wo3様
私の意見を述べさせていただきます。
----- Original Message -----
From: "wo3" <
shinb...@gmail.com>
To: "中津ビハーラの会" <
nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Sunday, September 27, 2009 10:38 PM
Subject: 「ビハーラ・維摩経」の復習:1
> ■疑問1
>
> まず、本書の1ページは「序」ですが、いきなり文章への疑問が沸いております。
>
> 「医療機関・福祉施設への仏教的ケアが必要とされている昨今」
>
> これはいったい、どういう意味でしょうか?実証的言説か、あるいは希望的言説
か。。。私自身は、それほど仏教的ケアが必要とされている現場を見かけた経
> 験はありません。そのような経験談も、勉強会に参加する前には聞いたことがあり
ませんでした。いかにもポジショントークっぽい印象があります。しかし、
> もしも何らかの根拠を基にしての言説であるならば、読者にもその一端をお示しい
ただければよかったのになあ、と思います。
◎「医療機関・福祉施設への仏教的ケアが必要とされている昨今」ということは、確
かに希望的言説ではあります。アンケートをとったわけでもありません。ですが、老
病死の現場で本当に必要とされているのは、死ぬことに対するケアであるのは、確か
なことであると思います。死ぬことに対するケア、これは仏教でなければありえませ
ん。キリスト教の場合は痛みや苦しみに対するケアであると考えます。そしてその苦
しみは身体的痛みに対しての緩和であります。ホスピスは現代医療では治癒すること
のない患者を、せめて身体的痛みだけは取り除き、最後までその人らしい最期をおく
れるようケアする処であると学んでおります。
仏教は身体的痛みに対するケアよりも、どちらかというと、精神的苦痛に対するケア
かなと思います。社会的苦痛に対するケアはこれこそ家族、周囲の人々、全てが関
わっていかなければならないソーシャルワーク的な問題でしょう。
入院していたり、老人ホームに入所して、毎日を暮らしている方々(死を待つという
意味ではありません)に対して安らかな最期を迎えることのケア、これこそが仏教的
ケアと思います。
今の日本仏教は、知識の多量摂取ばかりが優先されていて、死ぬことの問題が解決さ
れていません。
症状に合わせて投薬するだけの医療ではなくて、生きている間に対象者に生きるこ
と、死ぬことを考えてもらう手助けをする医療が必要ではないかという願いから、
「医療機関・福祉施設への仏教的ケアが必要とされている昨今」という文言になりま
した。しかし「本当に〈死ぬこと〉への解決がその人たちに出来ていない昨今」とい
うのが妥当であるかも知れません。
これはこれからの国東仏教研究会の課題にさせてください。
>
> ■疑問2
>
> 4ページ4行目、「阿毘達磨」のルビが「あびだつま」となっていますが、これは
「あびだるま」でなくて「だつま」が正しいのでしょうか。
>
◎さっそく調べてみます。
> ■疑問3
>
> 5ページ1行目「仏教ホスピスという表現がイヤ」という文脈がまずあってのビハー
ラ運動であれば、例会の場でのお話にも出しましたように、「ビハーラ
> 21」という表現にも疑問を感じるべきではないでしょうか。逆に言えば、仮にこの
「ビハーラ21」という表現が特に気にならないのであれば、「仏教ホス
> ピスという表現がイヤ」というその心根も、その程度に過ぎないと理解せざるを得
ない、ということです。
>
◎「仏教ホスピスという表現がイヤ」というのは、その人の思いであって、そしてキ
リスト教とは違う仏教的な世界からの発想をということかなと、たんに私は思いま
す。
> ■疑問4
>
> 5ページ6行目「京都ビハーラの会」という学習会のメンバーについて。医師は参加
していなかったのでしょうか。医師が参加していない勉強会なのに、長岡
> 西病院のビハーラ病棟につながったのは、勉強会には参加しないが賛同する医師が
いた、ということでしょうが、それはそれで、より詳しい解説を必要とする
> ところではないかと思います。
>
> 現実問題としては、「ビハーラの提唱と展開」の中ですでにある程度の説明が行わ
れているところではあります。ただし、この本に書かれているのは、あくま
> で設立の経緯であって、日常の臨床がどうであるかは書かれていません。
>
> ここで、ビハーラ運動の主眼が施設の立ち上げにあるのであれば、特に問題はない
のでしょう。しかし、たぶんその主たる目的は、まさに日常の臨床の中にこ
> そあると思いたいところです。ところが、その日常の臨床を先導する立場である医
師が、「京都ビハーラの会」のは参加していなかった、ということです。こ
> のあたりから、未だ現場を見ていない私としては、いろいろと妄想してしまうとこ
ろがあります。たとえば、いわゆる「仏教看護・ビハーラ学会」の運動が、
> 今一つ停滞しているように見えるのは、どういうことでしょうか。立ち上げたまで
は良かったが、日常の臨床に立ち止まることが多いということではないの
> か、ということなどです。。。
>
◎「日常の臨床」ということは、一番目指していかなければならない私個人の課題で
す。私はそのために福祉施設の現場にいるようなものです。この点は少し考えてから
意見を述べさせてください。
> ■疑問5
>
> 7ページ6行目「維摩詰」は、どうやらこの本における彼の最初の登場と思われます
が、ルビはないようです。この点については、すでに先の例会の場でお話
> ししたところです。本書では、一方で「在家」にルビが振ってありますが、このバ
ランスには素朴な疑問を感じます。
>
◎ルビの振り方はたんに編集上の問題です。第2版の予定が出来ましたら、著者の指
示に従おうと思います。
> ▼余談▼
>
> 先の例会でのお話からヒントをいただき、このグーグルグループの場で「ビハーラ
・維摩経」の復習をしてみようと思い立ちました。まさに徒然なる議論とな
> る可能性大ではあります。が、私たちの「ビハーラの会」におけるネット利用の可
能性を広げる一助になることを希望して、重荷にならない程度にがんばって
> みたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
>
> ところで、件の「長岡西病院」ですが、例会の場でも少しだけ言葉が出まして、そ
れから多少気になっております。
>
> 「中津ビハーラの会」に、「仏教看護」の可能性を求めて積極的に参加させていた
だいております私ですが、調べてみればみるほど、「仏教看護」たる名前も
> 実践も、世間的にはあまり盛り上がってはいない様子が窺われます。
>
◎仏教看護が盛り上がらないのは、仏教に対する無知と先入観と、日常の臨床が出来
ていないということかと思います。
> このような状況で、件の運動の本場、本山の一つとも言えるであろう「長岡西病
院」の存在があり、先日はビデオ鑑賞もしたところでした。一方、その設立の
> 経緯はともかく、現実の臨床の場がどうであるかについては、あまりに情報が少な
く、九州からではいかにもベールに包まれた程度にしか理解できません。
>
> そこで仮に私が「実際に体験してみよう、九州に仏教看護の精神と実践を持ち帰ろ
う」の精神で、2~3年はかかる覚悟で「長岡西病院」に就職したとした
> ら。。。まるで三蔵法師だなあ、ちょっとした西遊記だなあ、と思いました。
>
> そこでふと、ハローワークインターネットサービスにアクセスしてみたところ、
「長岡西病院」の求人票を発見しました。この病院は、いま現に、看護師を募
> 集しているということです。うーん、これは、一考の価値はあるのかもしれないな
あ、と思う次第です。まあ、挑戦しても受け入れられるかどうかは分からな
> いのですが、妄想が次第に膨らんでいるところではあります。
◎病院勤務というよりも、訪問看護ステーションを立ち上げて、在宅ホスピス(ビ
ハーラ)をwo3さんが実践されるというのはいかがでしょうか? 私は自分の夢を
叶える第1歩として、NPO法人を立ち上げました。(^。^)
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