在家・出家のアナロジーに関して

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wo3

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Oct 26, 2009, 5:20:22 PM10/26/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

医療専門職を出家者に、患者を在家者に関連付ける議論に関して、示唆に富む記事を見つけましたので、さっそくご紹介いたします。「専門職に対して、あく
まで「がんばれ」である」という議論にもつながると思います。非専門家における、「聖職者」という言葉の理解という意味でも興味深いです。誤解があるな
ら、この議論にも参加すべきかもしれません。

=== === ===

勤務医を「聖職者」から脱却させ、適正な報酬を

http://www.cabrain.net/news/article/newsId/24892.html

随念院

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Oct 27, 2009, 8:48:31 AM10/27/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、紹介のサイト、今朝は読めたんですが、今読もうとすると、会員登録をしなければならないようです。登録しようとしたら、どうも敷居が高く
て、入会を思いきれません。今朝読んだ記憶で申しますと、医師と聖職者の問題、どうも以前の教員が聖職者的に扱われていたのに、今はいち労働者というこ
とになってしまったのですが、そのことが医師にも起こりかけているということでしょうか。
でも、私の言う、出家・在家の概念とはずいぶん違うような気がします。

wo3

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Oct 27, 2009, 9:29:53 AM10/27/09
to 中津ビハーラの会
随念院先生、

「どうも以前の教員が聖職者的に扱われていたのに、今はいち労働者ということになってしまったのですが、そのことが医師にも起こりかけているということ
でしょうか。」

「起こりかけている」は10年以上も以前の話で、今は不可逆的に進行中です。
いわゆる「医療崩壊」の主な中身の一つはこれです。

近頃のニュースでは、こういうこともありました。
「医大院生は勤務医と同じ 「過労で交通死」鳥取大に賠償命令」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/313428/

軽く解説してくれているブログです。
http://med2008.blog40.fc2.com/blog-entry-1126.html
http://plaza.rakuten.co.jp/tinyant/diary/200910160000/

「でも、私の言う、出家・在家の概念とはずいぶん違うような気がします。」

確かにずいぶん違います。現代日本の現実と齟齬が大きいと思います。
医師の過酷な労働状況を「聖職者」に例えるのは、的外れかもしれませんが、広く流通している現実があるということです。
これが世間一般における「聖職者」象である、と私は考えます。

※件の記事を全文引用いたします。

=== === ===

医療羅針盤

勤務医を「聖職者」から脱却させ、適正な報酬を

【第83回】植山直人さん(全国医師ユニオン代表)

 「これまで勤務医は聖職者扱いされてきた」と、「全国医師ユニオン」の代表を務める植山直人さんは話す。ユニオンは、勤務医らでつくる日本初の全国的
な労働組合として5月に発足し、9月に実施した「勤務医110番 医師の労働相談ホットライン」には、若手医師や大学院生らから悲痛な相談が寄せられ
た。医療現場の疲弊を解消するには、勤務医を聖職者から脱却させ、労務管理の徹底を訴えることが必要だと植山さんは考えている。(兼松昭夫)

―勤務医を取り巻く環境が大きく変化したといわれますが、植山先生ご自身はどうお感じになりますか。

 わたし自身について言えば、1年目の研修は1990年に福岡県内の救急病院で受けました。かなりハードな病院で、研修医は院内に住み、1年目から結構
難しい手技を任されました。当直回数も月8回とかなり多く、わたしは多い時には23人の患者を担当していました。今では考えられないことですが、そうい
うやり方が好きな人たちが集まっていました。患者さんとのトラブルや訴訟の問題など、プレッシャーは今のように多くはない時代だったので、肉体的にはと
もかく、精神的な負担は今のように感じていませんでした。しかし今では、何をするにも患者さんの「承諾書」が必要になるなど、時代が変わりました。もち
ろん、歓迎すべき変化もありますけど。

―歓迎すべき変化としては、どのようなものがありますか。

 昔は、悪い意味で医師は威張っていましたが、ここ10年でずいぶん変わりました。患者さんの権利を尊重する風潮が強まってきたのは非常にいいことだと
思います。

―インフォームドコンセントという考え方も広がりました。

 それも歓迎すべき変化でしょう。ただ、インフォームドコンセントをしっかりやるには、それだけの時間が必要です。例えば、午前中の患者さんが10人
だったら、一人ひとりに詳しく説明できますが、30人を診ないといけないなら、一人にかけられる時間はおのずと決まります。供給側の体制が変わらないま
ま、詳しい説明を求められるようになり、そのギャップが医療現場に重圧として掛かってくる状況が出来上がっています。

―全国医師ユニオンが9月に実施した「勤務医110番」(電話相談)では、30件近い相談があったと聞いています。

 特に、大学病院関係者や、そのご家族からの相談が多かったのが特徴でした。中には、大学側と契約を結ばずに無報酬で診療に従事させられている大学院生
や、月にわずか18万円の給与で1日15時間、365日拘束され、オンコールへの対応が遅れると暴言を浴びせられるという若手医師のご家族からの相談も
ありました。その医師は「医者にならなければよかった」などとこぼしているといいます。

―大学病院で契約を結ばずに勤務させられるケースは多いのでしょうか。

 多いと思います。大学側も人手が足りず、何とか労働力を確保しなければならないのでしょう。だけど雇用契約を結んでいないと、万が一「針刺し事故」な
どのトラブルが起きても、労災の認定を受けられなくなります。ここは改善していくべきです。

―医師は売り手市場なので、勤務環境が劣悪なら別の病院に逃げ出せばいいと思うのですが、そうした行動を取るのは難しいのでしょうか。

 難しいですね。若手医師は学会の認定医や専門医の資格取得を目指すため、症例数を確保しようという意欲を持っています。そのため、症例数を確保できる
なら、少しくらい苦しくても何とか踏みとどまろうと考えるのです。
 このほか、出身大学の医局に関連施設での勤務を指示されたら、たとえ納得できなくても逆らいにくいという事情もあります。実際、医局の意向に従わな
かったため、それ以降の就職活動を妨害されるようなケースもあります。大学医局は大きく変わったといわれますが、その影響力は依然として強いと思いま
す。勤務医 110番で大学病院関係者からの相談のほとんどが匿名だったことからも、こうした事情がうかがえます。

■勤務医への未払い賃金の清算を

―前回の診療報酬改定で医師事務作業補助体制加算を付けるなど、国も勤務医支援に乗り出しています。こうした対策に効果はあるとお考えでしょうか。

 抜本的な解決にはつながらないでしょう。医療需要が増えているのに、医師の供給は限られていますから。

―では、具体策としてはどのようなものが考えられるでしょうか。

 女性医師のために院内保育所を設置したり、保育施設を紹介したりと、行政だけでなく病院側もいろいろな提案を出していますが、わたしたちはこれらとは
ちょっと違う視点からとらえています。勤務医の労働環境を改善するには、労働基準法の順守を病院に求めたり、本来なら勤務医に支払うべき報酬を明らかに
したりする必要があると思います。
 報酬に関しては、例えば医師の時給を4000円として単純計算すると、日中に8時間勤務した場合は3万2000 円です。日勤から続けて、夕方5時か
ら翌朝8時まで当直する「連続勤務」の場合には時間外勤務手当が付くので、報酬は8万2000円になります。しかし実際には、こうしたケースの報酬の相
場は大体2万-3万円です。これらの差額が、いわば未払いになっているのです。管理職に手当を支払わない「名ばかり管理職」も横行しています。非常に大
ざっぱですが、これらの未払い賃金を合わせると、ことによると年間2000億円程度になるのではないかとわたしたちはみています。
 仮に労基法にのっとってこれらの支払いを求められたら、医師に無駄な残業をさせずに帰宅を促したり、交代制の採用を検討したりと、病院側も労務管理を
真剣に考えるはずです。医師でなくても対応できる業務については、医療クラークなど他職種への移行が進むでしょう。常識的な企業では、こうしたことに
しっかり取り組んでいますが、医療界では「医師は聖職者だから残業代を払わなくてもいい」という、おかしなことになっています。こうした点はこれまでほ
とんど議論されてきませんでした。だけど今後は、専門職として適正な技術料を受け取れるよう、主張していくべきです。来年度に診療報酬が引き上げられる
なら、箱物の整備などでなく、勤務医に確実に回るようにしてほしいと思います。

―勤務医の負担を軽減するため、地域の病院の統廃合を進めるべきだという声もあります。

 日本では、医療が十分に提供されているかどうかを病院やベッド数で図ろうとします。だけど病院が3つあっても、実はそれらすべてが医師不足に見舞われ
ているかもしれません。ある病院では、新型インフルエンザが広がり始めた5月に発熱外来を開設するよう指定を受けたものの、実は内科医が一人もいなかっ
たそうです(笑)。どの病院にどれだけ医師がいるのか、行政も把握できていないのです。病院やベッドがどれだけあっても、実際に診断に当たる医師がいな
いと話になりません。ですから、病院統廃合などの施策は、常勤換算した場合、その地域に医師がどれだけいるのかを明らかにしてから検討すべきです。

■体制整備が課題

―ユニオンでは今後、電話相談の取り組みを定期的に行うなど、活動を本格化させる方針だと伺っています。

 勤務医110番が効いたのか、医師の相談が普段から寄せられるようになりました。可能な範囲でしっかり対応していきたいと思います。また、労働関係法
規をまとめた「医師の働く権利 基礎知識」(医師の働く権利編集委員会 編著)を出版するなど、5月の発足以来、情報提供には取り組めています。年明け
には、病院を相手に想定した模擬団体交渉を公開で行う予定です。実績を積みながら、会員増に取り組みたいと思います。今後の課題は体制整備です。もう少
しマンパワーがあれば、例えば毎月第4土曜日を相談対応の日にするなど定期的な対応ができますが、そこまでの体制はまだできていません。

mori syuuei

unread,
Oct 28, 2009, 1:09:50 AM10/28/09
to nakatu...@googlegroups.com
wo3様
内容が少し難しいのですが、「聖職者」ということはけっきょく、周囲の人たちが作
りあげた偶像であると同時に、その職にいる自分たちの思い上がりであるかと思いま
す。出家者と在家者の違いは、リーダーであるかないか、集団援助技術であるなら
ば、グループワーカーが出家者で、グループの中に入っている人たちが在家者になる
のか、それとも、グループワーカーが釈尊で、グループ内にいるのが、出家者か分か
りませんが、出家者と在家者を明確にというか、何らかのかたちで分けるのは、釈尊
の教えに生きているかどうかだと感じます。
聖職者の「聖」という文字には現代という中には当てはまる職業はありません。例え
ば教員にしても僧侶にしても、聖職者ということではなくなりつつあります。医療者
につきましても、過酷な労働に耐える方たちは、確かに聖職者だと感じます。しかし
それは、自分には、真似が出来ないからだとか、そういう人がいてくれると有り難い
という、極めて利己的な考えの中から生まれてくるものです。医療者のどこが聖職者
なのか、私には論じることは出来ませんが、やはりこの命を救ってくれるからという
のが本音です。
そして専門職であるというのは、生きていくうえにおいて強い力となるもであると思
います。医療機関内においては、みんな専門職です。医師はもちろん、看護師、放射
線技師、臨床検査技師、臨床工学士、医事課のレセプト請求の事務員等々。それぞれ
がスペシャリストとしてその枠内で動いています。それに比べてソーシャルワーカー
は、何を専門とするのかとよく言われます。現場の看護師と事務員が連携して退院援
助をすればよいではないか、地域連携室の社会福祉士は、他機関への紹介状のFAX係
兼統計を取る係かと、市民病院勤務時代にはよく言われていました。

少し話がズレました。(-.-;)

出家者は、まだ未熟な私に生死を出ずる道を示してくれて、苦しみの中から助けてく
れるから聖職者なのかなと、それだけの専門技術を修得しているからかなと思いま
す。ですが、在家者が患者かどうかということは、少し別問題ではないかなと思いま
す。

mori syuuei

unread,
Oct 28, 2009, 2:35:28 AM10/28/09
to nakatu...@googlegroups.com
皆様
訂正します。聖職者が教師・僧侶・医療者としたのは、世間一般の常識的見地から
いったのであって、私の考えは別です。


----- Original Message -----
From: "mori syuuei" <seig...@circus.ocn.ne.jp>
To: <nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Wednesday, October 28, 2009 2:09 PM
Subject: Re: 在家・出家のアナロジーに関して


>
> wo3様
> 内容が少し難しいのですが、「聖職者」ということはけっきょく、周囲の人たちが

> りあげた偶像であると同時に、その職にいる自分たちの思い上がりであるかと思い

wo3

unread,
Oct 28, 2009, 8:27:17 AM10/28/09
to 中津ビハーラの会
mori様

「例えば教員にしても僧侶にしても、聖職者ということではなくなりつつあります。」

僧侶が聖職者でない、ということはあり得ないのではないでしょうか。僧侶が聖職者でなかったら、何でしょう。僧侶はその定義からして、聖職者以外の何物
でもなく、逃げることはできないと思うのですが。

“私はあくまで専門職であって、聖職者ではない”という主張が成り立つとすれば、この主張を医療者は言い得るとしても、僧侶は言い得ないと私は考えま
す。また、宗教の世俗化が進んだ現代において、随念院先生がおっしゃるように、専門職=聖職者のアナロジーが成り立つのであれば、僧侶にとって、さらに
逃げ場はないことになります。

一方、以下のご主張には全く賛同いたします。

「医療者につきましても、過酷な労働に耐える方たちは、確かに聖職者だと感じます。しかしそれは、自分には、真似が出来ないからだとか、そういう人がい
てくれると有り難いという、極めて利己的な考えの中から生まれてくるものです。」

世間一般に流通する聖職者のイメージは、宗教内部における専門的な議論とはかなり異なると思います。異なりはするが、世間一般の問題であるから、実践を
旨とする議論には不可欠なのです。そして、世間に言う聖職者イメージの実際とは、中津つながりで福沢諭吉ではありませんが、私はずばり“やせ我慢”では
ないかと思います。

庶民にはできない“やせ我慢”を貫く他人の姿に、庶民は聖なるものを感じるのだと思います。その内容を吟味し、分析して解明するのではなく、聖なるもの
として崇め、同時に敬遠するのです。社会学で言うところの“聖俗論”のようなものです。

“やせ我慢”は、聖職と言われる立場にだけ結びつくものではありません。何の仕事でも、天才でない限り、より良い結果を残そうと思えば、それ相当の“や
せ我慢”は不可欠です。そして実際に卓越した結果を残した人には、神業とか、鉄人とか、聖的な雰囲気を持つ形容が与えられます。

また、宗教の世俗化とは、宗教家が“やせ我慢”を止めることと同義だと思います。当事者が、いや違う、と主張して高邁な説教で反論しても、外目からはそ
う見えて仕方がないし、その方が即物的で具体的だし、それで文脈を説明できるし、ということです。医師を聖職者に例えた件の記事は、医師に対して、もっ
と“やせ我慢”をしろという世間の身勝手な圧力を映した表現だと思います。
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