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茶髪でピアスをした女性教諭

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gakku

unread,
Apr 23, 2001, 1:01:41 AM4/23/01
to
公立の中学校に勤めております。
このような話題は、かつて出たかもしれませんが、興味のある方は意見をください。
「ピアス」についてです。
私がかつて勤めた学校には、そのような人がいなかったので気にもしませんでした。
先日教員だけのある会合で、片耳にピアスを2つずつしている女性教師を見ました。
25,6歳くらいだと思います。
たぶん学校では生徒にピアスをしないようにという指導をしているはずです。また髪
の毛の染色や脱色についても同様だと思います。
「先生だってしているのに・・・」と言われるだろうけれども、どのように答えてい
るのでしょうか?
それともいまはピアスも個性の一部としてフリーになっているのでしょうか?
学校内でピアスをしている大人が非常勤講師の場合はどうでしょう?選択教科や総合
科目の時の外部講師の場合はどうでしょう?

男性職員でも身ぎれいにするために、整髪料やパーマをかけますよね?でもそれを揚
げ足を取ったように都合良くせめたてる生徒は聞いたことがありません。しかし、ピ
アスやあからさまな茶髪は、生徒につっこまれる材料になるんじゃないかなぁ?みな
さんはどのように考えますか?


Kaz Hagiwara

unread,
Apr 23, 2001, 1:53:28 AM4/23/01
to
gakku wrote:
> 公立の中学校に勤めております。

> 先日教員だけのある会合で、片耳にピアスを2つずつしている女性教師を見ました。

> 「先生だってしているのに・・・」と言われるだろうけれども、どのように答えてい
> るのでしょうか?

ピアスは学業の妨げにも教育の妨げにもなりません。それを生徒にだけ禁じている
学校ならばちゃんとした説明ができなければいけません。教師は校則に拘束されま
せんから、もし教員のみだしなみ規則というようなものがないような職場なら、日
本の法律が許す範囲でどのようなファッションでもできますね。


> 学校内でピアスをしている大人が非常勤講師の場合はどうでしょう?選択教科や総合
> 科目の時の外部講師の場合はどうでしょう?

そういう線引きの試みは不毛に終わるでしょう。


> 男性職員でも身ぎれいにするために、整髪料やパーマをかけますよね?でもそれを揚
> げ足を取ったように都合良くせめたてる生徒は聞いたことがありません。

そういう線引きの試みも不毛に終わるでしょう。


> しかし、ピ
> アスやあからさまな茶髪は、生徒につっこまれる材料になるんじゃないかなぁ?

どこからが「あからさま」かと線引きする試みも不毛に終わるでしょう。

生徒は校則に縛られ、教員は、あれば教員規則、なければ国法に縛られます。どの
レベルの規則でもそれが存在する理由をきちんと説明できなければならないはずで
す。説明できなければ、規則の存在理由がありません。

萩原@グリフィス大学

ぷらとん

unread,
Apr 23, 2001, 5:00:33 AM4/23/01
to
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AE3C358...@gu.edu.au...
> gakku wrote:
> > 公立の中学校に勤めております。
>
> > 先日教員だけのある会合で、片耳にピアスを2つずつしている女性教師を見まし
た。
>
> > 「先生だってしているのに・・・」と言われるだろうけれども、どのように答え

てい
> > るのでしょうか?
>
> ピアスは学業の妨げにも教育の妨げにもなりません。それを生徒にだけ禁じている
> 学校ならばちゃんとした説明ができなければいけません。教師は校則に拘束されま
> せんから、もし教員のみだしなみ規則というようなものがないような職場なら、日
> 本の法律が許す範囲でどのようなファッションでもできますね。
>
>
> > 学校内でピアスをしている大人が非常勤講師の場合はどうでしょう?選択教科や
総合
> > 科目の時の外部講師の場合はどうでしょう?
>
> そういう線引きの試みは不毛に終わるでしょう。
>
>
> > 男性職員でも身ぎれいにするために、整髪料やパーマをかけますよね?でもそれ
を揚
> > げ足を取ったように都合良くせめたてる生徒は聞いたことがありません。
>
> そういう線引きの試みも不毛に終わるでしょう。
>
>
> > しかし、ピ
> > アスやあからさまな茶髪は、生徒につっこまれる材料になるんじゃないかなぁ?
>
> どこからが「あからさま」かと線引きする試みも不毛に終わるでしょう。
>
> 生徒は校則に縛られ、教員は、あれば教員規則、なければ国法に縛られます。どの
> レベルの規則でもそれが存在する理由をきちんと説明できなければならないはずで
> す。説明できなければ、規則の存在理由がありません。

「先生がトレーナーを着て授業をするなんてけしからん。」と思う生徒がいます。
「我々は生徒と一緒にどろんこになって教育の仕事をするために体操着姿なの
だ。」と言う教師がいるかもしれません。
それは規則の問題ではないと思いますが。

教師のピアスについても、規則の問題ではないように感じます。

教師は、規則に定められていないことについても価値判断をして生徒に指導します。
生徒も、規則に定められていないことについて価値判断して教師を評価します。

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 23, 2001, 6:51:59 AM4/23/01
to

ぷらとん wrote:
>
> 教師のピアスについても、規則の問題ではないように感じます。
>
> 教師は、規則に定められていないことについても価値判断をして生徒に指導します。
> 生徒も、規則に定められていないことについて価値判断して教師を評価します。

教師の価値観と生徒の価値観が相容れないときのための「規則」では?

萩原@グリフィス大学

Jshuichi

unread,
Apr 23, 2001, 10:24:13 AM4/23/01
to

"gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote in message
news:9c0d0e$fvv$1...@nn-os104.ocn.ad.jp...
> 公立の中学校に勤めております。
> このような話題は、かつて出たかもしれませんが、興味のある方は意見をくださ
い。
> 「ピアス」についてです。
> 私がかつて勤めた学校には、そのような人がいなかったので気にもしませんでし
た。
> 先日教員だけのある会合で、片耳にピアスを2つずつしている女性教師を見まし
た。
> 25,6歳くらいだと思います。
> たぶん学校では生徒にピアスをしないようにという指導をしているはずです。また

> の毛の染色や脱色についても同様だと思います。

> 「先生だってしているのに・・・」と言われるだろうけれども、どのように答えて

> るのでしょうか?
>
身だしなみという事であれば、良いでしょう。
ただ、程度があるので見苦しい物であるなら、
ピアスも染色も駄目です。( ̄^ ̄)V

>
> それともいまはピアスも個性の一部としてフリーになっているのでしょうか?
> 学校内でピアスをしている大人が非常勤講師の場合はどうでしょう?選択教科や総

> 科目の時の外部講師の場合はどうでしょう?
>
上記に同じ(^^ゞ

>
> 男性職員でも身ぎれいにするために、整髪料やパーマをかけますよね?でもそれを



> げ足を取ったように都合良くせめたてる生徒は聞いたことがありません。しかし、

> アスやあからさまな茶髪は、生徒につっこまれる材料になるんじゃないかなぁ?み

> さんはどのように考えますか?
>

教職にある者は、生徒の手本でなくてはならない。
見苦しい物は駄目です。( ̄^ ̄)V

--
---------------------------------
自然に順応すれば (^○^)

Jshuichi<cbs3...@pop21.odn.ne.jp>

Hironobu Suzuki

unread,
Apr 23, 2001, 7:23:13 AM4/23/01
to


>>>>> "K" == Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> writes:
In article <3AE3C358...@gu.edu.au> Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> writes:
K> どのレベルの規則でもそれが存在する理由をきちんと説明できなけれ
K> ばならないはずです。説明できなければ、規則の存在理由がありません。

正直に

集団に盲目的服従させること強要することによって、集団を形成す
る個々の人間に精神的プレッシャを与え命令する少数の者が精神的な
優位に立つという、非常に古い集団統制の手法を用いているだけだ。
ここでの規則なんてのは、その手法を使うための道具だ!

とは不毛すぎて言えないですよね(笑)。

自称「公立の中学校に勤めております」という人物が、いったい自分がどんな
立場で、誰に対し、何をやっているかまったく理解していないことが最初で最
後、そして最大の問題なのでは。

ひろのぶ

ga...@ieee.org

unread,
Apr 23, 2001, 11:14:34 PM4/23/01
to
Jshuichi wrote:
>
> "gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote in message
> news:9c0d0e$fvv$1...@nn-os104.ocn.ad.jp...
> >
> > ピアスやあからさまな茶髪は、生徒につっ
> > こまれる材料になるんじゃないかなぁ?
> > みなさんはどのように考えますか?

>
> 教職にある者は、生徒の手本でなくてはならない。
> 見苦しい物は駄目です。( ̄^ ̄)V

つっこまれても切り返す手本になって欲しいですね。:)
--
へ〃へ
彡, , ミ
(▼" "彡
^ Y. KAMIMURA <mailto:ga...@ieee.org>

Jshuichi

unread,
Apr 24, 2001, 12:11:14 AM4/24/01
to

<ga...@ieee.org> wrote in message news:3AE4EF9A...@ieee.org...

> Jshuichi wrote:
> >
> > "gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote in message
> > news:9c0d0e$fvv$1...@nn-os104.ocn.ad.jp...
> > >
> > > ピアスやあからさまな茶髪は、生徒につっ
> > > こまれる材料になるんじゃないかなぁ?
> > > みなさんはどのように考えますか?
> >
> > 教職にある者は、生徒の手本でなくてはならない。
> > 見苦しい物は駄目です。( ̄^ ̄)V
>
> つっこまれても切り返す手本になって欲しいですね。:)
>
その通り(・o・)!
教育者とは、自己管理システムを持ち合わせて
切り返さなくてはいけない(^-')b

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 24, 2001, 1:32:17 AM4/24/01
to
萩原さん wrote in <3AE4094F...@gu.edu.au>:

> 教師の価値観と生徒の価値観が相容れないときのための「規則」では?

そのココロを、もそっと説明していただけると嬉しく思います。

--
たかはし (とりあえず、お願いまで)

gakku

unread,
Apr 24, 2001, 6:53:16 AM4/24/01
to
> 集団に盲目的服従させること強要することによって、集団を形成す
> る個々の人間に精神的プレッシャを与え命令する少数の者が精神的な
> 優位に立つという、非常に古い集団統制の手法を用いているだけだ。
> ここでの規則なんてのは、その手法を使うための道具だ!

「体罰」などの形で「服従を強いる」ことはなくなりましたが、人間は「精神的な優
位に立つ」ということはいつも望んでいるはずです。教育現場でなくてもです。地位
を利用する方法は、社会ではよくあることですよね。
教員の多くも「教えてやっているんだ。」と勘違いしやすい場にいるので、まさしく
勘違いして教員をしている人はいる。

> 自称「公立の中学校に勤めております」という人物が、いったい自分がどんな
> 立場で、誰に対し、何をやっているかまったく理解していないことが最初で最
> 後、そして最大の問題なのでは。

(自己矛盾しているし、私の説明があっていることの証明にもなっている気がする。
これ以上言うと自分も同じ穴の・・・。)

疑問はそんなに難しいことではないのです。
自分はピアスはしないし、茶髪にもしていないのでそのような格好をする人の気持ち
を実は理解していないのですが・・・・・・。
たとえしていても生徒にそのような生徒がいた時への指導の仕方は心得ている。

しかし、ピアスをしたがる人の気持ちがわからないところがあるのです。
その人たちは、なぜ鼻ピアスや唇ピアスをして職場に来ないのか?
スキンヘッドで来ないのか?
枝の上の方で、ラインを引くことが不毛と書いておられる方がいましたが、そのくせ
自分たちで上限を決めて生活しているようにも思える。
その自分が持っているラインを職場で共通理解できないのか?修正できないのか?
「しない」というラインの方がすっきりしていないか?

Shinji KONO

unread,
Apr 24, 2001, 9:35:55 AM4/24/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <9c3lvr$pn8$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
"gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> writes
>しかし、ピアスをしたがる人の気持ちがわからないところがあるのです。

自分がわからない気持はすべて間違っているってところですか。

>その人たちは、なぜ鼻ピアスや唇ピアスをして職場に来ないのか?
>スキンヘッドで来ないのか?

べつに、そういうかっこしてくる人もいますよ。知らないだけなんじゃないですか?

>枝の上の方で、ラインを引くことが不毛と書いておられる方がいましたが、そのくせ
>自分たちで上限を決めて生活しているようにも思える。

自分で決める分にはいいけど、人に強要するようになると、犯罪に
近くなってきますよね。

>その自分が持っているラインを職場で共通理解できないのか?修正できないのか?
>「しない」というラインの方がすっきりしていないか?

ま、そういう線引きは、どんどんあいまいになっているのが現状でしょう。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus,
PRESTO, Japan Science and Technology Corporation
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,
科学技術振興事業団さきがけ研究21(機能と構成)

ぷらとん

unread,
Apr 24, 2001, 12:11:55 PM4/24/01
to
> >その人たちは、なぜ鼻ピアスや唇ピアスをして職場に来ないのか?
> >スキンヘッドで来ないのか?
>
> べつに、そういうかっこしてくる人もいますよ。知らないだけなんじゃないですか
?

 国立大学なら、いても不思議ではない。
 私立の組織なら、トップの意向次第だろうと思う。

> >枝の上の方で、ラインを引くことが不毛と書いておられる方がいましたが、その


くせ
> >自分たちで上限を決めて生活しているようにも思える。
>
> 自分で決める分にはいいけど、人に強要するようになると、犯罪に
> 近くなってきますよね。

 アン サリバン先生が、ヘレン ケラーに、ものを手づかみで食べない文化などを
 伝えることができたのは、生徒と取っ組み合いをしたからというよりは、生徒の小
 さな独自性を認めたからだったらしい。   (竹内敏晴著 「子どものからだと
 ことば」、 晶文社、1983)
 ピアスなどはやめさせる必要があるのかどうかは分らない。(珍しい場所に穴を
 開けると、何年もたってから失明する可能性が高くなることも有る?)短距離ラン
 ナーがピアスをして走るのは見ていて不愉快だ。野球選手がガムをかみながら
 プレーするのも、なにかの拍子に窒息しないかと思って不愉快だ。

Satoru MOTOYAMA

unread,
Apr 24, 2001, 9:58:12 PM4/24/01
to
gakku wrote:
> しかし、ピアスをしたがる人の気持ちがわからないところがあるのです。

 別にわざわざ分からなくてもいいのでは?そういう人もいる。
それだけのことでしょう。


> その自分が持っているラインを職場で共通理解できないのか?修正できないのか?
> 「しない」というラインの方がすっきりしていないか?

 なんでわざわざそんなことをする必要があるのでしょうか?
あなたがそうさせたいという気持ちはひしひしと伝わってくる
のですが、何の意味があるのかわかりません。

--
Satoru MOTOYAMA

といず

unread,
Apr 25, 2001, 1:12:46 AM4/25/01
to
# 茶々です♪

Subject: Re: 茶髪でピアスをした女性教諭
Message-ID: <9c3lvr$pn8$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>


gakku san wrote:
> しかし、ピアスをしたがる人の気持ちがわからないところがあるのです。
> その人たちは、なぜ鼻ピアスや唇ピアスをして職場に来ないのか?
> スキンヘッドで来ないのか?
> 枝の上の方で、ラインを引くことが不毛と書いておられる方がいましたが、そのくせ
> 自分たちで上限を決めて生活しているようにも思える。
> その自分が持っているラインを職場で共通理解できないのか?修正できないのか?
> 「しない」というラインの方がすっきりしていないか?

 もしかして、
 日本の隣に、中国があるから目障りだ なんて思い始めたら、戦争おっぱじめよう
 なんて考えちゃうほう?

----------------------------------
といず@檜.花粉症
mailto:toys...@hotmail.com
自分自身を大切に

Hironobu Suzuki

unread,
Apr 24, 2001, 11:06:35 PM4/24/01
to

>>>>> "g" == gakku <ga...@mint.ocn.ne.jp> writes:
In article <9c3lvr$pn8$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> "gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> writes:
g> 人間は「精神的な優位に立つ」ということはいつも望んでいるはずです。

「∀人間」ではなく「∃人間」です。

g> しかし、ピアスをしたがる人の気持ちがわからないところがあるのです。
g> その人たちは、なぜ鼻ピアスや唇ピアスをして職場に来ないのか?

同様に「∀職場」ではなく「∃職場」です。

ひろのぶ

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 25, 2001, 4:05:11 AM4/25/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> 萩原さん wrote in <3AE4094F...@gu.edu.au>:
>
> > 教師の価値観と生徒の価値観が相容れないときのための「規則」では?
>
> そのココロを、もそっと説明していただけると嬉しく思います。

仮に全く同じ価値観を持った人間の集団があるとすれば、その集団をま
とめるための規則は不要です。全く同じ価値観を持った他人他人同士の
コミュニティーというのは普通ありませんが、似通った価値観を持つ集
団なら、「紙に書いた規則」というのは不要で、普通は「不文律」とい
う「紙に書かれない規則」を共有することになります。

価値観が多様に異なった集団をまとめようと思えば、そこには成文法が
必要になります。専制下では、支配者が自分とは全く異なった価値観を
持つある集団を支配下に置こうとする時に紙に書いた規則を必要とする
ことがありますが、民主主義下では、成文法は「社会を構成する人間同
士が(一応の)納得の上で守る規則」ということになります。

したがって民主主義を名乗る国家制度の構成員を教育する機関としての
学校では、「価値観が相容れない」同士をまとめるには「紙に書かれた
規則」が必要で、それは「お互いに納得できる」、言い換えれば「ちゃ
んと存在意義を説明できる」規則でなければならないわけです。それを
「不文律」でまとめることができるという考えがそもそも間違っていま
す。

萩原@グリフィス大学

gakku

unread,
Apr 25, 2001, 5:09:57 AM4/25/01
to
> したがって民主主義を名乗る国家制度の構成員を教育する機関としての
> 学校では、「価値観が相容れない」同士をまとめるには「紙に書かれた
> 規則」が必要で、それは「お互いに納得できる」、言い換えれば「ちゃ
> んと存在意義を説明できる」規則でなければならないわけです。それを
> 「不文律」でまとめることができるという考えがそもそも間違っていま
> す。
>
> 萩原@グリフィス大学

その考えにも納得させられます。いまは、校則を文書化していない学校が多いですよ
ね。それでもやっぱり、「ピアスはダメ」、「茶髪はダメ」と言いますね。


ぷらとん

unread,
Apr 25, 2001, 5:55:51 AM4/25/01
to

gakku <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote in message
news:9c64a0$sg5$1...@nn-os105.ocn.ad.jp

> いまは、校則を文書化していない学校が多いですよ
> ね。それでもやっぱり、「ピアスはダメ」、「茶髪はダメ」と言いますね。

生徒のピアス、茶髪がダメな理由を教えていただけるとありがたいと思います。
教師のピアス、茶髪についても禁止すべきだとお考えでしたら、その理由も知り
たいです。


Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 25, 2001, 7:43:49 AM4/25/01
to
萩原さん、実にきっちりとした明解なご説明、ありがとうございます。

萩原さん wrote in <3AE68538...@gu.edu.au>:

> 「価値観が相容れない」同士をまとめるには「紙に書かれた
> 規則」が必要で、それは「お互いに納得できる」、言い換えれば「ちゃ
> んと存在意義を説明できる」規則でなければならないわけです。

ぷらとんさんの<9c0qgl$ffl$1...@nw032.infoweb.ne.jp>が気になっていました
が、多分本質は、規則かどうかではなくて、「お互いの納得」に支えられて
いること、なのですね。

> 「先生がトレーナーを着て授業をするなんてけしからん。」と思う生徒がいます。
> 「我々は生徒と一緒にどろんこになって教育の仕事をするために体操着姿なの
> だ。」と言う教師がいるかもしれません。
> それは規則の問題ではないと思いますが。

規則の問題であってもいいけど、なくてもいい。
「けしからん」、「でもね」で、なるほどと納得するかどうかが問題。

> 教師のピアスについても、規則の問題ではないように感じます。

個人の勝手って部分がありますよね、という形のお互いの納得もまたある。

> 教師は、規則に定められていないことについても価値判断をして生徒に指導します。

価値判断が共有されない指導には、意味がない。規則に定まっていようと
いまいと。

> 生徒も、規則に定められていないことについて価値判断して教師を評価します。

個人が価値判断することは、喜ばしいこと。

ひろのぶさん<01APR23...@h2np.suginami.tokyo.jp>のご指摘のように、
規則を盲目的な服従を要求する権威の道具としてしまうのでは、意味がない。
価値観のすりあわせが、民主主義の道。

--
たかはし (…と考えてみました。実際問題としては難しそうなところだけど)

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 25, 2001, 8:54:23 AM4/25/01
to
gakku wrote:

> いまは、校則を文書化していない学校が多いですよね。
> それでもやっぱり、「ピアスはダメ」、「茶髪はダメ」と言いますね。

普通は「文書化していない」なら「やってもいい」ということですが。
「やってはいけない」というなら、そのコミュニティーの大多数を納得さ
せるような理由を元に成文化しないと。

不文律でなんとかなった時代は、学校が「家庭」の延長であった時代でし
た。その時代には、たいていの「家庭」は似たような価値観を持っており、
その「家庭」内の価値観の統一もとれていた時代でした。学校はそうした
「家庭」の延長として、校長を「家長」とする「大家族」のような共同幻
想の元に運営されて、上意下達で特に支障もなくやっていたわけです。

ところが、気がついてみると、いつのまにか「幼長の序」とか「三歩下が
って師の影を踏まず」とか「親にもらった体に傷つけてはならない」とか
いう不文律が機能しなくなっていた。つまりそれまでの学校の命令系統を
支えていた重大な価値観に多様化が起こって、不文律が不文律として機能
しなくなっていたという現実があるわけです。

それを知らずにいまだにそんな不文律に頼っている学校があるなら、それ
は学校が自分を見失っている証拠だし、知った上でいまだにそんな不文律
に頼っているなら、それは自己改革を避けている学校の怠慢です。無論、
この時代にそんな学校に自分の家庭の延長としての役割を期待する親がい
ればその親がそもそもズレているわけですが。

「家庭間」の価値観の多様化、「家庭内」の価値観の多様化が進んで、学
校がもはや家庭の延長として機能できないなら、学校は、その「多様性を
認める」か、逆に「多様性を規制して、昔日への回帰を図る」かのどちら
かの道しかありません。しかし、「不文律」によらずに多様性を規制する
方向に向かえば、存在理由の明確な「成文化した規則」を、ピアスや茶髪
のようなこまごまとしたことにまで作らなければならなくなります。そし
て、そこには、当然、不毛な「線引き」というプロセスも含まれてくるわ
けです。

それがいやならば、学校は「多様性を認める」方向に行くしかないわけで
す。「日本国の法律を遵守する」「学校内では他人の学業の妨げになるよ
うなことはしない」など、だれもが納得がいく大まかな規則だけを成文化
して、書いてないことについては認める方向で行けば、むしろ、教師自身
の気も楽になるし、生活指導に費やしている無駄な時間を別のことに使う
ことが出来ていいのではないかという気もします。

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 25, 2001, 9:42:27 AM4/25/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> ぷらとんさんの<9c0qgl$ffl$1...@nw032.infoweb.ne.jp>が気になっていました
> が、多分本質は、規則かどうかではなくて、「お互いの納得」に支えられて
> いること、なのですね。

そうなんですが、その「納得」が「言わなくても分かる」納得か、「言え
ば分かる」納得か、「納得するよう約束したからする」納得か、という部
分で、「言わなくても分かる、言えば分かる納得」に期待しているらしい
点は要注意です。

それはいわゆる「不文律」に沿った「納得」のありかたですが、不文律は
「書いてない」だけに、時代と共に不定形に盛衰、移動するもので、それ
にすがればいつしか時代に取り残され、かと言って成文化しようとすれば、
元が不定形なだけに困難を極めるといった性質の物です。

「納得するよう約束したからする納得」というのは、ある意味非常に不自
然な感じがしますが、民主主義の規則の決め方というのはそういうもので
す。それに心から納得する者もいれば、「いやだけど、その規則の存在理
由を論破することもできないからしぶしぶ納得する」者もいるわけです。

ただ、不文律と違うのは、民主主義の手続きで決まった規則は、「規則の
存在理由を論破できる」状況になったときに、あらためて持ち出してその
規則を廃棄にもちこんだり、変更を加えたりすることができるということ
です。対して不文律は、その性質上、変更も廃棄もままなりません。もは
や用をなさなくなった決まりごとに無意味に縛られたり、逆に縛りつけよ
うとして反発されてもだれも味方になってくれなかったりしたときでさえ、
変更も廃棄もできないのが不文律です。しかもあると思ったときにはもう
なかったりするのが不文律なわけです。

意味も理由もわからないのに、なぜかしてはいけないと思ってしまう現象
を「タブー」と言いますが、不文律はタブーの別の呼び方にすぎません。
そのようなものに期待するよりは、「約束したから納得する」規則のほう
が融通性も確実性もあると思うのですが。

で、その「規則」はできるだけ簡素で大まかなものが作りやすく、かつ守
りやすいわけです。また、規則で決まっていないことは原則として許すこ
とにしたほうが、守らせるほうも楽だろうというようなことを、別の記事
<news:3AE6C8FF...@gu.edu.au> で書きました。

萩原@グリフィス大学

yonemura

unread,
Apr 25, 2001, 10:51:54 AM4/25/01
to
米村@埼玉です。

"gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote in message

news:9c64a0$sg5$1...@nn-os105.ocn.ad.jp...

> その考えにも納得させられます。いまは、校則を文書化していない学校が多いです



> ね。それでもやっぱり、「ピアスはダメ」、「茶髪はダメ」と言いますね。

僕の通っていた高校は、
茶髪オッケー、ピアスオッケーでした。
茶髪どころか赤、青、緑と、
カラフルな友達も中にはいました。

それで何の問題もありませんでした。
校則で禁じられていないので、
教師も何も言いません。
茶髪、ピアスに何の問題があるのでしょうか?

現実問題として社会では、
偏見の目で見られるという人がいるでしょうが、
そんなことは生徒も十分承知してます。
受験などで面接がある人で困るという人は、
そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。

かずさ

unread,
Apr 25, 2001, 12:28:14 PM4/25/01
to
yonemura wrote in message news:bNBF6.2124$sx.1...@news1.dion.ne.jp...

> 受験などで面接がある人で困るという人は、
> そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
なぜ黒に戻すんですか?
それは、茶髪に問題があることを認めることになりませんか?
---------------------------------------------
やまさき かずさ
26歳 身長174cm 高いでしょ。(*^_^*)

Tsuno

unread,
Apr 25, 2001, 12:54:50 PM4/25/01
to

yonemura wrote in message ...
>米村@埼玉です。

>校則で禁じられていないので、
>教師も何も言いません。
>茶髪、ピアスに何の問題があるのでしょうか?
>
>現実問題として社会では、
>偏見の目で見られるという人がいるでしょうが、
>そんなことは生徒も十分承知してます。
>受験などで面接がある人で困るという人は、
>そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。

「受験などで面接がある人で困るという人は、黒く戻す」
というのは、どうしてですか?
何が「困る」んですか?
どうして「受験の面接」で変えるのでしょう?
「面接」こそ、自己主張・自己表現の場でしょう。
ご存知でしたら、教えて下さい。


Shinji KONO

unread,
Apr 25, 2001, 12:50:56 PM4/25/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <9c6u5c$9ju$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
かずさ<mist...@orange.ocn.ne.jp> writes

>> 受験などで面接がある人で困るという人は、
>> そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
>なぜ黒に戻すんですか?
>それは、茶髪に問題があることを認めることになりませんか?

問題があるのは、見掛けで差別する人なのであって、そういう心の
障害者に対して、「髪を染めてあげる」ことによって、配慮するこ
とは悪いことではないと思います。

僕も見掛けで差別されることは多い... 「沖縄でスーツ着てるなん
て、頭おかしいじゃないの? 」とか。「その髪、なんで長くしてい
るの?」とか。飲み屋で、いきなり「お前のカッコは好きじゃない」
とか言われることも多いですね。でも、逆に、そういう人だという
のが、一発でわかるのは、便利な気もしますね。

「琉大では、短パン、ビーチサンダルで授業する先生がいる」と新
聞に投稿されたことがあるそうです。僕のことじゃないじゃないで
すけど。

isut

unread,
Apr 25, 2001, 1:02:57 PM4/25/01
to
かずささんの<9c6u5c$9ju$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>から

>> 受験などで面接がある人で困るという人は、
>> そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
>なぜ黒に戻すんですか?
>それは、茶髪に問題があることを認めることになりませんか?

場所に依るでしょ。


--
∧∧ ______________________________
(.. ) | isut |
/ 〃 |__ mailto:a_i...@anet.ne.jp __|
ι( )) || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
~~ ~~~~ ~~~~

ぷらとん

unread,
Apr 25, 2001, 2:39:20 PM4/25/01
to
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AE68538...@gu.edu.au

> 価値観が多様に異なった集団をまとめようと思えば、そこには成文法が
> 必要になります。専制下では、支配者が自分とは全く異なった価値観を
> 持つある集団を支配下に置こうとする時に紙に書いた規則を必要とする
> ことがありますが、民主主義下では、成文法は「社会を構成する人間同
> 士が(一応の)納得の上で守る規則」ということになります。
>
> したがって民主主義を名乗る国家制度の構成員を教育する機関としての
> 学校では、「価値観が相容れない」同士をまとめるには「紙に書かれた
> 規則」が必要で、それは「お互いに納得できる」、言い換えれば「ちゃ
> んと存在意義を説明できる」規則でなければならないわけです。それを
> 「不文律」でまとめることができるという考えがそもそも間違っていま
> す。

 「事実認識が相容れない」同士をまとめるには、例えば「多数決による決定」
 が行われると思います。官庁から依頼されて専門家集団が薬の安全性につ
 いて審議したとき、班長は、その優れた学問的カンによって安全性を否定的
 に見ていても、多数決の結果、班長の意見が通らなかった場合、班長が自分
 の考えに反する結論を推進することになると思います。たとえ多数決の結果で
 あっても、それに従わずに薬を選択することが許される社会が望ましいと思い
 ます。「まとめる」ことは必ずしも良い事でないと思います。

Tsuno

unread,
Apr 25, 2001, 5:05:38 PM4/25/01
to

Shinji KONO wrote in message <4145.98...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>...

>河野 真治@琉球大情報工学です。
>
>In article <9c6u5c$9ju$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
> かずさ<mist...@orange.ocn.ne.jp> writes
>>> 受験などで面接がある人で困るという人は、
>>> そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
>>なぜ黒に戻すんですか?
>>それは、茶髪に問題があることを認めることになりませんか?
>
>問題があるのは、見掛けで差別する人なのであって、そういう心の
>障害者に対して、「髪を染めてあげる」ことによって、配慮するこ
>とは悪いことではないと思います。

わざわざ面接にあたって「見かけ」を本来の自分と変えてまで、
「見かけで差別する」会社もしくは学校に入ってどうするんですか?
大体、相手が「差別」するかどうか分かってもいないのに、
敢えて「見かけ」を変えるって、どういうことなのでしょう?

>とか言われることも多いですね。でも、逆に、そういう人だという
>のが、一発でわかるのは、便利な気もしますね。

ということであれば、尚更、相手(面接を受ける会社・学校)
が、どういう判断をするか、互いに(面接される側もする側も)
知るために、本来の「見かけ」を通すものでしょう。
互いを認識するために「面接」があるのですから、
そういう場所に「見かけ」を変えて出向くのは、本末転倒では?

shuji matsuda

unread,
Apr 25, 2001, 9:13:40 PM4/25/01
to
In article <3AE68538...@gu.edu.au>,
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote:
:したがって民主主義を名乗る国家制度の構成員を教育する機関としての

:学校では、「価値観が相容れない」同士をまとめるには「紙に書かれた
:規則」が必要で、それは「お互いに納得できる」、言い換えれば「ちゃ
:んと存在意義を説明できる」規則でなければならないわけです。それを
:「不文律」でまとめることができるという考えがそもそも間違っていま
:す。

それは、私の知っている現実とは全く違う。

私の通っていた高校には、何も規則はありませんでした。全て不文律です。
服装コードもないし、サンダルでTシャツ短パンの人もいれば、学ラン
の人もいました。『変なかっこだな』とは言われますが、『やめろ』とは
言われません。そもそも『まとめる』気もないし、納得する気も、させる
気もないところでした。学校には、そんなことより、しなきゃならないこ
とがあるからです。知育、体育、徳育です。あたりまえでしょ。

なんで、しょうもないことを明文化しなきゃならないわけ?規則を
明文化することは民主主義とは何の関係もありませんですねえ。しかも、
規則になければ原則自由なんてこともありません。例えば、公衆浴場で

浴槽での大便禁ず

と書いていなければ、ウンコしてもいいってことでしょうか?つげ義春
ですね、これじゃ。学校の例でいけば

廊下での放尿を禁ず

と書いてなければ、廊下は臭くなっちゃうわけですね。これが民主主義で
しょうか?それが民主主義なら、そんなものは、私はいらないな。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

shuji matsuda

unread,
Apr 25, 2001, 9:13:52 PM4/25/01
to
In article <9c7e7b$g57$1...@news01.iij4u.or.jp>,
"Tsuno" <g-s...@mtg.biglobe.ne.jp> wrote:
:ということであれば、尚更、相手(面接を受ける会社・学校)

:が、どういう判断をするか、互いに(面接される側もする側も)
:知るために、本来の「見かけ」を通すものでしょう。

あの。お見合いをするのじゃないのですから。『裸の自分を見て
欲しい』なんて言ってどうするの?仕事に仕事以外のことを求め
ても仕方がないと思います。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

Shinji KONO

unread,
Apr 25, 2001, 9:13:42 PM4/25/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <9c7e7b$g57$1...@news01.iij4u.or.jp> ,
"Tsuno" <g-s...@mtg.biglobe.ne.jp> writes

>大体、相手が「差別」するかどうか分かってもいないのに、
>敢えて「見かけ」を変えるって、どういうことなのでしょう?

みかけで判断する極少数の障害者がいることを配慮しているだけで
すよね。

面接の時に、耳が聞こえない人がいたら、大きな声で答えたり、紙
で書いて質問に答えるとかしますよね。あれと同じでしょう。君が
言っているのは、「耳が聞こえない人がいても、普通の声で話せ」
といっているのと同じ。

たぶん、そういう人の障害は面接とかで影響が大きいのでしょうか
ら、その時だけ考慮してあげれば良いだけですね。考慮する必要が
無い時は、考慮しないだけでしょう。

みんな障害を乗り越えて生活しています。あたたかく見守ってあげ
ましょう。

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 25, 2001, 10:43:03 PM4/25/01
to
shuji matsuda wrote:
> 私の通っていた高校には、何も規則はありませんでした。全て不文律です。

不文律が問題無く機能しているなら、明文化する必要はありません。
明文化した規則というのは、不文律が機能しなくなった(なるであろう)時の話。

で、「茶髪でピアス」というのは、ある学校(あるコミュニティー)で、その不文
律の機能が怪しくなってきたという話です。


> 規則になければ原則自由なんてこともありません。例えば、公衆浴場で
>
> 浴槽での大便禁ず
>
> と書いていなければ、ウンコしてもいいってことでしょうか?

違います。

「浴槽での大便禁止」は、不文律ではないでしょう。やれば、何らかの法律を適応
されて罰せられるだろうし、ならば、それはその成文法の守備範囲と言えるからで
す。茶髪やピアスを罰する法律は、日本にはありません。なければ、おかまいなし
が原則だし、罰したければ民主主義手続きを経て成文法を作らなければならないで
しょう。


萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 25, 2001, 10:48:49 PM4/25/01
to
ぷらとん wrote:

>  「事実認識が相容れない」同士をまとめるには、例えば「多数決による決定」
>  が行われると思います。官庁から依頼されて専門家集団が薬の安全性につ
>  いて審議したとき、班長は、その優れた学問的カンによって安全性を否定的
>  に見ていても、多数決の結果、班長の意見が通らなかった場合、班長が自分
>  の考えに反する結論を推進することになると思います。たとえ多数決の結果で
>  あっても、それに従わずに薬を選択することが許される社会が望ましいと思い
>  ます。「まとめる」ことは必ずしも良い事でないと思います。

いわゆる「拒否権」とか「エグゼクティブ・ディシジョン」と呼ばれるもののこと
ですね。

それ自体は、コミュニティーの構成員がコミュニティーのリーダーにそういう権限
を与えていれば可能ですね。ただ、その権限を与えているのはあくまで「コミュニ
ティーの構成員」であるという点が重要で、単に年長だからとか、先生だから、と
いったような不文律に支えたれた権限だと、その不文律が健全に機能しているとき
だけしか、その権威は保障されません。

で、どのようにしてある人物に権限を与えるかが問題になるわけです。どうしたら
いいと思いますか?

萩原@グリフィス大学

gakku

unread,
Apr 26, 2001, 12:44:36 AM4/26/01
to
> あの。お見合いをするのじゃないのですから。『裸の自分を見て
> 欲しい』なんて言ってどうするの?仕事に仕事以外のことを求め
> ても仕方がないと思います。
>
なるほどねぇ。その考えには納得。
枝の上の方で、トレーナーの話が出ていましたが、
「子どもと一緒に運動したり、遊んだりするのに必要。」と考えているんでしょう。
でもそれが、その人の普段着であることは少ないはず。(私を含めてたまにそんな人
もいますが。)
ジャージやトレーナーで買い物に行こうとすると、妻に「学校と同じ服装で行かない
で!」としかられます。
ジャージやトレーナーは私服であって、私服ではないと考えてもいいのであって、
「トレーナーで授業をする教師」への批判は、却下されることになるよね。

普段は派手なピアスなんです。休みの日には紫色の髪の毛なんです。
ということも通ってしまうことになるのかなぁ?
休日よりも地味なピアスだからOK!と考えているのかなぁ?


gakku

unread,
Apr 26, 2001, 1:17:39 AM4/26/01
to
> 私の通っていた高校には、何も規則はありませんでした。全て不文律です。
> 服装コードもないし、サンダルでTシャツ短パンの人もいれば、学ラン
> の人もいました。『変なかっこだな』とは言われますが、『やめろ』とは
> 言われません。そもそも『まとめる』気もないし、納得する気も、させる
> 気もないところでした。学校には、そんなことより、しなきゃならないこ
> とがあるからです。知育、体育、徳育です。あたりまえでしょ。

そうですよね。でも、「今なにをすべきか」判っていない「子ども」には教えていか
なければならないんです。
赤ん坊に、「トイレに行きたくなったら『しっこ』と言いなさい。」と教えたよう
に。
「『いただきます』と言ってからご飯を食べなさい。」 と言ったように。

> 浴槽での大便禁ず
>
> 廊下での放尿を禁ず

わかりきったことをわざわざ明文化しなければならないか?と言っても、
shujiさんもそのことを小さいときに言われて育ってきているはず。

さて、本題がすり替わってきているようなので、
「茶髪でピアスを生徒に許すかどうか」のあたりまではもどっても良いようですね。
shujiさんは、校則がなかったから「かまわない」派と判断します。
『変なカッコ』の学生は、就職の面接にその格好で行ったのか?どうか?
校則のない高校だったのに、校長、進路指導の先生をはじめとする方たちが、卒業式
や指定校推薦をもとめる業者の来校に適当な格好をしていたのか?


Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 26, 2001, 1:35:14 AM4/26/01
to
松田さんの記事<smatsuda-260...@p10.pharm.med.keio.ac.jp>:

> なんで、しょうもないことを明文化しなきゃならないわけ?

萩原さんの主張は、むしろ、「しょうもないことは明文化しない、口出し
しない」の線かと。

わたしが今気にしているのは、萩原さんの主張は、「明文化してないことは
口出すな」なのかな、「規則になければ放っておく。放っておかなきゃなら
ない」なのかな、というところ。
# と、やっと表現できるようになってきたぞ。

> 『変なかっこだな』とは言われますが、『やめろ』とは
> 言われません。

T:「変なかっこだな」
S:「好きでやってんだ。ほっといてくれ」
T:「そらそーだけどな」

この微妙な交渉は、規則には載りようがない。

---
ま、服装の場合はまとめてほっといても構わない話だけど。

特に教育界では「蟻の一穴」的に象徴的に扱う伝統が出来ていることがらな
ので、気になることはわかる。

「見た目」が集団への帰属のサインとしてよく使われてきた人類史があること
を思えば、「見た目」が人間にとって問題になりうるってこと自体も理解でき
ることではある。(賛成じゃないけど。)

ただ単に「ほっとけばいいじゃんか」よりは、それはどういうものかを理解
してみようじゃないかってのが、よいアプローチなのかな…。

---
別の話。
わたしが「規則になければ放っておく。放っておかなきゃならない」で
気になるのは、たとえば以下のようなこと。

・いじめをしちゃあいけない。

明文化していないと口出せない問題か?ここまではオッケー、こうなったら
ダメと線引きできるか。法律違反じゃないからオッケーは教育的か。

・授業中さわいじゃいけない。

規則だから守る問題か。
# 私語厳禁って張り紙は、既に型として成立してますがねぇ。

仮にそうだとして、もっと本質的なのは、さわいじゃいけないそのもの
よりも、聞いてないんじゃお話にならないってこと。ところが、聞いてる・
聞いてないって、規則違反を摘発するに足るほどに明確な外的指標が得ら
れない(し、いつでもいちいち摘発したいことがらでもない)。

不文律・文化を明示的な法に置き換えていくのが、近代化の歩みではあった。
それは究極的な形態にまで推し進めることができるんだろうか?

--
たかはし (まだまとまらん分がいろいろ残っちゃいました)

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 26, 2001, 2:26:37 AM4/26/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:

> わたしが今気にしているのは、萩原さんの主張は、「明文化してないことは
> 口出すな」なのかな、「規則になければ放っておく。放っておかなきゃなら
> ない」なのかな、というところ。

上記2者の違いがわからないのですが。とりあえず

> ・いじめをしちゃあいけない。
> ・授業中さわいじゃいけない。

について言えば、両者とも「学校内では他人の学習活動の邪魔をしてはいけない」
と成文化すれば片付く問題だというのが私のスタンスです。どこまでがいじめかと
いうような不毛な線引きを試みるよりは、そのことによって勉強しようとしている
他の生徒が不利益をこうむっているという明らかな状況があるときには、それを取
り締まる権限を教師なり別の人間なりに与えるようにすればいいわけです。この場
合「権限を与える」側には生徒も含まれなければなりません。つまり生徒もまきこ
んだ「約束事」にするわけです。


> もっと本質的なのは、さわいじゃいけないそのもの
> よりも、聞いてないんじゃお話にならないってこと。ところが、聞いてる・
> 聞いてないって、規則違反を摘発するに足るほどに明確な外的指標が得ら
> れない(し、いつでもいちいち摘発したいことがらでもない)。

いや、それは「本人」の問題だから、本人の勝手でしょう。自分が「聞いてな」く
て落ちこぼれても、留年しても、別に他人の邪魔をしていないんなら、「罰する」
必要はないですよね。

「他人の学習活動の邪魔をしない」という環境があれば、あとは、そういう「聞い
てない」生徒でも授業に引き込んで一定の学力まで引き上げるのは、規則とかの問
題ではなくて、教師の教授スキルの問題で、それこそ先生の腕の見せ所なわけで
す。なにしろ、くだらない意味不明の授業で静かにしていることほど苦痛なことは
ないわけですから、学生を罰することになる以前に教師が出来ることはいろいろあ
るということです。

ところで、茶髪とピアスが学校内で他の生徒の学習活動の邪魔をしているかという
と、他の学生どころか自分の学習活動も妨げているとは言い難いですね。

萩原@グリフィス大学

shuji matsuda

unread,
Apr 26, 2001, 3:34:12 AM4/26/01
to
In article <9c8b2h$7qq$1...@nn-os104.ocn.ad.jp>,
"gakku" <ga...@mint.ocn.ne.jp> wrote:
:> 学校には、そんなことより、しなきゃならないこ

:> とがあるからです。知育、体育、徳育です。あたりまえでしょ。
:そうですよね。でも、「今なにをすべきか」判っていない「子ども」
:には教えていかなければならないんです。
:赤ん坊に、「トイレに行きたくなったら『しっこ』と言いなさい。」
:と教えたように。

そういうレベルのことって、学校で教えることですか?
第一に本人が自分ですべきことで、せいぜい家庭の問題だと思います。
生活レベルで支障を来すようなことを習うのに高校へ行くのは間違って
いて、幼稚園で保母さんにでも学んだ方がよっぽど良い。

高校までの学校は、まずは知識の伝達のためであって、それ以外は二
次的なものです。だからこそ、学科の教師がいるのでしょう?

:『変なカッコ』の学生は、就職の面接にその格好で行ったのか?どうか?

ほとんど、大学進学で就職はいなかったと思います。

:校則のない高校だったのに、校長、進路指導の先生をはじめとする方たち
:が、卒業式や指定校推薦をもとめる業者の来校に適当な格好をしていたのか?

進路指導の教官はいなかったと思います。私も進路は自分で決めましたし、
指導された記憶がない。それが当然だと思っていました。

教職員はもちろん世代が違いますから背広の人が多かったと思います。
学生の方は卒業式でも、いろいろな格好をする人はいました。羽織袴とか。
いわゆる学生服の人もいれば、僧籍の人は袈裟できたりしていました。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

Hideo Sir MaNMOS Morishita

unread,
Apr 26, 2001, 3:39:26 AM4/26/01
to

In article <smatsuda-260...@p10.pharm.med.keio.ac.jp>,

smat...@med.keio.ac.jp (shuji matsuda) writes:
> In article <9c7e7b$g57$1...@news01.iij4u.or.jp>,
> "Tsuno" <g-s...@mtg.biglobe.ne.jp> wrote:
> :ということであれば、尚更、相手(面接を受ける会社・学校)
> :が、どういう判断をするか、互いに(面接される側もする側も)
> :知るために、本来の「見かけ」を通すものでしょう。
>
> あの。お見合いをするのじゃないのですから。『裸の自分を見て
> 欲しい』なんて言ってどうするの?仕事に仕事以外のことを求め
> ても仕方がないと思います。

『裸の自分を見て欲しい』って人とお見合いがしたかったです。

--
___ わしは、山吹色のかすてーらが大好きでのぅ
[[o o]] ふぉっふぉっふぉ
'J' 森下 お代官様 MaNMOS 英夫@ステラクラフト
PGP Finger = CD EA D5 A8 AD B2 FE 7D 02 74 87 52 7C B7 39 37

shuji matsuda

unread,
Apr 26, 2001, 4:29:47 AM4/26/01
to
In article <squg0ew...@stellar.co.jp>,
man...@stellar.co.jp (Hideo "Sir MaNMOS" Morishita) wrote:
:> あの。お見合いをするのじゃないのですから。『裸の自分を見て

:> 欲しい』なんて言ってどうするの?仕事に仕事以外のことを求め
:> ても仕方がないと思います。
:
:『裸の自分を見て欲しい』って人とお見合いがしたかったです。

そういう人に限って『ちょっと勘弁して」って思うのじゃないでしょうか。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

ぷらとん

unread,
Apr 26, 2001, 5:16:31 AM4/26/01
to
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AE78C91...@gu.edu.au

> ぷらとん wrote:
>
> >  「事実認識が相容れない」同士をまとめるには、例えば「多数決による決定」
> >  が行われると思います。官庁から依頼されて専門家集団が薬の安全性につ
> >  いて審議したとき、班長は、その優れた学問的カンによって安全性を否定的
> >  に見ていても、多数決の結果、班長の意見が通らなかった場合、班長が自分
> >  の考えに反する結論を推進することになると思います。たとえ多数決の結果で
> >  あっても、それに従わずに薬を選択することが許される社会が望ましいと思い
> >  ます。「まとめる」ことは必ずしも良い事でないと思います。
>
> いわゆる「拒否権」とか「エグゼクティブ・ディシジョン」と呼ばれるもののこと
> ですね。

 そのつもりではありませんでした。

> それ自体は、コミュニティーの構成員がコミュニティーのリーダーにそういう権限
> を与えていれば可能ですね。ただ、その権限を与えているのはあくまで「コミュニ
> ティーの構成員」であるという点が重要で、単に年長だからとか、先生だから、と
> いったような不文律に支えたれた権限だと、その不文律が健全に機能しているとき
> だけしか、その権威は保障されません。

 本当は黒白の決着がつけられない問題であるにもかかわらず、決着がついたかの
 ような結論をだすような、多数決の規則あるいは、拒否権を認める規則があったと
 しても、そういう「規則」による「決定」が、すべての人を一色に染め上げて縛る
 ことは望ましくない。人々が、出来うる限り多くの正しい情報に基づいて自分で薬
 を選択できることが望ましいということです。自社の製品を回収しているという情
 報を手に入れていながら、それが学界で認められるような論拠にならないという
 理由で無視するような、学者だか実務官僚だかわからないような人物の決定によ
 って決められた薬だけが多くの人の手に渡るようなことは望ましくない。人々が自
 分で正しい情報を得てそれに基づいて自分で薬を選択できることが望ましいという
 ことです。茶髪やピアスについても、 「先生が良いと言うから」、 「多数決
 で、良くないことになったから」などという理由だけで、やっていいと思いこんだ
 り、やってはいけないと思いこんだりするのではなく、自分でさまざまの情報を検
 討して、自分がどうするかの結論を出すことが望ましいと思います。

> で、どのようにしてある人物に権限を与えるかが問題になるわけです。どうしたら
> いいと思いますか?

 多数決による決定でも、拒否権発動による決定でも、人々は、それが「規則で決
 まったことだから」と言う理由で納得するように努力することは良くないと、私は
 言っているのですから、特定の人物に権限を与える方法はここでは問題ではあり
 ません。

 #法律で決まったことは「権威」はなくても「物理的力」を伴っていますから、特
  定の人物に権限を与える方法は大問題であることは認めます。
  では、さようなら。

T.T

unread,
Apr 26, 2001, 6:25:49 AM4/26/01
to
Tsuno wrote:

> 「受験などで面接がある人で困るという人は、黒く戻す」
> というのは、どうしてですか?
> 何が「困る」んですか?

見た目だけで不当に過小評価する人が沢山いるからでしょう。
#良く言われるのは『服装の乱れは心の乱れ』まぁ、確かに基本的にそうだけれど、
#一部の人は乱用しているような気もする。いいじゃないか別に。
#(結局)現代の社会人に必要な物は生産性なのだから。
#もう、人間の一律化による協調性・親和性は(軍隊などを除いて)ほとんど必要ない。


> どうして「受験の面接」で変えるのでしょう?
> 「面接」こそ、自己主張・自己表現の場でしょう。

体面を気にするのは、人間としてごく当たり前でしょう。
まして、そういう場では、そういう人が多いのだから。
面接で印象を良く見せるのは悪い事ではないと思いますよ。

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 26, 2001, 8:16:24 AM4/26/01
to
萩原さんの記事<3AE7BF9D...@gu.edu.au>:

> > わたしが今気にしているのは、萩原さんの主張は、「明文化してないことは
> > 口出すな」なのかな、「規則になければ放っておく。放っておかなきゃなら
> > ない」なのかな、というところ。
>
> 上記2者の違いがわからないのですが。

あ~、ごめんなさい。同じことのつもりでした。「いいかえると」とか
「つまり」とかで結ばないと、選択肢の提示に見えちゃいますね。

> > ・いじめをしちゃあいけない。
> > ・授業中さわいじゃいけない。
>
> について言えば、両者とも「学校内では他人の学習活動の邪魔をしてはいけない」
> と成文化すれば片付く問題だというのが私のスタンスです。

つまり、個別的な規則についてバラバラに考えるよりも、上位の目標を
はっきり意識化することの方が重要だ、ということだと理解しました。
(違うかも知れませんが、そのときは訂正願います。)

それはそれで前進だと思えるのですが、まだひっかかっています。
# 負担にならない程度にお付合いください。

ひっかかりのその1:
> どこまでがいじめかと
> いうような不毛な線引きを試みるよりは、そのことによって勉強しようとしている
> 他の生徒が不利益をこうむっているという明らかな状況があるときには、

「どこまでが他の生徒が不利益をこうむっている状況か」に線引きの焦点が
移るだけではないか、と。
(結局は、細則に依存する構造にするか、ある種の裁量ないしは恣意性を
伴う構造にすることかのいずれかになるのではないか。)

ひっかかりのその2:
「いじめ」に関しては、「学校内では他人の学習活動の邪魔をしてはいけない」
という問題として扱い切れるのだろうかと。
(どこまでが学校教育が関与する範囲なんだ、何が学校教育の目標なんだ、
という話になってしまいそうなんですがね。)
# 実際分岐した枝は結構そっち方面に向かう傾向になっているような。

ひっかかりその3:


> いや、それは「本人」の問題だから、本人の勝手でしょう。自分が「聞いてな」く
> て落ちこぼれても、留年しても、別に他人の邪魔をしていないんなら、「罰する」
> 必要はないですよね。

「授業中さわぐ」に関しては、直接規則で規定する範囲は限定されるという
ことで、ほぼ了解です。

ここでのポイントは(うまく表現できてなくて申し訳ないですが)、むしろ、
規則にも決めず、罰しもしない範囲で、生徒の学習観・学習する態度への働き
かけとかいったことが教師の仕事としてありうるわけですが、そういうのは
よろしいと考えておられるのかどうかです。

多分別便<3AE78C91...@gu.edu.au>の、


> その権限を与えているのはあくまで「コミュニ
> ティーの構成員」であるという点が重要で、単に年長だからとか、先生だから、と
> いったような不文律に支えたれた権限だと、その不文律が健全に機能しているとき
> だけしか、その権威は保障されません。

あたりの話題に関わってくるのだろうと思うのですが。

---


> 「権限を与える」側には生徒も含まれなければなりません。つまり生徒もまきこ
> んだ「約束事」にするわけです。

については、わたしがまとまらないと感じているところに関わるようなので、
また機会があったら書くかも知れません。
(規則は、先生と生徒との双方の権利と義務とを規定する構造を持つと考
えるべきなんだろうけど、それはつまりどういうことなんだろうか、生徒と
先生の立場は対称と見るとすっきりするのか、非対称とみるとすっきりする
のか、なんてことを考えてます。)
# 上のその3も、結局この辺にきそうではあるけど。

> 学生を罰することになる以前に教師が出来ることはいろいろあ
> るということです。

この辺は承知した上で、規則の守備範囲をはっきりさせようという主旨だと
思っていただければ幸いです。

> ところで、茶髪とピアスが学校内で他の生徒の学習活動の邪魔をしているかという
> と、他の学生どころか自分の学習活動も妨げているとは言い難いですね。

ええ、その通り。本来個人の勝手の領域だと思ってます。
(ただ、それを単にそう言ってしまうと、教育関係の人たちと対話するのは
難しいのかな、と。)

前にこの話題が出たときに考えたのですが、この筋でこの種の他人への迷
惑(?)があるとすると、妙に色っぽい格好をしていると、ココロまどわさ
れて勉強どころじゃないというようなのくらいかな、と。
# あとはもう茶髪だろうが、ピアスだろうが。

--
たかはし (かいじうのきぐるみだろうが←ほんとか?)

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 26, 2001, 9:34:28 AM4/26/01
to
「自分で考えて自分で決める」のはあくまで、「自分だけ」に関すること
です。その点について言えば、茶髪だのピアスだのは個人の好みの問題で
あって他人に影響を及ぼさないという意味でまさに「自分で考えて決める」
べき性質のことがらです。

ところで、薬だの、茶髪だの、ピアスだのの文脈のなかで、どうして以下
の引用部のような話を持ち出してきたのか、意味不明です。

ぷらとん wrote:
>  多数決による決定でも、拒否権発動による決定でも、人々は、それが「規則で決
>  まったことだから」と言う理由で納得するように努力することは良くないと、私は
>  言っているのですから、

以上で言われていることは通常「自分のしたことが他人を巻き込む場合」
にとられる規則制定の手続きの話です。

そもそも多数決で規則を決めよう、というのは、社会の中で誰かの「迷惑
行為」が自分にふりかかってこないように、「お互いにそんな迷惑行為は
しないようにしよう」という約束事を作って、そのかわり自分もその約束
事にしばられる覚悟をすることです。「納得」というのは言い換えればそ
の「覚悟」のことです。

薬を飲む飲まないの話は、そもそもそういう約束事とは全く関係のないこ
とです。それはどちらかといえば茶髪やピアスと同類の話であって「自分
で考えて自分で決め」ればいいものですね。多数決とは関係ない。

私が言っているのは、そもそも「他人に影響をおよぼさない」個人の好み
について「規制」しようとするなら、だれにでも正しいと理屈で認めさせ
ることができるような理由をつけて成文化する試みをしてみたらどうだ、
つまり「できるものならやってみろ」ということです。そんなことはどう
せできはしません。

萩原@グリフィス大学

shuji matsuda

unread,
Apr 26, 2001, 10:07:38 AM4/26/01
to
In article <9c8c2i$dqe$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp>,
kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp (Kazuhiro TAKAHASHI) wrote:
:・いじめをしちゃあいけない。
:・授業中さわいじゃいけない。

これには持論がありますので言わせて下さい。

日本でのいじめは、多数が異質を排除する、という形をとります。
これは、同一年齢の集団がほぼ同質なままで進級するという現状を
反映しています。

授業中にさわぐのは、他の事がしたいのに、授業にでているからです。
出なくて良い、ということにすれば騒ぎません。外にいってくれます。

根本的な解決策として、

年齢別の学級を作らず、学年を廃止する。
履修過程をほぼ全面的に選択できるようにする。
必修は最低限の科目、日本語と算数だけにする。
中学からの英語の必修を廃止し、選択科目として、韓国語と並べる。
学校は自分の好きなことを履修するところだと明確に打ち出す。
単位次第で、飛び級、落第、なんでもありにする。
9年間は国費で義務教育とする。

というのを私は提案します。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 26, 2001, 10:46:35 AM4/26/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> 萩原さんの記事<3AE7BF9D...@gu.edu.au>:

> ひっかかりのその1:
> > どこまでがいじめかと
> > いうような不毛な線引きを試みるよりは、そのことによって勉強しようとしている
> > 他の生徒が不利益をこうむっているという明らかな状況があるときには、
>
> 「どこまでが他の生徒が不利益をこうむっている状況か」に線引きの焦点が
> 移るだけではないか、と。

他人を思いやるというのは、昔からあったコンセンサスでしたが、
そのコンセンサスを改めてとりなおすという作業はやってみる価値
があるかもしれません。社会とかコミュニティーとかを考えたとき
に、なぜ他人を思いやらないといけないか、という点は比較的理屈
で納得しやすい部分ではないでしょうか。理屈で納得出来るものな
ら、規則にする価値はあります。

> (結局は、細則に依存する構造にするか、ある種の裁量ないしは恣意性を
> 伴う構造にすることかのいずれかになるのではないか。)

というか、大筋で「他の生徒の学習活動の邪魔をしない」というこ
とが規則として支持されていさえすれば、あとは、ことあるごとに、
「それは他の生徒の学習活動の邪魔になっていないか」を生徒自身
に考えさせればいいのでは? 

たとえば、授業中に携帯でメールを書いている生徒がいたとして、
生徒同士の話し合いの結果、仮にそれは他の生徒の邪魔になってい
ない、という結論になれば、おかまいなしでかまわないのではない
かとさえ思います。本人の学力低下には、そのかわり本人が責任を
もたないといけませんが。

無論おかまいなしの結論になった場合、教師や他の生徒がその結論はなんか変だと思えば、別の機会にもう一度その件を持ち出して考えさせてみるということも大切です。


> ひっかかりのその2:
> 「いじめ」に関しては、「学校内では他人の学習活動の邪魔をしてはいけない」
> という問題として扱い切れるのだろうかと。

おっしゃるとおり、いじめの問題は規則うんぬんとは別の次元の問
題です。撤回します。


> ひっかかりその3:
> > いや、それは「本人」の問題だから、本人の勝手でしょう。自分が「聞いてな」く
> > て落ちこぼれても、留年しても、別に他人の邪魔をしていないんなら、「罰する」
> > 必要はないですよね。

> ここでのポイントは(うまく表現できてなくて申し訳ないですが)、むしろ、


> 規則にも決めず、罰しもしない範囲で、生徒の学習観・学習する態度への働き
> かけとかいったことが教師の仕事としてありうるわけですが、そういうのは
> よろしいと考えておられるのかどうかです。

もちろんです。よろしいもなにもありません。上に挙げた、コンセン
サスの取り直しの話とか、生徒自信にことの良し悪しを考えさせると
か、そういった働きかけを通して、学習観、学習態度に働きかけるこ
とは、教師の仕事の一部でしょう。

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 26, 2001, 11:23:52 AM4/26/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> 萩原さんの記事<3AE7BF9D...@gu.edu.au>:

> ひっかかりのその1:


> > どこまでがいじめかと
> > いうような不毛な線引きを試みるよりは、そのことによって勉強しようとしている
> > 他の生徒が不利益をこうむっているという明らかな状況があるときには、
>
> 「どこまでが他の生徒が不利益をこうむっている状況か」に線引きの焦点が
> 移るだけではないか、と。

他人を思いやるというのは、昔からあったコンセンサスでしたが、


そのコンセンサスを改めてとりなおすという作業はやってみる価値
があるかもしれません。社会とかコミュニティーとかを考えたとき
に、なぜ他人を思いやらないといけないか、という点は比較的理屈
で納得しやすい部分ではないでしょうか。理屈で納得出来るものな
ら、規則にする価値はあります。

> (結局は、細則に依存する構造にするか、ある種の裁量ないしは恣意性を
> 伴う構造にすることかのいずれかになるのではないか。)

というか、大筋で「他の生徒の学習活動の邪魔をしない」というこ
とが規則として支持されていさえすれば、あとは、ことあるごとに、
「それは他の生徒の学習活動の邪魔になっていないか」を生徒自身
に考えさせればいいのでは? 

たとえば、授業中に携帯でメールを書いている生徒がいたとして、
生徒同士の話し合いの結果、仮にそれは他の生徒の邪魔になってい
ない、という結論になれば、おかまいなしでかまわないのではない
かとさえ思います。本人の学力低下には、そのかわり本人が責任を
もたないといけませんが。

無論おかまいなしの結論になった場合、教師や他の生徒がその結論
はなんか変だと思えば、別の機会にもう一度その件を持ち出して考
えさせてみるということも大切です。

> ひっかかりのその2:
> 「いじめ」に関しては、「学校内では他人の学習活動の邪魔をしてはいけない」
> という問題として扱い切れるのだろうかと。

おっしゃるとおり、いじめの問題は規則うんぬんとは別の次元の問
題です。撤回します。


> ひっかかりその3:
> > いや、それは「本人」の問題だから、本人の勝手でしょう。自分が「聞いてな」く
> > て落ちこぼれても、留年しても、別に他人の邪魔をしていないんなら、「罰する」
> > 必要はないですよね。

> ここでのポイントは(うまく表現できてなくて申し訳ないですが)、むしろ、


> 規則にも決めず、罰しもしない範囲で、生徒の学習観・学習する態度への働き
> かけとかいったことが教師の仕事としてありうるわけですが、そういうのは
> よろしいと考えておられるのかどうかです。

もちろんです。よろしいもなにもありません。上に挙げた、コンセン
サスの取り直しとか、生徒自信にことの良し悪しを考えさせるとか、
そういったことを通して、学習観、学習態度に働きかけることは、教
師の仕事の一部でしょう。

萩原@グリフィス大学

yonemura

unread,
Apr 26, 2001, 12:17:35 PM4/26/01
to
米村@埼玉です。

"Tsuno" <g-s...@mtg.biglobe.ne.jp> wrote in message
news:9c6ver$8id$1...@news01.iij4u.or.jp...

> >現実問題として社会では、
> >偏見の目で見られるという人がいるでしょうが、
> >そんなことは生徒も十分承知してます。
> >受験などで面接がある人で困るという人は、
> >そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
>
> 「受験などで面接がある人で困るという人は、黒く戻す」
> というのは、どうしてですか?
> 何が「困る」んですか?

こんなこと聞かなくてもわかるでしょう。
現実問題として社会では、
偏見の目で見る人がいるでしょう。

> どうして「受験の面接」で変えるのでしょう?
> 「面接」こそ、自己主張・自己表現の場でしょう。
> ご存知でしたら、教えて下さい。

あなたは“髪の色”や“ピアス”によって、
自己主張をするのですか?
別にそれで主張したってかまいませんが、
自分の主張したいことが“髪の色”や“ピアス”だったら、
あまりにも発想が悲しすぎるだけです。

面接で髪の色を戻した人達は、
たかだか髪の色やピアスで試験に落とされるかもしれないのを、
ばかばかしいと思っただけでしょう。

yonemura

unread,
Apr 26, 2001, 12:38:14 PM4/26/01
to
米村@埼玉です。

"Tsuno" <g-s...@mtg.biglobe.ne.jp> wrote in message

news:9c7e7b$g57$1...@news01.iij4u.or.jp...

> わざわざ面接にあたって「見かけ」を本来の自分と変えてまで、
> 「見かけで差別する」会社もしくは学校に入ってどうするんですか?
> 大体、相手が「差別」するかどうか分かってもいないのに、
> 敢えて「見かけ」を変えるって、どういうことなのでしょう?

差別するかどうかわからないから、
髪の色を戻すのでしょう?
“差別しない“とわかっていたら、
髪の色を戻したりなんかしません。

> >とか言われることも多いですね。でも、逆に、そういう人だという
> >のが、一発でわかるのは、便利な気もしますね。
>
> ということであれば、尚更、相手(面接を受ける会社・学校)
> が、どういう判断をするか、互いに(面接される側もする側も)
> 知るために、本来の「見かけ」を通すものでしょう。
> 互いを認識するために「面接」があるのですから、
> そういう場所に「見かけ」を変えて出向くのは、本末転倒では?

もしあなたが茶髪やピアスを自分のポリシーだと思っていて、
これこそが自分なんだと思えるような信念があるのなら、
それは変えるべきでないでしょう。
本当に見てもらうべきことは、
自分の根幹にかかわるものです。

ちなみに僕だったら茶髪やピアスで、
自分をアピールしようなんて思いませんね。
自分の考えとか何がしたいかなどをアピールします。


Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 26, 2001, 3:35:25 PM4/26/01
to
fj.educationでの
松田さんの記事<smatsuda-260...@p10.pharm.med.keio.ac.jp>:

> In article <9c8c2i$dqe$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp>,
> kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp (Kazuhiro TAKAHASHI) wrote:
> :・いじめをしちゃあいけない。
> :・授業中さわいじゃいけない。
>
> これには持論がありますので言わせて下さい。

もちろん結構です。でもって、この際 fj.soc.education のにぎやかしに
参画してくだされ。(^_^;)
# で、Followup-To: fj.soc.education。
# とにかくなるべく社会的・政治的な観点ですのでよろしく。
# (松田さん基礎体力相当ありそうだし。)

> 日本でのいじめは、多数が異質を排除する、という形をとります。
> これは、同一年齢の集団がほぼ同質なままで進級するという現状を
> 反映しています。

ありえる話だけど、わかりません。
# げっ、いきなりコレはいかにもまづいぞぞぞ。
# (……気にせず進んでしまおう。)
# 誰か異論述べて頂戴。

> 授業中にさわぐのは、他の事がしたいのに、授業にでているからです。

それは多分かなりそうです。

> 出なくて良い、ということにすれば騒ぎません。外にいってくれます。

それは多分無理です。
学校は世に単体で存在しません。好むと好まざるとに関わらず、社会的
機能をいろいろな形で果たしています。

だもんで、学校で学年をなくしても、好きな科目を用意して好きなだけ
選べるようにしても、「学校を出たときのことを考えてだなぁ」のプレッ
シャーがあって、「他の事がしたいのに、授業にでている」というのが
起こります。

高校の教科の選択性は現状でもかなり増えています。でも、その範囲が
フルに利用されているわけでもありません。「大学受験に使える科目」が
支配的です。

もっと微妙な現象としては、児童生徒学生が授業に出るのは、授業に
参加するためというよりも、友達と一緒に居るためです。友達と一緒に
同じ事をしたいということは、学校というシステムの授業という場で
こそ達成されているわけです。

> 学校は自分の好きなことを履修するところだと明確に打ち出す。

システムの根底的な変革が必要です。

> 年齢別の学級を作らず、学年を廃止する。
> 単位次第で、飛び級、落第、なんでもありにする。
> 履修過程をほぼ全面的に選択できるようにする。

要するに単位履修制ですよね。それも開講学年学年指定なし。

> 必修は最低限の科目、日本語と算数だけにする。

をを。国語でなくて日本語ですね。中身は「討論」と「文書による論述」
でしょうね。

> 中学からの英語の必修を廃止し、選択科目として、韓国語と並べる。

学習指導容量では、もともと「外国語」としか規定されてないです。
でも、結局英語のことしか書いてないで、「他の外国語は英語に準ずる」
でもって、「英語を履修させることを原則とする」というなんだかわけ
わかんないことになっているので、もっと強力に韓国語をサポートするのは
よろしいです。
# 普通に考えて英語の伝でいけるのは、いわゆる印欧語の一部だけだろうし。
# (…でもそれで中身を考え出すと単なるeducationとかlangとかの方のネタ
# になっちまうもんで、そっちにはいかないでくだされ。)

何故韓国語なのかを論じて頂きたい。

> 9年間は国費で義務教育とする。

わからん…。9年たったらそれでおしまい、ってこと?
私学はナシだぜ、がポイントでひょか?
国費とゆわれるのは?

教育はかけがえのない投資である。
その事実を国民に広く知らしめるためには、教育費はすべて当事者がまか
なうのがよい。タダだなんていった日には、もらいもんのお守り程度の
ありがたみしかないではないか。

国民教育は国の宝である。日本の基礎体力の涵養ためには、潤沢な投資が
必要である。日本の子供人口は減少している。生み育てる意欲を湧きたた
せるためにも、国費の投入が必須である。

--
たかはし (どうなっかな~~)

masima_~

unread,
Apr 26, 2001, 9:29:02 PM4/26/01
to

"shuji matsuda" <smat...@med.keio.ac.jp> wrote in message
news:smatsuda-260...@p10.pharm.med.keio.ac.jp...
> 中学からの英語の必修を廃止し、選択科目として、韓国語と並べる。

 今のところやっぱり英語でしょう。10年後は人口からいっても
経済規模(?不明)からいっても中国語になるかもしれないけど。
(漢字きらいだけど)

 私も英語(まじめにやらなかったけど)教育について今思い出すと
だめだなと思ったところがあります。
(今はかなり改善されているのかも)

 まず、英語の発音記号をしっかり教えてほしい。
 先生自身が完璧に発音できないものだから
「だいたいわかるでしょう」で適当にごまかされて
済まされ困った経験がある。(これはむかつく)

 あと生徒に読ませるのもやめてほしい。
レベルの低い生徒の変な発音を聞いてそれが身についてしまうから。
(しかし先生自身も発音が変だし)

 つまりきちんとした発音のできる先生(最悪CDでもよい)がきちんと発音して
舌や口の動作を細かく教えてほしい。

ぷらとん

unread,
Apr 27, 2001, 12:03:34 AM4/27/01
to
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AE823E6...@gu.edu.au

> ところで、薬だの、茶髪だの、ピアスだのの文脈のなかで、どうして以下
> の引用部のような話を持ち出してきたのか、意味不明です。
>
> ぷらとん wrote:
> >  多数決による決定でも、拒否権発動による決定でも、人々は、それが「規則で

> >  まったことだから」と言う理由で納得するように努力することは良くないと、
私は
> >  言っているのですから、
>
> 以上で言われていることは通常「自分のしたことが他人を巻き込む場合」
> にとられる規則制定の手続きの話です。
>
> そもそも多数決で規則を決めよう、というのは、社会の中で誰かの「迷惑
> 行為」が自分にふりかかってこないように、「お互いにそんな迷惑行為は
> しないようにしよう」という約束事を作って、そのかわり自分もその約束
> 事にしばられる覚悟をすることです。「納得」というのは言い換えればそ
> の「覚悟」のことです。
>
> 薬を飲む飲まないの話は、そもそもそういう約束事とは全く関係のないこ
> とです。それはどちらかといえば茶髪やピアスと同類の話であって「自分
> で考えて自分で決め」ればいいものですね。多数決とは関係ない。

 薬の安全性の判定や、一般人が使える薬の選定について審議する専門家
 集団が、事実判断を多数決で行うことがあるようなことを聞いたので、薬の
 話と多数決の話は無関係ではないと思うのです。その多数決が誤った判断
 を採用することもある以上、「多くの専門家が決定したことだから正しいだろ
 う。」と思ってしまってはいけないと思って書いたのです。裁判なら、複数の
 裁判官が決定した判決でも、くつがえされる可能性は残されていますが。

> 私が言っているのは、そもそも「他人に影響をおよぼさない」個人の好み
> について「規制」しようとするなら、だれにでも正しいと理屈で認めさせ
> ることができるような理由をつけて成文化する試みをしてみたらどうだ、
> つまり「できるものならやってみろ」ということです。そんなことはどう
> せできはしません。

 学校の教師が、算数の答えを多数決で決めさせたという笑い話(実話?)
 がありますが、答え合わせを、隣の生徒と答えが一致していたら正答、とい
 うかたちで行わせることなら、私が子どものころ有りました。これも、考えて
 みると、今でも有るかもしれないけれど、おかしな話だと思います。
 これからは、民主的手続きで決まったことを守らせる教育の時代かもしれま
 せんが、何かをやらせたい(例えば、ピアスを禁止したい)教師たちが、自説を
 生徒や親に聞かせて、少しだけ生徒や親に討論させて、さらに多数決に持ちこ
 んでしまえば、ピアス禁止が形式上は民主的に実現してしまうかもしれない、な
 どと考えてしまいました。                では、さようなら。

shuji matsuda

unread,
Apr 27, 2001, 3:11:57 AM4/27/01
to
In article <3AE78B37...@gu.edu.au>,
Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote:
:> 私の通っていた高校には、何も規則はありませんでした。全て不文律です。
:不文律が問題無く機能しているなら、明文化する必要はありません。
:明文化した規則というのは、不文律が機能しなくなった(なるであろう)時の話。

ありゃ、民主主義の国家の中では学校においても全て民主主義であるべきで、
それには明文化された規則が必要である、という主張だと思っていましたが、
違うんですね?

とすると、

機能している不文律ならよろしい、

ということで、言い換えれば、

機能させられたら明文化する必要はない

というのでよろしいのでしょうか。じゃあ、機能させる方が主眼で文章とか
民主主義は重要でない、ということになりますね。

私は、学校は民主主義的である必要などない、と思います。実際の社会でも
未成年の投票権は認められていません。君達の意見は聞く気がない、という
意味です。

:で、「茶髪でピアス」というのは、ある学校(あるコミュニティー)で、
:その不文律の機能が怪しくなってきたという話です。

不文律は、書いていないので変更も簡単です。あるといえばあるし、ないと
いえばないので。ただ、私は『茶髪でピアス』なんて、どちらでも良いと
思います。そういうことが問題になるのは、『学校は何をする所か』という
のを明確に打ち出していないからだ、というのが、私の考えですので。

:「浴槽での大便禁止」は、不文律ではないでしょう。やれば、何らかの
:法律を適応されて罰せられるだろうし、ならば、それはその成文法の守
:備範囲と言えるからです。

文章で書くとその通りに現実が動くのか?というと、全く違います。
なぜ駐車違反が減らないの?どうして自動車は制限速度の20km/h超で走って
いるわけ?ボロボロに違反している人がいるのが現実です。

ちなみに、これと似た話は札幌地裁で民事裁判になっていて、風呂でウォッカ
を飲んで騒ぐロシア人の船員を法律で規制することはできていません。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 27, 2001, 4:23:35 AM4/27/01
to
萩原さんの記事<3AE83D88...@gu.edu.au>:

> > (結局は、細則に依存する構造にするか、ある種の裁量ないしは恣意性を
> > 伴う構造にすることかのいずれかになるのではないか。)
>
> というか、大筋で「他の生徒の学習活動の邪魔をしない」というこ
> とが規則として支持されていさえすれば、あとは、ことあるごとに、
> 「それは他の生徒の学習活動の邪魔になっていないか」を生徒自身
> に考えさせればいいのでは? 

えーと、これはまず確実に、問題の「発生→検討→解決」というプロ
セスを「繰り返して」経ることになりますよね。

ここでは、「検討」の部分だけを取り上げておられると思います。

「繰り返して」についてですが、前に決定した履歴が残ると考えて
おられると思います。それは、細則を決めることに相当します。

問題の「発生」についてですが、基本的には迷惑に思われないことは
話題にならないわけですから、誰かが「これはまずいのでは?」と言い
出した時点で、「それが迷惑」ということはほとんど決定に近いと
感じられます。訴えが出た時点で、すでに無条件の被害者と無条件の
加害者という図式が成立しているといいますか…。

先生は、「迷惑だ」といいだす権利があるのでしょうか。先生が言っ
たらそれもほぼ自動的に迷惑と認定だとなっていると、なんか当初の
出だしとはずいぶん違う話になりそうです。
(でも、わたしは、先生も迷惑だといい出せる一人に入っていて欲しく
はあるのです。うるさいと授業での説明がまるっきりタコになってしまう
ので。)

やはりどこかで利害調停型だということが明示的なモデルに当てはめて
考えておかないときつそうだな、と感じました。(具体案なし。)

また、実際にこの方式を取り入れると、授業が動議ばかりの会議みたい
になってしまいそうだとも思います。
(「こら、黙ってろ」ってのの機能は、すぐさま状況を変更できるって
ところが大きいと思うわけでして、それがないってのはかなりキビシイ。)

先生が思考停止的な規則を押し付けるってのはいかにもまずい、という
ところはよくわかるのですが、実際問題としてはやっぱいろいろ難し
そうだなぁ、です。

> もちろんです。よろしいもなにもありません。上に挙げた、コンセン
> サスの取り直しとか、生徒自信にことの良し悪しを考えさせるとか、
> そういったことを通して、学習観、学習態度に働きかけることは、教
> 師の仕事の一部でしょう。

うーん、無条件で賛成だったとは。
もともと、教師の教育的な働きかけってのと、押し付け・強制・脅し・
圧迫ってのと区別ってのは、難しいところがあるなぁと思ったのですが、
そうでもないのかな?

教師は何故に、押し付け・圧迫ってなことができるのか、教師の権力・
権威はどうして形づくられているのか、なんてなあたりを考えてみる
べき話なのかな…。

# …と全般にナニヤラ方向性を見失ってしまったのであった。

--
たかはし (とにかくおつきあいいただき感謝です > 萩原さん)

ga...@ieee.org

unread,
Apr 27, 2001, 9:05:29 AM4/27/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
>
> 教師は何故に、押し付け・圧迫ってなことができるのか、教師の権力・
> 権威はどうして形づくられているのか、なんてなあたりを考えてみる
> べき話なのかな…。

親や塾の講師と比べて圧倒的に違うのは、
生徒の公的な評価を任されている点ですね。
--
へ〃へ
彡, , ミ
(▼" "彡
^ Y. KAMIMURA <mailto:ga...@ieee.org>

Ayako Ikizane

unread,
Apr 27, 2001, 4:47:02 PM4/27/01
to
"Kaz Hagiwara"さん <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AE7BF9D...@gu.edu.au...
> Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
>
> > ・いじめをしちゃあいけない。
> > ・授業中さわいじゃいけない。

学校内においては、絶対多数の生徒の利益を一番に考え
教師は指導にあたるべきであると考えます。
明文化されていようがいまいが。

> > もっと本質的なのは、さわいじゃいけないそのもの
> > よりも、聞いてないんじゃお話にならないってこと。ところが、聞いてる・
> > 聞いてないって、規則違反を摘発するに足るほどに明確な外的指標が得ら
> > れない(し、いつでもいちいち摘発したいことがらでもない)。

第一に絶対多数の生徒の利益を考え
「他人の学習権を侵害してはいけない」の指導。
第二に個々の生徒の利益を考え、
「話を聞く態度を身につけて、意欲的に授業に参加しよう」の指導。
これらの声かけは、教師として欠かしてはならないものであると思います。
明文化されていようがいまいが。

> いや、それは「本人」の問題だから、本人の勝手でしょう。自分が「聞いてな」く
> て落ちこぼれても、留年しても、別に他人の邪魔をしていないんなら、「罰する」
> 必要はないですよね。

罰する必要はないですが、
「本人の問題だから、本人の勝手」というスタンスについては
それが教師のものであるとするならば、いかがなものかと思います。

> 「他人の学習活動の邪魔をしない」という環境があれば、あとは、そういう「聞い
> てない」生徒でも授業に引き込んで一定の学力まで引き上げるのは、規則とかの問
> 題ではなくて、教師の教授スキルの問題で、それこそ先生の腕の見せ所なわけで
> す。なにしろ、くだらない意味不明の授業で静かにしていることほど苦痛なことは
> ないわけですから、学生を罰することになる以前に教師が出来ることはいろいろあ
> るということです。

同意いたします。
但し、くだらない意味不明の授業であっても
静かに受けるということは大事だと思います。
確かに苦痛なことであるとは思いますが。

> ところで、茶髪とピアスが学校内で他の生徒の学習活動の邪魔をしているかという
> と、他の学生どころか自分の学習活動も妨げているとは言い難いですね。

学習活動そのものを妨げているとは言い難いですが、
学校内の生徒に迷惑をかけているという現実はあります。

学校の果たすべき役割の一つに「進路保証」があると思いますが、
茶髪やピアスが溢れている学校については
入試の際に敬遠されると言う現実があります。
しかし、それは決して見せかけのみに左右される社会を
背景にして行われている判断ではなく
存在するルールを軽んじる社会性の弱さを欠点として
合否の判定材料に用いているからだろうと思います。

『茶髪やピアスが溢れている学校については
存在するルールを軽んじる態度を「否」として指導しきれていない・・・
そのような学校で指導を受けた生徒は、合格させて入学を許可したところで
きっと期待には答えてくれないだろう・・・』

このような受け入れ学校側の思惑が存在するのは現実であり、
その思惑を受けて、生徒指導上は何の問題もない生徒までが
ひとくくりにされ敬遠されるのも、また現実なのです。

茶髪でありピアスをしていることそのものが悪いことではなく、
それが許されている社会においてであれば何も問題はないが、
それが禁止されているにもかかわらず
個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題なのであって
結果、茶髪とピアスが若者の社会性の弱さの象徴となっているから
受験などにおいては
それをもとに外見で判断されているのではないでしょうか?

# ちなみに、面接当日のみ髪を染めても一目で分かりますので
# 実はあまり効果がないと言います。
# 受験校近くの駅に試験官が立ち、受験校を後にした受験生たちの様子を
# 合否の判定材料として使っているというのも聞きました。
# 普段の学校生活で規範意識のない生徒については
# 地域から情報収集をしているケースもあるそうです。

ぷらとん

unread,
Apr 27, 2001, 6:33:56 PM4/27/01
to
<ga...@ieee.org> wrote in message news:3AE96E99...@ieee.org

> Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> >
> > 教師は何故に、押し付け・圧迫ってなことができるのか、教師の権力・
> > 権威はどうして形づくられているのか、なんてなあたりを考えてみる
> > べき話なのかな…。
>
> 親や塾の講師と比べて圧倒的に違うのは、
> 生徒の公的な評価を任されている点ですね。

それもそうでしょうが、古い考え方としては、公立学校の場合、「特別権力関係」、
私立学校の場合、「私法上の契約関係」だったようです。
昔、元公立高校校長である私立高校校長が「特別権力関係」と言う用語を使って
いたことを覚えています。
今はそうでなくて、公立と私立に共通の概念が使われているのかもしれない。

yonemura

unread,
Apr 28, 2001, 9:39:09 AM4/28/01
to
米村@埼玉です。

"masima_~" <bx...@anet.ne.jp> wrote in message
news:9cai6u$nkg$1...@nntp.tiki.ne.jp...

>  私も英語(まじめにやらなかったけど)教育について今思い出すと
> だめだなと思ったところがあります。
> (今はかなり改善されているのかも)

昔の英語教育がどのようなものか知りませんが、
今の英語教育がよいものだとは思えません。
結果も出てます。
日本のTOEFLの平均点は最下位に近いです。

>  まず、英語の発音記号をしっかり教えてほしい。
>  先生自身が完璧に発音できないものだから
> 「だいたいわかるでしょう」で適当にごまかされて
> 済まされ困った経験がある。(これはむかつく)

英語には日本語にない音があるのだから、
自分で辞書などを使って発音を調べるときのために、
発音記号を正しく教えることは不可欠だと思います。
日本語で英語の発音をすべて表記するのは不可能なのだから。

>  あと生徒に読ませるのもやめてほしい。
> レベルの低い生徒の変な発音を聞いてそれが身についてしまうから。
> (しかし先生自身も発音が変だし)
>
>  つまりきちんとした発音のできる先生(最悪CDでもよい)がきちんと発音して
> 舌や口の動作を細かく教えてほしい。

本当は発音だけは小学生からやったほうが良いんです。


Kaz Hagiwara

unread,
Apr 28, 2001, 11:16:41 PM4/28/01
to
Ayako Ikizane wrote:
> 『茶髪やピアスが溢れている学校については
> 存在するルールを軽んじる態度を「否」として指導しきれていない・・・
> そのような学校で指導を受けた生徒は、合格させて入学を許可したところで
> きっと期待には答えてくれないだろう・・・』
>
> このような受け入れ学校側の思惑が存在するのは現実であり、
> その思惑を受けて、生徒指導上は何の問題もない生徒までが
> ひとくくりにされ敬遠されるのも、また現実なのです。

そこを「自分で考える」ことの出来るようにするのが学校なんです
ね。

茶髪なりピアスなりは本質的にだめなの「かどうか」を考え、もし、
そうであっても、そうでなくても、それが「なぜか」を考え、その
うえである社会が自分の好きなファッションを受け入れてくれない
なら「どうしたらいいか」、ファッションが自分にとって「本質的
な物なのか」それとも「どうでもいいものなのか」を自分で考えて
自分の取るべき選択をさせるようしむけるというのも学校でしょう。
単に「就職に不利だから親心を込めて問答無用で禁止する」のでは、
生徒から「考える機会」を奪ってしまっていることになります。

学校はそのためになるべく考える機会と自己啓発の機会と自分の意
見を社会に反映する機会を与えなければならないわけです。同時に
それは、「自分の決定には自分で責任を取る」ということを教える
ことにもなります。

外部は、そういう学校の「ありかた」を見ているはずですし、社会
によってはそのように育てられた人材を歓迎するはずです。

> 個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題なのであって

そのとおりですね。茶髪・ピアスにするがわも、それを見る側も。

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 29, 2001, 5:25:21 AM4/29/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> 萩原さんの記事<3AE83D88...@gu.edu.au>:

> > というか、大筋で「他の生徒の学習活動の邪魔をしない」というこ
> > とが規則として支持されていさえすれば、あとは、ことあるごとに、
> > 「それは他の生徒の学習活動の邪魔になっていないか」を生徒自身
> > に考えさせればいいのでは? 
>
> えーと、これはまず確実に、問題の「発生→検討→解決」というプロ
> セスを「繰り返して」経ることになりますよね。

ホームルームでのクラス・ディスカッションではそうなります。た
だ、そんなに頻繁にそのことのためにホームルームで話し合う必要
はないはずです。その前に「生徒自身で考える」というプロセスを
経ているはずですから。明文化された行動規範として「他の生徒の
学習の邪魔をしない」ということが認識されていれば、あとは、生
徒に何か学校内・教室内で行動を起こす際にはそれが「他の生徒の
学習の邪魔になっていないか」を自問するよう義務づければいいだ
けのことです。

もし、その行動が問題化したときには、その生徒は自分の起した行
動が「他の生徒の学習の邪魔になっていない」と判断した根拠を求
められることになります。つまり「言い訳」の機会が与えられ、そ
の言い訳に教師や他の生徒が納得すればそれでおかまいなしだし、
納得しなければ、謝るなり、もうしないと誓うなり、今回だけは許
すなりの決定をすることにすればいいわけです。本人の方は、起し
た行動は「考えた末の」行動だったと見なされますから、基本的に
はその行動の結果は甘んじて受けなければなりません。

「自分で考える」ことが習慣付けばホームルームや、生徒集会にま
で至るケースはそんなに多くはならないはずです。

したがって、

> 「繰り返して」についてですが、前に決定した履歴が残ると考えて
> おられると思います。それは、細則を決めることに相当します。

「検討の繰り返し」は基本的に「自分の内部」で起こることであっ
て、「細則」も自分の中にできあがっていくわけです。つまり、明
文化された大まかな行動規範を元に、細則を内部化するという作業
を、教師は生徒に訓練する役を負っています。

これに照らせば、

> 誰かが「これはまずいのでは?」と言い出した時点で、「それが迷
> 惑」ということはほとんど決定に近いと

いうことはありません。迷惑だと言い出した側も、迷惑がられた側
も、それぞれの「言い分」として取り扱われることになります。し
かし、基本的な行動規範としての「他の学習者の邪魔にならないこ
と」がわかっていることは自明とみなされますから、迷惑がられた
側が「どうして邪魔にならないと考えたか」という言い訳が有効に
できないと自覚している場合は、「ごめんなさい」と謝っておしま
いになるということは多いでしょうね。それ以前に「言い訳の出来
そうもないことはしない」ようになるから、迷惑行動もへるはずで
す。


> 先生は、「迷惑だ」といいだす権利があるのでしょうか。

教師の役割は「自分で考えさせること」です。教師に迷惑なことは、
たいていは他の学生にも迷惑なことですから、そう大して矛盾する
こともないと思いますが。


> また、実際にこの方式を取り入れると、授業が動議ばかりの会議みたい
> になってしまいそうだとも思います。

「おまえ、ちゃんと考えて行動しているか?」と確認するだけでい
いのでは?

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 29, 2001, 5:45:33 AM4/29/01
to
shuji matsuda wrote:
> In article <3AE78B37...@gu.edu.au>,
> Kaz Hagiwara <K.Hag...@gu.edu.au> wrote:
> :> 私の通っていた高校には、何も規則はありませんでした。全て不文律です。
> :不文律が問題無く機能しているなら、明文化する必要はありません。
> :明文化した規則というのは、不文律が機能しなくなった(なるであろう)時の話。
>
> ありゃ、民主主義の国家の中では学校においても全て民主主義であるべきで、
> それには明文化された規則が必要である、という主張だと思っていましたが、
> 違うんですね?

違いません。ただ、「不文律」自体が民主的なものであって、それ
なりに機能しているなら別にわざわざ明文化しなくてもかまわない
のでは、と言うことです。私が「民主的」と呼ぶ物も実に幅の狭い
物であって異論は当然ありそうですが、それでもあえてここに定義
を披露すすれば、それは

1 生徒は自主的に行動できる
2 生徒は自分の行為の招いた結果には自分で責任をとる

それに加えて、学校では

3 学校は勉強しに来るところである

というあたりが、不文律として機能しているなら、別に何の問題も
ないわけです。

ただ、「いつまでも、あるとおもうな不文律」ですから、昨日、ち
ゃんと機能していたからといって、明日も機能するとは限らないわ
けですが。

> 私は、学校は民主主義的である必要などない、と思います。実際の社会でも
> 未成年の投票権は認められていません。君達の意見は聞く気がない、という
> 意味です。

学校は民主主義の「練習」をするところです。だから、学校内では
「君達の意見を聞く」ことが必要でしょう。


------ここからは別の話------------

> なぜ駐車違反が減らないの?どうして自動車は制限速度の20km/h超で走って
> いるわけ?ボロボロに違反している人がいるのが現実です。

ただし、こういう連中は違反したときに規則の存在を知っていたは
ずだとして裁きを受けなければならないわけです。当然裁判では抗
弁の機会が与えられ、そこで、その規則自体の存在理由も秤にかけ
られることになります。存在理由のない規則であったという反論
(あるいは抗弁、あるいは言い訳)が通れば、額面通りの罪に服さ
なければならないということもないと思います。

> ちなみに、これと似た話は札幌地裁で民事裁判になっていて、風呂でウォッカ
> を飲んで騒ぐロシア人の船員を法律で規制することはできていません。

なら、迷惑だと思う側が変か、そうでないなら、法律が不備なんで
しょう。

萩原@グリフィス大学

Ayako Ikizane

unread,
Apr 29, 2001, 7:48:20 AM4/29/01
to
"Kaz Hagiwara"さん <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AEB879A...@gu.edu.au...

> Ayako Ikizane wrote:
> > 『茶髪やピアスが溢れている学校については
> > 存在するルールを軽んじる態度を「否」として指導しきれていない・・・
> > そのような学校で指導を受けた生徒は、合格させて入学を許可したところで
> > きっと期待には答えてくれないだろう・・・』
> >
> > このような受け入れ学校側の思惑が存在するのは現実であり、
> > その思惑を受けて、生徒指導上は何の問題もない生徒までが
> > ひとくくりにされ敬遠されるのも、また現実なのです。
>
> そこを「自分で考える」ことの出来るようにするのが学校なんです
> ね。

同意いたします。

> 単に「就職に不利だから親心を込めて問答無用で禁止する」のでは、
> 生徒から「考える機会」を奪ってしまっていることになります。

それが弊害であることは十分承知していますが、
理想論通りに行かないのもまた現実です。
それぞれの学校によって色々と事情が異なるとは思いますが、
公立の中学校以下においては、生徒の個性も様々で
「自分で考えることが出来るように」との働きかけが
必ずしも成功するとは限らないと思います。
そして、失敗したときには、その影響はその一人の生徒に留まらず
瞬く間に学校全体の秩序にまで及んでしまうと聞きます。

この指導が上手く通らない理由はいくつか考えられますが、
その中でも
*教職員の能力を越えている(量・質)
*議論できるだけの社会性が身についていない生徒もいる
このあたりがポイントなのではないかと私は考えています。

これらの問題を改善するためには、まず
教職員の数を増やしたり、教職員への研修を充実させたりするなど
組織的な改革が必要であると思います。
これが現実的に不可能であるか、或いは
実現までに時間がかかるものであるならば、
現状においての最適解を模索するしかないわけですが、
私は、その方法が結果として一部では
『生徒から「考える機会」を奪ってしまっていること』に
なっているとしても、
現状では仕方がないのかなあと思うのです。

> 学校はそのためになるべく考える機会と自己啓発の機会と自分の意
> 見を社会に反映する機会を与えなければならないわけです。同時に
> それは、「自分の決定には自分で責任を取る」ということを教える
> ことにもなります。

同意します。
しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。
大きな失敗をしてしまう前に、子供たちには
例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも
大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、
自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら
・・・という甘い期待が私にはあります。

色々な学校内でのルールについて、
大人と子供が話し合う機会は大切にしたいと思いますし、
その努力は惜しむべきではないと思いますが、
子供が、大きな失敗から
「自分の決定には自分で責任を取る」ということを学ぶ前に
社会の中で生きていくことの大切さや
その中で生かされることの喜びや
より良く生きるために努力を続けることの素晴らしさを
繰り返し説いていくことも
そしてそのために、ある程度頑なな態度で子供たちに接することも
学校の果たすべき役割なのではないかと私は考えます。

Shinji KONO

unread,
Apr 29, 2001, 9:22:33 AM4/29/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> writes
>それが弊害であることは十分承知していますが、
>理想論通りに行かないのもまた現実です。
>それぞれの学校によって色々と事情が異なるとは思いますが、

学校の事情は考えるが、

>公立の中学校以下においては、生徒の個性も様々で
>「自分で考えることが出来るように」との働きかけが
>必ずしも成功するとは限らないと思います。

生徒の事情は考えないってわけですか。

>*教職員の能力を越えている(量・質)
>*議論できるだけの社会性が身についていない生徒もいる
>このあたりがポイントなのではないかと私は考えています。

社会性ってのは、外からの基準で決まるものではなくて、内側から
の基準で決まるものです。低いなら低いで我慢しなければならない
ですね。

>これらの問題を改善するためには、まず
>教職員の数を増やしたり、教職員への研修を充実させたりするなど
>組織的な改革が必要であると思います。

そして、どうするんですか? 一人一人に考えさせる? あるいは
考えさせない?

>しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
>酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。

まさか。小学生でも自分の責任は自分で取るべきです。

>大きな失敗をしてしまう前に、子供たちには
>例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも
>大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、
>自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら
>・・・という甘い期待が私にはあります。

失敗が許されるうちに、失敗することが許されない子供達。
がんがん失敗して構いません。

ぶつかるべきなのは、そこにいる先輩や下級生なのに、
「大人」と対決させられる訳ですか。それでは、社会性
は身に付きません。

>そしてそのために、ある程度頑なな態度で子供たちに接することも
>学校の果たすべき役割なのではないかと私は考えます。

何を目標に、そういうことをするんでしょう?

40-50人の画一的な箱に入れられ、つまらない先生を見本にしなけ
ればならず、他に出ていくことは許されない。その中では、半分は
落ちこぼれる運命にあります。

学生にとって必要なのは、自分の居場所を確保できる多様な社会で
す。その中で、自分の可能性を探すのが学生の本分でしょう。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus,
PRESTO, Japan Science and Technology Corporation
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科,
科学技術振興事業団さきがけ研究21(機能と構成)

yonemura

unread,
Apr 29, 2001, 11:42:12 AM4/29/01
to
米村@埼玉です。

"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote in message
news:9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp...

> しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
> 酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。
> 大きな失敗をしてしまう前に、子供たちには

ここでの話しは、茶髪やピアスの話しのはずですが、
茶髪やピアス程度で大きな失敗などしません。
酷すぎる責任にもなりません。

> 例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも

理不尽な思いを抱えるぐらいになれば、
十分問題について考えることができるようになってます。
むしろこの時期こそが教育するチャンスです。
その問題について考えることがまだできないのなら、
理不尽な思いを抱えたりなんかしません。

> 大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、

子供達から問題を考える機会を奪うような大人から感じることは、
“そのような大人への不信感”
学ぶことは、
“茶髪、ピアスを問題視する社会があること”
きづくことは、
“結局茶髪ピアスを禁止する必要などない”
ということだけです。

> 自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら
> ・・・という甘い期待が私にはあります。

こんなことが“生きていくために必要な力”かどうかは、
はなはだ疑問です。

> 色々な学校内でのルールについて、
> 大人と子供が話し合う機会は大切にしたいと思いますし、
> その努力は惜しむべきではないと思いますが、

だったら、考える機会を奪っても仕方がない、
などという矛盾する発言は控えてください。


> しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
> 酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。
> 大きな失敗をしてしまう前に、子供たちには
> 例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも
> 大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、
> 自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら
> ・・・という甘い期待が私にはあります。

このような考え方は一見生徒のことを考えてるように見せ、
結局は生徒のことを考えているわけではない、
真に勝手な考え方です。

本当に生徒のことを考えているのだったら、
いかなる理由があろうとも生徒の考える機会を、
奪ったりするようなことはしません。

僕は違いますが、いきざねさんは教師なのでしょうか?
本当に生徒の身になって考えないだけではなくてさらに、

> 大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、
> 自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら

のような奇麗ごとを並べる教師のことを、
生徒は一番嫌うと思います。

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 29, 2001, 2:09:37 PM4/29/01
to
かみむらさんの記事<3AE96E99...@ieee.org>:

> Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
> >
> > 教師は何故に、押し付け・圧迫ってなことができるのか、教師の権力・
> > 権威はどうして形づくられているのか、なんてなあたりを考えてみる
> > べき話なのかな…。
>
> 親や塾の講師と比べて圧倒的に違うのは、
> 生徒の公的な評価を任されている点ですね。

「内申書に書くゾ」ですね。

それは当然出てきそうな話ですが、まさに脅し。
言われた方としては、「け、ばかやろう」が当然の反応、本気で従う
気になる奴はかなりヘン。影響力の発揮の仕方としては、しょうもない
もんだ、と思われます。

あるいは、あからさまに言われなくても、それを感じて生徒が自粛する。
この根底にあるのは不信ですねぇ。

ま~、ありうる話ではある、なぁ。

こういう場合、逆に、理不尽な(?)権力行使に反抗することに価値が生まれ
たりしますね。

実際自分が中学通ってたときには、そういう雰囲気があったなぁなどと思い
つつ、もひとつ思い出したのは、わたしの中学の頃のつっぱってた友達が、
「○○さん(教頭先生のあだなね)には世話になったからなぁ」と一部反
社会的行為(?)を自粛してたこと。

--
たかはし

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 29, 2001, 4:38:06 PM4/29/01
to
いきざねさんの記事<9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>:

> *教職員の能力を越えている(量・質)

というのは、どういう事情を想定してますでしょうか?

--
たかはし

Ayako Ikizane

unread,
Apr 29, 2001, 10:35:54 PM4/29/01
to
"Shinji KONO"さん <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:16424.9...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp...

> In article <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
> "Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> writes

> >公立の中学校以下においては、生徒の個性も様々で
> >「自分で考えることが出来るように」との働きかけが
> >必ずしも成功するとは限らないと思います。
>
> 生徒の事情は考えないってわけですか。

何故、上記の私の記述から
河野さんがこのようにお考えになったのか
ご説明いただけるとありがたいです。

> >*教職員の能力を越えている(量・質)
> >*議論できるだけの社会性が身についていない生徒もいる
> >このあたりがポイントなのではないかと私は考えています。
>
> 社会性ってのは、外からの基準で決まるものではなくて、内側から
> の基準で決まるものです。低いなら低いで我慢しなければならない
> ですね。

誰が我慢するのですか?

> >これらの問題を改善するためには、まず
> >教職員の数を増やしたり、教職員への研修を充実させたりするなど
> >組織的な改革が必要であると思います。
>
> そして、どうするんですか? 一人一人に考えさせる? あるいは
> 考えさせない?

現状においても教師は「生徒一人一人に考えさせる」という努力は
欠くべきではないと思っていますし、
そのように記事にも書かせていただいていると思いますが、
ご理解頂けていますか?

> >しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
> >酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。
>
> まさか。小学生でも自分の責任は自分で取るべきです。

確かに小学生でも自分の責任は自分で取るべきですが
その失敗をほんの少しでも最小限にするために
学校も地域も親も、子供たちに対して「教育」するのでしょう?
確かに失敗は成功の母ではありますが、
失敗の悔しさをバネにしたり、
やけどの痛みから「二度とこんな思いはしないでおこう」と
決意したりすることよりも
成功体験などを元にしたポジティブな動機づけがなされることを
教育者たる一成人として、切に願っています。

> 失敗が許されるうちに、失敗することが許されない子供達。
> がんがん失敗して構いません。

失敗はすればいいのです。
そして経験から学べばいいのです。
しかし、取り返しのつかない失敗から
例えどんなに素晴らしい教訓が学べたとしても
その代償は大きくその子供にのしかかります。
出来れば、大きすぎる代償はその子供に負わせたくないという思いが
私には強くあります。

> ぶつかるべきなのは、そこにいる先輩や下級生なのに、
> 「大人」と対決させられる訳ですか。それでは、社会性
> は身に付きません。

何故ぶつかるべき存在は「先輩や下級生」なのですか?

> >そしてそのために、ある程度頑なな態度で子供たちに接することも
> >学校の果たすべき役割なのではないかと私は考えます。
>
> 何を目標に、そういうことをするんでしょう?

絶対多数の生徒の利益を守るためです。

> 学生にとって必要なのは、自分の居場所を確保できる多様な社会で
> す。その中で、自分の可能性を探すのが学生の本分でしょう。

悲しいかな、例えその学校が一部の生徒たちにとって
自分の居場所を確保できる多様性を有した小社会であったとしても
その小社会が無秩序なものであれば
その小社会そのものが実社会から拒絶されるのです。
そして、その結果を、一部の生徒は納得するかもしれませんが、
多くの生徒は悲しむことでしょうし、
多くの保護者や地域も決して納得しないと思います。

だからといって「多様性を有した小社会」の存在そのものを
否定する意見を述べるつもりはありません。
しかし、様々な社会背景を踏まえた現段階において、
公立中学校・小学校が「多様性を有した小社会」には
成り得ない・成ってはならないと私は思っています。


Ayako Ikizane

unread,
Apr 29, 2001, 10:35:46 PM4/29/01
to
"yonemura"さん <s.y...@f8.dion.ne.jp> wrote in message
news:hxWG6.2402$sx.1...@news1.dion.ne.jp...

> "Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote in message
> news:9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp...
>

> ここでの話しは、茶髪やピアスの話しのはずですが、
> 茶髪やピアス程度で大きな失敗などしません。
> 酷すぎる責任にもなりません。

Message-ID: <9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>にて
本人だけの問題に留まらない結果を招くと私は述べていますが、
その記事は読まれましたか?

> > 例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも
>
> 理不尽な思いを抱えるぐらいになれば、
> 十分問題について考えることができるようになってます。
> むしろこの時期こそが教育するチャンスです。

Message-ID: <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>にて
社会参加の意義について
子供たちに繰り返し説いていくことが大切であると私は述べていますが、
その記事は読まれましたか?

> 子供達から問題を考える機会を奪うような大人から感じることは、
> “そのような大人への不信感”
> 学ぶことは、
> “茶髪、ピアスを問題視する社会があること”
> きづくことは、
> “結局茶髪ピアスを禁止する必要などない”
> ということだけです。

絶対多数の子供が大人に不信感を抱けば
その生徒集団は完全に崩れます。
そのような結果を招いた原因は確かに
大人(地域や保護者も含む)にあると言えるでしょうし、
きっと、教師のやり方もまずかったに違いありません。

私は、Message-ID: <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>にて


  > 公立の中学校以下においては、生徒の個性も様々で
  > 「自分で考えることが出来るように」との働きかけが
  > 必ずしも成功するとは限らないと思います。

述べました。
これは
 *個の「快」「不快」がどうしても優先されてしまい、
 *その意思決定のベクトルの軌道修正がどうしてもできない生徒
を想定しての発言でした。
それを受けて


  > 私は、その方法が結果として一部では
  > 『生徒から「考える機会」を奪ってしまっていること』に
  > なっているとしても、
  > 現状では仕方がないのかなあと思うのです。

このように発言させていただいています。

本筋では
「色々な学校内でのルールについて、
大人と子供が話し合う機会は大切にしたい」とし、
その一方で
「ある程度頑なな態度も貫く必要あり」と述べているのです。

しかし、
不信感を自分の考えとして言葉で発することが出来る生徒については
時間をかけながらでも
それに答えていくことが教師の務めであると思っていますし
現場ではきっとそうされていることと思います。

> > 色々な学校内でのルールについて、
> > 大人と子供が話し合う機会は大切にしたいと思いますし、
> > その努力は惜しむべきではないと思いますが、
>
> だったら、考える機会を奪っても仕方がない、
> などという矛盾する発言は控えてください。

学校には実に多くの個性が集まっています。
そして個も集団も大切にされなくてはならない。
しかし、判断には優先順位が存在します。
まずは「集団」、そして「個」です。
組織ですから当たり前のことでしょう。

> > しかし、中学校以下のまだ成熟していない人たちには
> > 酷すぎる責任は出来れば負わせたくありません。
> > 大きな失敗をしてしまう前に、子供たちには
> > 例え理不尽な思いをその胸に抱えながらも
> > 大人たちとぶつかり合う中で、何かを感じ、学び、気づき、
> > 自分たちの「生きていくために必要な力」に変えていってもらえたら
> > ・・・という甘い期待が私にはあります。
>
> このような考え方は一見生徒のことを考えてるように見せ、
> 結局は生徒のことを考えているわけではない、
> 真に勝手な考え方です。

では、誰にとって都合の良い考え方だと思われますか?
私はあなたの感想は、視野の狭いものであると感じています。


Ayako Ikizane

unread,
Apr 29, 2001, 10:35:58 PM4/29/01
to
"Kazuhiro TAKAHASHI"さん <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
news:9chu3e$4p5$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> いきざねさんの記事<9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>:
>
> > *教職員の能力を越えている(量・質)
>
> というのは、どういう事情を想定してますでしょうか?

1.学校に求められている役割に対して教職員の専門性が弱いこと
2.教職員数に対して生徒数が多いこと
このあたりを私は事情として想定しています。

1.について
学校に求められている役割として思いつくものは
・教科指導
・生活指導
・生徒指導
・保健指導
・交通安全指導
・進路指導
など、簡単に思いつくだけでもこれだけありますが、
これだけの本務に対して
全ての教職員がきちんとした指導を受けてから
その仕事に従事しているのかというと
きっと、そうではないと思います。
現場に着いてから、日々学んでいるという表現が
しっくりとくるのではないかと思います。

そして、指導内容が多岐に渡っていることから生じる
難しさもあると思います。
一人の教師が、ある時には反社会的行為に対する厳しい指導を行い、
またある時には内面に不安を抱えた生徒に対する教育相談を行います。
集団全体を組織することを考えると同時に
その集団からはみ出してしまう生徒への配慮も忘れてはなりません。
家族のような小集団でもなく、
かといって社会のように専門職として
それぞれに役割が割り振られているものでもなく
教師は実に様々な顔を使い分けながら
それぞれの仕事を最低限他人に迷惑をかけない程度には
行っていかなければならないという
苦しい現状に置かれているのではないかと私は考えます。

また、価値観の多様化した社会を反映し
教育に対する時代の需要はどんどん様変わりして
それに対応するだけでも大変な状況であると思われます。

2.について
上記のような実状も踏まえ、
また、新しいことを吸収・試行錯誤しながら
今まで通りの成果を上げていくことが教師に求められている中で、
現在の生徒数に対する教職員数は少ないと思います。


Kaz Hagiwara

unread,
Apr 29, 2001, 11:08:18 PM4/29/01
to
2点だけ

Ayako Ikizane wrote:
> 失敗はすればいいのです。
> そして経験から学べばいいのです。
> しかし、取り返しのつかない失敗から
> 例えどんなに素晴らしい教訓が学べたとしても
> その代償は大きくその子供にのしかかります。
> 出来れば、大きすぎる代償はその子供に負わせたくないという思いが
> 私には強くあります。

「取り返しの付かない失敗」をしないように、その前に「自分で考えさせる」訓練
をするわけですね。実際問題として、「取り返しの付かない失敗」をさせてしまっ
たら、ある意味教育の敗北でしょう。


> 自分の居場所を確保できる多様性を有した小社会であったとしても
> その小社会が無秩序なものであれば
> その小社会そのものが実社会から拒絶されるのです。

「無秩序な社会」の話をしている人はだれもいないと思いますが。

萩原@グリフィス大学

Ayako Ikizane

unread,
Apr 29, 2001, 11:27:10 PM4/29/01
to
"Kaz Hagiwara"さん <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AECD722...@gu.edu.au...

> Ayako Ikizane wrote:
>
> 「取り返しの付かない失敗」をしないように、その前に「自分で考えさせる」訓練
> をするわけですね。実際問題として、「取り返しの付かない失敗」をさせてしまっ
> たら、ある意味教育の敗北でしょう。

同意いたします。

> > 自分の居場所を確保できる多様性を有した小社会であったとしても
> > その小社会が無秩序なものであれば
> > その小社会そのものが実社会から拒絶されるのです。
>
> 「無秩序な社会」の話をしている人はだれもいないと思いますが。

Message-ID: <9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>にて私が
茶髪やピアスが溢れている学校については
入試の際に敬遠されると言う現実があり
それは、存在するルールを軽んじる社会性の弱さが
その学校の性質としてあると判断されるからであろうと述べました。
つまり、これはこの学校が外部から
「無秩序な小社会」であると判断されたためであると
私は考えているのです。
持論の仮定を元に展開させていただいております個人的な意見であると
お考えいただければ幸いです。

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
Apr 30, 2001, 4:07:20 AM4/30/01
to
いきざねさん、
「*教職員の能力を越えている(量・質)」についてのご説明
<9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp> ありがとうございます。
# お手数おかけしましたが、書いていただいてよかったと感じています。

> 一人の教師が、ある時には反社会的行為に対する厳しい指導を行い、
> またある時には内面に不安を抱えた生徒に対する教育相談を行います。


> 家族のような小集団でもなく、
> かといって社会のように専門職として
> それぞれに役割が割り振られているものでもなく
> 教師は実に様々な顔を使い分けながら
> それぞれの仕事を最低限他人に迷惑をかけない程度には
> 行っていかなければならないという
> 苦しい現状に置かれているのではないかと私は考えます。

でしょうね。
各種の観点で教育的に指導するということを心がけながら対処していく
のは大変なことだなと思います。

---
ここではいきざねさんの書かれた別記事を取り上げます。
# 他にも気になるところはあるんだけど、話題を絞ります。

いきざねさんの記事<9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>:


>
> 茶髪でありピアスをしていることそのものが悪いことではなく、
> それが許されている社会においてであれば何も問題はないが、
> それが禁止されているにもかかわらず
> 個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題なのであって
> 結果、茶髪とピアスが若者の社会性の弱さの象徴となっているから
> 受験などにおいては
> それをもとに外見で判断されているのではないでしょうか?

現社会では茶髪やピアスが禁止されていると考えるべきなのでしょうかね。
これは、むしろ、狭い範囲に「当然」を求める中等教育界の常識(?)に準拠
した判断ではないのか、という気がしています。
# 黒髪を金(黄?)に染めた教員、茶に染めた事務員、わしらの職場に
# 居るけど、わしらの職場は社会ぢゃないんか? こういう人を社会性が
# 弱いヒトと見なすべきなんか?

中等教育界自体に、かなり根強い自主規制体質、異質排除傾向があるん
じゃないか、つうか。あるいは、生徒は普通のヒトよりも「自分の勝手」
が制限されていて当然の意識があるんじゃないか。
# 送り出す側の学校だけじゃなく、受け入れる側の学校も含めてですが。

ま~、逆に今の世では、完全にオッケー、当然じゃんというわけでもない
というのもまた事実でしょうが、そいうときに基準を規制の強い側に倒す
のは当然のことなのかな、ですね。
# これでやっと大元の話に戻ったなぁ…。

> 個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題

個人の「快」「不快」で、茶髪、ピアスをしているとはちと思えません。
# 授業中生徒が関係ない話をしているって話なら、快・不快もかなり
# fitしそうですが。

教員にとって象徴であるように、生徒にとっても象徴であるのだろうと
思います。集団への同一化のサイン。集団へのアピール。前にこの話題が
出たときにどなたかが書いていたように、「先生がどんな反応をするのか
試している」といったより微妙なのもありえます。

いずれにせよ、単純に個人的な快楽原理に従っているというよりも、かなり
社会的な働きかけだと見るべきだろうな、と思います。

# で、それが、一般社会的には必ずしも禁忌に触れているわけじゃないと
# 感じるところに、それが出来上がっている構造のねじれを感じてしまう
# のだなぁ。

--
たかはし (生徒自身がどれだけ自覚的かはまた別問題ね)

yonemura

unread,
Apr 30, 2001, 5:00:29 AM4/30/01
to
米村@埼玉です。

"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote in message

news:9cijdd$2qc$1...@nn-os105.ocn.ad.jp...

> > ここでの話しは、茶髪やピアスの話しのはずですが、
> > 茶髪やピアス程度で大きな失敗などしません。
> > 酷すぎる責任にもなりません。
>
> Message-ID: <9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>にて
> 本人だけの問題に留まらない結果を招くと私は述べていますが、
> その記事は読まれましたか?

具体的にはどのようなことでしょうか?

> 学校には実に多くの個性が集まっています。
> そして個も集団も大切にされなくてはならない。
> しかし、判断には優先順位が存在します。
> まずは「集団」、そして「個」です。
> 組織ですから当たり前のことでしょう。

それでは組織のためにはある特定の個が、
つぶされてしまってもやむをえないというのですね。

僕は個一人一人のことを優先させるべきだと思います。
というか、集団を優先させることは、
小中高の学校教育では行うべきではないと思います。

大学などでもし組織を脅かすような人物がいた場合、
退学などの処分に処すことも適当だと思いますが、
学校教育において教師は、
生徒の人間的な部分の教育にもたずさわるわけで、
そこでは生徒一人一人に考えさせる過程を、
組織の秩序を優先させるために省いてしまっては、
小中高における教育を達成したとは言えないと思うのです。


yonemura

unread,
Apr 30, 2001, 5:44:17 AM4/30/01
to
米村@埼玉です。

"Kazuhiro TAKAHASHI" <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
news:9cj6fo$f01$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> 中等教育界自体に、かなり根強い自主規制体質、異質排除傾向があるん
> じゃないか、つうか。あるいは、生徒は普通のヒトよりも「自分の勝手」
> が制限されていて当然の意識があるんじゃないか。
> # 送り出す側の学校だけじゃなく、受け入れる側の学校も含めてですが。

もともと不良(授業の妨害などをするという意味で)の人ぐらいしか、
茶髪、ピアスをしない時代があって、
そこから茶髪、ピアスはろくでなしの象徴のようになったのだと思います。
そして茶髪ピアスなどが一般的に禁止されていった。

しかし現在のように誰でも茶髪、ピアスをするような時代では、
こんなのはただの偏見にすぎません。
このような時代遅れの校則は廃止していくべきだと思うのです。
僕の通っていた高校では茶髪ピアスも禁止されていません。

##教師の中にも茶髪などみうけられたぐらいです。


> > 個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題
>
> 個人の「快」「不快」で、茶髪、ピアスをしているとはちと思えません。

> 教員にとって象徴であるように、生徒にとっても象徴であるのだろうと
> 思います。集団への同一化のサイン。集団へのアピール。前にこの話題が
> 出たときにどなたかが書いていたように、「先生がどんな反応をするのか
> 試している」といったより微妙なのもありえます。

中学生ぐらいの年齢で、
禁止されていると知っていてあえてそれをやってくるようなら、
それを校則違反だと行って問答無用で注意するより、
心理学的に考えてみても、
それは教師や大人に対する何かの合図だととるのが、
教師なら当然だと思います。


Ayako Ikizane

unread,
Apr 30, 2001, 12:15:02 PM4/30/01
to
"yonemura"さん <s.y...@f8.dion.ne.jp> wrote in message
news:YZ9H6.2434$sx.2...@news1.dion.ne.jp...

> "Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote in message
> news:9cijdd$2qc$1...@nn-os105.ocn.ad.jp...

> > Message-ID: <9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>にて
> > 本人だけの問題に留まらない結果を招くと私は述べていますが、
> > その記事は読まれましたか?
>
> 具体的にはどのようなことでしょうか?

上記の記事にて具体的に意見を述べさせていただいていますので、
是非ご一読ください。

> > 学校には実に多くの個性が集まっています。
> > そして個も集団も大切にされなくてはならない。
> > しかし、判断には優先順位が存在します。
> > まずは「集団」、そして「個」です。
> > 組織ですから当たり前のことでしょう。
>
> それでは組織のためにはある特定の個が、
> つぶされてしまってもやむをえないというのですね。

特定の個のために集団が壊されることは
絶対にあってはならないことだと思います。
まずはそれを第一に考えなければならないという話であって、
個も集団も大切にされなければならないというのが
大前提であることに変わりはありません。

ところで、「個が潰される」という表現に違和感を覚えますが、
どう言った状況を想定されておられますか?

> 僕は個一人一人のことを優先させるべきだと思います。
> というか、集団を優先させることは、
> 小中高の学校教育では行うべきではないと思います。

絶対多数の生徒の利益を守ることよりも
個人の利益を優先させよというご意見でしょうか?
だとしたら、結局誰も大切にしていないことになりはしませんか?

> 学校教育において教師は、
> 生徒の人間的な部分の教育にもたずさわるわけで、
> そこでは生徒一人一人に考えさせる過程を、
> 組織の秩序を優先させるために省いてしまっては、
> 小中高における教育を達成したとは言えないと思うのです。

生徒の人間教育に当たる立場としての教師の心構えとして
うなずける部分ではありますが、
現状とのすりあわせを行う上で
必ずしも理想通りに事が運びそうにないなあというのが
私の感想です。

何故そういう感想を持っているのかについては
Message-ID: <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>
Message-ID: <9cijdi$2qc$3...@nn-os105.ocn.ad.jp>
あたりで述べさせていただいておりますので、
そちらに目を通して頂けたらと思います。

そして、繰り返し述べさせていただきますが、


私は、Message-ID: <9cgvcp$q49$1...@nn-os103.ocn.ad.jp>にて
  > 公立の中学校以下においては、生徒の個性も様々で
  > 「自分で考えることが出来るように」との働きかけが
  > 必ずしも成功するとは限らないと思います。

とも述べました。


これは
 *個の「快」「不快」がどうしても優先されてしまい、
 *その意思決定のベクトルの軌道修正がどうしてもできない生徒
を想定しての発言でした。

「軌道修正がどうしてもできない」状態とは
1.理屈は理解できても、
  その理屈に自分を従えようと言う気持ちにはならない
2.理屈そのものが理解できない
このような状態を想定しています。

そして、「軌道修正がどうしてもできない」生徒を
そのまま見守るという形を取ることで
集団そのものを壊してしまうことこそが
絶対多数の生徒の利益を損なう結果に繋がる
最も恐ろしい事態であると考えています。

それを受けて
  > 私は、その方法が結果として一部では
  > 『生徒から「考える機会」を奪ってしまっていること』に
  > なっているとしても、
  > 現状では仕方がないのかなあと思うのです。
このように発言させていただいています。

そして、この発言は、
「集団からはみ出してしまう個は潰してしまっても構わない」
といった内容のものではありません。


Ayako Ikizane

unread,
Apr 30, 2001, 12:14:57 PM4/30/01
to
"Kazuhiro TAKAHASHI"さん <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
news:9cj6fo$f01$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> いきざねさんの記事<9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>:


> >
> > 茶髪でありピアスをしていることそのものが悪いことではなく、
> > それが許されている社会においてであれば何も問題はないが、
> > それが禁止されているにもかかわらず
> > 個人の「快」「不快」のみで判断し、行動することが問題なのであって
> > 結果、茶髪とピアスが若者の社会性の弱さの象徴となっているから
> > 受験などにおいては
> > それをもとに外見で判断されているのではないでしょうか?
>
> 現社会では茶髪やピアスが禁止されていると考えるべきなのでしょうかね。

いいえ、違うと思います。

> これは、むしろ、狭い範囲に「当然」を求める中等教育界の常識(?)に準拠
> した判断ではないのか、という気がしています。

同感です。

> 中等教育界自体に、かなり根強い自主規制体質、異質排除傾向があるん
> じゃないか、つうか。あるいは、生徒は普通のヒトよりも「自分の勝手」
> が制限されていて当然の意識があるんじゃないか。

これは中等教育界という括りで考えても理解できない問題だと思います。
ニーズがあるから中等教育界はこのような体質を持ち合わせているわけで、
それを直接的に求めているのが一体何者かというと、
受け入れ校であり、保護者であるわけです。
そして、受け入れ校が何故そのような体質を求めているのかと、
順に繙いていけば、
何か答えらしきものが見つかるのではないかと思いますが、
その得体の知れないものが何とかならない限りは
中等教育界に体質改善は起こり得ないのではと思っています。

> 教員にとって象徴であるように、生徒にとっても象徴であるのだろうと
> 思います。集団への同一化のサイン。集団へのアピール。前にこの話題が
> 出たときにどなたかが書いていたように、「先生がどんな反応をするのか
> 試している」といったより微妙なのもありえます。

校則で禁止されているにもかかわらず
茶髪・ピアスでお洒落をする生徒の思惑として
生徒集団に対する「あなた達とは違うのよ」的アピールは
間違いなくあると思います。
大人たちの反応もきっと試しているのでしょう。

> いずれにせよ、単純に個人的な快楽原理に従っているというよりも、かなり
> 社会的な働きかけだと見るべきだろうな、と思います。

なるほど。

では、苦し紛れに。
禁止されている手法による、社会的な働きかけを
個人主義な判断の元、行っているという点において
利己的であると考えるというのはどうでしょう?

> # で、それが、一般社会的には必ずしも禁忌に触れているわけじゃないと
> # 感じるところに、それが出来上がっている構造のねじれを感じてしまう
> # のだなぁ。

だからこそ「個人的な快楽原理に従っている」ということにしないと
教師集団の足並みもそろわなくなってしまう
・・・というのは、あるやもしれず。
# いずれにしても現状においては許すわけにはいかないわけですから。


Kaz Hagiwara

unread,
Apr 30, 2001, 8:11:09 PM4/30/01
to
> "Kazuhiro TAKAHASHI"さん <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
> news:9cj6fo$f01$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...
> > 教員にとって象徴であるように、生徒にとっても象徴であるのだろうと
> > 思います。集団への同一化のサイン。集団へのアピール。

という「おたがいさま」の論理に対して、

Ayako Ikizane wrote:
> 校則で禁止されているにもかかわらず
> 茶髪・ピアスでお洒落をする生徒の思惑として
> 生徒集団に対する「あなた達とは違うのよ」的アピールは
> 間違いなくあると思います。

のように「一方」へのコメントで答えるあたりが、「中等教育」の体質なんでしょ
うかね。

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
Apr 30, 2001, 8:51:49 PM4/30/01
to
「自分で考えられるようになること」を支持していながら、

Ayako Ikizane wrote:
> > > そして個も集団も大切にされなくてはならない。
> > > しかし、判断には優先順位が存在します。
> > > まずは「集団」、そして「個」です。
> > > 組織ですから当たり前のことでしょう。

> 特定の個のために集団が壊されることは
> 絶対にあってはならないことだと思います。
> まずはそれを第一に考えなければならないという話であって、

これはないでしょう。

「自分で考える」を支持するなら、優先するのは「個」の確立です。「個」が確立
して初めてひとつの「集団」に責任を持って貢献できるのですから。

「集団あっての個、集団に依存する個」というポリシーで人を育てると、「集団に
その存在を委ねるような個」が出来上がっていくことになります。すなわち、そう
いう「個」は自分で考えなくても「集団」に考えてもらおうという虫のいい「個」
であり、さらに、責任は「集団」に取ってもらおうという無責任な「個」であっ
て、自分の責任で社会に貢献していく「個」ではありません。

さらにいえば、そういう「集団に依存する個」は、ひとつの集団から別の集団に移
ると、まったく別の顔になってしまうかもしれない「個」であって、外から見れば
「いくつもの顔を持つ信用できない個」となり、内側から見れば「どれが本当の自
分か分からない精神が分裂した個」となっていきます。そういう「個」は、「集団
からはずれると、自分を律することができない個」でもありますから、たとえば、
旅の恥は簡単にかき捨てて、「知っている人間のいない場所では恥ずかしいことで
も平気でする個」になるわけです。

無論、そのなかでも「個性」は維持されますから、そういう教育を受けても全員が
虫のいい無責任な精神分裂者になるとはかぎりません。逆にそういう教育の中から
本当の自分を発見できるまれな子供もいるでしょう。

ともあれ、

> 個も集団も大切にされなければならないというのが
> 大前提であることに変わりはありません。

と言うなら、個あっての集団、つまり、「集団は個の集合体である」という認識を
とらないと、「自分で考える」子供は(まれにしか)育ちません。


> 絶対多数の生徒の利益を守ることよりも
> 個人の利益を優先させよというご意見でしょうか?
> だとしたら、結局誰も大切にしていないことになりはしませんか?

これはそのとおりです。個人の利益を優先させたければ、個人は集団を離れるしか
ないでしょう。ただ、逆に言えば、個人は、集団の一員でいたければ、自分の利益
が集団の利益「にも」なるように「自分で考える」しかないわけです。また、個人
は自分の責任で集団に働きかけて、集団のありようを変えることで、集団の利益が
自分の利益と矛盾しない方向に持っていくこともできます。それが徒労に終わりそ
うなら、個人はその集団を離れて、自分を受け入れてくれそうな別の集団に参加す
るという手もあります。

萩原@グリフィス大学

Shinji KONO

unread,
Apr 30, 2001, 9:19:10 PM4/30/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

大学の先生になるような人って、世の中の大多数とは言えないよね。
まして、絶対多数なんかであるはずもない... ま、僕もそうだけど、
「変わりもの」ってところでしょう。少数派は、それなりに苦労す
るものだと思いますので、ある程度は仕方ないとは思います。でも、
僕が小学校で経験したことは、あまり愉快なことではなかったな。

In article <9ck3d2$9dq$2...@nn-os104.ocn.ad.jp> ,
"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> writes
>特定の個のために集団が壊されることは
>絶対にあってはならないことだと思います。

この絶対ってなんかすごくないですか? 集団行動が要求される時っ
て、実は、割と限られていますよね。

この前、どっかの校長先生に聞いたのは、「朝礼とかで、じっとし
ていることができない子がいる」ってことです。うろうろしちゃっ
たり、奇声を上げたりしちゃうわけね。で、そういう学生を、先生
が物理的に抑えつけるということをしているそうです。(しばったり
さるぐつわをはめることはできないわけだ...)

それは、まぁ、集団行動を優先させているのかも知れないけど、「
無理に一緒に朝礼を聞かせる」必要があるんですかね? 「一人だけ
別で可哀想だ」ってのは、多数派の論理なんだろうか?

僕は、小中学校の数学の授業は、退屈で仕方なくって、だいたい寝
てました。高校生とかになると別な問題を解いていることが多かっ
たかな。少し出来る学生なら、そんなものでしょう。10人に一人な
んてのではなくて、1/3くらいは、そんな感じだと思います。もっ
と、自分にあった勉強をしたかったな。

学生時代に、絶対多数でいることって、きっと幸せなことなんだろ
うと想像します。でも、少数派を尊重するって、そんなに難しいこ
となのだろうか?

>「集団からはみ出してしまう個は潰してしまっても構わない」
>といった内容のものではありません。

「絶対」とか言われると、かなり違和感はあります。

shuji matsuda

unread,
Apr 30, 2001, 10:48:00 PM4/30/01
to
In article <9cijdi$2qc$3...@nn-os105.ocn.ad.jp>,
"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote:
:学校に求められている役割として思いつくものは

:・教科指導
:・生活指導
:・生徒指導
:・保健指導
:・交通安全指導
:・進路指導
:など、簡単に思いつくだけでもこれだけありますが、

私の主張を端的に言えば、
:・教科指導
だけの、『小さい学校』政策です。
その他の指導は、本来的に学校のすることではありません。でき
もしないことを、できるといって、できませんでしたということ
に対しては、『そりゃ、できないのじゃないですか?』と言うし
かありません。

場所としては、学校でなくても公民館でも良いし、教える人は
教師でなくとも、地区の人でも、医者でも構わないことでしょう。
それこそ、そのような指導を教師が兼任し、学校で行うことも
できるでしょう。

しかし、それが学校の学年・学級単位の組織の中で教師がやらな
きゃならないことだとは思いません。

In article <9cijdg$2qc$2...@nn-os105.ocn.ad.jp>,
"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote:
:公立中学校・小学校が「多様性を有した小社会」には
:成り得ない・成ってはならないと私は思っています。

私、小学校は家のそばの公立の小学校に行っていましたが、多様性
は否応無しにありました。金持ちから貧乏人から、全然勉強がだめ
なこから良くできる子、足の速い子からどんくさい子まで。そんな
の均一化しようという方が無理です。

その『なってはならない』というのは、どういうことなのでしょう
か。どんなに頑張ってもできないと思いますが。

In article <9cijdd$2qc$1...@nn-os105.ocn.ad.jp>,
"Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote:
:本筋では


:「色々な学校内でのルールについて、
:大人と子供が話し合う機会は大切にしたい」とし、
:その一方で
:「ある程度頑なな態度も貫く必要あり」と述べているのです。

私は、話し合う必要のあるルールなんて、そもそも必要がない、と
思います。どっちにでもしてよいことなら、ルールなんて作る必要
すらありません。

逆に、学校はこういうことをする所だ、というのは話し合いの余地
はありません。生徒が集まらない学校を廃止し、その教職員を解雇
するようにしておけば変な学校はどんどん淘汰されるでしょう。

:学校には実に多くの個性が集まっています。
:そして個も集団も大切にされなくてはならない。


:しかし、判断には優先順位が存在します。
:まずは「集団」、そして「個」です。
:組織ですから当たり前のことでしょう。

まあ、私の主張は、その組織を解体すべきだということなので、逆に
『個』が主体になります。今から子供は減っていくので、その傾向は
もっと強くなると思います。

--
shuji matsuda smat...@med.keio.ac.jp

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
May 1, 2001, 5:44:52 AM5/1/01
to
いきざねさんの記事<9ck3cu$9dq$1...@nn-os104.ocn.ad.jp>:

> > 中等教育界自体に、かなり根強い自主規制体質、異質排除傾向があるん
> > じゃないか、つうか。あるいは、生徒は普通のヒトよりも「自分の勝手」
> > が制限されていて当然の意識があるんじゃないか。
>
> これは中等教育界という括りで考えても理解できない問題だと思います。

ええと、確認ですが、中等教育といっているのは、中学校および高校ですよ。

> ニーズがあるから中等教育界はこのような体質を持ち合わせているわけで、
> それを直接的に求めているのが一体何者かというと、
> 受け入れ校であり、保護者であるわけです。

これ、端的に言って、本当かな~と思っているわけです。

そういうタイプの親御さん[*1]が居るのも想像に難くないのですが、いま
どきそれが多数派でも中庸でもないんじゃないの、と。
([*1]わたしから言わせれば、頭のカタイ人、自分は正しいと信じちゃっ
てるもんからあんまり相手になりたくないタイプ…。)

もしそういうニーズがあるとしても、

> その得体の知れないものが何とかならない限りは
> 中等教育界に体質改善は起こり得ないのではと思っています。

それを教育界の側から変えて行くことはなんでできんの?と思うわけです。
教育ってむしろ世間の常識を変えて行く方向性を持った活動だったりする
はずなのになぁ、と思うのです。
# わたしにとっては、こういう意味あいで、服装問題は象徴的にみえる。
# タブーを作り、維持する存在としての学校。わしらのせいじゃないもんね、
# という学校。

ま、実際問題としては、それはそれで難しいんだろうけどなぁ。
(上司が居てねぇ、とか。)

---


> 校則で禁止されているにもかかわらず
> 茶髪・ピアスでお洒落をする生徒の思惑として
> 生徒集団に対する「あなた達とは違うのよ」的アピールは
> 間違いなくあると思います。

もうひとつ。「あなた達とは違う」といいながらも、似たようなファッ
ションをすることにも注目してください。(たとえば、ガングロだの
ルーズソックスだの。)

「別のもうひとつの集団への同一化」という方向性があるケースがかなり
多いと見るべきだろうと思います。

---


> > いずれにせよ、単純に個人的な快楽原理に従っているというよりも、かなり
> > 社会的な働きかけだと見るべきだろうな、と思います。
>
> なるほど。
>
> では、苦し紛れに。
> 禁止されている手法による、社会的な働きかけを
> 個人主義な判断の元、行っているという点において
> 利己的であると考えるというのはどうでしょう?

無理でしょう。

(快・不快だけで動いているという評価の場合、それ以外は考えてない、
発達的に未熟だ、といった含意を持つかと思います。それならまだしも、
こういう場面で「利己的」を持ち出すと、集団を乱す、すなわち悪、
という含意が感じられます。それはないだろう、と思います。)

> だからこそ「個人的な快楽原理に従っている」ということにしないと
> 教師集団の足並みもそろわなくなってしまう
> ・・・というのは、あるやもしれず。

むしろ、こっちが正鵠ではないのかな。

個人的な問題だという位置づけにして、「オマエが悪い」というのは楽な
やり方なんだろうけど、問題を取り違えていると思います。
(わかっていてあえてそういう対応をするというのは、場合の手として
ありうるかも知れないけど、「いかん」という側がもともと問題を理解
していないのは、それはまずい。)

> # いずれにしても現状においては許すわけにはいかないわけですから。

別に放っといても構わないのでは、という方向性で考えてみて欲しい
んですけど…。

--
たかはし (ま~結局のところ部外者はなんとでも言えるって話になってるな…)

max

unread,
May 1, 2001, 6:09:52 AM5/1/01
to
もともとの投稿は見てないんですが…。

"Shinji KONO" <ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp> wrote in message
news:4145.98...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp...
> 河野 真治@琉球大情報工学です。
>
> In article <9c6u5c$9ju$1...@nn-os103.ocn.ad.jp> ,
> かずさ<mist...@orange.ocn.ne.jp> writes
> >> 受験などで面接がある人で困るという人は、
> >> そのときは言われなくても自分で黒く戻してきます。
> >なぜ黒に戻すんですか?
> >それは、茶髪に問題があることを認めることになりませんか?
>
> 問題があるのは、見掛けで差別する人なのであって、そういう心の
> 障害者に対して、「髪を染めてあげる」ことによって、配慮するこ
> とは悪いことではないと思います。
>
*** そこのところでの「配慮」ってのはおかしい。自分のために黒く染め
なおしてるだけっしょ。
「見かけ」だけで中身を判断できないっていうのは正論かもしれんが
①総体的に相対的に見ると、「見かけ」と「中身」が全く関係ないともいい
きれーん。
②茶髪とかピアスとかしていると、ちょっと軽く見られちゃう。
③良く知り合った仲でなきゃ「見かけ」は「中身」を推定するひとつの材料
になっちゃうから、茶髪とかだと、①、②のため損しちゃう。(社会人は、
社外の人との間でだいたいそうでっしょ。)

人種差別とかの「差別」とは、根拠のある点でちょっとちがうんじゃあ~り
ませんか。まあ、こんな話は、多様性の少ない日本のような国だから、特に
いえる話かもしれないけど。
(P.S.障害者という言葉をそこで使ったらいけん。)

FROM max


max

unread,
May 1, 2001, 7:22:08 AM5/1/01
to
"Kaz Hagiwara" <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AEBE2BD...@gu.edu.au...
> shuji matsuda wrote:
> ただ、「いつまでも、あるとおもうな不文律」ですから、

*** 「規則」だからする。「規則に無い」からしない。すべて
そんな風には、割り切れない。なんでも規則にすればいい
ってわけでない。プログラムされないと動けないロボットじゃ
あるまいし。
根本的に、良い・悪いは人間の価値観だけど、教育の目的
のひとつは、集団の中でうまくやっていくことで、それは、必要
なことで、規則だからやるというものではない。規則にしてしま
うのであれば教育する必要はない。
組織のなかでは、自己主張は必要であり、また、自己主張
をおさえることも必要。茶髪、ピアスはダメって、カッコに関す
ることへの押し付けも、自己主張を押さえる訓練みたいなもん
だと思うけど、それは、ちょっと行き過ぎと思う。だいたいが、
日本の教育ってのは、学生服やセーラー服みればわかるよ
うに、むかしの軍隊組織てきなもんを引きづっている。縛り
つければ、教師や大人にとっては扱いやすいが、縛り付けす
ぎれば、個性や自己主張する必要な機能まで失われてしまう。
教育する側は、強制する中身をもっとその理由から考え直し、
精選し、やりすぎなものはカットし、強制するならその根本的な
理由からちゃんと教えなきゃだめだ。わけもわからず深く考え
もせず教えている教師は頭はたいたる。
また、この論議は、小・中・高と年齢lでもかわってくる。小さい
ときは、すこしカッコ(形)から強制する必要もあろうが、年齢
が増して大人に近づけば、頭ついているんだから、カッコ(形)
よりも、理由などの意味的なものに比重をうつしていけってな
もんだ。
なんでもかんでも統制するから、日本では、一生サラリーマン
していく人間が極端に多いんだ。自己実現考える人間が少ない
のは異常だ。

FROM max


T.T

unread,
May 1, 2001, 3:46:34 AM5/1/01
to
shuji matsuda wrote:

> 場所としては、学校でなくても公民館でも良いし、教える人は
> 教師でなくとも、地区の人でも、医者でも構わないことでしょう。
> それこそ、そのような指導を教師が兼任し、学校で行うことも
> できるでしょう。

ああ。なるほど。

> :・生活指導
> :・保健指導
> :・交通安全指導

などは、市役所(または、保健所)がやればいいのか。
#住民税とってるわけだし。


yonemura

unread,
May 1, 2001, 1:23:41 PM5/1/01
to
米村@埼玉です。

ここまでの話しを整理すると、
いきざねさんの主張では、
「個」「集団」共に大切にされるべきだが、
まず優先されるべきが「集団」であり、
その次にくるのが「個」であるということだと思います。

そしてそれに対する僕の意見が、

> > 僕は個一人一人のことを優先させるべきだと思います。
> > というか、集団を優先させることは、
> > 小中高の学校教育では行うべきではないと思います。

というものです。
僕がこういうふうに考える理由としては、
いきざねさんが主張する集団優先という考えは、
大学などでの教育においてはこうするべきだと、
僕も思っているからです。

大学では集団の利益を著しく害する個がいた場合、
停学や退学などの処分をすることになると思います。
大学においては僕がこれでいいと思っていますが、
高校までの中等教育まででこのような対応をするのは、
いかがなものかと思うのです。

それは大学における教育の目標と、
中等教育における教育の目標の違いが理由です。
大学における教育では、純粋に学問やスポーツなどの、
学生の才能に対する教育や、研究などが第1だと思います。

それに対し中等教育においては、人格面においての教育も、
目標の1つにあると思います。

学術面での教育を目標にしていて、
個人の人格まであれこれいわない大学であれば、
集団の利益を害するような人格に問題のある学生を、
退学処分にしたり、無視して相手にしなかったりしても、
それはそれでかまわないのではないかと思います。

しかし、中等教育では人格に問題があるとされる、
あるいは未熟であるとされる生徒に対して、
退学処分にしたり、ほかの生徒のためだといって、
強制的に押さえつけるような対応は、
人格形成に関する教育を果たすことはできない思います。

そこで高校までの教育では、
他の生徒の邪魔をする生徒がいれば、
個のことに対する問題性をその生徒にわからせて、
問題行動を改善させるような対応が適切であって、
集団の利益優先といってただ押さえつけるだけでは、
何の問題の解決にもなっていないと思います。

また問題行動を起こす生徒にそのように考えさせることで、
他の集団の利益が損なわれてしまうとは思えません。
それぞれの生徒に対して適切な指導を行い、
すべての個を大切にすることは不可能ではないと思います。

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
May 1, 2001, 4:08:04 PM5/1/01
to
河野さんの記事<19114.9...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>:

> In article <9ck3d2$9dq$2...@nn-os104.ocn.ad.jp> ,
> "Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> writes
> >特定の個のために集団が壊されることは
> >絶対にあってはならないことだと思います。
>
> この絶対ってなんかすごくないですか?

って、この「絶対」ってそりゃなんだ?と引っかかるのはわかるん
ですけどね。

> 集団行動が要求される時っ
> て、実は、割と限られていますよね。

「集団行動」はまた別の話。

いきざねさんの想定しているのは、ある生徒が先生のいうことを
無視し出したら、他の生徒も無視するようになって、それで授業が
成り立たなくなった、ってなタイプの話のはず。

集団行動を要求する場面じゃなくても、「集団が壊れる」ってことは
起こりますがな。

---
さて松田さん。上のような状況は、
<smatsuda-010...@p10.pharm.med.keio.ac.jp>
> :・教科指導
> だけの、『小さい学校』
では、関知すべきこと? すべきでないこと?

---
> 僕が小学校で経験したことは、あまり愉快なことではなかったな。

これは、

> 僕は、小中学校の数学の授業は、退屈で仕方なくって、だいたい寝
> てました。

これを指しているのでしょうか。それとも別のことでしょうか?

> 少し出来る学生なら、そんなものでしょう。10人に一人な
> んてのではなくて、1/3くらいは、そんな感じだと思います。

ならしてみると、高校段階では、スポイルされた側に外れている人の
数の方がずっとずっと多いはずですけど…。

--
たかはし (あっちこっちでいろいろ噛みあってねぇなぁ、と)

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
May 1, 2001, 4:25:17 PM5/1/01
to
米村さんの記事<8sCH6.2535$sx.2...@news1.dion.ne.jp>:

> 中等教育においては、人格面においての教育も、
> 目標の1つにあると思います。

人格面といってもいろいろ幅がありますけどねぇ。

> しかし、中等教育では人格に問題があるとされる、
> あるいは未熟であるとされる生徒に対して、
> 退学処分にしたり、ほかの生徒のためだといって、
> 強制的に押さえつけるような対応は、
> 人格形成に関する教育を果たすことはできない思います。

いきざねさんが「退学にせよ」と言ったわけじゃないことは
よろしいですね?

> そこで高校までの教育では、
> 他の生徒の邪魔をする生徒がいれば、
> 個のことに対する問題性をその生徒にわからせて、
> 問題行動を改善させるような対応が適切であって、
> 集団の利益優先といってただ押さえつけるだけでは、
> 何の問題の解決にもなっていないと思います。

いきざねさんの意見も、「問題行動を改善させるような対応が適切」
であって、それよりも「集団の利益優先といってただ押さえつける
だけ」にすべし、*ではない* ですね。

> また問題行動を起こす生徒にそのように考えさせることで、
> 他の集団の利益が損なわれてしまうとは思えません。

考えさせたい教師に対して考えてくれる生徒という図式に素直に乗って
くれるのなら、多分うだうだ議論する余地ってほとんどないのだろうと
思いますよ。

> それぞれの生徒に対して適切な指導を行い、
> すべての個を大切にすることは不可能ではないと思います。

なんか、具体的な場面を取り上げて、それについて考えるという
風にでもしないと、あんまり実のある議論にならんような。

--
たかはし (いきざねさんの意見に賛成ってわけでもないのですが、
      誤解した内容をぶつけて議論しろってのは、失礼・気の毒かと)

Kaz Hagiwara

unread,
May 1, 2001, 11:18:37 PM5/1/01
to
Kazuhiro TAKAHASHI wrote:

> 考えさせたい教師に対して考えてくれる生徒という図式に素直に乗って
> くれるのなら、多分うだうだ議論する余地ってほとんどないのだろうと
> 思いますよ。

一校の教諭陣の教育観が「生徒に自分で考えさせたい」でまとまっているケース
は、そう大した問題もないでしょう。しかし、そういったケースは少ないような気
がします。教諭陣の教育観の方向性がバラバラな場合、ある教師が「考えさせる」
教育行動をとることを、他の教師が「迷惑」に感ずることが、ままありそうだと察
します。

「自分で考えさせる」については、生徒側の受入態勢(能力および成熟度)の問題も
さる事ながら、教師側のコンセンサスが取れないことの方が問題でしょう。それが
いいと分かっていながら「できない」と言い訳してやらないか、単に自分の価値観
と合わないからまったくやる気がないか、どちらかです。

「教師の集団」というのは実に御しがたいものです。

萩原@グリフィス大学

Kaz Hagiwara

unread,
May 1, 2001, 11:24:16 PM5/1/01
to
max wrote:
> "Kaz Hagiwara" <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
> news:3AEBE2BD...@gu.edu.au...
> > shuji matsuda wrote:
> > ただ、「いつまでも、あるとおもうな不文律」ですから、
>
> *** 「規則」だからする。「規則に無い」からしない。すべて
> そんな風には、割り切れない。なんでも規則にすればいい
> ってわけでない。プログラムされないと動けないロボットじゃ
> あるまいし。


まず、引用のしかたに注意しましょう。だれのどのような意見に対して自説を述べ
ているのか不明です。少なくとも「> > shuji matsuda wrote:」は不要ですね。

次に、引用した文と自説はなにかしら関係がなければなりません。無関係の説を展
開したいなら別のスレッドを起こしてください。

萩原@グリフィス大

Kaz Hagiwara

unread,
May 1, 2001, 11:35:29 PM5/1/01
to
max wrote:

> *** 「規則」だからする。「規則に無い」からしない。

このスレッドでは誰もそんなことは言っていません。なので新説と理解して話を進
めます。

> 根本的に、良い・悪いは人間の価値観だけど、教育の目的
> のひとつは、集団の中でうまくやっていくことで、それは、必要
> なことで、規則だからやるというものではない。規則にしてしま
> うのであれば教育する必要はない。

「規則にしてしまうのであれば教育する必要はない」のはなぜですか。


> また、この論議は、小・中・高と年齢lでもかわってくる。小さい
> ときは、すこしカッコ(形)から強制する必要もあろうが、年齢
> が増して大人に近づけば、頭ついているんだから、カッコ(形)
> よりも、理由などの意味的なものに比重をうつしていけってな
> もんだ。

成熟度にしたがって教育すべし、という理屈はわかります。しかしそれは「普通」
のことでは?そのように教育していない教育機関があるんですか?


> なんでもかんでも統制するから、日本では、一生サラリーマン
> していく人間が極端に多いんだ。自己実現考える人間が少ない
> のは異常だ。

問題は、統制してもらいたがっている人間が多いことでしょう。本人たちが望まな
ければ統制する側にしても統制しにくいシステムになっているはずですが。

萩原@グリフィス大学

Masatoshi NIIZEKI

unread,
May 2, 2001, 12:38:16 AM5/2/01
to
In article <9c0d0e$fvv$1...@nn-os104.ocn.ad.jp>, ga...@mint.ocn.ne.jp says...
>このような話題は、かつて出たかもしれませんが、興味のある方は意見をください。
>「ピアス」についてです。
>私がかつて勤めた学校には、そのような人がいなかったので気にもしませんでした。

できるだけ違った観点から見たフォローをしたいと思います.

一部の学校ではただ単に教科書に掲載されている内容だけではなく,
「学業以外にも○○を指導しますよ」ということを方針にしている
ような気がします.
「受験勉強のしかた」とか「スポーツ」とか「芸術」とかがすぐに
思い当たる例だと思います.

その中で,一部の学校では「品性」とか「品位」を身に付けることも
含めた教育を行う方針の学校があるように思います.
しかしこのような指導はすべての学校ができるわけではありません.
ほんの一握りの学校に限り,教職員,父母を含めた全学的な協力が
なければ実現できないことだとも思います.
また伝統や建学の思想が大切な役割を果たすとも思います.
従って一部の学校ではこういう内容の指導は目指していないはず
です.

私たちは時に学校にこういった「特殊な内容」,「教科外の内容」を
含めた教育をしてくれるのが常識だと誤解をしてしまうことがあります.
学校が指導内容がどの範囲に及ぶのかは,その学校それぞれの方針
ですから,教員にどのような規律を要求するかもその内容に沿った
ものになるはずです.
働いている教員はその教育方針を十分に理解して守るべきで,方針から
はずれた行動をしている時には他の教員が注意なさるべきだと思います.
しかしすべての学校のすべての教員に対してあてはまるような基準がある
わけではないと思います.
もし教員の中に不快な思いをする方がいらっしゃるのであれば,それは
教員の間で解決するべき問題だと思います.

このニュースグループでは 校則 の問題に話が発展してしまいましたが,
最初に問題提起してくださった内容は,学生の受け止め方や,校則
で決めたことと独立して考慮する部分の方が大きいと思います.

---------
新関雅俊

Shinji KONO

unread,
May 2, 2001, 1:01:35 AM5/2/01
to
河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <3AEF7C8D...@gu.edu.au> ,
K.Hag...@mailbox.gu.edu.au writes

>「自分で考えさせる」については、生徒側の受入態勢(能力および成熟度)の問題も
>さる事ながら、教師側のコンセンサスが取れないことの方が問題でしょう。それが
>いいと分かっていながら「できない」と言い訳してやらないか、単に自分の価値観
>と合わないからまったくやる気がないか、どちらかです。

問題が多様性だとすれば、教師側に多様性があるのは、それほど悪
いことではないと思います。

ま、学校のカリキュラムで一貫性がないってのは出て来るけど。でも、

なんでもかんでも、最初から終り(ってのがあるとすれば)順に学べる

っていうのは、間違いですよね。

学校の役割は、画一的な社会を作ることではないですよね。生徒の
可能性を探して引き出すことでしょう。

人の持つ多様性を吸収できないことの方が欠陥なのであって、個性
のあることが悪いわけではないはずです。

全員が学校に来る => 来れない奴もいる
全員が朝礼に出る => 出れない奴もいる
数学が出来ない奴、出来る奴
英語が出来ない奴、出来る奴

画一的になって楽が出来るのは、先生と中間管理職かな?

「できない?」「知らない?」
では、
「いま、やろう」「いま、勉強しよう」

ですよね。

yonemura

unread,
May 2, 2001, 4:07:49 AM5/2/01
to
米村@埼玉です。

"Kazuhiro TAKAHASHI" <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
news:9cn63d$ieq$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> いきざねさんが「退学にせよ」と言ったわけじゃないことは
> よろしいですね?

そんなことわかってます。
確認するまでもないでしょう。

> > また問題行動を起こす生徒にそのように考えさせることで、
> > 他の集団の利益が損なわれてしまうとは思えません。
>
> 考えさせたい教師に対して考えてくれる生徒という図式に素直に乗って
> くれるのなら、多分うだうだ議論する余地ってほとんどないのだろうと
> 思いますよ。

言えば素直に考えてくれる生徒にしか、
考えさせることができないようでは、
その教師の教師としての力量に問題があります。
いっても素直に聞かないような生徒にも、
教師なら適切な指導ができるべきではないですか?

##素直に聞く生徒にだったら教師でなくても、
##考えさせることはできます。

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
May 2, 2001, 6:22:15 AM5/2/01
to
「Re: 明文化した規則(Re: 茶髪でピアス)^E」の
米村さんの記事<uvPH6.2562$sx.2...@news1.dion.ne.jp>:

> 言えば素直に考えてくれる生徒にしか、
> 考えさせることができないようでは、
> その教師の教師としての力量に問題があります。

については、まず、わたしの別記事を。
<9cm0ik$8ks$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp>


> 個人的な問題だという位置づけにして、「オマエが悪い」というのは楽な
> やり方なんだろうけど、問題を取り違えていると思います。

「オマエが悪い」は、人々が導きやすい結論ですが、複雑な社会的問題の
解の雛型としては、大抵の場合に不適切です。

---
> いっても素直に聞かないような生徒にも、
> 教師なら適切な指導ができるべきではないですか?

心理臨床家は、一度にひとりだけ相手にして、長い期間かけて、その人の
抱えている問題の解決だけに集中して、治療に成功したり、それでも失敗
したりしますね。
# 生徒はココロのビョーキじゃないと言いたいかも知れませんが、
# もちろん、本旨はそこにはありません。

<9cj6fo$f01$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp>


> 「*教職員の能力を越えている(量・質)」についてのご説明
> <9ccm6s$f65$1...@nn-os105.ocn.ad.jp> ありがとうございます。
> # お手数おかけしましたが、書いていただいてよかったと感じています。

というやり取りを今一度確認ください。

# なお、実際には一定の割合で本当にココロの問題を抱かえている
# とみなすべき人も居るのも事実ではあります。

専門家は常に答えを知っている(すぐに答えを出せない専門家はダメ)と
信ずるのはやめた方がいいです。
# 高等教育界の常識(であるべきこと)です。

専門分野の範囲の問題について、普通の人より問題そのものやそれへの
アプローチの仕方がよくわかっていることはもちろん多いですが、まだ
わからないことがあるから、研究者はそれについて検討を続けています。

# ちなみに、わたしの場合、今の話題は専門分野外の要素の方がずっと
# 多いようです。
# (社会の現実的な問題は、ひとつの学問分野の専門の範囲に入らない
# ことの方が普通だと思っています。これもその例のひとつなんでしょ
# う。)

---
> そんなことわかってます。
> 確認するまでもないでしょう。

今後は確認不要な書き方を心がけてくださいね。

--
たかはし

Kazuhiro TAKAHASHI

unread,
May 2, 2001, 6:38:58 AM5/2/01
to
> In article <3AEF7C8D...@gu.edu.au> ,
> K.Hag...@mailbox.gu.edu.au writes
> >「自分で考えさせる」については、生徒側の受入態勢(能力および成熟度)の問題も
> >さる事ながら、教師側のコンセンサスが取れないことの方が問題でしょう。

はいはいはい。ありえる話です。
# 書いてもらって嬉しいフォローってありますね。
# ん、また考えが進んだぞ、と感じさせてくれる奴。

河野さんの記事<22372.9...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>:

> 問題が多様性だとすれば、教師側に多様性があるのは、それほど悪
> いことではないと思います。

ええ。教師に多様性があっていいなぁ、というのもコンセンサスの問題
なんだろうと思います。

悪いおまわり役の生活指導担当の先生が居て、保健の先生がよいおまわり
役だったりして、というような役割分担みたいなものは、意識的に、あるい
は自然発生的にあるはずですが。

「わしゃ考え方が違う」ってのがもっとはっきりでていて当然という
学校モデル、教師観もありえますね。

---
> ま、学校のカリキュラムで一貫性がないってのは出て来るけど。でも、

そらまた別の話ですがね。

> なんでもかんでも、最初から終り(ってのがあるとすれば)順に学べる
>
> っていうのは、間違いですよね。

はい。また、下から順にが可能であってもそれが常に望ましいわけでは
ないとも思ってます。

--
たかはし (また後半別ネタだ…)

yonemura

unread,
May 2, 2001, 8:56:05 AM5/2/01
to
米村@埼玉です。

"Kazuhiro TAKAHASHI" <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message

news:9con4n$1oo$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> > いっても素直に聞かないような生徒にも、
> > 教師なら適切な指導ができるべきではないですか?
>
> 心理臨床家は、一度にひとりだけ相手にして、長い期間かけて、その人の
> 抱えている問題の解決だけに集中して、治療に成功したり、それでも失敗
> したりしますね。
> # 生徒はココロのビョーキじゃないと言いたいかも知れませんが、
> # もちろん、本旨はそこにはありません。

すみません。いいすぎました。
“適切な指導ができるように努力すべき”
に訂正します。

> # なお、実際には一定の割合で本当にココロの問題を抱かえている
> # とみなすべき人も居るのも事実ではあります。

こういう生徒がいるという事実を、
教師は心得ておくべきだと思います。
以前、“学校崩壊”という本を出した、
某中学教師がその著書の中で、

「自分は現実主義で現実しか見ない、
教師は心理臨床家ではないから、
生徒の深い心までは見てられない。」

という趣旨のことをのたまっていたのを記憶してますが、
こういう態度は教師としてあるまじき態度だと思います。
専門の臨床家でも難しい問題を抱えている生徒がいるのも確かでしょうが…


現在のように複雑な社会では、
さまざまな心の問題を抱えている生徒がいると思います。
専門の臨床家に見てもらう必要があることも多いかもしれません。

ならば教育(学校)の改革の1つとして、
心理臨床家をもっとたくさん増やして、
学校に専属の心理臨床家をつけたりしても良いのではないでしょうか。
あるいは教師が臨床家に相談できる機関を設けるとか…


max

unread,
May 2, 2001, 10:51:32 AM5/2/01
to

"Kaz Hagiwara" <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AEF8081...@gu.edu.au...
> max wrote:

> > 「規則」だからする。「規則に無い」からしない。
> このスレッドでは誰もそんなことは言っていません。なので新説と理解して話を進
> めます。

-----------------------------------------------------
** 私には、「明文化した規則」にするしないって論議は、
明文化した規則については、教師は手をぬけて、
明文化しない規則についてはおろそかにできる、
ってことに、裏がえすとなるように思える。
明文化するってことは別にいいことと思うけれども、大事なのは、子供に、たとえば
「なぜ、いじめをしたらいけないのか」、「なぜ、授業中騒いではいけないのか」っ

ことを教え、理解させ、本人が自分で、「ああ、そうだよね」って自主的に思うよう
にする
ことだと思うので、明文化に関することにこだわる論議を揶揄する意味で、手短に、
冒頭の新説っていわれた部分のようにいいました。
もっと言うと、学校を離れれば、その規則は守らんでいいものかってことです。
何か、教師の都合の良い視点の論議に感じる。

> 「規則にしてしまうのであれば教育する必要はない」のはなぜですか。
-------------------------------------------------------------------
** 規則は、トップダウンな感じが強い。理由よりも規則だからってことで通用す
る。
規則となれば、実際的な面で、「ほら、ここに書いてあるだろ」ってな感じで、
いちいち理由よりもただ取りしまるだけになる色が濃い。

> 成熟度にしたがって教育すべし、という理屈はわかります。しかしそれは「普通」
> のことでは?そのように教育していない教育機関があるんですか?

------------------------------------------------------------------
*** 高校で、制服やピアスなど、カッコにまで制約いれる必要がないと思うし、
アルバイトなども禁止する必要はないと思う。もう、高卒で就職する人だって
いるのだから、もっと個人に任せて責任を持たせるようにした方がいい。
高校での変な規則は、社会とのギャップが大きいし、高校生をあんまり子供
扱いし、大人にする方向とは逆行している。

> 問題は、統制してもらいたがっている人間が多いことでしょう。本人たちが望まな
> ければ統制する側にしても統制しにくいシステムになっているはずですが。
-----------------------------------------------------------------
*** そうとは限らない。極端な話、他の専制的な国家でそう思っている人間が多いと

思えない。日本は専制的ではなく自由だろっていわれるかもしれないが、まず、
教育システム有りきで、その結果今のような日本の横並び社会があると思う。
っていっても、世界の中で考えれば、ゼータクな悩みであることは確か。


Ayako Ikizane

unread,
May 2, 2001, 8:19:20 PM5/2/01
to
"shuji matsuda"さん <smat...@med.keio.ac.jp> wrote in message
news:smatsuda-010...@p10.pharm.med.keio.ac.jp...

> 私の主張を端的に言えば、
> :・教科指導
> だけの、『小さい学校』政策です。

現在、そこを目指しての教育改革が行われているとの噂も耳にしますが。

> In article <9cijdg$2qc$2...@nn-os105.ocn.ad.jp>,
> "Ayako Ikizane" <iki...@mocha.ocn.ne.jp> wrote:
> :公立中学校・小学校が「多様性を有した小社会」には
> :成り得ない・成ってはならないと私は思っています。
>
> 私、小学校は家のそばの公立の小学校に行っていましたが、多様性
> は否応無しにありました。金持ちから貧乏人から、全然勉強がだめ
> なこから良くできる子、足の速い子からどんくさい子まで。そんな
> の均一化しようという方が無理です。

上記の主張は、そんなのを均一化しようと言う主張ではありません。
話の流れから、ここでの「多様性を有した小社会」とは
ひとりよがりで無秩序な
実社会から拒絶されるような多様性までもを有した小社会のことです。
だから・・・

> その『なってはならない』というのは、どういうことなのでしょう
> か。どんなに頑張ってもできないと思いますが。

そんな学校にしてはいけないだろうと言う
一般的な意見を述べているまでです。


Ayako Ikizane

unread,
May 2, 2001, 8:23:27 PM5/2/01
to
"Kaz Hagiwara"さん <K.Hag...@gu.edu.au> wrote in message
news:3AEF7C8D...@gu.edu.au...

> Kazuhiro TAKAHASHI wrote:
>
> > 考えさせたい教師に対して考えてくれる生徒という図式に素直に乗って
> > くれるのなら、多分うだうだ議論する余地ってほとんどないのだろうと
> > 思いますよ。
>
> 一校の教諭陣の教育観が「生徒に自分で考えさせたい」でまとまっているケース
> は、そう大した問題もないでしょう。しかし、そういったケースは少ないような気
> がします。教諭陣の教育観の方向性がバラバラな場合、ある教師が「考えさせる」
> 教育行動をとることを、他の教師が「迷惑」に感ずることが、ままありそうだと察
> します。

個々の教員の教育観はまちまちであって当然ですが、
組織として動く場合は、横の線を揃えるべきでしょうね。
ディティールで個性を発揮することは構わないでしょうが、
指導方針に関わってくるような部分では
慎重に動くことが大切だと思います。
職員の会議などではしっかりと意見を出し合い
決定事項については遵守するという姿勢が大事だと思います。

> 「自分で考えさせる」については、生徒側の受入態勢(能力および成熟度)の問題

> さる事ながら、教師側のコンセンサスが取れないことの方が問題でしょう。

比較は難しいと思いますよ。
問題としては共に存在していると思います。


Ayako Ikizane

unread,
May 2, 2001, 8:22:03 PM5/2/01
to
"yonemura"さん <s.y...@f8.dion.ne.jp> wrote in message
news:uvPH6.2562$sx.2...@news1.dion.ne.jp...

> "Kazuhiro TAKAHASHI" <kt...@sccs.chukyo-u.ac.jp> wrote in message
> news:9cn63d$ieq$1...@gp54.stud.sccs.chukyo-u.ac.jp...

> > 考えさせたい教師に対して考えてくれる生徒という図式に素直に乗って
> > くれるのなら、多分うだうだ議論する余地ってほとんどないのだろうと
> > 思いますよ。

全くの同感です。

> 言えば素直に考えてくれる生徒にしか、
> 考えさせることができないようでは、
> その教師の教師としての力量に問題があります。
> いっても素直に聞かないような生徒にも、
> 教師なら適切な指導ができるべきではないですか?

知り合いの小学校教師が、
児童が言うことを聞いてくれないと嘆いていた話について。
小学1年生の児童に、
授業中に、教科書を投げたり
後ろのロッカーに腰をかけて授業を受けたりする生徒が数名おり、
注意しても全く指導が通らない。
保護者にも相談したが、それでも駄目。
時折、他の教師がその教室を覗いてくれるとのことだが
根本的な解決には至っていないとのこと。
と、このように、ひと通りのことをやっても駄目だった場合、
教師にだって次に打つ手はなくなってしまうわけです。

そして、指導しきれていない状態が、
確実に他の児童の学習権を奪っていますね。


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