「第21回例会要旨報告」にコメントしました

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wo3

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Aug 29, 2009, 10:20:40 AM8/29/09
to 中津ビハーラの会
こんにちは。
先ほど、中津ビハーラの会ブログ記事「第21回例会要旨報告」宛にコメントいたしました。

さて、当日のお話の中で、ある先生が「眠るのが怖い」というお話をされたことから始まるお話がネットで記事になっているというお話がありました。その記
事が掲載されているホームページは、恐らく「国東仏教研究会」( http://kunisaki-bukkyo.jp/ )であろうと思い、中を探し
てみましたが、私には発見できませんでした。もしよろしければ、具体的なアドレスをご教示いただけませんでしょうか。

ところで、私は、その「眠るのが怖い」というお話を聞いた時、その内容もさることながら、言葉自体が、まさに「怖い」という表現であったのかどうか、そ
れが気になりました。「もったいない」とか、「気持悪い」などではなくて、まさに「怖い」という言葉であったのかどうか、です。

というのは、非常に簡略にご説明いたしますと、私自身の感覚と推理においては、仏教に深く交われば交わるほど、個人の思考全体において現世だけを考える
割合は「減る」はずだと思うからです。仏教に何の関心もない場合は、思考全体が現世に関することだけで一杯でも不思議ありません。一方、仏教に関われ
ば、必然的に三世への理解も深まり、今生きている世界だけに頼らない態度も身につくはずです。だとすれば、仏教を深めたはずの先生が、眠るのが「怖い」
はないのでは???と素朴に疑問に思うわけです。

ただし、自分自身が今生きる意義を考えるに当たり、かつて武士の文化にあったように「適当な死に場所を見つけるため」と考える人であって、なおかつ今の
ところまだ適当な死に場所が「見つからない」と考えている人であれば、仏教の理解があってもなくても「まだ死ねない」とは思うはずです。ただしその場合
は「怖い」ではなくて「今はまだその時期ではない」という意味の表現になるでしょう。

実のところ、私自身はまさにそうです。自分自身の今生きる意味を文字通り「適当な時期に良く死ぬため」と捉え、西郷隆盛のように「ここらでよか」と言っ
て死にたいと願う人です。

wo3

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Aug 29, 2009, 11:09:05 AM8/29/09
to 中津ビハーラの会
自己レスで失礼いたします。

医療を「サービス業」と捉えることについて書き忘れていたことを思い出したので、書かせていただこうと思います。

医療がサービス業であるという前提では、費用対効果が最大限になるよう、効率的に実践することになります。無駄のない医療です。実際、そういう前提にお
いて、毎年2200億円の医療費削減が行われてきました。

これは、あくまで平時に通用する考え方です。有事では通用しません。例えば、今流行している新型インフルエンザは、新型ですからほとんど誰も免疫を持っ
ていません。従って、従来のインフルエンザと同じ割合で重症者が発生すると仮定しても、実数は膨大になるはずです。ここで私たちは、効率的にやってきた
ツケを払うことになります。つまり、平時でも余裕のない運営をしているので、今回の有事に払える余力は物理的に存在しません。

つまり、医療を「サービス業」と捉えることは、公的医療システムを無視し、平時しか見ない、戦略性や安全保障という面を無視している、と批判したいわけ
です。そういう背景に調和してこそ、日本のビハーラ研究もあるべきではないかと思います。

確か、「医療事故で潰れる病院はないが、感染で潰れる病院はある」というお話が出ました。その時は、「風評被害」との関連を想定しただけで終わりまし
た。しかし実は、食中毒などでなくて飛沫感染の場合は、そういうお話にもつながっていると私は考えます。その時は、心に思っただけで口に出しませんでし
た。説明が長くなると思ったからです。

ワクチン接種の優先順位や、医療者が感染した場合の補償問題もあります。感染の時期や場所は特定が難しいですから労災の範囲ではカバーしきれないでしょ
う。あるいは、新型インフルで特別体制だというなら、症状がある患者をベッド数オーバーでも緊急収容して検査してみたら新型でなかった場合はどう査定す
るか、という問題も出るでしょう。そういった予期しにくい問題への対処で、厚生労働省が頼りになると思っている医療機関は少ないと思います。従って、
「潰れる」というよりは、自衛のため「撤退する」病院が一気に出るかも、と心配します。杞憂であればよいのですが。

随念院

unread,
Aug 29, 2009, 11:08:16 PM8/29/09
to 中津ビハーラの会
wo3さん、2回のかきこみ拝見、あのとき重要な議論でしたね。報告すべきでしたが、ややこしかったので省略してしまいました。
ホームページへの貴台のコメントがまだアップされていませんので、それを見てから、大事な議論でしたので、改めてコメントをしようと思っています。
田畑先生のホームページの私とのメールのやり取りは以下のサイトです。ご覧の上、ご意見をお願いします。
それから、拙著『ビハーラ・維摩経』、ちょっと難しいかもしれませんが、ご感想、批判、ご意見をよろしくお願いします。
http://www8.ocn.ne.jp/~sangha/mail/mail200812.html
吉元

随念院

unread,
Aug 29, 2009, 11:32:35 PM8/29/09
to 中津ビハーラの会
> さて、当日のお話の中で、ある先生が「眠るのが怖い」というお話をされたことから始まるお話がネットで記事になっているというお話がありました。> ところで、私は、その「眠るのが怖い」というお話を聞いた時、その内容もさることながら、言葉自体が、まさに「怖い」という表現であったのかどうか、そ

> れが気になりました。「もったいない」とか、「気持悪い」などではなくて、まさに「怖い」という言葉であったのかどうか、です。
>
☆ 確かに「怖い」という表現でした。

> というのは、非常に簡略にご説明いたしますと、私自身の感覚と推理においては、仏教に深く交われば交わるほど、個人の思考全体において現世だけを考える
> 割合は「減る」はずだと思うからです。仏教に何の関心もない場合は、思考全体が現世に関することだけで一杯でも不思議ありません。一方、仏教に関われ
> ば、必然的に三世への理解も深まり、今生きている世界だけに頼らない態度も身につくはずです。だとすれば、仏教を深めたはずの先生が、眠るのが「怖い」
> はないのでは???と素朴に疑問に思うわけです。
>

☆ 私も、それが疑問で、今日までその言葉に引っかかっていたのです。

> ただし、自分自身が今生きる意義を考えるに当たり、かつて武士の文化にあったように「適当な死に場所を見つけるため」と考える人であって、なおかつ今の
> ところまだ適当な死に場所が「見つからない」と考えている人であれば、仏教の理解があってもなくても「まだ死ねない」とは思うはずです。ただしその場合
> は「怖い」ではなくて「今はまだその時期ではない」という意味の表現になるでしょう。

☆ 釈尊は、覚りを開いた直l後に、悪魔(死魔)がやってきて、覚りを完成したのだから思い残すことはないだろう、すぐ入滅しなさい」と誘惑します。そ
れに対して、釈尊は、なすべきことがたくさんあるから入滅するわけには行かないと拒絶します。
80歳になって、入滅の3ヶ月前、釈尊が活きる喜びに慕っていたとき、同じ悪魔がやって来て、覚りを開いたときに言ったことをもちだして、もうやるべき
ことはすべてやったろうから、入滅してくださいといいます。釈尊は三ヵ月後に入滅すると約束し、そのとおりに沙羅双樹のもとで入滅します。


>
> 実のところ、私自身はまさにそうです。自分自身の今生きる意味を文字通り「適当な時期に良く死ぬため」と捉え、西郷隆盛のように「ここらでよか」と言っ
> て死にたいと願う人です。

☆ わたしたち凡夫は、釈尊のような淨らかな生き方はできないのです。ええかっこばかりしています。怖いのに、怖くないと自分に言い聞かせて、自己満足
している、それを仏教では「龍宮」とも「母胎」ともいいます。その中は素晴らしいのですが、外に出られないのです。それがこだわりです。自分に正直に
なったとき(他力に気付いたとき)、その龍宮から解放されると説きます。

mori syuuei

unread,
Aug 29, 2009, 11:34:59 PM8/29/09
to nakatu...@googlegroups.com
wo様
「怖い」ということにつきまして、意見を申させてください。「怖い」という心は誰
しも持つものです。しかしこの場合の「眠るのが」ということは、やはり「死ぬの
は」ということを含んでいることなのでしょうか? 私は具体的に話を知りませんの
で、なんとも言えませんが、私の考えだけを述べさせていただくならば、武士のよう
に「ここらでよか」と言って死ぬのはやはり自分勝手なエゴイズムではないかと思い
ます。自分は死ぬのはいつでもよいと思っていても、私らには守るべき家族もいれ
ば、遺していかなければならない此の世での仕事もあります。それが全て心配のない
ような状態になったときに「ここらでよか」というならば、よいのですが、志し半ば
にしていたり、家族から目を離すことが出来ないのに、無常の風に吹かれて死ななけ
ればならないときが無理やり来たら、強がりのように「怖くない!」とは言えませ
ん。その日がいつ来るかを考えながらやはり「怖い」を連発します。仏法に遇ってい
ようといまいと、怖いものは怖いのです。歎異抄第9章にあるように、それが煩悩だ
と思います。
けれども、適当な表現として、WOさんのいわれる「今はまだその時期ではない」とい
うのも正しいと思います。
このあたりのことは宗教者が個々に対しての定義をちゃんとしているのが本当なので
すが、これはやはりホスピスやターミナルケアでの宗教的課題でありましょう。



----- Original Message -----
From: "wo3" <shinb...@gmail.com>
To: "中津ビハーラの会" <nakatu...@googlegroups.com>
Sent: Saturday, August 29, 2009 11:20 PM
Subject: 「第21回例会要旨報告」にコメントしました


>
> こんにちは。
> 先ほど、中津ビハーラの会ブログ記事「第21回例会要旨報告」宛にコメントいたし
ました。
>
> さて、当日のお話の中で、ある先生が「眠るのが怖い」というお話をされたことか
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