「やさしい仏教医学」という本

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wo3

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Oct 4, 2009, 9:32:16 AM10/4/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

先日たまたまネットで見かけて、中古があったので取り寄せた本です。
ビハーラでの議論に関係ある内容と思い、ご紹介しようと思いました。
著者の杉田暉道氏は医師であり浄土宗律師でもある方だそうです。
いわゆるビハーラと関わっておられるかどうかは分かりません。

タイトルに非常に惹かれて手に入れたわけですが、まだ最初の40ページほど読んだだけです。
看病用心鈔や耆婆、アーユルベーダの紹介などについて読みました。

まだ読みとおしていない段階ですが、目次を見ると、医学とは言いながら看護学についても述べているようです。
ビハーラにおいては「仏教看護」という術語を用いることが多いようですが、この本では「仏教医学」です。
これがどのように関係するか、あるいは関係しないか。
そこでふと思ったのですが、仏教関係の書籍では、看護学が医学の下位領域として扱われているように見えることが多いように思います。確かに医療実務にお
いて看護師は医師により指示監督を受けるという意味で下位なのですが、それを学問の世界にまで広げて考えているということかもしれません。

wo3

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Oct 16, 2009, 9:13:18 PM10/16/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

この本は以前から読んでいますが、私に経典の知識がないために、どうも何かつかみどころがない感じがするので、優先順位が下がり、読む速度が本当に遅く
なっています。ただ、ちょうど昨日少し読んだところで「仏教の看護学」という一章に出会い、気になった個所があるのでご報告しようと思います。

ここでは、「梵網経」「十誦律」「摩訶僧祇律」という経典を参考にしながら、次のように結論付けています。曰く、「患者を医療の中で、医師、薬物、看護
人、患者の四本柱の一つとして重要視していたことが分かる。すなわち患者の自覚が治癒に大きな影響を与えることを十分に認識していた。」(p.53)
と。この文脈では、医療における患者の立場・役割が重視されているようです。なお、この本は1997年発行ということです。

ビハーラの議論においては、患者の重要性に関しては、今さら論じるまでもない前提となっています。しかし、私たちの議論においても、医師と看護人が既に
別々のものとして扱われていることは注目に値するかもしれない、とは思いました。

「仏教医学」という題名の書物の中に「仏教の看護学」という一章が収まっている、ということに関しては、別の機会に論じることができるかもしれない、と
思います。

随念院

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Oct 16, 2009, 11:09:23 PM10/16/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん
興味深い本です。
、「梵網経」「十誦律」「摩訶僧祇律」には、仏教医療・看護の事例がたくさん出ている資料です。それを踏まえての論述は傾聴すべきであると思います。
原始仏教はその性格上、どうしてもワーカー主体となります。それが大乗仏教になるとクライエント主体になります。
「患者の自覚」がおおきな要素となるのはそういうことだと思います。
十分理解できないまま論述してしまったのですが、拙著p.163以下の「攀縁」という概念が関係してくるように思います。
医学と看護学の問題はこのことに関連して、また問題が展開してくるように思います。
我々は、どうも一泊研修会でもやらなければならなくなりましたね。

wo3

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Oct 17, 2009, 7:25:55 AM10/17/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、「ワーカー主体」から「クライエント主体」へ、というお話と、「患者の自覚」のお話とのつながりが、看護に関する仏教的な考え方に関係す
る、という文脈は、この本を読んで確かに腑に落ちます。

しかし残念なことに、この本の「看護」に関する記述は、今のところここで止まっています。今日はこの後に続く「仏教医学の治療」という一章を読んだので
すが、ここでは、ブッダが入団希望の出家僧に対して、健康診断やいくつかの治療を実際に施したこととか、耆婆という侍医の存在により、多くの場合はブッ
ダ自身が手を下すことはなかった、というお話ばかり出てきました。

つまりここでは、ブッダまたは耆婆が患者に対して薬物を与えたり、何らかの治療的な干渉を行い、その結果、治癒したとか、しなかったという顛末が書かれ
ているばかりです。治癒に至る経緯とか、結末に至るまでの日常生活や、様々な人間模様のような部分にまでは触れていません。ブッダが患者の下の世話をし
たという逸話もありません。

まだ読了したわけではないので分かりませんが、患者の療養生活における「経過観察」に相当する記述が全然見られないことから、看護に関する記述はこれ以
上望めない可能性もあります。そもそも経典というものは、そういう目的の書物でもないのでしょうし。ただ、ずっと後に「看病用心鈔」という文献に触れる
一章もあるようですので、そこに期待したいと思います。ただし実際に読むのはずっと先になるかもしれません。

ところで、「p.163以下の「攀縁」」についても読み直しました。最初に随念院先生がご説明された解釈と、後からホスピス医師の方がご提案された解釈
との関係が、ここでは結論に至っていないようですね。確か、別のところで、ホスピス医師の方の解釈に気付かされた、といったお話を随念院先生がしておら
れたように思いますが、ちょっと失念しました。

ここで雑談の域に入り恐縮ですが、私が読み直しながら思ったのは、健康保険制度における医療では、医師の診断に基づく保険病名がなければ給付もないのだ
から、なるたけ給付がつくように病名を考えるのが現実的対応というものであり、関係者が「攀縁」を気にかける状況は考えにくかろうなあ、ということでし
た。そんな度胸はなかなか持てないと思います。「攀縁」にまつわるお話は、病気になってからでは遅くて、病気になる前の健常者、特に子供たちに分からせ
ないといけないのではないか、と思います。うまくいけば医療費削減に貢献するかもしれません(冗談です)。ちょうど、死生観教育についても同じことを考
えます。そうなると、ここは保健師の出番かな、とも思います。

「我々は、どうも一泊研修会でもやらなければならなくなりましたね。」

まさにそうですね。日程が合えば、ぜひ参加させていただきたいです。京都の先達に習いながらも、中津独自の視野が開けてくることを期待します。最初は、
必要な資料を整理する目的だけで時間いっぱいになる可能性もあるとは思いますが。

随念院

unread,
Oct 17, 2009, 9:07:17 AM10/17/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、そうですか、それ以上詳しくありませんか。確かに、マガダ国の大臣で外科医の耆婆が熱心な信者で、比丘たちの治療を一手に引き受けていたよ
うです。
「十誦律」「摩訶僧祇律」など律蔵(経典ではない)には、教団内の規律ができたいきさつを詳しく書いてあるので、そこに病気や治療・施薬の話もよく出て
きます。ただ、医療や看護を目的に編纂されたわけでないので、おっしゃるとおり限界があります。その背景にある理念を導き出すことは可能かもしれませ
ん。チベット医学はもっと面白いと思います。仏教ではありませんが、共通のバックグラウンドを持つアユルヴェーダ(現代インドでも三分の一以上の病院
は、西洋医学でなく、アユルヴェーダの病院で、開業医も同様)も興味深いところです。
田畑先生がどこの講演でも力説しておられるように、医学と仏教の協力をもっと推し進めなければなりませんね。
攀縁は予防医学に関わるかもしれませんが、教えられたところでは、私と私の病気の関係にも応用できそうです。
一泊でなくとも、朝から夕方まで、プログラムを組んで研修する機会でももてるといいと思います。
一晩語り明かすのもいいですね。

wo3

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Oct 18, 2009, 7:26:49 AM10/18/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、思わぬところで知識や気付きを与えてくれているこの本ですが、読み進むにつれて、またもや急展開がありした。そこで、読んだままを感想と共
に述べたいと思います。よろしければ、事実関係等が合っているかどうか等、ご教示ください。

先に「仏教医学の治療」という一章を読みましたが、これに続く「仏教教団の一日の過ごし方」という章では、ブッダが教団を始めた当時の僧侶たちについ
て、衣類、起床、歯木、食事、洗浴、水、便利(用便)、臥息(就寝)という項目ごとに、詳しく説明がありました。托鉢では、自分の一日に必要な量以上を
求めないことや、物を恵んでくれる在家信者の負担を軽くするために、できるだけ空腹でいること、糞掃衣を着ることなど、当時の戒律の厳しさを改めて思い
ました。また、牛の糞を清潔のために用いることなど、日本との文化の違いを感じさせる説明もありました。

さて、今回の急展開はここからです。

次に来るのは「日本における仏教医学」という一章で、ここの説明から、以前、随念院先生がおっしゃっていた、「医療と福祉を同一視する」という文脈の背
景が明らかに見えてくる説明に出会いました。

そこではまず、最初に日本に仏教が伝来したときは、百済政権と大和政権との間での、国家戦略の手段の一つとして入ってきた経緯が簡単に述べられていま
す。このため、最初の僧侶は今で言う国家公務員であり、官僧であったこと。いくらか間を省きますが、この官僧が権力や身分と引き換えに、「穢れ」を忌避
する義務を負っており、これに不満を持った一部の僧侶たちが、公権力の保護を離れて遁世僧となり、自由に「穢れ」の世界に触れ始めたところから、新しい
仏教の時代も始まった、ということ。

そして、この官僧→遁世僧の流れにおいてキーワードになった「穢れ」とは、非人、女人、死者であり、彼らを救済する活動を遁世僧が始めたことが、福祉で
あり、医療でもあった、ということでした。ここに明らかに、医療と福祉の原始的融合が説かれています。葬式もここから始まったと書かれています。

遁世僧については、法然や栄西といった有名な振興仏教の始祖たちと並んで、特に「叡尊」「忍性」という名前が登場します。私はこの名前を初めて知りまし
た。重要な人名なので、敢えて「」を付けました。「叡尊」が「忍性」の師匠にあたる関係だそうです。彼らが癩病患者や貧しい人々への救済活動を始めた経
緯が書かれています。なお、彼らは当時、救済活動の対象者に対して、戒律をちゃんと守るよう求めています。私はこれは重要なことだと思いました。

そしてさらに、とても驚いたことがありました。

それは、彼らの死後、彼らの活動を受け継ぐ人は現れなかったようで、その理由が書かれていたことです。次のように書かれています。「しかし叡尊、忍性の
二人が亡くなると遠からずして真言律宗は衰退の運命をたどってしまった。」

その理由が三つ書かれていますが、その第一は、私が以前から、「現代において医療と福祉を同一視したら社会が持たない」とか、「法曹と医療の根本的な違
いは結果責任の有無にある」とかいう趣旨を通じて、素朴なビハーラ活動は現代医療の現実にはなじまず、元々ある医療崩壊の傾向を促進すらしかねない、と
主張してきた文脈にがっちり一致しています。これが今日一番の驚きでした。

曰く、「その理由の第一は、救療、社会事業の活動を行うに必要な経費、材料および食料を奉仕する施主の考えが、俗人、非人に対する慈悲の精神から自己満
足の気持に変化していった。したがって施しを受ける側にも仏恩に対する感謝の気持が消失し、彼らを貪欲にするだけになった。」と。鎌倉時代に一度起こっ
て潰れていたんですね。とても驚きです。

話が長くなったので、私自身の文脈とどう一致するのかは次の機会に譲りたいと思います。ただ、少なくとも、以下の二つの命題を組み合わせると、どんな結
論が出るか考えてみるべきだ、と結んでおきたいと思います。

1:現代の医療では、患者は施しを受けるのと違って、当然の権利を受け取ることが基本だ、という認識。
2:医療において不確実性は根本原理であり、どれだけうまくやっても必ず何パーセントかの失敗が生じる、という事実。

さて、話は少しずれますが、この章では、「看病僧」と「僧医」が別個に登場し説明されます。これはこれで注目すべきことだと思いますが、別の機会に書こ
うと思います。

なお、この本はまだ読了していません。「日本における仏教医学」という件の一章すら終わっていません。ほんの偶然の出会いでしたが、とんでもない当たり
くじだったのかもしれない、と思います。

随念院

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Oct 18, 2009, 8:59:03 AM10/18/09
to 中津ビハーラの会

> 先に「仏教医学の治療」という一章を読みましたが、これに続く「仏教教団の一日の過ごし方」という章では、ブッダが教団を始めた当時の僧侶たちについ
> て、衣類、起床、歯木、食事、洗浴、水、便利(用便)、臥息(就寝)という項目ごとに、詳しく説明がありました。托鉢では、自分の一日に必要な量以上を
> 求めないことや、物を恵んでくれる在家信者の負担を軽くするために、できるだけ空腹でいること、糞掃衣を着ることなど、当時の戒律の厳しさを改めて思い
> ました。また、牛の糞を清潔のために用いることなど、日本との文化の違いを感じさせる説明もありました。
☆ 上記のとおりだと思います。
> さて、今回の急展開はここからです。
>
> 次に来るのは「日本における仏教医学」という一章で、ここの説明から、以前、随念院先生がおっしゃっていた、「医療と福祉を同一視する」という文脈の背
> 景が明らかに見えてくる説明に出会いました。

☆ この本は古い本のようですが、以下の問題についての学問は、吉田久一先生を始めとして、「日本仏教社会事業史」という学問体系の大きな流れとして、
多くの学者によって研究、確認されています。
>
> そこではまず、最初に日本に仏教が伝来したときは、百済政権と大和政権との間での、国家戦略の手段の一つとして入ってきた経緯が簡単に述べられていま
> す。このため、最初の僧侶は今で言う国家公務員であり、官僧であったこと。いくらか間を省きますが、この官僧が権力や身分と引き換えに、「穢れ」を忌避
> する義務を負っており、これに不満を持った一部の僧侶たちが、公権力の保護を離れて遁世僧となり、自由に「穢れ」の世界に触れ始めたところから、新しい
> 仏教の時代も始まった、ということ。

☆ 平安時代末期から鎌倉時代にかけて、旧仏教新仏教共にこういう動きが出てきました。貴族仏教から庶民仏教へ、そういう庶民の要望が強くなってきたと
いうことでしょう。
>
> そして、この官僧→遁世僧の流れにおいてキーワードになった「穢れ」とは、非人、女人、死者であり、彼らを救済する活動を遁世僧が始めたことが、福祉で
> あり、医療でもあった、ということでした。ここに明らかに、医療と福祉の原始的融合が説かれています。葬式もここから始まったと書かれています。
>
> 遁世僧については、法然や栄西といった有名な振興仏教の始祖たちと並んで、特に「叡尊」「忍性」という名前が登場します。私はこの名前を初めて知りまし
> た。重要な人名なので、敢えて「」を付けました。「叡尊」が「忍性」の師匠にあたる関係だそうです。彼らが癩病患者や貧しい人々への救済活動を始めた経
> 緯が書かれています。なお、彼らは当時、救済活動の対象者に対して、戒律をちゃんと守るよう求めています。私はこれは重要なことだと思いました。
☆ 「叡尊」「忍性」は真言宗の僧侶で、空海のように社会事業に生涯をかけましたが、その運動は次第に弱まりました。彼らは旧仏教の僧侶で、新仏教の流
れには追いつけなかったのかもしれません。

>
> そしてさらに、とても驚いたことがありました。
>
> それは、彼らの死後、彼らの活動を受け継ぐ人は現れなかったようで、その理由が書かれていたことです。次のように書かれています。「しかし叡尊、忍性の
> 二人が亡くなると遠からずして真言律宗は衰退の運命をたどってしまった。」
>
> その理由が三つ書かれていますが、その第一は、私が以前から、「現代において医療と福祉を同一視したら社会が持たない」とか、「法曹と医療の根本的な違
> いは結果責任の有無にある」とかいう趣旨を通じて、素朴なビハーラ活動は現代医療の現実にはなじまず、元々ある医療崩壊の傾向を促進すらしかねない、と
> 主張してきた文脈にがっちり一致しています。これが今日一番の驚きでした。

☆ ビハーラ活動がまだ大きな流れにならないのはそういうことがあるのかもしれませんその辺はこれから勉強していかなければならないと思います。
>
> 曰く、「その理由の第一は、救療、社会事業の活動を行うに必要な経費、材料および食料を奉仕する施主の考えが、俗人、非人に対する慈悲の精神から自己満
> 足の気持に変化していった。したがって施しを受ける側にも仏恩に対する感謝の気持が消失し、彼らを貪欲にするだけになった。」と。鎌倉時代に一度起こっ
> て潰れていたんですね。とても驚きです。

☆ 福祉の限界と言うことをここに感じます。国際援助をすればするほど、途上国に人たちは働かなくなるというマイナスも問題になっていますね。福祉漬の
問題です。しかし、わたしは、このことは社会福祉の限界であって、仏教福祉はそれを超えることが出来るという信念で取り組んでいます。そのことは拙共著
『仏教司法福祉実践試論』信山社 に詳しく触れています。

>
> 話が長くなったので、私自身の文脈とどう一致するのかは次の機会に譲りたいと思います。ただ、少なくとも、以下の二つの命題を組み合わせると、どんな結
> 論が出るか考えてみるべきだ、と結んでおきたいと思います。
>
> 1:現代の医療では、患者は施しを受けるのと違って、当然の権利を受け取ることが基本だ、という認識。
> 2:医療において不確実性は根本原理であり、どれだけうまくやっても必ず何パーセントかの失敗が生じる、という事実。
☆ 1.の考え方は制度的にはそのとおりかもしれませんが、宗教としての仏教にはなじまないと思います。
 2.については、上の文章だけでは私にはその意味が理解できません。

> さて、話は少しずれますが、この章では、「看病僧」と「僧医」が別個に登場し説明されます。これはこれで注目すべきことだと思いますが、別の機会に書こ
> うと思います。
☆ 比丘・僧侶が増えてくると当然分業が起こってくると思います。

> なお、この本はまだ読了していません。「日本における仏教医学」という件の一章すら終わっていません。ほんの偶然の出会いでしたが、とんでもない当たり
> くじだったのかもしれない、と思います。
グーグル検索で出てくると思いますが、日本仏教社会事業史については、吉田久一、長谷川匤信先生の本、空海・叡尊・忍性については、宮城洋一郎先生の本
が有益だと思います。

☆ wo3さんの問題提起はすごいし、大事な問題だと思います。ただ、私にはもう年齢から、それを極める時間がありません。溺れる者は藁をもつかむ、そ
の藁をできるだけしっかりしたものにすることがまず先だと願っているのみです。

wo3

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Oct 19, 2009, 10:22:02 AM10/19/09
to 中津ビハーラの会

随念院先生、「日本仏教社会事業史」や「吉田久一」、「長谷川匤信」という人名で検索してみましたが、10万円位する古書は見つかったものの、3000
円位の手ごろな本を見つけることができませんでした。手ごろそうな本を見かけても、それがズバリの内容かどうか判断するリテラシーを私は持ちません。鎌
倉仏教の起こりを境とする時代の状況に興味がわきましたので、手ごろな資料をもう少し探してみたいと思います。

さて、次にお会いする機会にでもたくさんお話できればよいのですが、今回は特に「医療の不確実性」につきまして情報を補うことにさせていただきたいと思
います。グーグルで検索しますと、たくさんの説明が出てきます。これらの中から、私はとりあえず次の2つの説明を推薦いたします。

「医療の不確実性を理解するということ:日本の医療を荒廃させないために」
http://ameblo.jp/showatti/entry-10061357806.html
「医療の質・安全学会第2回学術集会 鼎談「医療の不確実性と患者安全」
http://www.medsafe.net/contents/hot/113anzengakkai.html

随念院

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Oct 19, 2009, 9:43:46 PM10/19/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、医療の不確実性と言うことの意味がよく分かりました。不確実性と言うことは、医療だけでなく、カウンセリング、更生保護、社会福祉現場であ
りうることですね。やはり、インド古代や日本古代の医療と現在の医療現場を結びつけるのは大変難しいですね。でも、紹介のブログを拝見、お蔭でいい勉強
になります。
:
> 随念院先生、「日本仏教社会事業史」や「吉田久一」、「長谷川匤信」という人名で検索してみましたが、10万円位する古書は見つかったものの、3000
> 円位の手ごろな本を見つけることができませんでした。
☆ 私は専門でなかったので、上記の本は図書館で見てきまして、もっておりません。長谷川匤俊の間違いでした。何か上記に関わるような本があったら、今
度もっていってお貸しします。
いま、ちょうどいい本が見つかりました。シンポジウムの筆録で、長谷川匤俊先生など、日本からインドの仏教、あるいは中村仁高尾病院院長、藤腹明子先生
などの医療・看護関係者複数の共同執筆で、私もコメンテイターの一人として執筆しています。仏教大学仏教とターミナルケアに関する研究会編『いのちの看
取り――仏教的ターミナルケアへの展望――』四恩社・1993年 です。wo3さんが23日に来れないなら、送りますので、ご住所を下記のアドレスに
メールしてください。
yoshimot...@nifty.com
きっとお役に立てる本だと思います。
合掌

随念院

unread,
Oct 20, 2009, 7:42:31 AM10/20/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、私のE-mailアドレスが不完全のようです。もう一度書きます。
yoshimot...@nifty.com
です。

wo3

unread,
Oct 22, 2009, 9:45:56 AM10/22/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

平日の短い読書時間の中で、思いもかけず注目のど真ん中に一瞬上りつめたこの本ですが、昨日と本日、また少し読み進めました。「日本における仏教医学」
という一章の続きです。面白い内容がありましたので、ご報告いたします。

1.「白隠禅師の仰臥禅(寝禅)健康法」
まず、ここでは臨済宗の中興の祖師と言われることもあるらしい、白隠という江戸時代の僧が書いた「夜船閑話」という本で紹介された健康法を扱っていま
す。ここで「禅病」という言葉が出ますが、初めて知りました。禅僧にはお馴染の、誰でも罹る病気なのでしょうか。

2.「穢れの思想と仏教」
次に、ここでは「マヌ法典」という古代インドの法典を取り上げて、古代インドにおける穢れの思想を説明しています。カースト制度はこの穢れ思想の背景と
なるヒンドゥイズムの精神を体制的に表現したものである、とのことです。仏教はこのカースト制度を打破しようとして、逆にインドから追い出された、とあ
ります。
この後、日本の「古事記」、「往生要集」、「起世経」、「地獄草紙」、「餓鬼草紙」、「古事類苑」という文献を例示しながら、日本の穢れ思想を説明して
いますが、このあたりは常識的な説明で、目新しいと思うところはありませんでした。

しかし、その後で日本の現代日本の衛生習慣を解説する中で、とても面白い文章がありました。曰く、「看護婦が、日本では高い社会的地位が与えられないの
は、患者の脂肪、血液、大小便などを扱うと同時に、下半身の世話をするという職業上の役割が影響していると思われる。」と。何とも医師らしい話法だな
あ、と思います。

ところで、以前、この本でも「医師と看護人が既に別々のものとして扱われている」ことに触れました。今回、この部分を振り返ってみますと、「奈良時代の
看病僧、僧医」として次の人々が例示されています。

看病僧;玄昉、良弁、道鏡
僧医;鑑真

私はこの部分を読んで、看病僧と僧医を区別する基準が、よく分かりませんでした。今よくあるステレオタイプとしての男性と女性の区別でもないようです。
決定的な説明はありません。ただ、この本全体の背景にあると感じられる文脈から推測するならば、薬物や外科的手技を用いて治療を行うのは医師、死に向か
う患者が煩悩の虫を騒がせて安らかな死に向かわないために環境調整を行うのが看病僧、といった感じかなあ、と思ったりします。

wo3

unread,
Oct 25, 2009, 8:46:26 AM10/25/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

今日は、先の投稿に述べた「日本における仏教医学」が終わり、続く「仏教医学とターミナル・ケア」という一章の一部を読みました。

1.「死を待つ自覚」

ここではまず、自分自身の来る死に対して、喜んで受け入れようと考え実践した人物として、夢窓国師を挙げて簡単に説明しています。その後、「煩悩でいっ
ぱいである自分をすっかりさらけ出して
自覚する」ことを提唱した人物として、法然と親鸞をあげて詳しく説明しています。

2.「看病用心鈔」

次に、良忠が著した「看病用心鈔」の内容について、11項目にわたって詳しく説明しています。この本は非常に有名なようですが、いつ書かれたか具体的な
時期は示されていません。ただし、著者の良忠は1198~1278年となっていますので、鎌倉時代の本であることは確かなようです。

さて、説明を読む限り、この本の全体的な趣旨は、「この人はもうすぐ死ぬに決まっているのだから、ゆっくり安らかに死なせてあげよう」ということだと感
じました。この発想は、現代の他人同士では非常に難しいでしょうね。「死ぬ」という方向性を医療者(専門職)が予期していることが、患者の親族によって
悟られると、後々面倒なことになる可能性があります。

しかし残念なことに、このニュアンスを第三者は理解することに寛容でない場合が多いようです。「最大限、最善、最先端の処置を施せば、助かった可能性が
ある」という解釈で責められる可能性があります。例えば、中津の病院でも世界の最先端の治療を受ける権利を患者は持っているという前提で裁判は行われま
す。判例も豊富にあります。アメリカの判例はもっと豊富にあり、それらが導いた医療の現実もあります。これらの観点を抜きにしたターミナルケア論は、現
代においては危険極まりない(ただし医療者にとってのみ)としか言えないと思います。

医療者が裁判沙汰を覚悟できるかどうか。まず無理です。民事だけでも難しいでしょうが、刑事の覚悟も必要になるでしょう。

ところで、「看病用心鈔」については、この章での説明をご紹介するより、ネットでたくさん見つかる説明の方が面白い気がしますので、一つご紹介します。
このサイトを詳しく見たわけではないので素性は分かりませんが、絵も入っており、面白そうな気がします。

http://www.buposo.jp/view/pointofnurse.html

随念院

unread,
Oct 25, 2009, 9:18:46 AM10/25/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、このコメントは今まで気がつきませんでした。非常にありがたい紹介です。 2.「看病用心鈔」はおもしろそうですね。でも医療裁判のことを
考えると、確かに問題ですね。
紹介のサイトは面白いと思いました。
それにしても、仏教医学と現代の西洋医学とでは、まだまだ、ずいぶん齟齬がありそうですね。

wo3

unread,
Oct 26, 2009, 8:32:23 AM10/26/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、半分は自己レスのようになりますが、『「最大限、最善、最先端の処置を施せば、助かった可能性がある」という解釈で責められる可能性があり
ます。』の具体例と考えられるニュースがありましたので、医療そのものではありませんが、考え方の問題として、ご紹介いたします。

この側面を考慮して議論しなければ、実践につながりません。

=== === ===

◆救助中に滑落、賠償求め初弁論

積丹岳で遭難し、救助活動中に滑落して死亡した男性の両親が、道警が適切な救助活動を怠ったとして訴えていた裁判で、道警側は訴えを退けることを求
めました。

これは、積丹岳で、ことし1月、スノーボードをしていて遭難した札幌市の藤原隆一さんが、道警の救助活動中に滑落して、死亡した事故を巡る裁判です。裁
判では、藤原さんの両親が、道警が適切な救助活動を怠ったことが事故の原因として、道警側におよそ8600万円の損害賠償を求めています。
きょうの裁判で、藤原さんの母親は、法廷で「救助隊の行動はプロとは言えず、優秀な救助隊に改善されることを望む」と訴えました。これに対して、道警側
は、訴えを退けることを求めました。

(2009年10月26日(月)「ストレイトニュース」)

http://www.stv.ne.jp/news/item/20091026112932/index.html

wo3

unread,
Oct 27, 2009, 10:09:50 AM10/27/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

今日は、「仏教医学とターミナル・ケア」という一章の残り、「現代のターミナル・ケア」という部分を読みました。ここでは、ターミナルケアの定義に始ま
り、告知問題、家族へのケア、宗教との関係などについて、簡単に説明しています。

ここで印象に残るのは、「ターミナル・ケアにもっとも早く目覚めたのは看護婦である」と書いてある事です。どういう意味か、よく分かりませんでした。事
実関係としても、素直には信じられない気がします。また、その後に「看護は生と死のテーマを避けて通ることはできず、正しい死生観を持つように教育する
ことが必要である。」とも書いてあります。「死生観」は多種多様なものであるはずなのに、ちょっと腑に落ちない感じがしました。

さて、ターミナル・ケアと宗教の関係を述べた所では、「患者がが浄土系の信者であれば、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えて、「来迎往生」の心境に患者が至
るように援助する」と書いてあります。具体的にどんな感じなのか、 ちょっと考えましたが想像できませんでした。

総じてこのあたりは、具体的にどうするかという視点に乏しい感じがしました。

そして、この本は残りの一章、「仏教医学の復権に向けて」というテーマで書かれています。

随念院

unread,
Oct 27, 2009, 11:41:09 PM10/27/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、私はその本を読んでいませんので、責任ある発言はできませんが、wo3さんの感想で、気の付いたことをコメントします。

> ここで印象に残るのは、「ターミナル・ケアにもっとも早く目覚めたのは看護婦である」と書いてある事です。どういう意味か、よく分かりませんでした。事
> 実関係としても、素直には信じられない気がします。また、その後に「看護は生と死のテーマを避けて通ることはできず、正しい死生観を持つように教育する
> ことが必要である。」とも書いてあります。「死生観」は多種多様なものであるはずなのに、ちょっと腑に落ちない感じがしました。
☆ 看護師がターミナルの患者さんに接する時間が一番長く、医師は時々見に来るだけ、ターミナルケアの必要性を痛感していたと、昔の看護婦さんから聞い
たことがあります。学会に「仏教医療」でなく、「仏工看護・ビハーラ学会」になったのも、それに関わるかもしれません。
正しい死生観とは、この場合、仏教的ということではないでしょうか。仏教的生活は八正道で、この場合は世間的な正義と言うような意味ではありません。真
理に基づいたということです。正しいとか正義とかいう言葉は、主観的で問題ですね。世間では正義をかざして戦争をしているのですから。
>

> さて、ターミナル・ケアと宗教の関係を述べた所では、「患者がが浄土系の信者であれば、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えて、「来迎往生」の心境に患者が至
> るように援助する」と書いてあります。具体的にどんな感じなのか、 ちょっと考えましたが想像できませんでした。
>
> 総じてこのあたりは、具体的にどうするかという視点に乏しい感じがしました。
☆ たぶん著者は浄土宗の方であると思います。浄土宗の最終目的は、「臨終来迎」です。
『いのちの見取り』の第2回以降、長谷川先生の講演の中の「臨終行儀」、p.192以降の神居文彰氏のコメントを呼んでいただくとわかると思います。長
谷川先生は浄土宗の僧侶で、神居さんは、浄土・天台系の宇治平等院の門主です。

wo3

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Oct 28, 2009, 8:31:20 AM10/28/09
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随念院先生、いつも色々とご教示ありがとうございます。

「看護師がターミナルの患者さんに接する時間が一番長く、医師は時々見に来るだけ、ターミナルケアの必要性を痛感していたと、昔の看護婦さんから聞いた
ことがあります。」

このお話は、私もしばしば聞いたり読んだりすることがあります。しかし、どうも腑に落ちません。と言いますのは、看護師は医師に比べて圧倒的多人数を組
織して24時間体制で患者を看護し、医師は基本的に一人で処方や指示をする、という機能があるからです。冷静に考えてください。それぞれの機能をそれぞ
れに発揮する結果、看護師がターミナルの患者さんに接する時間が一番長く、医師は時々見に来るだけ、というのは当然です。これは印象操作というもので
しょう。件の昔の看護婦には、何かしらの意図を感じます。

なお、この本の著者は1949年に医専卒業によって医師となり、1964年に「浄土宗律師」というお立場になられた方だそうです。

wo3

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Oct 28, 2009, 8:31:49 AM10/28/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

この本の最後の一章「仏教医学の復権に向けて」を読みました。ここではまず、日本人の宗教観に対して、「さまざまな神や仏、菩薩、さらに自然を拝み、現
世利益をお願いして心を癒してきた。」と述べて、多神教的な世界観や自然との共生を強調しています。これにより、日本人の信仰心は決してうすくない、と
主張しています。

次に、「法華経」の「普賢菩薩勧発品」という部分の内容を例に示しながら、病気の「仏罰観」というものについて説明しています。

その後、日本の気候風土に根差した日本人特有の性質をいくつか挙げた上で、それらの欠点を改めて、さらに「菩薩活動」に励もう、と呼びかけています。
「菩薩活動」とは、ボランティアのことだそうです。今日で言うボランティア活動によって、大乗仏教の説く、寛容と慈悲に基づく奉仕活動を実践しよう、と
いうことです。

この中で私の印象に残ったのは「仏罰」という言葉でした。仏罰という言葉自体がどこにあるのか知りませんが、反仏教的な気持ちや態度、言葉に対して、ひ
どい病気になるぞ、という脅しのような文章も経典には書かれていたのでしょうね。

以上、簡単ではありますが、一冊を読み上げました。そこで改めまして、「いのちの看取り」に戻り、その後「ビハーラ維摩経」に続こうと思います。ゆっく
りとした足取りですが、これにより、ネット上の議論が意外に盛り上がり、その結果、様々にありがたいご教示を頂いたと喜んでおります。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

随念院

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Oct 29, 2009, 2:25:29 AM10/29/09
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wo3さん、難しい本の読了ご苦労さまでした。これだけ議論ができたということは、得るところがあったということだろうと思います。私も、読んだような
気持ちになり、勉強になりました。
ところで、「仏罰」という概念ですが、『法華経』にある言葉かもしれませんが、仏教学の詳しい辞典には出てきません。Webで見たのですが、日蓮上人が
使った言葉のようで、特に創価学会のほうで折伏のときによく使う言葉のようです。池田大作氏がよく使っています。
ただ、仏教学の立場からいうと、仏・如来に罰などあるはずがありません。許し、救うだけのはずです。ただし、正しい生活をしないと地獄に落ちるぞと諭す
ことはします。仏教で罰があるとすれば、それは仏・如来ではなく、方便として、明王(不動明王など)、天(四天王、閻魔など)、八部衆(夜叉など)が行
使します。

wo3

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Oct 29, 2009, 9:28:34 AM10/29/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、大変参考になるご教示をありがとうございます。

「仏罰」という概念は、ちょっと扱いが難しいのですね。理解いたしました。そうしますと、この概念の有無によって、仏教における宗派をグループ分けする
こともできるのでしょうか。
いや、実際にそうしてみたいわけではなくて、分析上の指標として利用価値があるかどうか、という技術的な疑問です。

ところで、がらりと話は変わりますが、立正佼成会附属佼成病院という363床の病院が東京にあり、これがビハーラ病棟を持っているということです。私は
この団体について全く基礎知識がないのですが、宗教法人が直営する病院は珍しいように思いますし、ビハーラ病棟を持っているというのでなおさら珍しいと
思い、興味を持ちました。ホームページをざっと見るところ、法華経を経典としているようです。しかし仏教という言葉が直接見えるわけでもないようです。
日本語ウイキペディアは、「霊友会から派生した日蓮宗系の新宗教」と、私には理解しにくい表現で紹介しています。全体的に、仏教的であるような、ないよ
うな、よく分かりません。そこで素朴な疑問ですが、これは一般的に、あるいは禅宗や浄土宗といった既成宗派の視点から見て、いわゆる仏教系と考えてよい
のでしょうか。
これもまた技術的な疑問のつもりですが、差し支えあるようでしたら無視していただいて構いません。

wo3

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Oct 29, 2009, 9:33:56 AM10/29/09
to 中津ビハーラの会
自己レスです。

先程は大変失礼いたしました。

件の立正佼成会ホームページには「お釈迦さまの教えを学びます」「…それが、仏教教団である私たちの教えの根本です。」とはっきり書いてあります。

言わずもがなでした。

随念院

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Oct 30, 2009, 3:54:26 AM10/30/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、立正佼成会は、日蓮宗系の新宗教教団です。創価学会、霊友会などとともに社会的にも認知されている教団で、特に社会福祉活動に熱心です。出
版活動も活発で、佼成出版では、ごく一般的な本も出しています。病院経営もして付属の佼成病院は結構評価されています。ビハーラ病棟があると走りません
でしたが、ホームページを見てみると、確かに緩和ケア科にビハーラ病棟があるようです。ビハーラの意味も田宮先生の提唱に従っているようですが、仏堂と
かはないようですね。非常勤で宗教家をスタッフに置いていることも書いてありますね。当然ですが、対象も超宗派であることも。ホームページを見た限りで
は、長岡にし病院や西本願寺のビハーラほどの宗教性は出していないようですね。

wo3

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Oct 30, 2009, 8:09:33 AM10/30/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、毎度のご教示ありがとうございます。

最初に接した説明文中の「新宗教」の意味が分からず、「新興宗教」と同義に理解してしまいましたが、違う術語のようですね。
いずれにせよ、宗教法人直営の病院で、しかもビハーラ病棟を実際に運営しているということは、素晴らしいと思いました。
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