「ビハーラ・維摩経」の復習:4

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wo3

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Oct 9, 2009, 8:56:43 AM10/9/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

毎度少しづつ読むこの復習ですが、今回は21ページ10行目から29ページ最終行までを読みました。

ここで私が最も注目した言葉は「仏教福祉」でした。ずっと気になっていた言葉です。ついに、この言葉に言及する時がきました。「福祉」の概念とは、今敢
えて辞書を引かずに思いついたところを述べれば、こんな感じでしょうか。

「福祉は国家が運営するもの。格差是正の手段。」

これはあくまで近代国家を想定した考え方です。「仏教福祉」となると、これとは異なる概念なのでしょう。しかし、そうなると、「福祉」という一つの言葉
に複数の概念が閉じ込められていることになります。「言語の壁」の一つの典型です。

仏教が行う福祉とは、いったい何でしょうか。あるいは、仏教=福祉という意味もあるのでしょうか。それは具体的に見えるものでしょうか。ここまでは、私
には読み取れませんでした。

現代の学問言語として確立した観のある英語では、福祉をwelfareと言うようです…いや、逆ですね。たぶん、日本語で福祉という言葉を使う人が、英
訳にwelfareを利用しているのだと思います。仏教における福祉も、英訳にこれを用いるのでしょうか。

さて、国家における福祉という文脈で考える場合には、私はあまり相互扶助のようなことは連想できません。むしろ、憲法に保障された「人権」が背景となっ
て、「権利があるから当然もらう」と強力に実力行使する一部の人たちのイメージが私には大きくあります。こういう人は、もらっても決して感謝はしませ
ん。別に裁量権を持つ窓口の公務員に感謝する必要もないでしょうし、福祉を供与する側としても感謝は要求しないでしょうから、相互扶助の次元からは必然
的に全然違ってしまう性質が国家における福祉にあるのではないか、と想像します。

利権問題という見方もできる、というのも福祉の特徴なんだろうと思います。こういう問題に、仏教はどんな切り込み方をしているのか、そういうことは、す
ごく気になります。

随念院

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Oct 9, 2009, 9:27:19 AM10/9/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、もう私の寝ようとする時間にこれを見つけましたので、要点だけを書いて、後は後日にします。

> 「福祉は国家が運営するもの。格差是正の手段。」

ここでいう「福祉」とは「社会福祉」のことではないでしょうか。私たちが使う「福祉」とは、もっと広義で、深義です。
維摩経では、福祉する側もされる側も「菩薩」となっています。権利も義務もありません。自然法爾、私たちは願われてある存在です。

随念院

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Oct 10, 2009, 3:16:26 AM10/10/09
to 中津ビハーラの会
追伸: 仏教福祉の英訳にも、"Buddhist welfare"を使います。
釈尊の福祉のめざすところは、「多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々への憐愍(共感)のために、神々と人々との利益・幸福
になるために」、仏法をよく保って、実践し、実修し、盛んにすることであると説かれます。
(『ブッダ最後の旅』p.95)

wo3

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Oct 11, 2009, 3:33:29 AM10/11/09
to 中津ビハーラの会

随念院先生、「仏教福祉の英訳にも、"Buddhist welfare"」ということですが、一般的な日英対応としては、先生がおっしゃる「社会福
祉」⇔welfareが主流ではないかと思います。ネット検索すると、どちらが多いか一目瞭然です。従ってここに仏教側から一般用法に対する注釈が随時
必要になるわけです。しかし、その説明を、コミュニケーションとして一般人・患者・家族が受け入れてくれるかどうか。それを評価する必要もあると思いま
す。私には、仏教独特の意義は、あまり受け入れられているようには思えません。

やはりどうしても、仏教信者であろうがなかろうが、福祉は個々人の人権・権利だと思っている人が圧倒的に多いと思います。その理解の方が経済合理性もあ
ると思います。なぜなら、「仏教の福祉」→「権利も義務もない」に対して、「社会福祉」→「受益者においては義務抜き権利のみ」ですから。衆生済度の理
想が仏教にはあるとは思いますが、かつて戒律を犯した人物を排斥した故事もあるようですし、どこかで排除の論理を組み込む必要もあるのではないかと思い
ます。

それと、話がずれますが、「願われてある存在」という言葉は、どこかで聞いて気になっていました。特に「願われて」が「願う+れる+て」の複合語となっ
ており、敢えて組み込まれたと思われる「れる」の含意は何だろう、と気になっておりました。「れる」は助動詞で、中学文法では「受け身・自発・可能・尊
敬」の意味があります。この語の場合は、受け身か自発でしょうが、どちらでしょう。。。やはり受け身で、「仏様が願ったから今の私たちがある」という意
味でしょうか。たぶん、ちゃんとした経緯のあるフレーズなんでしょうね。いずれ改めて調べてみたいと思います。

随念院

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Oct 11, 2009, 4:15:21 AM10/11/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、あくまで大乗仏教の目指すのは「菩薩になる」、もしくは「菩薩である」ことです。言葉は悪いが、あくまで、「菩薩は自己犠牲のすがた」で
す。福祉と言う場合も確かに説明が必要になるかもしれません。
「願われてある」の「れる」は受身で、我々が気がつこうがつきまいが、意識しようがしまいが、一方的に如来が衆生に願いを発しているということだと思い
ます。

wo3

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Oct 11, 2009, 9:17:53 AM10/11/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、

「一方的に如来が衆生に願いを発している」

納得いたしました。
ありがとうございました。

wo3

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Nov 3, 2009, 7:24:43 AM11/3/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

先日以来、他の本を読み込むためにお休みしていた「ビハーラ維摩経」を、改めて読み進めてみました。ところが今日は、以前に読んだときと違い、すらすら
と読み進んでしまって、ひっかかり疑問が沸く、という気持ちがなかなかおきません。

これを好意的に理解すれば、直前に読んだ数冊を通じて、理解が一歩進んだのかもしれません。悪く考えれば、エネルギーを消耗しているのかもしれません。
そこで、ここはひとつ「ビハーラ維摩経」に特定した読み込みをお休みして、いつも通りの、気軽な本の乱読し戻ろうかと思います。

いつもご教示いただいております、随念院先生やmori様には申し訳ありませんが、予定なく偶然に沸く疑問にぶつかりましたら、またこの場で遠慮なくご
質問させていただきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

随念院

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Nov 3, 2009, 7:43:52 AM11/3/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、いろいろな関連する書籍やWebを読んで、問題点を紹介してください。
私には、wo3さんの疑問の持ち方を大変新鮮に感じます。思いつくままに書いてください。

mori syuuei

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Nov 3, 2009, 8:29:27 AM11/3/09
to nakatu...@googlegroups.com
wo3さんが提示してくれる本をいつか読まなければと思いながら、例えば『やさし
い仏教医学』等を読んでみたいと思いながら、なかなか読めません。分かりやすい本
よりも、一つのテーマに深く踏み込んだ本があれば教えてください。
個人的には、仏教哲学というものを少し学んでみたいです。アビダルマという領域で
しょうか。

wo3

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Nov 3, 2009, 8:43:51 AM11/3/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、どうもありがとうございます。

せっかくですので、寝る前に、今気になっているところを、「思いつくままに」書いてみようと思います。

先日読んだレグルス文庫「鎌倉仏教」という本に書いてあったことです。どこにどう書いてあったか忘れましたが、大体の趣旨はこんな感じでした。

1.鎌倉新仏教の成立において、法然が提示し親鸞が受け継ぎした「称名念仏」という方法について、当初は、「この方法以外ではダメ」という考え方で排他
的であったために、仏を人間の外部に置いた一神教的な理念になっている、という理解です。宗派の在り方としては、彼らの後、他の宗派との対立や幕府によ
る弾圧を経て、鎌倉幕府との再度の対話の中で次第に穏健な方法を取るように変化していったということです。しかし、最初はあくまで念仏以外はダメ、とい
う排他的な考え方であった、とありました。これが当時の社会経済状況と並行して説明されていきます。【私の感想】社会情勢に伴って力動的に変化する宗教
の描写として腑に落ちるが、当事者はそういった理解をどう感じるだろうか、と思いました。

2.一方、日蓮宗では現実の権力に対する妥協は進まず、排他的な方針は変わらなかったので、他の宗派とは一線を画したままであった、という内容もありま
した。【私の感想】なんとなく今の創価学会の在り方に通じるところがあるようにも思うが、当時はバリバリの反権力であったのに、今では与党になる目的で
自民党に味方するようになったのは、当時のやり方と違うなあ、と思いました。

3.これらとは対照的に、道元や栄西に代表される禅宗においては、外在して人間に対峙するタイプの仏を認めず、自己の心中に内在する仏性を発見すること
を求めた、という説明がありました。【感想】これが「無神論的」と言われる理由か、と思い至りました。浄土宗が一神教的で、禅宗が無神論的、という大ま
かな理解の仕方は、わたしにとっては非常に説得力があります。しかし、当事者はどう感じるのだろうか、という疑問が改めて沸きました。こういった理解
は、あくまで西洋合理主義を背景とする現代日本人のやり方だと思います。この考え方に、当事者は真正面から反論するのだろうか、それとも、色々と条件を
付けていく感じかな、と。また、日本では禅宗も浄土宗も、律令制度の崩壊を背景とした旧仏教の制度疲労(腐敗など)を背景としているので、念仏の「仏」
志向であれ禅の「法」志向であれ、目指すところに共通点があるのは当然、という理解にも至りました。しかしそういう理解で良いのかどうか。

wo3

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Nov 3, 2009, 9:04:45 AM11/3/09
to 中津ビハーラの会
mori様

私は仏教に関して専門教育を受けたことはなく、お金を払って授業を受けたこともなく、興味を持ったのは看護学を専攻するより後でした。今はあくまで中津
ビハーラの会に、なるたけ積極的に参加し、看護学専攻の内部での興味関心で身近な本を乱読するばかりです。テーマを敢えて言うならば「疼痛緩和」「看取
り」「仏教看護」といったところでしょうか。「在宅看護」もテーマになりそうだと思っています。今はあまりテーマを決めて本を読もうと思うことはありま
せん。「アビダルマ」は私には畏れ多いです。「仏教哲学」は、確か講談社学術新書(青い背表紙の文庫本です。)で読みました。読もうと思う本を探すとき
には、いくつかの方針といいますか、条件のようなものがありますので、それをご紹介させていただきます。

1.できれば新書か文庫
2.なるべく概論書に近いと思われること
3.よほど興味をひかれない限り、値段は3000円以下

面白かった本がありましたら、書評とともにご紹介ください。

随念院

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Nov 3, 2009, 11:08:46 PM11/3/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、看護師さんがこれだけ仏教を勉強していただくと、その臨床にも影響を与えてくれるだろうと、楽しみです。


> 先日読んだレグルス文庫「鎌倉仏教」という本に書いてあったことです。どこにどう書いてあったか忘れましたが、大体の趣旨はこんな感じでした。
>
> 1.鎌倉新仏教の成立において、法然が提示し親鸞が受け継ぎした「称名念仏」という方法について、当初は、「この方法以外ではダメ」という考え方で排他
> 的であったために、仏を人間の外部に置いた一神教的な理念になっている、という理解です。宗派の在り方としては、彼らの後、他の宗派との対立や幕府によ
> る弾圧を経て、鎌倉幕府との再度の対話の中で次第に穏健な方法を取るように変化していったということです。しかし、最初はあくまで念仏以外はダメ、とい
> う排他的な考え方であった、とありました。これが当時の社会経済状況と並行して説明されていきます。【私の感想】社会情勢に伴って力動的に変化する宗教
> の描写として腑に落ちるが、当事者はそういった理解をどう感じるだろうか、と思いました。
☆ おっしゃるとおり、親鸞は政治権力や他の宗派に対して排他的立場を取りました。新興宗教(宗派)の開祖にはそれがなければ、立宗できません。いわゆ
る原理主義ですが(ただし親鸞は排他的というより、念仏以外の教えにすがることを悲歎するという立場)、それが普遍的民衆の宗教になるには、本質は失わ
ないようにして、時代によって変化してきます。たとえば、戦国時代に、原理主義的立場をいさめて、蓮如は次のような、親鸞は否定したはずの通達を出しま
す。
1)神社をかろしむるな、2)諸仏・菩薩、諸堂(他宗・他派の寺)をかろしむるな、3)守護・地頭(政治権力)を粗略にするな、4)(略)、5)他力信
心を内心に決定せよ(外に誇るな)
というぐあいにして、社会的認知を得て、今日の日本一の大教団に発展させました。
>
> 2.一方、日蓮宗では現実の権力に対する妥協は進まず、排他的な方針は変わらなかったので、他の宗派とは一線を画したままであった、という内容もありま
> した。【私の感想】なんとなく今の創価学会の在り方に通じるところがあるようにも思うが、当時はバリバリの反権力であったのに、今では与党になる目的で
> 自民党に味方するようになったのは、当時のやり方と違うなあ、と思いました。
☆ 日蓮は親鸞とはまったく異なって、法華経以外は仏教にあらずと、はっきりとした排他的でした。その後多くの分派を生み出し、今日の新宗教は日蓮宗系
がかなり多い。創価学会もかつては原理主義的折伏で大きくなっていったのはご存知のとおりです。今日の公明党や創価学会はずいぶん豹変していますが、日
蓮の主張は「立正安国」ですから、公明党が信教の自由を言うけれども、その奥に鎧が隠されているような気がするのは私だけでしょうか。
>
> 3.これらとは対照的に、道元や栄西に代表される禅宗においては、外在して人間に対峙するタイプの仏を認めず、自己の心中に内在する仏性を発見すること
> を求めた、という説明がありました。【感想】これが「無神論的」と言われる理由か、と思い至りました。浄土宗が一神教的で、禅宗が無神論的、という大ま
> かな理解の仕方は、わたしにとっては非常に説得力があります。しかし、当事者はどう感じるのだろうか、という疑問が改めて沸きました。こういった理解
> は、あくまで西洋合理主義を背景とする現代日本人のやり方だと思います。この考え方に、当事者は真正面から反論するのだろうか、それとも、色々と条件を
> 付けていく感じかな、と。また、日本では禅宗も浄土宗も、律令制度の崩壊を背景とした旧仏教の制度疲労(腐敗など)を背景としているので、念仏の「仏」
> 志向であれ禅の「法」志向であれ、目指すところに共通点があるのは当然、という理解にも至りました。しかしそういう理解で良いのかどうか。
☆ 一神論的、多神論的という言葉は仏教にはなじみません。神という概念が東洋と西洋とではまったく違うからです。インドの宗教で、バラモン教が多神論
的であったものが、ヒンドゥー教に至って汎神論的になったとはいえると思いますが、そういう神を否定したのが仏教ですから。
>「念仏の「仏」 志向であれ禅の「法」志向であれ目指すところに共通点」というのはわかる気がしますが、その「共通点」というのが「本願」であり、そ
れが神をも包む概念だと思います。

mori syuuei

unread,
Nov 4, 2009, 12:46:31 AM11/4/09
to nakatu...@googlegroups.com
wo3様
私は、若いときに大学で仏教というか、真宗学を学びましたが、当時は真面目に勉強
しませんでした。しかし今になって、福祉の世界に飛び込んで、ビハーラに出会って
から、新たにビハーラとしての仏教を学ぼうと思っています。仏教といっても福祉の
見地からの仏教ということで学んでいます。そしてそのためにこれまで学ばなかった
知識を吸収しようと懸命です。
私も「疼痛緩和」ということで、俗にいうスピリチュアルペインに関心を寄せていま
す。もし仏教が医療現場に必要であるならば、それは薬を使わなくなったところで、
もしくは薬を使わないですむようなところでの、それこそスピリチュアルな疼痛を緩
和する方向で仏教が治療行為に参加できればよいなと思い、いろいろ本を探していま
すが、なかなか見つかりません。
人の痛みを知る前に自分の心を知るという意味で、数年前に読んだのが、岡野守也と
いう方の『唯識のすすめ』という本でした。書評を述べるには、自分には少し難しす
ぎますので、つぎの機会に述べさせていただきます。
仏教と医療を結ぶ内容の本というのはなかなか無いので、いろんな人の情報を集めな
がら探しています。しかし今は研修会等で、それなりの講義を聴けるということに気
づきました。



----- Original Message -----
From: "wo3" <shinb...@gmail.com>
To: "中津ビハーラの会" <nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Tuesday, November 03, 2009 11:04 PM
Subject: Re: 「ビハーラ・維摩経」の復習:4


>
> mori様
>
> 私は仏教に関して専門教育を受けたことはなく、お金を払って授業を受けたことも
なく、興味を持ったのは看護学を専攻するより後でした。今はあくまで中津
> ビハーラの会に、なるたけ積極的に参加し、看護学専攻の内部での興味関心で身近

wo3

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Nov 4, 2009, 10:10:21 PM11/4/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、

「一神論的、多神論的という言葉は仏教にはなじみません。」

それでは「一仏論的、多仏論的」という言い方では、どうでしょうか。
先の私の発言の趣旨は、「外からそう見える」という意味での禅宗と浄土宗の方法論比較の文脈で、念仏は1.自分自身から外部に向けた発言そのものである
こと、2.仏という特定の対象に向けたものであること、3.これらがキリスト教徒の方法論に似ていること、という外部的特徴を捉えたものです。ですので
当事者の方から「違う」と言われれば「なるほど」と従うでしょうが、「なじまない」ということでしたので、「なじむ言い方もあるのかな」という推測に向
かいました。

今、ちょっとネット検索してみたところ、このような見方は至るところにあるようですね。しかし、実際に一つ二つ読んでみると、あまり好意的な評価による
ものでもないようです。全体的なことは分かりませんが、こういうこともある、という気付きには意味があったと思います。ただ、そのような議論と言います
か方向は、望むところではありません。

随念院

unread,
Nov 5, 2009, 12:34:39 AM11/5/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、申し訳ありません。なじむ言い方はありません。「一神論・無神論・多神論」でなくて、「~的」という字がついているのですね。「一仏的、多
仏的」という言葉はありませんので、「~的」があれば、「神」で結構ですし、おっしゃることはわかります、それで結構です。ただ、仏教では、浄土教は一
神論的であっても、過去仏など多数の仏や菩薩を出しますし、多神論的密教でも、多仏・多菩薩、多尊格を出しながら、大日如来一仏が中心です。無神論的禅
宗も、仏性を重要視しますが、釈迦仏は立てます。専門家の方には異論があるかもしれませんが私の個人的考えでは、仏を「神的」と仮にすれば、どの仏教も
「汎神論的」だと思います。そのことを踏まえたうえなら、wo3さんの理解はわかりやすい捉えかたであると思います。

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