http://news.goo.ne.jp/news/topics/index/14710/1.html
$ 現役裁判官が靖国判決を批判 2004年04月15日(木) 16:11
$ 現役判事が異例の判決批判 靖国訴訟で週刊誌に寄稿
$ 小泉純一郎首相の靖国神社参拝を違憲と判断した4月7日の
$ 福岡地裁判決に対し、横浜地裁の井上薫判事が15日発売
$ (4月22日号)の「週刊新潮」に「主文に影響しない憲法問題を
$ 理由にあえて書くのは『蛇足』というほかない」とする批判を
$ 寄せた。(共同通信)
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20040415/20040415a4070.html
$ 現役判事が異例の判決批判 靖国訴訟で週刊誌に寄稿
$ この訴訟は、九州の宗教家や市民ら211人が参拝は違憲として、
$ 首相と国に損害賠償を求めた。請求自体は棄却されたが、判決は
$ 理由の中で「参拝は憲法が禁止する宗教的活動に当たる」と述べた。
$ 井上判事は寄稿で、蛇足で憲法問題を判断するのは「裁判所の越権」と
$ した上で、「マスコミ向けのスタンドプレーをして、当事者の一方に肩入れ
$ し過ぎる裁判官が多く、さまざまな弊害を引き起こしている」と指摘。
$ 今回の判決での小泉首相のように実質的敗訴した場合、上訴できずに
$ 「ぬれぎぬ」を晴らすことができない点や、政治的問題に意見を述べれば
$ 裁判所の中立性が疑われることを挙げ、「蛇足は厳に慎まなければなら
$ ない」と結んでいる。
だそうです。
"yam" <h_...@h8.dion.ne.jp> wrote in message news:jFtfc.522$G14...@news1.dion.ne.jp...
わかる人にはsubjectでピンときたかも……。
井上薫裁判官の著書を読む限り
>From:"青龍" <sho...@hotmail.com>
>Date:2004/04/15 23:46:40 JST
>Message-ID:<c5m78n$djj$1...@news511.nifty.com>
>
> この井上裁判官は、政教分離原則違反という判断の
>是非について何も述べていないし、
主文に対応しない判断をするのは誤りというのが
井上裁判官の指摘の骨子です。
(=何も述べていない訳じゃない。
主文に対応しないのであればこの判断に対しては否なんです。)
>彼の論旨からすれ
>ば、今回の事例においては憲法判断事態が回避されま
>す。
> つまり、彼の主張は、私の
>・上訴されたとしても憲法判断が行われないだろう。
という点を言っているとは到底思えませんし
間違いなく
>・仮に憲法判断が行われたとしても
ここまでは言えないでしょうから
> 違憲となる可能性が高いであろう。
> 、という主張と何も矛盾しません。
とまでは言いきれないように思います。
井上薫裁判官は既にいくつかの著書を出していますし
私の記憶に間違いなければ「判決理由の過不足」の中で
>>「主文に影響しない憲法問題を理由にあえて書くのは『蛇足』というほかない」
>>上訴できずに「ぬれぎぬ」を晴らすことができない点
ということの問題点は指摘しているはずです。
すなわち民事訴訟法プロパーの問題提起が主であって
「違憲か否か」についての主張をしたかった訳ではないと読むのが
相当だと思います。
(以下、どこが民事訴訟法プロパーの問題かという点の補足)
私自身判決全文をあたったわけではないので
話半分に聞いてほしいのですが
報道を聞くかぎりどうも「国に対する損害賠償請求」に対する
「請求棄却判決」のようです。
これが正しければ
被告(国)が上訴できるかと言えば
これは「上訴の利益がない」から上訴できないはずなんです。
たとえ主文に対応しないことが書かれていて
そこが不服であっても。
この点
「「請求棄却判決」という主文に対応する理由を過不足なく書くべきであり
主文に対応しないことは書くべきではない」というのが
井上薫裁判官の従前からの主張なのです。
その背景には今回みたいな事例で余計なことを書いてそこが不服であっても
争う手段がないじゃないかという問題提起があります。
それが「蛇足」「ぬれぎぬ」という新聞記事の表現の背景。
一方「判例の読み方」中野次雄編を読むとこれまたまるわかりのように
主文に対応する理由じゃない部分が判例となるかというと
これは結構微妙なんですね。
「論点と関係ない傍論は判例たり得ない」
ということは言えるにしても。
そして判例にならなきゃ法的効力なんてないんで……。
そうすると「判決の中に違憲とする部分があった」ことだけを理由に
それを守れなどというのは
これは法律的な主張とは言い難いのは間違いないところでしょう。
……法律的な主張にしたいなら
もっと理論武装が必要。
一方で井上薫裁判官の発言とされる新聞記事を見て
違憲合憲を論じていると思うのは
(そう思うのは普通は仕方ないとはいえ)
これは井上薫裁判官がかわいそう。
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Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
c...@nn.iij4u.or.jp 佐々木将人
(This address is for NetNews.)
----------------------------------------------------------------------
ルフィミア「本当に本が出そうなんですか?」
まさと「なんか出そうな感じだよ。」
"SASAKI Masato" <c...@nn.iij4u.or.jp> wrote in message news:20040416...@nn.iij4u.or.jp...
> > この井上裁判官は、政教分離原則違反という判断の
> >是非について何も述べていないし、
>
> 主文に対応しない判断をするのは誤りというのが
> 井上裁判官の指摘の骨子です。
> (=何も述べていない訳じゃない。
> 主文に対応しないのであればこの判断に対しては否なんです。)
ここはちょっと書き方が解りづらかったかもしれません。
政教分離原則違反の判断の是非というのは、小泉首相の
靖国参拝が政教分離原則に違反するかどうか、ということで
す。
そこでの判断と関係なく、井上裁判官が主文に対応しない
判断をすべきではないといっているのは理解していますし、
その主張自体は一般論としては賛同できます。
> 井上薫裁判官は既にいくつかの著書を出していますし
> 私の記憶に間違いなければ「判決理由の過不足」の中で
>
> >>「主文に影響しない憲法問題を理由にあえて書くのは『蛇足』というほかない」
>
> >>上訴できずに「ぬれぎぬ」を晴らすことができない点
>
> ということの問題点は指摘しているはずです。
>
> すなわち民事訴訟法プロパーの問題提起が主であって
> 「違憲か否か」についての主張をしたかった訳ではないと読むのが
> 相当だと思います。
私が指摘しているのもまさにそのことです。
判決主文に関係のない法的判断(今回の場合は憲法判断)が回避
できるされるべきという主張を受け入れるのであれば、仮に今回の原
告が上訴したとしても、高裁・最高裁は主文と関係のない憲法判断を
避けることになるから、地裁の憲法判断が覆ることにはならない、とい
うのが私の主張です。
> 一方「判例の読み方」中野次雄編を読むとこれまたまるわかりのように
> 主文に対応する理由じゃない部分が判例となるかというと
> これは結構微妙なんですね。
> 「論点と関係ない傍論は判例たり得ない」
> ということは言えるにしても。
> そして判例にならなきゃ法的効力なんてないんで……。
> そうすると「判決の中に違憲とする部分があった」ことだけを理由に
> それを守れなどというのは
> これは法律的な主張とは言い難いのは間違いないところでしょう。
> ……法律的な主張にしたいなら
> もっと理論武装が必要。
念のためにいっておくと、私は今回の地裁の憲法判断が判例になる
とか、それを前提に拘束力を持つという主張はしていませんよ。
私が主張しているのは、
・仮に上訴されていても、高裁・最高裁で憲法判断がなされる可能性は低いこと。
・仮に憲法判断が上訴審でなされても、違憲とされる可能性が高いこと。
であって、地裁判決が法的拘束力を持つから、どうこうという主張はしていません。
# ただ、今回の判決は首相の靖国参拝の合憲性について考える
いいきっかけになるとは思います。いままで、政教分離原則=制度的保障
という伝統的理解に乗っかって裁判所が憲法判断を避けてきたのをいいこ
とに、靖国参拝になんの問題もないと強弁してきたわけですから。
実際、今回の訴訟の後、小泉首相は自らの参拝を私的参拝だと軌道修
正していますね。
> 一方で井上薫裁判官の発言とされる新聞記事を見て
> 違憲合憲を論じていると思うのは
> (そう思うのは普通は仕方ないとはいえ)
> これは井上薫裁判官がかわいそう。
というわけで、私の書き方が悪かったのかもしれませんが、この部分は
佐々木さんの誤解です。
井上判事の著作を数冊読んだことがありますが。賛成できることが多かったです。
うえの伝でいくと、ただ、『蛇足』の判決をしてはいけないという法律が
ないから蛇足も可というのがおおかたの裁判官たちの判断です。
井上さんはそれに異を唱えている。
まつむら
青龍さんはわかったとされているけど
読者の中には誤解しそうな人がいると思うので
(特に憲法をそこそこ勉強していると
かえってはまりやすい罠だと思うので)
念のために補足です。
「憲法判断を回避」という表現を見ると
すぐ「ブランダイスの7原則」を思いだし
「その事件を処理することができる他の理由がある場合には
憲法問題について判断しない」
「その問題を回避できるような法律解釈が可能であるか否かを
まず確認すべきである」
「法律の施行によって侵害を受けたことを立証しない者の申立てに基づいて
その法律の効力について判断することはしない」
あたりをこの例について思い出した人は
はっきり言って私より先に進んでいます。
……あたし全部をきれいには書けなかったので
佐藤憲法の本から引き写しています。
だけど井上薫裁判官の主張はその著書を読む限り
ブランダイス7原則に代表される
いわゆる司法消極主義の議論とは全く別次元の話である
民事訴訟法の問題を議論しているんだってことは
絶対におさえておいてほしいのです。
言い換えるならば
井上薫裁判官自身が司法消極主義の立場なのか
司法積極主義の立場なのかはわかりませんが
そのどちらの立場をとったとしても
「主文に対応しないことを判決で述べることには反対」
なのです。
そして批判しているのは
「主文に対応しないことを判決で書いたという行為」なのであって
「書いた内容を問題にしている」のではないのです。
(以下
|読者の中には誤解しそうな人がいると思うので
|(特に憲法をそこそこ勉強していると
| かえってはまりやすい罠だと思うので)
|念のために補足です。
であることを再度強調しておきますが……。)
したがって
「井上薫裁判官は司法積極主義をとっている」
「井上薫裁判官は司法消極主義をとっている」
「井上薫裁判官は憲法判断をしたことに批判的だ」
などという主張は全部間違い。
「井上薫裁判官は憲法判断をしたことに批判的だ」は間違いと書いて
あれって思った人は「よ~く考えよう!」
ここポイントね
正確には「主文に対応しない憲法判断をしたことに批判的だ」
なのであって「主文に対応しない」が重要なポイント。
主文に対応する憲法判断ならむしろ書くべきという主張だから
主文に対応するのであっても
別の道があるならそっちを選べという司法消極主義とは
別次元の話なんですよ!
もっとも
井上薫裁判官の著書は
芦部憲法なみに読みやすいんで
直接読んでもらうのがいいと思います。
……あたしがああだこうだ言うのを読むより。
なお
>> そうすると「判決の中に違憲とする部分があった」ことだけを理由に
>> それを守れなどというのは
>> これは法律的な主張とは言い難いのは間違いないところでしょう。
>> ……法律的な主張にしたいなら
>> もっと理論武装が必要。
も
>> 一方で井上薫裁判官の発言とされる新聞記事を見て
>> 違憲合憲を論じていると思うのは
>> (そう思うのは普通は仕方ないとはいえ)
>> これは井上薫裁判官がかわいそう。
も
|読者の中には誤解しそうな人がいると思うので
|(特に憲法をそこそこ勉強していると
| かえってはまりやすい罠だと思うので)
|念のために補足です。
です。
>From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
>Date:2004/04/16 10:48:30 JST
>Message-ID:<407F3B6E...@nr.titech.ac.jp>
>
>うえの伝でいくと、ただ、『蛇足』の判決をしてはいけないという法律が
>ないから蛇足も可というのがおおかたの裁判官たちの判断です。
それ間違い。
実のところ井上薫裁判官は結構な数の判決を批判の対象にしてはいるけど
数だけ見たら「余計なことを書かない」判決が圧倒的で
それが行き過ぎて「必要なことすら書かない」まで行っちゃっている。
そして実際井上薫裁判官は
「必要なことすら書かない」ことも批判の対象にしているけど……
おおかたの裁判官は実は「必要なことすら書かない」側で
この点で井上薫裁判官は
現在の裁判所実務の伝統的立場にあると言っていいと思います。
で、蛇足とは思わないというのは戦前から戦後の一時期までの
裁判所実務の立場だね。
……これはこの時期の判例集を見ていると体感できます。