1/21の朝日新聞に、「『トンボ連結』湿原を疾走(JR釧網線)」という記事が出ていました。通常の重連ではなく、蒸気機関車の後部同士を繋いで走るもので、終点に転車台が無くても問題ないことが利点だそうです。
ところで、蒸気機関車全盛期であっても、普通の重連自体、特別な時でなければ編成されなかっただろうとは思いますが、その中で「トンボ連結」の編成というのは、どのくらいの割合であったんでしょうか?
~~ ◯ ~~~~~~ ・ ・ ~~~~~~~~~~~
\\ … 佐脇貴幸
\☆ /\/\ ・ ・ saw...@gsj.go.jp
/ / \
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ふつうの重連はありふれたものでしたけれども「トンボ連結」はまれだったと
思います.ほとんど記憶になく「トンボ連結」という言葉も知りませんでした.
信越本線の長野・直江津間,25パーミルの勾配のかなり続くところですが,
旅客列車でさえもD50やD51の重連は日常的に見かけたものです.
三重連はラッセル車を押している場合以外には少なかったと思います.
もと鉄ちゃんの遠い思い出です,記憶違いがありましてもご容赦下さい.
--
# 三ねんせい
# mailto:nagas...@mta.biglobe.ne.jp
# http://www2s.biglobe.ne.jp/~hotori/
あまり鉄分がないので外している可能性がありますが、
>> ところで、蒸気機関車全盛期であっても、普通の重連自体、特別な時でなければ編成されなかっただろうとは思いますが、
電気機関車なんかと違って蒸機は
・機械的に逆進が苦手
・運転するにも逆進が苦手
(逆進で本線を走るのはタンク機関車くらいだったのでは)
だと思うので、片方が逆向きになるような重連は嫌われたのではないかと
推測します。
#でも両方向に運転OKな蒸機て必要性はあったはずなのに
#結局あまりないですね…なんでだろ
------------------------------------------------------------------------------
かべ@sra-tohoku.co.jp VEGA Systems MCMXCI
「自分はレーサーだっていうのかい? たいしたことないじゃないか。」
------------------------------------------------------------------------------
やはりそうですか。
かべ@SRA東北さんの記事(Message-ID: <94scs0$hf3$1...@masamune.dais.is.tohoku.ac.jp>)にもあるように、蒸気機関車は逆進しにくい構造であることが影響しているんでしょうね。
> 信越本線の長野・直江津間,25パーミルの勾配のかなり続くところですが,
> 旅客列車でさえもD50やD51の重連は日常的に見かけたものです.
確かに、急勾配のところでは日常的な話ですね。失礼しました。
そういえば、板谷峠越えのために開発されたE10は、確か逆進することを考えて設計されたんだったと思いますけど、逆に前進しづらかったんでしょうかね?
#外から見たら「逆進」だけど、運転する側に立ってみれば、それが「前進」なのかもしれませんが。 (^_^)
> 三重連はラッセル車を押している場合以外には少なかったと思います.
三重連ですか。雪を押しのけるのにはやはりかなりのパワーが必要だったんですね。
> もと鉄ちゃんの遠い思い出です,記憶違いがありましてもご容赦下さい.
ご意見ありがとうございます。
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\\ … 佐脇貴幸
\☆ /\/\ ・ ・ saw...@gsj.go.jp
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In article <3A71803A...@mta.biglobe.ne.jp> nagas...@mta.biglobe.ne.jp writes:
>ふつうの重連はありふれたものでしたけれども「トンボ連結」はまれだったと
>思います.ほとんど記憶になく「トンボ連結」という言葉も知りませんでした.
伊田線で昭和45年くらいまで、ちょくちょく見かけました。
C11を正面向かい合わせにした重連という珍編成です。
--
/* 松田浩平 (Kouhei Matsuda, Asao Kawasaki, JPN.)
mailto:je...@marie.kakio.gr.jp http://www.kakio.gr.jp/~jetta/ */
"Sawaki, Takayuki" wrote:
>
> 確かに、急勾配のところでは日常的な話ですね。失礼しました。
> そういえば、板谷峠越えのために開発されたE10は、確か逆進することを
> 考えて設計されたんだったと思いますけど、逆に前進しづらかったん
> でしょうかね?
急勾配でトンネルの多い区間では、通常の煙突を前にした運転方向
だと乗務員が煙に巻かれて苦しい思いをするので、運転室を前にする
逆向運転が採用されたのですが、倶利伽羅越えに転用された時あたり
に通常向き運転用に機器配置を改造したと思います。
前進(通常向き運転)がしづらかった、と言えば機器配置が
逆だから、ということでしょう。(ただし、前記のように改造される
前)
それよりも第3、第4動輪にフランジが無く、脱線しやすいので、
現場では手こずったそうです。
--
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
嶋田 誠 (SHIMADA,makoto)
e-mail: m_sh...@ma2.justnet.ne.jp
_________________________________________
"Sawaki, Takayuki" wrote:
>
> 「トンボ連結」の編成というのは、どのくらいの割合であったん
> でしょうか?
蒸気ではありませんが、かつて福知山にスハフ12 701をキハ58で
サンドイッチにした団臨用の編成があり、「トンボ列車」と呼ばれて
いました。
あまりにこの編成で使われることが多かったもので、3両とも
いっしょくたにJT化改造され、〈セイシェル〉になりました。
> 電気機関車なんかと違って蒸機は
> ・機械的に逆進が苦手
> ・運転するにも逆進が苦手
> (逆進で本線を走るのはタンク機関車くらいだったのでは)
> だと思うので、片方が逆向きになるような重連は嫌われたのではないかと
> 推測します。
>
> #でも両方向に運転OKな蒸機て必要性はあったはずなのに
> #結局あまりないですね…なんでだろ
C56は逆進しやすいようにテンダの両側を削ってあります。8620、C50、
9600などにも同様の改造を施したものがあったと思うですが、こいつらは
入れ換え時の便宜を図っての事であったと。
反則かもしれませんが、セノハチ補機のD52の回送は逆位のまま数輌繋げ
ていたと…
--
ぢぃ
Yahoo!やinfoseekで検索したところ、〈セイシェル〉の写真は見ることができました。ただ、その名称が付けられた経緯がわかりません。
〈セイシェル〉という名称から思い浮かぶのは、「花崗岩から構成され、インド洋に位置する熱帯の島、『エマニュエル夫人』の撮影に使われた場所((^_^;)」というぐらいしかないのですが…
#福知山付近には行ったことがありませんが、どういった関連性があるのでしょうか?
ご存じでしたら、お教えください。
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\\ … 佐脇貴幸
\☆ /\/\ ・ ・ saw...@gsj.go.jp
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情報、ありがとうございます。
Yahoo!で検索したところ、
http://www.kouhaku.or.jp/ome/ometenji.html
にそのことが書いてありました。カーブでの小回りをよくするためだったんですね。
でもそのために脱線し易いというのでは、さぞ扱いが難しかったでしょうね。
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\\ … 佐脇貴幸
\☆ /\/\ ・ ・ saw...@gsj.go.jp
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In article <3A7474AA...@nifty.com>, ぢぃ <HAG0...@nifty.com> wrote:
|ka...@sra-tohoku.co.jp wrote:
|
|> #でも両方向に運転OKな蒸機て必要性はあったはずなのに
|> #結局あまりないですね…なんでだろ
日本では、必要な所にはターンテーブルが整備してあったからじゃないでしょ
うか。
蒸気運転廃止後はどんどんターンテーブルがなくなってきたので、イベントで
蒸気機関車を走らせようとすると、昔はしなかったバック運転やら、他の機関車
の力を借りたりするやら、になりますねえ。
南アフリカ共和国とかでは、機関車の大型化のために、バック可能な蒸気機関
車をたくさん作ったそうですね。ターンテーブルの大きさに車長を制限されない
ように、という事で。
|C56は逆進しやすいようにテンダの両側を削ってあります。8620、C50、
|9600などにも同様の改造を施したものがあったと思うですが、こいつらは
|入れ換え時の便宜を図っての事であったと。
あと、ターンテーブルがないような小駅での折り返しとかも考慮に入っていた
と思います。
|反則かもしれませんが、セノハチ補機のD52の回送は逆位のまま数輌繋げ
|ていたと…
今、「鉄道ファン」誌で、むかし国鉄の機関手だった人の回顧録の連載があり
ますが、その人が機関助手になるための教育を受けたのが瀬野機関区だったそう
です。
で、瀬野機関区の写真のキャプションに「瀬野機関区はターンテーブルがない
のが特徴だった」って書いてありました。実際、補機担当の下り列車と、回送の
上り列車とが並んでいる写真でも、蒸気機関車は同じ向きを向いていました。
--
“まほろまてぃっく”(中山文十郎・ぢたま某著、ワニブックス)の ML 運営中!
詳しくは http://www.akihabara.ne.jp/mahoro/mahoroml.html まで。
| JUNET鉄道探偵団 団員No.
脇田 幸輔 k_wa...@yk.rim.or.jp | モ3401-ク2401
In article <3A7474AA...@nifty.com> HAG0...@nifty.com writes:
>反則かもしれませんが、セノハチ補機のD52の回送は逆位のまま数輌繋げ
>ていたと…
昭和43年10月改正前までの4001レ・4002レの佐世保~早岐で後ろにDD51
前にC11というのがありましたけどね。
In article <3A741723...@ma2.justnet.ne.jp> m_sh...@ma2.justnet.ne.jp writes:
> 急勾配でトンネルの多い区間では、通常の煙突を前にした運転方向
> だと乗務員が煙に巻かれて苦しい思いをするので、運転室を前にする
> 逆向運転が採用されたのですが、倶利伽羅越えに転用された時あたり
> に通常向き運転用に機器配置を改造したと思います。
私の知る範囲では、バック運転が定位でしたが、レギュレータハンドルなどの
操作の向きはそのままだったので、バック運転にあわせて挺子の向きを逆にし
たと聞いていますが、実際はどうだったのかわかりません。
> 前進(通常向き運転)がしづらかった、と言えば機器配置が
> 逆だから、ということでしょう。(ただし、前記のように改造される
> 前)それよりも第3、第4動輪にフランジが無く、脱線しやすいので、
> 現場では手こずったそうです。
それと、2動輪がフランジレスのため曲線で粘着牽引力が低下したという話し
も聞いています。4100や4110がゲルスドルフ式の台枠(ただし4100が棒台枠
だったにもかかわらず国産改良機の4110では板台枠)を採用し第1動輪と第5
動輪が横動できたのに、E10ではそれが活かされていなかったのが不思議で
なりません。4110にくらべ先台車と従台車をもったE10が欲張り過ぎだったの
か板谷峠の電化計画についてのGHQの決定に関する動向をもう2年くらい
見極めてそれまで4110で粘るとか、当時既に余剰になっていたD51を電化まで
のつなぎにするなど、後になって考えれば何とでも言えそうですが、当時とし
てはやむを得ない措置だったのでしょうね。
In article <9531pj$2u4s$1...@shell.rim.or.jp> k_wa...@yk.rim.or.jp writes:
> 南アフリカ共和国とかでは、機関車の大型化のために、バック可能な蒸気機関
>車をたくさん作ったそうですね。ターンテーブルの大きさに車長を制限されない
>ように、という事で。
いわゆる通常型のタンク機は別として前後方法に運転が楽な形式を
あげてみました。
前後方向への運転を意図した方式
・ガーラット(Garratt)式
・フェアリー(Fairlie)式
結果的に前後方向への運転が楽な方式
・シェイ(Shay)式
・マイヤー(Meyer)式
・クライマックス(Climax)式
あたりでしょうか。
ガーラット式はヨーロッパやアメリカでは、ロンドン・ミッドランド・
スコティッシュ鉄道がベイヤー・ピーコック社で制作した4997あたりし
か思い付きません。あとはジンバブエで使用された15型くらいでしょう
か。こちらもベイヤー・ピーコック社製だったと思います。
In article <3A741723...@ma2.justnet.ne.jp> m_sh...@ma2.justnet.ne.jp writes:
> それよりも第3、第4動輪にフランジが無く、脱線しやすいので、
>現場では手こずったそうです。
5軸機で代表的な機関車といえば「前進型」とBRの9Fくらいでしょうか。
もっとも前進型は現役ですが...。
> In article <3A7474AA...@nifty.com>, ぢぃ <HAG0...@nifty.com> wrote:
> |ka...@sra-tohoku.co.jp wrote:
> |
> |> #でも両方向に運転OKな蒸機て必要性はあったはずなのに
> |> #結局あまりないですね…なんでだろ
>
> 日本では、必要な所にはターンテーブルが整備してあったからじゃないでしょ
> うか。
幹線、亜幹線では殆どそうですね。で、ターンテーブルのないようなとこ
ろはタンク車でも充分であったと。小海線とか、線路規格の低くて長距離
であると云う特殊条件のための機関車がC56でしたね。
> 今、「鉄道ファン」誌で、むかし国鉄の機関手だった人の回顧録の連載があり
> ますが、その人が機関助手になるための教育を受けたのが瀬野機関区だったそう
> です。
>
> で、瀬野機関区の写真のキャプションに「瀬野機関区はターンテーブルがない
> のが特徴だった」って書いてありました。実際、補機担当の下り列車と、回送の
> 上り列車とが並んでいる写真でも、蒸気機関車は同じ向きを向いていました。
セノハチの場合の補機は使われる向きが決まっていたため、瀬野や八本松
にわざわざ転車台を造って方向転換させる必要もなかろう、って判断もあ
ったのでは。
--
ぢぃ
In article <0101292111...@marie.kakio.gr.jp> je...@marie.kakio.gr.jp writes:
> 結果的に前後方向への運転が楽な方式
> ・シェイ(Shay)式
昔撮影(?)した写真を眺めていたら、阿里山のShay型12号機の
写真が出てきました。
http://www.kakio.gr.jp/~jetta/daily/p200008s/shay_arisan.jpg
に置いておきますので、興味があれば、見るなり、持ってゆくなり
どうぞ。
http://www.kakio.gr.jp/~jetta/daily/p200008s/
に置いている写真は、つまんないので見ないでください(笑)。
In article <3A7579E1...@nifty.com> HAG0...@nifty.com writes:
>幹線、亜幹線では殆どそうですね。で、ターンテーブルのないようなとこ
>ろはタンク車でも充分であったと。小海線とか、線路規格の低くて長距離
>であると云う特殊条件のための機関車がC56でしたね。
ただし、テンダ機の場合は、バック運転では最高速度が45km/hに
制限されるのが一般的ですが、簡易線の貨物運転のばあいは、も
ともと最高速度が45km/hなので問題なかったのでしょうね。
補機使用後の単機回送でもバック運転の場合は、45km/hは守られ
ていたと思います。
上山田線なんかでは、飯塚からD51がバック運転で、のろのろ
と6両のオハを引いて上山田まで行き、帰りは正位運転でした。
テンダ機を短距離で折り返しているような区間では、転車の手間
を惜しんだのか、テンダ機でもバック運転をよく見かけました。
それと逆なのが、日田彦山線でC11が旅客列車を引いていた場
合で、田川線への直通列車を除いて、C11を門司港と日田で、
ターンテーブルに乗せていました。
うちのプロバイダーでjapan.rail.steam-locomotiveを探したのですが
見つからないのでfollowup-toははずしました。
In article <0101280241...@marie.kakio.gr.jp>, je...@marie.kakio.gr.jp
says...
>In article <3A71803A...@mta.biglobe.ne.jp> nagas...@mta.biglobe.ne.jp
>writes:
>>ふつうの重連はありふれたものでしたけれども「トンボ連結」はまれだったと
>>思います.ほとんど記憶になく「トンボ連結」という言葉も知りませんでした.
>
> 伊田線で昭和45年くらいまで、ちょくちょく見かけました。
> C11を正面向かい合わせにした重連という珍編成です。
後藤寺線でもよく見ましたよ。重連貨車無しというのも
よく見ました。
大体、後藤寺線の場合、重連といっても機関車の向きがバラバラで、
後補機付きも多くてバラエティに富んでました。私が後藤寺線に
行っていた頃に残っていた唯一の3重連も、補機は2台とも後補機で
それもどちらも後ろ向きというやつだったという記憶があります。
∞o
○ 渡邉義明(わたなべ よしあき) yoshi...@eva.hi-ho.ne.jp
ぢぃ wrote:
>
> C56は逆進しやすいようにテンダの両側を削ってあります。
このために各種イベントで引っ張りだこなんですね。
Kosuke WAKITA wrote:
>
> 蒸気運転廃止後はどんどんターンテーブルがなくなってきたので、イベントで
> 蒸気機関車を走らせようとすると、昔はしなかったバック運転やら、他の機関車
> の力を借りたりするやら、になりますねえ。
〔SL北びわこ号〕がまたもうすぐ運転されますが、上り列車は
人気が無いらしく、午前の上りは、もうだいぶ前から回送になって
います。
そもそも、木ノ本にも米原にも転車台が無いので、上りは午後の
営業列車でもバック運転です。で、回送は機回しを省略するため、
木ノ本へ行った編成を DD51 が米原まで引っ張ってくるのですが、
こうなると当然、回送編成の最後尾にはSL(次シーズンは C57 1)
が連結されたままで「後ろ向きに引きずられて行く」ことになり
ます。その様子を見ていると、滑稽と言うか、哀れと言うか、何
ともおかしな感じです。
# やっぱり SL のカッコ良さは正向運転の場合です。
バック運転でも、C56 なら、まあまだサマになりますが、C57 の
バック運転はいただけません。
# 現場で会ったあるファン氏の言では、C57 のバック運転は珍しい
# から価値がある、とのことでしたが。
昨年の今頃、梅小路へ行ったら、
SL列車が乗客を乗せて定期的に構内を走っていたのですが、
いきなりバックで発進して近く(といっても、
山陰線の下をくぐって見えなくなる所まで行くので遠く感じる)まで行き、
前進で戻ってくるという、変てこな運行をしていました。
それを見ていた当時2歳8ヶ月の息子、
その後1ヶ月くらいは、SLのオモチャで遊ぶ時に必ずバック発進で……
#教育上、よろしくない!
戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
to...@lbm.go.jp
ずいぶん前の記事(Message-ID: <352A14...@gsj.go.jp>)にも書きましたが、
真岡鉄道でも、C12が客車のあとに連結されたまま、後ろ向きに引きずられて行く様
子を見たことがあります。
> その様子を見ていると、滑稽と言うか、哀れと言うか、何
> ともおかしな感じです。
> # やっぱり SL のカッコ良さは正向運転の場合です。
そうですね、
> # 現場で会ったあるファン氏の言では、C57 のバック運転は珍しい
> # から価値がある、とのことでしたが。
うーむ。SLファンの見方は、実に深いなあ…
~~ ◯ ~~~~~~ ・ ・ ~~~~~~~~~~~
\\ … 佐脇貴幸
\☆ /\/\ ・ ・ saw...@gsj.go.jp
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"Sawaki, Takayuki" wrote:
>
> ずいぶん前の記事(Message-ID: <352A14...@gsj.go.jp>)にも書きましたが、
> 真岡鉄道でも、C12が客車のあとに連結されたまま、後ろ向きに引きずられて行く様
> 子を見たことがあります。
11月に4年ぶりに真岡へ行きましたが、やはり朝の真岡→下館の
回送と夕方の事実上の入庫回送である6103レがそうでした。
> > その様子を見ていると、滑稽と言うか、哀れと言うか、何
> > ともおかしな感じです。
> > # やっぱり SL のカッコ良さは正向運転の場合です。
>
> そうですね、
〔SL北びわこ号〕を初めて見に行った時が上りの2号(当時は営業
運転)だったのですが、坂田付近は線路がほとんどまっすぐなので
バック運転してくるのが遠くからでも見えます。で、それが近づいて
くると何だか真っ黒な色のDLがオハ12系を引いているみたいに見えて
異様でした。
# C56ですらそう見えるのですから、C57では何を況わんや、の心境
# です。
> > # 現場で会ったあるファン氏の言では、C57 のバック運転は珍しい
> > # から価値がある、とのことでしたが。
>
> うーむ。SLファンの見方は、実に深いなあ…
ま、それはそれで個人の価値観の違いでしょう。
to...@lbm.go.jp wrote:
>
> 昨年の今頃、梅小路へ行ったら、
> SL列車が乗客を乗せて定期的に構内を走っていたのですが、
> いきなりバックで発進して近く(といっても、
> 山陰線の下をくぐって見えなくなる所まで行くので遠く感じる)まで行き、
> 前進で戻ってくるという、変てこな運行をしていました。
カマは何だったでしょうか? 私が見ると、いつもD51 200
なんですが。
> #教育上、よろしくない!
御意。
In article <95agc0$o...@nws-7000.lbm.go.jp>,
to...@lbm.go.jp says...
>> # やっぱり SL のカッコ良さは正向運転の場合です。
>御意
>
>昨年の今頃、梅小路へ行ったら、
>SL列車が乗客を乗せて定期的に構内を走っていたのですが、
>いきなりバックで発進して近く(といっても、
>山陰線の下をくぐって見えなくなる所まで行くので遠く感じる)まで行き、
>前進で戻ってくるという、変てこな運行をしていました。
憶測の域を出ませんが,こういう運転をすると,戻ってくるときに
構内側から「カッコ良」い写真を撮れるからではないかと・・・.
>それを見ていた当時2歳8ヶ月の息子、
>その後1ヶ月くらいは、SLのオモチャで遊ぶ時に必ずバック発進で……
>
>#教育上、よろしくない!
出ていった先にループ線でも作れれば教育上も撮影上も良い運転が
可能でしょうけど,無理だろうなぁ.
もしやってくれたら,ターンテーブルでの転向&機回しも頻繁に
見られるようになりそうだけど・・・.
--
大阪大学工学部電気工学科四年 システム計画工学講座 谷野研究室
サイバーメディアセンターStudentAdvisor
鉄道研究会会員 村瀬 真人 <Murase Masato>
(研究室)<m-mu...@eie.eng.osaka-u.ac.jp>
(CMC)<te51...@ecs.cmc.osaka-u.ac.jp>
戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
to...@lbm.go.jp
秩父鉄道の「パレオ」も下り列車が熊谷駅に入線するときは編成全体が後ろ向き
に
なって電気機関車に引かれてきます。上り列車が熊谷を引き上げる時も同じでは?
あと大井川鉄道の下りSL列車も同じようにして金谷に入線するのでは。
機回し線がなかったり、使えない場合、長距離の推進運転を嫌ってこのような運転を
することが多いのでは?
「もおか」の茂木、「ばんえつ物語」の新津、「やまぐち」の小郡なんかは基地が
近いので
推進運転で入線してきますが...
> > > その様子を見ていると、滑稽と言うか、哀れと言うか、何
> > > ともおかしな感じです。
> > > # やっぱり SL のカッコ良さは正向運転の場合です。
> >
> > そうですね、
>
> 〔SL北びわこ号〕を初めて見に行った時が上りの2号(当時は営業
> 運転)だったのですが、坂田付近は線路がほとんどまっすぐなので
> バック運転してくるのが遠くからでも見えます。で、それが近づいて
> くると何だか真っ黒な色のDLがオハ12系を引いているみたいに見えて
> 異様でした。
大井川鉄道の上りSLマン号(?)の場合、赤く塗ったC11が逆方向で引いてくるので
一瞬交流電機牽引に見えました。
*************************************************
* 航貴のパパ こと 鵜沢 聡
* Mail
* s_u...@sannet.ne.jp
* Web
* http://www.sannet.ne.jp/userpage/s_uzawa/
*************************************************
テンダ機であることも条件でしょうけどね。
それ以外にも、軸重が軽いので電車専用線を痛めにくい
等ということもあるんじゃないでしょうか。
梅小路区に展示したC62でSL白鷺号を走らせたら線路が
痛んでしまったので、次からはC61を使ったという事も
ありましたので.......。
--
松 田 浩 平 / Kouhei MATSUDA E-mail: je...@piaget.hum.u-bunkyo.ac.jp
文京女子大学/人間学部/心理学研究室 〒356 埼玉県入間郡大井町亀久保1196番
Phone: +81-492-61-6488 / +81-492-61-7968(direct) / Fax: +81-492-61-6496
<956g7j$bg5$1...@news0.hi-ho.ne.jp>の記事において
yoshi...@eva.hi-ho.ne.jpさんは書きました。
|
| In article <0101280241...@marie.kakio.gr.jp>, je...@marie.kakio.gr.jp
| says...
| > 伊田線で昭和45年くらいまで、ちょくちょく見かけました。
| > C11を正面向かい合わせにした重連という珍編成です。
|
| 後藤寺線でもよく見ましたよ。重連貨車無しというのも
| よく見ました。
おそらく1両は回送のためでしょうね。
| 大体、後藤寺線の場合、重連といっても機関車の向きがバラバラで、
| 後補機付きも多くてバラエティに富んでました。私が後藤寺線に
| 行っていた頃に残っていた唯一の3重連も、補機は2台とも後補機で
| それもどちらも後ろ向きというやつだったという記憶があります。
それは後藤寺からそのまま田川線に向けて発車するためだったのです。
伊田に向かう時は,その補機の2両が先頭になりました。
-- ~~ ____ ~~ ____
qΠ-n-n--|=[ ----_, qΠ-n-n--|=[ ----_,
川上@キヤノン宇都宮 {[|_==___| ||_____| {[|_==___| ||_____|
ei...@cnt.canon.co.jp `o||○○○○- o-o-o `o||○○○○- o-o-o
In article <95oac0$2am$1...@cocbs1.cnt.canon.co.jp>, ei...@cnt.canon.co.jp says...
>| 大体、後藤寺線の場合、重連といっても機関車の向きがバラバラで、
>| 後補機付きも多くてバラエティに富んでました。私が後藤寺線に
>| 行っていた頃に残っていた唯一の3重連も、補機は2台とも後補機で
>| それもどちらも後ろ向きというやつだったという記憶があります。
>
>それは後藤寺からそのまま田川線に向けて発車するためだったのです。
>伊田に向かう時は,その補機の2両が先頭になりました。
なるほど。でも、私が後藤寺線に9600を見に行くようになった
昭和48年頃には、既に田川線では三重連がなくなっていたという
記憶があります。
#重連を見るために油須原に行ったときも、やってきたのは単機でした(;_;)
それでも、後藤寺線でそんな三重連をやっていたというのは
ちょっと???回送かな?
∞o
○ 渡邉義明(わたなべ よしあき) yoshi...@eva.hi-ho.ne.jp
<95sgpv$l9p$1...@news0.hi-ho.ne.jp>の記事において
yoshi...@eva.hi-ho.ne.jpさんは書きました。
| なるほど。でも、私が後藤寺線に9600を見に行くようになった
| 昭和48年頃には、既に田川線では三重連がなくなっていたという
| 記憶があります。
昭和48年の1月に油須原で重連後補機の上り7494レを撮っていました。
また,昭和49年の6月末に後藤寺駅構内を発車する重連の上り1494レ
を撮っています。当時,糸田線の上りに重連はなかったことから伊田
方向のR322の跨線橋に向けて出て行く貨物列車は田川線向けのものと
思われます。なお,後補機が付いていたかどうかはフィルムに写って
いないので不明です。
ちなみに筑豊地区は昭和49年の暮れに無煙化されています。
--
川上@キヤノン宇都宮【JUNET鉄道探偵団 No.C5557】
kawaka...@canon.co.jp
"Sawaki, Takayuki" <saw...@gsj.go.jp> writes:
> 1/21の朝日新聞に、「『トンボ連結』湿原を疾走(JR釧網線)」という記
> 事が出ていました。通常の重連ではなく、蒸気機関車の後部同士を繋いで走
> るもので、終点に転車台が無くても問題ないことが利点だそうです。
二台の逆向きの機関車を、列車の先頭に付けるんですね? 語源は形状なんで
しょうか。
どうせ逆向きなら、いっそ客貨車を機関車の間に挟んでプッシュプル、という
のはなかったんでしょうか...? 運転の同期は汽笛で取るんですよね、きっと。
--
入内島
Iriuchijima Ken wrote:
>
> 二台の逆向きの機関車を、列車の先頭に付けるんですね? 語源は形状なんで
> しょうか。
先に投稿したキハ58でスハフ12をサンドイッチにした列車も
「トンボ列車」と呼ばれていたところを見ると機関車に限らない
ようです。
由来は知りませんが、そう言えばある種のトンボがそういう
体勢で交尾をするのだったかも・・・
> どうせ逆向きなら、いっそ客貨車を機関車の間に挟んでプッシュプル、という
> のはなかったんでしょうか...? 運転の同期は汽笛で取るんですよね、きっと。
トンボ連結に限らず、列車の前後に機関車を連結した場合も
昔は無線が無かったので汽笛でやっていました。
最近でも〔SL北びわこ号〕の蒸気機関車回送の際、牽引のDD51と
汽笛で連絡を取り合っているみたいで、発車の際にDD51がピーッと
汽笛を鳴らし、その後にC56 160がボォーッと汽笛を鳴らして
いました。
それから、機械式気動車の場合も2両以上の連結では液体式と
違って総括制御ができないので、両方の車両に運転手が乗り、
汽笛の合図で「えいやっ」とギアチェンジをしていました。
電車でも総括制御ができなければ同じことで、昔の弘南鉄道
あたりでもやっていたそうですが、さすがにこれは見たことが
ありません。
"SHIMADA,makoto" wrote:
> Iriuchijima Ken wrote:
> >
> > 二台の逆向きの機関車を、列車の先頭に付けるんですね? 語源は形状なんで
> > しょうか。
>
> 先に投稿したキハ58でスハフ12をサンドイッチにした列車も
> 「トンボ列車」と呼ばれていたところを見ると機関車に限らない
> ようです。
近鉄内部線の近代化の直前も終点でのMcの付け替えを省略するため、
McTTMcみたいな形にして、後のMcをT扱いでぶら下げて運転、みたいなこ
とをしていたよーっすね。
> 由来は知りませんが、そう言えばある種のトンボがそういう
> 体勢で交尾をするのだったかも・・・
トンボの場合は交尾しながら両方の動力(笑)で飛び回るですが、実際のト
ンボ運転の場合は後尾の動力車が実質的にぶら下がっている場合の方が多
いような気がするんですが…
#あ、でも嶋田さんの上げたキハ58の例は違うか。
> > どうせ逆向きなら、いっそ客貨車を機関車の間に挟んでプッシュプル、という
> > のはなかったんでしょうか...? 運転の同期は汽笛で取るんですよね、きっと。
>
> トンボ連結に限らず、列車の前後に機関車を連結した場合も
> 昔は無線が無かったので汽笛でやっていました。
> 最近でも〔SL北びわこ号〕の蒸気機関車回送の際、牽引のDD51と
> 汽笛で連絡を取り合っているみたいで、発車の際にDD51がピーッと
> 汽笛を鳴らし、その後にC56 160がボォーッと汽笛を鳴らして
> いました。
今は無線なんですか?少なくともSLの場合は運転席も相当騒がしそうだか
ら、汽笛で同調を取るんぢゃないのかな、って気がするです。DLとかELと
かでもそうでないのかなあ?そうでもないのかな?
> それから、機械式気動車の場合も2両以上の連結では液体式と
> 違って総括制御ができないので、両方の車両に運転手が乗り、
> 汽笛の合図で「えいやっ」とギアチェンジをしていました。
西成線(桜島線の前身)電化のきっかけが機械式気動車の協調ミスによる
脱線事故でなかったでしたっけか。一応、機械式気動車の連結輌数は3輌
まで、って規定はあったみたいです。
> 電車でも総括制御ができなければ同じことで、昔の弘南鉄道
> あたりでもやっていたそうですが、さすがにこれは見たことが
> ありません。
儂も実車の目撃はありませんが、地方鉄道などでは結構あったよーな気が
するです。
--
ぢぃ
"SHIMADA,makoto" wrote:
> トンボ連結に限らず、列車の前後に機関車を連結した場合も
> 昔は無線が無かったので汽笛でやっていました。
前後に離れてなくても,前にSL二両の重連でも,汽笛で合図してました.
アプト式時代の碓氷峠ではED42の四重連(軽井沢方に一両,横川方に三両)で,
総括制御でなかったので,やはり汽笛で合図していて,にぎやかなものでした.
> それから、機械式気動車の場合も2両以上の連結では液体式と
> 違って総括制御ができないので、両方の車両に運転手が乗り、
> 汽笛の合図で「えいやっ」とギアチェンジをしていました。
一度だけ乗ったことがあります.信越本線か飯山線だったと思います.
二両編成の気動車列車でした.
--
# 三ねんせい
# mailto:nagas...@mta.biglobe.ne.jp
# http://www2s.biglobe.ne.jp/~hotori/
In article <3A8BE670...@nifty.com>,
HAG0...@nifty.com says...
>西成線(桜島線の前身)電化のきっかけが機械式気動車の協調ミスによる
>脱線事故でなかったでしたっけか。一応、機械式気動車の連結輌数は3輌
>まで、って規定はあったみたいです。
列車通過中に,信号係がポイントを転換しようとして,途中転換を
引き起こし脱線転覆,燃料に引火して火災を起こしたのではなかった
でしたっけ?
安全装置のディテクターバーが鉄材供出で撤去されてさえいなければ
起こり得なかった事故の筈です.
#手持ちの資料に詳細が載ってる筈なんですど探す気力と時間が
#ないのでパス.(T_T)
> 先に投稿したキハ58でスハフ12をサンドイッチにした列車も
> 「トンボ列車」と呼ばれていたところを見ると機関車に限らない
> ようです。
でも、よく考えてみたら、「明らかに違う車両が中間に挟まれて
いる」場合だけのようです。キハ58+キハ28 2000番台+キハ58
なんていう3両編成は山ほどありましたが、これらは「トンボ列車」
とは呼ばれていませんでしたから。
今、発売中の「鉄道ファン」3月号の117ページに、マヤ34が
キハ56 200番台に挟まれている写真が掲載されていますが、これが
ちょうど「トンボ列車」でしょう。福知山名物だったのもこれに
そっくりでしたから。
ぢぃ wrote:
>
> トンボの場合は交尾しながら両方の動力(笑)で飛び回るですが、実際のト
> ンボ運転の場合は後尾の動力車が実質的にぶら下がっている場合の方が多
> いような気がするんですが…
> #あ、でも嶋田さんの上げたキハ58の例は違うか。
そりゃそうです。だってキハ58の1両だけの動力じゃスハフ12と
もう1両のキハ58は引けそうにありません。
機関車のトンボ連結の場合は、おっしゃる通り、反対向けの
機関車はたいてい「お荷物」ですね。〔SL北びわこ号〕の回送の
場合もそうですし。
ただ、【さくら】のC11はDD51に後押ししてもらわないとパワー
不足だったでしょう。
> 今は無線なんですか?少なくともSLの場合は運転席も相当騒がしそうだか
> ら、汽笛で同調を取るんぢゃないのかな、って気がするです。DLとかELと
> かでもそうでないのかなあ?そうでもないのかな?
〔SL北びわこ号〕の本運転では車掌との連絡は無線でやって
ましたけど。「9244レの運転士さん」、「はい、こちら、9244レの
運転士」、「9244レ、発車ぁ」、「発車ぁ」、ボォーッ、しゅっ、
しゅっ、しゅっ・・・って調子で。
In article <3A8D18C4...@ma2.justnet.ne.jp> m_sh...@ma2.justnet.ne.jp writes:
> ただ、【さくら】のC11はDD51に後押ししてもらわないとパワー
>不足だったでしょう。
300tはありませんから、佐世保から早岐まで走るくらいなら、
ちょっとノロいだけでパワー不足という程ではないと思います。
それに距離も短いので時間的にも大したロスにもならないで
しょう。
あの場合は、実質的な本務機は、早岐から前になる後ろのDD51
で、C11はブレーキと信号確認のために前に何かつけていないと
困るので、松浦線と佐世保駅構内・早岐駅構内入れ替え用のC11
を「とってつけた」ということだったわけです。単なる推進運
転だと45km/hに最高速度が制限されますしね。要するに早岐で
の機回り時間の節約のためというのが目的だったわけです。
Kouhei Matsuda wrote:
>
> > ただ、【さくら】のC11はDD51に後押ししてもらわないとパワー
> >不足だったでしょう。
>
> 300tはありませんから、佐世保から早岐まで走るくらいなら、
> ちょっとノロいだけでパワー不足という程ではないと思います。
> それに距離も短いので時間的にも大したロスにもならないで
> しょう。
すみません、分割した後の付属編成だった、ということを忘れて
いました。
> あの場合は、実質的な本務機は、早岐から前になる後ろのDD51
> で、C11はブレーキと信号確認のために前に何かつけていないと
> 困るので、松浦線と佐世保駅構内・早岐駅構内入れ替え用のC11
> を「とってつけた」ということだったわけです。単なる推進運
> 転だと45km/hに最高速度が制限されますしね。要するに早岐で
> の機回り時間の節約のためというのが目的だったわけです。
〔SL北びわこ号〕の回送もSLの推進運転でもできないことはない
のでしょうが、やはり似たような事情でしょうね。
それから、昔、京都-長浜間(だったかな?)で〔長浜楽市号〕
なる列車がC57 1の牽引で運転されたことがありますが、これの練習
運転の時はATS確認用とかで最後尾にEF65が連結されていて、何とも
変な感じでした。
In article <3A911B06...@ma2.justnet.ne.jp> m_sh...@ma2.justnet.ne.jp writes:
> 〔SL北びわこ号〕の回送もSLの推進運転でもできないことはない
>のでしょうが、やはり似たような事情でしょうね。
この場合はテンダが前に来るわけではないので、45km/hの制約も
ありませんから75km/h(C56の制限速度)で走らせることができます
から湖西線のような列車密度が高いところではやむを得なかった
のでしょうね。
> それから、昔、京都-長浜間(だったかな?)で〔長浜楽市号〕
>なる列車がC57 1の牽引で運転されたことがありますが、これの練習
>運転の時はATS確認用とかで最後尾にEF65が連結されていて、何とも
>変な感じでした。
C57 1が後部補機にEF65を従えていると思えば....。
ちょっと苦しいですね。
気になるのは、そのときのEF65のノッチとC57のリバー&レギュレタ
の対応ですよね。それとも、EF65は死重扱いだったとか..。
非常に気になりますよね。
Kouhei Matsuda wrote:
>
> > 〔SL北びわこ号〕の回送もSLの推進運転でもできないことはない
> >のでしょうが、やはり似たような事情でしょうね。
>
> この場合はテンダが前に来るわけではないので、45km/hの制約も
> ありませんから75km/h(C56の制限速度)で走らせることができます
> から湖西線のような列車密度が高いところではやむを得なかった
> のでしょうね。
どうも話が食い違っているような気がしますので、確認して
おきますが、まず、〔SL北びわこ号〕の上りは営業運転も回送
もバック状態です。木ノ本に転車台がありませんから。です
から、どちらにせよ「テンダを前にした」状態で運転されます。
回送では編成の最後尾ですが。
次に〔SL北びわこ号〕の運転区間は湖西線ではありません。
北陸本線の米原-木ノ本間です。
まあ、この区間も割合列車密度がありますから、あまりに
ノロノロ運転では定期列車に支障が出るでしょう。回送だけ
でもすばやく通してしまいたいのかも知れません。
In article <3A988409...@ma2.justnet.ne.jp> m_sh...@ma2.justnet.ne.jp writes:
>> この場合はテンダが前に来るわけではないので、45km/hの制約も
>> ありませんから75km/h(C56の制限速度)で走らせることができます
>> から湖西線のような列車密度が高いところではやむを得なかった
>> のでしょうね。
> どうも話が食い違っているような気がしますので、確認して
> おきますが、まず、〔SL北びわこ号〕の上りは営業運転も回送
> もバック状態です。木ノ本に転車台がありませんから。です
> から、どちらにせよ「テンダを前にした」状態で運転されます。
> 回送では編成の最後尾ですが。
ということは、営業運転の場合は、編成の先頭がテンダになっている
のでしょうか。
うーん、なるほど、これじゃ皆さんが驚くわけですね。
> 次に〔SL北びわこ号〕の運転区間は湖西線ではありません。
> 北陸本線の米原-木ノ本間です。
失礼しました。確認してみたら、上記の通りでした。
Kouhei Matsuda wrote:
>
> > まず、〔SL北びわこ号〕の上りは営業運転も回送もバック状態
> > です。木ノ本に転車台がありませんから。
> ということは、営業運転の場合は、編成の先頭がテンダになっている
> のでしょうか。
はい、そうです。C56ならまだしも、今シーズン(昨日で終了
でしたが)のようにC57では甚だ異様に思えます。また、今後
あるかどうかわかりませんが、C56+C57のバック重連もありました。
# 撮った写真はありますが、Webページを開いていないので御覧に
# 入れることができません。ここに写真付きで投稿するのは顰蹙
# モノですし。
> うーん、なるほど、これじゃ皆さんが驚くわけですね。
驚きますねぇ。セノハチをお尻にテールマークを付けて特急
【かもめ】の尻押しをするD52の写真が時々雑誌などに掲載されて
いますが、あれはまだ「向こうへ行く」のですから納得できます。
しかし、こっちは「こっちへ来る」のですから。
"SHIMADA,makoto" wrote:
>
> > うーん、なるほど、これじゃ皆さんが驚くわけですね。
>
> 驚きますねぇ。セノハチをお尻にテールマークを付けて特急
> 【かもめ】の尻押しをするD52の写真が時々雑誌などに掲載されて
> いますが、あれはまだ「向こうへ行く」のですから納得できます。
> しかし、こっちは「こっちへ来る」のですから。
ちょうど今、発売中の「鉄道ファン」4月号のP105にD52が重連
バック運転で回送されている写真がありますね。
これも初めて目の当たりにしたら、相当ビックリするのではない
でしょうか?