春分、秋分、冬至、夏至等、1年の始まりには、もっと適した日が、
有るように思うのですが、なぜあの日(1月1日を他の言葉で言い表せない。)
が、1年の始まりなんでしょうか?
>はじめまして飯田と申します。
>前から不思議に思っていたんですが、
>お正月(1月1日)って何の日?
>何でしょうか?
キリスト教圏的には「キリストが割礼した日」です。
12/25 ~ 1/1 はキリスト教的には一連のお祭りということです。
>春分、秋分、冬至、夏至等、1年の始まりには、もっと適した日が、
>有るように思うのですが、なぜあの日(1月1日を他の言葉で言い表せない。)
>が、1年の始まりなんでしょうか?
疑問はごもっとも。実際、古代の年始は、「春分(現在の暦で 3/21)に近い新月の日」
といったように、なにかしら太陽と月の調整でつくってあることが多いです。
# 「月」は太陰暦の概念で、月の初日=新月の日です
バビロニアは春分が基準でした。中国では古代は冬至(12/22)基準で、
後漢以降は、立春(2/4)が基準です。日本も中国にならって立春が基準でした。
東アジア全域で祝われる「旧正月」がこれになります。
ローマでは、バビロニアと同様に「春分の日に適当に近い新月」が新年でした。
当初のローマ暦では、年始は Martius (英語:March) です。
この暦、なんと月が10しかありません。
# December というのは「10番目の月」という意味です
これはさすがに太陽からずれすぎて困るので、結局、
10番目のあとに「Januarius」と「Februarius」を足しました。
その後、ローマ政府的には、Januarius (英語:January)の初日が新年と
いうことになりました。理由はヤヌスの神が偉大だからとかそんなところ
だそうです(苦笑)
# 民間的にはもともとの新年の祭り(春分祭)はその後も残って、
# 現在のイースター(春分後の最初の満月の次の日曜日)ベースになってます
紀元前45年、ローマは、ユリウスが太陽暦を制定したのですが、この時に
Januarius を新年として引き継ぎました。うるう処理の場所も動かさずに
残したので、太陽暦のうるう調整は今でも2月に入ってます。
ちょっとこの時点での太陽の運行と「新年」との正確なずれの関係が
どうなっていたのかちょっと資料がみつからなかったのですが、
現在のものとはずれていました。
# 単純に考えて、立春(3/21)の二ヶ月前は 1/21になる
現在の 1/1 が今の日になったのはまた別方面からの理由があります。
ローマは太陽神信仰が昔から盛んで、もともと冬至も盛大に祝う習慣が
ありました。ユリウスが暦を制定したころには「ミトラ教」という宗教が
さかんで、ミトラ神が死ぬ日(= 冬至(12/21,22ごろ))から、
その3日後(12/24,25)に復活するという一連の日を祝っていました。
それが、その後5世紀までの間のキリスト教の普及にともなって、
太陽が復活する日→キリストの誕生日という宗教上のすりかえがおこります。
これ、よーするに現在のクリスマスです。
ユダヤ教では生まれた8日目に割礼を行うことになっていて、そうすると、
キリストが割礼して名前をうけたのは 12/25 から数えて8日目、
つまり、現在の 1/1 ということになります。
結局、東ローマ帝国の時代(6世紀中ごろ)に、この日が 1/1 ということになって、
ユリウス歴の日付を調整しなおしたようです。
ユリウス歴はその後もずっとつかわれていたのですが、16世紀までに10日ほど
実際の太陽とはずれてしまったため、太陽暦の計算方法を変更して、蓄積されて
いたずれを補正して太陽とあわせなおして、これが現在世界中で使われている
西暦 = ゲレゴリオ歴になっています。
まとめ:
January を新年最初の月ということにしたのは当時のローマ政府。
確定したのはユリウス
理由: ヤヌスの神は偉いから
January 1st が現在の日に定まったのは6世紀
理由: 「キリスト割礼日」になるように調整した
(クリスマス(もとは太陽復活祭(冬至の3日後))から数えて 8日目)
--
渡邊剛 (Watanabe,Go) g...@dsl.gr.jp / g...@denpa.org
>From:Go Watanabe
>Date:2003/03/08 17:15:49 JST
>Message-ID:<b4c8rl$e25$1...@wam-soft.com>
>
>中国では古代は冬至(12/22)基準で、
岡田芳朗「アジアの暦」大修館書店p19によると
「中国では王朝ごとに年首新年を定める習慣があった」そうで
それからすると古代の「冬至基準」というのは
必ずしも確定的ではないかもしれません。
……もっとも同書もp21などで漢以前の例としては秦をあげるだけなんで
自信のないところなのかもしれませんが。
太陽の運行と月の運行とを調整する「閏月」の置き方として採用された
1章=19年(その間に7回閏月を置く)のスタートが
冬至なのはそのとおりだと思います。
#ちなみに旧暦(太陽太陰暦)と新暦(太陽暦)では月の中の日の数が違うし
計算方法も違うんで
渡邊さんの「冬至・立春・春分」について「ころ」がついていない日も
「ころ」をつけて読まないとかえって混乱しますよ。
>ちょっとこの時点での太陽の運行と「新年」との正確なずれの関係が
>どうなっていたのかちょっと資料がみつからなかったのですが、
>現在のものとはずれていました。
西暦325年のニケア宗教会議によって
「復活祭は
・春分の日の後に来る
・最初の満月の
・次の日曜日
とする」
と定められた際の春分の日は3月21日というのを前提にしており
1582年のグレゴリオ13世による改暦の際に
春分の日が3月11日前後になっていたことから換算すると
単純計算で1年につき0.007955日のずれなわけですが
ユリウス暦が原理的に1年=365.25日(1900年における1日基準)
春分から春分までの1年=365.2422日(同)
の差である0.0078日とおおむね一致することを考えると
ユリウス暦制定時における春分は
0.0078×370=約3日のずれであることから
3月24日あたりと想定してもよろしいかと思います。
そこから91.3日逆算すると
ユリウス暦制定時における冬至は12月23日前後になるかと……。
にもかかわらず冬至を1月1日としていないので
太陽の運行(におけるなんらかのイベント)と1月1日は
はなから対応させることを考えていないのが
ユリウス暦であると私は考えています。
(ちなみに1950年からの50年で見ると
おおむね春分が3月21日なのに対し
冬至は12月22日です。
そうすると3日ずらせば3月24日と12月25日にはなります。
でユリウス暦の際施行の際に3月25日を春分にしようとしたとするのが
http://member.nifty.ne.jp/such/shumi/calendar1.html )
>結局、東ローマ帝国の時代(6世紀中ごろ)に、この日が 1/1 ということになって、
>ユリウス歴の日付を調整しなおしたようです。
これについては確認できていません。
前記ニケア宗教会議の325年とグレゴリオ改暦の1582年の間に
こういう調整があったのだとすると
多くの本があげている「10日のずれ」が発生しない
(=もっと大きくなるか小さくなるはず)ので。
(もっとも12月23日前後や3月11日ころというように
前後やころに1日くらいの誤差を許容しますと
1日くらいの調整があっても計算上は矛盾はないのですが……。)
「(当時のなんとかX年を)キリストが生まれた年をキリスト紀元1年として
計算しなおして何年とする」
こと自体は525年にディオニシウス・エクシグウスが提唱し
17世紀になってから広まったという記述があります。
http://www.vario.info/p2k/millenniumkenkyu/millenniumc14.htm
そうすると
「お正月(1月1日)って何の日?」って質問に対する答を考える際は
「1月1日が年のはじめであり基準である」
という固定観念を
「お正月が1月である」
という固定観念と共に捨て去らないと
ちょっと難しい話になるのかなあ……と思っています。
「ある日から逆算すると1月1日になる」という考え方ではないか……と。
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Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
c...@ams.odn.ne.jp 佐々木将人
(This address is for NetNews.)
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ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくね(はあと)」
まさと「えと、はい、よろしく。」ルフィミア「それ、普通の反応ですよ。」
> ローマでは、バビロニアと同様に「春分の日に適当に近い新月」が新年でした。
> 当初のローマ暦では、年始は Martius (英語:March) です。
> この暦、なんと月が10しかありません。
> # December というのは「10番目の月」という意味です
>
> これはさすがに太陽からずれすぎて困るので、結局、
> 10番目のあとに「Januarius」と「Februarius」を足しました。
古代ローマのロムルス暦では、1年は春分の頃のマルティウスの月に始まり
冬至の頃のデケンベルの月に終わる10か月間。31日の月×4回+30日の月×
6回で1年304日。残りの60余日間は、1年の日数に含めない冬眠の期間という
ことだったようですけど。
第2代のヌマ王の時代(B.C.716~674)に、第11月ヤヌアリウスと第12月フェ
ブルアリウスが追加され、31日の月×4回+29日の月×7回+第12月は28日で
1年355日。
> January を新年最初の月ということにしたのは当時のローマ政府。
> 確定したのはユリウス
>
> 理由: ヤヌスの神は偉いから
ヤヌアリウスの月が政治上の年初(執政官の任期の開始月)と定められたのは
B.C.135年。その理由が「ヤヌスの神は偉いから」ということなのでしょうか?
B.C.45年のユリウス改暦までは、民間常用暦はマルチウスが年初、政治上は
ヤヌアリウスが年初という2本立てだったようです。
なかなか言い質問ですね。
ずばりお答えしましょう。
1月1日は何の日? 答:「年の日」です。
英語で、New Year's day, フランス語ではもっときちんと
定義されています。 le jour de l'an 「その年の日」ですね。
「夏至の日」、「バレンタインの日」、「春分の日」、などと
いうのと何ひとつ変わりません。
例えば2003年という年、その年の記念日が1月1日です。
その(新しい)年を代表する記念日をその年の最初の日に
もってくるのは自然な発想です。
"Iida Tomoki" <ii...@mail.wbs.ne.jp> wrote in message
news:3E691270...@mail.wbs.ne.jp...
<20030308...@ams.odn.ne.jp>の記事において
c...@ams.odn.ne.jpさんは書きました。
>佐々木将人@函館 です。
>
>#ちなみに旧暦(太陽太陰暦)と新暦(太陽暦)では月の中の日の数が違うし
> 計算方法も違うんで
> 渡邊さんの「冬至・立春・春分」について「ころ」がついていない日も
> 「ころ」をつけて読まないとかえって混乱しますよ。
ですね。
>>ちょっとこの時点での太陽の運行と「新年」との正確なずれの関係が
>>どうなっていたのかちょっと資料がみつからなかったのですが、
>>現在のものとはずれていました。
>
>にもかかわらず冬至を1月1日としていないので
>太陽の運行(におけるなんらかのイベント)と1月1日は
>はなから対応させることを考えていないのが
>ユリウス暦であると私は考えています。
なるほど。
>>結局、東ローマ帝国の時代(6世紀中ごろ)に、この日が 1/1 ということになって、
>>ユリウス歴の日付を調整しなおしたようです。
>これについては確認できていません。
>前記ニケア宗教会議の325年とグレゴリオ改暦の1582年の間に
>こういう調整があったのだとすると
>多くの本があげている「10日のずれ」が発生しない
>(=もっと大きくなるか小さくなるはず)ので。
(略)
そうなると、ずらしたのではなく、そう解釈できることに気付いた人がいて、
そういうことにした、というほうが正しそうですね(汗)
>「(当時のなんとかX年を)キリストが生まれた年をキリスト紀元1年として
> 計算しなおして何年とする」
>こと自体は525年にディオニシウス・エクシグウスが提唱し
>17世紀になってから広まったという記述があります。
> http://www.vario.info/p2k/millenniumkenkyu/millenniumc14.htm
私はこれについてのちょっと別の記述をよんで「ああ、それにあわせたのか」と
解釈してそうおもいこんでいたのでした。
>そうすると
>「お正月(1月1日)って何の日?」って質問に対する答を考える際は
>「1月1日が年のはじめであり基準である」
>という固定観念を
>「お正月が1月である」
>という固定観念と共に捨て去らないと
>ちょっと難しい話になるのかなあ……と思っています。
>「ある日から逆算すると1月1日になる」という考え方ではないか……と。
・いろいろ暦を直してるうちに、そこになってしまった
・あとから意味付けしてみた (宗教的意味)
といったところが妥当そうですね>西暦での 1/1
# 結局はお祭りさえできればどこでもいいのかもしれない > 新年
# で、暦を変更するたびに、お祭りできるポイントが増える、と(笑)
日本は(地域にもよると思いますが)、中国とかと違ってあまり「旧正月」を
祝わないんですよね。新しい暦にさっくり意識的にも切り替えちゃったって
ことですかねぇ。
Iida Tomokiさんの<3E691270...@mail.wbs.ne.jp>から
>お正月(1月1日)って何の日?
>何でしょうか?
>春分、秋分、冬至、夏至等、1年の始まりには、もっと適した日が、
>有るように思うのですが、なぜあの日(1月1日を他の言葉で言い表せない。)
正月は、1月1日のことをではなく1月全体もしくは、三が日あるいは
松の内をのことです。
一月一日は「元日」といいます。
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/jp-more_print.cgi?MT=%C0%B5%B7%EE&ID=a4b7/09752000.txt&sw=2
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/jp-more_print.cgi?MT=%B8%B5%C6%FC&ID=a4ab/04342200.txt&sw=2
#ちなみに元日の朝のことを元旦といいます。
http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%B8%B5%C3%B6&sw=2
--
Hideki WAtadani mailto:no-...@yabumi.com
>From:Go Watanabe
>Date:2003/03/10 11:26:02 JST
>Message-ID:<b4gt3q$u1r$1...@wam-soft.com>
>
>適当な私のフォローに補足すみませんです(^^;
いえいえ、
西洋(特にキリスト教)方面は私も苦手でして……。
勉強になりました。
私自身はどっちかというと
「暦の計算」という攻め方の方が得意なのでした。
>そうなると、ずらしたのではなく、そう解釈できることに気付いた人がいて、
>そういうことにした、というほうが正しそうですね(汗)
6世紀のそれについては
むしろそう解釈することにしたって線ではないかと
私は思っています。
>・いろいろ暦を直してるうちに、そこになってしまった
>・あとから意味付けしてみた (宗教的意味)
>
>といったところが妥当そうですね>西暦での 1/1
私はそうではないかと思います。
それこそ渡邊さんが「春分が区切り」という指摘をされているとおり
「春分が基準」という発想があるように思います。
で、春分から逆算して……と。
そうすると冬至とキリストの誕生とが結構近いんで……とか
それの何日後がなんとかってイベントで……とか
結構意味付けもしやすいし……。
(実際ユリウス暦施行時の春分が3月24日前後と計算できるのに対し
325年のニケア宗教会議の時の春分は3月21日だ……と。
で、ニケア宗教会議の決定の意義は
3月24日前後と考えられていた春分を3月21日と再定義したことにある
とする記述もあるようです。
そしてグレゴリオ改暦の時に日付をとばしてまでも
再定義にいかずに春分=3月21日を固守したのは
既に冬至や新年に別個の意味付けがなされていたため
今更春分=3月11日とするわけにはいかなかったと考えれば
……なかなか興味深い話になります。)
># 結局はお祭りさえできればどこでもいいのかもしれない > 新年
># で、暦を変更するたびに、お祭りできるポイントが増える、と(笑)
実際そういう要素はありますよね。
妙な話だけどなんらかの自然現象であるイベントと結びつく祭りであれば
それをずらす訳にはいかないんだけど
(で、太陽暦というのはそういう自然現象の周期性に重きをおく暦だよね。)
ひとたびそのイベントと切り離されれば
それ自体で祝っちゃうことができるし……。
例えば3月3日がひなまつりってえのは
「3」という奇数が重なっているところに意味があるんで
1年前の同じ時期に同じ自然現象のイベントがあるかどうかは
全く意味をなさない……と。
1月1日自体に自然現象との結びつきがないにしても
いったん1月1日が決まれば
それは「第1日」というだけでめでたいと……。
>日本は(地域にもよると思いますが)、中国とかと違ってあまり「旧正月」を
>祝わないんですよね。
これなかなか微妙だと思いますよ。
たとえば新暦と旧暦は常に1か月ずれている訳ではないのに
8月7日にやる七夕を「旧暦の七夕」と称しているところは
結構あるように思います。
それと同様に新暦と旧暦は常に半月ずれている訳ではないのに
1月15日前後を「旧正月」として盛大にやるところは
結構あるようですよ。
また全国的に8月15日前後を「お盆」と呼んでいますが
函館ではこれを「旧盆」と呼んでいて
それに対し7月20日前後を「新盆」と呼んで
お盆の行事をこっちにやる例があります。
……ってえか古くからの函館の住民はむしろ新盆なのだ。
で、話を元に戻すと
中国の旧正月は
これは太陽太陰暦(おそらく時憲暦だと思いますが)による計算で
きっちり求めているんですが、
日本の場合はそこを簡略化して「新暦から何日(月)ずらすのが旧暦」
という大ざっぱなことでやっている例が多いために
中国の旧正月に日本が何かやるかというと確かにやっちゃいないけど
それが「新暦に移行した」とみるには
これまた微妙なものが残るのではないか……と。
ただ「正確な旧暦の計算にこだわらない」という意味においては
渡邊さんの指摘のとおりだと思います。
(旧暦に閏月があることを知っている人はそういないと思いますし
いわゆる六曜が旧暦基準の規則的な配置にすぎないことを知っている人は
そういないでしょう。)
新盆は本来15日前後にやるものなんだそうですが、やっぱり子供の
夏休みとかが理由で全国的に20日にずれちゃってるんでしょうね。
そうか、北海道は新盆なのか。伝統的には東京近辺も新盆らしいけ
ど、実際は家によってバラバラな感じがします。
# うちは出が関西なので 8/15がお盆です。
--
中本徹也 (NAKAMOTO Tetsuya) @ HACHIOUJI City, TOKYO.
tets...@pop02.odn.ne.jp
----------------------------------------------------------------
NGMP改訂CFVが実施されています。投票はお早めに。
-> fj.news.policy、<b490uc$1m...@utogw.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp>
-> http://news.open-news.com/news/spool/fj/news/policy/9715
----------------------------------------------------------------
8月が「ウラ」盆で、7月が「オモテ」盆だと思っている人が…
#ビニールに入っているわけじゃないんだから…
--
___ わしは、山吹色のかすてーらが大好きでのぅ
[[o o]] ふぉっふぉっふぉ
'J' 森下 お代官様 MaNMOS 英夫@ステラクラフト
PGP Finger = CD EA D5 A8 AD B2 FE 7D 02 74 87 52 7C B7 39 37
>> また全国的に8月15日前後を「お盆」と呼んでいますが
>> 函館ではこれを「旧盆」と呼んでいて
私の感覚だと「旧盆」は、旧暦 (陰暦) の 7/15 です。新暦 8/15 は、「月遅れ
盆」ですね。米作地帯では新暦 7/15 頃は未だ農繁期に当るそうで、余り便利で
はないんだそうです。一方、旧暦は面倒なんで新暦の 8/15 に行う例が多い。近
畿でも月遅れが一般的だそうです。7 月は祇園祭と重なるからかしら。
>> それに対し7月20日前後を「新盆」と呼んで
>> お盆の行事をこっちにやる例があります。
>> ……ってえか古くからの函館の住民はむしろ新盆なのだ。
私の家では 7/15 にやってます。家の近所 (東京) では、その頃に玄関先での迎
え火・送り火をよく見掛けます。
In article <b4i5qv$2prr$1...@nwall1.odn.ne.jp> NAKAMOTO Tetsuya <tets...@pop02.odn.ne.jp> writes:
>新盆は本来15日前後にやるものなんだそうですが、やっぱり子供の
>夏休みとかが理由で全国的に20日にずれちゃってるんでしょうね。
そう言えば、町会の「盆踊り」なんかは夏休みに入ってからですね。8 月頃が多
い気がします。月遅れ盆の前後は外す様です。
>そうか、北海道は新盆なのか。伝統的には東京近辺も新盆らしいけ
>ど、実際は家によってバラバラな感じがします。
家によって 3回に分散するので、坊さんは楽なんだそうです。
琉球地方では本当の旧盆、即ち旧暦の 7/15 に行うそうで、外にもそう云う地域
が所々有るそうです。海との関連が強いと、やっぱりお盆は大潮の頃が良いので
しょうかねえ。私の周りの習俗では余り月や潮には関係無いけど。
そう言えば七夕も、新暦の 7/7頃は未だ梅雨の時期で雨が降り易いので、月遅れ
か旧暦でやるのが合理的かも知れません。旧暦だと必ず上弦の頃か。
--
椎野正元 (しいの まさよし)
<b4jkqk$ucg$1...@mozart.shiino.taito.tokyo.jp>の記事において
alc...@shiino.taito.tokyo.jpさんは書きました。
> 私の感覚だと「旧盆」は、旧暦 (陰暦) の 7/15 です。新暦 8/15 は、「月遅れ
> 盆」ですね。米作地帯では新暦 7/15 頃は未だ農繁期に当るそうで、余り便利で
> はないんだそうです。一方、旧暦は面倒なんで新暦の 8/15 に行う例が多い。近
> 畿でも月遅れが一般的だそうです。7 月は祇園祭と重なるからかしら。
たとえば今年の旧暦 7/15 日は、新暦では 8/12 日ですが、1903 年だと
9/6 なんてところに行っちゃうようで、こんなにふれ幅があると新暦で
暮らしている現代では諸々不便極まりなくなるのではなかろうかと。
--
成田 隆興 @ エー・アイ・ソフト株式会社ソリューシュン開発部
E-mail tak...@aisoft.co.jp
『十分間で決断し、短い理由を添えよ。』
| > ……ってえか古くからの函館の住民はむしろ新盆なのだ。
| そうか、北海道は新盆なのか。伝統的には東京近辺も新盆らしいけ
いいえ、函館、根室他幾つかの地域は新盆ですが、北海道総体と
してではありません。個人的な印象では、8月が圧倒的に多いです。
# Followup-To: fj.life.hometown.hokkaido にしています。
--
で、キリスト教的側面はその解説に任せるとして、
東洋の旧暦の問題についてのコメントです。
In article <20030310...@ams.odn.ne.jp> c...@ams.odn.ne.jp writes:
>>日本は(地域にもよると思いますが)、中国とかと違ってあまり「旧正月」を
>>祝わないんですよね。
>これなかなか微妙だと思いますよ。
(中略)
>中国の旧正月は
>これは太陽太陰暦(おそらく時憲暦だと思いますが)による計算で
>きっちり求めているんですが、
>日本の場合はそこを簡略化して「新暦から何日(月)ずらすのが旧暦」
>という大ざっぱなことでやっている例が多いために
>中国の旧正月に日本が何かやるかというと確かにやっちゃいないけど
>それが「新暦に移行した」とみるには
(中略)
>ただ「正確な旧暦の計算にこだわらない」という意味においては
>渡邊さんの指摘のとおりだと思います。
ううん、「簡略化」とか「正確な計算にこだらわない」とかいう問題では
無いと思うんですけどね。これは歴史性の産物だと思いますよ。
日本が新暦に移行したのは1872(明治5)年のことですが、
このころ、政府は「西洋列強に負けない」国造りを目標にしていたわけです。
ですから、もちろん「お雇い外人」の生活パターンへの配慮もありますし、
何よりも「東洋的なものを廃して西洋に倣う」のが
近代化の近道だという考え方さえあった時代ですから、
暦においても「西洋に合わせる」ことが強力に推し進められたようです。
よく知られているように、改暦の背景には、
閏月がある年に年間月給が1ヶ月分増えてしまうのを防ぐという
財政上の都合もあったわけで、そういう事情もあって、
改暦は強権的に強引に進められたようです。
このころの百姓一揆には、一揆勢の要求事項の中に
「暦を元に戻せ」というのが入っているのがほとんどだったらしい。
つまり、年中行事を旧暦準拠で挙行すること自体が弾圧されたんですね。
明治政府は地域コミュニティ組織や教育組織の再編も強力に推し進めましたから、
その流れの中で改暦の定着化も推進し、結局は成功したわけです。
そういう経緯ですから、正月などの年中行事を旧暦で挙行するという習慣自体が
基本的には廃れてしまったわけです。年中行事自体が禁止されたのなら
復活させようという動きがそのうち出てきたかもしれませんが、
違う日程とはいえ行事自体は続いてはいるのですから、
元に戻そうという動きも起こりにくかったのでしょう。
旧暦準拠で残ったのは、「十五夜」「十三夜」など、
月の形が本質的に重要な行事だけではないかと思います。
さて、新暦準拠で年中行事を挙行するとしても、
単純に日付を合わすと季節が約36±15日ズレてしまうわけで、
そこのズレに目をつぶるか、それとも月遅れにして季節を合わすか、
そのあたりは誰も統一基準を作らなかったでしょうし、
個々の地域の個々の行事ごとに個別に考えられたのでしょう。
何れにしても「新暦準拠」という基本だけは維持されたわけです。
一方、日本以外の東アジアの国々には、
「近代化のために強引に西洋化する」機運が生ずる契機がありませんでした。
彼らが自らの力で「近代化」に取り組めるようになった時期には、
既に日本が「成功例」として目前に存在しており、何を西洋化する必要があって、
自分たちのアイデンティティとして何を残す必要があるかということも、
日本の経験に基づいて考える余裕があったと思われます。
ですから、日本におけるような無茶な「旧暦年中行事弾圧」を
実行する必要も無かったのではないでしょうか。
旧暦に直接準拠する年中行事が残っている
(その典型例として、正月を旧暦で祝う)ことが多いのも、
日本とは歴史的背景が違うからだと考えるのが妥当だと思います。
戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
to...@lbm.go.jp
7月7日は7月の満月近くの行事(13~15)に備えてお墓掃除をする日です。
> それと同様に新暦と旧暦は常に半月ずれている訳ではないのに
> 1月15日前後を「旧正月」として盛大にやるところは
> 結構あるようですよ。
いいえ。1月1日と1月15日は別の行事です。
ちなみに1日は新月、15日は満月ですね。
> また全国的に8月15日前後を「お盆」と呼んでいますが
> 函館ではこれを「旧盆」と呼んでいて
> それに対し7月20日前後を「新盆」と呼んで
「にいぼん」は、ここ1年以内に死んだひとが最初に迎えるお盆のことを
いいますね。
--
ヘ_ヘ ____________________________
ミ・・ ミ vo...@merope.pleiades.or.jp
( ° )~ 日下部陽一
‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾
7月13~15日の行事も、このあたりではただたんに「しちがち」と言います。
(1月のは「しょーがち」)
お盆ってのは仏教的にoverrideした呼び方でしょうから、
その前からの呼称なんでしょう。
>From:Kusakabe Youichi <vo...@merope.pleiades.or.jp>
>Date:2003/03/15 16:19:19 JST
>Message-ID:<150320031619191919%vo...@merope.pleiades.or.jp>
>
>> また全国的に8月15日前後を「お盆」と呼んでいますが
>> 函館ではこれを「旧盆」と呼んでいて
>> それに対し7月20日前後を「新盆」と呼んで
>
>「にいぼん」は、ここ1年以内に死んだひとが最初に迎えるお盆のことを
>いいますね。
ちなみに函館の上の「新盆」は「しんぼん」と言います。
> > それと同様に新暦と旧暦は常に半月ずれている訳ではないのに
> > 1月15日前後を「旧正月」として盛大にやるところは
> > 結構あるようですよ。
>
> いいえ。1月1日と1月15日は別の行事です。
> ちなみに1日は新月、15日は満月ですね。
1月15日前後の行事は、小正月などと呼ばれる行事のこと
でしょうか?
私の身近にそうした風習がないので、どんなものかは
よく分かりません。
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阿部圭介(ABE Keisuke)
ko...@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)
これは理解できるのですが
>その前からの呼称なんでしょう。
ここが理解できません。
仏教伝来後でも独自に言葉が
形作られるってことはあると思うのですが。
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Taro Yoshida E-mail ta...@dcc.co.jp
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いえ、その前の文献でもそうかいてあるという意味です。
なるほど。了解しました。
できましたら参考文献名や原典が書かれた年など
ここで披露いただけないでしょうか。
大和朝廷への仏教伝来は伝西暦538年ですからそれ以前の文献なのか、
それとも沖縄に仏教が伝わったのが後年で、文献はそれ以前?
など、色々興味が湧いてきたので。
女正月とも言いますね。カラスに餅をやったり、どんど焼きをしたりしますね。
萩原@グリフィス大学