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花火大会

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rei

unread,
Aug 2, 2003, 3:04:05 AM8/2/03
to
昨日の出来事である。

8月1日は、大濠公園という福岡の中心に
位置する公園で花火大会が毎年開催される。

私は、毎年その公園近くのマンションに住む
友人宅に行って、花火を見るようにしている。

花火が20時からなので、その前に公園にいって、
露店まわりを友人の子供と一緒にするのが、
毎年恒例となっていたのだが、今年は行くのが
遅かったのか、人が多く入り口周辺の店しか
回れなかった。

そこで、取り合えず、りんご飴とイカ焼きを買ったのだが、
友人宅に戻ってイカ焼きを食べて驚いた。

毎年、祭りの時期になると、色々なところで、
イカ焼きは食べたが、今年食べたイカ焼きは
本当に驚くほどまずかった。

普通、イカ焼きというと、甘辛い味だと思うのだが、
外見は普通のイカ焼きと変らないその食べ物は、
なんと甘かったのだ。それも、砂糖をたくさん
入れてあるしるこのように甘いのだ。

あまりのまずさに、一口、二口で食べるのをやめて、
ビールで口直しをした。

花火は、例年通りきれいで、楽しかったが、
あのイカ焼きのまずさは、ここ数年来口にしてきたものの
中でも、群を抜いたまずさだった。
作り方を間違えたのだろうか。

しかし、そのまずさでも、人が多いせいか店は繁盛していた。
まあ、どの店もそうだったけれども。

cocoa

unread,
Aug 2, 2003, 6:11:09 AM8/2/03
to
そうそう、今年は久々に隅田川花火大会に行った。

梅雨の中休みで雨もなく、私が晴れ女だ、晴れ男だという
お約束の会話でのスタートだった。

行くたびに思うのが、マスメディアで言われているほど、
見物人の数を実感しないところだなぁ。
会場の範囲があるようで無いというところもあるのかもし
れないけど。

途中で見物場所を変えたのだけど、近くにラテンな人達が
いて花火とパーカッションとのコラボで楽しかった。

花火終了後は浅草寺へ行ってテキ屋を豪遊。

最近のテキ屋は、売っているモノもバラエティ豊かになっ
たし売価も低くなったよなぁ。
ただ、食べ親しんだ物の中に味が微妙に違うモノを売って
いる店も多い事を感じる。

お好み焼きもでも、扱い安いからなのか、作り置きしても
硬くならないようになのだろうか、生地にホットケーキ粉
的なものを入れているのがある。お好み焼きの生地が微妙
に甘いのというのは美味しくないじょ。
いいかげん、じゃがバターはじゃがマーガリンにしなさい。

ちなみに、イカ焼きは食べていない。ゲゾ焼きは食べた。
イカ焼きといえば、飲み込んだつもりが皮がひっかかって、
のどの奥に宙ぶらり~んのウガウガ感は何とも言えない。

高校生の時にテキ屋のバイトを何度かしたけど、売る側も
楽しいんだよねぇ。
ちなみに、売上げが誤魔化せる粉モノを選んでやっていた
のは言うまでもない。

この後の花火は、恒例の友人宅の屋上で右に川崎市制記念
多摩川花火大会、左手に世田谷区たまがわ花火大会という
両手に花火の予定。

世田谷区たまがわ花火大会の方は、毎年、ドラえもんやキ
ティーちゃんなどの変わり花火を上げるのだが、今年はな
にを上げるのであろう?
ちなみに、ドラえもんはなんとなく、キティーちゃんはと
いうと、色はピンク系で雰囲気だそうとしているんだろう
なって感じがするけど、ん...。

打ち上げ場所から離れたところから見るようになっちゃう
ので東京で見る花火って今ひとつなんだよなぁ。
やっぱり、見上げると満天の花火というのが幻想的ですき。


ゝ.)
( ~/ cocoa
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
mailto:co...@ops.dti.ne.jp  ゞ)>巛

koji

unread,
Aug 4, 2003, 12:30:54 PM8/4/03
to
小さい頃、あれは小学三年の頃だったかな。
実家の庭から、お山(岩木山)まで見渡すかぎり田園風景
だった、それを造成し住宅団地をつくりはじめた。

造成もだいぶ終わり。
にぎにぎしく花火大会があった。
東北田舎の人口15万にも満たない都市。
それでもナイアガラや仕掛け花火、スターマイン
が精一杯に打ち上げられた。

フィナーレは、尺だまだった。高さが相当高く
真上で大輪の白い花弁を散らした。
それは、火の粉が近くに落ちるほどのスケール
で圧巻だった。 

フィナーレのタイトルは「さようなら。」その土地を
造成した土建屋がスポンサーだったと思う。

津軽の女の肌は白く、情も濃く、美しい。
多分ロマンがあり、それでも別れがあったのであろう。

僕はあの大きな尺だまの白い花弁を今でも記憶
している。


koji

unread,
Aug 4, 2003, 1:17:48 PM8/4/03
to
僕が幼い頃遊んだところは、青い山脈を書いた
石坂洋二郎が同じく幼い頃遊んだという場所。

ねぷたの頃、そう今ごろ、NHKドラマおははんのロケがあった。
弟と二人、ロケを見た記憶がある。
明治・大正・昭和初期と色々味のある土地柄。
赤線はないものの、飲み屋さんは賑わい。祭りもさかんな土地がらである。

津軽家は、関ケ原では家康に荷担したものの二代信枚は、石田光成の実子
を妾にし(辰子姫)、子供を作った。

三代信義はいわば、敵方豊臣の末裔。しかし、家康養女の満天姫の器量は
それを許した。

http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/mm04.html

少女時代漫画にも一部取り上げられている。
古くからロマンがあった。そんな土地柄だ。

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