coi la'o zoi いっしょう zoi
(こんにちは 【いっしょう】さん)
> 印刷版のCLL(The Complete Lojban Language)はLRGよりもっと論理言語寄りな
> のでしょうか?少し高価な本なので購入を躊躇しています。買ってみて、英語表現のロジバン翻訳のための本だったら困るな、と思っています。
オンラインの LRG は、主に2つの版があります ―
CLL 第1版の原稿をそのまま載せたもの
http://www.lojban.org/publications/reference_grammar/chapter1.html
CLL 第1版の原稿の誤謬を修正して載せたもの
http://dag.github.com/cll/
誤謬の修正以外では、 CLL と LRG の解説内容は同じです。
どちらも、1997年時点で Logical Language Group (LLG) が定めたロジバン文法を解説するものです。
CLL の日本語抄訳の企画があります ―
http://www.lojban.org/tiki/The+Complete+Lojban+Language+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%8A%84%E8%A8%B3
元が英語話者向けである解説文体や例文を日本語話者向けに手直しすることが考慮されています。
訳はこちらにまとめられつつあります ―
http://mhagiwara.github.com/cll-ja/
> 今日、はじめてこのグループに参加したので、どう振舞えばいいのか分からないのですが、今私が疑問になっていることを表現しようと思いますので、よろ
> しければご助言ください。
>
> [色について]
> バナナは黄色い。
> le badna cu pelxu この表現はOKみたいだ。le badna は外観がバナナであればいい。
> また、主観的なのでバナナと言えばその実を意味し、その外観が黄色である。
> しかし、この表現は論理的は困る。コンピュータで理解するには難しい。
le badna cu pelxu は、「話者がバナナと捉えているもの」が「黄色い」。
le badna の指すのが果実か皮なのか、はたまたオモチャか着ぐるみなのか、これは言及されていません。
そしてこのような解釈範囲の広さそのものは発話の論理性をコンピュータが理解するのを阻むものではありません。
lo badna であるとは限らないというのを明示するのが le ですから、
そのことを受信するなら、コンピュータは、
この文と「黄色くない部分がバナナにはある」という事実との並立を無理なく認識できることとなります。
> le badna cu skali lo pelxu この表現の方が論理的である。
pelxu と skari は、どちらも、
或るものに色が見られるということを述べます。
その色が特に「黄」であるとする pelxu は skari の意味範囲を限定したものです。
両者は、下位(hyponym)・上位(hypernym)の関係にあり、
下位の pelxu は上位の skari を置き換えられます ―
X skari (Y)
X には( Y という)色がある
X pelxu
X には黄色という色がある = X は黄色い
したがって、
「話者がバナナと捉えているものは黄色い」というのが事実なら、
そして「黄色は色の一種である」というのが事実なら、
le badna cu skari と
le badna cu pelxu は
どちらも正解です。
両者の差は論理性ではなく詳細性です。
lo pelxu は、 pelxu の x1、
すなわち「黄色いもの」です。
「黄色いもの」は、「黄色」そのものではなく、「黄色」を性質として有するものです。
その区別が skari の項の間にもあります。
skari1 は性質具有者(色相のあるもの)、 skari2 は性質(色相)です。
したがって skari lo pelxu は
「黄色という性質を有するものを色として有する」
という不可解な表現となります。
(lo pelxu を「黄色いもの」から「黄色」に変える手段の1つとして、
性質を示す ka を加えて lo ka pelxu とできます。)
> しかし、主観的ではなく客観的に表現したい。
> lo badna cu skali lo pelxu これはダメ。一部のバナナしか黄色ではない。また、lo badna はバショウ科の
> 植物であり、バナナの実ではない。典型的 lo'e , 実 grute、皮 pilka
lo badna は「全てのバナナ」を指すとは限りません。
「バナナ」と定義されているものを指し、
その数量は数量詞で特定しないかぎり不定・文脈依存です。
ご指摘のとおり、厳密には黄色くない部分を含む lo badna を pelxu と述べるのは不正確です。
その lo badna の典型を指す lo'e badna も黄部に限定されないままなので、これを pelxu と述べるのも不正確です。
( lo'e badna はやはり果実・皮・葉・茎等の総体のままなので、植物そのものとして「熱帯域で栽培される」といったことを述べるのに使うの
が最も適切です。)
pelxu と述べるための冠詞として無難なのは le か le'e だと思われます。
lo badna cu pelxu が不正確であるというのは、
言語体系の問題ではなく発話行為の問題です。
物事をどれだけ正確に述べるかは話者の意識次第であり、
表現を正確にするための手段がロジバンには幾つもあります。
> lo pilka be lo'e grute badna cu skali lo pelxu 言いたかったことは「バナナは黄色い」だから、
> lo'e grute badna zo'u lo pilka skali lo pelxu ここでgrute badnaは曖昧さが残るから、
> lo'e rutrbadna zo'u lo pilka skali lo pelxu
> という風に、現在のロジバン知識では、ここまで言わないと論理的ではないような気がする。
lo badna pilka cu pelxu で
「(或る)バナナ皮は黄色い」という論理的表現となります。
「バナナ皮」でなく「バナナ *の* 皮」とすることを模すなら、
「バナナ」と「皮」を2つの項にして、
lo pilka be lo badna 或いは
lo pilka po lo badna とします。
pilka の意味を限定する要素が badna では不十分なら、ご推察のとおり grute 等を加えます ―
lo badna grute pilka cu pelxu
lo pilka be lo badna grute cu pelxu
...
> そもそも、こんなことを考えなければいけないのは、wiki book に
> pelxu x1 は黄色である
> と文型で x1 にものを入れた例が多いからです。しかし、論理的に考えれば、x1は色相(lo selskali)
> であり、x1 に項としてはいるのは le によって導かれるものだけで、それ以外はダメなはずである。そうでなければ、コンピュータではロジバンは理
> 解できない(理解できても、自然言語と同じくらい難しい)。これでは、ロジバンを学習する利点はどこにあるのか分からなくなってします。
「黄色である」は日本語の綾でして、
pelxu の x1 は色相そのものではなく色相を性質として帰するところのものです。
(barda (大きい)の x1 が性質「大きさ」ではないように。)
lo se skari でなく lo skari です。
pelxu1 と skari1 はどちらも「色相を有するもの」です。
色相を特定する skari2 に対応する項が pelxu に無いのは、
語義として色相が既に「黄」と特定されているために余分であるからです。
pelxu1 をどれだけ詳しくするかはやはり論理性でなく詳細性の問題です。
le で済まして le badna cu pelxu とするせいで表現が非論理的となるわけではありません。
黄色いのはバナナそのものではないから、そうであるとは言わないように気をつけて表す、
という le の選択自体は合理的です。
そしてそのような選択を話者はしたとコンピュータは理解することとなります。
述語 pelxu の x1 にあるものを「黄色いもの」と解し、
それが le badna なら、
「話者がバナナと捉えているものは黄色い」と理解することとなります。
mu'o mi'e nalteon
(返信完了 こちら【nalteon】)