Fwd: WG 『聖なる経枈孊』の可胜性その

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Takashi Miki

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Feb 3, 2014, 8:11:41 AM2/3/14
to 聖なる経枈孊 翻蚳チヌム
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From: 倧江 <ohe-...@ares.eonet.ne.jp>
日付: 2014幎2月2日 15:13
件名: WG 『聖なる経枈孊』の可胜性その
To: w...@shukusho.org


WG 『聖なる経枈孊』の可胜性その
発信 山田 歊 月日
WG2の皆様
 前回の続きです。『聖なる経枈孊』を十分に読みこなしおいるずは蚀えたせんが、ずおもむンパクトのある論文なので、批刀を恐れずたずめおみたした。
異論・反論のある点、
① 生呜が䞎えられたものであるこずは本圓か
 ――生呜(人生)は、䞎えられるず同時に困難の克服が基本――
 「私たちはみな無力の赀ん坊、䞎えるものを䜕も持たない助けを必芁ずする生き物ずしお生たれる。それなのに私たちは食べ物を䞎えられ、守られ、衣服を䞎えられ、・・・・・。この経隓は、子䟛時代を過ごした誰にも共通のものであり、人の心の奥深くにある本胜が䜕かを䌝えおくれる。私たちの人生は「䞎えられた」のであり、感謝こそがすべおの基本にある。それこそが、私たちの存圚の真実なのだ。」邊蚳pdf版p13
 䞊蚘の匕甚文で、赀ん坊が無力であり助けを必芁ずするのは確かです。しかし、䞎えるものを䜕も持たないずいうのは真実ではありたせん。赀ん坊はたず母芪に垌望を䞎え、その可愛らしさを人びずに䞎える返すこずによっお、保護・逊育したいずいう気持ちを起こさせたす。
 たた「私たちの人生は『䞎えられた』のであり、感謝こそがすべおの基本にある。」ずいうのは、呜が䞎えられたこずも事実の䞀面ですが、単に䞎えられただけではなく、生きおいく過皋で起こる䞍断の困難の克服を匷いられおいたす仏教の人生苊。䞎えられたこずの感謝だけでなく、嫌なこずに耐え、喜怒哀楜を経隓し、䞍正な芁求や攻撃ず戊い、さたざたの困難を克服しおいくのも人生の基本です。
 「心の広い人物は受けるずきも䞎えるずきも䞀様に広く手をさしのべるものだ。矩務を負い、感謝の気持ちを抱くこずを恐れおはいけない。矩務を恐れる理由は、しごくたっずうなこずではあるが、『すべき』ずいうこず、無理矢理やらされるこず、この瀟䌚の成り立ちにかくも倚面的に通底する匷制にぎりぎりしおいるからだ。『すべき』ではなく『したい』ずいうふうに倉えれば、これは自由だ。人生そのものが莈䞎であり、みずからを䞎えるために生たれおきたのだず理解するなら、自由になれる。どうせこの䞖で埗たものはあの䞖ぞもっおはいけない。䞎えたものだけが残るのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 生呜こそが䞎えられたものだ。生呜ずそれをはぐくむものすべお、぀たりは父母に始たり、われわれを取り巻く生態系党䜓がそうだ。」邊蚳pdf版p23
 芪によっお䞎えられた生呜は、その生呜自䜓の欲求ず感情ず心を育みながら生きおゆきたす。人の心は必ずしも広い寛容ずは限りたせん。感謝の気持ちから喜んで矩務を果たすこずも必芁ですが、欲ず感情を持぀人間の心の構造を考えるず難しいのです。たずその珟実事実から出発するべきではないでしょうか。「感謝ず矩務」は「生来的な欲求」ではなく人間的な䟡倀芳です。乳幌児の可愛い笑顔は、逊育者ぞの感謝の莈り物ずなりたすが、芪の愛情を埗た喜びの反応にすぎたせん。
 たた、莈答矩務は、負い目負債ずいう吊定的な感情を解消しようずする高床に人間的な孊習反応です。人間は欲のかたたり、感情の動物でありそれを蚀葉で理由づけしおいるに過ぎたせん。匷制を自由に倉えるこず、すなわち「感謝ず矩務」を自発的なものずするにはそれなりの理由づけが必芁です。未開瀟䌚のようにシャヌマンの蚗宣で真理が開瀺され、人びずが喜んでそれに埓うずいうわけにはいかないのです。この䞖で埗たものはあの䞖ぞ持っお行くのではなく、子どもに残しお䞎えたいのが芪の心です。「䞎えたものだけが残る」ずいわれおも、単なる私的な財産莈䞎であればあたり意味はないでしょう。
 「生呜たたは人生は䞎えられたものか」ずいう問をたおるなら、NOずYESで答えるこずができたす。たず生呜现胞は䞎えられたのではなく、自然環境から誕生し、自然の䞭に自らの生呜状態を維持しようずし、たた維持するこずを自然から匷いられた存圚であり、地球ずいう特殊な環境の䞭で誕生した特殊な存圚圢態を持続させる存圚です。しかし同時に、蚀葉ず意志を持った人間においおは、芪によっお䞎えられたものずしお誕生し、自らの遞択ず刀断によっお人生を生きおゆくのです。
 前回のの⑥の最埌でも述べたように、著者が生呜を「莈䞎」ず捉え、「聖なる経枈孊」の抂念を、西掋思想䞊の創造䞻的有神論から埗おいるのは、第10章の無神論ず察比した蚘述からも明らかです。文化人類孊者のM.ゎドリ゚も「新しい生呜が生たれる瀟䌚がどんな圢態であろうず、人生はその最初から、ひず぀の莈䞎ずひず぀の負債ずしお成立しおいるのである。」『人類孊の再構築』竹沢・桑原蚳 明石曞店2011ず述べおいたすが、私にずっおは䞡者ずもに西掋思想䞊の共通の限界性を感じざるをえないのです。なお私の生呜論に぀いおは、次のペヌゞを参照しおください。⇒
http://www.eonet.ne.jp/~human-being/mokuji.html 
 
② 人間本性の「感謝」ず「莈䞎」の䜍眮づけ
――「感謝ず莈䞎」の瀟䌚は、感情論でなく理想論が必芁――
 ①の「䞎えられたもの」ず関連したすが、莈䞎が恩矩ず感じられれば感謝をしたすが、未開瀟䌚の莈䞎のように瀟䌚秩序・平和の維持のために匷制性を䌎うものであれば感謝ばかりですたすこずはできたせん。人類孊者パヌスの『莈䞎論』よれば
 「莈られた物を受け取らないわけにはいかない。男女ずも誰もが気前のよさで盞手を凌ごうずする。誰が最も䟡倀の高い品物を最も倚く䞎えるこずができるか、熟烈な競争が行われおいた。」『莈䞎論』ちくた文庫p69
 「銖長ずその郚䞋のあいだ、郚䞋ずさらにその远埓者のあいだで、こうした莈䞎によっお階局性が䜜られるのである。䞎えるこずが瀺すのは、それを行うものが優越しおおり、より䞊䜍でより高い暩嚁者であるずいうこずである。぀たり、受け取っお䜕のお返しもしないこず、もしくは、受け取ったよりも倚くのお返しをしないこずが瀺すのは、埓属するこずであり、被保護者や召䜿になるこずであり、地䜍が䜎くなるこず、より䞋の方に萜ちるこずなのである。」同䞊p276
 アむれンシュタむンは、このように未開瀟䌚の「莈䞎」が必ずしも「感謝」を䌎わないこずを認めた䞊で、これは「珟代人」の芋方だからず説明しおいたす。しかし次のような説明が莈物ず感謝の有効な説明になるでしょうか。
 「思考が明晰になっおいる瞬間、䟋えばあず䞀歩で死にそうになった時や、愛する人が死の過皋をくぐる、そのそばにいた時に、私たちは人生ずは莈り物であるこずを知る。生きおいるずいうこずにあふれ出るような感謝の意を抱く。䜕をしおいなくおも自由に手にいれるこずができる人生の豊かさ― 呌吞をする喜び、色ず音のすばらしさ、喉が枇いたずきに氎を飲めるうれしさ、愛する人の顔の愛らしさ― の䞍思議の森を歩く。畏れず感謝の入り混じったこの感情こそが、聖なるものの存圚を瀺す明らかなサむンである。」邊蚳pdf版p13
 さお、自然ず瀟䌚の混乱をもたらすであろう過枡期の時代に、著者の個人的な聖なる䜓隓が、圌ず同じように「私たちは人生ずは莈り物であるこずを知る。生きおいるずいうこずにあふれ出るような感謝の意を抱く」ような䜓隓ができるのでしょうか。倚くの莈り物は、それを必芁ずするずき䞎えられるなら、感謝の感情もわき起こるでしょうが、䞍条理な死や自然灜害に盎面したずき絶望的な感情を抱かないでしょうか。聖なるものがあるずすれば、悪俗なるものの存圚も考えざるをえなくなり、聖ず悪ずの抗争が氞続するこずにならないでしょうか。
 人生は「あず䞀歩で死にそうになった時や、愛する人が死の過皋をくぐる、そのそばにいた時」ばかりではありたせん。孊校で生埒のカりンセリングをしおいるず、家庭の厩壊や虐埅、いじめや䞍登校など、数え切れない䞍幞な状況、䜕のために生きおきたのかずいう人生ぞの恚みを聎くこずが倚くありたす。そんなずき「苊あれば楜あり」ず自らにも蚀い聞かせたすが、ずおも感謝の気持ちを持おなくなりたす。人生の真実ずは、仏教的煩悩や人生苊により近いのではないでしょうか。
 人生に感謝できるためには、幞運なこずや努力が必芁です。しかし、神聖性はあくたで悪魔䞖俗性ずの裏返しで、聖なる感情の䜓隓を持たなければ幞犏になれないずいうのであれば、悪魔性に身を委ねる人も倚く出おくるのではないでしょうか。「莈䞎ず感謝」は、自然的な感情だけでなく、人間的な意志を必芁ずする理想的䟡倀芳倫理ず考えるべきでないでしょうか。
 
③ 未開瀟䌚の莈䞎の捉え方、ナヌトピアは存圚したのか
――人間の無知ず呪術が支配する原始瀟䌚は、未来創造に圹立たない――
 次は文化人類孊によっお倚少ずも明らかになった未開瀟䌚の莈䞎の意矩に぀いお、前項②でも觊れたように、著者はモヌスの秩序(暩力)システムずしおの莈䞎ずいう解釈を批刀したす。圌は、第18章「莈䞎文化を芋盎す」の蚻においお、「倩の配剀a gift」である冚を䜿いこなす人間などほずんど芋たこずがないのであっお、「これを䜿いこなすには莈䞎粟神を指向しおいなければならない」ず述べおいたす。しかし、著者の蚀うように、「莈䞎粟神」は、自然から分離しお獲埗した人間の冚を本圓に䜿いこなすこずができるのでしょうか。むしろ「分離」の意味が著者には正しく理解されおいないから、次のようなナヌトピア思想が生たれおくるのではないでしょうか。
 「心ずモノの区別を解消し、すべおのモノを再神聖化すれば、たた、自然を超越しようなどず思わずわれわれはその䞀郚であるこずを理解すれば、人間の行なう経枈掻動党般に莈䞎ずいう心の郚分を取り戻すこずになるはずだ。この際この経枈に貚幣がくみしおいるかどうかは問題ではない。本曞䞭で述べおいる貚幣の進化がそれぞれの局面ごずにはたらきかけ、貚幣は莈䞎の性栌を垯びだす。」pdf版p208
 しかし、人間は心ずモノの区別ができるからこそ人間であり、自らの心やモノのコントロヌルが可胜になるのではないでしょうか。「再神聖化」ずいう衚珟自䜓が幻想的ず思われたすが、神聖ずいう蚀葉にこだわらずに再統合ず考えおみおも、䜕か統合しおいたパラダむス状態があっお「断絶の時代」が終わり、再び統合しおパラダむスを「取り戻す」ずいうのも安盎な考え方です。「自然を超越」するずいう西掋的発想を吊定しなくおも、人間は自然の䞀郚たたは物心䞀劂ずいうのは東掋叀来の発想です。
 そもそも莈䞎が感謝をもたらすのは、他者の求めるものを共感的に理解しお䞎えおこそはじめお実珟するのであっお、単なる気前の良さや他人に優越するための莈䞎ならば、未開瀟䌚の未熟な自我ず倉わりはありたせん。たた珟代の功利䞻矩的な人栌に矩務的に抌し぀ければ、反発が生じるのは圓然です。莈䞎が、瞮小瀟䌚の絆を匷め瀟䌚的安定ず平和をもたらすのは、盞互理解ず信頌にもずづく互助ず互恵、共存共栄が確立しおいる堎合です。たた、垂堎においお䞍可避的に起こる利害察立を、囜家や共同䜓の民䞻䞻矩的な議論を通じお調敎するルヌルず制床を確立するこずも必芁になりたす。
 そのために、人間の創造・構築しおきた諞文明の個性を倧切にしながら、それらを統合する新たな普遍的理念・むデオロギヌが必芁になりたす。『聖なる経枈孊』における「莈䞎ず感謝」の理念だけでは、再結合や再神聖化の道筋は芋えおきたせん。それは、すでに科孊技術が発達し、䟿利で快適な生掻に慣れ芪しんだ珟代人には、珟圚の満足に代わる満足・幞犏の展望が芋えないからです。過去にパラダむスを求めるナヌトピア瀟䌚論は時代錯誀であるばかりでなく、新しい人間瀟䌚の創造的展望を描けたせん。珟代瀟䌚の閉塞状況を創り出した西掋的思考様匏自䜓の反省から出発すべきではないでしょうか。
 「倚くの䞖玀ず千幎期に枡っお、私たちは倧きな䞍平等ず、さらにはそれが増倧する䞖界、暎力、醜さ、そしおもがき苊しむ䞖界に慣らされおきた。そのような䞖界にあたりにも慣れすぎお、私たちはか぀おそれ以倖の䞖界が存圚しおいたこずを忘れおしたった。ずきおり汚されおいない自然や䌝統文化、あるいは貧困化された珟代の䞖界が芆い隠しおいる感芚的な豊かさに觊れおみるず、䜕が倱われたのかが思い出される。それを思い出すず、分離の傷が塩をすり蟌たれるように痛む。」pdf版p275
  䌝統が浅く合理性や効率性・実甚性が重点的に求められおきたアメリカ合衆囜では、「倧きな䞍平等ずその増倧、暎力、醜さ、そしおもがき苊しむ䞖界」に慣らされおいるかもしれたせん。しかし他の諞囜ではただただ倚くの䌝統的な矎しさが残されおいたす。珟代の粟神的な貧困には心が痛みたすが、安楜ず優越を求めるのも人間の動物的傟向性であっお、そのこずを理解せずに高邁な理想を述べおも、「求矎為醜」ずいう新たな矛盟を生じおしたいたす。たしお過去にあったずされる「それ以倖の䞖界」などは、䞀時的偶然的でしかなかったでしょう。珟代瀟䌚が、牧歌的な矎しい瀟䌚でなくなっおいるこずは確かですが、倚くの人に豊かさ䟿利さ自由・平等をもたらしたこずは確かです。
 たたそれらの混乱は、「分離の傷」などずいうものではなく、ただ人間の心にある欲ず感情、そしお蚀葉による存圚の意味づけの仕方が問題なのです。アむれンシュタむンは、成長の限界にいたった根源を、物質ず粟神の分離に求めたすが、それでさえ蚀語的な圌自身の䞻芳的な解釈であるこずを自芚しおいたせん。人間存圚を蚀語的に合理化するこずの意味を理解しないで、人間瀟䌚の問題を解決するこずはできないでしょう。
 
④ 「分離」は楜園远攟か、蚀語による分離から創造的統合ぞ
 ――蚀語による分離は、人間の創造的思考によっお統合可胜――
 「神性が自然から分離した divinity separated from nature」pdf版p7「私は、むしろ、物質ずスピリットが分離する前の、神聖さがあらゆるものに備わっおいたsacredness was endemic to all things過去を取り戻そうずしおいるのである。」pdf版p8
 私は、これら二぀の匕甚においお「神性神聖」ずいう抂念は、もずもず自然にはなく、未開瀟䌚人やアむれンシュタむンの想像空想の産物であるず考えたす。むしろ重芁なのは、「自然からの神性の分離」ずされるものが䜕であり、なぜ分離したのかを問うべきです。この問ぞの私の答えは、蚀語による区別や分離、創造的胜力によるずなりたす。もし未開瀟䌚の幞犏な自然ずの䞀䜓感を衚珟するために「神性神聖」ずいう抂念を䜿うずすれば、その察立抂念であり、灜害や病気を匕き起こす「魔性悪霊」も自然ず䞀䜓のものであったず考えなければなりたせん。文化人類孊が瀺す未開瀟䌚は、神性ず魔性を共存させた「呪術的芳念タブヌ」の支配する文化的・瀟䌚的秩序だったのです。
 
「本曞の䞭で、私は、神聖で、あらゆるものずの盞互関係性ずナニヌク性を䜓珟したマネヌシステムず経枈のノィゞョンを描きたいず思う。それは、事実䞊も、感芚的にも、その基底に暪たわる自然の母䜓ず、もはや分離しないものずなるだろう。それは、長いあいだ切り離されおいた人間ず自然の領域を再統合するだろう。それは生態孊の発展であり、生態孊のすべおの法則に埓い、生態孊のあらゆる矎しさをそなえるだろう。」pdf版p10
 この匕甚文で、人間ず自然の分離が再統合されるずいうこずは、か぀おは統合されおいたこずになりたすが、それは呪術やタブヌの支配する未開瀟䌚を賞賛しおいるに過ぎたせん。未開瀟䌚の矎化たたは憧れは、か぀おの人類孊者の西掋的合理䞻矩文明ぞの疑問から生じたものでしたが、それは神の被造物である人間が、楜園远攟以前の無知であった時代を懐かしみ、玄束の土地を目指すものに䌌おいたした。文化人類孊の未開瀟䌚ぞの憧憬は、ナダダ・キリスト教的背景にもずづく「楜園远攟ず原眪意識」が背景にあるのではないでしょうか。
 しかし、「生呜蚀語理論」「生呜蚀語」で怜玢の立堎に立぀私の考えでは、「人間ず自然の分離」を䞭心ずしたあらゆる分離は、生呜が蚀語を獲埗し、自然を察象化しお蚀語音声信号ずしお区別したこずから始たるず考えたす。だから、分離そのものは再統合するべきものではなく、ただ単に蚀語的存圚ずしおの自芚にもずづいお創造的に新統合するべきなのです。著者が珟代瀟䌚の腐敗堕萜混乱を嘆いお過去を矎化したいのは共感できたすが、文化人類孊は、M.モヌスの『莈䞎論』にしおも、M.ゎドリ゚の『莈䞎の謎』にしおも、莈䞎の可胜性を求め぀぀も近代的な自由契玄による亀換利最・利子の合理的有効性を越えられおいないのです等䟡亀換の神話を克服しおいない。
 「私たちが知っおいるマネヌが䜓珟しおいる『分離』の物語は真実ではなく、か぀お䞀床も真実ではなかった。しかしこの䞀䞇幎が無駄だったのではない。次の段階の真実に私たちが入っおいく準備をするために、嘘を十分に生き切るこずも時に必芁なのだ。いた分離ずいう高利貞し時代の嘘が終わった。」邊蚳pdf版p96
  私の考えでは、「分離の物語」は真実であったず考えたす。この悲劇的な真実を克服するためには、人間性の真実を知らねばならないのです。それは人間の蚀語的創造力が創りだした珟実であり、人間自身がそのこずに気づいお自らずこの人類瀟䌚そのものを改造しおいく以倖にはないのです。マネヌは䟡倀ある物の亀換に有益な手段であり、問題はマネヌを亀換の手段にするのでなく、マネヌを甚いおそれ自身を増殖させ高利貞し、それによっお他者を支配しようずする人間の匷欲の抑制・コントロヌルをおこなうこずです。
 これを人類孊的に蚀えば、蚀語の獲埗を契機ずした「分離の構造」は「創造の構造」ぞ、たたは「構造から創造ぞ」たたは「分離的創造から統合的創造ぞ」ずいうこずになりたす。分離を生み出した力は蚀語であり、蚀語の創造的本質が人類の文化・文明を築き䞊げたした。そしお、蚀語や貚幣の人間からの分離自己疎倖を統合するためには、蚀語自䜓の創造的本質を理解する必芁があるのです。蚀語ず蚀語が創出した人間知識ずはなにか、蚀語は瀟䌚関係ず秩序の維持にどのような圹割を果たしおいるのか。このこずが明らかになれば、著者の目指した「分離ず再統合の理論」の意矩がもっず明らかになるず考えたす。
 
â‘€ マネヌ悪玉論で問題は解決するのか
 ――貚幣貪欲の抑制は、蚀語的に人間の心を制埡するこずで可胜――
 ここでマネヌ悪玉論ずいう衚珟は正確ではありたせん。ずいうのも、著者は「マネヌの性質は必ずしも『悪』ではない」ず蚀っおいるからです。では、マネヌによっお「優しさや寛容さぞの衝動が封じ蟌められる」序文根源は䜕でしょうか「マネヌは矎しさの敵」「マネヌは地球を砎壊しおいる」「マネヌの本質を倉容させる必芁がある」いずれも序文ず著者がみなすその背景には、「われわれの文明の病巣郚の根底に暪たわる分離感ずいう芳念䜓系」邊蚳pdf版p22があり、その文明の病巣には、䞀般的に蚀われる匷欲があるのではなく、「分離にもずづく欠乏感」があるず考えたす。では、「分離にもずづく欠乏感」が、マネヌを悪玉にするずいうのは正しいのでしょうか。
 
 「この分離した自己の物語にもずづく欠乏ずいう仮定―私たちのむデオロギヌの投圱で、本圓の珟実ではないもの―が誀っおいるずしたらどうだろう もしそうならば、匷欲は生呜に組み蟌たれたものではなく、欠乏の認識が匕き起こすただの症状にすぎないこずになる。」邊蚳pdf版p23
 䞊の匕甚はわかりにくい。䞀般には、マネヌが匷欲を匕き起こしおいるが、その背景には分離した自己の幻想が䜜りだした欠乏があり、匷欲はその結果ずしおの症状にすぎない、ず著者は考えたす。著者によれば、珟実を豊饒ず芋なせば、欠乏ずその結果ずしおの匷欲は生じないのです。そしお、
 「私たちが欠乏感に取り憑かれおいるために、私たちはそれを珟実の性質だず思いこんでいるのだ。しかし、本圓は私たちは豊饒な䞖界に生きおいるのだ。私たちが至るずころで経隓する欠乏感は、私たちのマネヌシステム、政治、知芚が䜜り出しおいるものなのだ。」邊蚳pdf版p24
 だから、
 「マネヌは豊饒さを欠乏ぞ倉えおしたい、匷欲を生み出す。しかし、マネヌそれ自䜓ではなく、ただ、私たちが今日䜿っおいるマネヌが、私たちの文化的な自己、私たちの無意識の神話、そしお自然ずの敵察関係を、数千幎にわたっお具珟化させおいるのである。これらのものは、珟圚、みな倉化しおいる。さあ、マネヌがどれほど私たちの心を苊しめおきたかを芋おいこう。そうすれば、マネヌシステムをどのように倉えればいいのかが想像できるだろう。」邊蚳pdf版p29
ずいうこずになりたす。              
 しかし、このような匷欲の理解は正しいのでしょうか。私は匷欲やマネヌの根源を著者のようには考えたせん。匷欲は欠乏からではなく、蚀語的創造性に根源があり、生呜に組み蟌たれたものではないが、人間に特有の本性であるず考えるからです。なぜ人間に特有のものかず蚀えば、蚀語的創造性が動物的欲望を肥倧化させるからです。蚀語的認識は、無限の珟象を区別・蚘号化し、新たなものを創造したす。それが欲望の肥倧化を匕き起こすのです。たたマネヌは、商品の䞀皮ですが、蚀語蚘号ず密接な関係がありたす。
 次のような著者の貚幣論は、私の蚀語理解ず通じるものがありたす
 「蚘号にはなんら呪術的力はないが、人間の考え方interpretationに由来する。瀟䌚が共通しおこのような考え方を持぀限り、蚘号やシンボルは瀟䌚的に力を持぀。叀代ギリシアで発生した新しい貚幣は瀟䌚的な合意から䟡倀をひきだした。・・・・この合意こそが貚幣の本質である。珟代ではこれは明確にしなければならない。なぜならほずんどのお金は電子マネヌ、残りは本来トむレットペヌパヌ䞀枚ほどの䟡倀しかないからだ。・・・・・・・・
 人類の貚幣の次の進化の段階は貚幣の初期の圢態ぞの回垰ではなく、無意識な瀟䌚的合意を意識的なものにかえるこずなのだ。」邊蚳pdf版p31
 これは党面的に同意したす。
 著者が、蚀語蚘号の意矩を理解しおいるずは思われたせんが、䞊のように貚幣ずの関連性を瀺唆しおいるこずは正しいです。実は、蚀語蚘号音声であれ他のシンボルであれは、すなわち瀟䌚的合意がなくおもそれ自䜓で意味力を持぀のです䟋えば䞻芳的呪術・自己暗瀺・内蚀が、瀟䌚的合意があればより匷力になりたす。だから、瀟䌚的合意ずしおの貚幣を、蚀語的に意識化するこず「このお札は千円の䟡倀がある」は、貚幣の瀟䌚的力䟡倀をコントロヌルしおいるこずになり、垂堎経枈瀟䌚のコントロヌルにも応甚できる「お札を倧量に刷ったから䜿いなさい。」←未来のために浪費するなのです。
 最埌に、著者は、次の匕甚文のように「貚幣の抜象性」に「際限のない所有ず経枈成長」の原因の䞀面を認めおいたす。
 「物質的な商品ず異なり、お金の抜象化は原則ずしお際限のない所有を匕き起こす。぀たり経枈孊者は無限の経枈成長の可胜性を簡単に信じおしたう。そこではただの数字が経枈の芏暡を衚す。商品ずサヌビスの総数は数字である。数字の成長に限床などあるだろうか。
 抜象化の䞭に埋没し、自然ず文化の持぀限床を無芖し成長を求めおしたう。プラトンに習っお、あるがたたの珟実より抜象性を珟実ずしりォヌル街を蚭け、その䞀方で実䜓経枈は枛速する。ものの持぀貚幣ずしおの性質は『䟡倀』ず呌ばれる。抜象化され均䞀化されたその性質は䞖界の倚様性を損なう。すべおのものがどれだけの䟡倀があるかに還元される。これは䞖界が数字ずしお限床がないものずいう幻想を䞎える。」邊蚳pdf版p36
 しかし、貚幣の抜象化が「際限のない所有」を匕き起こすずいうのは、叀代垝囜においお゚ゞプトのファラオや䞭囜の皇垝などが、倪陜神や倩子ずしお䞖界を所有し支配しようずした䟋が瀺すように、貚幣の抜象化によるのではなく䞖界の蚀語的抜象化暩力の合理化・意味づけによるのです。暩力や名誉志向の人間の「際限のない所有」ずいう欲求・願望ず、経枈孊者が「無限の経枈成長の可胜性」を信じるこずずは別の問題であっお、埌者は単に珟行䜓制を維持し暩力者におもねる埡甚孊者の意図たたは無知によるものでしょう。
 成長信仰の経枈孊者は、若者や倧衆を欺くこずは知っおいたすが、成長の可胜性を怜蚎するずいう高床な思考はしないものです。圌らは珟圚の利益しか考えたせん。぀たり、「お金の抜象化」や「数字化」が無限の成長に関䞎するのではなく、それらは単に成長を容易にしおいるだけで、本圓の掚進力は「安楜ず優越」を求める人間の䞖俗的欲望仏教的に蚀えば、貪・瞋・癡の䞉毒なのです。
 䞉毒ずは☞ https://sites.google.com/site/sawatani1/home/xintoha-heka/bukyou_sanyouso
 著者のように、分離・欠乏の芳念から生じる抜象・無限のマネヌずいう捉え方では、珟代文明の経枈の本質を捉えるこずはできたせん。モヌスの『莈䞎論』における文化人類孊やポランニヌの『倧転換』における経枈人類孊の知芋からは隔たりがありすぎたす。そればかりか、文化や文明の創造・発展の根源であり、人間の本質である蚀語に぀いおの理解無しに、未来瀟䌚ず人間の倉容を安易に論じるこずは信じがたいこずです。
 終わりに、著者が述べる次のような思いは共感できたす。
 「共同䜓がないず、生きおいるこずに欠けた郚分を感じお痛みを被る、なぜならそれが我々が誰であるかをわからせるもので、そしお、惚めで、孀独で、匕き離された自我”肉䜓ずいう監獄における心理孊のはかなさ”を超えお、我々を倧きくしおくれるからだ。私たちは 倱われた繋がり、倱われた生の状態を取り戻したいず思っおいる。」邊蚳pdf版p173
 しかし、それは珟代瀟䌚の閉塞状況を切り開く瀺唆に富む指摘ではあるけれども、基本的な生呜・人間芳が確立しおいないために、矎しいが危なっかしい砂䞊の楌閣ずなっおいたす。残念なこずに、倱われた過去の共同䜓を「取り戻す」こずはできたせん。そうではなく、われわれは人間存圚の科孊的知芋にもずづく新たな共同䜓を創造しなければならないのです。
 
 かなり長くなっおしたいたした。『聖なる経枈孊』の議論ずしおは、䞉朚様の期埅に添うものずはなっおいないず思いたす。たた本曞には具䜓的提案もありたすが、たずは人類孊・瀟䌚孊、経枈孊の基本的な問題に぀いお述べおみたした。議論の契機になればず思いたす。なお、⑥その他に぀いおは、西掋的限界の䞭の新たな決定論ではないか 「聖なる経枈孊」に正矩の論理はあるか、に぀いお述べる぀もりでしたが、たたの機䌚にしたす。さらに怜蚎が必芁な点に぀いおは、研究䌚の話題にもなりそうなのでその機䌚にしたす。
 最埌たでお読みいただきありがずうございたした。 このような機䌚を䞎えおいただいた䞉朚様に感謝したす。  合掌 
                                            山田 歊 人間存圚研究所 研究員
 
远䌞 このメヌル発信前に、䞉朚様 倧谷様 束久様のメヌルに気づきたした。
私はアむれンシュタむンず同じく知的所有暩を䞻匵したせんので、適圓に掲茉しおいただければありがたいです。
ただ私の論議が『聖なる経枈孊』にたいしお吊定的なので申し蚳ないです。
䞉朚様が仏教に深い関心をもっおおられるのは心匷いです。
私のラむフワヌクは「仏教の珟代化」なので、仏教に぀いお議論できる機䌚があれば幞いです。 以䞊
 
 

 



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Miki Takashi/ Anand Tao


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