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質問: 大日本帝國憲法 第三条 について(Re: 近代日本史の痛恨)

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Shiro

unread,
Feb 20, 2004, 5:47:50 PM2/20/04
to
# 元記事の Newsgroups は fj.soc.history,fj.soc.politics です。

M_SHIRAISHIさんの<800c7853.04021...@posting.google.com>から
>そんな大久保が、(明治)憲法の制定時に健在であった
>ならば、「天皇は神聖にして犯すべからず」などと
>いう“天皇神格化条文”を憲法に織り込ませていた
>ろうか?
>
>伊藤(博文)などという、維新での二流の人物が明治政権
>の実権を握るようになってシマッタのは、その後の日本
>にとって、不幸なことだった。 彼は「普仏戦争」に
>おけるプロシャの勝利に目が眩(くら)み、明治憲法を
>プロシャ憲法に範をとったものにしてシマッタ。

質問一
 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。


質問二
 大日本帝國憲法 第三条はねその後“天皇神格化条文”と考えられる様に
なったのでしょうか。


質問三
 「君主無答責」は、日本国憲法 第五十一条【議員の発言・票決の無責任】
 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院
外で責任を問はれない。
の君主版と考えて良いでしょうか。

SASAKI Masato

unread,
Feb 20, 2004, 9:12:21 PM2/20/04
to
佐々木将人@函館 です。

話の内容いかんでは問題を整理してfj.sci.lawにふりますが……。

なお、この問題については
佐藤功「日本国憲法概説」が詳しいと思います。

>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/02/21 07:47:50 JST
>Message-ID:<c162pq$2r8f$1...@usj.3web.ne.jp>
>
>質問一
> 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
>は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
>在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。

むしろ天皇神格化条文と読むべきでしょう。
どちらかと聞かれれば。

ちなみに
・憲法制定の声があがったのは自由民権運動の側であり
 議会設置の主張→議会の前提となる憲法制定
 というものであり、そもそも反明治政府という色彩があった。
・政府内でも大隈重信はイギリス的政党政治を主張していた。
・しかし明治14年(1881年)の政変で大隈重信は政府から追放されてしまう。
という歴史的経過に鑑みれば
明治14年の政変の後、明治15年(1882年)に
伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパに赴いた時点で
明治政府の方向性もいわゆるビスマルク憲法(1871年)を向いていたと
私は考えています。

なお
「欧州の憲法に在った「君主無答責条文」」というのには
私自身は抵抗があります。
もともと君主無答責という語自体
単純に「責任を負わない」という意味ではなく
それに何らかの意味づけをした上で使用される
どちらかというと政治学における用語だと思いますが
単純に「責任を負わない」という意味だとしても
当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
それはあまりにも荒すぎると思うのです。
……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
  意味が全く異なるからです。
(この点は質問三に関係してきます。)

>質問二
> 大日本帝國憲法 第三条はねその後“天皇神格化条文”と考えられる様に
>なったのでしょうか。

その後ではなく最初からです。
ちなみにこれは条文からも読み取れます。
天皇がなぜ統治権を有するかと言えば
それは天孫降臨の神勅で、
そこから続く万世一系の皇統こそが権限のゆえんであり
さらにそこに疑問を抱くことすら許されなかったという点にあります。
3条に限らず明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています。

>質問三
> 「君主無答責」は、日本国憲法 第五十一条【議員の発言・票決の無責任】
>  両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院
> 外で責任を問はれない。
>の君主版と考えて良いでしょうか。

全く違います。
君主無答責はドイツにおいては大臣責任制と同義です。
そしてそれは「政治的無答責」だとされています。

しかし現行日本国憲法51条の院外無答責は
院外における(例えば損害賠償責任を負わないなど)「法的」無責任であって
政治的にはむしろ責任を負うべきものだと解されています。
(そしてその政治的責任を選挙による結果によって果たせと続きます。)

また院内ではその内容により
議院規則違反などの「法的」責任をも発生させます。

----------------------------------------------------------------------
Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
c...@nn.iij4u.or.jp 佐々木将人
(This address is for NetNews.)
----------------------------------------------------------------------
ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくお願いします。」
まさと「振袖着れるようになったの?」ルフィミア「はい。勉強しました。」

Shiro

unread,
Feb 24, 2004, 6:18:01 PM2/24/04
to
SASAKI Masatoさんの<20040221...@nn.iij4u.or.jp>から

>佐々木将人@函館 です。
>
>話の内容いかんでは問題を整理してfj.sci.lawにふりますが……。
>
>なお、この問題については
>佐藤功「日本国憲法概説」が詳しいと思います。
>
>>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>>Date:2004/02/21 07:47:50 JST
>>Message-ID:<c162pq$2r8f$1...@usj.3web.ne.jp>
>>
>>質問一
>> 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
>>は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
>>在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。
>
>むしろ天皇神格化条文と読むべきでしょう。
>どちらかと聞かれれば。

 webで調べた範囲では、君主無答責条文とするページには『美濃部達吉
「憲法撮要」によれば、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の意とは、・不敬
をもって天皇を干犯することはできない。・天皇はその全ての行為に責任がな
い』と言う説明がありました。しかし、天皇神格化条文とするページには特に
説明が無く、天皇神格化条文とする理由が不明です。

 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
れたとは思えません。


>ちなみに
>・憲法制定の声があがったのは自由民権運動の側であり
> 議会設置の主張→議会の前提となる憲法制定
> というものであり、そもそも反明治政府という色彩があった。
>・政府内でも大隈重信はイギリス的政党政治を主張していた。
>・しかし明治14年(1881年)の政変で大隈重信は政府から追放されてしまう。
>という歴史的経過に鑑みれば
>明治14年の政変の後、明治15年(1882年)に
>伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパに赴いた時点で
>明治政府の方向性もいわゆるビスマルク憲法(1871年)を向いていたと
>私は考えています。

 後進国の日本が先進国になるために手本とすべき憲法は、先進国の憲法か、
後進国から先進国になった国の憲法か、と考えるとビスマルク憲法を志向して
も不思議では有りません。


>なお
>「欧州の憲法に在った「君主無答責条文」」というのには
>私自身は抵抗があります。
>もともと君主無答責という語自体
>単純に「責任を負わない」という意味ではなく
>それに何らかの意味づけをした上で使用される
>どちらかというと政治学における用語だと思いますが
>単純に「責任を負わない」という意味だとしても
>当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
>それはあまりにも荒すぎると思うのです。
>……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
>  意味が全く異なるからです。
>(この点は質問三に関係してきます。)
>
>>質問二
>> 大日本帝國憲法 第三条はねその後“天皇神格化条文”と考えられる様に
>>なったのでしょうか。
>
>その後ではなく最初からです。
>ちなみにこれは条文からも読み取れます。
>天皇がなぜ統治権を有するかと言えば
>それは天孫降臨の神勅で、
>そこから続く万世一系の皇統こそが権限のゆえんであり
>さらにそこに疑問を抱くことすら許されなかったという点にあります。
>3条に限らず明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています。

 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。排撃運動
が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
考えられていなかったのでは。


>>質問三
>> 「君主無答責」は、日本国憲法 第五十一条【議員の発言・票決の無責任】
>>  両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院
>> 外で責任を問はれない。
>>の君主版と考えて良いでしょうか。
>
>全く違います。
>君主無答責はドイツにおいては大臣責任制と同義です。
>そしてそれは「政治的無答責」だとされています。

第五十五条
1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
は大臣責任制を示しているのでは。

SASAKI Masato

unread,
Feb 26, 2004, 4:50:08 AM2/26/04
to
佐々木将人@函館 です。

>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/02/25 08:18:01 JST
>Message-ID:<c1gm2e$2eev$1...@usj.3web.ne.jp>
>
>>むしろ天皇神格化条文と読むべきでしょう。
>>どちらかと聞かれれば。
>
> webで調べた範囲では、君主無答責条文とするページには『美濃部達吉
>「憲法撮要」によれば、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の意とは、・不敬
>をもって天皇を干犯することはできない。・天皇はその全ての行為に責任がな
>い』と言う説明がありました。しかし、天皇神格化条文とするページには特に
>説明が無く、天皇神格化条文とする理由が不明です。

そもそも法律情報についてwebの情報だけで判断するのは危険です。
現に現行憲法の本にさえまがりなりにも書いてあることが
「不明です」
になってしまっています。
前述佐藤功先生の本でもいいですし
下で紹介する本でもいいでしょう。
まず読んでみてください。
きちんと書いています。

また美濃部先生が有力な憲法学者であることを争うつもりはありませんが
美濃部先生の憲法学説をもって
当時の通説の線であったと判断するのは
あまりにも単純な理解だと思います。
私自身例えば天皇機関説については
「当時の通説からそれほど外れたものではなかった」
「国家法人説の影響によるもので(憲法の解釈として)批判が大きかった」
という双方の説明を見聞しています。

> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>れたとは思えません。

それは法律の問題ではありません。

> 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。

気のせいです。
法律の問題から離れますが
天皇機関説を法解釈の問題だけとしか考えないのであれば
それこそ歴史学の成果を無視するものでしょう。

>排撃運動
>が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
>考えられていなかったのでは。

違います。

>第五十五条
> 1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
> 2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
>は大臣責任制を示しているのでは。

大臣責任制の意味を正確に理解してください。
特に誰の誰に対する責任なのか。

法学協会著 有斐閣発行 詳解日本国憲法p90から
(なお新漢字に直しています)
「これは一応、大臣責任制を導入し、立憲君主制を採用するものということ
 ができよう。だがそこには、旧憲法特有の独自性、例外、留保が数多くつ
 きまとっていた。そしてそのうちいくつかは、責任政治の原則そのものを
 否定し去りうるほど大きな例外であったのである。」
結局形式は大臣責任制かもしれないが実質は違うと言っているのです。
そしてこの記述はその理由を7点あげています。
要約して紹介しますが
「天皇の神聖不可侵の規定は、しばしば立憲君主制における君主の無答責以
 上を意味するものとされた。即ち天皇が神の子孫として神格を有する--
 現御神である--ことを現す趣旨であるというのである。かかる憲法学説
 は今でこそ荒唐無稽に感じられるが、神意(神勅)を以て政治の矩とする
 旧憲法の建前からすると、ある意味では自然の結論であった。」

なおこの文に引き続き美濃部説についてこう述べています
「天皇の不可侵性を厳重に立憲君主制の枠内のものとして理解しようとする
 立場もあったが、その場合にもその内容はかなり高度のものとして理解さ
 れざるをえなかったのである」
その注で
「この立場においては、「神聖」なる語には法律的意義なしとされる」
とあります。
……意義なしとしないといけない無理がある訳です。

その他
「大臣は天皇の輔弼者であり、天皇に対し責任を負う」
(大臣責任制における責任とは議会に対するもの。
 そのため後に議院内閣制に発展する。)
「天皇は大臣を自由に任免できた。
 しかも実際には憲法上の制度ではない
 「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた。」
「大臣の輔弼・責任は個別責任であって連帯責任ではない。」
「輔弼はそもそも天皇大権のすべてには及ばない。」
「大臣以外にも輔弼機関があった。
 議会の信任を得ている政府が無責任の地位にある者の言動で打倒され得
 しかも憲法上も可能とされていた。」

これに対しイギリスにおける君主無答責は
大臣は議会に対して責任を負うという原則と対応していましたし
内閣が連帯責任を負うものでした。

Shiro

unread,
Mar 7, 2004, 6:09:05 PM3/7/04
to
SASAKI Masatoさんの<20040226...@nn.iij4u.or.jp>から

>そもそも法律情報についてwebの情報だけで判断するのは危険です。
>現に現行憲法の本にさえまがりなりにも書いてあることが
>「不明です」
>になってしまっています。
>前述佐藤功先生の本でもいいですし
>下で紹介する本でもいいでしょう。
>まず読んでみてください。
>きちんと書いています。

 佐藤功先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。
 図書館にあった憲法の本によれば、主権の在り方について天皇機関説と天皇
主権説が有り時代により片方が有力な説(国家公認の説)になった、という事
だと思います。


>また美濃部先生が有力な憲法学者であることを争うつもりはありませんが
>美濃部先生の憲法学説をもって
>当時の通説の線であったと判断するのは
>あまりにも単純な理解だと思います。
>私自身例えば天皇機関説については
>「当時の通説からそれほど外れたものではなかった」
>「国家法人説の影響によるもので(憲法の解釈として)批判が大きかった」
>という双方の説明を見聞しています。

 「当時」とは具体的には何年のことでしょうか。

>
>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>れたとは思えません。
>
>それは法律の問題ではありません。
>
>> 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。
>
>気のせいです。
>法律の問題から離れますが
>天皇機関説を法解釈の問題だけとしか考えないのであれば
>それこそ歴史学の成果を無視するものでしょう。

 「それは法律の問題ではありません。」

>
>>排撃運動
>>が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
>>考えられていなかったのでは。
>
>違います。

 論拠も示さずに断言しても無意味です。
・1912(大正1)年に上杉慎吉が美濃部の天皇機関説を批判して論争が
 起きたが、美濃部の学説は多くの学者に支持され1920年代には
 国家公認の憲法学説としての権威を得た。
・1935(昭和10)年に機関説排撃運動が起こり、美濃部の
 天皇機関説は国体に背く学説として攻撃された。
という出来事は、憲法論争で天皇機関説が勝ち20年以上国家公認の憲法学
説だったが、政治運動としての天皇機関説排撃運動が起こり国家公認の憲法
学説でなくなった事を示しています。

>
>>第五十五条
>> 1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
>> 2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
>>は大臣責任制を示しているのでは。
>
>大臣責任制の意味を正確に理解してください。
>特に誰の誰に対する責任なのか。
>
>法学協会著 有斐閣発行 詳解日本国憲法p90から
>(なお新漢字に直しています)
>「これは一応、大臣責任制を導入し、立憲君主制を採用するものということ
> ができよう。だがそこには、旧憲法特有の独自性、例外、留保が数多くつ
> きまとっていた。そしてそのうちいくつかは、責任政治の原則そのものを
> 否定し去りうるほど大きな例外であったのである。」
>結局形式は大臣責任制かもしれないが実質は違うと言っているのです。

 法はその社会の実情に合わせて作られる物だと思います。従って旧憲法が当
時の日本の実情に合わせて作られたなら、大臣責任制の内容が旧憲法特有の物
であっても当然だと思います。


>そしてこの記述はその理由を7点あげています。
>要約して紹介しますが
>「天皇の神聖不可侵の規定は、しばしば立憲君主制における君主の無答責以
> 上を意味するものとされた。即ち天皇が神の子孫として神格を有する--
> 現御神である--ことを現す趣旨であるというのである。

 天皇の神聖不可侵の規定は
「立憲君主制における君主の無答責+天皇が神の子孫として神格を有する」と
いう説です。
 つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
「立憲君主制における君主の無答責」を否定していないし、
「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
という説です。


> かかる憲法学説
> は今でこそ荒唐無稽に感じられるが、神意(神勅)を以て政治の矩とする
> 旧憲法の建前からすると、ある意味では自然の結論であった。」

 宗教やイデオロギーはそれを信じたくない人には荒唐無稽に感じられます。


>なおこの文に引き続き美濃部説についてこう述べています
>「天皇の不可侵性を厳重に立憲君主制の枠内のものとして理解しようとする
> 立場もあったが、その場合にもその内容はかなり高度のものとして理解さ
> れざるをえなかったのである」
>その注で
>「この立場においては、「神聖」なる語には法律的意義なしとされる」
>とあります。
>……意義なしとしないといけない無理がある訳です。

 フランス人権宣言 第17条 所有権は神聖かつ不可侵の権利であるから、何
人も適法に確認された公共の必要が明白にそれを要求する場合であって、また
事前の公正な補償の条件の下でなければ、それを奪われることはない。 

 第17条の「神聖」なる語は、所有権を神格化するものなのでしょうか、それ
とも、法律的意義なしなのでしょうか。


>その他
>「大臣は天皇の輔弼者であり、天皇に対し責任を負う」
>(大臣責任制における責任とは議会に対するもの。
> そのため後に議院内閣制に発展する。)
>「天皇は大臣を自由に任免できた。

 天皇が大臣を自由に任免した事例を教えて下さい。


> しかも実際には憲法上の制度ではない
> 「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた。」

 大臣の任免について憲法に規定がないので、『憲法上の制度ではない「内大
臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』事を批判しても無意味だ
と思います。
 また、『「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』のな
ら、それを「天皇は大臣を自由に任免できた」というのは無茶だと思います。


>「大臣の輔弼・責任は個別責任であって連帯責任ではない。」
>「輔弼はそもそも天皇大権のすべてには及ばない。」
>「大臣以外にも輔弼機関があった。
> 議会の信任を得ている政府が無責任の地位にある者の言動で打倒され得
> しかも憲法上も可能とされていた。」
>
>これに対しイギリスにおける君主無答責は
>大臣は議会に対して責任を負うという原則と対応していましたし
>内閣が連帯責任を負うものでした。

 明治憲法がビスマルク憲法を元に作られているのなら、イギリスにおける君
主無答責と異なっていても当然だと思います。
# 「明治政府の方向性もいわゆるビスマルク憲法(1871年)を
# 向いていたと私は考えています」というのは、明治憲法が
# ビスマルク憲法の影響を受けていると言う意見だと受け取りました。

 「明治憲法はビスマルク憲法の影響を受けている」と言う説と、「明治憲法
はプロシャ憲法の影響を受けている」と言う説とが有りますがどちらが正しい
のでしょうか。両方のの影響を受けているのでしょうか。

SASAKI Masato

unread,
Mar 8, 2004, 7:53:48 AM3/8/04
to
佐々木将人@函館 です。

>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/03/08 08:09:05 JST
>Message-ID:<c2ga18$19ll$1...@usj.3web.ne.jp>
>
> 佐藤功先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
>置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。

疑問に思うのは自由です。

もっとも上記の主張は結論において不適当ですし
推論過程にも大問題ありでしょう。

まずある文献が別の文献を引用しなかった場合
その理由は複数考えられます。
1 その文献はもともと初心者・門外漢向けのものである
 普通の一般向けの新聞・雑誌の類では
 参考文献があってもあげない例が多いでしょう。
 これは著作権法の侵害にならないような参照方法であれば
 いちいちあげることがかえってわかりにくいことになるし
 また初心者向けの説明だと
 特定の1つの文献をあげなくとも
 普通に読めばたいてい載っているからという理由で
 省略することもあるでしょう。
 例 「善意」……法解釈学における基本用語なので
   特定の文献を参照させる実益がない。
2 その文献の作者がもともと不勉強である
  ……読むべき参考文献を読んでいない。
3 引用の必要がない
  ……関係なければ引用する必要もなし
    また全部をあげる必要もありません。
4 引用する価値がない
  ……引用すべき文献として不適切
しかし上記の主張は
「引用されてない」という事実で1~3の可能性を切り捨て
4であると決めつけている偏見があります。

また図書館に置いてあるかどうかは
その図書館の収集方針とリクエストの有無と予算によって決まります。
私がよく行く上磯町の図書館には
国際法の本など全然置いていないに等しいですが
(我が家の方が数十倍はある)
そのことは田畑茂二郎先生の本が
探す価値のない本であることを示しているものではないことは
普通は言うまでもないことです。
そこを図書館にないということで価値に疑問を持つ点で偏見。

また結論において不適当なのは
ちょっと(古い本で)憲法の勉強をした人だと
「佐藤幸治先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
 置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。」
「芦部信喜先生の本は、天皇神格化条文を主張する人も引用しない、図書館にも
 置いていない、と言う状況なので労力を掛けて探す価値があるのか疑問です。」
と言っているようなものだということがまるわかりな点です。
今でこそ世代交代したけど
20~30年前は司法試験委員をされていたこともあって
司法試験をはじめ国家試験の憲法の基本書の1つとして通用していたのが
佐藤功「日本国憲法概説」です。
このことも知らず
またつい20~30年前の学説状況すらわからないのであれば
「価値があるのか疑問」というのであれば
明治憲法の解釈は困難ですし
明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
……やめておきなさい。

(ちなみに佐藤幸治「憲法」芦部信喜「憲法」とも
 佐藤功「日本国憲法概説」を参考文献にあげています。)

> 図書館にあった憲法の本によれば、主権の在り方について天皇機関説と天皇
>主権説が有り時代により片方が有力な説(国家公認の説)になった、という事
>だと思います。

第1に本の記述と自分の意見を書き分けましょう。
第2に出典を明記しましょう。
それすらできないなら
明治憲法の解釈は困難ですし
明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
……やめておきなさい。

> 「当時」とは具体的には何年のことでしょうか。

天皇機関説発表から1945年ころまで

>>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>>れたとは思えません。
>>
>>それは法律の問題ではありません。
>>
>>> 最初からそうなら天皇機関説排撃運動は起きなかったと思います。
>>
>>気のせいです。
>>法律の問題から離れますが
>>天皇機関説を法解釈の問題だけとしか考えないのであれば
>>それこそ歴史学の成果を無視するものでしょう。
>
> 「それは法律の問題ではありません。」

そうです。
「それは法律の問題ではありません。」から


>>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>>れたとは思えません。

というのは理由になっていません。

>>>排撃運動
>>>が起こったのは「明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています」と
>>>考えられていなかったのでは。
>>
>>違います。
>
> 論拠も示さずに断言しても無意味です。

論拠は既に引用文献の形で示してあります。
示された文献を読まないで無意味だなどと言っても無意味です。

>・1912(大正1)年に上杉慎吉が美濃部の天皇機関説を批判して論争が
> 起きたが、美濃部の学説は多くの学者に支持され1920年代には
> 国家公認の憲法学説としての権威を得た。
>・1935(昭和10)年に機関説排撃運動が起こり、美濃部の
> 天皇機関説は国体に背く学説として攻撃された。
>という出来事は、憲法論争で天皇機関説が勝ち20年以上国家公認の憲法学
>説だったが、政治運動としての天皇機関説排撃運動が起こり国家公認の憲法
>学説でなくなった事を示しています。

出典を示していないので論評できません。

> 法はその社会の実情に合わせて作られる物だと思います。従って旧憲法が当
>時の日本の実情に合わせて作られたなら、大臣責任制の内容が旧憲法特有の物
>であっても当然だと思います。

大臣責任制というのは
「大臣が議会に対して責任を負う」システムを指すのです。
例えば法律学小辞典(第1版)では
「とりわけ議会に対して負う責任で、
 議会の信任を失ったときは退任・総辞職する責任。
 明治憲法では、この責任は明定されず」
としています。

法解釈学の議論をしたいのであれば
法解釈学で通常使われる定義によって議論すべきです。
自分勝手な定義をしてもよく言えば誤解されるだけし
悪く言えば「まともな議論をする気がない」と判断されるでしょう。

> 天皇の神聖不可侵の規定は
>「立憲君主制における君主の無答責+天皇が神の子孫として神格を有する」と
>いう説です。

日本語として趣旨不明です。
規定は説ではありません。

> つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
>「立憲君主制における君主の無答責」を否定していないし、
>「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
>という説です。

日本語として趣旨不明です。
それに「無答責」の意味も曖昧です。

天皇が神の子孫で神格を有するのであれば
天皇は誰に対して責任をとるのでしょう?
少なくとも日本国民ではないはずです。
ゆえに天皇が神の子孫であり大権がそこに由来すると言った瞬間
責任をとる必要がないのですから無答責です。
誰もその点を否定してはいないはずです。
そしてその点を除けば
> つまり、天皇の神聖不可侵の規定は
>「天皇が神の子孫として神格を有する」だけだともしていない、
>という説です。
これは正解の記述です。
そして神格を有するだけではないのだから
普通の人はそれを「天皇神格化」と表現しているだけのことです。

>>その他
>>「大臣は天皇の輔弼者であり、天皇に対し責任を負う」
>>(大臣責任制における責任とは議会に対するもの。
>> そのため後に議院内閣制に発展する。)
>>「天皇は大臣を自由に任免できた。
>
> 天皇が大臣を自由に任免した事例を教えて下さい。

歴史家に聞いてください。
法解釈においては不要だと思います。

なお
「天皇が大臣を自由に任免した例はない。」
ということは
「それは憲法違反だからだ。」
ということを意味していません。
憲法違反だというのであれば
そう示している文献を明示してください。
現行憲法下で国民審査で解職された最高裁判事はいませんが
これは国民審査で解職することが憲法違反だからではありません。
ある事実の不存在は存在すれば憲法違反だというからだとは
限りません。

> 大臣の任免について憲法に規定がないので、『憲法上の制度ではない「内大
>臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』事を批判しても無意味だ
>と思います。

きちんと憲法の本を読みましょう。
それからきちんと論理構造を考え
自分自身の投稿で何を書いたか覚えておきましょう。
「大臣の任免について憲法に規定がない」
なら
憲法上の制度として大臣責任制があるはずもなく

>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>Date:2004/02/25 08:18:01 JST
>Message-ID:<c1gm2e$2eev$1...@usj.3web.ne.jp>
>

>第五十五条
> 1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
> 2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
>は大臣責任制を示しているのでは。

の答は明確にNO=示していないになります。

また輔弼の意味をどうとらえたとしても
輔弼機関が複数あることは大臣責任制ではないことを示しています。
上記の批判を無意味としか読めないなら
輔弼の意味や大臣責任制の意味を
きちんと学ぶ必要があります。

> また、『「内大臣・元老・重臣による推薦・助言」が行われていた』のな
>ら、それを「天皇は大臣を自由に任免できた」というのは無茶だと思います。

無茶だとしか思えないのであれば
きちんと勉強する必要があります。

> 明治憲法がビスマルク憲法を元に作られているのなら、イギリスにおける君
>主無答責と異なっていても当然だと思います。

これはそのとおりですが
だとすれば次に
ビスマルク憲法で君主無答責と言っていいのかどうかの問題が来ますし
それは私が最初に

>Date:2004/02/21 11:12:21 JST
>Message-ID:<20040221...@nn.iij4u.or.jp>


>
>なお
>「欧州の憲法に在った「君主無答責条文」」というのには
>私自身は抵抗があります。
>もともと君主無答責という語自体
>単純に「責任を負わない」という意味ではなく
>それに何らかの意味づけをした上で使用される
>どちらかというと政治学における用語だと思いますが
>単純に「責任を負わない」という意味だとしても
>当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
>それはあまりにも荒すぎると思うのです。
>……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
>  意味が全く異なるからです。

と指摘したとおりです。

> 「明治憲法はビスマルク憲法の影響を受けている」と言う説と、「明治憲法
>はプロシャ憲法の影響を受けている」と言う説とが有りますが

上で言うプロシャ憲法はどこの国で何年に施行されたものですか?
それとビスマルク憲法との違いは?

YASUI Hiroki

unread,
Mar 17, 2004, 5:20:51 AM3/17/04
to
安井@東大です。

>>>>>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>>>>>Message-ID:<c162pq$2r8f$1...@usj.3web.ne.jp>
>>>>>>
>>>>>>質問一
>>>>>> 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
>>>>>>は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
>>>>>>在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。

>>>> SASAKI Masatoさん in <20040221...@nn.iij4u.or.jp>,
>>>>> むしろ天皇神格化条文と読むべきでしょう。
>>>>> どちらかと聞かれれば。

明治末期から昭和初期にかけて通説であった立憲学派に言わせれば、明治
憲法3条は天皇の法的・政治的無答責を示す条文であり、「神格化」をこ
とさらに規定したものではありません。この点について、立憲学派の代表
的な論者である美濃部達吉は、その著『憲法撮要』において、
 ・君主の「神聖不可侵」を定めるのは君主制国家の通例である、
 ・日本でも、国権の中心たる天皇の地位が不安定だと国家の安寧が損な
  われるので、天皇は「神聖不可侵」とされる、
 ・「神聖不可侵」であるが故に不敬・大逆は処罰の対象とされ、廃位す
  ることも認められない、
 ・「神聖不可侵」であるが故に政治的・法的責任を問われることがない、
というように説明しています。
 # 参照:美濃部達吉『憲法撮要』(有斐閣, 1922年), 236-238頁.


>> SASAKI Masatoさん in <20040226...@nn.iij4u.or.jp>,


>>> また美濃部先生が有力な憲法学者であることを争うつもりはありませんが
>>> 美濃部先生の憲法学説をもって
>>> 当時の通説の線であったと判断するのは
>>> あまりにも単純な理解だと思います。
>>> 私自身例えば天皇機関説については
>>> 「当時の通説からそれほど外れたものではなかった」
>>> 「国家法人説の影響によるもので(憲法の解釈として)批判が大きかった」
>>> という双方の説明を見聞しています。

>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>Message-ID:<c2ga18$19ll$1...@usj.3web.ne.jp>
>> 「当時」とは具体的には何年のことでしょうか。

明治憲法解釈の有力説は時代と共に変遷していますので、「当時」の範囲
をきちんと区別することが必要だと思います。
明治憲法制定後、東京大学に憲法講座が設立されますが、その初代教授に
就任したのは神権学派の雄たる穂積八束でした。その後作られた京都大学
の憲法講座でも当初は神権学派が教えられていますので、20世紀の初頭頃
までは神権学派の方が有力であったと見るべきでしょう。佐藤功教授も、
穂積を日本の憲法学の「最初の代表者であった」と位置づけ、「彼の学説
は明治憲法の初期におけるいわば公権的な解釈ともなった」としています。
 # 佐藤功『憲法研究入門』上巻(日本評論社, 1964年), 41頁.
しかしその後、後に第一次護憲運動へとつながっていく都市民衆運動の興
隆や立憲化賛美の風潮もあって、天皇機関説の方が次第に多数説となって
いきます。学界での両者の地位は逆転し、穂積自身、その主著とも言うべ
き憲法学のテキストにおいて、
 「もし、多数をもって決すべしとせば、我が学者の通説はいわゆる君主
  機関説なること論なし。予の国体論はこれを唱うる既に三十年、{中
  略}世の風潮と合わず、後進の熱誠をもってこれを継続する者なし。
  今は孤城落日の歎あるなり」
と認めざるを得ないほどでした。
 # 穂積八束『憲法提要』(有斐閣, 1910年), 214頁.
 # なお、引用に際しては、旧字体・片仮名を新字体・平仮名に直し、濁
 # 点を付け加え、一部の漢字を平仮名に改めてあります。また、「{中
 # 略}」は安井による省略です。以下の引用でも同様です。
穂積の病気辞職後、上杉慎吉が東大の憲法講座を継承しますが、神権学派
が「世の風潮と合わ」ない少数説と化したことを反映して、1920年には立
憲学派を講ずる第二憲法講座が東大に設立され、美濃部がその担当教授に
就任します。さらに美濃部は、法制局参事官や文官高等試験委員なども兼
任し、学界のみならず、実務の世界でも主流の地位を固めていきました。
競争に敗れた神権学派の講座は、上杉が1929年に現役のまま病没すると、
後継者のないまま廃止となってしまいます。文字通り、「継続する者なし」
の「孤城落日」状態だったわけです。そしてこの時期、京大でも市村光恵
や佐々木惣一などの立憲学派が中心となっていました。
こうした展開について、『法律学小辞典』の「天皇機関説」の項は「大正
の初めには上杉との間で論争が起こったが、その後はむしろ学界の定説と
な」ったと解説していますし、佐藤前掲書も「美濃部憲法学がその後の日
本の憲法学の支配的潮流の源流となった」ばかりでなく、「実際の憲法運
用の上にも花を開いた」としています。
 # 『法律学小辞典』第三版(有斐閣, 1999年), 850頁.
 # 佐藤前掲書50頁.
そして、こうした立憲学派の優位を政治的に覆したのが1935年の天皇機関
説事件であることは、よく知られている通りです。

なお、こうした明治憲法の解釈をめぐる「学説状況」に関して、佐々木さ
んは


>>>>> なお、この問題については
>>>>> 佐藤功「日本国憲法概説」が詳しいと思います。

とし、同書第三章第一節の内容に言及しながら論じておいでですが、当該
箇所は憲法制定までの過程を論じた「明治憲法成立史」と、佐藤功教授自
身による明治憲法の概括的な解釈・性格規定を記した「明治憲法の基本的
特色」とから成るものであって、明治憲法制定後に憲法学説がどのように
展開したかを整理したものではありません。
 # 参照:佐藤功『日本国憲法概説』全訂第5版(学陽書房, 1996年),
 #    43-46頁.
佐々木さんが記事<20040308...@nn.iij4u.or.jp>で指摘しておられ
るように、同書が
> 司法試験をはじめ国家試験の憲法の基本書の1つとして通用していた
ことは承知しておりますが、明治憲法制定後の学説展開に関する引証基準
とすることは不適切であると考えます。佐藤功教授による学説整理を参照
するなら、同書ではなく、前掲『憲法研究入門』に所収された諸論攷の方
にあたるべきでしょう。


>>>>> 明治14年の政変の後、明治15年(1882年)に
>>>>> 伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパに赴いた時点で
>>>>> 明治政府の方向性もいわゆるビスマルク憲法(1871年)を向いていたと
>>>>> 私は考えています。

1871年のドイツ帝国憲法(いわゆるビスマルク憲法)には「神聖ニシテ侵
スヘカラス」に相当する条項はありません。
 # ドイツ帝国(第二帝政)は25の邦国から成る連邦国家であり、皇帝の
 # 称号を帯びる連邦主席は既にプロイセン国王としての無答責特権を有
 # していますので、わざわざ規定する必要がなかったのかも知れません。
 # このような、国家連合に近いような連邦国家としての特徴は、いわゆ
 # る人権カタログの扱いにも表れています。すなわち、既に各邦国の憲
 # 法がそれぞれ独自の権利保障規定を制定していたため、このビスマル
 # ク憲法は独自の人権カタログを列挙せず、“すべての邦国の臣民・市
 # 民には、他のどの邦国においても、その邦国の臣民・市民と同じ権利
 # の享受が保障される”(3条)と規定するにとどめています。
また、伊藤博文が影響を受けたのはプロイセン1850年憲法だとよく言われ
ますが、その君主無答責条項(43条)に書かれているのは「侵スヘカラス
(unverletzlich)」だけであり、「神聖ニシテ(heilig)」という言葉はあ
りません。
ですが、「神聖ニシテ侵スヘカラス(heilig und unverletzlich)」という
文言は、バイエルン王国憲法2条1項、バーデン大公国憲法5条、ヴュルテ
ンベルク王国憲法4条、ヘッセン大公国憲法4条、ザクセン王国憲法4条な
ど、プロイセン以外の有力なドイツ諸邦国の憲法に共通して見られる表現
です。私には、「神聖ニシテ侵スヘカラス」という日本語が「heilig und
unverletzlich」の直訳にすら見えるのですが、どうでしょうか。
 # なお、ドイツ諸邦国の憲法は以下のサイトで見ることができます。
 # http://www.documentarchiv.de/da/fs-verfassungen.html
 # http://www.verfassungen.de/de/index.htm
そして、この「神聖ニシテ」や「侵スヘカラス」という文言は、美濃部も
指摘しているように、君主無答責を規定する際の常套句であり、現在でも
デンマーク王国憲法13条やノルウェー王国憲法5条が「神聖ニシテ」とい
う言葉を使っています。
 # 世界各国の憲法を集めたリンク集としては以下のものがあります。
 # http://confinder.richmond.edu/
これら明治憲法3条の“輸出元”での主意が君主無答責原則の成文化にあ
ることは論を待たないでしょう。そしてそうであるからこそ、神権学派は
天皇が現人神であるという主張を断定的に提示した上で、
 「欧州にありては神権の観念既に地を払い、君主を貶めて最高の官吏と
  為す。{中略}しかもなお、憲典の明文はその神聖にして侵すべから
  ざるをいう。この類の歴史の遺物はこれを遺物としてみるべきなり。
  {中略}この憲法の明文は我にありて初めてその積極の真義を発揮す」
という説明を展開することになります。
 # 穂積前掲書, 207-208頁.
それに対して、明治憲法制定の中心人物である伊藤博文は、自らも手を入
れた注釈書『帝国憲法義解』(1889年)において、「神聖」の由来という
文脈で天孫降臨神話に言及しているものの、具体的内容としては、法的・
政治的無答責と不敬・大逆の禁止を淡々と説明しているだけです。穂積が
『憲法提要』の中で執拗なまでに天皇の神権性を強調し、「憲法第三条は
この固有の大義を掲げこれを永遠に昭らかにするものなり」(204頁)と
熱を入れて高らかに謳いあげているのとは対照的です。この点からすれば、
立法者たる伊藤の主意は「神格化」ではなく「無答責」にあったと見るの
が自然なように思われます。


>>>>>>質問二
>>>>>> 大日本帝國憲法 第三条はねその後“天皇神格化条文”と考えられる様に
>>>>>>なったのでしょうか。
>>>>>
>>>>> その後ではなく最初からです。
>>>>> ちなみにこれは条文からも読み取れます。
>>>>> 天皇がなぜ統治権を有するかと言えば
>>>>> それは天孫降臨の神勅で、
>>>>> そこから続く万世一系の皇統こそが権限のゆえんであり
>>>>> さらにそこに疑問を抱くことすら許されなかったという点にあります。
>>>>> 3条に限らず明治憲法は天皇主権・天皇統治の原則で貫かれています。

明治憲法の解釈が分かれたり揺れたりするのは、その制定過程を鑑みれば、
仕方のない面もあります。
すなわち、明治憲法は、神権的国体観念を奉じて天皇親政を是とする天皇
側近らと、近代的な統治機構の下で内閣主導の政治を実現しようとしてい
た伊藤博文との間の妥協の産物であり、その中には双方の主張が混ぜ込ま
れているからです。決断の人と言うよりは妥協を好む政治家であった伊藤
が『帝国憲法義解』で天孫降臨神話に言及したのも、そうした妥協の一つ
の現れと解すべきでしょう。


>>>>>>質問三
>>>>>> 「君主無答責」は、日本国憲法 第五十一条【議員の発言・票決の無責任】
>>>>>>  両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院
>>>>>> 外で責任を問はれない。
>>>>>>の君主版と考えて良いでしょうか。
>>>>>
>>>>> 全く違います。
>>>>> 君主無答責はドイツにおいては大臣責任制と同義です。
>>>>> そしてそれは「政治的無答責」だとされています。

明治憲法3条が政治的無答責だけでなく法的無答責をも意味するという点
については、伊藤博文・穂積八束・美濃部達吉の間に意見の相違はありま
せん。もちろん、理由付けの仕方は異なっていますけれども。


> 大臣責任制というのは
> 「大臣が議会に対して責任を負う」システムを指すのです。

上記の「大臣責任制」定義と、
>>>>> 君主無答責はドイツにおいては大臣責任制と同義です。
という御主張、さらに、君主無答責原則が19世紀後半のドイツ諸邦国にお
いて通例化していた事実とを組み合わせて考えますと、
 “君主無答責を憲法で明文化しているドイツ諸邦国では、大臣が議会に
  責任を負っていた”
と読めてしまうのですが、それは事実に反します。19世紀後半当時のプロ
イセンをはじめとするドイツ諸邦国では、君主無答責原則の下、大臣が君
主の行為に責任を負いますが、その責任を負うのは君主に対してであって、
議会に対してではありません。
そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
限りません。この点に関して佐々木さんは、


> 例えば法律学小辞典(第1版)では
> 「とりわけ議会に対して負う責任で、
>  議会の信任を失ったときは退任・総辞職する責任。
>  明治憲法では、この責任は明定されず」
> としています。

と引用しておられますが、この「とりわけ議会に対して負う責任」の前に
 「大臣又はその総体としての内閣の政治的な責任」
という基本的定義が記されていることを見落としておいでです。
 # 『法律学小辞典』第3版(有斐閣, 1999年), 757頁.
確かに議院内閣制は大臣責任制の存在を論理的に前提としており、歴史的
にも密接な関係を持ってはいますが、君主に責任を負うという形の大臣責
任制もあるのですから、厳密に言えば両者は同義ではありません。
そしてこの大臣責任制と議院内閣制(美濃部憲法学の用語を使うなら「責
任政治の原則」)の区別に立脚するなら、


>>> 法学協会著 有斐閣発行 詳解日本国憲法p90から
>>> (なお新漢字に直しています)
>>> 「これは一応、大臣責任制を導入し、立憲君主制を採用するものということ
>>>  ができよう。だがそこには、旧憲法特有の独自性、例外、留保が数多くつ
>>>  きまとっていた。そしてそのうちいくつかは、責任政治の原則そのものを
>>>  否定し去りうるほど大きな例外であったのである。」

という一節は、
>>> 結局形式は大臣責任制かもしれないが実質は違うと言っているのです。
ではなく、“「大臣責任制」は導入されたが、「責任政治の原則」(議院
内閣制)の完全実現は阻まれていた”と読まれるべきではないでしょうか。

--
* Freiheit | 安井宏樹(YASUI Hiroki), jya...@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp *
* Recht | 東京大学大学院法学政治学研究科・比較法政国際センター *
* Einigkeit | (現代ドイツ政治,ヨーロッパ政治史) *

SASAKI Masato

unread,
Mar 17, 2004, 7:53:46 AM3/17/04
to
佐々木将人@函館 です。

私信modeはじまり
 fjでEUC-JPはまずくないっすか?
 やはしISO-2022-JPでないと……。
私信modeおわり

まず私と安井さんの今回の立論に関する
決定的な立場の相違がこの点にあると思うので
引用順を変えてまっさきに論じます。

>From:YASUI Hiroki <jya...@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>Date:2004/03/17 19:20:51 JST
>Message-ID:<ymrm8yhz...@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>
>明治憲法制定後の学説展開に関する引証基準
>とすることは不適切であると考えます。佐藤功教授による学説整理を参照
>するなら、同書ではなく、前掲『憲法研究入門』に所収された諸論攷の方
>にあたるべきでしょう。

たぶん安井さんの視点は学説展開というどちらかというと
「歴史的な経緯」を重視したもの
私の視点はどちらかというと「今この文言の法があった場合の解釈は?」
という点を重視したものだと思います。
歴史的経緯を重視するなら
その資料は当時発行されていた資料によるべきでしょうが
法解釈を重視するなら
むしろその時代後の資料によるべきでしょう。

もともとの質問の


|質問一
| 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
|は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
|在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。
|

|質問二
| 大日本帝國憲法 第三条はねその後“天皇神格化条文”と考えられる様に
|なったのでしょうか。
|

|質問三
| 「君主無答責」は、日本国憲法 第五十一条【議員の発言・票決の無責任】
|  両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院
| 外で責任を問はれない。
|の君主版と考えて良いでしょうか。

が純粋な歴史的な史実としてのそれを聞くのであれば
それはfj.soc.lawではなくfj.soc.historyに投稿すべきですし
それをあえてfj.soc.lawに投稿するのであれば
その基準は現在の法律学においては……であると考えています。

で、大日本帝国憲法の条文で言うなら
「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
などと言っておきながら
その大権が制限的なんだという主張は
解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?

まだ明解な記述としては2冊しか見つけていませんが
そのいずれもが明治憲法を必ずしも立憲主義のものとしてはとらえていない
総括をしていることは
立憲主義的な解釈が多数派であったとする安井さんの指摘が本当だとしても
法解釈学からは正当な解釈とは言えないという批判が妥当しますし
だとするとそのような解釈がなぜ多数派を構成したのかという
それこそ歴史学の興味深い話に突入できるのではないでしょうか?

さて質問3は歴史の問題ではなく現行憲法の解釈の問題ですが
これが法的責任の問題であることには争いはないと思いますし
政治的責任はむしろ免責されないという点も争いはないと思います。

そうすると安井さんの指摘をもってしてもなお
質問3についてはNOということになりますが
いかがでしょうか?

そうすると質問1と2が残る訳ですが……。

もともと私は

>どちらかと聞かれれば。
と書いているとおり
また別のところで


>単純に「責任を負わない」という意味だとしても
>当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
>それはあまりにも荒すぎると思うのです。
>……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
>  意味が全く異なるからです。

と書いているとおり


|質問一
| 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
|は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
|在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。

において
「天皇神格化」「欧州の憲法にあった君主無答責」
を2者対立構造としてとらえていることに
非常に(そして今も)違和感を感じています。

途中でShiro氏は
「君主無答責+アルファ=天皇神格化」
などとも言い出していますが
それならそれで「アルファって何?」ってことになるでしょう。
そしてこれは先の法学協会の「詳解日本国憲法」によるまでもなく
プラスアルファの部分が相当あったのではないでしょうか?
それらを全部無視して
君主無答責の条文にすぎないんだとする根拠が不明。

そしてどちらかと言えばと言いつつ
「天皇神格化じゃないの?」という判断にいたったのは
やはりプラスアルファの部分に
先祖たる神々を根拠に持ち出している部分です。
「いや、それは天皇神格化ではない。
 神格化というためにはこういうのが必要だが
 それがない。」
というのであれば、説を改めることにやぶさかではありません。
……もっとも冒頭述べた
  |「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
  |などと言っておきながら
  |その大権が制限的なんだという主張は
  |解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?
  という点については解答がほしいところです。

>それに対して、明治憲法制定の中心人物である伊藤博文は、自らも手を入
>れた注釈書『帝国憲法義解』(1889年)において、「神聖」の由来という
>文脈で天孫降臨神話に言及しているものの、具体的内容としては、法的・
>政治的無答責と不敬・大逆の禁止を淡々と説明しているだけです。穂積が
>『憲法提要』の中で執拗なまでに天皇の神権性を強調し、「憲法第三条は
>この固有の大義を掲げこれを永遠に昭らかにするものなり」(204頁)と
>熱を入れて高らかに謳いあげているのとは対照的です。この点からすれば、
>立法者たる伊藤の主意は「神格化」ではなく「無答責」にあったと見るの
>が自然なように思われます。

これを読む限りでは伊藤博文がそう考えていたかもしれないとは思います。

ただですね~。

前にも書きましたが「神聖」という言葉が法的に無意味という解釈は
結局他の条項等における「天皇の神扱い」のところも
全て「法的に無意味」と言わないと統一がとれない訳です。
ある言葉を全て無意味とする解釈は
その言葉に意味を持たせる解釈より
それこそ無理が生じています。

>そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
>システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
>限りません。

了解しました。
しかし第3版にいう

>「大臣又はその総体としての内閣の政治的な責任」
>という基本的定義が記されていることを見落としておいでです。

という文言は第1版にもきちんとありまして
その記述を受けた
「明治憲法では、この責任は明定されず」
なのです。
政治学サイドでは「議会に限定しているとは限らない」かもしれませんが
法律学小辞典など法律学サイドは
「基本的には議会に対する制度」と考えているものと思います。
(失政の政治的責任を天皇に対して果たさなければならない
 システムであることにつき
 明治憲法上明定されていないと考える憲法学者は
 いないと思われます。)
ちょうど黙って憲法というと
「近代憲法」を指すようなものかもしれませんが。

その上で

>ではなく、“「大臣責任制」は導入されたが、「責任政治の原則」(議院
>内閣制)の完全実現は阻まれていた”と読まれるべきではないでしょうか。

「それは大臣責任制の内実が伴っていない」のではないでしょうか?
(この1節は8つ以上あげた理由の1つにしかすぎません。)

one of the people in general

unread,
Mar 17, 2004, 5:55:43 PM3/17/04
to
SASAKI Masato wrote:

>前置きはスレッドの問題を明らかにするのに無意味であるだけでなく焦点を暈す可能性があるのでカット!
>
たぶん安井さんの視点は学説展開というどちらかというと

>「歴史的な経緯」を重視したもの
>私の視点はどちらかというと「今この文言の法があった場合の解釈は?」
>という点を重視したものだと思います。
>歴史的経緯を重視するなら
>その資料は当時発行されていた資料によるべきでしょうが
>法解釈を重視するなら
>むしろその時代後の資料によるべきでしょう。
>

何を言いたいかさっぱり分かりません。佐々木氏自身、何をする為にこれを語
ろうとしているか分かってないようです。「歴史的経緯」を重視しようとすま
いと、「法解釈」を重視する立場に立とうと立つまいと、大日本帝国憲法第三
条が、「君主無答責」を定めたものか「天皇神格化」を定めたものかに違いが
有っていい筈は無い。したがって、ここでこのように言うことは議論の目標地
点にたどり着く姿勢としては無意味な態度であるばかりか議論を濁そうとして
いる姿勢が読み取れる。

仮に、佐々木氏が、例えば明治憲法が君主無答責を言うつもりで制定はしたが、
以後種々の理由から「天皇神格化」を定めたものであると「解釈」されるよう
になったとする明確な立場に立つならば、これを語る理由はあるのかもしれな
い。しかし、その解釈を提示していないだけでなく、安井氏が「立法」に至る
歴史的経緯をのみ語っていると見なすこともできないまま以上のような論述を
される。これまた無意味な論述である。ここには、内容を明らかにしようとす
る姿勢は一切見られず、ただ、モノを言うために言う、あるいは何か言わなけ
れば気が済まない、という姿勢がありありである。

安井氏のご説明は、当時「どのように理解されていたか」を言うものであって、
佐々木氏限定の「法解釈」的観点を含むものである。そもそも、既に存在しな
い大日本帝国憲法第三条が「法解釈」的観点からのみ語ろうとするものだなど
と勝手に限定する姿勢こそが間違いであって、佐々木氏の投稿姿勢がそもそも
問題であると言わなければならない。

ついでだから言及するが、佐々木氏の「重視」とはどのような意味で読めばい
いのか?「重視」とは「重点を置いて見る」と言うことであろうから、幾つか
重点の置き所を変えて見る見方があることは否定しないが、しかし、いかなる
見方に立とうとも、それの違いによって、大日本帝国憲法第三条が「君主無答
責」を定めたのかそれとも「神格化」を定めたものかの<事実>が何ら影響を
受けることは無い。<事実>が「君主無答責」を定めたものであることが明ら
かになったときには、ある観点から見たらそれが「神格化」を定めたかのよう
に見えるのであれば、その見方の方を改めなければならないのであって<事実>
の方を嘘でもいいからとして動かすべきものではない。

このようなことは政治学を語る場合にも、法学を語る場合にも共通に「常識」
である。

読者を混乱させないでいただきたい。まずはこれをお願いしておきます。

--
one of the people in general

one of the people in general

unread,
Mar 18, 2004, 2:07:15 AM3/18/04
to
SASAKI Masato wrote:

>もともとの質問の
>
「この元々の質問」は結局、大日本帝国憲法第三条は「君主無答責」を定めた
ものか「神格化」を定めたものか、に帰着する。これについては安井氏は「明
治末期から昭和初期にかけて通説であった立憲学派に言わせれば、明治憲法3
条は天皇の法的・政治的無答責を示す条文であり、『神格化』をことさらに規
定したものではありません。」とはっきり示されている。それに対して佐々木
氏答えて曰く、

>が純粋な歴史的な史実としてのそれを聞くのであれば
>それはfj.soc.lawではなくfj.soc.historyに投稿すべきですし
>それをあえてfj.soc.lawに投稿するのであれば
>その基準は現在の法律学においては……であると考えています。
>
>で、大日本帝国憲法の条文で言うなら
>「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
>などと言っておきながら
>その大権が制限的なんだという主張は
>解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?
>

この部分の(1)前半は安井氏に対して、暗に、「純粋な史実」を語るのでは
なく法律学として語るべきであると「したい」ためのもので、それ以上の意味
は何もない。馬鹿馬鹿しくって聞いてられない話であるが程度を落として少々
付き合うことにする。

まず、「純粋な史実」とは何ぞや?史実に純粋・不純のへったくれなどあろう
筈はない。総ては「同じ」歴史上の事実であって、ただ、同分野を系統的に見
ると言うことがあるに過ぎない。まさに、安井氏のは「法解釈学史」を、それ
も「通説」を追い、分かりやすく紹介したものである。佐々木氏の好きな
「(当時の)通説」である。(笑い)

次に、これは何度も言っていることではあるが、訳の分からない「純粋な史実」
という視点で見ようと「法解釈学」という視点で見ようと、当時の学説がどう
であったかと言う「事実」は一切変わることは無い。観点を変えれば事実が変
わるとする誤謬をここでも犯して議論されている。尤も、佐々木氏の場合はい
つものことである。

(2)後半に移ろう。佐々木氏は、大日本帝国憲法第三条が、「神格化」規定
だとする自己の主張の解釈的根拠として「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承
けて之を子孫に伝うる所なり」と言っていることと大権が制限されてはいない
ことを上げている。みるところ、安井氏とは視点が違うとされるところの、佐
々木氏のよって立つ「法解釈的」根拠とはたったのこれだけ。

思うに、「神聖にして侵すべからず」(三条)はいわば、天皇へのリップサー
ビスに過ぎない。当時の政治的美称也。つまり、天皇は、特に教養のない者以
外は通常の知識を元に考えれば神でないことは明らかであり、「大権」の根拠
を強調するための政治的文言に他ならない。当時通説であった「天皇機関説」
は天皇は単なる国の「機関」と捉えるのだから、「神」でないことは解釈上は
明らかであった。尚、以下のように言う学説がある。

   「明治憲法典は『大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す』と述べるほ
    か、天皇に多くの権能を規定していたが、教養有る者は、それを、君
    主制原理の<タテマエの表示>にすぎず、国務大臣の『補弼』によっ
    て決せられることこそ憲法の主旨であると考えていた。貴族院や枢密
    院、軍部などが天皇の権能行使に影響力をもつことは立憲的でないと
    考えつつ、他方、憲法典に規定もされていない内閣が国政を指導する
    ことを立憲的と考えたのは、このような考え方と関連している』と。
                           (小嶋・講話)

>まだ明解な記述としては2冊しか見つけていませんが
>そのいずれもが明治憲法を必ずしも立憲主義のものとしてはとらえていない
>総括をしていることは
>立憲主義的な解釈が多数派であったとする安井さんの指摘が本当だとしても
>法解釈学からは正当な解釈とは言えないという批判が妥当しますし
>

そんなめちゃくちゃな批判は妥当しません。「解釈学」とは言うけれども、そ
もそも、その「解釈学」が見えない。(笑い)

>だとするとそのような解釈がなぜ多数派を構成したのかという
>それこそ歴史学の興味深い話に突入できるのではないでしょうか?
>

逆さまの議論である。まず、後ろから。勝手に佐々木氏が歴史的説明にしよう
としているだけであって、安井氏の紹介は当時の「解釈」なのである。当時の
「通説」なのである。従って、解釈学的立場からはことさら興味深い話ではな
く、「正当な解釈」である以上、当たり前に多数を占めたと考えるべきである。

尚、明治憲法を立憲主義的だとしていないとするのは嘘である。先にあげた小
嶋・講話もそうだが芦部・憲法など、殆ど立憲的だとしている。すなわち、

   「わが国には、明治時代以前は、立憲主義的な成文憲法は存在せず…」
   「明治憲法は立憲主義憲法とは言うものの…」
   「明治憲法には立憲的諸制度も採用されていたが、…不完全…」

とりあえずいったん終了。

one of the people in general

unread,
Mar 18, 2004, 9:39:51 AM3/18/04
to
SASAKI Masato wrote:

さて質問3は歴史の問題ではなく現行憲法の解釈の問題ですが

○○。
これが法的責任の問題であることには争いはないと思いますし
政治的責任はむしろ免責されないという点も争いはないと思います。

そうすると安井さんの指摘をもってしてもなお
質問3についてはNOということになりますが
いかがでしょうか?
  
大○○。末節の話は末節の所で止めなさいまし。

そうすると質問1と2が残る訳ですが……。

もともと私は

  
どちらかと聞かれれば。
    
と書いているとおり
また別のところで

言い訳が続いてます。いつもの病気が出てきましたね。(笑い)長い長い
「言い訳」の部分は読者にはいい迷惑。これでもってfj.soc.lawをこれまで荒
らしてきたわけですね。くだらないのでカーット!(笑い)

それに対して、明治憲法制定の中心人物である伊藤博文は、自らも手を入
れた注釈書『帝国憲法義解』(1889年)において、「神聖」の由来という
文脈で天孫降臨神話に言及しているものの、具体的内容としては、法的・
政治的無答責と不敬・大逆の禁止を淡々と説明しているだけです。穂積が
『憲法提要』の中で執拗なまでに天皇の神権性を強調し、「憲法第三条は
この固有の大義を掲げこれを永遠に昭らかにするものなり」(204頁)と
熱を入れて高らかに謳いあげているのとは対照的です。この点からすれば、
立法者たる伊藤の主意は「神格化」ではなく「無答責」にあったと見るの
が自然なように思われます。
    
これを読む限りでは伊藤博文がそう考えていたかもしれないとは思います。

ただですね~。

前にも書きましたが「神聖」という言葉が法的に無意味という解釈は
結局他の条項等における「天皇の神扱い」のところも
全て「法的に無意味」と言わないと統一がとれない訳です。
ある言葉を全て無意味とする解釈は
その言葉に意味を持たせる解釈より
それこそ無理が生じています。

それはあなたの一人異説と言うことになろうかと存じます。異説でも「明日への
可能性」(笑い)を考えたら尊重できる場合もあろうかとは存じますが、あなた
のは内容がない。だだっ子のようにただごねるだけ。読者にとってはえらい迷惑
です。しかも、滑稽なのは「法解釈的立場」に立つと自ら豪語しながら、「解釈」
をしないところ。評価の対象となる「事実」と「評価」あるいは「見方」との区
別の「常識」も知らないんじゃ、できるのは「介錯」くらいでしょうか。(^m^)ぷっ!

そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
限りません。
    
了解しました。

これくらいのことは、もっと早く了解してよかったんじゃないでしょうか???
どうでしょう?

しかし第3版にいう

  
「大臣又はその総体としての内閣の政治的な責任」
という基本的定義が記されていることを見落としておいでです。
    
という文言は第1版にもきちんとありまして
その記述を受けた
「明治憲法では、この責任は明定されず」
なのです。

こんなことは、「言い訳」にさえなっておりませんね。法律学小事典が問題では
ないわけですから。まだ分かりませんかね?(笑い)何かに書いてあるか否かが
総てではなく、それをヒントにしつつも、「実際は」どうかをあなた自身が考え
ることなのです。これが問題なのです。こんなことは議論のイロハですね。あな
たが「大権」を握っておられると誤解されている「法解釈的立場」においても勿
論イロハですね。
政治学サイドでは「議会に限定しているとは限らない」かもしれませんが
法律学小辞典など法律学サイドは
極めて恥ずかしいと言おうか○○と言おうか呆れた粘りですね。(ふーっ!)
「法律学サイド」ってなんですか?あなたが「法律学サイド」の「大権」を握っ
ているとでも???まあ、今回はいいとして(笑い)、この次からは、こんな天
皇か、例の「有栖川宮」?さんのような顔をしてlawに顔を出すのはお控えくだ
さいまし。読者がいい迷惑をしていると再三申し上げている通りでございます。

「基本的には議会に対する制度」と考えているものと思います。
(失政の政治的責任を天皇に対して果たさなければならない
 システムであることにつき
 明治憲法上明定されていないと考える憲法学者は
 いないと思われます。)
ちょうど黙って憲法というと
「近代憲法」を指すようなものかもしれませんが。

その上で

  
ではなく、“「大臣責任制」は導入されたが、「責任政治の原則」(議院
内閣制)の完全実現は阻まれていた”と読まれるべきではないでしょうか。
    
「それは大臣責任制の内実が伴っていない」のではないでしょうか?

それこそ基本的に「言葉」の問題でしょうね。安井氏が言われるような一般を
「大臣責任制」といい、佐々木氏のようなのを「狭い意味での…」としようと、
可能なことは可能です。しかし、動かないのは「言っている」内容です。失礼
な言い方になって申し訳ありませんが、このところをもう一度再考されてはい
かがでしょうか?

いまや、このような言葉だけのいじくりで納得する学生等は少なくなっている
んじゃないでしょうか?わたくしもそうですから。(笑い)それが可能なのは、
読む力も聞く力もない初期の段階に於いてのみであります。筋を正しく追った
り内容の違いを比較することもできないからです。
(この1節は8つ以上あげた理由の1つにしかすぎません。)
だから、なんなんでしょう?

隣のけんちゃん

unread,
Mar 18, 2004, 4:55:11 PM3/18/04
to
YASUI Hiroki氏の記事はためになりましたね。貴重な投稿です。

このような硬質な記事がなにかの記事のフォローとして分散的に為されたことは少々残
念ですね。というよりもったいないですね。普通の教科書等には書いてないし、これを
知りたいとすれば『ドイツ法制史と日本法学』というような書を新たに買い求めなけれ
ばならない。

こういう記事を貴重な時間を割いて投稿してくださったYASUI Hiroki氏に感謝したいと
思います。こう思ったときには、誤摩化したり邪な態度でフォローしたり、主題から反
れて闇雲に反論し続けたり、議論内容と無関係な所で難癖をつけたり等々は慎むべきで
すよね。

こういう態度を控えることこそがニュースでは何よりも大切なエティケットだとぼくは
思うんだけど、fj.soc.lawには逆にこういう輩が一番多い。変な人の誤った息がかかって
いるからという噂がありますが、それは今後改善すべきことでしょうね。

--
隣のケンちゃん

隣のけんちゃん

unread,
Mar 19, 2004, 6:41:55 PM3/19/04
to
SASAKI Masato wrote:
佐々木将人@函館 です。
  
それに対して、明治憲法制定の中心人物である伊藤博文は、自らも手を入
れた注釈書『帝国憲法義解』(1889年)において、「神聖」の由来という
文脈で天孫降臨神話に言及しているものの、具体的内容としては、法的・
政治的無答責と不敬・大逆の禁止を淡々と説明しているだけです。穂積が
『憲法提要』の中で執拗なまでに天皇の神権性を強調し、「憲法第三条は
この固有の大義を掲げこれを永遠に昭らかにするものなり」(204頁)と
熱を入れて高らかに謳いあげているのとは対照的です。この点からすれば、
立法者たる伊藤の主意は「神格化」ではなく「無答責」にあったと見るの
が自然なように思われます。
    
これを読む限りでは伊藤博文がそう考えていたかもしれないとは思います。

ただですね~。

前にも書きましたが「神聖」という言葉が法的に無意味という解釈は
結局他の条項等における「天皇の神扱い」のところも
全て「法的に無意味」と言わないと統一がとれない訳です。
ある言葉を全て無意味とする解釈は
その言葉に意味を持たせる解釈より
それこそ無理が生じています。

解釈論的立場から…です。

この点の佐々木さんの疑問にはむしろ共感がもてますね。明治憲法の前文?を含
め、「天皇神格化」と思わせられるような表現が随所に見られる。その中での第
三条ですから、そう受け取りたくなるのも分かる気がするのです。しかし、おそ
らくこれは佐々木さんが既に十分理解しているとされつつも一から落ち着いて自
己の理解にチェックを掛ける姿勢で対応すればこういう誤りは犯されなかったの
ではないか。また、一方で刑法の議論が行われていて構成要件やその告知機能と
罪刑法定主義との関係がとりざたされていて、自ら主張する「解釈」がそちらに
引きずられていたことにも原因が有ったのではないか。

結局、佐々木さんは法の解釈にて「意味を認識」するのに、「文字解釈」が中心
になってしまったのではないか。「沿革的解釈」や「比較法的解釈」がやや手薄
になってしまったのではないか。因に、ぼく自身はこの二者はあまり説得的な解
約方法だとは受け止めない立場に立っている。「解釈」=「自己の価値判断に制
約された意味の認識」にどうしても結びつかないときにのみ採用する解釈方法と
位置づけている。高度な知識が要求されるからかもしれないが。その意味では貴
重な安井さんの記事には大いに感謝しております。m(_"_)m

さて、法解釈すなわち「意味の認識」は文言に必ずしも左右されないとした場合、
中身を見ておこうと思う。『法律学小事典』から拾うと、

(立憲主義的要素)        (反・非立憲主義的要素)
・法律の留保           ・天皇神勅に基づく大権と大権事項
・三権分立の体裁         ・貴族院の設置
・帝国議会の設置(議会制)    ・統帥権の独立
・大臣責任制ないし大臣助言制   ・枢密院など議会外的機関の存置
・司法権の独立          ・皇室自立主義
            など                 など 
             
以上に加え国家法人説の理論からの「天皇機関説」も天皇には最高の主権が与え
られるが、神ではないとする解釈に結びつき、結果、第三条は「神格化」を定め
たのではなく「無答責」を定めたもの、と解し得るであろう。当時の立憲学派は
もっともっとしっかりした解釈論を展開した筈で、佐々木さんの言われるような
「文言」の障害は、明治憲法第三条を「天皇無答責」を定めた規定と解すること
にはそれほど問題はなさそうであります。

--
隣のけんちゃん






隣のけんちゃん

unread,
Mar 20, 2004, 7:35:05 PM3/20/04
to
SASAKI Masato wrote:
佐々木将人@函館 です。
  
途中でShiro氏は
「君主無答責+アルファ=天皇神格化」
などとも言い出していますが
それならそれで「アルファって何?」ってことになるでしょう。
そしてこれは先の法学協会の「詳解日本国憲法」によるまでもなく
プラスアルファの部分が相当あったのではないでしょうか?
それらを全部無視して
君主無答責の条文にすぎないんだとする根拠が不明。

Shiro氏が言われたと否とを問わず、その「プラスアルファの部分」
がある、と佐々木さん自身が主張するのであれば、その中身を佐々木
さん自身が提示するのが筋ではないでしょうか?それが言えないまま
中身を入れる袋を「プラスアルファ」と表現すれば自動的に中身が盛
られたことになるとするのは不可解です。

むしろ、「それら」に当たるものがないかもしれないのに「あること
にして」他を批判することは出来ない筈であります。

「いや、それは天皇神格化ではない。
 神格化というためにはこういうのが必要だが
 それがない。」
というのであれば、説を改めることにやぶさかではありません。

逆です。まず、当時の我々の解釈は、明治憲法は欽定憲法であること、
国家は「法人」と捉えられること、天皇はその機関として最高位に位
し主権を保持すること、広範な天皇「大権」事項を規定していること、
完全な専制君主体制と完全な専制君主としての天皇の権能と比較し、
多かれ少なかれ憲法による制約が加えられていること、天皇の地位は
世襲されること、また天皇は政治的・法的に無答責であること、等々
(註*)である。
           (註*)天皇の地位が先祖代々伝わるもの
               であることは法的に意味なし。

               先祖の天皇としての地位は、現在
               から将来に適用される法の内容と
               しては無意味。よって、これは、
               第三条の「神聖にして」と同様、
               天皇の立場を強調するための政治
               的美称。
                
               こんなことは容易に想像はつく。
               専制君主から立憲君主への移行期
               に、その専制君主(制度)を目の
               前にして「美称」を語ることはあ
               り得る話ではないか。

むしろ、佐々木さんこそが、大日本国憲法上で、第三条の一般文言と
は別の具体的「神格化」規定とそれが示す意味=天皇が神格を持って
なければ出来ない行為と制度とを摘示し、且つ、それが以上に述べた
解釈からは絶対に導きだされ得ないものであること
とを論証出来たと
きはじめて、「説を改め」なくとも平然としていられるものなのです。

--
隣のけんちゃん






おいらはMac

unread,
Mar 21, 2004, 7:32:51 AM3/21/04
to
SASAKI Masato wrote:

>佐々木将人@函館 です。
>
このYASUI Hiroki氏のご指摘に対する佐々木氏の反論を執拗に取り上げそれに
疑問を投げかける意義は、たんに、明治憲法第三条が天皇の神格化を意味する
条文なのかそれとも君主無答責を意味する条文なのかに尽きるものではない。
それは、法的な捉え方、あるいは法の意味の認識の仕方、あるいは法の解釈の
仕方、あるいは議論する上での資料や制度の正しい見方、その「一般」を問題
にし考えようとするところに見出すことが出来る。そうすることにより、学問
上では既に常識化し当たり前のことになってしまったものでも、ニュースグル
ープではまだまだそれに気付かず意識することすらしないことへの警鐘にもな
る、という点に尚一層の意義が認められる、…と思う。

購読者から見た議論の問題点のまとめを少々。

>私信modeはじまり
> fjでEUC-JPはまずくないっすか?
> やはしISO-2022-JPでないと……。
>私信modeおわり
>
(1)これは投稿記事の主題とは無関係。したがって、仮に正しいことでは有
っても単なる趣味の問題であり、「私信mode」とするのであれば文字通り私
信にしていただいた方が読者としては主題を見失わずに済むという利点がある。

>たぶん安井さんの視点は学説展開というどちらかというと
>「歴史的な経緯」を重視したもの
>私の視点はどちらかというと「今この文言の法があった場合の解釈は?」
>という点を重視したものだと思います。
>歴史的経緯を重視するなら
>その資料は当時発行されていた資料によるべきでしょうが
>法解釈を重視するなら
>むしろその時代後の資料によるべきでしょう。
>
>

(2)ここでの問題は、まず第一に、表現上にあると思う。「何を問題とする
のに」歴史的な経緯を重視したと読むのか、今この文言の法があった場合の解
釈は?という点に重点をおいて見るのか、が曖昧なままにしている点が問題。
しかし、いくら曖昧にしようとも、スレッドの流れからは、明治憲法第三条が、
「今の」解釈という作業を経たものであろうとなかろうと天皇神格化を定めた
ものか君主無答責を定めたものかという「過去の事実的規範」を問題すべきは
明らか。

第二に、過去の事実的規範の意味を探るのに、「今この文言の法があった場合」
として、過去の事実的規範の意味を探れるかと言えば、そのようなことは不可
能。法規範はその法が適用される時点での社会事情を前提として機能するもの
だから。思考訓練としての模擬解釈をやっているのではない。したがって、議
論の仕方としても問題あり。コンセンサスのとれてない独善的な架空の視点を
付け加える点。

第三に、過去の事実的規範の意味を探ろうとした場合、重点の置き方を変えて
見れば評価が変わるということは一般には有りうる。したがって、規範の評価
すなわち意味が変わることは有りうるという一般論は間違いではなさそう。し
かし、思考訓練としての模擬解釈をやっているのではなく、またコンセンサス
のとれていない架空の視点を設定する手法がそもそも問題で、存在論的範疇の
議論ではなく好きなようになんとでも言える。

第四に、「今この文言の法があった場合」の解釈を提唱しておきながら、「文
言」にこだわるのみ。「今」の解釈を言うのであれば「過去」に存在した解釈
とは違った何ものかを付加するものがなければ意義はゼロ。

第五に、コンセンサスのとれた議論の主題をはずそうはずそうとする議論も、
勿論、一応の議論かもしれないが、実際の表示名を外そうとする表示名で投稿
したり、同一人がプロクシを使って異なる投稿者であるように見せかける等の
議論も信頼性を失わしめ、「なんだかな~」と思わせる点では同じ。

以下、続く。

--
おいらはMac@Individual.NET

おいらはMac

unread,
Mar 21, 2004, 3:42:29 PM3/21/04
to
SASAKI Masato wrote:
佐々木将人@函館 です。
  
歴史的経緯を重視するなら
その資料は当時発行されていた資料によるべきでしょうが
法解釈を重視するなら
むしろその時代後の資料によるべきでしょう。
(3)ここには意味不明であるということと、「根拠」が示されないま
まの議論が為されているとの問題がある。(「根拠を」を示すのがlaw
での議論の特徴だとする佐々木氏の言からは、「天に向かって唾を吐く
意見」ではないかの問題でもある)

が純粋な歴史的な史実としてのそれを聞くのであれば
それはfj.soc.lawではなくfj.soc.historyに投稿すべきですし
それをあえてfj.soc.lawに投稿するのであれば
その基準は現在の法律学においては……であると考えています。
で、大日本帝国憲法の条文で言うなら
「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
などと言っておきながら
その大権が制限的なんだという主張は
解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?

まだ明解な記述としては2冊しか見つけていませんが
そのいずれもが明治憲法を必ずしも立憲主義のものとしてはとらえていない
総括をしていることは
立憲主義的な解釈が多数派であったとする安井さんの指摘が本当だとしても
法解釈学からは正当な解釈とは言えないという批判が妥当しますし
だとするとそのような解釈がなぜ多数派を構成したのかという
それこそ歴史学の興味深い話に突入できるのではないでしょうか?
(4)第一に、YASUI氏は「純粋な史実」を語っているのか否か、また、
佐々木氏は「現在の法律学」を語っているのか否かの問題。もちろん、
ここには「純粋な史実」と「不純な史実」もしくは「非史実」を区別す
る基準が示されないまま「感想文的」に意見が述べられているのではな
いかの問題もある。

第二に、
「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
などと言っておきながら
その大権が制限的なんだという主張は
解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?
とするこの解釈は「現在の法律学」と言えるかの問題。また、「現在の法
律学」に遥かに満たないとした場合にも、架空的に「今この文言の法があ
った場合」としてしまえば「現代の法律学」水準に達することにはなるの
かどうかの問題もある。

第三に、「現在の法律学」が、明治憲法を「立憲主義的」だとは捉えてい
ないとする佐々木氏の目が曇っていないかの問題。

第四に、「現在の法律学」を言う場合、判例と通説で考えるとする佐々木
氏の立場に立つ時、明治憲法が完璧な「非立憲主義的」憲法だとしなけれ
ば「正当な解釈」とは言えず、「立憲主義的」要素も入っていると解釈す
る立場は破綻していると批判されることになるのかどうかの問題。

さて質問3は歴史の問題ではなく現行憲法の解釈の問題ですが
これが法的責任の問題であることには争いはないと思いますし
政治的責任はむしろ免責されないという点も争いはないと思います。

そうすると安井さんの指摘をもってしてもなお
質問3についてはNOということになりますが
いかがでしょうか?
(5)論者が言及していない話題を取り上げて、それに対してさらに質問す
るというようなことは、議論としてあってはいけないとは言えないにしても、
議論の主題を見失わせる所為であって、議論のやり方としては相応しくない
のではないかの問題。

そうすると質問1と2が残る訳ですが……。

もともと私は

  
どちらかと聞かれれば。
    
と書いているとおり
また別のところで
  
単純に「責任を負わない」という意味だとしても
当時の欧州の憲法を「責任を負わない」という点でくくっていいかと言えば
それはあまりにも荒すぎると思うのです。
……同じ君主制でもイギリスと1871年当時のドイツでは
  意味が全く異なるからです。
    
と書いているとおり
|質問一
| 大日本帝國憲法 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 
|は伊藤博文が作った時点では、“天皇神格化条文”ではなく、欧州の憲法に
|在った「君主無答責条文」と考えて良いでしょうか。
において
「天皇神格化」「欧州の憲法にあった君主無答責」
を2者対立構造としてとらえていることに
非常に(そして今も)違和感を感じています。
(6)直接的には無関係な他者との議論における心理的事情が、当該議論に於
いての内容に関わる説得事項として取り上げることに何か意味があるのかどう
かの問題。

以下、次回。だんだん幼稚な議論になってきていますね。…それにしても、問
題続出の意見にはびっくりさせられます。このような感覚でlawというニュース
グループが仕切られ、「根拠」を付されないまま他の意見が封殺でもしたら、
それこそ、ニュースグループの意義はゼロに収束することになる。警戒が必要
ではないだろうか。グループ管理者にはこういう所を注視していただきたい。

--
おいらはMac@Individual.NET

Shiro

unread,
Mar 21, 2004, 5:57:24 PM3/21/04
to
SASAKI Masatoさんの<20040308...@nn.iij4u.or.jp>から

>今でこそ世代交代したけど
>20~30年前は司法試験委員をされていたこともあって
>司法試験をはじめ国家試験の憲法の基本書の1つとして通用していたのが
>佐藤功「日本国憲法概説」です。

 20~30年前は流行っていたが、今では廃れたという事ですか。
 

>このことも知らず
>またつい20~30年前の学説状況すらわからないのであれば
>「価値があるのか疑問」というのであれば
>明治憲法の解釈は困難ですし
>明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
>……やめておきなさい。

 過去の遺物を勉強するのは「やめておきなさい」と言う忠告ですか。


>「それは法律の問題ではありません。」から
>>>> 憲法制定には不平等条約改正という目的もあり、交渉相手がキリスト教国で
>>>>ある事を考えると、伊藤博文が交渉に不利になる天皇神格化条文をわざわざ入
>>>>れたとは思えません。
>というのは理由になっていません。

 明治憲法が法律に基づいて作られていないのは当たり前の話なのでは。
 

>> 論拠も示さずに断言しても無意味です。
>
>論拠は既に引用文献の形で示してあります。
>示された文献を読まないで無意味だなどと言っても無意味です。

 大臣責任制について「形式は大臣責任制かもしれないが実質は違う」という
説の論拠が示してあるだけで、その説が有力だった時期の論拠は示されていま
せん。


>出典を示していないので論評できません。

# 自分は「見聞しています」で済ませといて、人には
# 「出典を示していない」というのはどうかと思うけど。
# webの資料だとケチを付けられそうなので文献から
『新法学辞典』(日本評論社  1991年2月28日 第一版第一刷発行)の天皇
機関説の項より「(前略)明治以来わが憲法学会において、通説といってよい
ほど有力な学説であったが(中略)後に、国粋主義的立場からする国体明徴運
動の激化に伴い(中略)政府もこれに押されてその代表者たる美濃部達吉の著
書を発売禁止処分に附した(後略)」


>>From:Shiro <h9s...@tky2.3web.ne.jp>
>>Date:2004/02/25 08:18:01 JST
>>Message-ID:<c1gm2e$2eev$1...@usj.3web.ne.jp>
>>
>>第五十五条
>> 1.国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
>> 2.凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
>>は大臣責任制を示しているのでは。

 これは大臣責任制と言う言葉の定義を知らなかった私の間違いでした。
 旧憲法 第五十五条は大臣助言制を示している、に変更します。
『新法律学辞典』(平成元年10月30日 第三版第一刷発行)の大臣助言制
の項より「君主がその権能を行うには必ず大臣の助言に基づくことが必要であ
るとする制度(中略)旧憲法もこれを認めたが(後略)」


>> 「明治憲法はビスマルク憲法の影響を受けている」と言う説と、「明治憲法
>>はプロシャ憲法の影響を受けている」と言う説とが有りますが
>
>上で言うプロシャ憲法はどこの国で何年に施行されたものですか?
>それとビスマルク憲法との違いは?

 webで調べたら両方あったので質問しました。
『新法学辞典』(日本評論社  1991年2月28日 第一版第一刷発行)の大日本
帝國憲法の項では「(前略)プロイセン憲法の継受法的性格は否定しえない
(後略)」と書いていますが、どこの国で何年に施行されたたかは書いていま
せん。

----------------------------------------------------------------------

>> 天皇が大臣を自由に任免した事例を教えて下さい。
>
>歴史家に聞いてください。

 「天皇は大臣を自由に任免できた」は具体的事実に基づかない難癖に過ぎな
いという事ですか。


>法解釈においては不要だと思います。
>
>なお
>「天皇が大臣を自由に任免した例はない。」
>ということは

 慣習として「天皇が大臣を自由に任免できない」事が確立していたとは言え
るのでは。


>「それは憲法違反だからだ。」
>ということを意味していません。
>憲法違反だというのであれば
>そう示している文献を明示してください。

 天皇が大臣を自由に任免するのは合憲だとしている文献はあるのですか。


>現行憲法下で国民審査で解職された最高裁判事はいませんが
>これは国民審査で解職することが憲法違反だからではありません。
>ある事実の不存在は存在すれば憲法違反だというからだとは
>限りません。

 現行憲法に条文のある最高裁判事の国民審査と比較するのであれば「天皇は
大臣を自由に任免できた」の論拠となる明治憲法の条文を教えて下さい。


Shiro

unread,
Mar 22, 2004, 5:54:41 PM3/22/04
to
SASAKI Masatoさんの<20040317...@nn.iij4u.or.jp>から

>が純粋な歴史的な史実としてのそれを聞くのであれば
>それはfj.soc.lawではなくfj.soc.historyに投稿すべきですし
>それをあえてfj.soc.lawに投稿するのであれば
>その基準は現在の法律学においては……であると考えています。

 「伊藤博文が作った時点では」と言う前提を無視して「俺の歌を聞け」を
行っていた訳だ。


>で、大日本帝国憲法の条文で言うなら
>「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
>などと言っておきながら
>その大権が制限的なんだという主張は
>解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?

  国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ
に続けて
  朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
とあるのだから「国家統治ノ大権」が「此ノ憲法ノ条章」の制限を受けている
のは当然でしょう。


>途中でShiro氏は
>「君主無答責+アルファ=天皇神格化」
>などとも言い出していますが

 言ってもいない事を「言い出しています」などと言うのは読解力に問題があ
るのでは。
SASAKI Masatoさんが<20040226...@nn.iij4u.or.jp>で
紹介している、法学協会著 有斐閣発行 詳解日本国憲法p90は
 天皇の神聖不可侵の規定(大日本帝國憲法 第三条)=
 「立憲君主制における君主の無答責+天皇が神の子孫として神格を有する」
という説です、と言ったに過ぎません。私がその様に考えていると言った訳で
はありません。

Keizo Matsumura

unread,
Mar 23, 2004, 4:09:09 AM3/23/04
to

> ちょうど黙って憲法というと
> 「近代憲法」を指すようなものかもしれませんが。

黙って憲法と言うと「今の憲法」、「現代憲法」じゃ、ないんでしょうか?

まつむら

SASAKI Masato

unread,
Mar 23, 2004, 10:13:00 AM3/23/04
to
佐々木将人@函館 です。

それもあります。

私のあげた用法の例としては
「憲法学」という場合の「憲法」
……大日本帝国憲法は研究対象にするけど
  よほどのことがない限り
  十七条の憲法は対象外。

one of the people in general

unread,
Mar 23, 2004, 1:28:49 PM3/23/04
to
SASAKI Masato wrote:
佐々木将人@函館 です。

  
From:Keizo Matsumura <kma...@nr.titech.ac.jp>
Date:2004/03/23 18:09:09 JST
Message-ID:<405FFEB5...@nr.titech.ac.jp>

    
ちょうど黙って憲法というと
「近代憲法」を指すようなものかもしれませんが。
      
黙って憲法と言うと「今の憲法」、「現代憲法」じゃ、ないんでしょうか?
    
それもあります。

私のあげた用法の例としては
「憲法学」という場合の「憲法」
……大日本帝国憲法は研究対象にするけど
  よほどのことがない限り
  十七条の憲法は対象外。

だから?話をすり替えないように。お宅の言ってることは嘘八百だって言
ってるんですよ。それに対する答えとしてはマチガイ!(笑い)

下らん話はお止めなされ。何時まで謝罪もせず逃げ回るのかね?恥知らず
もいいとこですな。w

ダボハゼのように暗記するだけでなく、もう少し考える学習を積みたまえ。
なんですか、この馬鹿みたいな学力は?!どこの大学を出たのかな?それ
とも専門学校出かな?

O'ch.Holmes

unread,
Mar 24, 2004, 7:01:29 PM3/24/04
to
センスはゼロ!これは阿呆律学ですかね?

--
O'ch Holmes

arima

unread,
Mar 26, 2004, 7:15:00 AM3/26/04
to
一応、北大出身だそうですよ?真偽のほどは明らかではありませんが

http://www.lufimia.net/arima.htm

で私に対する誹謗中傷記事を書いておりまして、今ホスティングサービス側と連絡を
取っております
いわゆる、このような事をする人物の言うことはたかが知れていると思われますが?
まあ、このような事を書いているといずれ職場に警察が来てもおかしくはないと思わ
れますけどねえ
本人は自覚がないんでしょうか?

おいらはMac

unread,
Mar 27, 2004, 1:25:49 PM3/27/04
to
arima wrote:

>一応、北大出身だそうですよ?真偽のほどは明らかではありませんが
>

なるほど、これは真実でしょうね。程度の低さがありありだから。まあ、思っ
た通りの三流ですわな。農学部ってんなら幾らかはましなんだろうけどね。:- p

言葉の一人歩き(註)も甚だしく、リーガルマインドの欠乏。知識も空間的時間
的な大きなずれがある。書物から情報を仕入れている努力は認められるものの、
学生時代に詰め込まれた三流糞センスは如何ともしがたいようだ。

それに、頭の悪さがありあり。これなんかにそれがもろに出てるわな。(笑い)
<20040317...@nn.iij4u.or.jp>

>本人は自覚がないんでしょうか?
>
ないでしょうね。(註)言葉だけはまことしやか。やってることはデタラメ。都
合悪くなると逃げるし、嘘をでっち上げて自分でそれを批判し他人への答えとす
る。ニュースグループでそれを実践してるってんだから呆れる。

まあ、北海道の法律学なんてこの程度だってことはそれこそ「通説」。ニュース
グループにはちいとはよそゆきの姿で出てきて欲しいわな。

--
おいらはMac@Individual.NET

YASUI Hiroki

unread,
Mar 31, 2004, 3:24:13 AM3/31/04
to
安井@東大です。

SASAKI Masatoさん in <20040317...@nn.iij4u.or.jp>,
>  fjでEUC-JPはまずくないっすか?
>  やはしISO-2022-JPでないと……。

御指摘いただきありがとうございました。大学のシステム変更で既存の設
定が利かなくなっていたようです。大変失礼をいたしました。
 # 学内のニュースグループにテスト投稿した記事が文字化けなどせずに
 # 読めたため、問題はないものと即断してしまいました。
設定を直したので大丈夫だと思いますが、不具合があれば御指摘下さい。
 # もちろん言うまでもなく、内容についてのコメントも歓迎します。


>>From:YASUI Hiroki <jya...@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>>Message-ID:<ymrm8yhz...@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>>
>>明治憲法制定後の学説展開に関する引証基準
>>とすることは不適切であると考えます。佐藤功教授による学説整理を参照
>>するなら、同書ではなく、前掲『憲法研究入門』に所収された諸論攷の方
>>にあたるべきでしょう。
>
> たぶん安井さんの視点は学説展開というどちらかというと
> 「歴史的な経緯」を重視したもの
> 私の視点はどちらかというと「今この文言の法があった場合の解釈は?」
> という点を重視したものだと思います。
> 歴史的経緯を重視するなら
> その資料は当時発行されていた資料によるべきでしょうが
> 法解釈を重視するなら
> むしろその時代後の資料によるべきでしょう。

前記事で私が書いた学説史に関するコメントは、佐々木さんの記事
<20040308...@nn.iij4u.or.jp>における、
>>> 明治憲法の解釈は困難ですし
>>> 明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
との主張に触発されたものです。この引用の中の後段の主張は明らかに学
説史の理解の程度を論難したものとなっていましたので、
> 「歴史的な経緯」を重視したもの
としてコメントすべきだと考えました。
非歴史的な文理解釈に特化した法解釈を論ずるにとどめたいのでしたら、
「明治憲法の学説状況」を云々すべきではなかったと思います。


> で、大日本帝国憲法の条文で言うなら
> 「国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝うる所なり」
> などと言っておきながら
> その大権が制限的なんだという主張は
> 解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?

それを言うなら、あらゆる憲法が「破綻している」ということになってし
まいます。
定義上、主権者は対内的に最高の存在であるはずですが、憲法制定によっ
てその権力行使には制限が設けられています。それは君主主権の国であろ
うと、国民主権の国であろうと、立憲政体の国であれば同じです。
 # と言うより、権力行使に制限を設けることが憲法の存在理由です。
そうである以上、憲法制定後の「大権が制限的」となることに何の「破綻」
もありはしません。むしろ、大権を制限しなければ憲法を制定する意味は
ないということになります。
この点は、明治憲法制定の中心人物であった伊藤博文も強く自覚しており、
枢密院での憲法案審議の席上、明治憲法4条の「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之
ヲ行フ」という部分の削除が保守派の枢密顧問官から要求された際には、
 「本条はこの憲法の骨子なり。そもそも憲法を創設して政治を施すとい
  うものは、君主の大権を制規に明記し、その幾部分を制限するものな
  り。また君主の権力は制限なきを自然のものとするも、すでに憲法政
  治を施行するときには、その君主権を制限せざるを得ず。故に憲法政
  治といえば即ち君主権制限の意義なること明らかなり。これを以て本
  条なければこの憲法はその核実を失い、記載の事件はことごとく無効
  に属せんとす」
との理由を挙げて、削除要求を拒否しています。また、帝国議会に法律議
決権を付与する第5条の審議においても、議会を諮問機関の地位にとどめ
ようとする保守派の主張に対し、伊藤は
 「立憲政体を創定するときには、天皇は行政部に於いては責任宰相を置
  いて君主行政の権をも幾分か制限され、立法部に於いては議会の承認
  を経ざれば法律を制定すること能わず。この二つの制限を設くること、
  これ立憲政体の本意なり。この二点を欠くは立憲政体にあらざるなり。
  またこの二点を憲法の上に於いて巧みに仮装するもまた均しく立憲政
  体の本義にあらざるなり」
と述べ、帝国議会の立法機関としての地位を守り抜きました。このように
伊藤は「大権が制限的」であるようにすることこそが「立憲政体の本義」
であると考え、天皇親政を志向する宮中勢力や保守派からの抵抗を抑え込
んで、「大権が制限的」な形の明治憲法を制定したのです。
 # 坂本一登『伊藤博文と明治国家形成:「宮中」の制度化と立憲制の導
 # 入』(吉川弘文館, 1991年), 255-256頁より再引用。なお、再引用
 # に際しては句読点を適宜入れ、また、一部の漢字を平仮名に、旧仮名
 # 遣いを新仮名遣いに、それぞれ直しています。
これに対して佐々木さんは、
> その大権が制限的なんだという主張は
> 解釈としてはやはり破綻していると言うべきではないでしょうか?
と論じておいでですが、憲法という存在のそもそもの存在意義やそれにつ
いての明確な立法者意思を無視してまでそのように論ずることには、少な
からぬ無理があるように思われます。


> そうすると安井さんの指摘をもってしてもなお
> 質問3についてはNOということになりますが
> いかがでしょうか?

その点については前記事でも異論を差し挟んではいません。


> そしてどちらかと言えばと言いつつ
> 「天皇神格化じゃないの?」という判断にいたったのは
> やはりプラスアルファの部分に
> 先祖たる神々を根拠に持ち出している部分です。

それは明治憲法の専売特許ではありません。19世紀後半当時のプロイセン
をはじめとするドイツ諸邦国の憲法においても、その君主の地位の由来に
ついては、神を「根拠に持ち出して」います。
 # 正統主義を基調とするウィーン体制の下で欽定されたものなのですか
 # ら、王権神授説に基づいているのは当たり前でもありますが。
そして、“神に由来する王権が臣民の福祉を増進すべく憲法を欽定した”
という憲法制定理由の説明も、これらドイツ諸邦国の憲法と明治憲法の双
方の前文に共通しています。さらに、「神聖ニシテ侵スヘカラス」という
表現がドイツ諸邦国の憲法にほぼ共通してみられるという点は、既に前記
事で指摘したところです。
 # さらに付け加えるなら、「神聖ニシテ」という表現は、ドイツ諸邦国
 # の憲法だけでなく、ブルガリア公国1879年憲法8条、リヒテンシュタ
 # イン公国1862年憲法2条、ルクセンブルク大公国1868年憲法4条、オー
 # ストリア1867年国家統治基本法1条、ポルトガル王国1826年憲法72条、
 # スウェーデン王国1809年憲法3条、スペイン王国1876年憲法48条、サ
 # ルデーニャ(イタリア)王国1848年憲法4条など、明治憲法と同時代
 # に存在した君主制諸国の憲法に幅広く採用されていました。デンマー
 # クやノルウェーの憲法に今でも「神聖ニシテ」という表現が残ってい
 # ることについては、既に前記事で御紹介したとおりです。
 # 参照:ブルガリアからスウェーデンまでについては、http://www.verfassungen.de/un/
 #    スペインについては、http://www.cervantesvirtual.com/servlet/SirveObras/01382549733467162765213/index.htm
 #    イタリアについては、http://www.quirinale.it/costituzione/Preunitarie-testi.htm
このように、明治憲法は君主と憲法の関係をめぐる構図をほぼ直輸入に近
い形でドイツ諸邦国から継受しているわけですが、彼の地の君主は「神格
化」されておらず、また「神聖ニシテ侵スヘカラス」条項についても君主
無答責を定めたものであるという理解が常識化しています。
そうしたことからすれば、主権の由来を神に求めているからといって、絶
対に「天皇神格化」と見なければならないわけではありません。むしろ、
本家本元で常識化している無答責条項として理解する方が自然でしょう。
 # ちなみに、先述した憲法集サイトhttp://www.verfassungen.de/un/
 # には明治憲法のドイツ語訳(出典は1913年にドイツで出版された憲法
 # 集)も収録されているのですが、そこでは、第3条が「Die Person
 # des Kaisers ist heilig und unverletzlich.」と翻訳されています。
 # これは、ドイツ諸邦国の憲法に広く見られた「Seine Person ist
 # heilig und unverletzlich.」という表現とほぼ同じです。


> 前にも書きましたが「神聖」という言葉が法的に無意味という解釈は
> 結局他の条項等における「天皇の神扱い」のところも
> 全て「法的に無意味」と言わないと統一がとれない訳です。
> ある言葉を全て無意味とする解釈は
> その言葉に意味を持たせる解釈より
> それこそ無理が生じています。

立憲学派の主張は、「神聖」という言葉を「法的に無意味」とするもので
はありません。むしろ、欧州の憲法学で常識化している「神聖」という語
の意味、すなわち、“尊厳が損なわれないように扱う”・“法的責任を問
わない”という意味のものとして解釈するものです。
 # 1789年のフランス人権宣言17条は「所有権は不可侵にして神聖である」
 # と規定していますが、これを「神格化」と解釈するのでしょうか?
日常語としての「神聖」が「神格化」に連なる意味を持っていることは否
定しませんが、それに徒に引きずられることが適切だとは思いません。そ
れはあたかも、民法における「悪意」の意味を論ずるに当たって、“事情
を知っていただけで悪気はなかったのだから「悪意」ではない”と主張す
るのと似ているように思われます。

なお、立憲学派の解釈が日本の憲法学界において多数説となっていったこ
とに関して、佐々木さんは、
> 立憲主義的な解釈が多数派であったとする安井さんの指摘が本当だとしても
> 法解釈学からは正当な解釈とは言えないという批判が妥当しますし
> だとするとそのような解釈がなぜ多数派を構成したのかという
> それこそ歴史学の興味深い話に突入できるのではないでしょうか?
と論じていらっしゃいますが、“グローバル・スタンダード”とも言うべ
き地位にあった西洋の学問体系に基づいて議論するなら、そこでの常識に
沿った立憲学派の方が多数派となるのはごく自然なように思われます。
 # だからこそ、神権学派は日本の独自性を頑なに主張したわけですし。
むしろ逆に、日本憲法学創生期における神権学派の興隆の方こそが、自由
競争に基づかない何らかの作為の結果なのではないかという感を抱かせ、
歴史学的な(というよりは政治史的な)興味を呼び起こすところです。
 # 穂積八束のキャリアアップが、天皇大権論者であった井上毅の強力な
 # 後押しに支えられていた面があったことは確かですし。
 ### 参照:長尾龍一「穂積八束」『日本憲法思想史』(講談社,1996年),
 ###    36-59頁.
1930年代以降の神権学派の復権については、まさに政治によって動かされ
た「事件」と言わざるを得ないでしょう。


>>そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
>>システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
>>限りません。
>
> 了解しました。
> しかし第3版にいう
>>「大臣又はその総体としての内閣の政治的な責任」
>>という基本的定義が記されていることを見落としておいでです。
> という文言は第1版にもきちんとありまして
> その記述を受けた
> 「明治憲法では、この責任は明定されず」
> なのです。

「明定されず」とは“はっきりとはしていなかった”との意味です。“否
定されていた”という意味ではないことに御注意下さい。
『法律学小辞典』が明治憲法における大臣責任制について「明定されず」
と説明している所以は、明治憲法55条が各国務大臣の天皇に対する責任を
規定している一方で、立憲学派の双璧たる美濃部達吉と佐々木惣一が大臣
の議会に対する責任をも論じていたことを反映しているからでしょう。
 # さらに言えば、『法律学小辞典』が大臣の天皇に対する責任を説明す
 # るにあたって、「各国務大臣が独立に、しかも専ら天皇に対して責任
 # を負うものと解されていた」というように、「天皇に対して」の前に
 # わざわざ「専ら」という修飾語を付け加えているのも、この立憲学派
 # による対議会責任論の存在を考慮に入れているからだと思われます。
すなわち美濃部は、その主著『憲法撮要』において、
 「内閣の組織を命ずることは憲法上天皇の大権に属すること言を待たず
  といえども、立憲政治は国民の意向に重きを置くの政治なるを以て、
  実際の憲法的慣習は内閣の組織を議会殊に衆議院の信任に繋がらしめ、
  衆議院の多数を統制し得る力ある者をして内閣総理大臣たらしむるを
  普通とす」(299頁)
 「我が憲法は国務大臣が議会に対して責に任ずることを明言せずといえ
  ども、これ憲法の全体の精神に於いて疑うべからざるところにして、
  また憲法実施以来の政治慣習の常に承認せるところなり」(305頁)
というように、「立憲政治」・「憲法の全体の精神」から大臣は議会に対
して責任を負っていると立論し、それは明文化されてはいないが「実際の
憲法的慣習」・「憲法実施以来の政治慣習」によって担保されていると論
じています。さらに美濃部は、日清戦争後の伊藤博文と自由党との提携や、
大隈重信を首班とする憲政党内閣の成立(1898年)などによって、初期議
会期に見られた「超然主義は全く放棄せられ」、それ以降の内閣は「衆議
院の政党と相関係せざるものなく」なったというように憲法運用の実践を
整理した上で、
 「即ち我が国に於いても少なくとも近時の政治上の情勢に於いては議院
  内閣制の慣習がほぼ確立した」(301頁)
とすら論じています。
 # 美濃部達吉『憲法撮要』改訂第5版(有斐閣,1932年), 299-311頁.
 # なお、引用に際しては、旧字体・旧仮名遣いを新字体・新仮名遣いに
 # 改め、一部の漢字を平仮名に直しています。
京都大学の佐々木惣一も、『日本憲法要論』において
 ・国務大臣は国家に対して責任を負う、
 ・実際に問責する機関は、憲法解釈上、天皇と帝国議会である、
 ・問責の手段には批判と制裁がある、
 ・統治権の総攬者たる天皇には批判と制裁の双方が認められる、
 ・明文規定はないが、「責任政治主義」の求めるところにより、帝国議
  会は国務大臣への批判(不信任)を表明することができる、但し、強
  制的に免職させることはできない、
と論じた上で、
 「しかれども帝国議会による不信任は即ち国民による不信任と見るべき
  ものなれば、立憲主義よりせば、辞職することを以て帝国憲法運用上
  適当なりとす。而して実際に徴するも今日に於いてはこれ最早一の習
  律となれり」(411頁)
とし、天皇と帝国議会の双方が国務大臣への問責機関である以上、
 「この意味に於いては国務大臣たる人は天皇に対して責任を有し、また
  帝国議会に対しても責任を有す」(411-412頁)
と結論しています。佐々木も美濃部と同様に、「立憲主義」と「習律」を
論拠として、明治憲法における大臣の議会に対する責任を論じたわけです。
 # 佐々木惣一『日本憲法要論』訂正第3版(金刺芳流堂,1932年), 403-
 # 413頁.なお、引用に際しては、旧字体・旧仮名遣いを新字体・新仮
 # 遣いに改め、一部の漢字を平仮名に直しています。
いずれも東西の第一級とされていた憲法学者の解釈であり、大正から昭和
初期の学界で通説たる地位を占めていた議論なのですから、『法律学小辞
典』の編纂者としても完全に無視するわけにはいかなかったのでしょう。
「明定されず」や「専ら」という表現の採用には、そうした事情が反映し
ているように私には思われます。


>>     “「大臣責任制」は導入されたが、「責任政治の原則」(議院
>>内閣制)の完全実現は阻まれていた”と読まれるべきではないでしょうか。
>
> 「それは大臣責任制の内実が伴っていない」のではないでしょうか?

繰り返しになりますが、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣
が負うというシステムを指す言葉であって、議院内閣制と等値ではありま
せん。
そしてその「大臣責任制の内実」は、君主が恣意的に政治を専断する専制
君主制から脱却し、憲法の規定に従った君主大権の行使に大臣が参与する
という点にあります。“君主専制から大臣輔弼へ”というのが「大臣責任
制の内実」であり、原理的には立憲主義に基づいた考え方なのです。
それに対して、大臣の地位を議会の信任に従属させるという議院内閣制は、
原理的には、被治者の同意という民主主義の要請に関係したものであり、
必ずしも立憲主義だけに立脚しているわけではありません。それどころか、
議院内閣制の下では議会多数派が立法・行政の両権を一手に握ることにな
るため、議院内閣制は権力分立原則に抵触する非立憲主義的な存在である
という批判を投げかけることも不可能ではありません。現に、穂積八束は
議院内閣制を「下院政党専制の政体」と呼び、「これ権力分立の否認なり、
これ立憲政体の破壊なり」と非難しています。
 # 参照:佐藤功『憲法研究入門』上巻(日本評論社, 1964年), 43頁.
前記事でも書きましたように、議院内閣制は“君主専制から大臣輔弼へ”
という大臣責任制の成果を前提としたシステムですので、完全に相対立す
る存在というわけではありませんが、同義・等値のものではありません。
両者は区別して考えられるべきなのです。
以上の点をふまえた上で明治憲法に話を戻しますと、明治憲法55条は大臣
輔弼を義務付けていますから、大臣責任制の要件は満たしています。した
がって、議院内閣制の十全なる開花が阻まれていたことを論拠とした
> 「それは大臣責任制の内実が伴っていない」のではないでしょうか?
との主張に対しては、やはり“大臣責任制と議院内閣制との混同”という
問題点を指摘せざるを得ません。

Mac Jr.

unread,
Apr 5, 2004, 3:01:31 AM4/5/04
to

"YASUI Hiroki" <jya...@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp> wrote in message
news:ymrm4qs5...@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp...


穏やかなご教示の中にも鋭いご指摘あり、また、分かりやすく極めて正確
な表現には感動いたしました。

ニュースグループごときにこのような投稿をしていただき感謝しております。
内容はもちろんのこと、記事への対応の仕方も学ぶことの多い投稿である
と感心させられました。

自分の教わった先生方も、このような他愛も無い問題に対してさえ厳密且
つ正確に対応されていることを思うと、授業をサボったりなどできるもので
はないと改めて反省させられた次第です。

有難うございました。


SASAKI Masato

unread,
Apr 5, 2004, 5:06:42 AM4/5/04
to
佐々木将人@函館 です。

>From:YASUI Hiroki <jya...@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>Date:2004/03/31 17:24:13 JST
>Message-ID:<ymrm4qs5...@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>
>
>設定を直したので大丈夫だと思いますが、不具合があれば御指摘下さい。

大丈夫です。

>前記事で私が書いた学説史に関するコメントは、佐々木さんの記事
><20040308...@nn.iij4u.or.jp>における、
>>>> 明治憲法の解釈は困難ですし
>>>> 明治憲法の学説状況を読み取ることなど不可能と言っていいでしょう。
>との主張に触発されたものです。この引用の中の後段の主張は明らかに学
>説史の理解の程度を論難したものとなっていましたので、
>> 「歴史的な経緯」を重視したもの
>としてコメントすべきだと考えました。
>非歴史的な文理解釈に特化した法解釈を論ずるにとどめたいのでしたら、
>「明治憲法の学説状況」を云々すべきではなかったと思います。

私は
「正確な法解釈の理解なくして学説史の理解は不可能」
という立場です。
言い換えるならば
「学説の理解なくして学説史の理解は不可能」
という立場です。

まして人によっては
20~30年前は既に歴史の領域に入っているかもしれません。
そうすればまさに「学説史」の話なのです。

そこにおける佐藤功先生をあのように切り捨てる判断基準で
明治憲法の学説状況を読み取ることが不可能であることは
容易に推論可能だと思いますが、
そのような判断基準でも
明治憲法の学説状況を読み取ることが可能であるほど
明治憲法の学説状況は単純なものだったのでしょうか?
(そんな単純な話ではなかったことは
 私は直感でしか感じていませんでしたが
 その詳細を安井さんが示したものだと理解しています。)

>それを言うなら、あらゆる憲法が「破綻している」ということになってし
>まいます。

というので以下を検討してみましたが
その理由が

>定義上、主権者は対内的に最高の存在であるはずですが、憲法制定によっ
>てその権力行使には制限が設けられています。それは君主主権の国であろ
>うと、国民主権の国であろうと、立憲政体の国であれば同じです。
> # と言うより、権力行使に制限を設けることが憲法の存在理由です。
>そうである以上、憲法制定後の「大権が制限的」となることに何の「破綻」
>もありはしません。むしろ、大権を制限しなければ憲法を制定する意味は
>ないということになります。

というのであれば、なんのことはない
明治憲法を立憲主義的に解そうとする立場を
アプリオリに前提として採用した立論にすぎず
「明治憲法はそういう意味のある憲法だったのですか?」という問いに対する
積極的な理由付けにはなっていないと思います。

ちなみに君主主権と国民主権とを
「憲法制定権力の主体の違いにすぎない」
と評価する立論については
芦部先生が「憲法制定権力」p43中で批判を加えています。
「もちろん、一般に行われているように、絶対君主制憲法の原則である君主
 主権を君主の制憲権として説明することは不可能ではない。しかしその場
 合の制憲権は、本来の歴史的意味を全く離れた説明の技術であるにすぎな
 い。」

この前提に立つなら
国民主権の下で憲法制定権力が発動して憲法を制定することと
君主が君主主権の下で憲法を定めることとは
意味が異なることになります。

同書はp6においてイギリスとフランスの歴史的な例を出していますが
そこでは
「中世においては、君主は無答責であり、それゆえに絶対的であったが、
 これは君主の権力が専断的であることを意味するものではなかった。」
という前提を置いた上で
「マッキルヴェインの研究にしたがえば、君主の権力の彼方に権力の行使の
 正当性を決定する「あるもの」が存在したことを意味する。」
と展開し
イギリスにおいてはそのあるものが「古来の慣習」とされ
コモンロー優位の原則へ高められ、「理性の法」と呼ばれ
君主をも拘束されると考えられたのに対し
フランスにおいてはその経過がなく
ゆえに「道徳的・抽象的」な性格が強かったため
「国王の権力に対する道徳的な制限にすぎなかった」
と論じています。

「大権が制限的か否か」という点を論ずるのであれば
同書の上記の展開のように
なんらかのプラスアルファが必要であると考えます。
「憲法が定められた」というだけでは
「憲法で法的に制限的となった」ことにはならないのが
フランスにおける上記記述で明らかです。

なお、

>この点は、明治憲法制定の中心人物であった伊藤博文も強く自覚しており、
(省略)


>伊藤は「大権が制限的」であるようにすることこそが「立憲政体の本義」
>であると考え、天皇親政を志向する宮中勢力や保守派からの抵抗を抑え込
>んで、「大権が制限的」な形の明治憲法を制定したのです。

という記述において
「伊藤博文は天皇機関説に近い理解を示していた」
という主張をされることに反論はしませんが
以上の次第ですから

>憲法という存在のそもそもの存在意義

については理由になっていませんし

>明確な立法者意思を無視してまでそのように論ずることには、少な
>からぬ無理があるように思われます。

そもそも法解釈においては
立法者意思拘束説は採用されていません。

さて

>> そしてどちらかと言えばと言いつつ
>> 「天皇神格化じゃないの?」という判断にいたったのは
>> やはりプラスアルファの部分に
>> 先祖たる神々を根拠に持ち出している部分です。

の話ですが、
以上の記述をなすため「憲法制定権力」を読んでいて
私は今1つの疑問を持つにいたっています。

というのは
ヨーロッパにおける「神の法」「自然の法」と言った場合の
「神の法」の正体が
「古来の慣習に由来し、共同体を構成する各個人の主観的権利と未分離の状
 態にある客観的法」(同書p5)
なのであれば
ヨーロッパの憲法で用いられる神と明治憲法が用いた神とを
同一視することはできないのではないかというものです。
(安井さんは今までの立論を見る限り
 神(のようなもの?)を特段区別していないようですが。)
「古来の慣習に由来し、共同体を構成する各個人の主観的権利と未分離の状
 態にある客観的法」(同書p5)
は日本に存在し、その背景の下に明治憲法ができたのでしょうか?

この点私も確固たるものはもっていませんが
現在のところ
「その背景の下の明治憲法」という点には否定的です。

>立憲学派の主張は、「神聖」という言葉を「法的に無意味」とするもので
>はありません。

う~む。
それは立憲学派の主張なのでしょうか?
もしそうだとして
法学協会「詳解日本国憲法」が
「法的に無意味とするもの」という評価もしくは総括をしたのは
なぜなのでしょう?

>と論じていらっしゃいますが、“グローバル・スタンダード”とも言うべ
>き地位にあった西洋の学問体系に基づいて議論するなら、そこでの常識に
>沿った立憲学派の方が多数派となるのはごく自然なように思われます。

この点ですが
上で指摘したとおり
「憲法を制定する目的は権力の制限」であることと
「憲法という名の法律が存在している理由」とは別論です。
後者については聖徳太子の手になる十七条の憲法を例にあげるだけでいいでしょう。
そして何か他の理由がない限り
立憲学派の主張は「そうしたいからそうする」にしかすぎないことになります。

これは逆の例示が可能です。
例えば現行憲法について天皇の実質的権力を認める方向での解釈は可能です。
なにせ政府権力の一定の者については天皇が任命する訳ですから。
現実にはそのような解釈は到底通用しない訳ですが
なぜ通用しないかと言えば
それなりにきちんとした理由がある訳でして
憲法制定の目的などに依存する必要はないのです。

次に

>「明定されず」とは“はっきりとはしていなかった”との意味です。“否
>定されていた”という意味ではないことに御注意下さい。

ですが、
その説明が

>『法律学小辞典』が明治憲法における大臣責任制について「明定されず」
>と説明している所以は、明治憲法55条が各国務大臣の天皇に対する責任を
>規定している一方で、立憲学派の双璧たる美濃部達吉と佐々木惣一が大臣
>の議会に対する責任をも論じていたことを反映しているからでしょう。

だとすれば
それは同時に立憲学派の主張を採用することができないという判断をも
示していませんか?
(無視はできないが否定的という意味において。)

そもそも安井さんは

>>そもそも、大臣責任制とは、国務に関する政治的責任を大臣が負うという
>>システムを指す言葉であって、責任を負う対象を議会に限定しているとは
>>限りません。

という立場ですし
私もいったんはその説明を受け入れたのですが
再考するに
「いくらなんでも任命権者に対する責任で
 「大臣責任制」という概念を使用するの?」
という疑問がわきあがっています。

法的に言えば任命権者に対し
被任命者(受命者とでも言うべきか?)が責任を負わないということの方が
むしろレアケースでしょう。
大化の改新後左大臣や右大臣が任命されておりますし
彼らが国務に関する政治的責任を負っていたこともまず間違いない。
だからと言ってこれを「大臣責任制」と呼ぶのでしょうか?

そうだとすれば「大臣責任制」とはなんのことはない
・大臣という名称の官職が置かれ
・国務に関することを司る
のであればすべからくあてはまる用語ということになります。

この意味で間違いなければ
明治憲法下で大臣という官職が置かれ国務に関することを司っていたことを
否定するつもりは全くありませんから
明治憲法55条を持ち出さなくても「大臣責任制」であったことを
否定しませんし
「議院内閣制と大臣責任制の区別ができていない」
という批判も甘んじて受けましょう。

しかし、少なくとも法律学小辞典のような用法の
「大臣責任制」は
任命権者に対して責任をとることをもって
言い換えれば
・大臣という名称の官職が置かれ
・国務に関することを司る
だけで成立するものではないのではないでしょうか?

だからこそ「もっぱら議会に対し」ですし
「明治憲法では明定されず」なのだと。

Mac Jr.

unread,
Apr 10, 2004, 6:41:21 AM4/10/04
to
SASK. Masato wrote:

>佐々木将人@函館 です。
>
>


>私は
>「正確な法解釈の理解なくして学説史の理解は不可能」
>という立場です。
>言い換えるならば
>「学説の理解なくして学説史の理解は不可能」
>という立場です。
>
>まして人によっては
>20~30年前は既に歴史の領域に入っているかもしれません。
>そうすればまさに「学説史」の話なのです。
>

ここでも何が言いたいかはっきりしませんね。要するに、YASUI氏は佐々木氏が
学説史めいたもの?を語っているためにそれに合わせて対応したのでした、と答
えられただけの話なのです。それに対するフォローとしては内容的にずれている
か余分な話で答えています。的外れではないでしょうか。読者にとっては問題の
所在を紛らわせる対応にしか読めませんね。こういう信用性を失わしめるような
対応は慎んでいただきたい。   

>「学説の理解なくして学説史の理解は不可能」
>
この姿勢は、佐々木氏同様、ほぼ誰もが一般的には踏まえようとしていることで
はないでしょうか?当たり前と言えば当たり前のことです。このことを前提して
の話なのですから、正しい対応にはなっておりません。加えて言うならば、そう
は言うものの、「完璧に」法解釈の理解がなされているかは誰にも言えないこと
であります。佐々木氏はもとよりYASUI氏と言えどももしかしたら幾らかはそれ
があるのかもかも知れない。

しかし、それが佐々木氏の陳腐な意見に対する参考意見あるいは反論として成り
立たないかどうかは別物であります。佐々木氏の意見に対する100パーセント
十分な対応になっていさえすれば議論としては完璧な筈であります。ましてや、
佐々木氏の不十分な法解釈力による不十分な学説史の理解に答えるものとしては
余ある対応は可能だと言うべきであります。

そもそも、佐々木氏をふくめた佐々木氏の先生であっても100パーセント完璧
な法解釈の理解有っての学説史をいつも語っておられるのですか?(笑い)そも
そも法解釈学者であっても完璧に法解釈が出来る人だけなのでありましょうか?
北海道辺りの学者を総てチェックして見なされ。(笑い)子供の対応みたいな真
似はおよしなされ。

>そこにおける佐藤功先生をあのように切り捨てる判断基準で
>
読者として言えば、YASUI氏が佐藤功労博士の見解を「切り捨て」た場面を拝見
した覚えは無いのです。むしろ、正しく読みなさいと言う佐藤功博士に対する敬
意を示されたのを拝見した覚えがあります。佐々木氏こそが誤った評価をしてニ
ュースグループに垂れ流ししている点で問題であろうと思うわけです。これこそ
佐藤功博士に対して失礼になるものと考えます。

>明治憲法の学説状況を読み取ることが不可能であることは
>容易に推論可能だと思いますが、
>そのような判断基準でも
>
「そのような」とはどのようなものでしょうか?文章が下手で意味が分かりません
ね。もう少しものを言うためだけの語りではなく、相手に内容を正しく伝えようと
する姿勢が望まれるのですが、こういう姿勢は最初から持ち合わせてはいないこと
は明白です。

>明治憲法の学説状況を読み取ることが可能であるほど
>明治憲法の学説状況は単純なものだったのでしょうか?
>(そんな単純な話ではなかったことは
> 私は直感でしか感じていませんでしたが
> その詳細を安井さんが示したものだと理解しています。)
>

明治憲法の学説状況が「単純であるか」どうかなどは人によってまちまちでしょう。
それを問題にして何を言おうとするのですか?北海道法学とは盲目の議論をする所
なのでしょうか?もう少し、何を言いたいのかを整理してから述べるようにしてく
ださい。読者をいたずらに混乱させるだけであります。思うに、佐々木氏がいつも
は簡単に切り捨てている通説以外の学説は有ったには有ったでしょう。しかし、こ
こでの主題はそんな事を詳らかにするものではない。明治憲法第三条が神格化条文
なのか否かであります。佐々木氏が神格化条文と解されていたとすることに対する
誤りを指摘するだけで十分なのであります。

YASUI氏の、

「それを言うなら、あらゆる憲法が「破綻している」ということになっ
 てしまいます。」

という意見に対する反論である以下の記述は意味が分かりません。

>
>というので以下を検討してみましたが
>その理由が
>
>
>
>>定義上、主権者は対内的に最高の存在であるはずですが、憲法制定によっ
>>てその権力行使には制限が設けられています。それは君主主権の国であろ
>>うと、国民主権の国であろうと、立憲政体の国であれば同じです。
>> # と言うより、権力行使に制限を設けることが憲法の存在理由です。
>>そうである以上、憲法制定後の「大権が制限的」となることに何の「破綻」
>>もありはしません。むしろ、大権を制限しなければ憲法を制定する意味は
>>ないということになります。
>>
>>
>
>というのであれば、なんのことはない
>明治憲法を立憲主義的に解そうとする立場を
>アプリオリに前提として採用した立論にすぎず
>

憲法を制定しているのですから、立憲的ではないのですか?それよりも佐々木氏の
明治憲法制定の意義がさっぱり見えません。聖徳太子の十七条の憲法等を挙げる所
を見ると「憲法」と言う名の法典が憲法だ、と言う立場のようですが、的外れも甚
だしい。実質的意味の憲法には立憲的のものとそうでないものとがあるとの主張を
暗に言いたいのでしょうか?その上で明治憲法はその後者に当たるとしたいのでし
ょうか?自分の見解をはっきりすべきです。そうすれば自分の言いたいことが誤り
であることも分かるでありましょう。

佐々木氏が疑問を持つ理由を述べるべきです。言い逃れの迷惑理由にしかならない
とは思いますが。YASUI氏のご説明は十二分過ぎる程明快で且つ根拠を踏まえてお
られます。それに対する異論を言うのであればそれ以上の明確さと論拠を乃至理由
と言ったものを佐々木氏が示すのが筋であります。もう少し議論のエティケットは
踏まえなされ。そうでなければ読者に迷惑であります。

以下、芦辺先生の引用は佐々木氏本人もよくは分かってないもののようで意味が分
かりません。もう少し、ご自分の理解する所となってからご自分の考えとして引用
し、最後に被引用物の名前と箇所を示すべきです。生半可な理解の元引用されたの
では読者が迷惑をします。従って何ものも語っていないものとして総てカットして
とりあえずは終わりとしましょう。

--
読者

>
>
>

Shiro

unread,
Apr 25, 2004, 6:58:51 PM4/25/04
to
YASUI Hirokiさんの<ymrm8yhz...@sx102.ecc.u-tokyo.ac.jp>から

>穂積の病気辞職後、上杉慎吉が東大の憲法講座を継承しますが、神権学派
>が「世の風潮と合わ」ない少数説と化したことを反映して、1920年には立
>憲学派を講ずる第二憲法講座が東大に設立され、美濃部がその担当教授に
>就任します。さらに美濃部は、法制局参事官や文官高等試験委員なども兼
>任し、学界のみならず、実務の世界でも主流の地位を固めていきました。
>競争に敗れた神権学派の講座は、上杉が1929年に現役のまま病没すると、
>後継者のないまま廃止となってしまいます。文字通り、「継続する者なし」
>の「孤城落日」状態だったわけです。そしてこの時期、京大でも市村光恵
>や佐々木惣一などの立憲学派が中心となっていました。
>こうした展開について、『法律学小辞典』の「天皇機関説」の項は「大正
>の初めには上杉との間で論争が起こったが、その後はむしろ学界の定説と
>な」ったと解説していますし、佐藤前掲書も「美濃部憲法学がその後の日
>本の憲法学の支配的潮流の源流となった」ばかりでなく、「実際の憲法運
>用の上にも花を開いた」としています。
> # 『法律学小辞典』第三版(有斐閣, 1999年), 850頁.
> # 佐藤前掲書50頁.
>そして、こうした立憲学派の優位を政治的に覆したのが1935年の天皇機関
>説事件であることは、よく知られている通りです。

 天皇機関説事件の後、東大の憲法講座では、神権学派の講座が復活し立憲学
派の講座が廃止されたのでしょうか。
 また政治の主導権は、議会から再び内閣に戻ったのでしょうか。

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