ブヌン語の野島本泰です。お返事をくださった方々,ありがとうございました。
このメールは,「くれてある」に関するフィードバックです。
「…をくれてある」ですが,
(1) 佐藤さんが妹に柿をくれた。
(2) 佐藤さんが妹に柿をくれてある。
松村一登先生,サハ語の江畑冬生君,日本語諸方言の久野眞先生,ドラヴィダ諸語の
児玉さん,水海道方言の佐々木冠さん,モンゴル語の斉藤純男先生,ウォライタ語の若狭君から
(2)は「許容できない」という趣旨の判断をいただいています。
僕は神奈川県座間市の出身ですが,やはり共通語としては
「くれてある」は言わないと思います。
実家の母がいま兵庫県明石の拙宅に来ているのですが,
「くれてある」って言う?と訊くと,
「言うよ。「佐藤さんには柿をくれてあるよ」っていう」,というんですね。この「くれる」は共通語の
「あげる」の意味です(As for Mr.Sato, I gave him persimmons.)。
そういう環境で育ったので,僕自身,共通語話者としての感覚に自信がなく,
「くれてある」がまったく不自然だということが自分の責任において断言できません。
なぜ「くれてある」の文法性をお訊きしたかというと,いま執筆中の論文なんですが,
座間方言では,「八王子のおばさんがマイタケ(を)くれとくからさ…」と言えるんです。
《八王子のおばさんがマイタケを(私に)くれたからさ(くれたのがあるからさ)…》という意味です。
座間方言では「…しとく」が結果状態(共通語の…テアル)を表すのですが,
なぜ座間で「くれとく」が可能なのかはわかっていません。
また,「くれてある」が補助動詞として適格に使えるか否かについては考えていませんでしたが,
ウォライタ語の若狭君と現代若年層ジュバ・アラビア語の仲尾周一郎くんが,
補助動詞としての「…してくれてある」なら許容度は高くなるとの判断をしています。
(2) 佐藤さんが妹に柿をくれてある。
(3) 佐藤さんが妹に柿を買ってくれてある。
いわれてみれば,(2)より(3)は許容度がずっと高いように僕は思います。
なぜでしょうね?不思議です。
野島本泰