WG2 『聖なる経済学』の可能性(その1)
発信 山田 武
1月27日
WG2の皆様
まず三木様とアイゼンシュタインには『聖なる経済学』を読む機会を「贈与」していただいたことに感謝します。『聖なる経済学』は、縮小社会にどのような貢献ができるのでしょうか。私には、(1)共感・同意できる点と(2)異論・反論する点、(3)縮小社会のためにさらに検討が必要な点があると考えます。縮小社会の社会像は、議論の尽きることはないでしょうが、「返礼」として小論をまとめ、議論の深まる材料になればと思います。
なお内容は多岐にわたりとても一度に論じ尽くせません。偏りのある所は寛大な心で批判をお願いします。(相当長くなります)
(1)共感・同意できる点
①
現代社会が文明の転換点にあるという危機意識
前回、『聖なる経済学』序文から引用したように、われわれが経験している危機の時代を通じて、「新しいことが普通になる世界に生まれようとしている」ことに共感します。すなわち、「新しい種類の社会、地球との新しい関係性、そして人間であることの新しい経験」です。今日の人類文明の危機的状況は、主に西洋文明の合理主義的認識にもとづく科学技術と市場経済の発達に根源がありますが、個人主義的人権思想にもとづく民主主義が十分に機能していないことにも原因があります。経済成長を前提にした旧来の経済学・経営学は、利己的利益と貪欲・浪費の追求を優先し、精神的な価値や環境的制約を無視または隠蔽・排除して利己的競争市場を擁護してきたのです(とりわけ新古典派経済学)。
これに対し『聖なる経済学』では、本来あるべき経済社会を、自然と人間の統合した「贈与と感謝」の相互関係が豊かに機能している構造と捉えます。そして、今日の経済活動を支えるマネーは、物品交換の具体的手段から「分離」され、抽象化されて、高利貸的成長経済のために利用されている。しかし貪欲を助長するこのような経済は、一時的に(数世紀)続いた成長時代の過度的経済と見なし、文明の転換点となる危機的時代を経て再統合の時代を迎えると考えます。
私は、著者と同じような危機意識を持ち、人間のものの見方や考え方(意識)を変えれば社会を変えることができると信じています。しかし、人間が自然から「分離した根源としての言語」、人間の本質としての言語の解明がなくてはこの大転換は不可能で、単なるユートピア的構想に終わるだろうと思います。
②
人間社会の相互依存性
次に共感・同意できる点は、人間社会の相互依存性という理解です。著者は、未開社会についての文化人類学的成果のうち、「贈与経済」の知見を取り入れて次のように述べています。
「全体性と相互依存性について。贈り物は、自己の環をコミュニティ全体を含むまで広げる。今日のお金は『私により多く、あなたにより少なく』という原則を具現化しているものであるのに対し、贈与経済においては、あなたにより多くすることが私にとってもより多くなる。」(pdf版p16)
「聖なる経済への移行には、私たちの心理学の移行が伴うことは明らかである。今日の語法ではコミュニティとは通常は接近度や単なるネットワークを意味するが、それよりもずっと深い種類のつながりなのである。それは、人の存在を共有すること(a
sharing)、自己の拡張なのである。コミュニティに帰属するということは、個人的になることであり、相互依存関係になることである。」(pdf版p268)
アイゼンシュタインの思考はとても深いので、理解は容易ではない。現在のマネー経済で満足している人には理解できない。しかし現代の過剰経済が創りだした大衆社会の中で、本当に自分のニーズを満たしている人は何人いるだろうか。いや、満足していると考えている人もなにがしかの虚しさを感じていると著者は考えています。
一つ目の引用は、贈り物についてよく考えれば容易に理解できる。貨幣関係は損得計算で行うが、贈答関係は人格的つながりを増大させる。二つ目は、統合したコミュニティ経済を「神聖」と考える著者独自の考えだが、そのために必要なのが「心理学の移行」つまり「自己の拡張」としての心からの精神的な「相互依存関係になること」なのです。
これは賛同できます。ただ著者の心理学には限界があります。新しいコミュニティの在り方が実現されるには、「贈与と感謝」の哲学と倫理では不十分です。「心理学の移行」を行うためには、人間の本性である言語を伴う心理の解明が必要となるからです。
③
物資・マネーの交換・移動における透明性の必要
著者の引用に続いて、私の考えを述べます。
「贈り物の貯蔵はしないということ、及び贈り物をする社会の性質からの当然の帰結は、贈り物文化における富は誰にでも透明になる、ということだ。誰が誰に何を与えたか、誰がどれだけ持っているか、誰が貯め込んでいるのかを、みんなが知っているのだ。現代のマネー力学に翻訳すると、このことは、あらゆるマネーの退蔵と取引は公にされ透明にされるべきだ、ということを示唆する。マネーの出現とともに、それ以前には不可能であった新しい秘密主義が富を汚染するようになった。」(pdf版p276)
贈り物文化といわず、政治経済社会の透明性を増大させることは、信頼にもとづく社会では不可欠です。不正や犯罪は、ほとんどすべて秘密の内に行われます。とくに商品売買を通じて利潤の最大化を目指す資本主義社会においては、商品を「安く買い、安く使って作り、高く売る」ためには、商品情報を秘密にすること、つまり情報の非対称性を活用して利益を得ようとすることが日常的に行われています。だから著者のようにマネーの退蔵と取引だけでなく、あらゆる財貨の交換と移動においては、情報の透明性が図られるべきなのです。
ただ、最後の文では、「富を汚染する」を、マネーを手段としてネガティブで利己的な効果を及ぼすことが容易になったというなら正確です。しかし、未開社会の呪術や神の託宣のような古い秘密主義と同様に、「新しい秘密主義」が、人間の自己保存や権威づけの欲求にもとづくものであるという留保が必要です。なぜなら他者への秘密や欺瞞の行動は、生態学的に生得的なものなので、習得的な倫理的コントロールが必要なことも忘れてはならないでしょう。(多くの動物は敵から身を護るために、自らを隠し他を欺く傾向がある)
④
過剰な生産と消費が、感謝と尊敬、美と機能の統一を失わせている
次も著者の引用に続いて、私の考えを述べます。
「結局は、私たちは、標準化された大量生産と規模の効率性の結果である工業製品の氾濫の中に置かれているのである。私たちの途方もない過剰設備は、そのような効率性や、これほど多くの大量生産が必要ないことを示している。成長を要求するマネーの狂気に捕らえられて、私たちは、やむにやまれず、もっと多くの、必要もない、安っぽく醜いものを生産している。その一方で、美しさやユニークさ、個人性、生命感を備えたものの欠乏に苦しんでいるのだ。この貧しさは、その代わりに消費を続けさせ、関係性を失った物質的環境からくる空虚感を埋める絶望的な追求へと駆り立てるのだ。」(pdf版p272-3)
「今日、お金へのアクセスは、クレジットを通して、物とサービスを増やしそうな人々へと向かう。神聖な経済では、世界をもっと美しくすることに貢献する人々へと向かうだろう。世界がどのようなものかについて私たち全員が合意してはいないかもしれないが、多くの大切な共通の価値観が私たちの時代に生まれている。あらゆる政治的背景を持った人たちと関わる中で、共同体や自然、そして人類の文化が生み出した美しいものへの普遍的に近い敬意を発見して私は喜んでいる。政治的な言葉によって私たちの共通な人間性が分離を押し付けられ、曖昧になりがちなこれらの共通の価値観から、聖なる経済の通貨は生まれてくるであろう。」(邦訳pdf版p112)
まず前者の引用文から、大量生産が大衆社会の孤独な人間に「空虚感を埋める絶望的な追求」を強いている「過剰の中の欠乏」について共感できます。現代社会を財力(マネー)によって動かす権力者とその擁護者たちは、メディアによる宣伝・教化を通じて常に大衆を欲求不満に駆り立て「安っぽく醜いもの」を買わせようとします。その一方で、「美しさやユニークさ、個人性、生命感を備えたもの」を、絶えず高級商品化し大衆には手に入らないものとして、欲求不満の状態にします。それによって、自然と人間、人間と人間の関係を疎遠にし、結局は、人類全体の共有の財産であった自然と人間のもつ美しさを破壊してしまうのです。
それに対し、後者の引用文において著者は、現代社会と人間性を歪めバラバラにしている所有権やマネーについては、もっと普遍的で美しいものに変容すると考えます。すなわち、地球の土壌、水、空気、鉱物だけでなく人類のテクノロジーと文化の蓄積、そして共同体のつながりも私達の集合的な祖先の遺産であり、生きている誰もが等しく享受すべき富の源泉であるということに多くの人が気づき、その結果、現代社会と人間性を分離させるマネーのシステムも変化せざるを得ないと考えます。
大資産家や高額所得者は、自己の所有物、高額収入を自分の努力と幸運によるものと考えていますが、一人の人間の能力は平均の十倍を超えることはありません。優れたスポーツ選手やタレントでは<年間収入>は、30億円を超え、また大企業CEOでは<年間報酬>1億円越えますが、一般サラリーマンの平均<生涯賃金>(退職金を含む)は3億円前後(「ユースフル労働統計」より)とされています。このような平均の十倍を超える格差(不平等)が社会的に容認されているのは、人間の能力や価値、その結果としての社会的貢献度が正しく評価されていないからです。
彼ら高額所得者は納税額も多いが、はたして自然保護や人間社会の持続性にどのような貢献をしているのでしょうか。エネルギーを過大に消費し、大衆に一時的な陶酔や娯楽、利己的な快適や便利さしか提供できないスポーツや芸能、大量生産商品に関わることが、マネー的評価が高いという時代は永続しないという著者の考えに同意するのです。
⑤
私的所有と所有欲の増大の問題点
上の④と重なる部分がありますが、とても深い考えです。引用がやや長いです。
「私達[現代人]の自意識には、『あなたの分を減らしても、私はもっと欲しい』という感覚が伴います。
それゆえ、私達はその原理を正確に具現化した利子ベースの貨幣制度を持っているのです。
古には、社会は贈り物ベースで、全く逆でした。
心のつながりを切り離そうとする想念は、我々自身をこの世界の中で孤立化させ、その自然な反応として、所有欲を増大させます。私達が自意識から世界を切り離せば、そこに残る小さく孤独な自我は、失った存在の穴を埋めるために何でもかんでも手に入れようとするからです。」(pdf版p38)
「現代における所有の概念は、個人の主権(
個人の労働力の自己所有)から生まれましたが、この地球上のほとんどの物は誰かの労働によって産み出されたものではありません。『私が作ったものは、私のもの』という論理に従えば、人類の努力によって産み出されたのでは無い物は、誰のものでも無い筈です。
土地、川、動物、木々といった物の所有権を主張するのは、あなたが作った物を私が奪えば泥棒になってしまうのと全く同じで、窃盗行為に等しいでしょう。」(pdf版p40)
「創造者は土地の排他的な所有権など誰にも与えなかった。そして土地に対する権利は誰に対しても平等で不可侵でなければならないのだ。土地を使う者にとっては、彼の労働の生産物を収穫するために安全な土地の保有が必要なのだから、排他的な土地の所有権がなければなっらない。しかし、彼の所有の権利は万人の持つ平等な権利によって制限されなければならない。そしてそのために、所有者に与えられた特別な価値ある特権と等価値を、コミュニティに支払うことを条件としなければならない。」(pdf版p44)
ロックやルソーの啓蒙思想で主張された所有権は、土地は神の創造物として共有であるが、労働を加え土地を耕し収穫することによって所有権が成立すると考えます。しかし著者の場合、ロックやルソーと比較しているわけではないが、プルードンやゲゼル等の影響を受け、所有制度は人間がコミュニティや土地・自然から分離された結果として「疎外感や分離感の現れ」であり、そこから欲望の増大と「利息を産み出すマネー」の働きが加わって生じたものと考えます。とりわけマネーについては「共用財の死骸」と述べて人間の豊かさを損なう原因と捉えている。
ルソーは、「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宜言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、政治社会(国家)の真の創立者であった。」と『人間不平等起源論』で述べているが、著者の場合は所有権を、労働に伴うべきものと考えている。ルソーのように個人の土地所有そのものを根源的なものと考えるのではなく、著者のように自然の土地・資源の所有をコミュニティ的なものと考え、労働に所有が伴うと考えるのが縮小社会では望ましいのではないか。そうすれば、土地やマネー自体から個人の不労所得や、労働以上の所得が倫理性を越え、格差是正の必要性を理由づけすることができるのではないでしょうか。
⑥
マネー(市場)経済の縮小と贈与(互恵)経済の拡大
「本書の中で、私は数十年から数世紀にわたって続く景気後退を、経済のマイナス成長、経済の縮小と呼んでいる。今日では、”景気後退”という言葉がネガティヴな印象を持っていることは明らかだ。だが、実際には、ただ、減少の時を意味するだけなのだ。私は、惑星のために私たちが何かを犠牲にしなければならない、と言っているのではないことを、特に協調しておきたい。むしろ、私たちは、マネーの役割を減らすだけでいいのだ。私たちが、将来、人々の共有(human
sharing)のモードを多様化すれば、経済成長は今日と同じ意味を持たなくなるのだ。私たちは、より利他的になったり自己犠牲を払ったり、他のもののために自分自身の利益を慎んだりする必要はない。私たちは、どれほど強くマネーと自己利益の方程式に縛られていることだろう!しかし、もはやそうではなくなるのだ。」((pdf版p159))
「これら[住宅と都市設計]の変化はみな、経済的縮小を引き起こす。道路、ガソリン、材木などの”
商品”が少なくて済むからだ。活気に満ちた公共スペースが増えれば、人々は巨大な私的スペースに住む必要性が少なくなる。コミュニティの中で生活する人々は、外部で作られた娯楽に頼ることも減り、お互いに分かち合い支え合う機会が増えていく。これら全てが意味するのは、マネーを介した行動の減少である。」(pdf版p183)
次の(2)の異論で述べるように、『聖なる経済学』には説得力を欠く前提もありますが、著者の洞察力と気高い理想主義は、驚嘆に値するものです。
今日先進国のマネーは、景気回復(デフレ解消)と称して「金融緩和(マネー増大)」が大規模に行われ、実体経済以上に増加しています。中央銀行がマネーを印刷するから、どんどん投資と消費に使い、経済成長(インフレーション)を引き起こせというわけです。しかし、著者が言うように、マネーは、経済成長に合わせて流通させるべきでなく、むしろ経済の縮小に合わせて「マネーの役割を減らす」べきなのです。
GDP中心の経済成長ではなく、人びとの分かち合い(助け合い)のモードを多様化し豊かにすれば、人びとの人格的なつながりが増し、生活が充実するだけでなく、経済成長重視の考え方自体が意味を持たなくなるだろうというわけです。著者は、現在そのような傾向は、福祉社会を目指す動きやコンピュータの活用によってすでに進行していると、さまざまの例を示しています。高齢社会になりマネーで老後を快適にという幻想を抱いて、コミュニティから離れ、人間の心を欺くマネーを握って死んでいくほど寂しく空しいことはないでしょう。
著者は、マネーを介した行動は、住宅や都市設計の在り方をコミュニティ中心に変えることによって縮小できると考えます。「コミュニティの中で生活する人々は、外部で作られた娯楽に頼ることも減り、お互いに分かち合い支え合う機会が増えていく」というように、コミュニティを破壊して心の豊かさを奪い、分離と欠乏をもたらした歪んだ産業社会は、地球的規模の資源枯渇と環境激変の危機に直面して見直されるべきなのです。
GNPによって表現される経済成長・拡大は、心豊かで統一された人間性と平和で友好的な社会、それに厳しいながらも多様で豊穣な自然の破壊につながっています。現代人は物質的生活の豊かさ、すなわち快適性と利便性の追求に駆り立てられています。そのため人間性の本質である言語性・精神性・道徳性の放棄を強いられ、他者を思いやる心や永続的な幸福の追求を疎外するような、利己的で不安な社会を創り出しています。
本来マネーは、ビジネス的増殖の手段ではなく、交換を円滑にする便利な流通手段です。ところがマネーを用いて権力的に市場操作が可能であることから、経済活動は大きく歪められ、貨幣価値そのものの変動を利用して利殖する金融システムが生まれました。通常の商品交換における非対称的交換(すなわち不等価交換)による資源の歪んだ移動が、マネーシステムとして拡大し経済成長を推進し、また破壊してきたのです。
それに対し、著者の考えでは、人類社会のコミュニティのつながりを深めることが、マネー(貨幣)経済システムへの依存を縮小し、過剰な需要を減らし人間社会に互助互恵の関係をもたらすことになります。著者によれば、このような社会の移行、過渡期の時代は「新しい時代の誕生、来るべき人類の試練の時代」となります。そして人間性の自覚と危機意識の高まりによって、この危機の原因と解決の処方箋が人びとに自覚され広まるならば、地域のコミュニティは地球全体のコミュニティとなり「持続可能な縮小社会への道」は、案外容易に開かれるかもしれません。
近代産業社会は人と人との直接的つながりを壊し、他人を自己(資産・マネー)の営利(増大)のために利用しようとし(万人の万人による闘争・ホッブス的世界)、マネー(市場)と科学技術ですべてを解決しようとしてきました。そこに人間の直接的相互関係でなく、貨幣を媒介とし貨幣に依存する社会、資本主義的大衆社会が形成されました。
その背景には、マネーを導入し市場経済を活発化して競争と対立を煽り、人間を分離させる利己的功利主義の経済学やキリスト教に由来する自由平等の天賦人権思想、そして西洋思想に特有のロゴス(言語)中心の合理(理性)主義にあります。これら経済・宗教・哲学における思想的閉塞状況(破綻)は、今日では明白になっています。『聖なる経済学』が共感・同意するに値する優れた洞察を示しているにもかかわらず、西洋思想の限界を克服できないため、次の(2)で述べるような結合させるイデオロギーの欠如による違和感があるのはそのためです
以上が『聖なる経済学』に対して私が共感できる要点です。著作の内容が多くの論点を含むので、すべてを言い尽くせませんが、また長くなるので以下の項目は次回に続けます。
(2)異論・反論のある点、
①
生命が与えられたものであることは本当か
② 人間本性の「感謝」と「贈与」の位置づけは正しいか
③
未開社会の贈与の捉え方、ユートピアは存在したのか
④ 「分離」は楽園追放か、言語による分離から創造的統合へ
⑤
マネー悪玉論で問題は解決するのか
⑥ その他
(3)縮小社会のためにさらに検討が必要な点
①
市場と利潤・利子、市場倫理と交換的正義(非対称的交換の洞察)
② 世界政府または国家と分配的正義――地球資源の活用と抑制
③
個人的労働能力と報酬・賃金・所得――歴史的社会的資源の公正利用
④ 政治・経済的調整における社会的責任と民主主義
⑤
格差問題――自然と人為の格差、自由・平等と格差
⑥ 自然環境問題と経済学――競争と成長の経済の克服・抑制
⑦
感謝と贈与で浪費と汚染の資本主義を制御することができるか
⑧ 生態学的観点――人間の自然支配をどう考えるか、競争か調和か