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中津ビハーラの会
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第17回例会懇談要旨への感想
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wo3
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Apr 25, 2009, 10:40:30 AM
4/25/09
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to 中津ビハーラの会
こんにちは。
先ほど、「中津ビハーラの会」ブログの新しい記事にコメントを投稿させていただきました。この中で取り上げました新聞記事の全文をこちらに転記させてい
ただきます。リンク切れの用心です。
さて、対本宗訓という方は、僧侶として相当優秀で高名な方であられるようです。しかし医学の背景にある哲学や今の日本が置かれた医療事情を放置して、僧
侶の考え方のままで医師資格だけを求められた方のようにも受け取れます。もしもそうだとしたら、なんとなく“生臭い”ようにも私には思われます。大きな
声では言いませんが、“資格で儲けたかっただけとちゃうんか”と、密かに問うてもみたいところです。実際、やっておられることが医師としては“おいしい
とこ取り”に見えてしまいます。
医師としての臨床観に関する議論は件の医師ブログに譲りますが、看取ることが重要だと心から思うのであれば、やはり医学ではなくて看護学、すなわち、医
師でなくて看護師ではないかと、私はそう思います。制度の中で有利な立場を欲しいのであれば、確かに医師がいいな、とも思います。しかし現場にいる者と
して、それで本当に臨床していると言えるのか、という疑問は残ります。
===以下新聞記事===
医師になった僧侶 「人生完成させる」手助けに
2009年4月25日15時19分 朝日新聞
医師は人の体を診る。僧侶は「いのち」を見つめる。その両方ができれば、病む人の苦悩を丸ごと受け止められるのではないか。ならば、と禅僧の対本宗訓
(つしもと・そうくん)さん(54)は医師になった。みずからを「僧医」と呼ぶ。その目には何が見えてきたのだろう。
東京・浅草近くの小さな内科クリニック。つるつるに剃(そ)った頭に白衣姿の対本さんが、超音波診断装置を指さす。「この操作が意外と難しく
て……」
医師国家試験に合格、2年間の初期臨床研修をこのほど終えた。クリニックには4月から週3日のペースで勤め始めたばかりだ。「技術はなおトレーニング
中ですが、臨床ではもう独り立ち。下町のホームドクターとして、どんな病気でも拝見しなければなりません」
かつては臨済宗の一派の管長だった。広島県にある本山は600年の歴史を誇り、38歳での最高位就任は異例だった。
一方、胸の内では「いのちとは何か」という問いが膨らんでいた。きっかけは、父親が長い闘病生活の末に亡くなったことだ。管長になる3年前である。
「人にはこころだけでなく、肉体という側面があります。老・病・死をめぐる苦は体と切り離しては考えられませんが、僧侶には医学の知識がない。医療現
場に飛び込み、人間という存在を考えねばと思ったのです」
管長しつつ勉強
管長の重責をこなしつつ、医学部を受験しようと決めた。禅の道場は朝4時起床。睡眠を1、2時間に削り、勉強する日がたびたびあった。
2000年の春、帝京大学医学部に合格した。平日は東京、土日は広島という生活だ。トップみずからの行動に「伝統に安住せず、現代にどんな役割を果た
せるかを一人ひとりが問い直そう」とのメッセージをこめた。しかし共感は広がらず、その秋に辞任した。
医学部に入り、人体を冷徹に見ることを迫られた。2年生での解剖実習では、「メスを入れるのは抵抗感がありました。申し訳ありません、という気持ちで
す」。献体された遺体を切ったときの感触はいまも残る。
初めて看取(みと)りを任されたのは、卒業後の臨床研修に入って3カ月目。50代半ばの男性が最期を迎えようとしていた。見守る家族はおろおろするば
かり。そのとき患者が、懸命に呼吸補助装置を調整する対本さんの手をつかみ、酸素マスクの下から息たえだえに、こう言った。
「私はなぜ、こんな思いをしなければいけないんですか」
医療を超えた問いである。「その瞬間、頭の中で何千冊もの仏教の本のページがパラパラッとめくられた気がします。気の利いたことばは何も出てきませ
ん。現場にあるのは個別の苦悩。対応するのがいかに難しいか、痛いほど実感しました」
そんな「逃げようのない場」では、自分を空(くう)にしなければと気づいた。「ただし軸足は定まっていて、柔軟に相手に合わせる。それには、よほどの
力をつけないと」
医師が扱う「生命」と僧侶が説く「いのち」。そのつながりを考えるうえで、忘れられない場面がある。
まだ医学生のときのことだ。脳腫瘍(しゅよう)の手術を受けたものの、回復の見込みのない患者を受け持った。話は通じない。ただ、目で語りかけている
かのようだ。その姿をじっと見つめた。
「そうしますとね、病気という薄皮1枚の奥で、何ら欠けたところのないものが生き生きと息づいているように感じたんです。それを『いのち』とも『たま
しい』とも呼んでいい。病むことも傷つくこともない……。すべてをそのままで、よし、としているような神々しさを感じ取りましたね」
両方からさぐる
そうした経験を経て、いま、何かをとらえかけている気がしているという。「感触で言えば」と、左手を伸ばしながら語る。「体を診ることによって何かを
つかもうとする」。今度は右手を出す。「僧侶として、こちらからさぐろうとする」
見えない球のようなものを両手でつかむしぐさをする。「両方からまさぐって、何かにちょっと触れているのかな、という感じでしょうか。何とも名付けよ
うのない、この奥のところを究めたいのです」
医師としてはもちろん、肉体の苦しさを少しでも軽くしてあげたい。しかし、こうも考える。「病や老い、死は人生の大切な契機。それに向き合うことで何
かに目覚め、成長していく。そうした経験をするために、人はあえて肉体をまとってこの世に生まれてくるのではないでしょうか」
近く緩和ケアチームのある総合病院にも勤める。がん末期の人に接し、「人生を完成させるお手伝い」をしたい。僧医としての力がいよいよ試される。(磯
村健太郎)
随念院
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Apr 27, 2009, 5:06:10 AM
4/27/09
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Wo3さん、対本さんの新聞記事、ありがとうございます。この方は特別の方で、私には無理なことですが、その意欲と努力、そしてそれを実現したことは高
く評価したいと思います。ただ、とても真似はできないので、医師や看護師に学びながら、僧侶はいかにあるべきかということを課題としたいと思います。
wo3
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Apr 30, 2009, 7:54:05 AM
4/30/09
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to 中津ビハーラの会
こんにちは。
ご返信ありがとうございます。
さて、先日の投稿では件の“現代の僧医”こと対本氏に対して、私は“生臭い”という第一印象を語ってしまいました。しかし後から少し考えてみると、この
方が卒業された帝京大学医学部の学費だけでも6年分の総額で5000万円はするであろうことや、宗派からの組織的な支援も特になかった様子が気になりま
した。このため、ある程度は生臭い要素もこなしていかなければ、勘定を合わせることはできなかったのかもしれない、と思いなおしました。
それはともかく、「一派の管長」というお立場がどれだけのことか想像するにも余りあることです。たぶん、学生の時に教授よりステータスが高いという状況
であったのではないでしょうか。そういう僧侶の方がご自身の力で現実の医療に踏み込んでこられた、そして実際に国家資格を取得された、という事実に対し
て、純粋に経緯を表す必要があると思い直しました。それも、恐らく40歳代後半からの挑戦です。純粋に、すごいことだと思います。
これを自分に当てはめて考えると、自分がもしもこれから僧侶になるための勉強を始めるとしたら。。。と思うと、やはり相当の覚悟が必要になってくるだろ
うなあ、と思います。ただし、6年もの期間はともかく、5000万円ものお金がかかるとまでは思えず、障害は(もしもあるとすれば)もっと別のところに
ありそうだという気もします。
そのように考えてみますと、総合的な見識を得るための順序の問題として考える場合、もしかしたら、僧侶→医師(私の場合は看護師/保健師)というより
は、医師(看護師/保健師)→僧侶という順序の方が、いくらか斜面がなだらかなのかもしれない、という疑問が起こりました。ただしここれはあくまで私自
身にとっての疑問であり、このコミュニティにおける問題提議にすぎません。
随念院
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May 1, 2009, 4:29:45 AM
5/1/09
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to 中津ビハーラの会
wo3さん、
「医師(看護師/保健師)→僧侶という順序」なら、可能と思います。ほかの宗派は知りませんが、真宗大谷派の場合、僧侶でも、一応布教のでき、住職にな
れる地位を得るためには、全寮制の缶詰で1年間の学習研修(達成確率95%くらい)、短期大学に通学2年(95%くらい)、独学したうえで短期講習受講
し、検定試験(30%くらい)、まったくの独学で検定試験(10%くらい)という事になると思います。いずれも別に、2週間の缶詰修行研修あり。
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