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YASUI氏に感謝するとともに、議論 のイロハも知らないlawの諸君へ

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ROCK

unread,
Apr 2, 2004, 2:47:33 PM4/2/04
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以下の引用文は公開されている他のニュースグループに有った記事であります。軽く書かれた記事だからこそ普段から意 識がしっかりしていることが分かるわけです。

ところが、lawではどうだろうか。最も議論に精通しているように見えて最も精通していないのがlawの論者の大半ではないか。その証拠は、「大日本帝国 憲法 第三条について」の議論に於ける佐々木将人氏の投稿にそれが最も如実に現れている。

さらにアホらしいのは普段お邪魔虫のように顔をのぞかせている「鳴り物入りの」うぬぼれ屋さんのような他の論者が、このような投稿記事の数ある陳腐な意見 のうちのどの部分にさえも疑問を持つだけの法的知識はもとより、思考力なり論理感なり議論センス、あるいは、真面目な場合の投稿エティケット等が欠落して いるか、ないしは不知であることである。

このような一部高校生でも奇妙に思うようなことにも気付かない劣等能力の保持者が何故に時々デカイ顔をして、自分を自慢したり分かった風な口を利いたりで きるのか、それが不思議である。恐ろしいのはこれに止まらず、law自体が、「これで当然いいことだ」とされてしまっている感があることではないか。

わたしはかねがね比喩的に言っていることに、「山で仕事をする樵は水夫の持つ知識は無い。しかしまた、海で仕事をする水夫にも樵の持つ知識は無い」があり ます。しかしながら、この場合の樵乃至水夫が切っ掛けとヒントがありさえすれば海乃至山への洞察力乃至能力を元々の樵乃至水夫よりは遥かに高いレベルで発 揮する場合がある。要するに、能力はlawに於ける論者よりは遥かに上の論者が他のニュースグループには居るということである。この事実は最低知っておく べきことではないか。

他方、投稿に於ける信用問題が取りざたされ、やれメールアドレスどうの、やれ、署名がどうのと語られる場合があるが、結局はそれらは投稿記事乃至は議論に 於ける「信用性」と関わることではないか。そうだとすれば、メールアドレスや署名が問題なのではなく、投稿乃至議論自体に信用性があるか否かの問題なので ある。上記佐々木氏のような投稿姿勢乃至議論態度のどこにその信用性があると言うのであろうか。周りで眺めるlawへの参加者も然り。

YASUIS氏@東大の記事は明らかに得難い資料を提供されて内容も高度且つ分かりやすく、それゆえ貴重な投稿記事であります。それを提供してくださった ことに対する感謝の言葉も持ち合わせておらず、対応のエティケットも知らないような論者が、他の投稿者に対して、あるべき投稿姿勢の講釈を垂れること等 100年早いと言うべきではないか。

以下の抜粋は行きがかり上の或る投稿者の意見ではあるが、それだからこそ、他のニュースグループの論者はそれだけ程 度が高いことを意味する。lawは全体的に反省が必要な時期に来ているのではないか。中学生程度の話になると、俄然、エティケットを踏まえたような話し振 りに変わる。そのような仕草で誤摩化すことは読者に迷惑であって、公開の場で議論するということは、慣れ合いの馬鹿二人が納得すればいいと言うものではな い。そのようなことこそが「私信mode」なのである。(笑い)
以下抜粋。

# 以下、説明の簡単化のため二者の間での議論としますが、三者以上の議論へ
# の拡張は自明です。

ネットニュースにおける議論の最善の終り方は、

・その問題に関して、双方の主張が一致すること。

です。
「どちらが正しくてどちらが間違っていたのか」なんてのは関係ありません。
双方がそれぞれ自分が正しいと思う方向に主張を改訂していった結果が一致す
れば、それでめでたしめでたしです。
# 結果として、片方は改訂してない場合もあるが、そうでない場合の方が多分
# 多い。

次善の終り方は、

・双方の主張が理解され、その違いの所以が明かになること。

です。
# そして、しばしば、それ以上のことが望めないものです。
## もちろん、ここでいう「理解」は、「納得」とは別物です。

いわゆる「信仰告白」の段階までリダクションして説明して、「その前提だっ
たら当然そういう主張になる」というのが読者に理解できるようになるのが、
その場合の議論の目標となります。
で、「信仰告白」の段階で違いがあれば、それは、どちらが間違ってるとかの
問題じゃなくて、その差は埋めようがないものです。

そういうことを理解して議論するのなら、当然、議論を進める方向も分かりま
す。
自分の主張に関しては、

・相手の主張や質問を参考にしながら、どう表現すれば理解されやすいかとか、
  どう修正すればより正しいと思える主張になるかとか、そういうことに注意
  しながら自分の主張を説明する。

ということになりますし、相手の主張に関しては、

・主張を理解するための質問をしたり、主張の解説をするように水を向けたり
  する。

ということになります。

相手をやりこめようという「邪念」があったり、相手が自分をやりこめようと
してるという思い込みがあったりすると、そういうのがうまくできにくいでしょ
うね。
# 「意趣返し」とかしてる人、いたなあ。
そういう場合は、相手の主張を間違ってるように見せることに終始して、相手
の主張をちゃんと理解しようとしないし、自分の主張に対して都合の悪いこと
は、主張の修正ではなく沈黙をもって答えたりするわけです。

そうなると、なかなか、まともな議論にはなりにくいでしょうね。
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