メンバーは今のところまだ発起人の四名だけですね。いちおう自己紹介からはじめましょう。
僕の出身地の神奈川県座間市にはサル形はありません。最初「抱かさる」「おぶさる」が
そうなのかと思っていたのですが、違うのですよね。
座間市方言で自発と言うと、やはり接尾辞 -ar による派生動詞でしょうか。次の[2]は
皆さん使いますか。
[1] 「植える」 uw-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
[2] 「植わる」 uw-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
次の[4]はどうでしょうか。
[3] 「開ける」 ak-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
[4] 「開かる」 ak-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
「開かる」もそれだけではいいにくいですが、たとえばオーディオラックのガラス扉を開けようとしていて
でもどうやっても開かなくて必死になっているときに
「これ(どうしても)あかんないよ」とつぶやいてしまうことがあります。
次の「埋かる」は老年層のみ使います。
[5] 「埋ける」 ik-e-ru [埋-他動詞化接辞-終止形語尾]
[6] 「埋かる」 ik-ar-u [埋-自動詞化接辞-終止形語尾]
母は76歳で、隣の相模原市上溝番田出身ですが、以前
地すべりがあって車が土砂にうもれているテレビ画像を見たときに、
「車がいかってるよ」などといっていました。僕は意味はわかりますが、自分のことばとして出てくる
という感じではありません。
自発ってあまり考えたことがないので、基本になる文献などを紹介していただければ
順を追って勉強して行きたいと思います。
野島本泰
私は1966年生まれで、1985年に高校を卒業するまで札幌市内で過ごしました。
高校卒業後に東京に移住し、途中、横浜市や川崎市に住んだこともありましたが、
2004年3月まで、通学・通勤先は東京都内でした。
その後、札幌に戻って暮らしています。
東京暮らしが長かったせいで、子供の頃のようにはうまく札幌方言が話せません。
(東京方言もうまく話せません。)
自分が子供の頃どういう言葉を使っていたか、記憶が怪しい部分も多々あります。
規則上こうなるはずだと思って、実際にはないサンプルを作ってしまうおそれが
あるので注意が必要です。
さて、野島氏のメールについてですが・・・
> 僕の出身地の神奈川県座間市にはサル形はありません。最初「抱かさる」「おぶさる」が
> そうなのかと思っていたのですが、違うのですよね。
「抱かさる」は手元の辞書に載っていません。いわゆる標準語にはない形なので
しょうか。
下記サイトには、「東京弁」として掲載されています。
http://hougen.atok.com/dialect/showtop.sv?did=26&start=1518&sid=d486459549db7902
座間方言にもあるんですか?
札幌方言にあるのと同じ形ですが、使い方が違いそうですね。
「合わさる」という語は辞書にも載っていて、いわゆる標準語に存在するようです。
これと、札幌方言の「合わさる」も、使い方が違うのではないかと思うのですが、
どうでしょう。
「おぶさる」はサルの接続規則に合致しません。
規則的には(注)、
五段活用動詞の未然形+サル
一段活用動詞の未然形+ラサル
(子音語幹+asaru、母音語幹+rasaru と言ったほうがいいですか?)
となるので、「おぶう」のサル形は「おぶわさる」になるはずです。
ただ、私の方言では「おぶう」のことを「おぶる」と言うような気がします。
(「おぶって」という形以外ではあまり使わないので、ちょっと自信ありません。)
その場合、サル形は「おぶらさる」です。
でも、「おぶさる」も私の方言に存在します。
自分が赤ん坊の頃の写真を人に見せながら、
「この背中におぶさってんのが、おれ。」
「この背中におぶらさってんのが、おれ。」
この場合にはどちらも言えると思いますが、
体重の重そうな負傷者を、うまくおぶえるかどうか不安だというときに、
「おぶらさるかなあ」
とは言うと思いますが、
「おぶさるかなあ」
はおかしいと思います。
> 座間市方言で自発と言うと、やはり接尾辞 -ar による派生動詞でしょうか。次の[2]は
> 皆さん使いますか。
>
> [1] 「植える」 uw-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
> [2] 「植わる」 uw-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
「植わる」は私の日常語の語彙に存在しないと、先日の個人宛メールに書きました。
しかし、「植わる」「植わる」とつぶやいていると、その感覚が覆されます。
> 次の[4]はどうでしょうか。
>
> [3] 「開ける」 ak-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
> [4] 「開かる」 ak-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
[4]は使ったことも聞いたこともありません。
> 次の「埋かる」は老年層のみ使います。
>
> [5] 「埋ける」 ik-e-ru [埋-他動詞化接辞-終止形語尾]
> [6] 「埋かる」 ik-ar-u [埋-自動詞化接辞-終止形語尾]
そもそも[5]が、使ったことも聞いたこともない言葉でした。
いわんや[6]をや。
でも「埋(い)ける」って辞書に載ってるんですね。知りませんでした。
(注)本文では、変格活用動詞「来る」「する」を省略しました。
「来る」には「来(こ)らさる」という形があるような気もしますが、あるとしても、
どんなときに使うか思い当たりません。
「する」のサル形は存在せず、代わりに「やらさる」を使うと思います。
「信じる」など、サ変由来であっても現代語で上一段化しているものには、
「信じらさる」という形があると思います。実際に使うかどうか微妙ですが。
ササキソウヘイ
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加藤昌彦(かとうあつひこ)です。
メンバーの自己紹介が始まっているようなので、私も自己紹介しておきます。私は1966年宇都宮市生まれで、生まれてから18才で東京に出るまでずっと宇都宮でした。早生まれなので1965年の学年です。父親は生粋の宇都宮人です。父方の先祖は何代前から宇都宮なのか不明なほどです。母親は生まれてから4才まで満州にいましたが、まあ生粋の宇都宮っ子と言ってもいいでしょう。母方の祖父母の出身地は確か栃木県市貝町だったと思います。野島君からは「昌彦さん」と呼ばれていますが、これは同じ時期に研究室に加藤姓が複数いたためです。18才から30才まで東京(その間2年半ミャンマー)、30才から現在まで大阪です。
サル形は、22才か23才の頃に、函館出身の人が「函館では"書かさる"のようにいう」と言っていたのを聞いて方言だと知りました。不思議なことに、それまで方言だという意識がありませんでした。父親は頻繁にサル形を使います。自分自身がサル形をどの程度使っていたのか定かではないのですが、いちおうサル形に関しては母語話者としての感覚があります。大阪に来てから方言話者としての意識が目覚め、その勢いで恥ずかしながら10年前に宇都宮方言のサル形についての論文を書きました。(2000「宇都宮方言におけるいわゆる自発を表す形式の意味的および形態統語的特徴」『国立民族学博物館研究報告』25.1:1-58.)
私は2000年に、宇都宮のサル形には3つの用法があることを指摘し、「偶発行為用法」「自然発生用法」「可能用法」と名付けました。以下のとおりです。
[偶発行為用法]
「つい~してしまう」「無意識に~してしまう」というようなことを表す。
(例1) ついつい食わさる。(つい食べてしまう)
[自然発生用法]
「(物が)ひとりでに~する」ということを表す。
(例2) 魚が焼かさる。(魚が焼ける)
(例3) 窓が開かさる。(窓がひとりでに開く)
この用法では、例2の「焼く」のような他動詞の場合、元の目的語が主語になり、自動詞化します。自動詞化するのはこの用法だけです。栃木では、自動詞化するサル形の主語は基本的に無生物なのですが、佐々木冠さんの論文を読むと、北海道では自動詞化したサル形に有生物主語も許されるようです。これが北海道と栃木の大きな違いで、なおかつ面白いところだと思います。なお、佐々木冠さんは例2に対応するような北海道方言のサル形を「逆使役」と見なしています。
[可能用法]
状況可能「~できる」を表す。
(例4) 腹減ってるからよっぱら食わさる。(腹が減っているからたくさん食える)
そしてそれぞれが、違った文法的振る舞いをします。振る舞いが異なるというのがこの3つに分ける根拠です。詳しくは、以下のリンクに2000年の論文の印刷前の原稿をアップしてありますので、お暇があればご覧ください。
http://www.sfs.osaka-u.ac.jp/user/burmese/jihatsu.pdf (370kb)
> 座間市方言で自発と言うと、やはり接尾辞 -ar による派生動詞でしょうか。次の[2]は
> 皆さん使いますか。
>
> [1] 「植える」 uw-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
> [2] 「植わる」 uw-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
私も[2]は使います。そして[1]はサル形が可能です。
植える:植えらさる
植わる:?植わらさる
「植えらさる」は、次のような可能用法としてしか使わないと思います。
(例5) うちの菜園は狭いからちょっとしか植えらさんないよ。(うちの菜園は狭いからちょっとしか植えられないよ)
「植わらさる」は使わない気がします。おそらく「植わる」と意味的にバッティングするからだと思います。でも、次のようには言えるかもしれません。言えるとしたら、これは自然発生用法です。
(例6) 地面が固くて、どうしても植わらさんない。(地面が固くてどうしても植わらない)
「植わらない」というよりも、「自然の力が植えることをじゃましている」という感じになると思います。でもあまり言わないような気がします。
> 次の[4]はどうでしょうか。
>
> [3] 「開ける」 ak-e-ru [植-他動詞化接辞-終止形語尾]
> [4] 「開かる」 ak-ar-u [植-自動詞化接辞-終止形語尾]
「開かさる」は、まさに、野島君の言っている「たとえばオーディオラックのガラス扉を開けようとしていて、でもどうやっても開かなくて必死になっているときに」使うことができます。自然発生用法です。
(例7) これどうしても開かさんないよ。(どうしても開かないよ)
否定文ではなくて、次のように肯定文でも使うことができます。
(例8) どうしても開かさっちゃうよ。(どうしても開いてしまうよ)
白岩さんの福島の -(r)ar- は、栃木でも北部では使われるようです。私の伯父は黒羽の出身ですが、「棒が立たさんない」ではなく「棒が立たんない」と言っていました。それから、
> まず、主語が非情物の場合にしか使えません。
> だから、有情物主語の場合には、福島のルは使えません。
> 「書く」を例にすると、次のようになります。
> (1)このペンはよく書かる。
> (2)*ブログをしていると、(私は、)ついつい余計なことまで書かる。
白岩さんが挙げてくれた(1)の例は、栃木でも次のように使います。
(例9) このペンはよく書かさる。(このペンはよく書ける)
これは可能用法かもしれませんし、自然発生用法かもしれません。可能用法だとしたら、例10のように「誰にでも」のような一般的な主語が想定できますし、自然発生用法だとしたら、例11のように「字」のようなものが主語として想定できます。どちらなのかは判別が難しいです。
(例10) このペンは誰にでも字がよく書かさる。(このペンは誰にでも字がよく書ける)
(例11) このペンは字がよく書かさる。(このペンは字がきれいに書かれた状態になる)
白岩さんの(2)の例は、栃木では言えそうな気がします。ただし、「書かさる」とすると今ひとつよくなくて、「書かさっちゃう」とするほうが落ち着きが良くなります。
(例12) ブログをしてたっくれ、ついつい余計なことまで書かさっちゃう。
それから、福島では良くないという、
> (4’)?黒板に文字が書かった。 (連体修飾でないので不自然)
は、栃木では問題なく言えます。これに対応する宇都宮の
(例13) 黒板に文字が書かさった。
には二つの読みがあり、ひとつは可能用法で、「(よく書けないチョークなのに)黒板に文字が書けた」という意味です。もうひとつは自然発生用法で、例えば、目隠しをしてめくらめっぽうにチョークを振りまわしていたら、「(字のようなものが)黒板に自然に書かれた状態になった」という意味です。
次に、佐々木惣平君の、
> 「おぶさる」はサルの接続規則に合致しません。
> 規則的には(注)、
> 五段活用動詞の未然形+サル
> 一段活用動詞の未然形+ラサル
> (子音語幹+asaru、母音語幹+rasaru と言ったほうがいいですか?)
> となるので、「おぶう」のサル形は「おぶわさる」になるはずです。
という指摘は、栃木ではまさにそのとおりで、「おぶわさる」です。
> 体重の重そうな負傷者を、うまくおぶえるかどうか不安だというときに、
> 「おぶらさるかなあ」
> とは言うと思いますが、
栃木では「おぶわさるかなあ」となります。可能用法です。
同じく佐々木君の
> (注)本文では、変格活用動詞「来る」「する」を省略しました。
> 「来る」には「来(こ)らさる」という形があるような気もしますが、あるとしても、
> どんなときに使うか思い当たりません。
> 「する」のサル形は存在せず、代わりに「やらさる」を使うと思います。
> 「信じる」など、サ変由来であっても現代語で上一段化しているものには、
> 「信じらさる」という形があると思います。実際に使うかどうか微妙ですが。
という指摘についてですが、栃木でも似たような傾向があると思います。「する」のサル形は聞いたことがありません。先行研究には「しらさる」を使うという指摘がありますので、昔は使っていたのかもしれません。でも私は聞いたことがありません。「来る」は「こらさる」(来ることができる)の形がありますが、あまり使わないような気がします。私自身の感覚では、「焼く」「煮る」「書く」「敷く」「押す」などの短い子音語幹動詞(四段活用動詞)はサル形との相性が良いのですけれども、「焼き切る」のような長い子音語幹動詞や母音語幹動詞(一段活用動詞)・変格活用動詞は何となくサル形を使いにくい印象があります。
すみません、ずいぶん長くなってしまいました。これだけ書くのに2時間もかかってしまいました。次回以降は短くしたいと思います。
加藤昌彦
上野先生の最終講義を聞きに東京まで行ってさっき帰ってきました。
学問の道に進んだ友達も、一般就職した友達も集まって、同窓会のようでした。
なごやかな雰囲気で楽しかったです。
自己紹介が不十分だったので、改めて書きます。
1969年2月生まれ、鉄輪県座間市出身です。父方は何代も昔から座間の人で、
母方は座間から8kmくらい川上の方へ行った相模原市上溝番田出身です。
今回は自由発話の録音と、補助動詞「(て)おく」の用法の確認をしましたが、
自発についても作例をもとに調査をしました。
「自動詞化接尾辞 (intransitivizing suffix)」の追加の例です。
神奈川県座間市の方言のものです(標準語の例ではありません)。
以外に多くの動詞に対応する自発形(ar形)があることがわかり、驚いています。
●つっとさる
「つっとさる」ということばがあります。例えば、固い地面にくいなどを打つとき、「つっとさるかなあ
(=刺さるかなあ)」などと使います。対応する他動詞は、「つっとす」または「つっとーす」です。「あたしさっきつっとしたんだけど、ちゃんとつっとさってなかったみたいね」のように使います。
●まかる
また、「まかる」ということばもあります。《値段を安くする》の意味の「まける mak-e-ru」の語根 mak に自動詞化接尾辞 -ar
がついてできた自動詞です。「まけてってゆったけど、まかんなかった」のように使います。この「まかる」は国語辞典にも載っている場合があります。『明鏡』の例:
まかる【負かる】〔自五〕値段を安くすることができる。負けられる。「これ以上はまからない」。
大事な点を二つばかり:
(あ)《勝負に負ける》という意味の他動詞「まける」に対応する自動詞「まかる」は(少なくとも神奈川県座間市の方言には)ありません(と思う)。自動詞化接尾辞がつくかどうかは、語ごとに個別に決まっていると言わざるを得ないようです。
(い)「まかんなかった」《まけてもらえなかった》とはいえますが、「まかった」《まけてもらえた》とは言いにくいと思います(注1)。肯否の違いが関係するわけです。なぜでしょうか。
ところで、Yahoo!知恵袋というのがあります。何でも疑問に思ったことをウェブ上で質問すると、そのことに詳しい方が答えて解決してくれるというものです。そこに「「まける」の受身で、「まかる」というのは、日本語としては問題は別にありませんか」という質問が出ていました。下記のURLでその質問と答えを見ることができます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311470648
xskp500さん
(金額を)「まける」の受身で、「まかる」というのは、日本語としては問題は別にありませんか。
質問日時:2007/5/1 18:58:07
解決日時:2007/5/16 03:31:04
ベストアンサーに選ばれた回答
dendenko123さん
「まける」は下一段他動詞です。「値引きする」の意味です。「まかる」は五段自動詞です。受身ではありません。可能の意味を持っています。「値段を負けることが出来る」の意味です。受身と考えなければ日本語として通用します。もし受身にしたいときは、他動詞でないと不都合です。「まけられる」が可能でしょうが、可能の意味のほうが強く感じられます。普通、「まけていただける?」のように言っていませんか。
<田子>
これは非常に問題があります。何でも標準語の理屈で押し通そうとする態度です。こんなのがまかりとおったら、自分の方言に興味を持った方の素朴な疑問が打ち消されてしまいます。インターネットは便利なものですが、注意して利用しないと、専門家でもなんでもない見識のない人に出会って、このように酷い目に遭うことがあります。
注1:東京都八王子に住んでいるおばに訊いたところ、「まかった」は問題ないとのことでした。例えば:「ちゃんとゆったから、まかったよ」。
●ぬがる
「なかなかぬがんないねえ」「やっとぬがった」(nug-ar-u)が母(76歳)は使いそうだとのことです。
僕は全く信じられません。
「なかなか脱げないねえ」「やっと脱げた」と、おもしろくもなんともない言い方でしか言えない
と思います。
●書かる
「このボールペン、やっとかかった。」(書)
これも僕なら「このボールペン、やっとかけた。」というところです。
野島本泰
2010年1月28日23:12 NOJIMA Motoyasu <nojima....@gmail.com>:
> 1969年2月生まれ、鉄輪県座間市出身です。
びっくりしました。
「かんなわ」で変換するとこうなりますね。
誕生日おめでとうございます。mixiのお知らせで知りました。
実は僕も2月生まれです。10日なのでちょうど一週間違いですね。
加藤昌彦
栃木弁の加藤です。すみません、先ほど野島君への誕生日おめでとうメールを間違ってこちらのMLに出してしまいました。
お詫びのついでと言ってはなんですが、白岩さんに質問があります。以前、福島では、
(A)「~ている」の形の場合
(B)連体修飾の「~た」の場合、
(C)終止形であって物の特性を述べる場合
の3つの場合にしか自発形が用いられないとおっしゃっていました。そして、(C)の例として、
(1)このペンはよく書かる。
という例文を挙げていらっしゃいました。これの動詞を「タ形」にした、
(2)このペンはよく書かった。
は可能でしょうか?宇都宮だと、(2)に対応する
(3)このペンはよく書かさった。
は二つの意味を持つことができます。
ひとつは、渋谷先生(1993)の言う「潜在系可能」の場合で、「このメーカーのこのペンは、品質が良くて以前はよく書けたんだけれども、最近はだめだ」というような状況です。つまり、(1)の過去形ということになると思います。栃木弁で言うと、「このメーカーのこのペンは前はよく書かさったんだきっともが、最近はだめだ」となります。
もうひとつは渋谷先生の「実現系可能」の場合で、「あっちのペンで書いたときは字がきれいに書けなかったけれども、こっちのペンで書いてみたらきれいに書けた」のような状況です。これも栃木弁で言うと、「あっちのペンで書いたときはきれいに書かさんなかったきっともが、このペンだときれいに書かさった」となります。
福島では、どちらの状況にも自発動詞の「タ形」は使えないのでしょうか?それとも「潜在系可能」の場合はOKですか?
[参考文献]
渋谷勝巳(1993)「日本語可能表現の諸相と発展」『大阪大学文学部紀要』33.1, pp.1-262.
加藤昌彦
ここしばらく体調が優れなかったのですけれど、41歳の誕生日であるせいか、
どうしても思い出せずにいたことが、いろいろと頭に浮かんだりして不思議なものです。
昌彦さんにサル形の話を初めて伺ったときに、「そういえば座間でも…」と思い浮かんだ
似非サル形のうちの一つが思い出せました。「のさる」というものです。
この nosaru の s は語根形態素(nos)の一部ですから、宇都宮方言の -rasar とはまったく
関係のないものですが、この動詞の場合、座間では:
自動詞 のる nor-u
自動詞 のさる nos-ar-u
他動詞 のせる nos-e-ru
という関係にあるからか、「さる」が語尾として取り出しやすかったんだと思います。
すぐに思い浮かぶ意味は、何か(例:リヤカー)の上に物を載せようとして、
スペースがあるかどうかを問題にしている時に、
「まだ楽にのさるよ(まだ楽に載せられるよ)」のように使う、というものです。
僕の母は76歳ですが、使い方を訊いてみたところ、「最近は使わなくなったから
(自然な文脈がすぐには答えられない)」といっていました。
野島本泰
もと福島市民の白岩です。
ご質問いただきましてありがとうございます。
さて、さっそくご質問の件ですが、「潜在系可能」「実現系可能」ともに、
若干内省に迷いが生じますが、使えそうな気がします。
(1)このメーカーのこのペンは前はよく書かったんだげんと、最近はだめだ。
(2)あっちのペンで書いたときはきれいに書かんなかったげんと、このペンだときれいに書かった
なんだか前言を翻すようですが、たぶん、どちらもOKです。
ちなみに、
(3)??校庭に一時間で丸が描かった。
(4)(ドラえもんの道具で、テストがすらすら解けるペンを使った)
??このペンだと3分でテストの回答が書かった。
は、やっぱりかなりおかしいので、(1)(2)は、
おそらく、ペンという「物の特性」の表現として解釈可能なぶん、
適格に思えるのかと思います。
(2)は「特性」といえるか微妙ですが、「実現系」に見せかけつつ、
「あっちのペン」と「こっちのペン」を対比させて、その特性を述べているような、、、気もします。
(4)は、文脈をでっち上げて、無理やり時間表現を共起させてみたのですが、
そうやって、「特性」的な読みを極力排除すると、適格性がダウンします。
(時間表現の共起する、もっと自然な文脈があったら教えてください。)
一回こっきりの、具体的な現象は、やっぱり使いにくいと思います。
ですので、以前私の書いた以下の条件は‥‥
> (A)「~ている」の形の場合
> (B)連体修飾の「~た」の場合、
> (C)終止形であって物の特性を述べる場合
次のように訂正したいと思います。
(A)アスペクト的に客体(=モノ)の結果状態がマークされる場合
(A-1)「~ている」の形
(A-2)連体修飾の「~た」の形
(B)アスペクト的に無標でも、「モノの特性」を意味する場合
これなら、(1)(2)のような例も、「モノの特性」と解釈可能だから
自発表現が使用可能、と説明できますし、
前の条件にあった「終止形」という適当すぎる用語も避けることができます。
ただ、新案の(B)の条件は意味論的なものなので、
「特性」とは何か、別に定義する必要があるかもしれません。
ちなみに、野島さんの投稿にあった「乗さる」は、
福島でも使う気がします。
ただ、コメントにあったとおり、自動詞なので、
これとは別に、「乗せらる」という他動詞+自発の表現があります。
自動詞 のる nor-u
自動詞 のさる nosar-u
他動詞+自発 のせらる nose-rar-u
これら、類義の表現の異同については、
ある程度考えはあるのですが、またいずれの機会に投稿させていただきます。
最後になりましたが、野島さん、お誕生日おめでとうございます。
白岩広行
2010年2月17日10:56 Atsuhiko KATO <atsu...@lang.osaka-u.ac.jp>:
--
x
お返事ありがとうございます。
なるほど、モノの性質を規定するような文なら自発動詞の過去形が使えるわけですね。
> (3)??校庭に一時間で丸が描かった。
> (4)(ドラえもんの道具で、テストがすらすら解けるペンを使った)
> ??このペンだと3分でテストの回答が書かった。
私の方言ですと、「校庭に1時間で丸が描かさった」「このペンだと3分でテストの回答が書かさった」両方ともOKです。
私の宇都宮方言に比べると、白岩さんの福島方言では、自発動詞の表す意味範囲が非常に狭いようです。この差は、ひょっとしたら年代差も関係しているのかもしれません。宇都宮の若年層で自発動詞がどの程度残っているのか、そして残っている場合、どのような用法で残っているのか、興味が出てきました。白岩さん、もしお暇があったら、福島の他の世代でどうなっているかも調べていただけませんか。
「のさる」については、森下喜一著『栃木県方言辞典』を見たところ、栃木でもどうやら使うようです。ただ、私は一度も聞いたことがありません。挙げられている分布地域の中に宇都宮が入っていないので、宇都宮では使わないのかもしれません。
ところで、野島君にお知らせですが、つい最近、森下喜一『栃木県方言辞典』の改訂増補版が出ました。前のものは桜楓社でしたが、今度のは随想社です。私はアマゾンで注文して、つい数日前に入手しました。ちなみに、親が小さい子供にご飯を食べさせるときに、栃木弁でご飯のことを「ごんこ」と言います。小さい頃、親に「ごんこ食え」と言われたのを思い出します。森下先生の辞書では昭和52年の初版の段階でこれに<死語>の注がついていて、なんだか可笑しくなりました。両親は二人ともまだ健在です。
加藤昌彦
福島市方言の自発の年代差、興味深いですね。
座間の<接尾辞 -ar を用いた自発動詞> も年齢差は非常に大きいと思います。
僕が「これはいえないだろう」と思ったものが母に訊くと「いえるよ」という答えが返ってきますので。
「のさる」「脱がる」などはその例です。たぶん学童は聞いたこともないし、「ありえないし」
というのがほとんどだと思います。
先日、上野先生の最終講義の時に実家に帰り、80代後半から90代のおばあちゃんに
座間方言の調査の相手をしてもらったのですが、とても喜んでもらえて、これを機にきちんとした
記述的研究をしようと思ったのですけど、その研究の中で「自発その他の文法的事項の調査」が
どのような位置を占めるのか、思案中です。
どのように進めるのがいいでしょうか。アドバイスいただけたら幸いです。
自由発話は、文字化が追いつかないくらいに、どんどん記録しておこうと思います。
先日実家に帰ったときは、うっかり録音機を明石に忘れてしまって、急遽
<ティアック TASCAM 高音質ICレコーダー DR-07>というのをヨドバシカメラで買って
間に合わせたのですが、かなりよさそうなものなんですけど20000円しないんですよ。
それを母のところに一台置いておくことにしました。おばあちゃんたちと母で集まってもらった時の
会話を、次から次へ録音してもらうのです。
昌彦さん、栃木県方言辞典の情報、ありがとうございました。さっそく購入しました。
野島本泰
2010年2月18日0:20 Atsuhiko KATO <atsu...@lang.osaka-u.ac.jp>:
福島の白岩です。
ご指摘のとおり、福島の自発は、もともと栃木のように生産的だったものが、
しだいに意味領域を縮小させ、今のような、意味の限られたモノになったんだと思います。
おそらく、そのまま衰退してなくなってしまったのが、仙台周辺の方言で、
福島も、いずれはその道をたどるものと思います。
直観ですが、ここで書いたような自発表現も、
私がちょうど、使用する最後の世代だと思います。
「書かる」という表現は、高校時代、意味が通じる友人と通じない友人と、
両方いた覚えがあります。
(同世代のはずなのに通じなくてショックでした。)
ただ、上の世代ならもっと広い意味で使うかというと、そうではない気がします。
私の胸の中にいるじいさんばあさん(大正~昭和一ケタ生まれ:現在鬼籍or認知症)の
方言を思い出しても、宇都宮のような使い方は、たしかしなかったように思いますし、
地元の民話資料などでも、そういう用例は確認されなかったように思います。
少なくとも、昭和20年代生まれのうちの両親は、私とほぼ同じ内省をするはずです。
ですので、福島方言の自発の意味縮小は、若年層特有というよりは、かなり古い時代に起こり、
かろうじて化石的に残った「モノの結果状態・特性」という意味が、
細々と生き残りつつ、私の世代でトドメを刺された、という感じなのではないかと思います。
(ちなみに、私は1982年生まれの27歳です。)
以上、感覚的な仮説(というか妄想)に過ぎないのですが、
話題になったので、書き込ませていただきました。
ところで、野島さんの「談話どんどん録るぞ」宣言には、
自分もそうしたい、と思わされました。
なにせ祖父母は上記のとおりですが、親世代の談話でも、
残す価値はあるだろうと思いますので。
ただ、こと自発表現については、談話中の出現頻度は低いと思います。
以前、うちのゼミで北海道の新十津川町に行き、
とにかく談話をとりまくる、という調査をしたことがあったのですが、
1本15分程度の談話を21本文字化して、
自発表現は使用頻度が低かったために分析をあきらめたという
覚えがあります。
別に自発を焦点にされるわけでもないでしょうし、
そんなことは百もご承知だろうとは思いつつ、
そんなことが思い出されたので、ついでに書いてしまいました。
(こういうとき、栃木では「思い出さって書かさった」というのでしょうね。)
長文、失礼いたしました。
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大阪大学大学院文学研究科博士後期課程
白岩広行
E-mail:shir...@gmail.com
TEL:090-5185-6585
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2010年2月18日4:45 NOJIMA Motoyasu <nojima....@gmail.com>:
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福島の状況のご報告ありがとうございます。用法の縮小がかなり早めに起きていた可能性があるというのは面白いですね。どの地方で、どのような用法で使われているのかを精査する必要があると思いました。あと、今、「用法の縮小」と軽々しく書いてしまいましたが、その逆の可能性も考えておく必要があります。つまり、宇都宮にあって福島にはない用法を、福島で消失したと単純に考えるのではなく、もともと狭かった用法が宇都宮では拡大していったという可能性も念頭に置いておかなければならないと思います。
あと、自然発話の中であまり出てこない現象を文法研究の中でどのようにとらえるかというのは悩ましい問題ですよね。これは言語研究者が常に反芻すべき問題です。もし自然発話の中にあまり見られないようなものであれば、その旨を論文の中に明記しておくべきだという指摘を、アメリカ人の研究者から受けたことがあります。
頻度の問題についてもうひとつ触れておくと、私の父が「サル形」を使う頻度が近年少なくなってきているように感じるのです。小さい頃はよく聞いたものですが、ここ2,3年、あまり聞かなくなっているような気がします。私が論文を書いたときにしつこく聞いたものだから、方言だということを意識してしまって控えているのかなという気もしないではありません。
加藤昌彦
> い問題ですよね。これは言語研究者が常に反芻すべき問題です。もし自然発話の中にあまり見られないようなものであれば、その旨を論文の中に明記しておくべきだという指摘を、アメリカ人の研究者から受けたことがあります。
これは重要な指摘ですね。1本の論文でもそうですし、文法全体を述べたレファレンス・グラマーの
ようなものでも自然発話の中での頻度に言及するのは大切なことだと思います。
そのことを指摘してくれた研究者というのは何という方ですか?さしつかえなければ
教えてください。
「自然発話の中であまり出てこない現象を文法研究の中でどのようにとらえるか」という問題は、
研究者の価値観にも関係してきますよね。つまり、その言語なり方言なりを研究していったい
私はどうしたいのか?という根本みたいな。何か理論とか枠組みがあって、その観点から見て
おもしろい現象はその言語にないのか?という目で研究対象を探す場合と、その言語の中で
機能しているものを重要なものから研究していく場合とでは、自発などの扱いもだいぶ変わって
くると思いますし。
野島本泰
2010年2月19日12:14 Atsuhiko KATO <atsu...@lang.osaka-u.ac.jp>:
加藤です。
> これは言語研究者が常に反芻すべき問題です。もし自然発話の中にあまり見られないようなものであれば、その旨を論文の中に明記しておくべきだという指摘を、アメリカ人の研究者から受けたことがあります。
>
> これは重要な指摘ですね。1本の論文でもそうですし、文法全体を述べたレファレンス・グラマーの
> ようなものでも自然発話の中での頻度に言及するのは大切なことだと思います。
> そのことを指摘してくれた研究者というのは何という方ですか?さしつかえなければ
> 教えてください。
Randy J. LaPolla です。2年前に Linguistics of the Tibeto-Burman Area という雑誌に投稿したときに、編集者である LaPolla から色んなコメントが来て、その中で言われました。この雑誌では最近、投稿論文の末尾に、論文で扱った文法現象の例を含むような民話テキスト等を付すことになっています。私の論文では、ポー・カレン語という言語の項数を変更する小辞を網羅的に扱ったのですが、そのような小辞がすべて現れているような都合の良いテキストはないので、どうすればよいか問い合わせました。私の英語力不足のためか、LaPolla はそれを、「テキストに現れない」と受け取ったようで、
If the phenomenon you are talking about only occurs in elicited sentences,
then that would make me suspicious it isn't a natural phenomenon, and due to
something like language contact or notions of what is the "right" way to speak.
(中略)
You should also mention in the paper that the phenomenon doesn't appear in the
natural speech you recorded.
と言われました。私が扱った小辞は、テキストや会話に現れたからこそ見つかったものなので、最後の指摘には結局従わなかったのですけれども、この指摘自体は非常に重要なものだと思います。
非常に頻度の低い音を音素として扱うかとか、自然発話ではほとんど見かけることのないような作例の適否判断は本当に信頼できるものなのかとか、非常にかしこまった文体でしか現れない現象をどう扱うかとか、頻度にかかわる問題は多いと思います。
加藤昌彦
久しぶりに議論に参加させていただきます。佐々木冠です。出張中に胆石になっ
てしばらくメールを確認できませんでした。ちょっと時間のたった話題で恐縮で
すが、確認させてほしいことがあります。
加藤さんと白岩さんに確認です。
加藤さんが(3)の解釈として出した宇都宮市方言のパラフレーズと
>(3)このペンはよく書かさった。
白岩さんが福島市方言の文法的な文として出した下記の二つの例文はともにもの
の特性を表すわけですね。
>(1)このメーカーのこのペンは前はよく書かったんだげんと、最近はだめだ。
>(2)あっちのペンで書いたときはきれいに書かんなかったげんと、このペン
だときれいに書かった
そして、白岩さんは自発述語文の使用条件の一部を以下のように訂正しました。
>(B)アスペクト的に無標でも、「モノの特性」を意味する場合
ここでいう「モノの特性」はindividual-level predicateのそれと解釈してよい
でしょうか。これが僕が確認したい点です。
現実世界にあるペンは、インク入れ替え式でないかぎり、ある時点で書けなくな
ります。そして、僕の文法直感では標準語の可能動詞であれば、
(5)このペンはさっきまでよく書けたのに、書けなくなった。
と、言えます。つまり、特定の個体の特定の時点の特性(上の例だと現在と対立
する「さっきまで」)に言及できるので、標準語の可能動詞にはstage-level
predicateとしての読みが可能です。
(5)の文は自発構文では表現できないのではないかと思うのですが、いかがで
しょうか。
お二人が出した例文を見ると、過去形は使っているものの、過去に存在したある
個体の時点を特定していない特性を表しているように思えるのですが、いかがで
しょうか。もっというと(そこまでしつこく言わなくてよいと思いますが)、過
去に存在したある個体の(別な時点と対立する)特定の時点の特性を表してはい
ないと思うのです。
別なメーリングリストで一時的な特性と恒常的な(時間の流れを超越した)特性
を表す方法の対立が話題に上っていたもので、上に書いたようなことが気になり
ました。
佐々木冠
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_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Kan Sasaki
Sapporo Gakuin University
ksa...@sgu.ac.jp
http://ext-web.edu.sgu.ac.jp/ksasaki
加藤です。
> 現実世界にあるペンは、インク入れ替え式でないかぎり、ある時点で書けなくな
> ります。そして、僕の文法直感では標準語の可能動詞であれば、
>
> (5)このペンはさっきまでよく書けたのに、書けなくなった。
>
> と、言えます。つまり、特定の個体の特定の時点の特性(上の例だと現在と対立
> する「さっきまで」)に言及できるので、標準語の可能動詞にはstage-level
> predicateとしての読みが可能です。
>
> (5)の文は自発構文では表現できないのではないかと思うのですが、いかがで
> しょうか。
私の方言だと(5)はまったく問題なく言えます。次のようになります。
(1) このペンはさっきまでよく書かさったのに、書かさんなくなった。
白岩さんの判断だとどうなるのか、興味あるところです。これから出かけなければならないので、取り急ぎ、適否判断のみにて失礼いたします。
加藤昌彦
白岩です。いま、調査に出ておりまして、
お返事が遅れました。すみません。
お尋ねの例文、実は隠していたのですが、言えてしまうのです。
(1)このペンはさっきまでよく書かったのに、書かんなくなった。
やっぱり、これを「特性」というのは無理がありますね。
stage-levelのものを、どう日本語で説明したらいいのかわかりませんが、
「状態」とでも言ったところでしょうか。
ちなみに、標準語では「可能表現」で(1)のような言い方ができそうですが、
福島の場合、「可能表現」は不自然です。
(「書かんにゃくなった」は割と自然に感じますが、「書かっちゃ」は
明らかにおかしいです)
(2)このペンはさっきまでよく書かっちゃのに、書かんにゃくなった。
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【補足】
自発の形態素は-(a)r-で、五段型の活用をします。
(かかる、かからない(否定)、かかってる(継続相)、かかった(過去)・・・)
可能の形態素は-(a)re-で、一段型の活用をします。
状況可能と能力可能での使い分けはありません。
(かかれる、かかんにぇ(<かかれない:否定)、
かかっちぇる(<かかれている:継続相)、かかっちゃ(<かかれた:過去)・・・)
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ついでにいうと、「一時間で丸がかかさった」のように、
具体的な事態を表す文の場合、自発表現も可能表現も使えません。
(3)*校庭さ一時間で丸が描かった。
(4)*校庭さ一時間で丸が描かっちゃ。
こういう事態を表現したいときは、動作主として人をとって、
次のように表現します。そもそも、「丸」のほうを主格で表すことがないと思います。
(5)子供らが校庭さ一時間で丸を描いた。
(6)誰かが校庭さ一時間で丸を描いた
(実際には、主格・対格ともに、格マーカーの「が」「を」は省略されるのが普通なので
「子供ら、校庭さ一時間で丸描いた」となるのが普通ですが)
以上、十分な答えにはなっていないかもしれませんが、
お返事申し上げました。
自発、可能、それに「乗さる」のような-ar型の自動詞、
それぞれまとめて整理してみる必要がありますね。
いずれ、整理して書かせていただきたいと思います。
ちなみに、いま、沖縄で、若年層のいわゆるウチナーヤマトグチについて、
談話をとったり内省を聞いたりしています。
日差しが厳しく、歩き回ると半袖でも暑いようです。
それでは、つぎ、またいつメールできるかわかりませんが、
失礼いたします。
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大阪大学大学院文学研究科博士後期課程
白岩広行
E-mail:shir...@gmail.com
TEL:090-5185-6585
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2010年2月23日9:49 Atsuhiko KATO <atsu...@lang.osaka-u.ac.jp>:
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お忙しいところ、ご返信ありがとうございました。
自発による属性記述と可能表現の住み分けがどうなっているか気になっての質問
でした。白岩さんの記述を読むと住み分けがありそうですね。僕は、これまでに
接したデータから「もしかして、自発による属性記述はindividual-level
predicateとしての機能しかないのでは?」という予想していたのですが、この
予測は外れました。
ところで、下記のラサルを使った構文は加藤さんにとって問題のないものでした
が、佐々木惣平さんにとってはいかがでしょうか。宇都宮と北海道では同じよう
に-rasarで自発を派生しますが、用法で違いがあるかもしれないので、確認させ
てください。よろしくお願いします。>佐々木惣平さん
(1)このメーカーのこのペンは前はよく書かさったんだきっともが、最近はだめだ
(2)あっちのペンで書いたときはきれいに書かさんなかったきっともが、この
ペンだときれいに書かさった
(3)このペンはさっきまでよく書かさったのに、書かさんなくなった。
> (1)このメーカーのこのペンは前はよく書かさったんだきっともが、最近はだめだ
> (2)あっちのペンで書いたときはきれいに書かさんなかったきっともが、この
> ペンだときれいに書かさった
>
> (3)このペンはさっきまでよく書かさったのに、書かさんなくなった。
私の方言(札幌方言)では、上記(1)~(3)に対応して次の(1’)~(3’)が
すべてOKです。
(1’)このメーカーのこのペンは前はよく書かさったんだけど、最近はだめだ
(2’)あっちのペンで書いたときはきれいに書かさんなかったけど、この
ペンだときれいに書かさった
(3’)このペンはさっきまでよく書かさったのに、書かさんなくなった。
なお、別の話ですが、加藤昌彦さんの論文には、宇都宮方言の例として自動詞の
サル形が多くあげられています。しかし、札幌方言では、それらに対応する自動詞
サル形のほとんどが不自然(?)または非文法的(*)に思われます。
(札幌方言に対する私の内省が怪しくなってきている部分もありますが、少なく
とも、あまり馴染みのない表現に思われます。)
(4)?海を見たらつい走らさっちゃった。
(5)*窓が自然に開かさった。
(6)?4時に行くはずだったの15分早く行かさった。
(7)*おかげでこの研究が続かさりそうです。
(8)?行かさるわけないよ。もう年だから。
(9)?都合でそこには行かさんなかった。
上で?と*に分けてみましたが、特に、「非情物主語+自動詞サル形述語」に
強い違和感を覚えます。これらは私の方言では、サル形を使わずに
(5’)窓が自然に開いた。
(7’)おかげでこの研究が続きそうです。
といいます。
ササキソウヘイ
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VANCOUVER 2010 Olympic News [Yahoo! Sports/sportsnavi]
http://pr.mail.yahoo.co.jp/olympic/
加藤です。
佐々木惣平君が指摘してくれたことに捕捉しておきます。
> 上で?と*に分けてみましたが、特に、「非情物主語+自動詞サル形述語」に
> 強い違和感を覚えます。これらは私の方言では、サル形を使わずに
>
> (5’)窓が自然に開いた。
> (7’)おかげでこの研究が続きそうです。
>
> といいます。
宇都宮でも、(5')や(7')のように言うほうが普通だと思います。(5)と(7)は特別なニュアンスが加わります。
(5)窓が自然に開(あ)かさった。
(7)おかげでこの研究が続かさりそうです。
(5)は、不可抗力的に開いてしまったということを強調している感じです。たとえば、「ちゃんと閉めておいたのに、開いてしまった」と言いたいときに使うと思います。
(7)は小池清治(1982)からの引用です。何だか、自分の実力というよりは、神の思し召しか何かで研究が勝手に続いていっているようなニュアンスを感じます。謙遜の気持ちがこもるかもしれません。
論文を読んでくれてありがとうございました。
ところで、前にアップしておいたものは、最終原稿より少し前のバージョンだということが分かりましたので、印刷されたものをスキャンしてアップしなおしておきました。重いです(15MB)。あと、ところどころ原稿が傾いています。前にお知らせしたものは北海道方言についての山崎哲永(1994)が参考文献リストに載っていませんでした。
http://www.sfs.osaka-u.ac.jp/user/burmese/jihatsu.pdf
ちなみに、まいぷれ那須(編)『ごじゃっぺこくでねー2』(随想舎)という、遊び感覚の栃木弁会話集に、「非情物主語+自動詞サル形」の例が二つ載っていましたので、引用しておきます。
p.36 会社の会長と植木屋の会話
会長「はがいってっけー?」(はかどってるか?)
作業者「だいじっすよ。ちゃーんとうわさってっから。」(だいじょうぶですよ。ちゃんと植わっているから)
※加藤注:「うわさる」は「うわらさる uwar-asar-u」から「ら」が脱落したものです。
p.181 幼稚園バスの腰掛けに座ろうとした年輩のおばさんのセリフ
ユキ「あ、あれー!なんだいこれ、けつ半分ものっかさんねよ!」(なんだいこれ、尻が半分ものらないよ)
※加藤注:「のっかさる」は「のっからさる」から「ら」が脱落したものです。
加藤昌彦
>私の方言(札幌方言)では、上記(1)~(3)に対応して次の(1’)~(3’)が
>すべてOKです。
>
>(1’)このメーカーのこのペンは前はよく書かさったんだけど、最近はだめだ
>(2’)あっちのペンで書いたときはきれいに書かさんなかったけど、この
> ペンだときれいに書かさった
>
>(3’)このペンはさっきまでよく書かさったのに、書かさんなくなった。
なるほど、他の二つの方言と同様にある個体の特定の時点についても言及できるわけですね。
一つ前のメールで(3’)タイプがOKなのでindividual-level predicateではない、というようなことを書いてしまいましたが、勇み足だったかもしれません。Chierchiaの論文で見たのですが、individual-level predicateでも、
John wasn intelligent on Tuesday, but a vegetable on Wednesday.
のように使われることがあるそうです。実はあまり意味論には詳しくないもので、この辺についてもう少し勉強した上で質問したいと思います。
参照文献
Chierchia, Gennaro (1995) Individual-level predicates as inherent generics. In: Gregory Carlson & Francis Pelletier (eds.), The Generic Book. 176-223. Chicago: The University of Chicago Press.
佐々木冠
Kan Sasaki
ksa...@sgu.ac.jp
Sapporo Gakuin University
Bunkyo-dai 11, Ebetsu,
Hokkaido, 069-8555
Japan