Fwd: 代行アップ

419 views
Skip to first unread message

Kenji Katsuragi

unread,
Dec 3, 2009, 2:01:09 AM12/3/09
to studyo...@googlegroups.com
以下、大谷正幸さんから私信で来たので代行アップします。


---------- 転送メッセージ ----------
From: ergosopher <mo...@kanazawa-bidai.ac.jp>
日付: 2009年12月3日15:00
件名: Re: 青木秀和さんから(代行アップ)
To: Kenji Katsuragi <katu...@fit.ac.jp>


> それはともかく、一番興味があるのはノーベル賞を受賞した大化学者であったソ
> ディが、何故、大恐慌の前に経済書を書かざるを得なかったのか?というところ
> にあります。


とある出版社の企画で書き始めた原稿です。その企画はボツになったのですが・・・参考までにどうぞ。

2009年4月11日付ニューヨーク・タイムズに、歴史と政治を研究する大学教授、エリック・ゼンシィの「ソディのエコロジー経済学」と題する寄稿記
事が掲載された。現下の「100年に一度の経済危機」と呼ばれる出来事について、ソディはずっと前から警鐘を鳴らしていたではないか、ソディの意見に耳
を傾けてはどうか、という内容の記事だ。

ソディとは、原子核崩壊と同位体の研究でノーベル化学賞を受賞したイギリスの化学者、フレデリック・ソディのことだが、第一次世界大戦を境にして、研
究対象を原子核から貨幣へと転じた異色の科学者だ。科学が進んだ時代に、なにゆえ失業や貧困という社会問題を抱え、果ては戦争の悲劇に巻き込まれなけれ
ばならないのか、この素朴な問題意識こそが、ソディの研究対象を原子核から貨幣へと転じさせたのだ。

失業と貧困は、現在の日本社会を悩ませている社会問題でもある。だが、冷静に考えるならば、必要以上のものを生産する能力を備えた社会において、人々
があぶれて生活を脅かされているという不可解な現象である。1920年代のイギリス社会で、ソディは同様の不可解な遊休状態を目撃し、その根本原因を探
究せずにはいられなくなったのだ。“age of miser and misery”(守銭奴と貧者の時代)とは、1933年に出版されたソディの著
書『Money versus Man』に登場する表現だが、現代日本にすっかり定着した「格差社会」という言葉を想起させるだろう。私たちは、ソディ
の警鐘に耳を傾けることなく、同じ轍(てつ)を踏んでいるのだ。

これまでのところ、ソディの経済思想は、経済成長を主眼とする主流派の経済学者には黙殺され、一方、経済理論と環境問題の関係を研究するエコロジー経
済学者には注目されてきたという経緯がある。ホワン・マルチネス=アリエ著『エコロジー経済学』(新評論)やハーマン・デイリー著『持続可能な発展の経
済学』(みすず書房)には、ソディの経済思想が大きく取り上げられている。ソディの元々の問題意識は工業国の失業・貧困問題に向けられていたが、ソディ
の経済思想は環境問題の解消にも有望だというわけだ。このことは、社会学者が提起する失業・貧困問題と、環境活動家が投げ掛ける環境問題が同根の社会問
題だということを示唆している。ソディの経済思想への関心が俄然高まってくるのは、時代の要請というものだろう。

どうしてノーベル賞を受賞するほどの科学者が、経済とりわけ貨幣論の研究へとのめり込んでいったのだろうか。ソディが研究対象を原子核から貨幣へと転
じた経緯を簡単に振り返っておこう。

ソディは人類で最も早く原子力エネルギーの可能性に気づいた科学者だった。原子核壊変によって生成される熱を直接測定した実験結果から、1904年発
表のアーネスト・ラザフォードとの共著論文には、「原子の中に潜むエネルギーは、通常の化学変化で放たれるエネルギーよりもずっと膨大なものであると結
論できる」と記していた。アインシュタインが質量変化のエネルギーへの変換を理論付けた有名な方程式E=mc2を着想した前年のことだ。この新たなエネ
ルギー源の可能性を踏まえて、ソディは未来社会を思い描いた。ソディ自身、「原子力エネルギーがいつか利用可能になったならば、どのような世界になるか
を考えることは当然のことだった」と書き残している。

だが、科学の進歩と彼の明るいエネルギー見通しとは裏腹に、1910年代のイギリスの労働環境は悪化し続けており、ソディは1912年に出版した著書
『Matter and Energy』の中で科学のあり方を真の社会問題と結びつけて憂慮し始めていた。そんな矢先の1914年、H.G.ウェルズの
未来小説『解放された世界』が出版された。この未来小説は、原子力エネルギーの可能性を明らかにしたソディの研究にヒントを得て描かれたもので、「フレ
デリック・ソディの『ラジウムの解釈』に、この物語を献呈して感謝のしるしとする」との献詞が添えられている。この未来小説の中でウェルズは、科学の進
歩を讃えつつも未来社会を憂慮し、後先考えずに発展し続ける科学が顧みようとしない興味深い問題を指摘していた。

「測りしれない豊かさが満ち溢れた状況において、そして人間の必要を満たすのに欠かすことのできないすべてのものと、また人間の心の中にあった意志と目
的を実現するのに必要なすべてがすでに手中にあったとき、人はなお苦難、飢餓、激怒、混乱、衝突、そしてわけの分からない苦しみについて語らなければな
らなかったのである。この莫大な新しい富(補注:原子力エネルギーの恩恵)――それはついに人間の手の届くところまでやって来たのであるが――それを分
配するいかなる計画もなかった」(浜野輝・訳、岩波文庫)

ソディがヒントを与えた未来小説は、逆に、富の分配つまりは経済に関して、ソディ自身がいかに無思慮であったかを気づかせた。そして、ウェルズの未来
小説の出版から半年のうちに起こった第一次世界大戦の戦渦は、いよいよソディの研究者人生を大きく変える転機となった。ドイツからの輸入が途絶えたこと
によって、ガラス製実験器具や実験用試薬は欠乏し、戦争動員に伴って大学の学生・スタッフ数は縮減し、ソディの研究生活にも支障が生じた。ソディ自身、
不本意な軍事目的の研究への屈従を余儀なくされたが、敵国ドイツでは、アンモニア合成法を開発して農業生産の向上に貢献した科学者、フリッツ・ハーバー
が、一変して毒ガス兵器の開発に手を貸す事態を招いていた。ソディには、科学の戦争利用を人一倍恐れる理由があった。ウェルズの未来小説は原子爆弾の製
造を予言していたが、その大本の発見をしたのは他ならぬソディだったからだ。戦渦の中でソディは、科学者の社会的責任を痛感せずにはいられなくなってい
た。どこからともなく戦費が融通されて、人々の魂が奪われていくメカニズムを、ソディは究明せずにはいられなくなっていた。

終戦後の1919年、ソディはオックスフォード大学の化学教室の教授として招聘(しょうへい)され、1921年には前述の研究業績によってノーベル化
学賞を受賞した。だが、もはやソディは物質科学のフィールドに収まっていられないほどに、自らが属する科学の世界における進歩と、目の前の現実社会が抱
える失業・貧困問題という矛盾に悩み、文明社会の行く末を憂慮するようになっていた。

イギリスは、戦争には勝利したものの経済は悪化の道をたどり、1931年のポンド危機を経て「守銭奴と貧者の時代」を迎えることになる。このような成
り行きを予見していたかのように、ソディは1920年頃から本格的に経済について思索し始めた。手始めはジョン・ラスキンの『この最後の者にも』だっ
た。それはソディに感銘を与え、ラスキンの言葉はソディの著書にもちりばめられることになる。「命より貴い富などない」、「資本以外に何も生み出さない
資本は、ただ根を伸ばし続けている植物の地下茎のようなものにすぎない。あたかもチューリップの球根が球根ばかり増やして花を咲かせることを忘れたかの
ようであり、収穫した麦を種子として使うばかりでは、パンにはなり得ないというものだ。ヨーロッパの政治経済学はこれまで、球根の増殖ばかりに没頭し、
チューリップの花のようなものを見ようとも考えようともしてこなかった」、人々の生活という根本を見失って営利自体を目的化している経済のあり方を問い
質そうとしたラスキンの言葉は、エネルギーにまつわる法則性を信念とする科学者にインスピレーションを与えた。

ソディは精力的に経済書を読んでは思索にふけり、いよいよ経済をエネルギーの観点から基礎付けることの重要性を説くようになった。その皮切りとなった
1922年のソディの講演は、『デカルト経済学』という題目がつけられ、デカルトの『方法序説』に記された言葉の紹介から始められた。『方法序説』は、
誤った考えに陥ることなく真理へと到達する方法を説いた書物であり、中世の蒙昧を脱して近代科学へと橋渡しをする役割を担った歴史的啓蒙書である。風変
わりな演題は、改革者としてのソディの意気込みを表していたのだ。まさにソディは、人類の叡智(えいち)が到達したエネルギーの観点を経済学は欠いてい
るとして、旧態依然の経済学を批判した。

「生命はその身体のエネルギーないし力のすべてを、生物の中にある自給自足的なものからではなく、ましてや外なる神のようなものからでもなく、無生物の
世界から得ている。生命はその身体の継続に必要なものを、主として蒸気機関の原理に依存している。人間の法律や慣習の原理と倫理は、熱力学の原理に反し
てはならない」

生命といえども、物質とエネルギーの法則の支配下にある。物理的な世界において熱力学の法則は“永久機関”を否定するが、経済の世界では複利での永久
的な成長が当然視されている。言い換えるならば、現実の生産活動における生産量は有限の値に収まるが、経済の世界において貨幣単位の数値は無限にも成長
し得る。この乖離(かいり)が社会を混乱に導く。ソディは経済学者の誤った富の考え方を正さずにはいられなくなったのだ。

さらに重要な問題点にソディは気づいた。現行の貨幣制度に“subtle pitfall”(巧妙な罠、理解しがたく間違いやすい点)があることに気
づいたのだ。そのカラクリを見破って難を逃れるには、自然法則が現実世界に課している制約を十分に踏まえなければならないと、ソディは考えるに至った。
その心境をソディは、キリスト教徒を迫害していたサウロが回心してキリスト教の使徒となったパウロに重ね合わせた。新約聖書の使徒行伝に収められた「サ
ウロの回心」と題する話は「目から鱗(うろこ)が落ちる」という慣用句の由来だが、エネルギーの観点を欠いた経済学者を批判してきたソディは、単に経済
学者を批判しているだけでは済まない事の重大さ、不可避的に人類を苦難へと導く根本原因に気づいてしまったのだ。ソディは、金融のしくみの瑕疵(かし)
から導かれる論理的帰結が戦争だと結論した。ソディは、文明社会の破滅という悪夢を見てしまったのだ。そして、このことを伝えなければならないという使
命感は、化学者だったソディを経済学者へと変えていたのだ。ソディが警鐘を鳴らした問題は今、はっきりと顕在化している。今こそ私たちは、ソディの警鐘
に耳を傾けるべきだろう。


ここまで書いて、企画自体が流れたのでした。


--
桂木健次@富山

Toudou, Fumiaki

unread,
Dec 3, 2009, 2:48:17 AM12/3/09
to studyo...@googlegroups.com

いつも大変お世話になっております。新潟大学の藤堂です。
大谷さんへのコメントです。

大谷正幸さんのお書きになった文章、同感です。
ソディの貨幣経済への疑問と研究は彼の原子物理学(核化学といっ
たほうが正確でしょうか)の研究、そして一次大戦と社会的問題が
発端ですね。加えて、彼は原子エネルギーの根源について研究して
いた際に発揮した、現象の源を追求するあくなき探究心をもってお
り、それが無から有を生み、増殖していくという貨殖学である近代
経済学への挑戦である彼の理論体系へとつながって行ったのでしょう。

藤堂史明

Kenji Katsuragi さんは書きました:

桂木健次

unread,
Mar 28, 2014, 6:06:33 PM3/28/14
to studyo...@googlegroups.com
この記事、FacebookでGogle検索したと言う人からお礼が来ていましたよ。拝

2009年12月3日木曜日 16時01分09秒 UTC+9 桂木健次:
Reply all
Reply to author
Forward
0 new messages