一言、意見を云わせてください。
私はソーシャルワーカーであり、僧侶なのですが、今の医療界の「死は敗北」という
意見には実は賛成なのです。死は執刀医の敗北ということで医師が治療に頑張ってく
れれば非常にありがたいと思います。しかし治る見込みのない方、今の医療技術では
治せない方に対してケアをするということでビハーラがあるならば、どのような立場
において在るべきかということをずっと考えてもいます。敗北でない死を生きる、こ
れが仏法の課題ではないでしょうか?
死は確かに悲しいことです。しかし避けて通ることの出来ないものです。そしてもっ
とも悲しいのは、未練を残し、愛するものと無理やり引き離され、本人や周囲が納得
のいかない状況で死んでいくことです。立派な子供がいて、さらに立派な孫がいて、
周囲からは長寿だと言われ、何不自由なく、何も心配することもなく、安らかに亡く
なっていくことが大往生だと私はいつも考えています。しかし無常の風がそうはうま
くいかせないというのが仏法だと思っています。
私は死が悲しいことだという以上に、悲しい人生を歩かざるをえない衆生だというこ
とに仏法と福祉(私の場合はですが…)が共鳴すべきではないかと思っています。同時
に、生きることは悲しいということで、医療・看護が死の悲しみに気づいてくれれば
本当に嬉しいことだと思っています。
それによって、治療する気もなく、「人はいつかは死ぬのだ~」などと公言する医師
もいなくなると幸いです。
ターミナルケアということでの学会であれば、死は当然話題になるでしょう。しかし
治療を目的とする学会において死が取り上げられないのは、生を求めているからだと
思います。
仏教においては死は敗北でもなんでもなく、生まれたからには当たり前のこととして
受け止められると思っております。
死を考えるのは、生まれてきたからには当然考えて生きなければならない問題であり
ます。しかしなかなか私たちはそれを考えようとしません。
医療機関に傷害・疾病というご縁で、死を考え思う機会があればと常々思っておりま
す。そのために医療機関の中にビハーラが必要なのです。
結論として、私はwo3さんのご意見に賛成です。よろしく。
----- Original Message -----
From: "wo3" <
shinb...@gmail.com>
To: "中津ビハーラの会" <
nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Sunday, May 10, 2009 11:07 PM
Subject: 看護フォーラムに参加しました
>
> こんにちは。
>
> 本日、下記のニュースにありますように、看護フォーラムという催しがあり、これ