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テロと断固として戦う、テロと戦う。

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J_Saita3 premium

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Nov 21, 2003, 11:54:34 PM11/21/03
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こういう言葉を、各国の被害にあった首脳の言葉として必ず聞く。
しかし、テロと一体どうやって戦うのだ。
国がない。相手がいない。神出鬼没。
巨大な軍隊を動かすことがテロと戦う?

戦うという言葉の持つ、語感で、われわれはごまかされてはいないだろうか。
戦うという言葉を発したとたんに、戦いが、この世に存在しているような印象を与え
る。

テロ  と  戦う  

この「テロ」とは、論理実証主義の記号論理学で扱う人工言語に置き換えることは当
然出来る。
しかし、その人工言語が、意味を与えられなければ、論理実証主義からは、倫理哲学
的にはいかなる結論も当為として導出できない。
さらに、「テロ」が、悪であるという価値さえ、論理実証主義で扱う人工言語では、
扱うことはできない。
哲学のニュースグループで、河野君なんかは、こうした、記号論理学で扱えないよう
な、つまり、形式による人工言語という記号によらない分野は、人間がどうにでも扱
えるものでまるで見下した見解だが、学問的な厳密性から言っても、このような見方
はいかがなものか。

現代科学のいかに優れた理論も、そこには原理的には臆見(ドクサ)がある。厳しい
論理的吟味をしのいできたドクサにすぎない。
新しい発見で、いつでも覆る可能性を原理上は含んでいる。客観性とは、間主観的な
批判や議論の可能性のことなのであり、そのためには科学は経験的なもので、試行錯
誤的であり、非独断的でなければならないだろう。不動の教義は非科学的。人工記号
言語による分析哲学は必要だろう。しかし、同時に、人口言語で、限定的な意味を持
たせて前提とし、それによる形式的な記号論理学でしか導出できないものは学問に価
しないというような見方というものは、科学に対する基本テーゼを逸脱した姿勢であ
るばかり
でなく、ここにあげた、現実世界の諸問題には学問は力を持たないという見方に通じ
る。

実在世界の実質的情報を含む命題は、絶対性を持たないものである。現代科学の最上
の理論もこの限りにおいてドクサなのだ。

一般意味論における「テロ」という地図の地名としての言葉、つまり、看板としての
言葉が、テロの持つ内包を、無限の象の実態を、意味として認め、許容し、意味とし
て許す寛容さは、何もテロ容認を言うものではないのは当然。むしろ、このような、
意味的な寛容の空気において、われわわれは、主体的な選択を強く要求されるのであ
る。古典的な科学主義のように、自らの妥当範囲を拡大すれば、間主観的な、つまり
客観的な、諸問題の解決に対する主体的な選択はせばまり、科学主義以外の倫理的哲
学、つまり、そぼくな価値情緒説的、価値相対主義的な倫理価値判断への軽視は、む
しろ、主体的な決断の貧困へと向かわざるをえない。ここに、一般意味論は、決して
古いものなどではない。ギりシアの時代より、回帰し続ける主要な諸命題をわれわれ
は、歴史主義に陥ることなく解決の努力をするべきだ。時間が解決するという自己決
断の退廃への道を、科学
主義の名の下に行くべきではない。

むしろ一般意味論は現代の必需品。だよ----ん。

Segawa Yutaka

unread,
Nov 23, 2003, 2:31:33 AM11/23/03
to
今の時代、戦争の勝敗を決める、国際ルールはないと思います。
戦いも長引けば大義名分も色あせます。

純粋に戦争を終結させるための勝利であれば話も変わりますが、
利権が絡むと、敗者に遺恨を残し、テロを助長させると思います。
人権がらみの問題は、武器によらず、
戦争を終結させれば、さっさとその場を立ち去るべきです。

---
瀬川 裕

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