水のような音のスピーカーを使えば、
調味料(ソース)の味が良く解る。
味の濃いスピーカーを使えば、その味は美味しいけど、
調味料(ソース)や素材の味は曖昧になる。
逆もまた真なりで、味の濃い調味料(ソース)を使えば
水(スピーカー)の味は調味料に支配される。
調味料も水も、全てが無味無臭ならば、
素材(生のまぐろ=録音)の味が際だつ?
また一方で、支配力の強いアンプを使うと、どのスピーカーも
非常に似通った音で鳴るというのは、僕も経験があります。
これは、そのアンプの味が濃いという事ではなくて、
ソースマテリアルの音質「だけ」に強制補正されて聴いている
ような感じです。
例えて言うならば、スピーカーの「味」がキャンセルされて
強引にまぐろの味に忠実に鳴っているような印象。
まぐろを生で何も付けずに食べて、美味しいのかな?
これには異論反論あるでしょう。
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今村 圭一
名古屋に行った。
ミソカツを頼んだら、甘いミソがかかっていた。当然である。
味噌汁を飲んでみた。これまた甘いミソである。
焼き鳥を頼んだらミソが付いてきた。
つくねを頼んだら、ミソつくねでも無いのにミソがかかっていた。
要するに、何でも同じ味なのだ。
大阪の友人に会った。
チャーハンにソースをぶっかけて食っている。
目玉焼きは当然、ソースかけが基本だ。
タコヤキももんじゃも当然の如くソース掛けである。
広島、おたふくも大変良いものである。
なにを食べても同じ味・・・・
「なぜ何にでも、そうやってソースをぶっかける??」
「え、だって、こっちの方がおいしーじゃん」
この価値観は、否定できるものではない。
仮に、何を聴いても等質の魅力で聴かせてしまうスピーカーが
あったとしても、否定できない。
人の嗜好というのは岩のごときものである。
しかも困ったことに、それは、「不味くない」。
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今村 圭一