wo3さん、深い読み込み、感服します。あまりに感想が多いので、いちいちコメントできませんが、要点のみコメントすることにします。
> このような考え方ですから、結局、「ターミナルをどう生きたいかという目標を持たない人に対しては、真のターミナル・ケアは存在しないだろう」という結
> 論が出てくるのでしょう。漠然とした目標を持っているだけでは良い結果を残せない、という考え方は、しばしば見かける主張でもあり、私自身も腑に落ちま
> す。
>
> ただし、現実の医療現場では、あるいは福祉の現場でもそうですが、明確な目標を持って生き、死ぬ人は少数でしょう。例えば、漠然と生きてきた挙句、突然
> の脳溢血にて倒れた人、といった事例に出会うことがあります。年齢層も限られておらず、あらゆる年齢、性別、病歴の人々が、突然倒れる可能性を持ちま
> す。こういった人は、昔はほとんどそのまま死んだのでしょうが、今は何割かの人は、重篤な障害を残して生き残ります。もはや自らは何の意思表示をするこ
> ともなく、ただひたすら生命を維持する状態を何年も続ける人が一定の割合で出現し、社会に累積します。このような人にとっては、先の結論に従えば、もは
> や真のターミナル・ケアは存在しないことになります。ただいま激増中の認知症の方々も、もはや主観を失った方々、という意味では同類と言えるでしょ
> う。
☆ これから機会があったら議論したいと思っているのですが、ここに「菩薩」の役割がどうしても必要になります。wo3さんは、どこかで、「菩薩=ボラ
ンティア」とおっしゃっていましたが、そのことです。ボランティアでも せざるを得ないボランティア、させていただくボランティア ということになりま
す。
>
> そうしますと、真のターミナル・ケアを目指すならば、健康なときにこそ死の教育を受けるべきだ、ということに必然的になります。しかも、できるだけ早い
> 方が良いわけですから、小学生のうちから、みんな毎日がターミナルだ、と寿命の話をする必要が出てくるでしょう。実際、アメリカの小児ホスピスでは、満
> 足に会話できる年齢であれば、自分の死を意識できるようだ、という結論を出して実践している現場もあるようです。この類のお話は、以前にこのグループで
> も出たことがあると思います。
☆ 20年以上まえに、西川医師が「サタトロジー」教育の必要性を激白していましたが、まだ、その要請はされながら実現していません。学校教育、幼児教
育から取り入れるべきだと思います。
>
> さて、この後に出てくる、随念院先生のコメントも、この文脈に沿っていると思われます。「日本的」なターミナル・ケアに関して、「例え相手に不利益なこ
> とであっても、真実は告げるべきだ」というお話や、無宗教者は死から逃げる、というお話もそうだと思います。
>
> ところで、昭和天皇に対するターミナル・ケアが事例として出ていましたが、この意味が私にはよく分かりませんでした。当時テレビでずっとやっていた、宮
> 内庁発表に基づく報道は、確かに無味乾燥、いうなれば無宗教であったと思います。しかし恐らく、各報道機関とも独自取材は考えられなかったでしょうか
> ら、無味乾燥は当然、仕方がなかったと思います。
>
> この意味で、当時を振り返ると、無味乾燥な報道向け発表の陰で、まったく次元の異なるターミナル・ケアが行われていたと考える方が自然ではないか、と私
> は思います。私自身は、昭和天皇に対するターミナル・ケアが実際にどうであったかに関する情報収集はまったくしていませんので、あまり評価もできないの
> ですが。
☆ 昭和天皇の病状に関しては、医師団から逐次マスコミに報告され、報道されていました(一方的で内実はわかりませんが)。それを聞いたが義理では、大
勢の医師団がよってたかって、とことん延命したという印象を受けました。普通の人にはそこまでしないでしょうが、天皇だから、それ以上に生きながらえた
と思います。しかし、陛下は、その間苦しんだか、意識不明だったはずで、そこまでする必要があったのか、疑問に思いました。
> 最後に、この章で再び件の「看病用心鈔」の記述に出会ったことに、驚きと親しみを感じました。これはもう、一度じっくり読んでみるしかないだろうと思い
> ます。また、どこかで佛教大学の仏教看護コースの誕生(と終焉)のお話が出ていたような気がするのですが、どこかわからなくなりました。もしかしたら別
> の個所だったのかもしれません。
☆ 「佛教大学の仏教看護コースの誕生(と終焉)のお話」は、ミーティングのとき、その状況を見ていましたので、私がお話したように思います。しかし、
看護学部ができるという現在、そのときは産みの苦しみだったんですね。市立から私立への諸問題は現場の調整でいずれ解決すると思います。