☆貴方も健康で、希望目指せる更なる幸のように。

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Jul 10, 2015, 6:46:46 PM7/10/15
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小野友幸 様

(^◇^)
おはようございます。
ゆっくり気分爽快にして
お過ごしください($・・)/~~~

(^◇^)

どんなに暗くても、
星は輝いている。
エマーソン
(米国の思想家/ 1803~1882)

いつも
お世話に成ります。

きょうも気分良く
お過ごしください。
(^◇^)


02から続けててます。
03、 人生の目的と達成するための手段。



 あなたが快適と思われるものから出発しても、
すぐに不愉快なものに変化してしまいます。

すべては関係しています。
私たちが物事を見る仕方は、時間、空間、現在の
状況に基づいています。

私たち自身は変化の主役です。
体の中のすべての細胞は絶えず年を取り、
死に、置き換わります。

私たちの思い、考えは絶えず変化し修正されます。
この美しいところへ来てからの皆さんの思いや考えは、

来る前のそれとは違っています。
それはずいぶんと変わりました。

皆さん方の中で変化しないものがあるでしょうか。
私はそうは思いません。

それゆえにブッダは、究極的な感覚において、
あなたというものあるいは変化しない
実在は存在しないと語りました。

機械の中でボタンを押して動かしている
幽霊がいるわけではありません。

この変化という概念、
そして無我という考え方への理解は、
受け入れるのが難しい、それゆえ苦です。

 四聖諦における第三の真理は、
「苦を超えること」に関わります。
それは苦の原因である、
貪欲、
怒り、
迷妄を越えることです。

この「苦を乗り越えること」は
「涅槃」と名づけられます。

「涅槃」は場所ではなく、
「物事をあるがままに見て、

迷妄によって曇ることが無い心の状態」と
述べられています。

それは心の状態以上のもので、
推測や詳述することが不可能です。

 ブッダは涅槃について次のように語っています
比丘ビクたちよ、
「いまだ生じていないもの、
生成されていないもの、
作られていないもの、
合成されていないもの」が存在する。

もしこの、
「いまだ生じていないもの、生成されていないもの、
作られていないもの、合成されていないもの」が
無ければ、明らかに、「
生じ、生成され、作られ、合成されたもの」からの
解脱はありえない。しかし比丘たちよ、

「いまだ生じていないもの、
生成されていないもの、
作られていないもの、

合成されていないもの」が在るゆえに、
あれやこれやの
「生じ、生成され、作られ、合成されたもの」からの
解脱は明白なのである。

 ある者は「いまだ生じていないもの、
生成されていないもの、
作られていないもの、
合成されていないもの」を神と関連付けます。しかし、

仏教徒は神という言葉を使うことに慎重です。
神は様々な人にとって異なるものを意味します。

ある人々はこの世界を作った私たちのように、
人間に似せて神を語るでしょう。

また他の人々は、
キリスト教の宗教哲学者ポール・ティリッヒのように、
「神とは存在の基礎であり、
存在の真実である」と語ります。

他方で、そういうものは
超越的な存在を語るのにふさわしくない、
として神を定義したがらない人々もいます。

 仏教徒が神という言葉を避けるのは、
その言葉を取り巻く混乱のためです。

仏教徒は「いまだ生じていないもの、
生成されていないもの、作られていないもの、

合成されていないもの」である涅槃について語ります。
涅槃は多くの非仏教徒たちが非難する虚無主義ではなく、

生成を越えたところにある状態―超越的な状態です。
それは私たちの知っている世界のいかなる物事にも
比較することが出来ないので、いかに定義すべきか
難しいのです。すべての記述は不適当なものです。

 四聖諦の第四番目は、涅槃の状態を得るために
ブッダが説いた方法で、
聖なる八正道と呼ばれています。

なぜ聖なる(アーリア)と言う言葉がこの道に使われるか、
不思議に思われるかもしれません。

道を歩むものは、聖者あるいは価値有る人と
考えられているからです。

八正道の八つの段階とは、
正見、
正思惟、
正語、
正業、
正命、
正精進、
正念、
正定です。

 正見は四聖諦によって導かれる、
苦を乗り越える知識です。

それは真理の全体的理解を含むものではありませんが、
真理に対する信頼によって、
道に従っていけば涅槃が得られるということです。

 正思惟はいつも思考と行動に気づいていることで、
いかなる生き物に対しても害することを避けます。

正語は話すことに気づいていることで、
聞き手にとって有益なことを話します。

正業は行動について気づいていることです。
そして、「生命を奪わない。

与えられていないものをとらない。
性的不道徳をしない。

嘘や騙すことをしない。
心をゆがめる傾向のある
アルコールや薬物を取らない」という
五戒を守ります。

自らと他の生命あるものに対して
害になるような、
いかなる行動も根本的に避けるべきです。

 正命は命あるものへの害や、
苦の原因とならないような方法で
生きる糧を得ることです。

「酔わせるものや、
銃あるいは、食料用に殺す動物を
売るような仕事は仏教徒としては
ふさわしくない」と考えられます。

正精進は「未だ生じていない悪を避け、
既に生じている悪を拒否すること。

未だ得ていない善を得ること。
既に得ている善については、
これらのよき性質を安定させること」です。

正念は、体、言葉、心いずれであれたえず
気づいている訓練をすることで、

害になる行動を避けます。

正定は、集中と瞑想によって
心を育てることで、
それによって
直感的な洞察を得ます。

 瞑想は、仏教徒の修行の中心的部分です。
テーラワーダの伝統によると、

心の成長を得る本質的実践として、
二つの瞑想すなわち、

静寂(サマタ)と洞察(ヴィパッサナー)が知られています。
心の静寂はある特別な対象への集中と、
すべて外部からの思考を排除することにより達成されます。

しばしば呼吸や腹部の動きが、
好ましい集中の対象として用いられます。
他には、
色のついた円盤(カシナ)や死(マーラ)の随念や、
呼吸を数えることが初心者の訓練において、
心を固定させるために用いられます。

 この集中の実践は心を静寂にし、
幸福の感覚をもたらします。

それは一境性(一つのものへの集中)や
全集中(禅定)を得るために必要なものです。

ひとたび心が集中によって訓練されると、
瞑想者は身体における感覚、
感受を省みることができ、生じ、
滅するものを観察します。後者の実践は、
ヴィパッサナ―として知られているもので、
洞察や気づきを成長させる方法です。

 禅(中国ではChan)の伝統においては
二つの方法が使われます。

一つの方法は呼吸に集中し、
何であれ必ずすべての思考を取り去るものです。

この方法は心の絶えざるおしゃべりを
排除し、
目覚め(さとり)をもたらします。

もう一つの方法は、
公案(中国ではKung-an)と呼ばれるもので、
合理的な答えを持たない質問について考えます。

典型的な公案とは、
「生まれる前の顔はどんなだったか」、
「片手で拍手すると、どんな音がするか」、
あるいは、
「無」という言葉です。

これらの方法は心を合理的思考の向こうへ押しやり、
究極の目覚めを体験させます。

 大乗仏教の浄土経において用いられる方法は、
無量の光を放つ仏
(中国ではAmitafo,日本ではアミダ仏)の名を
絶えず唱えることで、念仏と呼ばれます。

この方法は、
心を一つの対象に固定するもので、
多くのキリスト教徒によって使われる
祈りの暗唱に似てなくはありません。

その結果は、
心を静め、
浄土教によればアミダ仏の話しを聞くことに
よって悟りが得られるという、
浄土に再生することです。

 ほとんどの仏教徒は、肉体が分解する死に際し、
過去の行い(カルマ)の結果として、あるいは
意識のエネルギーの質と一致した状態において、

再生が起こるだろうと信じています。
この再生は人間としての姿か、
動物、餓鬼、祝福された状態(天神)、
地獄でありましょう。

それぞれの状態は永続的なものではなく、
再生の状態に結果をもたらし、
それを支えるカルマのエネルギーに従った期間続きます。

 言い換えるなら、私たちは再生の絶えざる
循環をめぐる者であり、それは涅槃まで、
あるいは再生からの救済が得られるまで続きます。

 要約すると、仏教徒にとって人生の目的とは、
苦あるいは人生の本性としての不満足性を越えることです。

苦を越える過程において人は他者の苦に共感し、
彼らの苦を自らのものとします。このことにより、

私たちはすべての生き物が「苦しみの海」の中に
いるのを見るようになり、
生きとし生けるものへの憐れみ(カルナー)を育てます。

すべてのものが、自らの中に悟りへの種子や
ブッダの本性への可能性を持っています。

それゆえ私たちは、生き物それぞれに
ブッダの可能性を見出します。

ひとたび
私たちが、
すべての生き物はブッダの本性を
持っていることを知るなら、

苦の原因である
二つの毒である
怒りと
嫌悪に打ち勝つことができます。
 
 聖なる八正道に従うことにより、
私たちは迷妄の心に打ち勝ち、
涅槃の祝福を実現する智慧を得るための、
すでに試され証明されている手段を得ます。

「すべての人々は健康で、幸せでありますように」。



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