行われ、Seymour Cray賞の創設が宣言されました。

私は初めて委員(Round Table委員会)を務めましたので、当時のPanelやRound Tableのプログラムが決まる内幕の一端を紹介しました。

初めての女性IBM FellowとなったFrances Allenの基調講演は、聞いたときは「つまらない」という印象でしたが、その後読み返してみると、30年近く前の発言としては、現在のIT社会の到来を正しく予言しているところがあります。彼女はバーチャル企業の出現が社会を変えると予言しましたが、まさに言い当てています。ただ、その主役がBoeingやChryslerや大保険会社だろうと予測したのは外れていて、主役はGAFAなどとなりました。情報社会がpeople-centricでなければならない、と断じたところも現代の問題に通じます。

ECMRFのDavid Burridge所長が、プログラム委員長のBill BuzbeeをOHP係として総合講演を行い、NCARでのSX-4問題への皮肉を交えながら、天気予報におけるHPCの重要性を述べました。

次回はSC96の後半です。

5月8日の「新HPCの歩み(第138回)-1996年(d)-」では、「世界の学界の動き」を書きましたが、一つ重要な動きを忘れていました。「Groverのアルゴリズム」です。Groverは、「量子コンピュータを用いれば、N個の要素を持つ未整序データベースから指定された値を、O(N^1/2)の計算量で検索できる」ことを証明し、5月の国際会議で発表しました。付け加えておきます。

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Jun 5, 2023, 5:42:21 AM6/5/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週で1996年の話を終わりました。先週と今週の記事を御紹介します。先週はSC96の後半、今週はアメリカその他の企業、企業の創業や合併吸収などです。

SC96では、基調講演に続いて、ASCIについてのパネルが午後まで3コマ開かれました。およそ1年半毎に3倍の性能増を実現するマシンを次々設置するという飛んでもない計画で、度肝を抜かれました。核実験禁止条約のもとで核抑止力を維持するために、核実験を計算機実験に置き換えようという当初計画でしたが、計算科学全体にも大きな影響を与えることになります。

Petaflopsに向かう計画も進んでいます。アーキテクチャの議論は具体的ですが、Petaflopsが応用になにをもたらすかはまだイメージに留まっています。

Gordon Bell賞は、性能部門で、NWTが流体力学で本賞を、GRAPE-4が専用計算機としてHonorable Mention(佳作)を受賞しました。

アメリカ企業として最大の動きは、Cray Research社を吸収合併したことです。SGIの会長CEOであるEdward R. McCrackenは、「両社の組み合わせにより世界をリードするHPCの会社を創造するであろう」と強気の発言を行いましたが、果たしてどうなるでしょう?

1987年に創立されたTera Computer社は、10年目の今年、ついにMTA-1を動かしました。コア当たり最大128スレッドを動かし、メモリレイテンシを隠ぺいするアーキテクチャです。SDSCに設置する予定です。

Seymour CrayはSRC社を創立して独自の超並列の設計を始めましたが、その矢先、自動車事故で他界しました。1994年には、Thinking Machines社とKendall Square Research社が表舞台から姿を消しましたが、今度はMasPar、nCUBE、Chen Systems、Weitek、Meikoなどかつてのビッグネームがまた終焉を迎えます。

次は1997年、日本では情報科学技術部会が、アメリカではPITACが設置されます。ご笑覧いただければ幸いです。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Jun 11, 2023, 11:12:21 PM6/11/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週から1997年に入りました。9回にわたって連載します。今週の記事を御紹介します。「1997年の社会の動き」で始まり、「地球シミュレータ計画」、「日本政府の動き」、「日本の大学センター等」です。

地球シミュレータ計画では、大循環モデルAGCMを5 TFlopsの実効性能で稼働するという目標を定め、ピーク30 TFlops程度のベクトル計算機を開発することとしました。日本電気と富士通の概念設計の中から、日本電気を開発業者に選定しました。アプリ関係では「地球フロンティア研究システム」を創設し、真鍋淑郎氏をアメリカから地球温暖化研究プログラムの領域長に招聘しました。

日本政府は第1期科学技術基本計画の具体的方策の一つとして、「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」について新しく情報科学技術部会を設置して審議を進めることにしました。1999年まで16回開催されます。

日本学術振興会の未来開拓事業は2年目ですが、私も頑張って「計算科学」という新しいプロジェクトを立ち上げます。予算は5年間で総計25億円です。

前年、中目黒に移転した日本原子力研究所計算科学技術推進センターは、5台の並列計算機をプラットフォームとして、並列処理の実用化を進めます。

新情報処理開発機構(RWCP)は、後半の5年に入り、「実世界知能技術分野」と「並列分散コンピュータ技術分野」にターゲットを定め、PCクラスタをプラットフォームとしてシステムの開発を進めます。

大型計算機センター群で開催する「スーパーコンピュータ研究会」では、並列処理、HPF、MPIなどについて話を聞きました。

次回は日本の学界の動きと国内会議です。ご笑覧いただければ幸いです。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Jun 25, 2023, 11:00:17 PM6/25/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先々週から1997年に入っています。先週から深海探査艇タイタンの事故が話題になっていますが、映画『タイタニック』が公開された年です。一般公開は12月ですが、11月1日に東京国際映画祭で上映されています。

先週と今週の記事を紹介します。「日本の学界の動き」「国内会議」「日本の企業」「標準化」「アメリカ政府の動き」などです。

三好甫(高度情報科学技術研究機構副理事長)の主導により、超並列機を、応用分野のユーザが現実の問題を解くために利用するには、HPFの活用がカギであるとの認識に基づき、「HPC合同検討会(JAHPF)」を発足させ、拡張仕様を精力的に検討します。その成果をSanta Feで開催された第1回HPF Users Group Meetingで発表したところ、先端ユーザとベンダ3社が協力して仕様の検討を進めていることが国際的に評価されました。三好先生は同時に地球シミュレータ計画を推進していましたが、完成を見ることなく2001年末に他界されます。『情報処理』誌は、2月号で『HPF言語の動向』を特集しました。

JSPP'97は、1995年の大震災から復興途中の神戸で開催され、基調講演で星野力氏は並列計算の核心はノイマンの呪縛からの脱出だと論じました。併設された並列ソフトウェアコンテストでは、「ナップザック問題」を出しましたが、適度な難度の問題を生成するのに苦労しました。

SWoPP阿蘇97の前日、HPCS'97がHPC研究会の主催で開催されました。これは単発の企画でしたが、その後2002年から2017年まで毎年HPCSが開催されました。

国内では、外資系を含め各社がオープンな(または近い)シンポジウムを盛んに開催しています。

日本でも、若干遅まきながら、SR2201、AP3000、Cenju-4と実用化を目指す超並列機が揃いました。

前年、Cray Research社がSGI社と合併したことにより、日本でも、日本シリコングラフィックス・クレイ株式会社が発足します。その披露パーティーに行きましたが、何と……

Fortran 95がやっとこの年公表されます。これはマイナー改定ですが、大改訂のFortran 2000の方向性も決定しました。

アメリカでは第1期のPITACが始まり、「連邦政府は、即効性のある短期的な研究より、リスクの高い長期的な課題を支援すべき」だという方向が出ています。どこかの国とはだいぶ違います。

NSF PACI構想では、結局SDSCとNCSAが選ばれ、全米を高速ネットワークで繋いでアカデミアに資源提供を行うことになりました。

ご笑覧を感謝いたします。次回は日米貿易摩擦など。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Jul 9, 2023, 9:36:27 PM7/9/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1997年の第5回まで来ました。先週と今週の記事を紹介します。「日米貿易摩擦」「各国の政府関係の動き」「世界の学界の動き」「国際会議(前半)」です。

日米貿易摩擦では、三浦謙一博士、Bill Buzbee博士などがITCの公聴会で堂々と正論を論述しましたが、聞く耳を満ちません。「日本のスーパーコンピュータはアメリカのスーパーコンピュータメーカー市場に脅威を与えている」との裁定を根拠もなしに下しました。日本電気とHNSX社はCIT(米連邦国際通商裁判所)に訴えます。結論が出ないうちに、NSFはNCARへのSX-4の導入を中止します。Buzbee博士は引退を決意します。

アメリカ政府は、インドは原水爆開発国であるとして、Cray社のスーパーコンピュータの購入を拒否します。インドの電総研であるC-DACは、自力で100 GFlopsから1 TFlopsのスーパーコンピュータを開発すると発表しました。

1960年代にIBMでOut-of-Order実行の基本原理を確立したRobert Tomasuloは、この年Eckert-Mauchly賞を受賞します。

3月にSanta ClaraのホテルでHPC in Japanという小さなワークショップが開かれ、日本のHPCの現状をアメリカのHPCの重鎮やジャーナリストに開示しました。私はCP-PACSについて講演しましたが、質問は全部地球シミュレータについてでした。地球シミュレータについての講演がなかったからでしょう。

ヨーロッパを舞台に1993年から開かれているHPCN Europeは、4月にWienで開催されましたが、いよいよ風前の灯です。

6月のTop500ではASCI Redが登場し、前年11月にTopを取った筑波大学のCP-PACSは2位に転落しました。新登場したT3Eの進出も目覚ましく、上位20件のうち9件を占めます。

次回は「国際会議(後半)」で、私が参加したPC'97などについて書きます。SC97はその次に。

ご笑覧を感謝いたします。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Jul 24, 2023, 10:25:49 PM7/24/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1997年に開催された国際会議について書いています。先週と今週の記事を紹介します。「国際会議(1997年後半)」および「SC97(その一)」です。

ヨーロッパとアメリカが共同で交互に開催している計算物理の国際会議PC'97が、UC Santa Cruzを会場として開催され、私も出席してCP-PACSについて講演しました。このころ私は、「並列処理のEvangelist」とかおだてられてそこら中でCP-PACSについて講演しています。CP-PACSの安定性、分割運転、将来計画など多くの質問が出ました。またASCI計画の関連では全体講演が7件もあり、熱心な議論が行われました。

10月にSan Joseで開催されたMicroprocessor Forum 1997では、Intel社とHewlett-Packard社が共同開発しているIA-64命令セットアーキテクチャの詳細が開示されました。でも初代のMercedの開発は遅れに遅れています。

私はプログラム委員会で反対したのですが押し切られ、SC97は500語のアブストラクトで論文募集しました。案の定これは大失敗でした。教育プログラムK-12ではプルトニウムを発見したDr. Glenn Seaborgが講演しました。

日米スーパーコンピュータ摩擦が激しくなっていましたが、日本の3社(日本電気、富士通、日立)は堂々と企業展示に参加しました。今年はなんと Compaq も出展しましたが、翌年のDEC買収の伏線だったかもしれません。

State-of-the-field talk(各分野の最先端講演)で、J.L. Hennessyは5-10年後にベクトルコンピュータは消滅すると述べましたが、5年後に巨大ベクトルコンピュータである地球シミュレータが登場して、世界を驚かせます。

もう一つのState-of-the-field talkでは、Ken Kennedyが、HPCの並列処理、特にHPFについて、「グランドチャレンジが技術を無視して性能を求めたことが失敗の原因である」と断じました。これは議論のあるところでしょう。

次回は「SC97(その二)」です。アーキテクチャやPACIに関するパネル、Gordon Bell賞、Sidney Fernbach賞、Top500など。

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Aug 6, 2023, 10:01:21 PM8/6/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日公開の第150回で、1997年の記述を終了しました。ご笑覧に感謝します。先週と今週の記事を紹介します。「SC97(その二)」と「アメリカの企業の動き」「ヨーロッパの企業」「企業の創業・終焉」です。

SC97のアーキテクチャに関するパネルでは、Hennessyが「メモリのモデルとして、一様だが遅いSMPか、自分のメモリは速いが他のメモリは遅いDSMか、である」とSunのStarfire (E10000)をけなしたので、Greg Papadopulosが噛みつきました。

PACIに関するパネルでは、NSFのHayes Panelの一人から、予算の総額がgivenだったので、二センターに絞らざるを得なかったが、科学の発展のためにはfixed budgetではだめだ、と述べました。

聴衆の意見を聞くTown Hall Meetingsとしては、「インターネットに関して」「PITACに関して」「SC会議の今後に関して」の3件が開かれ、インターネットに関するTHMでは、メタコンピューティングの重要性が強調されました。

原著論文では、HPFに関する論文が4件採択され、その実用性が議論されました。

Gordon Bell賞のfinalistsはASCI Redのオンパレードで、日本からは一つも通りませんでした。

Top500のトップ20位までの22件では、9件が新顔で、内6件はT3E 900でした。SGI/CrayとしてはOriginとT3EをSN1として統合する計画でしたが、2000年にはCray部門がTeraに売却され、Crayは独自に進化を遂げます。

CPUの高性能化が進みます。Intel社はPentium IIを、Sun社はUltraSPARC IIを発売します。

Tera社のMTAはついに稼働し、SDSCに設置されることが決まります。ISベンチマーク(1プロセッサ)でT90やVPP500を凌駕しますが、プロセッサ当たり4KWの電力消費は大問題です。早くCMOS化しないと。

ヨーロッパでは、Meikoの技術を継承したQSW社は、高速相互接続網のベンダとして羽ばたき、一時Top500の上位で活躍します。

分散コンピューティングのEntropia社が設立されます。グリッドの時代の幕開けです。

次回は1998年(a)で、8月28日公開予定です。ご笑覧を感謝いたします。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Aug 27, 2023, 9:09:15 PM8/27/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1997年分の終了後お盆休みをいただいておりましたが、本日1998年分の連載を始めました。7回掲載の予定です。ご笑覧に感謝します。今週の記事を紹介します。

ACMとIEEE/CSが共同して運営するEckert-Mauchly Awardは、「多重ベクトルパイプラインとプログラム可能なベクトルキャッシュをもつスーパーコンピュータのアーキテクチャ設計」への寄与に対して、日本電気のSXシリーズの設計者である渡辺貞氏に授与されました。政治での日本たたきへの逆張りという意味もあったのかと思います。

地球シミュレータの開発中核機関として動燃が抜け、原研が加わりました。日本電気は、ピーク32 TFlops以上のスーパーコンピュータを開発すると正式に発表しました。私が座長を務めた中間評価委員会において、いろいろ意見は出しましたが、開発OKと結論しました。

JSTは、日本で初めての(分野を問わない)計算科学技術の応募制研究プロジェクトACT-JSTを始めました。その課題の中には、現在のHPCIの研究課題につながるものも、またデータ科学につながるものもあります。委員長は土居範久氏。

学術振興会未来開拓事業「計算科学」は、第1回計算科学シンポジウムを開催します。

期間10年の後半に入ったRWCP(新情報処理開発機構)では、PCクラスタの実用化に進みます。このころMyrinetやQuadricsなど高速な相互接続網が出てきます。

来週は1998年(b)で、日本の大学センターの動き、学界の動き、国内会議(Hokke、INSAM、JSPP、SWoPPなど)です。各社の主宰する研究会/シンポジウムも盛んです。ご笑覧ください。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

小柳義夫

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Sep 10, 2023, 10:07:26 PM9/10/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、先々週から1998年分の連載を始めました。先週と今週の記事を紹介します。日本の大学センター、学界、国内会議、日本の企業の動き、標準化などです。ご笑覧に感謝します。

前回も書きましたが、日米貿易摩擦の中での、渡辺貞氏(日本電気)のEckert-Mauchly賞受賞は快挙でした。また高田俊和(日本電気基礎研究所)は化学反応の分子の動きを3次元で見ることのできるVRMSを公表しました。残念ながら高田俊和氏は2022年9月に亡くなられました。

このころ西森秀稔(東工大)は量子アニーリングのアイデアを発表しました。翌1999年、これを実用化するために、カナダのベンチャー企業D-Wave Systems社が創業します。このころ、DNAコンピューティングも盛んに研究されていました。

5回目のPSC98は、4種の並列プラットフォームの上で疎行列連立方程式の解法を競いましたが、上位入賞者が固定化してきました。SWoPP98では、雨のおかげで長岡花火大会に参加できました。

日本電気はSX-5を、日立はSR8000を発表しました。富士通にも次期機種の噂が。

MPI-2の規格書がIJHPCA誌の合併号として発表され、解説書も発行されます。HPFについては、日本のJAHPFがHPF 2.0の言語仕様書の日本語訳を公開します。また、HUG’98がPortoで開催されました。他方OpenMPでは、C/C++のためのOpenMPが公開されます。

企業連合による標準化されたUnix(とくにIA-64向けの)を開発しようとするProject Montereyが、IBM、SCO、Sequent、Intelにより始まりました。他方、Linuxも商用化の道を進み始めます。

来週は1998年(d)で、アメリカ政府の動き、日米スーパーコンピュータ摩擦、各国政府の動きなどです。ご笑覧ください。総目次は https://www.hpcwire.jp/new50history です。

去る9月8日(金)に、前のシリーズ『HPCの歩み50年』(2014年~2020年、全222回)https://www.hpcwire.jp/50history
の掲載完了記念パーティを催していただきました。コロナで3年延びました。ありがとうございました。

小柳義夫

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Sep 24, 2023, 10:12:20 PM9/24/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1998年の5回目となりました。先週と今週の記事を紹介します。「アメリカ政府の動き」「日米貿易摩擦」「その他の政府関係の動き」「世界の学界の動き」「国際会議」などです。

アメリカ政府は、Gore副大統領を中心にHPCやネットワークや基礎研究に莫大な予算を注ぎ込み、戦略的に推進しています。1996年末に設置されたASCI Redに続いて、3 TFlops級のASCI Blue Pacific (LLNL)とASCI Blue Mountain (LANL)が動き出しました。前者が搬入されたときには、Gore副大統領直々に歓迎のメッセージを出しました。村上氏が当時の新聞記事をコメントでいくつか紹介してくださいました。

ところが、11月のTop500の締め切りまでに、前者は3セクターのうち1セクターしか動かずRmax=547 GFlops、後者も、幾晩も徹夜したにもかかわらず690.9 GFlopsしか出ませんでした。1 TFlops級のASCI Redが相変わらず1位を保っています。SGI社はSC98の会期中に記者会見を開き、「実はすでに1.61 TFlopsの性能を実測した」と負け惜しみを述べました。ところが、翌1999年6月には、ASCI Redも増強したので、1位は取れませんでした。

他方NSFのPACIプログラムでは、旧4センターの内、SDSCとNCSAをそれぞれ中心とする2グループが採択されましたが、Pittsburghも全国レベルのセンターとして生き残りました。Cornellは学内センターに転換しました。

NCARは1996年に入札でSX-4導入を決定しましたが、連邦下院議員が政治介入し、契約を中断させました。商務省はCray社(当時はSGIの子会社)からの提訴をうのみにし、1997年にダンピングを認定し、入札は白紙となりました。日本電気はITC(米国際貿易委員会)に訴えましたがダンピングの判定が出たので、CIT(国際通商裁判所)に訴え、こちらは根拠不十分としてITCに差し戻しましたが、1999年、ITCは再びダンピングを判定します。他方、これに対し日本電気は、米国憲法修正第5条に反するとしてCAFC(連邦巡回区控訴裁判所、特別な二審裁判所)に訴えましたが退けられ、最高裁に上訴しました。いよいよ泥沼です。

国際会議はますます増えています。私が出席したものはわずかですが、他の会議も残っている資料から紹介しています。省電力チップに関するCOOL Chipsが、HOT CHIPS対抗のようですが日本で始まりました。6月のTop500では、トップ20位までの21件のうち、新顔が10件で、ほとんどがT3Eであるところが印象的です。3日目となるHPC Asia 98はシンガポールのRaffles City Convention Centre において開催され、Sid Karinは基調講演でスーパーコンピュータと他のコンピュータとの連続性を強調しました。

次回はOrlandoのSC98です。

わたくしごとですが、本日80回目の誕生日です。ご愛読に応えて、ボケない限り書き続けますので、よろしくお願いします。少しボケかけていますが。

小柳義夫

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Oct 9, 2023, 6:38:43 AM10/9/23
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二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週で1998年を完了いたしました。先週と今週の記事を紹介します。「SC98(Orlando)」「アメリカの企業の動き」「ヨーロッパの企業の動き」「中国の企業の動き」「企業の創立」「企業の終焉」です。

第11回目にあたるSC98は、第1回と同じOrlando(フロリダ州)で開催されました。筑波大学CCPは初めて研究展示を出しました。電総研と続きの場所を取り、Tsukuba HPC Allianceと称してミニプレゼンなどを行いました。記事には1995年に筑波大学が初めて出展したと書きましたが、私の記憶違いのようです。慶応義塾大学SFCの村井純教授は、展示会場から母校の授業を行ったそうです(アメリカでは夜です)。

アメリカではGore副大統領が先頭に立って推進しているHPCCの進展を見て、HPCでもネットワークでも、日本は遅れていると焦燥感を感じました。

3 TFlops級のはずのASCI Blue Mountain/Pacific はTop500に登場しましたが、1 TFlops級のはずのASCI Redの後塵を拝しています。Top10から日本設置のマシンが消えました。Gordon Bell賞でも、少し前はNWTやGRAPEが続々入賞していましたが、今やDOE一色です。

さて、SGI社はベクトルコンピュータCray SV1を発表し、出荷しましたが、その後の改良型でも最大ピーク性能64 GFlopsで、Top500には一度も載りませんでした。SX-4は20位以内に2台も入っているのに。他方MPPでは、バンド幅を増強したCray T3E1200Eなど高性能機満載です。SGIは今後どうする気か?

IBM社は完全64ビットのPOWER3とそれを搭載したWSを発表します。MPPは翌年です。

Sun Microsystems社はE10000(コード名Starfire)を500台も販売しています。次はSerengetiです。

Intel社は、サーバ用に、Pentium II Xeonを発表、発売しましたが、IA64(Merced)は遅れに遅れています。サーバ各社は、みなIA64ベースに次期システムを設計しているのに。

DEC社はCompaq社に買収されましたが、Alphaの高性能化は続き、Alphaを搭載したCray T3Eも順調です。

1999年には、各プロセッサがGHzの壁を破るべく突進します。

Tera Computer社のMTA-1は、年末に4プロセッサがSDSCに設置されます。現実問題の不規則アクセスにはMPPよりMTAの方が適していると主張しています。GFlops当たり4kWの電力はちょっと問題ですが。

この年、Google社、VMware社、Avaki社(の前身)、DDN社などが創業されています。

さて次は1999年、世紀末も近づいています。情報科学技術部会は最終答申を出すとともに、「先導プログラム」が始まります。クリントン政権は、PITAC報告を受けて「21世紀の情報技術」イニシアティブを提唱します。

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小柳義夫

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Oct 15, 2023, 11:33:07 PM10/15/23
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HPC界のみなさま

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週から1999年に入りました。世紀末まで残すとこあと1年。ノストラダムスの大予言が話題になりました。今週の記事をご紹介します。「社会の動き」「地球シミュレータ計画」「日本政府の動き」です。

1997年から始まった科学技術会議の情報科学技術部会は、諮問25号「未来を拓く情報科学技術の戦略的な推進方策の在り方について」に対する答申を出しました。私は議論の中で、2010年ごろを目途にペタフロップスを実現することの必要性を力説し、一応文言は入りましたが、委員たちの支持は強くありませんでした。ネットワークを主軸とする情報化社会の方に注目が集っていました。

同じく1997年に始まった未来開拓「計算科学」は中間評価を受けましたが、忘れもしない1986年のQCDPAXプロジェクト提案のヒアリングで「速い計算機を作りたいのか、物理を研究したいのか、どっちかはっきりしろ」と詰問して提案をつぶした時の長倉先生が評価部会長だったので思わず身構えました。幸いこのときは好々爺でした。中間評価委員会からは、「なんで汎用の計算機を買うのでなく、専用の計算機やプロセッサを開発するのか」という根本的な質問が出されました。そこで、単にショーウインドーに並んでいる計算機を買ってくるだけでは最先端の研究はできない、今の言葉でいえば「コデザイン」が必要だと主張しました。

日本学術振興会の国際科学協力事業のためのチェコ訪問団に加わり、プラハの大学、研究所、教育省などを訪問しました。チェコは初めてで、カレル橋からモルダウ(ヴルタヴァ)の流れを眺め、古城ヴィシェフラドの廃墟を散歩しながら、スメタナの組曲『わが祖国』を思いました。

客員研究員としてお手伝いしていた日本原子力研究所計算科学技術推進センター(目黒)では、並列数値計算のライブラリを開発していましたが、その名称を所内の研究員から募集しました。SAMMA(「目黒」だからか)などという面白い案もありましたが、PARCELに決まりました。

さて次は日本の大学センターと学界の動きです。大学センターを結んでいたN-1ネットワークが、2000年問題が原因で停止し、TCP/IPに移ります。

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小柳義夫

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Oct 30, 2023, 9:00:23 AM10/30/23
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このころ、7つの大型計算機センターは名称を変更しました。東大は教育用計算機センター等と合併して「情報基盤センター」です。大型計算機センターを各大学のセンターの汎用計算機と接続していた日本独自のN-1ネットワークは、2000年問題に対応できないため、1999年10月運用を停止しました。

星野研究室で1990年に完成し、筑波大学計算物理学研究センターに移管されて稼働を続けていたQCDPAXは、故障や経年劣化を縮小構成でカバーしてきましたが、ついにシャットダウンとなりました。私にとっても思い出深いマシンでした。東工大の松岡研究室ではPRESTO IIが完成します。

11回目となるJSPP'99は、エポカルつくばで開催されました。地球シミュレータの完成を前に、松野太郎氏が「気象・気候の数値シミュレーション」という基調講演を行いました。PSC99は6基のプラットフォームの提供を受け盛況でしたが、入賞者の固定化が目立ちます。

富士通は最後のベクトルスーパーコンピュータVPP5000を発表します。

日本でのADSLサービスはこの年に始まっています。

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小柳義夫

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Nov 12, 2023, 4:14:30 PM11/12/23
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1999年のHPC(その三)
二十世紀の語り部小柳義夫です。現在、SC23(11/12-17)が開催中のDenverにおります。こちらはまだ12日(日曜)の昼です。午前中はSustainable HPCのWSに出ましたが、問題の整理がまだできていないようです。

電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1999年に入っています。6日「-1999年(d)-」と13日「-1999年(e)-」の記事をご紹介します。「標準化」「「アメリカ政府の動き」「日米貿易摩擦」「アジア太平洋の政府関係の動き」「ヨーロッパの政府関係の動き」「世界の学界の動き」です。

HPF合同検討会 (JAHPF)は、日本語版「High Performance Fortran 2.0 公式マニュアル」を出版しました。HPFの運命や如何に?

SC98におけるBoFで提案された」Grid Forumに主としてアメリカから100名が結集しました。ヨーロッパでもアジアでも動いています。

IEEEは、2.4 GHz帯に続いて5 GHz帯の無線LAN規格を制定しました。

アメリカでは、PITAC第1会期の最終報告書が提出され、クリントン政権はこれに基づいて「21世紀の情報技術IT2」イニシアティブを推進します。

ASCI Blue Mountainに続いて、ASCI Blue Pacificもフルシステムが稼働し11月のTop500で目出度く2位となりましたが、1 TFlops級であったはずのASCI RedがプロセッサをPentium IIに変えて1位をキープしています。

NSF関係では、PACIプログラムに採用されたNCSAとSDSCは資源を整備していますが、採用されなかったPittburghセンターもしぶとく頑張ります。

日米摩擦では、連邦最高裁も理由なく日本電気の訴えを棄却し、ITCも再び被害を認定します。日本電気はもちろん、富士通も強烈に反発します。

筆者はシンガポールとスイスのスーパーコンピュータ組織の外部評価に加わりました。外国の事情を見ると、日本にも参考になることがたくさんありました。ワインのテイスティングも。

SETI@homeが有名になりましたが、グリッドといえば「遊休グリッド」だという誤解も広がりました。SETI@homeのスクリーンセーバを記事に貼り付けましたが、クリックすると動きます。元々Wikipediaにあったものです。

そろそろMooreの法則の行き止まりが見えてきました。

BostonのThe Computer Museumが閉鎖され、西海岸Moffett Fieldの支所に収蔵品が移されます。

今週はSC23でしたので、20日はお休みし、次回は27日に公開します。1999年中の国際会議の話題です。

ご愛読を感謝します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。

小柳義夫

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Dec 3, 2023, 7:51:12 PM12/3/23
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1999年のHPC(その三)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに1999年に入っています。先週11月27日および本日12月4日の記事をご紹介します。先週は国際会議一般、今週はSC99のその一です。

私自身も参加した2月の第2回Petaflops会議(Santa Barbara)は非常に印象的でした。このままでは日本が取り残されるという危惧を感じました。

現在所属しているRISTは、ハワイ州立大学東西交流センターを会場に“International Workshop on Next Generation Climate Models in the Advanced Computing Facilities”を開催しました。2002年に完成予定の「地球シミュレータ」をにらんでのWSです。

6月10日に発表された第13回目のTop500リストでは、1位にはPentium IIに差し替えたASCI Redが、2位にASCI Blue Mountain (LANL)が、8位にASCI Blue Pacific CTR (LLNL)が揃いました。でもASCI Blueたちはまだ本調子とは思えません。日本設置では東大のSR8000/128が4位に、産総研のSR8000/64が12位に入ります。

樋渡保秋教授(金沢大学理学部)の尽力により第5回のICCP(計算物理国際会議)を日本に招致し、10月金沢で開催しました。その後、アメリカ物理学会とヨーロッパ物理学会が共同して開催しているCCPと合流します。

StarFireのユーザ会とも言うべきSUPerGが10月オーストラリアのシドニーで開催され、わたしも参加しました。HPCよりビジネス利用の方が主流でした。

オレゴン州Portlandで開催されたSC99には参加できませんでしたが、多くの方のレポートから会議の様子を紹介します。

招待講演において、Dona Crawford (SNL)は、「ASCIでは数年後に100 Teraflops級のマシンの導入が予定されており、100 Gbit/secのWANが必要である」と述べました。またAndrew A. Chien (UCSD)は、LinuxではなくWindows NTを搭載したsuper clusterの重要性を強調しました。

さて、次回はSC99のその二で、パネル、BoF、Top500などです。

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小柳義夫

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Dec 18, 2023, 7:59:21 PM12/18/23
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1999年のHPC(その五)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、12月18日に1999年を終了しました。先週と今週の記事をご紹介します。SC99の「その二」と、アメリカの企
業の動き、その他の企業の動き、企業の創業と終焉です。

11月19日(金)のパネルの一つ“Meet the CTOs”では、日米スーパーコンピュータ9社のCTOがパネリストとして、各社の製品の動向を解説しま
した。米国メーカはそれぞれ個性豊かなプレゼンを行っていたのに対して、日本の会社は「くそ真面目」(失礼)な説明を行いました。

Gordon Bell賞は、Peak Performance 1件、Price/Performance 1件、Special
2件がfinalistsとしてプレゼンを行いましたが、全部をしかもすべて1位として表彰しました。HPC Gamesでは、電総研を含む欧米日の合同チーム
が最高賞を取りました。

Top500では、相変わらずASCI Redが1位を保持し、ASCI Blue PacificとMountainがそれに続きました。本当は逆のはずで
す。東大のSR8000は5位、京大のVPP800は15位でした。台数では、初めてIBM社がトップとなり、SGI/Crayを抜きました。もちろ
んRmaxの累計では依然SGI/Crayがトップです。

遅れに遅れていたIntel社のIA-64プロセッサMerced(コード名)は、7月にtape-outしたと発表され、10月にはItaniumという名
称も発表されました。Monterey/64はMerced上で動く最初の商用Unixと発表されましたが、Linuxや64-bit Windowsも動いてい
るとか。2000年半ばに量産が始まるとのことですが、みな眉につば。Compaq社は情勢を見て、自社版のUnixであるTru64
UnixをMerced上で稼働させる計画を中止しました。

他方AMD社は、10月、64ビットプロセッサSledgeHammer(コード名、後のOpteron)のOSとして、x86アーキテクチャの64ビット拡
張であるx86-64を発表しました。TFPと呼ぶ新しい浮動小数命令(対応するレジスタ)も入っています。Intel社はこれを「革新性がない」と批判しました
が、結局この路線に乗ることになります。

IBM社は前年発表したPOWER3を搭載した並列コンピュータRS/6000 SPを発表しました。さらに10月にはPOWER4プロセッサを発表しま
す。Merced対抗と報じられました。12月、同社はBlue Geneという超並列コンピュータをMD用に開発すると発表しました。1 PFlopsで500
GBメモリというあまりの常識外れに驚きました。SGI副社長も「この提案は珍奇であり、実現は疑わしい。」「今まで馬鹿でかい数のCPUをもつ大規模コンピュー
タはしばしばアナウンスされて来たが、実現したものは少ない」と批判しています。さて、どうなるか?

Burton SmithのTera Computer社はついに8プロセッサのMTAをSDSCに設置し、SDSCは16プロセッサへのアップグレードを発
注しました。CMOS版のMTA-2のプロセッサもtape-outと発表されます。お金も集まっています。

Grid関係ではParabon Computation社とUnited Devices社とGridware社が創業されます。イスラエルで
はMellanox Technologies社が、ハルマゲドンで有名なメギド山の近くで発足します。特記すべきことは、量子アニーリングに基づく量子コン
ピュータを開発するために、カナダでD-Wave Systems社が創業されたことです。2011年にD-Wave Oneを発表します。

さて、次回は1月で、二十世紀最後の年2000年に入ります。Tera Computer社は、SGIからCray Divisionを名前ご
と買い取り、Cray社と改名します。

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小柳義夫
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Jan 8, 2024, 11:19:37 PMJan 8
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2000年のHPC(その一)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、本日から2000年に入りました。20世紀最後の年です。今号は、「社会の動き」「地球シミュレータ計画」「日本政府の動き(その一)」です。

「社会の動き」は、読み飛ばされている方が多いようですが、私としてはかなりリキを入れています。この年、小渕首相が緊急入院して内閣総辞職となりました。ノーベル賞は注目です:物理学賞にJack Kilby博士、化学賞に白川英樹教授、平和賞は金大中氏。京都賞はHoare教授です。

地球シミュレータは本体製作に入りました。谷啓二氏など関係者は、40 TFlopsの性能を世界中に発信していますが、「ベクトルで40テラ、まさか?」とあまり本気にされなかったようです。応用ソフトウェアの開発も進んでいましたが、岩崎洋一教授があるソフトの評価委員会から帰ってきて「超並列の怖さが分かっていない」と憤慨していたことを記憶しています。

政府の動きでは、国家産業技術戦略検討会の情報通信分野の戦略には、気象予測のスーパーコンピュータ性能を1000倍という数値目標が入っていましたが、内閣のIT戦略本部ではHPCに重点が置かれませんでした。HPCはITでないのか?!

文部省学術審議会に特定研究領域推進分科会情報学部会が設置され、提言に「新たなアーキテクチャに基づく超高速・超大容量計算機システムの実現に関する研究を推進する。」と入れることに成功しました。

情報科学技術部会の諮問第25号への答申のささやかな成果である振興調整費「情報科学技術」では、3つの課題が5年計画で始まりました。私は、「科学技術計算専用ロジック組込み型プラットフォーム・アーキテクチャに関する研究」(代表、村上和彰)の研究計画策定WGの主査を務めました。分子軌道計算専用のLSIを開発したのですが、汎用CPUの進歩との競争に苦戦しました。LSI開発のためにアルゴリズムを改良すると、汎用CPUでも速くなるというジレンマも。

国立情報学研究所は4月、一ツ橋に開設されましたが、猪瀬博所長は10月に心臓疾患でなくなられました。

さて、次回は学会誌『情報処理』上で、Interactive Essay「これでいいのか? 日本のスパコン」が激論を交わします。

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小柳義夫

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Jan 21, 2024, 8:51:48 PMJan 21
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2000年のHPC(その二)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、1月9日から2000年に入っています。先週と今週の記事をご紹介します。「日本の政府関係の動き(続き)」「日本の大学センター等」「日本の学界の動き」「国内会議」です。

JSTの異分野交流研究会「20年後のエレクトロニクス」に招かれ、「10年後までにペタフロップスが実現することは予測できるが、20年後のエクサフロップスなんて現在の技術の延長線でできるとも思えない」などと話しました。でも2022年6月のTop500ではFrontierがエクサに到達しました。

アメリカのQCDOCプロジェクトに理研が参加するかどうかの評価委員を依頼されました。委員長の宮村修教授は悩まれたと思います。記事では大阪大学と書きましたが、すでに広島大学理学部に移っております。あとで訂正します。

私は当時知らなかったのですが、「スーパーコン大プロ」(1981~1989)の終了10年後の追跡評価が行われ、「要素技術は日本の産業に色々貢献したが、ベクトルにこだわって並列処理に乗り遅れた」と評価しました。当たっている面もありますが、2年後には超並列ベクトルの地球シミュレータが世界を驚愕させます。

情報処理学会からHPS論文誌が発刊され、私は第1期の編集委員長を務めました。「情報処理」では、Interactive Essay「これでいいのか? 日本のスパコン」の議論が飛び交いました。

この頃、ATIPは六本木の事務所の脇のセミナー室(Glocomホール、ハークス六本木ビル)で、しばしばビッグネームを呼んでセミナーを開催しました。

量子コンピュータについては「量子ビットの制御」がやっとできるかどうかという段階でしたが、気の早い物理屋さんたちは早速研究会を組織しました。

早稲田で開催されたJSPP2000では、笠原氏の司会でスーパーパネル「ペタフロップスへの道」が企画され、私も参加しました。

さて、次回は「日本の企業の動き」と「標準化」です。OpenMP 2.0のFortran版が公開されます。

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小柳義夫

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Feb 4, 2024, 8:57:12 PMFeb 4
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2000年のHPC(その三)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、2000年分の中ほどに来ました。先週と今週の記事をご紹介します。「日本の企業の動き」「標準化」「アメリカ政府関係の動き」「その他の動き」などです。

お気づきと思いますが、二三年前に関する記事からHPCwire記事(英語版)へのリンクを本文中に可能な限り入れるようにしました。わたしの記録との比較では、修正はないようなので、同時代の1次資料として価値が高いと思います。もちろん誤報の可能性もあります。URLが見つからなかったものもありますが、ご存じでしたらお教えください。

日本電気はクロックを4 nsから3.2 nsに短縮した新モデルのSX-5を発表します。翌年には地球シミュレータ(SX-6相当)の設置が始まります。日立はIBM互換メインフレーム事業からの転換を発表します。NEC日立メモリはエルピーダメモリに社名を変更し再起を図りますが、2012年には破綻します。政府主導の産業戦略の失敗例といわれます。Rapidusは大丈夫でしょうか。

標準化ではFortranのためのOpenMP version 2.0が公開され、HPFでは第4回のHUG2000が東京で開催されます。企業連合による標準化されたIA-64用のUnix OSの合同開発プロジェクトMontereyがもたついている間に、勢いを増したLinuxがIA-64にもx86-64にも対応します。

Gridでは、北米のGrid Forumと、ヨーロッパのeGrid Forumと、アジア太平洋地域のAP Gridとが統合してGlobal Grid Forumが結成することが決まり、翌年GGFの第1回が開かれます。

クリントン米大統領はインターネットなどコンピュータ関連技術と生命科学の研究費を大幅に増額します。ASCIの第3世代ASCI Whiteが稼働し、第4世代ASCI QがCompaqに発注されます。NERSCは隣町Oaklandに計算センターを設置し、SP POWER3を設置します。DARPAはエクサフロップスへの夢物語を語り始めます。NPACI(SDSC)でもSP POWER3が設置され、11月のTop500で8位に入ります。NSF PACIに入れなかったPSC(Pittsburgh)もNSF予算を得て、事実上の第3センターの役を果たし始めます。

Kevin (Mitnick)を1か所「Mevin」と誤記しました。「発想」→「発送」という誤変換もあります。

中国で最初のスーパーコンピュータセンターとして、上海スーパーコンピュータセンター(上海超級計算中心)が設立され、神威1号が設置されます。国防科学技術大学では銀河4号が発表されます。張汝京 (Richard Chan)は上海でSMIC(中芯国際集成電路製造有限公司)を設立します。TSMCとの関係は?

集積回路を発明したJack St. Clair Kilby博士がノーベル物理学賞を受賞しました。

ヒトゲノム計画については、国際協力によりドラフト版が完成し、6月26日、ビル・クリントン米国大統領とトニー・ブレア英国首相から鳴り物入りで発表されました。

SETI@homeに続く遊休グリッドの話題が二つ出ています。「PiHexプロジェクト」については高橋大介氏に教えていただきました。

余談として、家内が翌年の9.11を、「予言」と言わないまでも「予感」していた話を書きました。

さて、次回は「国際会議」です。ご愛読を感謝します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。

小柳義夫

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Feb 18, 2024, 9:19:30 PMFeb 18
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2000年のHPC(その四)

二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、20世紀最後の年2000年の後半に来ました。先週と今週の記事をご紹介します。先週は世界中の「国際会議」で、今週は「SC2000」です。国際会議は山ほどありましたが、私が出席したのは4件だけで、外国での会議は3件です。

アナログ時代から続いているISSCC 2000は47回目で、GHz級のマイクロプロセッサのオンパレードでした。この動きはさらに加速します。

北京の友誼賓館で開催されたHPC Asia2000では、Gordon Bell、Jack Dongarra、Ian Foster、Richard Stallmanのビッグネーム4人が基調講演をしました。Stallman氏とは、たまたま空港からタクシーで乗り合わせましたが、「Linuxばかり注目されているが、free software全体が重要なんだ」と力説していました。

6月Top500では、自作のクラスタはわずか3件でした。

8月、北京国際会議場で開催されたWCC 2000では、江沢民国家主席の毛筆の祝辞が配られただけでなく、開会式で本人が出席し開会講演を行いました。後半は英語で、「私も電気工学者だ」と胸を張りました。ただ、分科会は低調でした。

最後のHigh Performance Fortran User Group meeting が、ホテルインターコンチネンタル東京ベイホテルで盛大に開かれました。この後、HPFの話題は少なくなります。

SC2000の開会式の日にBush対Goaのアメリカ大統領選挙が行われましたが、too close to call で結果は1か月後でした。この会議では、今後のHigh Endコンピュータとして、BlueGeneと地球シミュレータの講演がありました。地球シミュレータの稼働は2002年、BlueGene/Lの稼働は2004年です。

パネル”Petaflops around the Corner”(ペタフロップスはそこまで来ている)では、パネリストが勝手なことを言っていました。また、GridというパネルとMegacomputersというパネルが接続する形で行なわれ、両者の関係や技術上の問題などが議論されました。

Gordon Bell賞のPeak Performance賞は、何と日本の2グループがタイで受賞しました。

11月のTop500ではついにASCI Whiteが登場しました。1位とはいえチューニング不足でとりあえず測った感じでした。

さて、次回は「2000年」の最後で、アメリカはじめ各国の企業の動きです。Intel社とAMD社のGHz競争が火花を散らします。ご愛読を感謝します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。

小柳義夫

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Feb 25, 2024, 8:23:22 PMFeb 25
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2000年のHPC(その五)
二十世紀の語り部小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、2000年の最終回になりました。二十世紀も終わるので次回からは「平成の語り部」を名乗ります。今週の記事をご紹介します。日本以外の企業の動きです。64ビットプロセッサが混戦状態です。

2000年の初頭からIntel社とAMD社は1 GHzのチップをめぐって競争しています。Intel社はItaniumの詳細を公表しますが、まだ量産体制には入りません。AMD社はOpteronという名前を発表します。
IBM社はPOWER4チップの詳細を発表するとともに、謎の超並列BlueGeneについて錯綜した情報が流れます。
Tera Computer社は、SGIのCray部門を買収するとともに、自社の社名をCrayに変更します。ビジネスは順調です。
SGI社はR12000を搭載したOrigin 3000を発表します。
Sun Microsystems社は、Solaris 8を発表しますが、ライセンス料を無料化し、顧客にはソースコードも提供して、Linuxに対抗します。プロセッサではUltraSPARC IIIを発売します。
Microsoft社の反トラスト法訴訟では、同社をOSの会社とアプリの会社に二分割せよとの命令が裁判所から出ます。果たしてAT&T以来の大分割となるか?
中国で、検索エンジンの百度 (Baidu)が創立されます。

先週土曜日、TSMCの熊本第一工場の建物が竣工しましたが、TSMCの創業(1987)の事情については、https://www.hpcwire.jp/archives/57946
に一言書きました。なぜ、日本ではできなかったのでしょう。先ですが、2002年の記事には、日本でも
「2002年7月5日、半導体メーカ11社が計18.5億円を出資し、国費315億円を投入して、ASPLA (Advanced SoC Platform Corporation、先端SoC基盤技術開発)を千代田区に設立した。」という記事を予定しています。歴史は繰り返すのか?

さて、次回は「2001年」に入ります。「地球シミュレータ」の筐体が年内に設置されます。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。ご愛読を感謝します。

小柳義夫

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Mar 3, 2024, 9:14:25 PMMar 3
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2001年のHPC(その一)

 (「二十世紀の語り部」改メ)「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週から21世紀に入りました。今週の記事をご紹介します。「社会の動き」「地球シミュレータ計画」および「日本政府の動き」(その一)です。
 社会では、9.11同時多発テロをはじめ、さまざまな動きがありました。世界が変わった激動の一年でした。
 日本のHPC界にとって画期的なことは地球シミュレータの全筐体が搬入されたことです。しかし病床で「地球シミュレータセンター初代センター長」に就任した三好甫先生は、続々フロアに並ぶ筐体を一度も目にすることなく他界されました。ご冥福をお祈り申し上げます。
 文中で言及した地球シミュレータ後継ペタスケールコンピュータの三好構想について、リンクを忘れました(後で付記します)。http://www.hpfpc.org/miyoshi-sympo/proc/81-omoide1B.pdf
 これによると、プロセッサは50 nmテクノロジ、8 GHzで256 GFlops、ノードは8 TFlops、8 TB、システム性能は8~12 PFlops、2009年3月完成とあります。ベクトルとは明記されていません。ちなみに「京」は、45 nmテクノロジ、2 GHzで、プロセッサは8コアで128 GFlops、システム全体では88128プロセッサ、ピーク性能11.28 PFlops、2011年完成でした。
 合わせて残念なのは、地球温暖化研究プログラム領域長としてアメリカから招へいした真鍋淑郎博士が、完成を待たずにアメリカに帰ってしまわれたことです。
 その他の政府関係の動きでは中央省庁の再編があります。新設の総合科学技術会議では情報通信プロジェクトが構想され、また科研費特定領域(C)が始まりますが、ネットワーク関係にばかり重点が置かれ、われわれが推進しようとした「超高速計算機システム」がのけ者になっていたのにはがっかりしました。スーパーコンピュータは情報ではないのか!! それでも学振未来開拓研究事業「計算科学」は5年目、ACT-JSTは4年目を迎え、またCREST「情報社会を支える新しい高性能情報処理技術」が始まります。

 さて、次回は「2001年(b)」で、「政府関係の動き」の後半と「日本の大学センター等」「日本の学界の動き」です。RWCPが終了するとともに、PCクラスタコンソーシアムが発足します。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。ご愛読を感謝します。

小柳義夫

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Mar 17, 2024, 10:20:04 PMMar 17
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2001年のHPC(その二)

「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに21世紀に入っております。先週と今週の記事をご紹介します。「日本政府関係の動き(続き)」「日本の大学センター」「日本の学界」「国内会議」です。

 ITBLが始まりました。旧科技庁系の国立研究機関を高速ネットワークでつなぎ、計算資源やデータ資源の共用化、遠隔地との共同研究を可能とする仮想研究環境構築のプロジェクトですが、日本原子力研究所計算科学技術推進センター長 秋元正幸氏が、当初、「高速ネットワークを張って各研究機関のスーパーコンピュータの空き時間を活用すれば、計算資源など無限に沸いてくる」というような一般向け説明をしたので、われわれは「そんなことを言ったら、スーパーコンピュータ予算が通らなくなる」と眉を顰めました。

 新情報処理開発機構(RWCP)は2001年度が最終年度で、10月に最終成果報告発表会が開催され、多くのデモなどが行われました。「並列分散システムソフトウェアつくば研究室」の展示風景写真を載せましたが、ディスプレイに写っているのは、10月4日に発足した「PCクラスタコンソーシアム」の説明のようです。

 名古屋大学センターニュースの論壇に「サービスセンターから研究センターへ」という記事を書き、大型計算機センターは、利用負担金を取って資源を提供するというビジネスモデルだけでは早晩破綻すると警告しました。

 「グリッド」が一般のマスコミの話題となりましたが、記者たちもよくわからず、SETI、スーパーコンピュータ、ネットワーク、クラスタ、分散処理などがごちゃまぜになっているようです。

 友人島田俊夫氏の心臓移植の顛末について、公表された範囲で書きました。呼びかけ人の末席の一人として、多くの方々からの寛大な御拠金を感謝いたします。おかげさまで島田俊夫氏は2022年11月23日まで77歳の生涯を全うされました。

 三好甫先生が副理事長をしておられ、地球シミュレータのソフトウェアを推進して来たRISTは、このころ地球シミュレータ後の「次世代計算科学技術」について、中村壽氏などを中心に調査研究や広報活動を行いました。私も多少協力しました。ただ、この頃の記録がRISTのページに残っていないようです。

 HAS研(Hitachiアカデミックシステム研究会)は、21世紀の冒頭にあたり、「国産コンピュータ~その熱き誕生のドラマ」と題した特別シンポジウムを開催しました。

 8回目となるJSPP並列ソフトウェアコンテストは、並列処理技術の普及と促進、人材育成という当初の目的を果たせたとして、今回で終了することとなりました。出題のネタが尽きたという実情もありました。コンテスト参加者で現在中堅として活躍されている方も少なくありません。うれしいことです。

 故森正武先生を委員長として企画した第15回トヨタコンファレンス “Scientific and Engineering Computations for the 21st Century — Methodologies and Applications —” は、三ケ日研修所で開催されました。私も組織委員会の末席を汚しました。関連の一般向け公開講演会「計算科学は人類を救えるか?」は東京で開催されました。

 さて、次回は「2001年(d)」で、日本の企業の動きと標準化関連の動きなどです。総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。ご愛読を感謝します。

小柳義夫

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Mar 24, 2024, 8:55:48 PMMar 24
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2001年のHPC(その三)

「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan
https://www.hpcwire.jp/ に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに21世紀に入っております。先週(c)と今週 (d)の記事をご紹介します。「国内会議」「日本の企業の動き」「標準化関係」「ネットワーク」です。

前年頃から私はRISTの「次世代型計算科学技術」関係のプロジェクトへの参加を依頼されて喜んで活動していましたが、これが「次世代スーパーコンピュータ」つまり「京」に向かう動きであることは、当時あまり分っていませんでした。

HAS研(Hitachiアカデミックシステム研究会)は、新世紀初頭ということで特別シンポジウム「国産コンピュータ~その熱き誕生のドラマ=新世紀に引き継がれる最先端技術開発の魂=」を開催しました。ビッグネームの方々が回顧講演をしました。聞きたかった。

8回続けて来たJSPP主催PSC(並列ソフトウェアコンテスト)は、所期の目的を果たしたとして今回で終了することとしました。「対象が分かりやすく(場合によって高校生にも)、並列化の工夫が楽しめ、規模や難易度の違う問題の生成が並列コンピュータ上で容易で、結果の客観的な評価ができるような問題」のネタが尽きたという事情もありました。

日本電気はベクトルコンピュータSX-6を発表しました。CPUは地球シミュレータと同じですが、筐体は全く違います。また地球シミュレータは、主記憶として富士通製のFPLという128Mbの高速DRAMを使っていましたが、商用版のSX-6では、通常の256MbのSDRAMを搭載しています。ヨーロッパやカナダを含め、多数設置されました。Cray社もOEMで北米に売ることになりました(後述)。

富士通がSPARC64に基づくスカラ型スーパーコンピュータを開発していると報道されており、ベクトルコンピュータの開発からいずれ手を引くのではないかという噂が出ていましたが、関係者は断固として否定していました。撤退が表明されるのは2002年1月5日です。

東芝はDRAMから撤退を表明しました。日本は各社とも厳しい収支予想で、人員削減が必至です。

ソニー・コンピュータエンタテインメント、IBM社、東芝の3社は、次世代のブロードバンド・ネットワークの基盤となる、汎用プロセッサCellの開発に着手すると発表しました。Supercomputer-on-a-chipではないかという観測もありましたが、私はこれがPFlopsを実現する世界初のマシンにつながるとは予想もしませんでした、

グリッド標準化では、世界を統合したGGF (Global Grid Forum)が活動を開始します。

日本で、三好甫先生を中心に進めていたJAHPF(HPF合同検討会)は終了を発表し、新たに高性能Fortran推進協議会を発足させます。

さて、次回は「2001年(e)」で、アメリカ政府の動き、日米貿易摩擦の行方、各国の動きなどです。新生Cray社が宿敵日本電気と劇的な提携を発表します。

総目次はhttps://www.hpcwire.jp/new50historyです。ご愛読を感謝します。

小柳義夫

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Apr 8, 2024, 9:35:56 PMApr 8
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2001年のHPC(その四)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/ に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに2001年の後半に入っております。先週(e)と今週 (f)の記事をご紹介します。「アメリカ政府の動き」「日米貿易摩擦」「ヨーロッパ政府関係の動き」「その他の国の動き」「世界の学界の動き」「国際会議」などです。

日本電気は、スーパーコンピュータの対米ダンピングについて、連邦の通常の裁判所や連邦国際貿易裁判所などに訴えていましたが、すべて却下され、万事休すとなりました。ところが実は水面下でCray社との秘密交渉が進んでいました。

3月1日付の日本の朝刊各紙には、「NECスパコン、対立の大手に供給へ」、「NECクレイ社と提携」、「NEC“昨日の敵”と和解」などと衝撃的な見出しが躍りました。Cray社は日本電気のSX(実際はSX-6)を、Cray SXの名前でアメリカ、カナダ、メキシコなどにOEM販売することとなりました。1995年からの動きを年表の形でまとめました。

中国山東省の中国農業銀行に設置されたHPのSuperDomeが11月のTop500の148位tieに載り、中国設置コンピュータのTop500への初登場になりました。他方、曙光はDawning 3000(ピーク403 GFlops)を完成させ、金怡濂は「神威II(ピーク13.1 TFlops)」を完成します。また中国独自のCPU開発の龍芯プロジェクトが始まります。

量子コンピュータのニュースもいろいろ出ています。画期的だったのは、IBMが、5つのフッ素原子と2つの炭素原子から、7つの核スピンを持つ新しい分子を合成し、核磁気共鳴により7 qubitsの計算を行い、15=3×5 の因数分解ができたという「快挙」でした。実用化も遠くないか??

Hans Meuerが主宰してきたMannheim Supercomputer Seminarは、新世紀にあたりISCと改名し、Mannheim近郊のHeidelbergで開催されました。谷啓二は、地球シミュレータについて講演し、ピーク40 TFlopsのマシンにより、大気海洋相互作用と固体地球を解明しようとしていると述べました。Top500では、トップのASCI WhiteがLinpackでやっと7 TFlopsを出しました。それでもピーク比は59%です。

他方、第9回目のHPCN Europe 2001は、参加人数も減り、企業展示も少なく、会場も狭くなり、これが最終回となりました。

第5回目のHPC Asiaは、オーストラリアのGold Coastで開催されました。

さて、次回は「2001年(g)」で、同時多発テロ2か月後のSC2001です。
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小柳義夫

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Apr 22, 2024, 2:08:53 AMApr 22
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2001年のHPC(その五)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、すでに2001年の後半に入っております。先週(g)と今週 (h)の記事は、同時多発テロのわずか2か月後にDenverで開催されたSC2001です。DenverにもミニWorld Trade Centerがあり、ちゃんとツインタワーになっていたので驚きました。

今年はテロの影響もあって、参加者は例年より若干少ないのではないかという感じでした。Technical Program参加者2017名、Exhibit onlyを含めて5277名の参加ということです。日本からの参加者は3割減というところでしょうか。

Grid技術のひとつであるAccess Gridを使って、SC2001のいくつかのセッションを「アンカレッジから南極まで」の世界中32か所に中継していました。リモートから発言もできます。今ならZoom等で当たり前ですが。

基調講演では、Craig Venterがヒトゲノム解析にHPCが重要な役割を果たしていることを強調しました。Jim GrayはSloan Digital Sky Surveyを例に、データグリッドの意義を述べました。

Top500ではいよいよ日本の影が薄くなっています。20位以内は、東大、阪大、高エネルギー研だけです。

Gordon Bell賞は、Grape-6の研究が5回目の入賞です。MDMの方は最終選考まで残っていましたが、受賞は逃しました。

印象的だったのは、Petaflops、ASCIそしてHPFの話が全く消えていたことです。ASCIやPetaflopsはすでに日常になってしまったようです。

最終日(金曜)にはいくつかパネル討論がありましたが、老人が言いたいことを言うというパネルがあり、まるで「抵抗勢力、全員集合」でした。200人を超す大盛況でした。わたしも老人として頑張ってメモを取りました。詳しく報告します。

なお、sc2001.orgのweb pageは現在すべてリンク切れですが、リンクは残してあります。

さて、次回は最終回「2001年(i)」で、国外の企業の動きです。HP社のFiolina CEOは、創業家の反対を押し切り、DEC社の遺伝子を持つCompaq社を買収します。

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小柳義夫

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Apr 30, 2024, 4:59:45 AMApr 30
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2001年のHPC(その六)
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に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週(i)で2001年を終了しました。今週の記事を紹介します。「アメリカの企業」「企業の創業・終焉」です。

IBM社はPOWER4を搭載したeServer p690 (コード名Regatta) を発表しました。これまでのSPとは異なり1ノード32コアまでは共有メモリです。複数のノード間の接続は当初Gigabit Ethernetですが、2002年にはColonyという高速スイッチが発売されます。

IBM社の「ぶっ飛んだ」超並列マシンBlueGeneは話を聞くたびに設計が変わるので雲をつかむようでしたが、LLNLとBlueGene/Lを開発するという発表がありました。だいぶ普通のマシンに近づいてきました。これが2004年に地球シミュレータを打ち負かします。

Cray社はこれまでSV2という名称で開発してきたベクトル計算機の技術情報を出し始めます。次の年X1という名称で発表します。MultithreadアーキテクチャのMTA-2は、4プロセッサのシステムが日本に出荷されました。翌年には40プロセッサのシステムが出荷されますが、この2台しか売れませんでした。

Microsoft社とSun Microsystems社は、1997年10月からJavaをめぐって裁判を続けてきましたが、2001年1月23日に和解が成立しました。両社とも自社の勝利と発表しました。

Microsoft社は反トラスト法(独占禁止法)の訴訟も受けており、前年2000年にはOS部門とアプリケーション部門に分割せよとの命令が出ましたが、これを控訴審で覆します。11月、3年にわたる反トラスト法訴訟は最終合意に達します。2002年11月、連邦地裁はこの和解案を承認します。アメリカもヨーロッパも、独占的地位を利用した市場支配には敏感に反応します。

Intel社はやっとItaniumを出荷しました。予定より2年も遅れており、すでに他のプロセッサに負けています。早くも次のMcKinleyに注目が集まりました。他方AMD社はx86路線をひたすら走っています。

カナダでは、OctigaBay Systems社の前身が創立されます。2004年にはCray社に買収され、開発していたFPGA搭載のマシンはCray XD1として出荷されます。

DEC社買収以来業績が低迷していたCompaq社は、Hewlett-Packard社に買収されます。ところがHewlett家もPackard家もこの買収に反対で、株主総会では両創業家の反対を押し切って僅差で可決します。Walter Hewlett取締役はDelaware州裁判所に提訴しますが、2002年5月初旬に裁判所が訴えを退け、迷走の末の合併はやっと完了しました。

次回(多分、再来週)から2002年です。地球シミュレータが世界を驚かせます。

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小柳義夫

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May 14, 2024, 1:19:32 AMMay 14
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2002年のHPC(その一)
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に掲載中の『新HPCの歩み』は、今週から2002年に入りました。全13回の予定です。今週の記事を紹介します。

今年はISCが5月なので昨日2024年6月版のTop500が発表され、富岳が相変わらず4位などと報道されています。日本でTop500が社会的に大きな話題となったのは、2002年に「地球シミュレータ」が堂々トップを飾った時からです。それ以前にも、NWT(数値風洞、航技研)やSR2201(東大)やCP-PACS(筑波大)がトップを取っているのですが、日本において(アメリカやヨーロッパでも)それほど大きな話題にはなりませんでした。

社会の動きでも、多くの重大事件が起こっています。この年、小柴昌俊がノーベル物理学賞を、田中耕一がノーベル化学賞を、ダブル受賞しました。タマちゃんも出現しました。

地球シミュレータが稼働し、Linpackベンチマークが実行されました。当時は、Top500だけでなく、昔からあるDongarraらのLinpack Reportが随時更新されており、このデータはまず4月のReportに掲載されました。この結果は国内外で大きな話題となりました。4月20日付けのNew York Timesのトップ記事“Japan Supercomputer World’s Fastest”として掲載されるとともに、テクノロジ欄には“Japanese Computer Is World’s Fastest, as U.S. Falls Back”という解説記事が載っています。Dongarra教授は、インタビューで「これはまさにコンピュートニク(つまり、コンピュータのスプートニク)だ」という言葉を残しています。もちろん、Dongarra教授には前から地球シミュレータの技術概要を伝えており、「やっと出たか」というところだったでしょうが、ここで「コンピュートニク!」と驚いて見せることで、世界に、とくにアメリカ政界にショックを与えようとしたものと思われます。もちろん、6月のTop500でもダントツの1位でした。2023年11月まで連続4回トップの座をキープしました。

IBM関係者は、「Blue Geneができれば、簡単にやっつけられるのに」と悔しがり、Cray関係者は「Red Stormがもうすぐできる、見ていろ!」と刃を研いでいたものと思われます。11月にはエネルギー省長官がワシントンのプレスクラブで講演し、「米国は国家プロジェクトとして技術開発の遅れを取り戻し、再び世界一の座を奪還する」と発言し、「打倒、地球シミュレータ」を高らかに宣言しました。

次回は日本の政府関係の動きと大学の計算センターでの動きなどです。

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小柳義夫

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May 26, 2024, 9:23:43 PMMay 26
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2002年のHPC(その二)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、2週間前から2002年に入りました。先週(b)と今週(c)の記事を紹介します。「日本政府関係の動き」「日本の大学センター等」「日本の学界の動き」「国内会議」です。

第2期科学技術基本計画に則り「新世紀重点研究創生プラン(RR2002)」が5年間の予定で始まりました。情報通信分野(ITプログラム)のプロジェクトでは、「世界最先端IT国家実現重点研究開発プロジェクト」が6件、「「eサイエンス」実現プロジェクト」が3件、計9件採択されています。今年度予算は369億円。

文部科学省は各自治体からの事業構想の提案に基づき、「知的クラスター創生事業」の実施地域として、12地域10クラスターを選定しました。また、「世界的研究教育拠点の形成のための重点的支援-21世紀COEプログラム-」を募集し、9月30日に113件を採択しました。私のいた、東大情報理工学系研究科から提案した「情報科学技術戦略コア」(リーダー田中英彦)も入っています。

航空宇宙技術研究所(NAL)は数値風洞NWTの運用を停止し、PRIMEPOWER HPC2500を中心としたCENSSシステムを導入しました。NWTは合計18回Top500に登場し、トップ4回、2位3回、3位1回でした。圧巻です。

経済産業省の「次世代情報処理開発機構(RWCP)」の最終評価を行うことになり、評価委員長を仰せつかりました。よい評価結果は出ましたが、通産省・経産省系の情報分野の大規模なプロジェクトはここで途切れてしまいました。背景には、バブル期に企業が政府の資金を必要としなくなったこと、ITバブルの崩壊、コンピュータ開発の中心が科技庁・文科省に移ってしまったことなどいろいろは事情があると思われます。その後「情報大航海」があります。

JSTの事業「シミュレーション技術の革新と実用化基盤の構築」(研究総括は土居範久)がCREST・さきがけ混合型領域として始まりました。

学術振興会未来開拓「計算科学」の最後の国際シンポジウムが開かれました。5プロジェクト中、1997年に発足した4プロジェクトは3月末で終了しました。牧野淳一郎らは、この活動の一環として、GRAPE-6を2002年完成させ、翌年Gordon Bell賞を受賞します。

なお「情報科学技術委員会」のところに「会議記録は残っていない」と書きましたが、村上弘氏からWARP(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)に一部収録されていることをご教示いただきましたので、後日補足したいと思います。

日本の学界では、昨年発足したPCクラスタコンソーシアムは、第1回シンポジウムを開催しました。グリッド協議会は、設立総会および記念講演会を開催しました。

東京工業大学松岡聡研究室は、ベストシステムズ社との共同研究として、Presto IIIを完成させました。6月のTop500では47位でしたが、AMDチップのクラスタとしては世界2位でした。

情報処理学会は、2002年2月号(Vol.43 No.2)の会誌『情報処理』で「特集:知られざる計算機」を掲載しました。知られているものもありますが。

記事に書いたような経緯で、学習院大学で公開シンポジウム「科学とこころ-科学、価値観、知識の限界」を行うことになり、仏教の立場から「科学と宗教」を語れる講師探しに苦労しました。佐藤哲也氏が推薦されたので依頼しましたが、氏自身の科学観を語るのみで仏教・真言宗とどう関係するかには触れませんでした。主催のSSQ IIからは不評でした。

国内会議としては、HPC研究会発足10周年を記念してHPCSが始まりました。Hokkeは一部泥流に覆われていた洞爺湖町で開かれました。SWoPPは湯布院。

次回は日本の企業の動きと標準化やネットワークなどです。

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小柳義夫

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Jun 9, 2024, 10:32:18 PM (10 days ago) Jun 9
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2002年のHPC(その三)
「平成の語り部」小柳義夫です。電子ジャーナルHPCwire Japan https://www.hpcwire.jp/
に掲載中の『新HPCの歩み』は、4週間前から2002年に入りました。全13回です。

先週(d) は「日本の企業の動き」「標準化」「ネットワーク」「性能評価」で、今週(e)は「アメリカ政府の動き」です。2回分の記事を紹介します。

富士通はベクトルスーパーコンピュータの開発から撤退し、高度なSPARC64によるスカラスーパーコンピュータに転換すると発表しました。日本電気は、地球シミュレータを稼働させるとともに、次のSX-7を発表しました。

日本の半導体メーカ11社が計18.5億円を出資し、国費315億円を投入して、ASPLAを設立し、90nmテクノロジの300mmウェファ製造に取り組みました。2005年には解散しましたが、果たして半導体産業に、これに見合った効果はあったのでしょうか。さらに高額の国費を投入する半導体開発が進められている現在、心配になります。

Gridの標準化を目指すGGF (Global Grid Forum)は3回開催されました。IBM社が突然提案したOGSA (Open Grid Services Architecture)が新しい標準となり、Gridの様相が一新しました。資源よりサービスに着目するグリッドは、メインフレームの思想と親和性があるのでしょうか。日本でも、INSTAC(日本規格協会情報技術標準化研究センター)がグリッド標準化調査委員会を発足させ、不肖私が委員長となりました。この結果なんと、平成22年2月22日(2並び)に、JIS X7301として制定されます。Gridを国家規格(de jure)にしたのは日本だけでしょう。

アメリカ政府関係では、NSF、DOE、DARPAがそれぞれHPCを推進しています。

NSFは、PACIからTeraGridに転換します。TeraGridはIBM社製のItanium 2クラスタを5機関に分散配置し、高速ネットワークで相互およびユーザと接続するものです。アメリカ中のアカデミアのユーザに共同利用されます。

SDSCは、前年、創立者であるSid Karinセンター長が、Fran Berman氏に代わり、Big Iron路線からクラスタ・グリッド路線に変わります。MTA-1も撤去されます。クラスタ構築ツールRocks 2.2.1が発表され、SC2002でもデモを行いました。

CTC (Cornell Theory Center)は、LinuxではなくMicrosoft Windowsで大規模サーバを構築しています。

DOEではASCIの4番目ASCI Qは30 TFlopsクラスで、DEC Alpha EV68 (1.25 GHz)ベースですが、最初から地球シミュレータの後塵を拝し、意気が上がらないようです。とりあえず、1/3規模のマシンが2台できました。翌年、これを結合して20 TFlopsのマシンを作りますが、フルスケールのマシンはついに登場しなかったようです。

ASCIの名前が冠されているのはQまでで、2004年以後はASC (Advanced Simulation and Computing Program)に変わります。文献では徹底されていないので、わたしの記事でも混在しています。100 TFlops級のASC PurpleはIBM社が受注します。また、ASCの新顔としてBlue Gene/LおよびASC Red Stormが予告されます。

オープンなDOEセンターであるNERSCのSeborgは隣町Oaklandで動いていますが、Seaborg IIへの増強計画が発表されました。

Linux Networx社は、Itanium 2を搭載した大規模クラスタを諸研究所に設置しました。

DARPAはHPCS(高生産性コンピューティングシステム)というプログラムを始めました。Linpackがベンチマークとして十分ではないという主張は分かりますが、では「生産性」をどう定義するのか。

テーマ別の実用グリッドの計画がいろいろ発表されています。

次はアジアやヨーロッパの動きと、世界の学界の動きなどです。

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小柳義夫
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