私は幼少期の頃から父親に、よくこんな事を言われました。
「クラスの中で、一番寂しそうにしている子へ、一番初めに
君から声をかけてあげなさい。」
学校という集団生活の場では、クラスの中に一人二人と、そのクラスに
なじめない子が居ました。
誰からも声もかけられず、一人寂しそうにしている子を見た時、あなたは
その子に"優しい言葉"をかけてあげられますか?
また、ある子が集団でいじめにあっている光景を見た時、
あなたはその子を救い、いじめていた連中へ注意をすることができますか?
善行にも時として勇気がいるものです。
仲間はずれやいじめは、人として恥ずべき行為です。
勇気を持って彼らと立ち向かう行為は、まさしく、神の思いに適うものでしょう。
--
やまもといちろう(二代目)
IchirouYamamoto <1s...@104.net> wrote in message
news:aqjcgq$56q$1...@catv02.starcat.ne.jp...
人が聞きたいのは、綺麗な言葉じゃない。
人が聞きたいのは、あなたが父親に言われた事を実行したのか? しないのか?
そして実行したのなら、どんな結果が出たのか?
父親に大事な事を教わってクラスに寂しそうにしてる子が居たら、『優しい言葉をか
けられるか?』 って人に問い掛けるのですか?
あなたの親父さんは、『君から声をかけてあげなさい。』 と言ったのでしょ?
人に 『声をかける事が出来るか問いかけてみなさい。』 とは言ってないはずです。
人として恥ずべき行為とは、誰でも解り切ってる事です。
でも実際にその場面が来た時に、どうする事も出来ない自分を正当化する為に 『弱
肉強食』 なんて言葉を言ってごまかすのでしょ?
今の時代、人は立ち向かって怪我でもした人を見て何て言いますか?
バカ扱いするんですよ。
そのバカ扱いした人に口ごたえでもしたら、逆にいじめの対象になるんです。
『助けなければいけないだろ?』 って問い掛けたら、『バカ野朗、怪我でもしたど
うするんだ!』
と、逆に怒られるです。
あなた、こんな経験がありますか?
ないから言える、奇麗事です。
僕個人は、奇麗事は一切聞きたくありません。
ごめんなさい。
J-BOY
特に「やまもといちろう」の奇麗事は余計に聞きたくない人が多い
でしょうね。
「やまもといちろう」は以下のような助言をもらっても、
"alice" <al...@alice.gtr.nu> wrote:
> "IchirouYamamoto" <1s...@104.net> wrote in message
> > その為には、まずは自分が変わることです。
>
> 今のままではだめだとわかっているのですね(笑)
>
> > そしてそのイヤな人にも、必ず良い面が有るものです。相手の良い面を発見し、
> > 自分の悪い面を変える努力は、つまるところ神の思いに適うものだと僕は思いま
> す。
>
> 神様とは友達ではないのでどのようなお考えかはわかりませんが
> 上記の考えは人間としてあまりに当たり前な事ではないでしょうか?
>
> 本当にこのようなお考えを持っているとしたらそれは素晴らしいと思いますが
> その他の記事を読む限り考えていることと行動がまったく伴っていない
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
■中略■
> 本当に自分の悪い面を変える努力はつまるところ神の思いに適うものだと
> 思うのであればまず過去の過ち(悪い面)を懺悔し未来を見据えて
> 現在の時点においてどのような行動をすれば良いのかと考えるべきでしょう
"alice" <al...@alice.gtr.nu> wrote:
> たった一度の小さな過ちでさえ信頼を取り戻すためには長い時間がかかる
> あんたの場合は失敗に失敗を重ねた上に開き直ったんだから
> それそうおうの時間がかかる事は認識しないとあかんよ
こういうことが、全く理解できていない。
自らの過ちを反省せずに、奇麗事をならべたところで、「やまもと
いちろう」が自分の信頼を取り戻したいと言うエゴしか見えてこな
いでしょうね。
私は「やまもといちろう」は可哀想な人だと思います。
わかりました。
父の口癖のようなこの言葉も、中学になるまでは、胸を張ってこれを実行したと言える
経験はありませんでした。
中学の2年生の時、たまたま尼崎市のある中学へ転校したとき、私自身が身をもって
寂しい思いをした経験がありました。
「父の言葉は、やっぱり正しかったのだな」と、悟ったのはこの時でした。
経験的に、「一人ぼっち」は、おそらく一番つらいものであると思います。
尼崎市のその中学では、その後も転入生が何人か居ました。
転入生たちへこんな寂しい思いをさせるなら、自分から彼らに近づいて、
自分から友達となろう。
『君から声をかけてあげなさい。』 の実践とは、この時からでした。
きっとこれは神の思いに適うものでしょう。
「善の種まきによい実がなる」などと言えば少々大げさかも知れませんが、
その1年後の中学3年生のときには、学級委員などもさせていただきました。
> あなたの親父さんは、『君から声をかけてあげなさい。』 と言ったのでしょ?
> 人に 『声をかける事が出来るか問いかけてみなさい。』 とは言ってないはずです。
>
> 人として恥ずべき行為とは、誰でも解り切ってる事です。
> でも実際にその場面が来た時に、どうする事も出来ない自分を正当化する為に 『弱
> 肉強食』 なんて言葉を言ってごまかすのでしょ?
>
> 今の時代、人は立ち向かって怪我でもした人を見て何て言いますか?
> バカ扱いするんですよ。
> そのバカ扱いした人に口ごたえでもしたら、逆にいじめの対象になるんです。
> 『助けなければいけないだろ?』 って問い掛けたら、『バカ野朗、怪我でもしたど
> うするんだ!』
> と、逆に怒られるです。
確かに悲しい現実かもしれません。
でもやっぱり「集団でいじめをする連中」へは、彼らへ立ち向かう勇気が
必要だと思います。
仮に彼らから暴行を受け、顔にアザを作ったっていいじゃないですか?
立派な「勲章」じゃないですか。
勇気も無くただ見ている人達よりは、よっぽど立派でしょう。
日々の「善の種まき」は、いずれ必ず「良い実が生る」と思います。
> 僕個人は、奇麗事は一切聞きたくありません。
> ごめんなさい。
いえいえ、人それぞれ考え方も違いますから・・・。 (^^ゞ
あくまでも私はこう思うというお話です。
--
やまもといちろう(二代目)
from KENTAROU
> そうだとすれば、まず、頼光氏に愛の手を差し伸べてあげるべきではないでしょう
> か。
なるほど、するどいご指摘ですね。
頼光氏が、私の愛を受け入れてくれるかどうかが問題となるところですが。
--
やまもといちろう(二代目)
これですよね。
独りぼっちの経験者が、上から 『声をかけてあげなさい。』 は言わないですもんね
!
やっぱり底辺の気持ちで考えてこそ、寂しい人の気持ちになれるんだと思います。
> > あなたの親父さんは、『君から声をかけてあげなさい。』 と言ったのでしょ?
> > 人に 『声をかける事が出来るか問いかけてみなさい。』 とは言ってないはずで
す。
> >
> > 人として恥ずべき行為とは、誰でも解り切ってる事です。
> > でも実際にその場面が来た時に、どうする事も出来ない自分を正当化する為に
『弱
> > 肉強食』 なんて言葉を言ってごまかすのでしょ?
> >
> > 今の時代、人は立ち向かって怪我でもした人を見て何て言いますか?
> > バカ扱いするんですよ。
> > そのバカ扱いした人に口ごたえでもしたら、逆にいじめの対象になるんです。
> > 『助けなければいけないだろ?』 って問い掛けたら、『バカ野朗、怪我でもし
たど
> > うするんだ!』
> > と、逆に怒られるです。
>
> 確かに悲しい現実かもしれません。
> でもやっぱり「集団でいじめをする連中」へは、彼らへ立ち向かう勇気が
> 必要だと思います。
>
> 仮に彼らから暴行を受け、顔にアザを作ったっていいじゃないですか?
> 立派な「勲章」じゃないですか。
> 勇気も無くただ見ている人達よりは、よっぽど立派でしょう。
>
確かに勲章。
僕も、そう思います。
1回目で怖さや苦しさを知ってしまうと、 2回目・ 3回目に同じ勇気を持ち続ける
事が難しくなります。
それでも自分だけは、言った事を守り続ける事が大事ですよね!
> 日々の「善の種まき」は、いずれ必ず「良い実が生る」と思います。
>
僕は、これが嫌いなんですよ。
“善” って言葉が・・・
みんなにいい顔は出来ないと思うので。
自分では善の気持ちでやったとしても、相手には悪に受取られたり・・・
善だの悪だのってのは ”その人の都合” だけのような気がします。
善・悪の前に、自分が出す答えが “正しいか?・間違ってるか?” にこだわるべき
だと思うんです。
その結果に、善だの悪だのが勝手に出てくると思います。
> > 僕個人は、奇麗事は一切聞きたくありません。
> > ごめんなさい。
>
> いえいえ、人それぞれ考え方も違いますから・・・。 (^^ゞ
> あくまでも私はこう思うというお話です。
>
>
思いという目的地は、僕も同じです。
これからも宜しくお願いします。
J-BOY
J-BOYくんいいこと言いますね~。ぼくはかなり賛成です。
from KENTAROU
相手が誰であろうと何であろうと、誹謗・中傷・揶揄・罵倒は否定しなければなりません。一つの誹謗が無限大に広がっていきます。悪風感染ですよ。
その通りですね。ぼくの記事にはいつも誹謗・中傷・揶揄・罵倒というものは有りま
せん。少し物足りないくらいだと皆さんに言われております。少しくらいは誹謗・中
傷・揶揄・罵倒がないと却ってまずいのではないかと諭されたりもします。
そこにいくとEro吉氏=Eroコバンザメ氏のオシッコ落書きには十分すぎるくら
いの誹謗・中傷・揶揄・罵倒がもられていますよね~。ぼくも見習おうかな?
ヽ(^o^)ノ
from ♪♪
男同士で、愛ですか?
愛だけじゃ、なんだかいやらしいから愛情(友情とか)にしませんか?
『私の愛を受け入れて・・・』 って相手に求めるのでなく、愛って言う形のないも
のを伝えないと・・・。
伝わったかどうかの確認が取れてから、今度は受け入れてもらうべきだと思いますが
・・・
その受け入れなかった時は、誰でいきますか?
織田信長 『入れぬなら、殺してしまえ コケッコッコォー!』
豊臣秀吉 『入れぬなら、いくらで入れる? また今度!』
徳川家康 『入れぬなら、お願いしちゃう ホォーホケキョ!』
J さん 『入れぬなら、形を合わせる。 はい どうぞ!笑』
っと・・・
こんなうまい具合には行かないにしても、違うものは同じものに。
合わないものは合わせるように、自分が変われば合っちゃうもんではないでしょうか
?
一度に全部入れる事を考えないで、無理なく少しずつ・ゆっくりと・ゆっくりと・・
・
Jさん『一回頼むよぉ~。』
『駄目!』
Jさん『何も、全部入れさせろって言って言ってる訳じゃないんだよ?』
『何それ?』
Jさん『えっ?何って全部だと思ったの?』
『えっ?何の話してるの?』
Jさん『えっ?何の話だと思ったの?』
『えっ!嫌だぁ~。(バシッ!)恥ずかしいぃ~』
Jさん『そんな事考えてたのぉ~、うわぁ~それじゃぁ~、先っぽだけでいいからっ
!ねっ?笑』
『先っぽだけじゃ、もっと嫌だぁ~』
(多少の省略はありますが・・・)
はい、交渉成立!
なんで、こっちの方向に行ってしまうんだろぉ~???
J-BOY
孤独感というのは幻想以外の何ものでもないです
> 日々の「善の種まき」は、いずれ必ず「良い実が生る」と思います。
「いずれ」と考えるのは如何なものか、と思います
貴方が蒔いた種は多くの場合「その瞬間に」刈り取っていますよ
"?????j?? '" <stpole...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:ef3b8077.02111...@posting.google.com...
> 相手が誰であろうと何であろうと、誹謗・中傷・揶揄・罵倒は否定しな
ければなりません。一つの誹謗が無限大に広がっていきます。悪風感染で
すよ。
「否定しなければ」という考え方には大いに反論します
貴方がそれを否定すればするほど、誹謗中傷罵詈雑言はなくならない、つ
まり全く逆効果だからです
上記したIchirouさんへの「蒔いた種」との関連もありますし、人の思考
パターンとその現実化の説明にとても良い例ですので、この件は是非とも
突っ込んで議論したいところですね(^^)
--
*************************************************************
* Your experiences are the realization of your philosophy *
* Mind your fixed ideas ! *
*************************************************************
IchirouYamamoto" <1s...@104.net> wrote in message
news:aqlfsk$g4$1...@catv02.starcat.ne.jp...
>> 経験的に、「一人ぼっち」は、おそらく一番つらいものであると思いま
す。
>孤独感というのは幻想以外の何ものでもないです
幻想であることがみんな分かれば、孤独な人はいなくなりますね。
>> 日々の「善の種まき」は、いずれ必ず「良い実が生る」と思います。
善いことをしている時って爽快な気分ですものね。
それが「良い実」かもしれませんね。
>「いずれ」と考えるのは如何なものか、と思います
>貴方が蒔いた種は多くの場合「その瞬間に」刈り取っていますよ
はははは・・本当に善い事というのはしようと思ってすることでは
ないんですね。無自覚にしちゃっているということですか。
例えば、ポトマック川で浮き輪を他の人につけてあげていた
あれは、神父さんでしたっけ?とか、線路に落ちた人を
助けようと思って自分も電車にひかれてしまった人とか・・
で、その場合の良い実とは?なんですかね?
"?????j?? '" <stpole...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:ef3b8077.02111...@posting.google.com...
>>> 相手が誰であろうと何であろうと、誹謗・中傷・揶揄・罵倒は否定しな
ければなりません。一つの誹謗が無限大に広がっていきます。悪風感染で
すよ。
否定すれば、つまり「力で」押さえつければ一旦は収まるのは確かでしょうね。
でも、しかし・・・です。
>>「否定しなければ」という考え方には大いに反論します
>>貴方がそれを否定すればするほど、誹謗中傷罵詈雑言はなくならない、つ
>>まり全く逆効果だからです
>>上記したIchirouさんへの「蒔いた種」との関連もありますし、人の思考
>>パターンとその現実化の説明にとても良い例ですので、この件は是非とも
>>突っ込んで議論したいところですね(^^)
そうですね。北風と太陽のお話にもなりそうですね。(^^)
damnam <dam...@qtnet.ne.jp> wrote in message
news:aqt6vt$b83$9...@fnews11.bbiq.jp...
>
> "IchirouYamamoto" <1s...@104.net> wrote in message
> news:aqlfsk$g4$1...@catv02.starcat.ne.jp...
> > 経験的に、「一人ぼっち」は、おそらく一番つらいものであると思いま
> す。
>
> 孤独感というのは幻想以外の何ものでもないです
>
> > 日々の「善の種まき」は、いずれ必ず「良い実が生る」と思います。
>
> 「いずれ」と考えるのは如何なものか、と思います
> 貴方が蒔いた種は多くの場合「その瞬間に」刈り取っていますよ
確かに・・・
『いずれ』 出る結果なら、過去にまいた種の実がなっていても不思議ではないです
ね!
その事から 『種をまいた、その瞬間に・・・』 って事ですね!
なるほどぉ~、確かに・確かに。
あっ!そしたら “多くの場合” 以外の時には、種をまく前に刈り取っているって事
もありますね!
結果が出る前に、結果を出したとか?
何もしてない人に、勝手に何かされるって思って悪風感染させたとか?
それも無限大に・・・笑
>
>
> "?????j?? '" <stpole...@yahoo.co.jp> wrote in message
> news:ef3b8077.02111...@posting.google.com...
>
> > 相手が誰であろうと何であろうと、誹謗・中傷・揶揄・罵倒は否定しな
> ければなりません。一つの誹謗が無限大に広がっていきます。悪風感染で
> すよ。
>
> 「否定しなければ」という考え方には大いに反論します
> 貴方がそれを否定すればするほど、誹謗中傷罵詈雑言はなくならない、つ
> まり全く逆効果だからです
> 上記したIchirouさんへの「蒔いた種」との関連もありますし、人の思考
> パターンとその現実化の説明にとても良い例ですので、この件は是非とも
> 突っ込んで議論したいところですね(^^)
> --
damnamさん、議論しただけでも・・・(都合が悪い人?)
目的地が、全く違う人達だから・・・
母の日にカーネーションがたくさんある事を、勝手にカーネーションが流行ってるっ
て思い込ん
で
母の日の夜に花屋さんが半額にするっていったら全部買う人なんですよ。
それを次の日曜日に、“2割引き” って言っても、誰も買わないでしょ?
(一番高い時の半額なんだから・・)
半額と聞いた瞬間から、注意した 『今日は母の日なんだよ。』 は全く聞いてない。
言われて気分が悪い事 『バカだなぁ~。やめとけよ!』 って事は、否定したから覚
えてる。
(意味と言うものが無い人なんです)
?????j?? さんの 『相手が誰であろうと何であろうと・・・。』
J さんはどんな事でもあまり驚きませんが、この思いの強さには正直言って
“ビックリたまげました”
言葉っていうものは、その人の心を形にしてしまうものなのにいいのかな?
『相手が誰であろうと何であろうと、誹謗・中傷・揶揄・罵倒は否定しな
ければなりません。』 って言うのは、相手の “人” を否定するんですよね?
“事” に対して否定するのか?
“人” に対して否定するのか?
この目的地の違いでする事が全く違うから、確認取れてますけど・・・
こんな “誹謗・中傷・揶揄・罵倒” なんて難しい言葉をどこから探してきたのか知
りませんが
実際に読んで・書いて・意味が解かる人がどれだけいるんでしょうか?
その読んで・書いて・意味が分からない人が使ったら、やっぱりおかしな使い方にな
いりますね。
(その点PCだと、範囲指定・コピー・貼り付けでOKですから・・・)
何て読むんだか知りませんがこの “誹謗・中傷・揶揄・罵倒” って言葉は、自分が
被害者になる為に使う言葉ですよね?
それを真中で聞いてる振りしてる人は、実は話も聞かずに答えが出てる人なのではな
いですか?
(これが種をまく前に刈り取ってるって事:何もしなくても結果が出てるって事)
みなさんは仲良くしてる友達が目の前で喧嘩したらどうしますか?
親子で喧嘩した経験はないですか?
見たくない喧嘩を、真剣に止めた事がある人なら判ると思います。
話の内容を聞かずに、否定はしないですよね?
悪風は悪い人には感染しませんね?
そしたら ?????j?? さん側の善人の人に感染したんですよね?
それも、無限大に・・・
『悪い人に近付くな!』
『こいつは悪い奴だから、バレないように何でもしていいぞ!』
あらっ?
ちょっと聞いてもいいですか?
悪風って、なんですか?
悪い指示の事ですか?
悪いって何ですか?
ズルい事ばかりしてきた自分の中にある ”疑い” から人を信じる事が出来なくなっ
たのでは・・・?
(自分がする人は、人も同じようにすると思い込んでる)
その人の中にあるから、どうしても出てきちゃう事だから仕方がないですけどね!笑
また否定されるとは思いますが、人のする事には “意味” ってのがあります。
その意味を聞いてみると、人の考えには色もあれば、広さもあるようです。
その広さが自分だけでしか考えられない人は、どうしても片寄ってしまうようです。
自分は絶対に正しい・正義の善人だ!って言える人程、自分だけの考えが固まってる
ようです。
本人は、気付く訳がないですけど・・・笑
受け止め方次第で、悪くも取れる・良くも取れるものを否定したら・・・
“自分だけ” “自分だけ” の人かぁ~。。。
どんなに偉くなっても、自分の立場だけでしか考える事が出来ない。
そうすると、どうしても片方を否定しなければいけなくなる。
否定しなければいけない人と、協力って事は・・・嘘?
そしたら、バレないようにしろって言った事がバレる。
バレたら、それは確かに都合が悪いわな!笑
んっ? これって自分だけの人から見た、ただの都合の・・・
優しい J さんは、どんなに悪者にされてもその先は言いませんから・・・Chu!
そうかぁ~、結果は全部良いものだと思ってるようだから、努力しないと悪い結果が
出るって事を教えてあげるか!笑
J-BOY より愛を込めて・・・Chu!!
ええ。実際にいません。「孤独だ」と思っている人がいるだけです
> 善いことをしている時って爽快な気分ですものね。
> それが「良い実」かもしれませんね。
そのとーり。それが↓の「その瞬間に」の意味です
> >「いずれ」と考えるのは如何なものか、と思います
> >貴方が蒔いた種は多くの場合「その瞬間に」刈り取っていますよ
>
> はははは・・本当に善い事というのはしようと思ってすることでは
> ないんですね。無自覚にしちゃっているということですか。
無自覚な場合もあるでしょうし、そうでない場合もあると思います
善かれと思ってやったことが相手には悪いことである場合もあると思いま
すよ
> 例えば、ポトマック川で浮き輪を他の人につけてあげていた
> あれは、神父さんでしたっけ?とか、線路に落ちた人を
> 助けようと思って自分も電車にひかれてしまった人とか・・
>
> で、その場合の良い実とは?なんですかね?
神父さんはその後流されて溺死したんですか?この場合の良い実とは助
かった人の命ではないでしょうか
電車に轢かれた人の実は、その後事故防止策に現れているのでは?
いずれの事件も、それを聞いて自己犠牲の尊さを知った人もいるかも知れ
ませんね
> 否定すれば、つまり「力で」押さえつければ一旦は収まるのは確かで
しょうね。
> でも、しかし・・・です。
そうですね。一時的には解決したかのように見えるでしょうが、根本的な
解決にはなりません
今の「この瞬間」は全て過去に蒔いた種の刈り取りの瞬間ですしね
> その事から 『種をまいた、その瞬間に・・・』 って事ですね!
うーん、そういう意味とは少し違うよな気が
誰かに悪口を言われてカッとなった瞬間、というのは「固定観念に執着し
た(これが蒔いた種)ために身を殺める感情が湧いた(刈り取った)」こ
とになります。そういう意味です
> あっ!そしたら “多くの場合” 以外の時には、種をまく前に刈り取っ
ているって事
> もありますね!
> 結果が出る前に、結果を出したとか?
ありますねー。実はそこが「思考は現実化」の重要なポイントなんですが
原因と結果が入れ替わるのは往々にしてあります
例えば「体験」が原因で「自分の思考パターン」が決まると思っている人
がいますが、本当は逆です。自分の思考パターンが原因で、その人の体験
が決定します。100%ね(斯くして固定観念は作られる)
> 母の日の夜に花屋さんが半額にするっていったら全部買う人なんです
よ。
すいません、この「人」って誰のこと?
> 何て読むんだか知りませんがこの “誹謗・中傷・揶揄・罵倒” って言
葉は、自分が
> 被害者になる為に使う言葉ですよね?
ひぼう・ちゅうしょう・やゆ・ばとう、って読みます
確かに「人が被害者になる為に使う言葉」ですね
> 見たくない喧嘩を、真剣に止めた事がある人なら判ると思います。
> 話の内容を聞かずに、否定はしないですよね?
話の内容を聞かずに否定する人は大勢居ますよね~
彼らにとっては自分が今持っている固定観念を正しいと信じ続けること
が、唯一、己の存在価値を確かめる術なのかも知れません
> また否定されるとは思いますが、人のする事には “意味” ってのがあ
ります。
否定しますが(^^ゞ、人のする事には意味はないです。もともと全ては無
意味です。意味は0。いろんな出来事、現象を見た人が、後から意味を付
けているだけです(最初のうちは誰でも周囲から与えられた意味付け(定
義付け)で物事を見ますが)
> 自分は絶対に正しい・正義の善人だ!って言える人程、自分だけの考え
が固まってる
> ようです。
そう。テロリストなどがよい例ですね。彼らの心は正義感で満ちています
(よく言えば純粋。オウムがそうだったように)
Terra" <miko...@crux.ocn.ne.jp> wrote in message
news:aqtnsr$2hf$1...@nn-tk106.ocn.ad.jp...
>ええ。実際にいません。「孤独だ」と思っている人がいるだけです
孤独が好きな人もいると思います。
一生孤独のみを好む人は、ごく、稀だと思います。
>無自覚な場合もあるでしょうし、そうでない場合もあると思います
>善かれと思ってやったことが相手には悪いことである場合もあると思いま
すよ
そうですね。こちらの視点不足、言葉の不足でしたね。
>
>神父さんはその後流されて溺死したんですか?この場合の良い実とは助
>かった人の命ではないでしょうか
>電車に轢かれた人の実は、その後事故防止策に現れているのでは?
>いずれの事件も、それを聞いて自己犠牲の尊さを知った人もいるかも知れ
>ませんね
多分、浮き輪をつけた後、そのまま力尽きて水の中へ・・・・(’’*
意味のない質問?に貴重な意味を頂いてありがとう。
こういう出来事の後の私達人間の心には、確かに「良い実」が残りますね。
>そうですね。一時的には解決したかのように見えるでしょうが、根本的な
>解決にはなりません
不思議なる者 そは 心
>*************************************************************
>* Your experiences are the realization of your philosophy *
>* Mind your fixed ideas ! *
>*************************************************************
O・K
> みんなにいい顔は出来ないと思うので。
> 自分では善の気持ちでやったとしても、相手には悪に受取られたり・・・
> 善だの悪だのってのは ”その人の都合” だけのような気がします。
> その結果に、善だの悪だのが勝手に出てくると思います。
“善”という言葉は、道理(人の行うべき正しい道)に適う、という意味で
使っているのですが、そんなに嫌いですか? この言葉が。
おそらく・・・、
「皆が幸せになれる方向性」というものが、“善なる道”であると思っています。
愛、慈愛、慈悲、思いやりといわれるものが“善”であり闘争、破壊、いじめと
言われるものが“悪”であることは、500万年前の類人猿の社会でも
通用したことでしょうし、永遠の未来にも通用することでしょう。
また100億光年の彼方に住む、他の小宇宙の住民達(宇宙人達)にも
通用できるんじゃないでしょうか?
だから、“善”や“悪”は 「その人の都合」によって決まるようなものじゃないと思うな。
ちとカッコいい言葉で言うなら、
『善の道が正しいことは、これが大宇宙をつぬき通す永遠不滅の法則であるからだ。』
ってことかな? (^^ゞ
--
やまもといちろう(二代目)
偽善と善の見分け方は、それが善だと思い込んでいるかどうかです
Yesなら前者、Noなら後者(あ、個人的主観です)
> 「皆が幸せになれる方向性」というものが、“善なる道”であると思ってい
ます。
道は一つではないですよね
> 愛、慈愛、慈悲、思いやりといわれるものが“善”であり闘争、破壊、いじ
めと
> 言われるものが“悪”であることは、500万年前の類人猿の社会でも
> 通用したことでしょうし、永遠の未来にも通用することでしょう。
善悪の二元論を人類が卒業したとき、善も悪も必要でなくなります
> だから、“善”や“悪”は 「その人の都合」によって決まるようなもの
じゃないと思うな。
すると道は一つではないということ?
> 『善の道が正しいことは、これが大宇宙をつぬき通す永遠不滅の法則である
からだ。』
Ichirouさんは善や悪の普遍的定義が存在すると思うんですか?
--
> Ichirouさんは善や悪の普遍的定義が存在すると思うんですか?
う~ん、(^^ゞ 普遍的定義というか、一応「悪いこと」「良いこと」の定義って
あると思います。
身近なところでは、
「悪いこと」 → 法律違反
てなところかと。
--
やまもといちろう(二代目)
でも法律は大宇宙をつぬき(貫き?)通す永遠不滅の法則でもなんでもないで
すよね。人間が作ったもので
永遠不滅の法則って例えばどんなのがそれに当たるんですか?「善の道」以外
に
だいたいの法律は、神の意に準じたものではないかと思います。
悪いことをすれば、その人を罰するというように。
法律は永遠不滅の法則でもなんでもないかもね。
所詮、人間の作ったものに過ぎませんから・・・。
「善の道」以外で永遠不滅の法則を語るのって、結構難しいなぁ (^^ゞ
今の時点で私の脳裏に浮びませんわ。 (笑)
--
やまもといちろう(二代目)
> だいたいの法律は、神の意に準じたものではないかと思います。
まあ、人の行為が全て神の意ならば、どんな法律もそうでしょうけど・・
Ichirouさんは人の自由意志は神の意志ではない、準じたもの、と思いますか
?
> 悪いことをすれば、その人を罰するというように。
Ichirouさんの定義では「神」は人を罰する人格神なんですか?
汎神論的な神は信じないの?
> 法律は永遠不滅の法則でもなんでもないかもね。
時代や場所でころころ変わるから永遠不滅でないことは確かですね
> 「善の道」以外で永遠不滅の法則を語るのって、結構難しいなぁ (^^ゞ
> 今の時点で私の脳裏に浮びませんわ。 (笑)
では善の道、というのは具体的にどんな行為なり状態なりを指すんでしょう
か。是非ご教示下さい
> Ichirouさんは人の自由意志は神の意志ではない、準じたもの、と思いますか
> ?
人はそれぞれ独自の心の王国を持ち、各人の心の王国は、神によって
自由が許されている、と思います。
従って人の自由意志とは、時として、神の意思に相反することもあると思います。
> Ichirouさんの定義では「神」は人を罰する人格神なんですか?
> 汎神論的な神は信じないの?
人格神も 汎神論的な神も、どちらも神には違いないものでしょうが、
人を罰するという表現は間違いでした。
人格神は、諸天善神と言うべきかも知れませんが、汎神論的な神が
全ての根源にあり、我ら人間は、この汎神論的な神の子であると信じてます。
> では善の道、というのは具体的にどんな行為なり状態なりを指すんでしょう
> か。是非ご教示下さい
私利私欲を持たず、他人に良かれの思いと行い。
ただ、実際にはなかなか難しいと思いますが・・・。
--
やまもといちろう(二代目)
自由を許す一方で、意思に相反したら罰するんでしょうか?
何の為に、神はそんな事をするんでしょう
> > Ichirouさんの定義では「神」は人を罰する人格神なんですか?
> > 汎神論的な神は信じないの?
>
> 人格神も 汎神論的な神も、どちらも神には違いないものでしょうが、
> 人を罰するという表現は間違いでした。
> 人格神は、諸天善神と言うべきかも知れませんが、汎神論的な神が
> 全ての根源にあり、我ら人間は、この汎神論的な神の子であると信じてま
す。
すると罰するのではない、と。すると何が「神の意思」なのでしょうか
> > では善の道、というのは具体的にどんな行為なり状態なりを指すんでしょ
う
> > か。是非ご教示下さい
>
> 私利私欲を持たず、他人に良かれの思いと行い。
> ただ、実際にはなかなか難しいと思いますが・・・。
他人に良かれとの思いと行いは、「私欲」ではないんですか?
その人は、「他人に良いと思われることをしたい」からするんでしょう?
これは、至言だな。「やまもといちろう」の場合は逆効果になって
いることに気が付いていないようだが。
「他人を批判することは容易いが、己を知ることは困難」です
神は盲目の人間に罰は与えないと思います。
ここでは罰というより、自分自らが行った行為の、
反作用と考えるべきかもしれません。
> すると罰するのではない、と。すると何が「神の意思」なのでしょうか
神は常に、人々の幸福を願っておられると信じています。
> 他人に良かれとの思いと行いは、「私欲」ではないんですか?
> その人は、「他人に良いと思われることをしたい」からするんでしょう?
一応「私欲」ではないようです。
{参考記事 三省堂 Goo国語辞典から}
■[私欲]の大辞林第二版からの検索結果
しよく 【私欲・私慾】
自分だけが利益を得ようとする心。「私利―」「―に走る」
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やまもといちろう(二代目)
なるほど。これは言い得てますね
盲目、というのはここでは「自分が行った行為の結果が理解できない人」「因
果応報が見通せない人」などを指すとすれば
自らの行いの反作用は万人が受けていますから
> > すると罰するのではない、と。すると何が「神の意思」なのでしょうか
>
> 神は常に、人々の幸福を願っておられると信じています。
では何故不幸な人を放置するんでしょう
> > 他人に良かれとの思いと行いは、「私欲」ではないんですか?
> > その人は、「他人に良いと思われることをしたい」からするんでしょう?
>
> 一応「私欲」ではないようです。
> {参考記事 三省堂 Goo国語辞典から}
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> ■[私欲]の大辞林第二版からの検索結果
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> しよく 【私欲・私慾】
>
> 自分だけが利益を得ようとする心。「私利―」「―に走る」
あ ホントだ
相手の利益を考えている以上、私欲とは言えませんね