これは中曽根康弘の句です。元は「意地でもやめるもんか」という意味らしい
んですが、私にはこうしか見えない。実際、昨日は季節はずれのセミがいた
し。
Takashi YOSHIMIさんの<bnoat5$117u$1...@nwall1.odn.ne.jp>から
>老いてなお 命の限り せみ時雨
>
>○ すでに秋だというのに勘違いしてまだうるさく鳴くセミがいる。
>見苦しいことだなあ
>
>
>#じせい は「時世」。決して「自省」ではない。
>#辞世でも可。
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Takashi YOSHIMI mailto:tak-y...@NOSWEN.rio.odn.ne.jp
REMOVE NOSWEN
> >#じせい は「時世」。決して「自省」ではない。
> >#辞世でも可。
人生楽ありゃ嬉しいな。
別な風の吹く場所に立っているのに、何でしょうね。
自分なりの生き様があるではありませんか。
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狭猫
政治の事は知りませんが、アメリカの大統領と友達の様になった人をそんな書き方する事無いじゃないですか、と思っちゃいました。
ロンヤス関係なんて飾りです。
偉い人にはそれがわからんのです。
「ヤスをしっているかね?」
「中曽根康弘ですか?旧世紀の人物ですな。」
「ああ、貴公はそのヤスのしっぽだな」
「ヤスのしっぽの戦いぶり、見せてご覧に入れましょう」
...ヤスは後の総裁に公認を取り消されたのだぞ...
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Yoshitaka Ikeda mailto:ik...@4bn.ne.jp
当時は「良い国家関係は良い個人関係から」という世論があって、
へえ、そうなのか、と思っていました。
今は良い個人関係が軍事同盟に成ら無いようにしなきゃならないようですが(-_-;)
> 「ヤスをしっているかね?」
> 「中曽根康弘ですか?旧世紀の人物ですな。」
「(私が)独裁者でな、自民党を読みきれなかった男だ」(-_-)