(写真展に行き,受け付けをして,写真を見始めたら,去年(自分と同じ写真)サークルに入った人がちょうど来て,いっしょに写真を見て回って)帰り,車に乗さってきた。
意味は:帰りに,(その人の)車に乗せてもらってきた。
「のさる」は初めて聞きました。
昌彦さん,冠さんへ:もし「のさる」を nos + -ar + -u と分析したら,この -ar は逆使役と呼べるのでしょうか。
ご教示ください。
野島本泰
加藤昌彦です。
> 昌彦さん,冠さんへ:もし「のさる」を nos + -ar + -u と分析したら,この -ar は逆使役と呼べるのでしょうか。
「もぐ」と「もげる」のようなものであれば、mog-u と mog-e-ru と分析でき、他動詞から自動詞を派生する -e を逆使役の接辞と見なすことも可能だと思います。しかし、「のさる」の場合、-ar を除去した nos-u という形がないので、逆使役と見なすのは難しいのではないでしょうか。nos-e-ru から nos-ar-u が派生される道筋を設定できるのであれば、また話は別かもしれませんが…。
(影山太郎先生はたしか -e を逆使役のマーカーと捉えていたと記憶していますが、-e のようにあまり生産的でないものをそのように捉えることに僕はちょっと躊躇を感じます。)
加藤昌彦
僕も基本的に加藤さんと同じ意見です。
派生もとの他動詞としてnos-があるのであれば、動作主を削除する型の自動詞化で逆使役と見なせますが、それがないと逆使役とはみなせないと思います。お母様の方言にnos-があるなら、語彙的な逆使役と見ることは可能ですが、そうでないなら逆使役と見なすのは難しいと思います。
佐々木冠
Kan Sasaki
ksa...@sgu.ac.jp
Sapporo Gakuin University
Bunkyo-dai 11, Ebetsu,
Hokkaido, 069-8555
Japan
http://ext-web.edu.sgu.ac.jp/ksasaki
おふたりともありがとうございます。nos-u ですが,母は「言わないよ」だそうです。
でも,nos-i-ta=yo, nositoita=yo, nositoitaNbee は昔は言っていた
記憶がある,と言っています。
os-u「押す」に対して, os-ar-u「押さる」はあるみたいなんですよね。
いくら押しても駄目だったボタンが,強く押したら「あ,おさった」みたいに。
野島本泰
2011年2月19日12:22 Atsuhiko KATO <atsu...@lang.osaka-u.ac.jp>:
逆使役の定義の典拠ですが,
冠さんは角田先生退官記念の論集では何か引用されていましたっけ?
昌彦さん,誰の定義が最も一般に流布している,あるいはまともなんでしょうか。
野島本泰
2011年2月19日14:00 Kan Sasaki <ksa...@sgu.ac.jp>:
関連する質問を二ついただいていますが、1件ずつお答えします。
>でも,nos-i-ta=yo, nositoita=yo, nositoitaNbee は昔は言っていた
>記憶がある,と言っています。
もしそれで、nos-i-ta=yoが「のさったよ」の主語に対応する目的語をとるようでしたら、逆使役と見ることは可能だと思います。動作主が削除されるタイプの自動詞化ですので、逆使役と見ることができる可能性は高いと思います。
関連する質問を二ついただいていますが、1件ずつお答えします。
>冠さんは角田先生退官記念の論集では何か引用されていましたっけ?
この論文では、下記の二つの論文を引用しています。現在学生を引率してルーマニアに来ており、手元に論文がないので正確な話ではなく、記憶に基づいての話になりますが、下記の論文のうちKulikov (2001)の方に定義的なものがあったように記憶しています。Haspelmath (1993)にもあったかな?
Haspelmath, Martin (1993) More on the typology of inchoative/causative alternations. In: Bernard Comrie & Maria Polinsky (eds.) Causatives and transitivity, 87–120. Amsterdam: John Benjamins.
Kulikov, Leonid (2001) Causatives. In: Martin Haspelmath, Ekkehard K¨onig, Wulf Oesterreicher & Wolfgang Raibe (eds.) Language typology and language universals, 886–898. Berlin: Walter de Gruyter.
なお、逆使役の概念自体は下記の論文(というかそのロシア語版)が初出だったと思います。
Nedjalkov, V. P and G.G. Silnitsky (1973) The Typology of Morphological and lexical causatives. Trends in Soviet Theoretical Linguistic. 1-32. Dordrecht: Reidel Publishing Company.
[1] 私が小池さんの車にのさったよ。
[2] 小池さんが私をのしたんだよ。
こういうふうな言い方のペアになるのだそうです。僕も感覚としては意味はわかります。
座間の高齢者ならこういうふうに言うだろうなって。
でも,これだと逆使役っていえないかもしれないですね。
野島本泰
2011年2月20日11:47 Kan Sasaki <ksa...@sgu.ac.jp>:
すみません,海外に行かれているとは知らなかったもので…。
僕もいま座間に来ているので,角田先生退官記念の本が手元にないんです。
明石に帰ったら,確かめます。
いただいた情報で,ぐぐってみますね。
野島本泰
2011年2月20日11:47 Kan Sasaki <ksa...@sgu.ac.jp>:
>[1] 私が小池さんの車にのさったよ。
>[2] 小池さんが私をのしたんだよ。
>
>こういうふうな言い方のペアになるのだそうです。僕も感覚としては意味はわかります。
>座間の高齢者ならこういうふうに言うだろうなって。
>でも,これだと逆使役っていえないかもしれないですね。
上のペアがあるなら、「のさる」は逆使役と見ることができるかもしれません。nos-という他動詞は、動作主主語(小池さん)と対象目的語(私)をとっています。それに-arがついたnos-ar-は対象主語(私)と場所の斜格要素(小池さんの車)をとっています。nos-ar-にも「小池さん」が出ていますが、「車」の所有者であって、動作主ではありません。[1]は動作主を消すかたちで派生した自動詞文と見ることができます。そうすると、nos-ar-を逆使役と見ることはそれほど不自然ではないと思います。
もちろん、-arによる自動詞の派生の生産性によっては、語彙的な逆使役と見る必要があるかもしれませんが、語彙的か(生産的な)形態的かという区別と、逆使役と見なせるかという問題は分けて考えたほうがよいと思います。
詳しい解説,ありがとうございます。たいへんよくわかりました。たしかに,おっしゃるとおり,
>>[1] 私が小池さんの車にのさったよ。
>>[2] 小池さんが私をのしたんだよ。
の [1] は,「動作主を消すかたちで派生した自動詞文」と見ることができますね。
他に並行例がないので,語彙的であることはおそらく間違いないと思うのですが。
「押さる」(スイッチがなかなか押さんないよ)というのを思いついたんですが,
母の反応はいまいちでした。あした,おばに電話をかけて訊いてみます。
野島本泰
2011年2月20日17:12 Kan Sasaki <ksa...@sgu.ac.jp>: