おはようございます。
これから沖縄出張です。
ということで、皆さんが疲れてお昼かなというころには
ビーチで思索です。深い深い思索にふけります。見ている人には
一見眠り込んでいるようですが、違います。睡眠学習です。
ひたすら鍛えてきた技ですから、素人にはただ寝ているようにしか
見えないでしょう。
さて、マイナス金利です。何度も論じられてきました。
ヒャエル・エンデによる児童文学作品「モモ」では、
イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。
で、
エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だった。
ウィキペディア
というのもあります。より理論的にはわれらが菊池さんも翻訳に加わった
「聖なる経済学」があります。全文がネットで公開されていますのでご確認ください。
そのうち、マイナス金利についてピックアップして検討します。
まず、なぜマイナス金利を主張するのか、それを確認しましょう。
「現在のリスクフリーのプラス金利の通貨システムで起こっている、ただ
所有しているだけの者がそこから利益を得ることは、不正義である。」
という認識が基本です。その基本から次のように論理展開します。
「不都合を被るのは、蓄えを持っている人々だけなのだ。債務を負っている人にとっては、実際には利益になるのだ。普通の人々が恐れるのは、収入インフレを伴わない価格インフレなのだ。もし、価格と収入の両方が上昇すれば、インフレーションは本質的に遊んでいるマネーへの課税になる。富裕層から取り上げる再分配であり、利息の効果の反対の作用をもたらす。 後にマイナス金利のマネーシステムを考察するとき、再びこのインフレーションの好ましい側面を検討しよう。」
実質利率=名目利率-インフレ率 ですから、名目利率 < インフレ率 であれば
実質金利はマイナスとなります。アベノミクスで懸念されているように賃金上昇無く、インフレーションがおきれば、これは働く人への大打撃です。ですが、インフレーションと同時に賃金上昇が起きれば貨幣価値は減価して、有産階級は打撃を受け労働者階級は守られます。
これが根本発想で、これによって遊休資産への課税となり富裕層への課税になるという主張になります。
そうでしょうか。富裕層は現金で資産を保有していません。その多くは株式など金融商品に投資されています。そして、インフレヘッジになるのが株式だとされています。つまり、富裕層はインフレーションでも、株式投資を通じて資産効果でインフレヘッジ出来てしまうのです。
実際に困窮するのは、預金とか国債とかニアマネーで資産蓄積している年金世代です。現役の時の蓄えで老後を過ごす年金世代にインフレはもっとも深刻な打撃を与えます。だから私はインフレ待望論に反対しています。これは年金世代への課税に等しいのです。
インフレ政策は富の再配分をもたらします。それは債権者から債務者への資産の移転を意味しますが、その債権者の実態は年金世代です。エンデ達の想定する富裕層ではありません。富裕層は株式投資などでインフレヘッジしているのです。むしろ、資産効果でインフレーションで儲けることも可能です。インフレーションによるマイナス金利政策は、富裕層ではなく年金世代に打撃を与えます。
ゲ ゼ ル は 、 通 貨 の 腐 敗 を 、 マ ネ ー の 交 換 媒 体 の 機 能 と 価 値 の 蓄 蔵 機 能 を 切 り 離 す 工 夫 と して 擁 護 し た 。 マ ネ ー は も は や 物 理 的 資 本 よ り も 好 ま れ る と い う こ と は な い だ ろ う 。 そ の 結果 、 彼 は 、 交 換 対 象 と な る 十 分 な 商 品 が あ り な が ら 、 そ れ と 交 換 す る マ ネ ー が 不 足 す る ため に 起 こ る 人 工 的 な 欠 乏 と 経 済 的 衰 退 が 終 わ る こ と を 予 見 し た 。 こ の 提 案 に よ れ ば 、 マ ネー は 循 環 を 余 儀 な く さ れ る 。 マ ネ ー を 持 つ 者 に は 、 も は や 、 欠 乏 が 、 実 物 資 産 か ら の リ ター ン が 利 息 を 上 回 る ポ イ ン ト ま で 引 き 上 が る の を 待 っ て 、 マ ネ ー を 経 済 か ら 隔 離 す る イ ンセ ン テ
ィ ヴ は 働 か な い 。 こ れ が 、” フ リ ー マ ネ ー ” と 呼 ば れ る 第 2 の 理 由 で あ る 。 富 裕 層の コ ン ト ロ ー ル か ら 解 放 さ れ て 、 マ ネ ー は 今 日 の よ う に 巨 大 な よ ど ん だ プ ー ル の 中 で 凝 固す る 代 わ り に 、 自 由 に 循 環 す る だ ろ う 。
この記述は私には読解不可能です。翻訳を点検する時間は無いのですが、ここの翻訳は要検討と思います。
私はマルクスの貨幣論に依拠しています。商品から貨幣へと生成し、世界貨幣に至る貨幣論です。かれはまた、こうした試み、こうなればヨイのにという議論を空想的社会主義としています。また、このような空想的な経済学が「貧困の経済学」と称したのに対して
「経済学の貧困」と揶揄しています。たんにこうなればヨイと語るのは素敵なことです。人は夢見る権利があります。ただし、それは経済学ではありません。
柴田武男
これから沖縄出張です。
ということで、皆さんが疲れてお昼かなというころには
ビーチで思索です。深い深い思索にふけります。見ている人には
一見眠り込んでいるようですが、違います。睡眠学習です。
ひたすら鍛えてきた技ですから、素人にはただ寝ているようにしか
見えないでしょう。
さて、マイナス金利です。何度も論じられてきました。
ヒャエル・エンデによる児童文学作品「モモ」では、
イタリア・ローマを思わせるとある街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人自身をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで奪われた時間を取り戻すというストーリー。
で、
エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だった。
ウィキペディア
というのもあります。より理論的にはわれらが菊池さんも翻訳に加わった
「聖なる経済学」があります。全文がネットで公開されていますのでご確認ください。
そのうち、マイナス金利についてピックアップして検討します。
まず、なぜマイナス金利を主張するのか、それを確認しましょう。
「現在のリスクフリーのプラス金利の通貨システムで起こっている、ただ
所有しているだけの者がそこから利益を得ることは、不正義である。」
という認識が基本です。その基本から次のように論理展開します。
「不都合を被るのは、蓄えを持っている人々だけなのだ。債務を負っている人にとっては、実際には利益になるのだ。普通の人々が恐れるのは、収入インフレを伴わない価格インフレなのだ。もし、価格と収入の両方が上昇すれば、インフレーションは本質的に遊んでいるマネーへの課税になる。富裕層から取り上げる再分配であり、利息の効果の反対の作用をもたらす。 後にマイナス金利のマネーシステムを考察するとき、再びこのインフレーションの好ましい側面を検討しよう。」
実質利率=名目利率-インフレ率 ですから、名目利率 < インフレ率 であれば
実質金利はマイナスとなります。アベノミクスで懸念されているように賃金上昇無く、インフレーションがおきれば、これは働く人への大打撃です。ですが、インフレーションと同時に賃金上昇が起きれば貨幣価値は減価して、有産階級は打撃を受け労働者階級は守られます。
これが根本発想で、これによって遊休資産への課税となり富裕層への課税になるという主張になります。
そうでしょうか。富裕層は現金で資産を保有していません。その多くは株式など金融商品に投資されています。そして、インフレヘッジになるのが株式だとされています。つまり、富裕層はインフレーションでも、株式投資を通じて資産効果でインフレヘッジ出来てしまうのです。
実際に困窮するのは、預金とか国債とかニアマネーで資産蓄積している年金世代です。現役の時の蓄えで老後を過ごす年金世代にインフレはもっとも深刻な打撃を与えます。だから私はインフレ待望論に反対しています。これは年金世代への課税に等しいのです。
インフレ政策は富の再配分をもたらします。それは債権者から債務者への資産の移転を意味しますが、その債権者の実態は年金世代です。エンデ達の想定する富裕層ではありません。富裕層は株式投資などでインフレヘッジしているのです。むしろ、資産効果でインフレーションで儲けることも可能です。インフレーションによるマイナス金利政策は、富裕層ではなく年金世代に打撃を与えます。
ゲ ゼ ル は 、 通 貨 の 腐 敗 を 、 マ ネ ー の 交 換 媒 体 の 機 能 と 価 値 の 蓄 蔵 機 能 を 切 り 離 す 工 夫 と して 擁 護 し た 。 マ ネ ー は も は や 物 理 的 資 本 よ り も 好 ま れ る と い う こ と は な い だ ろ う 。 そ の 結果 、 彼 は 、 交 換 対 象 と な る 十 分 な 商 品 が あ り な が ら 、 そ れ と 交 換 す る マ ネ ー が 不 足 す る ため に 起 こ る 人 工 的 な 欠 乏 と 経 済 的 衰 退 が 終 わ る こ と を 予 見 し た 。 こ の 提 案 に よ れ ば 、 マ ネー は 循 環 を 余 儀 な く さ れ る 。 マ ネ ー を 持 つ 者 に は 、 も は や 、 欠 乏 が 、 実 物 資 産 か ら の リ ター ン が 利 息 を 上 回 る ポ イ ン ト ま で 引 き 上 が る の を 待 っ て 、 マ ネ ー を 経 済 か ら 隔 離 す る イ ンセ ン テ
ィ ヴ は 働 か な い 。 こ れ が 、” フ リ ー マ ネ ー ” と 呼 ば れ る 第 2 の 理 由 で あ る 。 富 裕 層の コ ン ト ロ ー ル か ら 解 放 さ れ て 、 マ ネ ー は 今 日 の よ う に 巨 大 な よ ど ん だ プ ー ル の 中 で 凝 固す る 代 わ り に 、 自 由 に 循 環 す る だ ろ う 。
この記述は私には読解不可能です。翻訳を点検する時間は無いのですが、ここの翻訳は要検討と思います。
私はマルクスの貨幣論に依拠しています。商品から貨幣へと生成し、世界貨幣に至る貨幣論です。かれはまた、こうした試み、こうなればヨイのにという議論を空想的社会主義としています。また、このような空想的な経済学が「貧困の経済学」と称したのに対して
「経済学の貧困」と揶揄しています。たんにこうなればヨイと語るのは素敵なことです。人は夢見る権利があります。ただし、それは経済学ではありません。
柴田武男