「戦場のピアニスト」をようようレンタルして観ました。かなりいい出
来でした。
従来からピアニストが映画の主人公になることは珍しくなかったけど、
ご承知の通り、「ピアニスト映画」はここ十年ほどピアノ演奏そのもの
の迫力を映画演出の要素に取り入れるようになってきていました。
そうした動きのひとつの頂点に立つのがこの「戦場のピアニスト」だと
いう印象です。
特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、映画史に
残る名シーンと言うほかなしです。そのシーンで演奏される"ショパン
のバラード第一番"のすばらしさに絶句。アシュケナージを思わせる繊
細な全体描写とホロビッツの力強いタッチが同居する極めて華やかでド
ラマティックな演奏。かつて演奏された優れたバラード一番の列に列す
るのは間違いなしと思いました。
淡々としていながら、身近な生活から非常にリアルな残酷さに変質して
いく"ユダヤ人迫害"の状況描写もおぞましく、ナチスドイツの大量殺戮
を描いた歴史作品としてもポリャンスキーは後世に名を残す仕事をした、
と評しても大げさではないでしょう。ただ、後出しジャンケンのように、
DVDレンタル等で皆より遅れて観る者はこうしたロードショー時の評判
にネガティヴな印象をどうしても持ってしまいがちです。この点、わた
しも例外ではありませんでした。
あるいはナチスによるユダヤ人迫害の実態を世間の人があまりに知らさ
れていなかったという、その事実そのものがそうした評判を呼ぶ原因だっ
たのかもしれません。が、そうだとしたら、人々が目を背けている暗い
歴史をシュールで美しいドラマに織り込んで、「教科書的に教えられて
きた話の実相はこうなのだ」と、人々に伝えることにも成功しているこ
とになります。これは「共同体の中の語り部」としての映画の役割をも
見事に果たしていることになりましょう。
ともあれ、ロマン・ポリャンスキー、この作品で本当に映画史に名を残
すとみました。また、CG全盛の映画シーンでCGの対局にあるこの動きは、
ポストCG時代の本流となる感触を秘めているのではないでしょうか。
--
Kiwi / 川島 貴 <ki...@do-z.net>
http://www.cinemasaloon.com/
# エイドリアン・ブロディを思い出すと、どうしても宮藤官九郎を思い
# 出してしまう。
At Sun, 30 Nov 2003 15:11:08 +0900,
Kiwi wrote:
> ご承知の通り、「ピアニスト映画」はここ十年ほどピアノ演奏そのもの
> の迫力を映画演出の要素に取り入れるようになってきていました。
>
> そうした動きのひとつの頂点に立つのがこの「戦場のピアニスト」だと
> いう印象です。
エイドリアン・ブロディ演じるシュピルマンが演奏するのは、ショパンの
ノクターン等であって、そこにあるのは迫力かと考えると、それはどうだ
ろうかと疑問符が付きます。迫力というならば「シャイン」の方が強烈に
思えます。曲目もラフマニノフだし。
迫力というよりも、その演奏の高潔さというか、他の邪魔な物を一切拒絶
するかのような凄味が優れていると僕は感じていました。比較するべきは
「ピアノ・レッスン」あたりなのかなと。
> 淡々としていながら、身近な生活から非常にリアルな残酷さに変質して
> いく"ユダヤ人迫害"の状況描写もおぞましく、ナチスドイツの大量殺戮
> を描いた歴史作品としてもポリャンスキーは後世に名を残す仕事をした、
> と評しても大げさではないでしょう。
殺戮の残酷さに関して言えば、スピルバーグの作品群に勝るものではない
し、かといって残酷さの競争なんかをするのは論外で。
僕はこの作品の残酷さは、死を描かないところにあると思います。僕達に
とっての戦争のリアリティっていうのは、飛び交う銃弾の中で手足がもげ
たり、残酷な方法で虐殺する(される)事ではなくて、自分にとって最も
大切な人々が次々と「いなくなる」事ではないでしょうか。
この作品では、前半に出てくる家族や、中盤に出てくるシュピルマンを助
けてくれた人々が、後半において何の説明もなく「死んで」しまいます。
庵野秀明は「トップをねらえ !」や「不思議の海のナディア」「新世紀エ
ヴァンゲリオン」などで「死ぬシーンを見せない事による衝撃の倍増」と
いう効果を用いていますが、そういう演出上の(感動を倍増させるための)
テクニックではなく、観客が気付かない限り、死にっぱなしというほどに
突き放された残酷さがそこにある。
戦争のリアリティに関してもう一つ述べると(戦争の、というより敗戦の、
ですが)祖国の徹底的な荒廃、というか破壊による絶望というものが挙げ
られるんじゃないかと思います。後半に出てきた見渡す限りの瓦礫と化し
た街並みというのは、僕にとっては相当に衝撃でした。
さらにもう一つ、リアリティの素晴らしさとして述べたいのは、主人公が
「逃げるだけ」という点です。僕らは戦地で部隊を率いる負けなしの軍曹
でもなければ、大富豪でお金を湯水のように使って人々を助ける英雄でも
ない訳で、戦争状態という極限状態における僕達のリアリティというのは、
純粋に「ただ逃げ回る事しか出来ない事」なんじゃないかな、と。
> ともあれ、ロマン・ポリャンスキー、この作品で本当に映画史に名を残
> すとみました。また、CG全盛の映画シーンでCGの対局にあるこの動きは、
> ポストCG時代の本流となる感触を秘めているのではないでしょうか。
CGは使われてはいるけれどもその使い方が実に適切なんですよね。日本の
感覚に近いかもしれません。CGとは分からないようにそっと使う、という
感じで。まあこのごろの日本の映画でも、あからさまな使い方をしている
作品が多くありますけどね。
--
柏崎 礼生 (Hiroki Kashiwazaki)@HUIIC
Ph.D candidate in the Division of Electronics & Information
Engineering, Hokkaido University
mailto:r...@cc.hokudai.ac.jp
Tel:+81-11-706-2998
Hiroki Kashiwazaki <r...@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
|エイドリアン・ブロディ演じるシュピルマンが演奏するのは、ショパンの
|ノクターン等であって、そこにあるのは迫力かと考えると、それはどうだ
|ろうかと疑問符が付きます。迫力というならば「シャイン」の方が強烈に
|思えます。曲目もラフマニノフだし。
もちろんシャインも好きです。ヘルフゴッド氏自身の演奏ですからね。
だけどここで褒めている理由は「ショパンのバラードの一番」の演奏に
ついてであって、演奏曲そのものがラフマニノフと比べてどちらがダイ
ナミックかどうかではないですけど?(笑)
↓
|そのシーンで演奏される"ショパン
|のバラード第一番"のすばらしさに絶句。アシュケナージを思わせる繊
|細な全体描写とホロビッツの力強いタッチが同居する極めて華やかでド
|ラマティックな演奏。かつて演奏された優れたバラード一番の列に列す
|るのは間違いなしと思いました。
確かにヘルフゴッドの演奏はジミヘンを彷彿とさせるアシッドなテイス
トがあり、かつ感動的で超人的な早弾きだとも思うが、クライマックス
のシーンで演奏されたショパンのバラード一番にはそれ自身の様々な
「演奏の歴史」があり、その一つの極北がアシュケナヘージ、他方のダ
イナミックな極がホロビッツだと言うことには問題ないですよね?
当然、その両極を兼ね備えた華やかさと重みがあるという評価が間違っ
ているとは思えないですけど?
この映画は上映されていたときに見ました. その週末どうもショパンが
聴きたくなったものですから.
In article <200311301504...@do-z.net>
Kiwi <Ki...@do-z.net> writes:
> 特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
> 像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
> よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、映画史に
> 残る名シーンと言うほかなしです。そのシーンで演奏される"ショパン
> のバラード第一番"のすばらしさに絶句。アシュケナージを思わせる繊
> 細な全体描写とホロビッツの力強いタッチが同居する極めて華やかでド
> ラマティックな演奏。かつて演奏された優れたバラード一番の列に列す
> るのは間違いなしと思いました。
映画の最後のアンダンテ・スピアナート抜きの華麗なる大ポロネーズの
ように, これもノーカットで演奏して欲しかった. ま, そうすると音楽
映画になってしまうでしょうが.
実はこれはこの映画最大のフィクションですね. 原作にちゃんと書いて
あるように, 実際に演奏されたのはノクターン嬰ハ短調だった訳です.
大体, いくらイメージ・トレイニング的なものは出来ていたにせよ, 二
年半の間全く練習も出来ず, 爪の手入れさえなされていない状態で, そ
ういう選曲になる筈がない.
# もっとも, 原作でのノクターン嬰ハ短調の持つ意味からするとそれで
# あることが必然となり過ぎる, ということから, 原作もこの点でフィ
# クションを含んでいると議論することも可能かも知れませんが, 私は
# その真実性を信じます.
> 淡々としていながら、身近な生活から非常にリアルな残酷さに変質して
> いく"ユダヤ人迫害"の状況描写もおぞましく、ナチスドイツの大量殺戮
> を描いた歴史作品としてもポリャンスキーは後世に名を残す仕事をした、
> と評しても大げさではないでしょう。
例えば「平家物語」が歴史作品であるというのと同じ意味においては,
同感です.
--
塚本千秋@応用数学.高分子学科.繊維学部.京都工芸繊維大学
Tsukamoto, C. : chi...@ipc.kit.ac.jp
Hiroki Kashiwazaki <r...@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
|> ともあれ、ロマン・ポリャンスキー、この作品で本当に映画史に名を残
|> すとみました。また、CG全盛の映画シーンでCGの対局にあるこの動きは、
|> ポストCG時代の本流となる感触を秘めているのではないでしょうか。
|
|CGは使われてはいるけれどもその使い方が実に適切なんですよね。日本の
|感覚に近いかもしれません。CGとは分からないようにそっと使う、という
|感じで。まあこのごろの日本の映画でも、あからさまな使い方をしている
|作品が多くありますけどね。
確かに今やCGを使っていない映画なんてないでしょうからおっしゃる通
りでしょう。が、ここで言っていることは部分的にCGが使われているか
どうかもあまり関係なくて、「CGの対局にあるこの動き」がおもしろい
ぞと言うことです。書き方わかりにくくてスマンです。
↓
|ご承知の通り、「ピアニスト映画」はここ十年ほどピアノ演奏そのもの
|の迫力を映画演出の要素に取り入れるようになってきていました。
|
|そうした動きのひとつの頂点に立つのがこの「戦場のピアニスト」だと
|いう印象です。
|
|特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
|像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
|よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、
先駆的にはミロシュ・フォアマンの「アマデウス」に始まり、「シャイ
ン」「海の上のピアニスト」などを経て「戦場のピアニスト」に至る経
過の中で、演奏の「吹き替え」どころか演奏しているシーンがデタラメ
でも一向に関知しなかったような昔のピアニスト映画(ex.「ピアニスト
を撃て」「ラスト・コンサート」等々)と違って、間に合わせではない
本物の演奏家の演奏を、役者も本当に演奏しているかのように見せるよ
うトレーニングを積んで撮影に臨む、という撮影ポリシーのようなもの
のことを言っています。
この文脈だと「ピアノレッスン」は「演奏がデタラメでも関知しな
かった昔のピアニスト映画」に分類されると思います。
邦画でも、「ミスター・ルーキー」で、井坂聡監督が、「野球シーンは
本物のプロのプレイで」というポリシーで臨んで映像的に成功しました
が、そのピアニスト版、音楽家版が静かに進行して行っている、という
のがいいたいこと。このぐらいの補足説明でご勘弁を。
chi...@ipc.kit.ac.jp (Tsukamoto Chiaki) wrote:
|この映画は上映されていたときに見ました. その週末どうもショパンが
|聴きたくなったものですから.
これは良い劇場の音響設備で聴きたかったですね、わたしも。
|In article <200311301504...@do-z.net>
|Kiwi <Ki...@do-z.net> writes:
|> 特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
|> 像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
|> よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、映画史に
|> 残る名シーンと言うほかなしです。そのシーンで演奏される"ショパン
|> のバラード第一番"のすばらしさに絶句。アシュケナージを思わせる繊
|> 細な全体描写とホロビッツの力強いタッチが同居する極めて華やかでド
|> ラマティックな演奏。かつて演奏された優れたバラード一番の列に列す
|> るのは間違いなしと思いました。
|
|映画の最後のアンダンテ・スピアナート抜きの華麗なる大ポロネーズの
|ように, これもノーカットで演奏して欲しかった. ま, そうすると音楽
|映画になってしまうでしょうが.
同感ですね。カットが残念で仕方ないです。
別稿でもふれましたが、おそらくこの映画の持ち味のひとつは、緻密な
ドラマの構成内部に、本格的演奏を差し挟むことで実現している、そう
いうポリシーを持っていたと思いますので、その意味では「音楽映画」
になっても構わないと思うのですが、曲を初めて聴く観客にとってはそ
れはやはりツライでしょうから、その点でカットされてしまったのでは
ないかと思いました。
けど、全曲やっても10分もないのですから、全部続けて欲しかったなあ。
将来的にディレクターズカット版とかがでて、全曲演奏に変わってくれ
れば嬉しいです。
|実はこれはこの映画最大のフィクションですね. 原作にちゃんと書いて
|あるように, 実際に演奏されたのはノクターン嬰ハ短調だった訳です.
そうでしたか。なるほどなるほど。
|大体, いくらイメージ・トレイニング的なものは出来ていたにせよ, 二
|年半の間全く練習も出来ず, 爪の手入れさえなされていない状態で, そ
|ういう選曲になる筈がない.
そうそう、引っかかりました、わたしも。(笑)
|# もっとも, 原作でのノクターン嬰ハ短調の持つ意味からするとそれで
|# あることが必然となり過ぎる, ということから, 原作もこの点でフィ
|# クションを含んでいると議論することも可能かも知れませんが, 私は
|# その真実性を信じます.
原作はそれで良いと思いますが、映画ではバラードの一番がもの凄く合っ
てましたよね。あそこのシーンでまさかバラード一番がくるとは想像だ
に出来なかったけど、見事にシュールな感じに仕上がっていたので、二
度びっくりでした。
解釈として成り立つんだからいちいち反論しなくても良いじゃないかと
も思ったのですが、この手のテーマを語るのにあまりに無防備な感じが
したのでいらぬ老婆心から。
Hiroki Kashiwazaki <r...@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
|僕はこの作品の残酷さは、死を描かないところにあると思います。僕達に
|とっての戦争のリアリティっていうのは、飛び交う銃弾の中で手足がもげ
|たり、残酷な方法で虐殺する(される)事ではなくて、自分にとって最も
|大切な人々が次々と「いなくなる」事ではないでしょうか。
|
|この作品では、前半に出てくる家族や、中盤に出てくるシュピルマンを助
|けてくれた人々が、後半において何の説明もなく「死んで」しまいます。
・・・・・ちょきちょき・・・・・
|観客が気付かない限り、死にっぱなしというほどに
|突き放された残酷さがそこにある。
ロマン・ポリャンスキーが「死を描かなかった」部分があるとすれば、
それは自分と自分の祖国のひとつが被ったmassacreの中で心情的に描け
ない部分が彼にあったからだ、と言う方が私にはしっくり来ます。
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=1544
ドキュメンタリー映画『ショアー』の中で、虐殺に荷担させられ、知人
女性を見殺しにしたユダヤ人理髪師が絶句してしまった様子に、この映
画に取り組むロマン・ポリャンスキーの姿が重なって見えます。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/shoah.html
|戦争のリアリティに関してもう一つ述べると(戦争の、というより敗戦の、
|ですが)祖国の徹底的な荒廃、というか破壊による絶望というものが挙げ
|られるんじゃないかと思います。
描かれていたのは戦争のリアリティではなく、あくまでもユダヤ人虐殺
のリアリティです。ここを取り違えるのはちと具合が良くないと思いま
すが、ただ。。。
|さらにもう一つ、リアリティの素晴らしさとして述べたいのは、主人公が
|「逃げるだけ」という点です。
あくまで「ユダヤ人虐殺の」リアリティとしてみる限りでは、このご指
摘は当たっている面があると思います。
# どうして記事を分割するのか全く分かりませんが…
At Sun, 30 Nov 2003 18:17:24 +0900,
Kiwi wrote:
> 何を誤読されているのか知りませんけど。
いや、誤読はしてないと思いますが。
> 当然、その両極を兼ね備えた華やかさと重みがあるという評価が間違っ
> ているとは思えないですけど?
で、誰かがその評価を間違っていると指摘したんでしょうか ?
At Sun, 30 Nov 2003 18:36:01 +0900,
Kiwi wrote:
> 先駆的にはミロシュ・フォアマンの「アマデウス」に始まり、「シャイ
> ン」「海の上のピアニスト」などを経て「戦場のピアニスト」に至る経
> 過の中で、演奏の「吹き替え」どころか演奏しているシーンがデタラメ
> でも一向に関知しなかったような昔のピアニスト映画(ex.「ピアニスト
> を撃て」「ラスト・コンサート」等々)と違って、
僕は「アマデウス」や「シャイン」も結構出鱈目だと思うんですが…。
> 間に合わせではない本物の演奏家の演奏を、役者も本当に演奏している
> かのように見せるようトレーニングを積んで撮影に臨む、という撮影ポ
> リシーのようなもののことを言っています。
ショパンのノクターンは比較的弾きやすい曲目だし、みっちりトレー
ニングしたら、その程度になる事は容易いでしょう。実際、僕もこの
映画を観賞後、楽譜を購入して練習し始めましたが、週に一度の練習
で、二週間後には弾けるようになりました。密度を高めれば一週目で
弾けたと思う。
そういうリアリティなら、僕は「無伴奏シャコンヌ」に勝る物はない
と思っています。演奏はギドン・クレーメルですが、演ずるはリシャ
ール・ベリ。
> この文脈だと「ピアノレッスン」は「演奏がデタラメでも関知しな
> かった昔のピアニスト映画」に分類されると思います。
そういう風に読めます ?
At Mon, 01 Dec 2003 02:06:00 +0900,
Kiwi wrote:
> 描かれていたのは戦争のリアリティではなく、あくまでもユダヤ人虐殺
> のリアリティです。
そうなんですか ? 僕はこの映画はホロコーストのリアリティであるとは
全く思っていません。
ちなみにこの映画がユダヤ人虐殺のリアリティであるという事実は、どこ
かに存在するんでしょうか。
Hiroki Kashiwazaki <r...@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
|ショパンのノクターンは比較的弾きやすい曲目だし、
ショパンのノクターンって、君ね、
Kiwi <Ki...@do-z.net> wrote:
|特に、ポリャンスキー監督生涯のモチーフであるシュールレアリスム映
|像を、詳細かつリアルに描き出した歴史ドラマの中に違和感なく納める
|よう演出された「戦場でのピアノ演奏シーン」の出来は秀逸、
↑
まさかと思うけど、上記「戦場でのピアノ演奏シーン」で演奏された曲
を「ショパンのノクターン」だと勘違いしてる、なんてことないですよ
ね? 違ってたら申し訳ないが、レンタルしてきて確認してみたら?
# でも勘違いしてないなら、人の話に耳を傾ける訓練が必要ね。
# 書いてる本人が誤読だと言っているのに無反省?
# 学生としても失格だよ、それじゃあ。
# 研究者の卵としてならそんな批判をしてたら致命傷だと思うが。
<un0adq...@XH1.cc.hokudai.ac.jp>
Hiroki Kashiwazaki <r...@cc.hokudai.ac.jp> wrote:
|そうなんですか ? 僕はこの映画はホロコーストのリアリティであるとは
|全く思っていません。
|
|ちなみにこの映画がユダヤ人虐殺のリアリティであるという事実は、どこ
|かに存在するんでしょうか。
どうやら君はリアリティを語るにはかなりマイレージが足りないみたい
だね。人の善意も素直に受けられないのであれば救いようがなく、勝手
に恥かいておいてもらうしかないです。どうぞご自由に。
At Mon, 01 Dec 2003 14:31:03 +0900,
Kiwi wrote:
> ショパンのノクターンって、君ね、
あー、すみません。これは全くの間違いです。ただ、冒頭のノクターンに
限らず、廃虚でのバラードにしても同様です。
> # でも勘違いしてないなら、人の話に耳を傾ける訓練が必要ね。
> # 書いてる本人が誤読だと言っているのに無反省?
というか川島さんは、僕が川島さんが述べている事にいちゃもんつけて
いると思っていませんか ?
僕は全然いちゃもんつけているつもりはないんですが…。
At Mon, 01 Dec 2003 14:31:24 +0900,
Kiwi wrote:
> |そうなんですか ? 僕はこの映画はホロコーストのリアリティであるとは
> |全く思っていません。
> どうやら君はリアリティを語るにはかなりマイレージが足りないみたい
> だね。
多分川島さんは、僕が「この映画はホロコーストのリアリティであるとは
思っていない」という事を「この映画ではホロコーストのりアリティを描
き切れていない」と述べていると解釈してるんじゃないでしょうか ?
そういう意味ではなく「戦場のピアニスト」が描いているのは、主題は、
ホロコーストそのものなんですか ? という問いなんですが…。
# まあ、いきなり人格や職業についての指摘をしだす人ほどhogehogeという
# 話は、fj.soc.politics や fj.soc.economics, fj.miscあたりで腐るほど
# 行なわれている議論ではありますが…。