よろしくお願いします。

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いっしょうさん

unread,
Apr 2, 2011, 11:00:39 PM4/2/11
to ロジバン相談室
今年からコンピュータ言語としてロジバンを使えないか学習しています。WikiでLFB(Lojban for Beginner)や
CLG(Complete Lojban Grammar)またはLRG(The Lojban Reference Grammar)を読んでいま
す。ただ、オンラインのこれらの本は、自然言語(実際的には英語のみ)をロジバンでどのように表現するのかという視点で書かれているため、論理的表現を
学び取るのに苦労しています。言語から曖昧性を排除する表現方法はロジバンではどうなるのかを学びたいので、ロジバン独特の非曖昧、論理表現をもっと直
接的に学べる本はないか探しています。印刷版のCLL(The Complete Lojban Language)はLRGよりもっと論理言語寄りな
のでしょうか?少し高価な本なので購入を躊躇しています。買ってみて、英語表現のロジバン翻訳のための本だったら困るな、と思っています。
 今日、はじめてこのグループに参加したので、どう振舞えばいいのか分からないのですが、今私が疑問になっていることを表現しようと思いますので、よろ
しければご助言ください。
 この直前にグループに同じ内容でメールしてしまいました。相談室宛はこちらですね。すいません。

[色について]
バナナは黄色い。
le badna cu pelxu この表現はOKみたいだ。le badna は外観がバナナであればいい。
       また、主観的なのでバナナと言えばその実を意味し、その外観が黄色である。
       しかし、この表現は論理的は困る。コンピュータで理解するには難しい。
le badna cu skali lo pelxu この表現の方が論理的である。しかし、主観的ではなく客観的に表現したい。
lo badna cu skali lo pelxu これはダメ。一部のバナナしか黄色ではない。また、lo badna はバショウ科の
       植物であり、バナナの実ではない。典型的 lo'e , 実 grute、皮 pilka
lo pilka be lo'e grute badna cu skali lo pelxu 言いたかったことは「バナナは黄色い」だから、
lo'e grute badna zo'u lo pilka skali lo pelxu ここでgrute badnaは曖昧さが残るから、
lo'e rutrbadna zo'u lo pilka skali lo pelxu
という風に、現在のロジバン知識では、ここまで言わないと論理的ではないような気がする。
そもそも、こんなことを考えなければいけないのは、wiki book に
 pelxu x1 は黄色である
と文型で x1 にものを入れた例が多いからです。しかし、論理的に考えれば、x1は色相(lo selskali)
であり、x1 に項としてはいるのは le によって導かれるものだけで、それ以外はダメなはずである。そうでなければ、コンピュータではロジバンは理
解できない(理解できても、自然言語と同じくらい難しい)。これでは、ロジバンを学習する利点はどこにあるのか分からなくなってします。
 少し、混乱してきたので、もう少し学んでからまた参加させてもらいます。とにかく、ロジバンに関する知識が不十分すぎて、どこをどうすればいいのか分
からないのが現状です。これから、よろしくお願いします。

nalteo

unread,
Apr 3, 2011, 12:26:23 PM4/3/11
to ロジバン相談室
coi la'o zoi いっしょう zoi
(こんにちは 【いっしょう】さん)


> 印刷版のCLL(The Complete Lojban Language)はLRGよりもっと論理言語寄りな
> のでしょうか?少し高価な本なので購入を躊躇しています。買ってみて、英語表現のロジバン翻訳のための本だったら困るな、と思っています。

オンラインの LRG は、主に2つの版があります ―

CLL 第1版の原稿をそのまま載せたもの
http://www.lojban.org/publications/reference_grammar/chapter1.html

CLL 第1版の原稿の誤謬を修正して載せたもの
http://dag.github.com/cll/

誤謬の修正以外では、 CLL と LRG の解説内容は同じです。
どちらも、1997年時点で Logical Language Group (LLG) が定めたロジバン文法を解説するものです。

CLL の日本語抄訳の企画があります ―
http://www.lojban.org/tiki/The+Complete+Lojban+Language+%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%8A%84%E8%A8%B3
元が英語話者向けである解説文体や例文を日本語話者向けに手直しすることが考慮されています。
訳はこちらにまとめられつつあります ―
http://mhagiwara.github.com/cll-ja/


>  今日、はじめてこのグループに参加したので、どう振舞えばいいのか分からないのですが、今私が疑問になっていることを表現しようと思いますので、よろ
> しければご助言ください。
>
> [色について]
> バナナは黄色い。
> le badna cu pelxu この表現はOKみたいだ。le badna は外観がバナナであればいい。
>        また、主観的なのでバナナと言えばその実を意味し、その外観が黄色である。
>        しかし、この表現は論理的は困る。コンピュータで理解するには難しい。

le badna cu pelxu は、「話者がバナナと捉えているもの」が「黄色い」。
le badna の指すのが果実か皮なのか、はたまたオモチャか着ぐるみなのか、これは言及されていません。
そしてこのような解釈範囲の広さそのものは発話の論理性をコンピュータが理解するのを阻むものではありません。
lo badna であるとは限らないというのを明示するのが le ですから、
そのことを受信するなら、コンピュータは、
この文と「黄色くない部分がバナナにはある」という事実との並立を無理なく認識できることとなります。


> le badna cu skali lo pelxu この表現の方が論理的である。

pelxu と skari は、どちらも、
或るものに色が見られるということを述べます。
その色が特に「黄」であるとする pelxu は skari の意味範囲を限定したものです。
両者は、下位(hyponym)・上位(hypernym)の関係にあり、
下位の pelxu は上位の skari を置き換えられます ―

X skari (Y)
X には( Y という)色がある

X pelxu
X には黄色という色がある = X は黄色い

したがって、
「話者がバナナと捉えているものは黄色い」というのが事実なら、
そして「黄色は色の一種である」というのが事実なら、
le badna cu skari と
le badna cu pelxu は
どちらも正解です。
両者の差は論理性ではなく詳細性です。

lo pelxu は、 pelxu の x1、
すなわち「黄色いもの」です。
「黄色いもの」は、「黄色」そのものではなく、「黄色」を性質として有するものです。
その区別が skari の項の間にもあります。
skari1 は性質具有者(色相のあるもの)、 skari2 は性質(色相)です。
したがって skari lo pelxu は
「黄色という性質を有するものを色として有する」
という不可解な表現となります。
(lo pelxu を「黄色いもの」から「黄色」に変える手段の1つとして、
性質を示す ka を加えて lo ka pelxu とできます。)


> しかし、主観的ではなく客観的に表現したい。
> lo badna cu skali lo pelxu これはダメ。一部のバナナしか黄色ではない。また、lo badna はバショウ科の
>        植物であり、バナナの実ではない。典型的 lo'e , 実 grute、皮 pilka

lo badna は「全てのバナナ」を指すとは限りません。
「バナナ」と定義されているものを指し、
その数量は数量詞で特定しないかぎり不定・文脈依存です。

ご指摘のとおり、厳密には黄色くない部分を含む lo badna を pelxu と述べるのは不正確です。
その lo badna の典型を指す lo'e badna も黄部に限定されないままなので、これを pelxu と述べるのも不正確です。
( lo'e badna はやはり果実・皮・葉・茎等の総体のままなので、植物そのものとして「熱帯域で栽培される」といったことを述べるのに使うの
が最も適切です。)
pelxu と述べるための冠詞として無難なのは le か le'e だと思われます。

lo badna cu pelxu が不正確であるというのは、
言語体系の問題ではなく発話行為の問題です。
物事をどれだけ正確に述べるかは話者の意識次第であり、
表現を正確にするための手段がロジバンには幾つもあります。


> lo pilka be lo'e grute badna cu skali lo pelxu 言いたかったことは「バナナは黄色い」だから、
> lo'e grute badna zo'u lo pilka skali lo pelxu ここでgrute badnaは曖昧さが残るから、
> lo'e rutrbadna zo'u lo pilka skali lo pelxu
> という風に、現在のロジバン知識では、ここまで言わないと論理的ではないような気がする。

lo badna pilka cu pelxu で
「(或る)バナナ皮は黄色い」という論理的表現となります。
「バナナ皮」でなく「バナナ *の* 皮」とすることを模すなら、
「バナナ」と「皮」を2つの項にして、
lo pilka be lo badna 或いは
lo pilka po lo badna とします。
pilka の意味を限定する要素が badna では不十分なら、ご推察のとおり grute 等を加えます ―
lo badna grute pilka cu pelxu
lo pilka be lo badna grute cu pelxu
...


> そもそも、こんなことを考えなければいけないのは、wiki book に
>  pelxu x1 は黄色である
> と文型で x1 にものを入れた例が多いからです。しかし、論理的に考えれば、x1は色相(lo selskali)
> であり、x1 に項としてはいるのは le によって導かれるものだけで、それ以外はダメなはずである。そうでなければ、コンピュータではロジバンは理
> 解できない(理解できても、自然言語と同じくらい難しい)。これでは、ロジバンを学習する利点はどこにあるのか分からなくなってします。

「黄色である」は日本語の綾でして、
pelxu の x1 は色相そのものではなく色相を性質として帰するところのものです。
(barda (大きい)の x1 が性質「大きさ」ではないように。)
lo se skari でなく lo skari です。
pelxu1 と skari1 はどちらも「色相を有するもの」です。
色相を特定する skari2 に対応する項が pelxu に無いのは、
語義として色相が既に「黄」と特定されているために余分であるからです。

pelxu1 をどれだけ詳しくするかはやはり論理性でなく詳細性の問題です。
le で済まして le badna cu pelxu とするせいで表現が非論理的となるわけではありません。
黄色いのはバナナそのものではないから、そうであるとは言わないように気をつけて表す、
という le の選択自体は合理的です。
そしてそのような選択を話者はしたとコンピュータは理解することとなります。
述語 pelxu の x1 にあるものを「黄色いもの」と解し、
それが le badna なら、
「話者がバナナと捉えているものは黄色い」と理解することとなります。


mu'o mi'e nalteon
(返信完了 こちら【nalteon】)

いっしょうさん

unread,
Apr 7, 2011, 12:20:33 AM4/7/11
to ロジバン相談室
nalteon さん、返信ありがとうございます。
CLLがオンラインブックと内容が同じであると言うことは、オンラインブックを学習すれば、ロジバンを正式に学習できるというのはいいことです。ただ、
論理言語としてのロジバンをどこで学べかいいかは、分からなくなったのが残念です。
 ご返信を何度か読み返し、少し勉強し、今、命題の抽象化を学んでいます。
 色々な疑問点があるので、すべてが解決されそうにありませんが、冠詞 lo の理解が足らないと感じ、NU類の機能語で命題の抽象化という概念に今到
達したところです。
 前回の例文「バナナは黄色い」でも、この文の「バナナ」は抽象的概念であるが、総体ではなく、典型の概念である。それが典型であったとしても、話し手
にとっての典型であれば le'e 、客観的な典型であれば lo'e (これがどんな場合かまだ私には曖昧ですが)となる。日頃、「バナナ」を何気な
く使っているのが、このように考えるようになれたのは、やはりロジバンのおかげかもしれません。
 それゆえに、もう一歩進めて、NU類の機能語を学び始めました。そこで、
  nu 事象、ni 数量、ka 性質、du'u 命題そのもの?、jei 真理値、li'i 経験、si'o 概念、su'u 不特定?、
mu'e 時点、pu'u 過程、za'i 状態、zu'o 動作
ということを学びました。現在学習中ですので、後は終わってからまた相談致します。
 今、一つ分からないのが、
  le nanmu cu klama lo barja →lo barja cu se klama le nanmu
で cu をなぜ省略しないのでしょうか? se があるのだから、
  lo barja se klama le nanmu
で、前のbarja と後ろのklama の分離が明らかになるような気がしてなりません。この疑問は、「項の法制詞と命題の法制詞を分離するために
cu を挿入する」と学習したために、se, te, ve, xe があれば、cu が必要ないと私には思えるからです。しかし、他でも cu
se の例文を多く見ますので、何か理由があるのかと思っています。
 それでは、よろしくお願い致します。

nalteo

unread,
Apr 7, 2011, 3:44:39 AM4/7/11
to ロジバン相談室
On Apr 7, 5:20 am, いっしょうさん <itshow...@yahoo.co.jp> wrote:
>  今、一つ分からないのが、
>   le nanmu cu klama lo barja →lo barja cu se klama le nanmu
> で cu をなぜ省略しないのでしょうか? se があるのだから、
>   lo barja se klama le nanmu
> で、前のbarja と後ろのklama の分離が明らかになるような気がしてなりません。この疑問は、「項の法制詞と命題の法制詞を分離するために
> cu を挿入する」と学習したために、se, te, ve, xe があれば、cu が必要ないと私には思えるからです。しかし、他でも cu
> se の例文を多く見ますので、何か理由があるのかと思っています。

そのままで述部になる、および冠詞を付ければ項になる、というものを selbri と呼び、
「barja」と「se klama」はそれぞれ selbri です。
複数の selbri が連なると、一方が一方を修飾するという tanru となります。
「barja se klama」は2つの selbri からなる tanru です。
tanru は、冠詞が付くと、単一の selbri と同様に項となります。
「lo barja se klama」は冠詞が tanru を項にしているものです。
したがって、
「lo barja se klama le nanmu」は
2つの項です。
「se klama」は述部とならずに「lo barja ...」の構造に飲み込まれています。

SE 類と NAhE 類は、 BAI 類等の前置詞や NA 類と違って、
述部を区切りません ―
[ lo broda ] [ pu brode ]
[ lo broda ] [ bai brode ]
[ lo broda ] [ na brode ]
[ lo broda se brode ]
[ lo broda na'e brode ]
これによって、
例えば「難しい科目」を「nandu」と「te ckule」で言いたいとき、
「nandu te ckule」がばらけずに tanru としてまとまるわけです。
同様に「大きな、象ではないもの」も「barda na'e xanto」。


mu'o

いっしょうさん

unread,
Apr 12, 2011, 9:09:11 PM4/12/11
to ロジバン相談室
nalteoさん、ありがとうございます。
SE類の使い方がよく分かりました。
現在、CLLを学習中なので、まとまった質問ができませんが、
18章の数学的表現の第8節でまたまた分からない表現が出てきました。
その節では、例文として
mi catlu pa prenu
mi catlu ro prenu
という風に冠詞を使わない表現が多用されています。
もちろん英語では問題のない表現でしょうが、
ロジバンではこのような表現は許されるのでしょうか?
現在冠詞や命題の抽象化ということを焦点に学習している私にとっては、
かなりショッキングな表現です。
また、この第8節は他にも説明不足なところが大いに見られ、かなり戸惑っています。
読む前に期待していたのは、論理言語として
「一階述語論理の量子化を基礎として数学的表現が説明される」
ということだったので、戸惑っています。
まだ、最後まで読んでないのでなんとも言えないのですが。

nalteo

unread,
Apr 13, 2011, 6:25:09 AM4/13/11
to ロジバン相談室
On Apr 13, 2:09 am, いっしょうさん <itshow...@yahoo.co.jp> wrote:
> 18章の数学的表現の第8節でまたまた分からない表現が出てきました。
> その節では、例文として
> mi catlu pa prenu
> mi catlu ro prenu
> という風に冠詞を使わない表現が多用されています。
> もちろん英語では問題のない表現でしょうが、
> ロジバンではこのような表現は許されるのでしょうか?

特定の条件において冠詞を任意で省く用法です。
量子化の明確性に支障はありません。

ロジバンでは、
sumti を量子化する数量詞は冠詞の脇に置かれます。
右のものは議論領域(domain of discourse)における個の全体数を限定する内数量詞(inner quantifier)、
左のものは全体からの個数を限定する外数量詞(outer quantifier)です。
言い換えますと、
内数量詞の定める全体個数から部分個数を量化するのが外数量詞です。
(そして必然的に 部分個数 ≦ 全体個数 です。)
外数量詞を出して内数量詞を伏せるとき、両者の間の冠詞 lo も省ける、という許容がロジバンにあります ―
http://www.lojban.org/tiki/BPFK+Section%3A+gadri
伏せる内数量詞はやはり議論領域における全体個数ですから、 ro であり、具体的な数の解釈は文脈に依存します。
また、 lo 以外の冠詞は省けません。
したがって pa prenu で省かれている冠詞が le や loi であるとは解釈できません。

つまり、
pa prenu は pa lo ro prenu(全ての「人」の1個)、
ro prenu は ro lo ro prenu (全ての「人」の全て)の省略です。
この内数量詞の ro は
「古今東西存在した・する全ての人」でなく
やはり「現在の発話で扱われている全ての人」を指します。
一般に、「私は皆を見た」等の「皆」は
「存在した・する全ての人の全て」でなく「いま私が話しているところの全ての人の全て」を指しますが、
ro (lo ro) prenu も同様です。
(一方、「存在した・する全ての人」は「人と呼べるもの全て」から ro da poi prenu などと表せます。)

例えば、
A組教室の生徒の全体個数が30で、そのA組生徒について話しているとき、
mi catlu ro (lo ro) prenu で伏せられている内数量詞の ro は文脈から ci no (30)と解釈され、
その全体から catlu の x2 に当たる sumti の個数を限定する外数量詞の ro も必然的に ci no と解釈されます。

或る実体について一度明かされた全体個数を以降に省くというのは自然言語会話において普通に為されますが、
この習慣自体はロジバンにおいて任意で内数量詞だけを省く pa lo prenu や lo prenu の形に対応します。
そして、数量詞と冠詞はいずれも限定詞の一種ですが、
限定詞の役目を数量詞が果たしているところでは冠詞は不要、という理由から、
pa lo prenu をさらに pa prenu と省略できる、ということとなっています。

これらの省略はあくまでも任意であり、量化の内訳を変えません。
pa lo ro prenu, pa lo prenu, pa prenu は同じ意味です。

pa lo mu prenu (議論上で5個ある「人」の1個)や ro lo mu prenu (議論上で5個ある「人」の全て)のような場合に
は冠詞だけを省けません。
pa mu prenu とすれば pa mu (lo ro) prenu
すなわち「(議論上における全ての)「人」の15個」となります。
冠詞を省くなら内数量詞も省かなければなりません。


mu'o
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