『「葬式は、いらない」島田裕已の現代葬式論 戒名の謎&お葬式革命』

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wo3

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May 7, 2010, 11:26:47 PM5/7/10
to 中津ビハーラの会
こんにちは。

BSフジという衛星放送チャンネルの「PREMIUN NEWS」という番組のアーカイブの中で、表題の内容が過去の視聴ランキングで現在第5位になっ
ているということで、今はその大体の内容をビデオで見られます。面白かったのでご紹介させていただきます。

http://www.bsfuji.tv/primenews/ranking/index.html

島田裕巳と、もう一人”葬送ジャーナリスト”という肩書きの人が出ています。上記ページから見られますが、順位が変われば見られなくなると思います。

--
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随念院

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May 8, 2010, 9:04:55 PM5/8/10
to 中津ビハーラの会
最近、葬式要不要論が盛んなようです。私は、葬式は人生の節目の儀式であり、古来よりある文化だと思っています。まだ、田舎ではその機能はかなり果たせ
ていると思いますが、昔にはなかった都会という特殊な文化での葬式となると、また違った複雑な要素が入ってきますので、これについての議論は遠慮したい
と思っています。

wo3

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May 9, 2010, 1:40:51 AM5/9/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、

「昔にはなかった都会という特殊な文化での葬式となると、また違った複雑な要素が入ってきますので、これについての議論は遠慮したいと思っていま
す。」

まずお伺いしたいのですが、ご説は、ビデオをご覧になってのご感想でしょうか。

それと、ビハーラ活動において、葬式文化に関する議論を除外すべきかどうかは、大きな分かれ道になるような問題ではないかと感じますが、いかがでしょう
か。

mori syuuei

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May 9, 2010, 2:05:28 AM5/9/10
to nakatu...@googlegroups.com
葬式が要るか要らないかというのは、極端に言えば「世間話」だと思います。ビハー
ラというのは、人の生と死に対しての論議であり、活動であり、思いであり、最期を
共に考えるものであると思います。
盛んに述べられる葬儀式は、現代社会で行なわれている「葬儀」という、葬儀屋が行
なっているセレモニーを指すのであり、葬儀屋が強引に介入してくる葬儀は必要あり
ません。しかし、昔ながらの静かな葬儀は私個人に言わせてもらえば、是非必要なも
のだと思います。そうでなければ、遺族にとっても、本人にとっても「死にっぱな
し」です。そのための仏教であります(と私は思います)。要らないならば、自分が
しなければ良いのであります。

葬儀が要るか要らないかを問うならば、葬儀屋が商売で介入してくる現代社会の葬儀
セレモニーについて、先ず問題にすべきです。人の死に商売で入ってくることを冷静
に話し合われるべきではないでしょうか?



----- Original Message -----
From: "wo3" <shinb...@gmail.com>
To: "中津ビハーラの会" <nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Sunday, May 09, 2010 2:40 PM
Subject: Re: 『「葬式は、いらない」島田裕已の現代葬式論 戒名の謎&お葬式革
命』


> 随念院先生、
>
> 「昔にはなかった都会という特殊な文化での葬式となると、また違った複雑な要素

随念院

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May 9, 2010, 4:10:09 AM5/9/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、すみません、ビデオは、花祭りなどでとても見る時間がなく、最初をちょっと見ただけで、葬式要不要論の書籍が売れまっくっているということ
や、それをテレビや新聞のコラムで読んで、くだらないことが多いなと類推したことで、とても読む暇もなく、単に私の持論を言ったまでで、しばらくして、
ビデオを見て発言の必要があれば、発言したいと思います。ビデオを見ての発言でなくて申し訳ありませんでした。

wo3

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May 9, 2010, 8:22:19 AM5/9/10
to nakatu...@googlegroups.com
rori様、大変恐縮ですが、随念院先生にお尋ねしたのと同じことをお尋ねさせていただきます。表題だけをご覧になって、葬式の要不要を論じているとお思いになったのかな、と推測いたします。実際に番組をご覧になってもまだ、葬式の要不要だけを論じているようにお思いになられたでしょうか。。。それとまた、さらに恐縮なことではありますが、私は私なりに、今回の話題提供に関しまして、大変有意義な教訓を得たような気がします。例えて言えば、古くからの社会党支持者における改憲論議、あるいは、シーシェパードにおける鯨食文化論、そんな反応を見てしまったかのような印象です。

随念院

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May 9, 2010, 10:44:53 PM5/9/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、ビデオ前後編見ました。やはり、今まで私が見た範囲の内容で特に目新しいものはありませんでした。したがって、基本的に結論はwo3さんに
前回言ったことと変わりません。しかも、あのビデオは、葬式不要という結論にはなっていませんね。いろいろ問題があるということですね。ただ、その後
moriさんや、それへのwo3さんのコメントを見てみて、感じたことを申します。
私は僧侶であり、私なりに意義を満たした葬儀を執り行っていますので、葬式不要といわれると、つい、原理主義的になって申し訳ないと思います。それを
シーセパードと同一次元にされると途方にくれます。
問題は都会での葬儀だと思います。戒名料(私たちにはそういうものはありません、希望者にだけ院号というものがありますが、これは本山の運営費に当た
り、私たちの寺には入らず、安くて、領収書もでます)も、需要と供給の関係で、需要しなければやすくなるだろうし、それを煽っている業者も問題でしょ
う。
葬儀の方法もいろいろありましょうが、田舎ではほぼ定着しており、都会での問題です。これも本人や家族にいいようにすればいいと思います。ただ、一つ気
になったことは、遺骨そのものへの執着です。散骨とかありますが、その骨そのものにはなんの実体もなく、そこに込められた思いが遺されたものにあるだけ
の話です。だから、わたしは、「千の風になって」でもいいと思います。遺骨は、その人を偲ぶためのひとつのてだてであって、どういうかたちであれ、安ら
かに眠らせてあげたらいいと思います。

wo3

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May 10, 2010, 3:19:21 AM5/10/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、先生とmori様の両方のご発言から、葬式の「要不要」の議論に関しては、「不要」の結論をあり得ないとする立場から、議論そのものを拒否
する傾向があるように感じました。もちろんご両者の結論に関しては、全体の文脈において、私にはすでに了解済みです。私はむしろ、先生方がこの結論に至
る経緯や背景に関して、大いに興味を持っています。日本仏教に関する議論と、日本仏教者に関する議論の区別があると理解しています。

「私は僧侶であり、私なりに意義を満たした葬儀を執り行っていますので、葬式不要といわれると、つい、原理主義的になって申し訳ないと思います。」

仏教者における仏教的儀式の要不要の議論ですから、失礼な言い方かもしれず恐縮ですがポジショントークは必然であり、議論の前提として暗黙ながら織り込
む事柄と思います。つまりこの件では、先生方の総論が端から「必要」に決まっていることは理解しています。そこに、件の島田裕巳のような、挑発的な印象
すら感じさせるテーマが公共の議題に載っている事実が提示されたとき、どんな反応があったか。「それは都会の話だ」「世間話だ」では、単なる内輪話なら
ともかく、外部者の客観的な視点に則して考えれば、ちと物足りない印象を受けました。

「それをシーセパードと同一次元にされると途方にくれます。」

中津ビハーラの会は、狭い意味で仏教者とは言えない人たちにまで、広く参加を求める目的があると思います。私の認識が間違っていたでしょうか。あくまで
内部者だけで議論するつもりでなく、仏教者のためだけの議論に留まるつもりがないなら、途方にくれてはいけないと思います。より般化したビハーラ活動の
ための、コミュニケーション上のリスク管理
だと思います。

ところで、改憲論議における護憲論者にも、鯨肉食文化論議における鯨保護主義者にも、大まかに次の2種類の方向性があります。

1.是非に関わらず言論の自由を遍く尊重して、積極的に議論に応じる立場
2.間違った結論を導く言論に自由を与える必要はないので、議論を認めず応じない立場

どちらが正しいかはともかく、どちらがコミュニケーションに積極的であり、リスク管理に長けていて、外部者に対して開かれた印象を与えるでしょうか。

mori syuuei

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May 10, 2010, 4:21:50 AM5/10/10
to nakatu...@googlegroups.com
wo3様
実は表題だけを見て、中身を想像して議論に割り込もうとしていました。おそらく中
身は、僧侶に対して日本仏教に対して、好意的な思いでのものであろうと思います
し、こんなことで良いのかという叱咤激励のものであろうと思います。
日本の僧侶の誰に対しても、葬儀のことに対しては、耳が痛い話であろうと思いま
す。綺麗ごとでは片付かない問題であると同時に、それで生活をする人がいることも
忘れてはならないからです。
私は福祉施設で働く職員である以上に一人の僧侶です。やはり日本仏教の中の僧侶で
す。葬儀をとやかく語ることは、死者に対しての冒涜(ぼうとく)ではないかとの思
いを持っております。日本の仏教の葬儀はこれまでの流れの中でなされてきたのであ
り、業者が割り込んできて、ビジネス化することはさらに大きな冒涜であるとも思っ
ています。
おそらく現代人が僧侶に対して云われたいことは、「今の坊主は何をしているんだ!
 東南アジアの僧侶に比べて劣っている!」ということでありましょう。
私は未だ番組を観ていないのですが、私が一番望むことは、葬儀についての要不要と
か、叱咤激励ではなくて、葬儀の在りかたの問題に僧侶が、自分の生活を抜きにして
考えることであると思います。
実はある僧侶の方が、呼ばれもしない葬儀の場に現れて、泣きそうな声で、手をぶる
ぶる震わせながら、「僕はお金をもらえると思って、ここに来たのです!」と口走っ
たことから、同じレベルの人たちも他にもたくさんいるんだろうなと思った出来事が
最近私の周りでありました。
葬儀というものを現状や、様子からいろいろ考えるのではなくて、根底から考え直す
ことが必要ではないかと私自身思い知らされております。葬儀を見つめ直すことは、
ビハーラの重要な課題の一つであると私も思います。



----- Original Message -----
From: "wo3" <shinb...@gmail.com>
To: <nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Sunday, May 09, 2010 9:22 PM
Subject: Re: 『「葬式は、いらない」島田裕已の現代葬式論 戒名の謎&お葬式革
命』


> rori様、大変恐縮ですが、随念院先生にお尋ねしたのと同じことをお尋ねさせてい
ただきます。表題だけをご覧になって、葬式の要不要を論じているとお思いになった
のかな、と推測いたします。実際に番組をご覧になってもまだ、葬式の要不要だけを
論じているようにお思いになられたでしょうか。。。それとまた、さらに恐縮なこと
ではありますが、私は私なりに、今回の話題提供に関しまして、大変有意義な教訓を
得たような気がします。例えて言えば、古くからの社会党支持者における改憲論議、
あるいは、シーシェパードにおける鯨食文化論、そんな反応を見てしまったかのよう
な印象です。
>
> --
> このメールは Google グループのグループ「中津ビハーラの会」の登録者に送られ
ています。
> このグループに投稿するには、nakatu...@googlegroups.com にメールを送信
してください。

随念院

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May 10, 2010, 7:34:01 AM5/10/10
to 中津ビハーラの会
wo3さんは、私が議論についていけず遠慮しているところを批判しているようです。逆に言えば、「なんとか答えろ」と言っているのでしょう。もちろん
1.の立場が必要でしょう。ただ、今まで私の知る限りの否定論者の議論は多様であり、ついていけないということが正直なところです。散骨、宇宙葬、樹木
葬、手元葬など、一つ一つに限定して議論するのなら1.の立場に立てますが、世間一般で反対論を聞いている限り、ついていけないということで遠慮します
と言いました。議論を認めず応じないのとは少し違うと思います。ビデオを見た後も同様な印象を受けました。
賛成論はいいとして、反対論の論点をwo3さんなりに整理して、各論的に問題提起をしていただけませんか。それなら、喜んで1.の立場で議論に応じたい
と思います。
護憲論者、鯨保護主義者と伝統文化維持論者とでは性格がずいぶん異なると思うのですが。

wo3

unread,
May 10, 2010, 7:43:41 PM5/10/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、ここでの議論は、最初の2つのメール、すなわち「5月8日, 午後12:26」と、それに対する「5月9日, 午前10:04 」のやり取
りが始まりであり、基準になっています。そもそも、私はある特定の番組を紹介したのであって、葬式の要不要を論じていません。論評抜きです。これに対
し、随念院先生は、実際に番組を試聴することなく、「昔にはなかった都会という特殊な文化での葬式となると、また違った複雑な要素が入ってきますので、
これについての議論は遠慮したい」と書かれました。このご反応を見て、私は、これがある種のポジショントークであると考えられることも踏まえて、とても
面白いと感じました。「面白い」と思った理由は、主に二つあります。一つは、私はこの番組の趣旨を、必ずしも葬式不要論だとは感じなかったことです。も
う一つは、先生のご反応が、私の捉えた番組の趣旨と相当距離があるが、しかし「都会の葬式」とはまた具体的な指摘だな、そういう分け方があるのかな、と
感じたことです。当事者の方々は、一般の視聴者よりセンシティブな反応になるのかな、それもまた興味深い、と感じました。

私が「PREMIUN NEWS」の特定の放送を示したことに対し、先生は葬式の要不要という一般論で捉えられたので、議論のすれ違いが起きたのではな
いかと思います。ここに「結論ありき」の要素も感じました。さらにこのとき、mori様が、私の持った印象を強力に強化する方向でのご発言をされまし
た。「世間話」「葬儀屋が商売で介入してくる現代社会の葬儀セレモニーについて、先ず問題にすべきです」のご発言がそれです。mori様もまた、番組を
視聴しておられませんでした。本来はmori様のご発言は別扱いする必要があるかと思いますが、そこまでの余裕は私にはないし、外部者から見れば、「お
坊さん」の意見として一括りにできる部分もあるかもしれない、と感じました。それで、以降のやり取りにつながっているのです。

蛇足ですが、昭和の時代に定番となった(?)従来の意味での葬式を必要とする立場は、議論全体を拒否するように見えるのも当然かも知れません。なぜな
ら、葬式を文化論や社会制度論として議論するときは、必ず金額面を通じて要不要の議論も派生するだろうし、要不要を議論するときは、必ず不要や代替(セ
レモニー?)の可能性についても論じることになる、だから葬式論そのものを拒否する、という考え方の流れもあるのかな、と思います。望ましい方向性とは
思えませんが。

Shingyo Yoshimoto

unread,
May 10, 2010, 8:23:27 PM5/10/10
to nakatu...@googlegroups.com
wo3さん、なるほど、紹介でしたね。それを早とちりして、要不要の意見を求められたと勘違いして、今回の議論になったようです。やはり、葬式で食べさせてもらっている僧侶というフィルターがかかっているのですね。反省!。
こういうビデオを見ながら、ビハーラの会で議論するということも大切かもしれません。多数の議論があれば、遠慮する理由もなくなりますから。

この議論には関係ありませんが、これは全くの紹介です、今日たまたま見たもの。
http://hirokonchi.exblog.jp/13277472/

10/05/11 wo3 <shinb...@gmail.com>:
--
吉元 信行 Yoshimoto, Shingyo
〒871-0111 大分県中津市三光佐知462-1 真宗大谷派「大日寺」
Tel/Fax: 0979-43-2245
E-mail: shingyo....@gmail.com
URL:// http://yshmtshngy.cocolog-nifty.com/blog/

wo3

unread,
May 11, 2010, 5:57:29 AM5/11/10
to 中津ビハーラの会
今回は、葬式の「要不要」では二項対立のため、当事者が拒否的になる傾向を避けられないように思いました。しかし、「葬式事情の変化」というテーマでの
議論なら、経時的な事実の積み上げとその分析という意味で、当事者にも拒否する理由はないでしょう。そんな意味で、今日、たまたま書店に立ち寄った際
に、新聞の書評欄に掲載された本の棚で、こんな本を発見しました。

『お坊さんが困る仏教の話 (新潮新書)』

読売新聞の書評があるそうです。安い本でしたが、気が向かないので敢えて買わず、立ち読みでざっくりと通読しました。大体は既に知っている内容でした。
しかし、仏陀の教えと現代の大乗仏教による教えの間にある、意外に大きな(!)違いが、読者にどんな印象を与えているのか、といった点などには興味があ
ります。

仏教者の立場に依る議論は、情報発信にかかるコストがこれほど下がっているご時世においてすら、あまり見られないのも面白いです。もしかしたら、見下ろ
して無視している間に外堀を埋められているのかな?と疑問に感じるほどです。外堀を埋めているのは、葬式をビジネスと捉えて新たなサービスに取り組んで
きた業者と、それを消費者の立場から支持してきた一般国民です。

ここは日本ですから、「業者は商売だから」という趣旨では、批判どころか愚痴にもならないと思います。生計の手段は別にあって、お坊さんの立場としては
絶対に金品を受け取らないような人なら、まあ言ってもいいのかな。。。でも、生計の手段と仏教が直結しているお仲間からは、批判を受けるかもしれませ
ん。

本筋の仏教者は、仏教のことわざではありませんが、目には目を、歯には歯を、新書には新書を、という段取りでもって、目から鱗が落ちるような反論を立て
てくれるお坊さんを、探すか、あるいは自力でそうなるべきだと思います。これはちょっとした一例ですが、仏教者にとって葬儀の業者は、決して敵ではな
く、世俗宗教が置かれた自由競争市場におけるライバルだと思います。

京都での市立看護大学のニュースを通読しても、それに通じる感想を持ちます。またいつか、ご議論できればと思います。

随念院

unread,
May 11, 2010, 7:43:42 AM5/11/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、なるほど、新聞の見出しと同じで、表題で身構えてしまいますね。今回のお話は大変ありがたく、納得の行くコメントでした。仏教の話をする場
合、やはり衣を脱いで話さなければならないとつくづく思いました。
これによく似た話ですが、最近、ツイッターで、仏教の理解に関してあまりにカチンと来るコメントがあったので、発言したら、大変な議論になり、引き下が
るわけも行かず、大汗をかきました。議論の仕方でも、よほどこちらの立場をしっかりしておかなければと痛感した次第です。歴史的に大乗経典が最もたくさ
ん作られた時代である「紀元前後から5世紀ごろまでは大乗仏教教団は存在しなかった」という説です。
これから、あまり構えないで話し合いをしたいと思っています。今後とも宜しく。

wo3

unread,
May 11, 2010, 9:38:00 AM5/11/10
to nakatu...@googlegroups.com
随念院先生、もしもよろしければ、「仏教の理解に関してあまりにカチンと来るコメント」のログを読ませていただけますでしょうか。ツイッターなら、流れが早ければもう読めないかも知れませんが、どのアドレスに書き込んだか教えていただければ追えると思います。いずれにせよ、今後ともよろしくお願いいたします。

Shingyo Yoshimoto

unread,
May 11, 2010, 10:23:09 PM5/11/10
to nakatu...@googlegroups.com
wo3さん、そちらで読めるかどうかわかりませんが、議論した先方が次のように議論を拾い出してまとめています。ツイッターはこんな便利な機能もあるのですね。でも、今読んでみると、恥ずかしい限りで、あまり偉そうに言えません、反省しきり。
http://togetter.com/li/20206


10/05/11 wo3 <shinb...@gmail.com>:

--
吉元 信行 Yoshimoto, Shingyo
〒871-0111 大分県中津市三光佐知462-1 真宗大谷派「大日寺」
Tel/Fax: 0979-43-2245
E-mail: shingyo....@gmail.com
URL:// http://yshmtshngy.cocolog-nifty.com/blog/

wo3

unread,
May 12, 2010, 3:54:39 AM5/12/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、togetterログ読ませていただきました。専門用語のオンパレードで、私にはずいぶんと敷居が高いです。「変成男子」は初めて知りまし
たし、「注釈文献の混入可能性」とはどういう意味か、よく分かりません。もしかして、写本の関係でしょうか。。。と、そんな感じで、申し訳ないことです
が、けっこう眠気とも戦いました。しかし、頑張って読破しました。
全体の文脈からうっすらと見えたのは、やりとりの最後の部分で「大乗教団がなかったことにはまだ納得出来ません。」→「先生に大乗教団が無かった説に納
得して頂こうなどとは思いません。」というまとめがあるんだなあ、というところでしょうか。。。

あと、ちょっと興味を引いたのは、一つは「時代背景を考えると教外別伝とした禅の先師先哲には今更ながら驚嘆します」とはどういう意味だろうか、という
ことと、もう一つは「複雑なまま記述していく態度」の重要性を強調しながら、後で「大切なのは主流がなんであったか」とも言っていて、これは矛盾じゃな
いかなあ、と思ったことでした。

最後に、かなり根本的で素朴な疑問だと思いますが、大乗教団が5世紀に存在していたかどうかは、なぜ問題なのでしょうか。結論は必要でしょうか。結論が
あるとして、それが何に対して、どんな影響を及ぼすのでしょうか。現代人への影響は、どういったところにあるのでしょうか。

wo3

unread,
May 12, 2010, 4:04:07 AM5/12/10
to 中津ビハーラの会
先ほどの投稿で書き忘れたことがありました。
「編成男子」ですが、これは原始仏教を理解するための、かなり基本的な概念のようですね。しかし恐らく、一般の中学や高校の国語や社会科の教科書には出
てこないと思います。そこで、例えば大谷大学など専門的な学校では、どの水準の知識とされているのでしょうか。例えば、1年生の夏休みには全員が意味を
理解し、2年生終了時には全員が外部者にも説明できること、などの基準はあるでしょうか。基準とまでは言わなくても、普通は何年生なら当たり前に説明で
きるはず、みたいな常識はあるでしょうか。

随念院

unread,
May 12, 2010, 7:42:26 AM5/12/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、大変な難しい議論をお見せしてしまいました。これが仏教学の基礎学で、こういう手続きを繰り返した上で、現場の問題に関わろうとしているの
が私たちです。したがって、この議論とビハーラ現場とでは直接の関係を見出すのは困難かもしれません。

<「「変成男子」は初めて知りまし た> ブッダが男性でしたから、女性はブッダにはなれないというのが古来の仏教の常識でしたが、大乗仏教になって、
女性でも、男性に変身すれば、成仏できるという思想が成立した、それを言います。
紀元前後に大乗仏教が成立しますが、5世紀ごろまで、仏教遺跡は小乗教団のものばかりで、大乗仏教の遺跡は皆無であるのに対して、大乗経典は小乗文献以
上に沢山作られました。この謎についての論議で、論客は、考古学的証拠がないから、大乗教団はなかったと結論しますが、私たちは、主流の小乗仏教教団か
ら大乗仏教は排斥されていたので、アンダーグラウンドに(隠れキリシタンのように)民衆の間で栄えたと考えています。それが、最近の学問研究で前者の学
説が有力になってきつつあるのです。


> 全体の文脈からうっすらと見えたのは、やりとりの最後の部分で「大乗教団がなかったことにはまだ納得出来ません。」→「先生に大乗教団が無かった説に納> 得して頂こうなどとは思いません。」というまとめがあるんだなあ、というところでしょうか。。。>

学界ではこれらの説は確定していなくて、論争の最中です。

> あと、ちょっと興味を引いたのは、一つは「時代背景を考えると教外別伝とした禅の先師先哲には今更ながら驚嘆します」とはどういう意味だろうか、という>

仏教はいずれも経典などの文献を重要視しますが、禅宗だけは、文献を重要視せず、先師からの直伝を尊重する傾向にあったと言うこと。たとえば、「カッ」
と言った途端に覚りが開けるとか。

<「複雑なまま記述していく態度」の重要性を強調しながら、後で「大切なのは主流がなんであったか」とも言っていて、これは矛盾じゃな
いかなあ、と思ったことでした。>
大乗仏教成立時代、主流の教団は部派仏教教団(小乗教団)でした。わたしは、主流かもしれないが、小乗教団は民衆から遊離し、主流はたてまえで、アング
ラの大乗教団が大きな力を持っていたのではないかという説を持っているのです。

> 最後に、かなり根本的で素朴な疑問だと思いますが、大乗教団が5世紀に存在していたかどうかは、なぜ問題なのでしょうか。結論は必要でしょうか。結論が> あるとして、それが何に対して、どんな影響を及ぼすのでしょうか。現代人への影響は、どういったところにあるのでしょうか。>

なぜ、我々の生活に関係のない天文学が必要なのか?という質問にどう答えますか。
仏教がどのように成立し、どのように展開して現在の仏教があるのか、ということは、ビハーラで仏教を如何に活用するか、活用出来るかと言う問題には必須
の課題となるのです。

随念院

unread,
May 12, 2010, 7:51:45 AM5/12/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、

> 「編成男子」→ 「変成男子」


ですが、これは原始仏教を理解するための、かなり基本的な概念のようですね。しかし恐らく、一般の中学や高校の国語や社会科の教科書には出
> てこないと思います。そこで、例えば大谷大学など専門的な学校では、どの水準の知識とされているのでしょうか。例えば、1年生の夏休みには全員が意味を> 理解し、2年生終了時には全員が外部者にも説明できること、などの基準はあるでしょうか。基準とまでは言わなくても、普通は何年生なら当たり前に説明で> きるはず、みたいな常識はあるでしょうか。>

変成男子の思想は、女性のままでは仏陀になれないということだから、女性差別であると、仏教界全体で議論されています(私は女性差別ではないと思ってい
ますが)。親鸞はこの問題を見事に克服しています。
いずれにしろ、仏教では重要な問題ですから、大谷大学でも、仏教学、真宗学の学生は1回生くらいで教えられます。他学科の学生も2~3回生までには、仏
教学が必須ですから、その機会に教えられるはずです。

wo3

unread,
May 12, 2010, 9:06:17 AM5/12/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、細々とした疑問に分かりやすくお応えいただき、ありがとうございます。また機会があれば、専門的な議論の一部を垣間見るのも良いかも、と思
います。

今回は、この分野において気楽な部外者たる私は、専門家の皆様が関心を持たれている領域とは必ずしも一致しない部分に関心を惹かれていると思いました。
それは、議論の中身というよりは、論者の皆様の間で暗黙に共有されているように感じられる作法とか、論理の積み上げ方のようなものについてです。

例えば、件の「変成男子」ですが、これが当該の社会において常識であったはず、という共通認識が、論者の間にあるようです。これは恐らく、当時の文献に
一般名詞として頻出する、という事実を根拠とするのでしょう。では、当該の文献に日常的に触れた人々(識字社会)の常識はそれで良いとして、より大き
かったであろうところの、非識字社会を含む全体の常識も、前者に準じて語れるのでしょうか。格差隔絶の少ない社会だったのでしょうか。

事実による根拠の提示と言っても、事実ごとに、いわゆるエビデンスレベルの評価があるはずです。その事実がこのレベルでエビデンスとなるから、以下の文
脈が成り立つ、という議論の「作法」があると思うのですが、いかがでしょうか。学問的議論において、まさか論者による多数決とか、教団による権威付けな
どはないでしょう。そういった議論の前提が、私にはよく分かりません。

そんな意味で、仏教学の議論の「作法」を理解できないと、なかなか先には進めないなあ、と思いました。例えば、「大乗仏教がアンダーグラウンドで栄え
た」という仮説に対して、それを裏付ける根拠と、裏付けない根拠が並立しているのでしょうが(そこが議論になってましたから)、読者として両者をどう比
較し、最終的にどう評価すればよいか分かりません。個別の知識は調べれば後から理解できますが、知識を集めた後の扱い方が、先の議論を読んだだけでは分
からないのです。論者は互いに、本当に同じルールの中にいるのでしょうか。

■「学界ではこれらの説は確定していなくて、論争の最中です。」

そう、それです。まさにその論争が、いったいどんな「作法」によって行われているのか、それをぜひ知りたいです。

■「仏教はいずれも経典などの文献を重要視しますが、禅宗だけは、文献を重要視せず、先師からの直伝を尊重する傾向にあったと言うこと。たとえば、
「カッ」と言った途端に覚りが開けるとか。」

これは件の「作法」に当たると思います。事実の提示に先立ち、予め独自のルールを宣言していると理解しました。

■「なぜ、我々の生活に関係のない天文学が必要なのか?という質問にどう答えますか。」

随念院先生、天文学の必要性な理由は、天文学者における説明責任です。私たちの責任ではないと思います。天文学が公的な学問として存在すべきなら、当事
者による外部者への説明が必要です。これができないと、時代的な「事業仕分け」を受けて、公的セクターから、より私的なセクターに移動することになりま
す。天文学においては、件の「作法」に関しては、自然科学のルールを全面的に取り入れて、数式による表現やピアレビューが常識ですから、信頼できると思
います。私のここでの疑問は、自然科学と同じか、それに対応する「作法」が、件の議論にあるかどうか分からなかったことです。

■「仏教がどのように成立し、どのように展開して現在の仏教があるのか、ということは、ビハーラで仏教を如何に活用するか、活用出来るかと言う問題には
必須の課題となるのです。」

結論は明快ですが、その結論に至る論理展開が、ここでも私にはよく分かりません。ビハーラの存在理由は、例えば「みんなの不安な気持ちに応えたい」とい
う我々の意思が理由の一つになるのではないかと思います。。。と、ここまで書いていて、自分なりに得心したかもしれません(苦笑)。いきなりひらめきま
した(笑)ので、ここから先はまた今度(笑)。

Shingyo Yoshimoto

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May 13, 2010, 2:23:33 AM5/13/10
to nakatu...@googlegroups.com
wo3さん、「変成男子」の願いは、識字社会に発生しましたが、説法や口づてに非識字者会の人にも浸透しました。その社会がアンダーグラウンドであると私は思うのですが、論客はそうは思っていないようです。
論争の作法には、信仰、考古学的発掘、文献の典拠、外部資料を活用するなどいろいろあるのですが、同じ作法に基づけば、論争はいずれ決着するはずなのに、それぞれが勝手に使うものですから、論争は終わりません。仏教学で最も困難で長い論争は「仏滅年代論」で、200年くらい前からあるのに未決着です。ブッダの入滅の年代に150年くらいの説の食い違いがあるのです。邪馬台国論争とよく似ています。
私には約50年間の仏教学の学問の積み重ねがあります(ずいぶん忘れていますが)、wo3さんも、看護学の基礎がかなりあると思います。その蘊蓄の上で、ビハーラの会で議論・話し合いをしているはずです。だから、餅屋は餅屋で良いんではないでしょうか、話し合いの中で、自分の蘊蓄を少し披露することはあると思いますが、そのことを知らなければ議論ができないと言うと、会議は困ったことになります。それぞれの立場で自由に意見を交換しあうと言うことでいいのではないでしょうか。

wo3

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May 13, 2010, 5:02:33 AM5/13/10
to 中津ビハーラの会
随念院先生、さらにさらに分かりやすいご解説に感謝いたします。

この場で私が問題にしてきた「論争の作法」ですが、大方の様子が理解できました。これまで自分自身で持っている知識にも、一貫性が出てきたと思います。
と、それは良いのですが、仏教学の現状が、先生のご解説の通りであるならば、その中心を欧米論壇に奪われるのも、まあまあ致し方ないのかなあ、と、この
ように思いました。実際、個人的に勉強する分には、英語資料の方が分かりやすいような気がして、おかしいなあ、と感じていたところです。とてもとても不
思議に感じておりました。

日本のガラパゴス化は、産業だけでなく、学問においても逃れられないのかもしれません。今後も何の対策もないのであれば、ビハーラも本格的に研究すると
きは、その共通言語は英語になるかもしれませんね。。。

Shingyo Yoshimoto

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May 13, 2010, 7:35:38 AM5/13/10
to nakatu...@googlegroups.com
そうですね。日本の仏教学は、明治までは、江戸時代の訓詁学でした。それが、明治中頃、南条文雄師(大谷派僧侶、日本で最初の文学博士、大谷大学2代学長)がヨーロッパに留学して、西洋流の新しい仏教学を確立しました。その方法論の伝統が日本の現在の仏教学になっています。現在の仏教学者も西洋には弱い。これまで大乗仏教は在家佛教からの発展だというのが常識だったのに、ショーペンというヨーロッパの学者が伝統小乗仏教から発展したと言い出し、それが主流になりつつあります。
wo3さんが経典を読む場合、英訳で読んだ方がわかりやすいと思います。
それから、今回のビハーラでは、熱烈な真宗信者で真宗学をあちこちで学んでいるKさんが報告しますので、難しい真宗教義用語が出てくるかもしれませんから、その都度、wo3さんが、用語や教義の説明を求めるといいと思います。私や広瀬くんはわかりますが、甲斐さんやあなたにはわからないことが多いと思います。甲斐さんは遠慮がちな人ですから。
英語で議論するのは私には無理として、英語にも翻訳できるような言葉で議論したいですね。
仏教の専門用語はできるだけ使わないようにしたいですね。

10/05/13 wo3 <shinb...@gmail.com>:

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吉元 信行 Yoshimoto, Shingyo
〒871-0111 大分県中津市三光佐知462-1 真宗大谷派「大日寺」
Tel/Fax: 0979-43-2245
E-mail: shingyo....@gmail.com
URL:// http://yshmtshngy.cocolog-nifty.com/blog/

Shingyo Yoshimoto

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May 19, 2010, 10:18:16 PM5/19/10
to nakatu...@googlegroups.com
wo3さん、ツイッターでもかなりの議論がありますので、紹介しておきます。
http://togetter.com/li/22202
http://togetter.com/li/22308
議論が、生前(死ぬ前)の戒名、法名の問題に移っています。
ちなみに、真宗では、「戒名」という言葉は使わず、在家者として帰敬式を受けて「法名」をいただくということになっています。法名は住職が授与できますが、理想は本山の門主からいただくということです。その場合の冥加金はうんと少額です。
イオンが8宗の本山の了解を得たとした発表した戒名料というのは、都会での慣例相場ということかもしれませんが、むちゃくちゃで、少なくとも真宗大谷派は認めているはずはありません。

10/05/13 Shingyo Yoshimoto <shingyo....@gmail.com>:

wo3

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May 20, 2010, 6:11:39 AM5/20/10
to 中津ビハーラの会
ご紹介ありがとうございました。
これから読んでみます。

その前に、件のページにある最初の言葉、「何かが音をたてて崩れ始めている」だけを読んでの印象です。件の言葉が、「崩れる」ことに対してどんな価値判
断を示しているのか分かりませんし、あくまでイメージとして受け取っていただきたいのですが。

今主流にある既製の仏教は、鎌倉時代の新仏教から800年も経つのだから、そりゃ何も壊れないほうがおかしいのではないか、と感じます。制度疲労もある
でしょう。たしか、親鸞やそのお師匠である法然が自分のセクトを作ったのも、先の言葉を借りれば「何かが音を立てて崩れ始めている」と彼ら自身が思った
からだった、と記述されていたと思います。日本への仏教伝来から新仏教の始まりまで、600年くらいですか。だったら、時代の変化も早くなっているはず
の現代で、なんにも崩れないと思う方が不自然ではないかと思います。平安時代には起こった決定的な崩れが、鎌倉時代から今までの間は一度も起きなかっ
た、とも思えません。新仏教の創始者達自身の考えや実践に照らしても、既製の団体を修繕しながら持ちこたえる必要が、根本的にはあるのかどうか、ちょっ
と疑問です。大乗という言葉には、本当に崩れたと思ったら、乗り換えられる乗り物、とうイメージがあります。そう思えば、葬式のやり方が都会の方から変
わってきているのも、悪し様に言うこととは限らないようにも思います。

そのあたりで、一神教ほど厳密に枠組みを作らず、ふわりと変わっていけるだけの懐の深さが、仏教にはあるのではないかと思います。

wo3

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May 20, 2010, 9:43:29 AM5/20/10
to 中津ビハーラの会
ツイッターのログを読んでみましたが、途中で論旨を追えなくなってしまい、ひとまずあきらめました。
イオンの葬儀は、私は最初は知りませんでしたが、話題になっているようですね。
ここではリンクを出しませんが、検索すると、いろいろと論評も出ているようです。

随念院

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May 21, 2010, 5:32:35 AM5/21/10
to 中津ビハーラの会
wo3さん、おっしゃるとおり、ツイッターについていくのは大変ですね。ぼくも危うく巻き込まれそうになりましたが、もうやめておきます。
なにか興味あるのがありましたら、紹介します。
ところで、ミクシーの方はどうですか?。時間はないかもしれませんが、もしあれば、一度私の日記一覧を読んで頂いて、興味のある問題を指摘してくれませ
んか。
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