[田中宇の国際ニュース解説]  印度は意外と居心地良い  2024年2月13日 

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Dentsudai Thai OBs & OGs

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Feb 13, 2024, 11:17:13 AMFeb 13
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この記事は「印度に来た」の続きです。https://tanakanews.com/240202india.php

最近12日間の旅行をした南印度は、意外と居心地が良かった。昼間は30度以上に暑くなるが、全く蒸し暑くない。快晴の日が多く、湿度が低いので日差しが鮮やかで、夏の北海道やロシア北欧カナダのようなクリアな感じがある。緑が豊かで景色が美しい。朝晩は20度ぐらいで涼しく、半袖で肌寒いときもあり、海岸などの散歩にうってつけだ。未明から人の動きがある。印度人は日本人同様、ご来光(日の出)を見るのが好きだ。都会は渋滞や排気ガスがすごくてつらいが、田舎は良い。田舎の食堂は大体ベジタリアンで肉がないが、コメや大豆、小麦を組み合わせた何種類かの主食に、カレー系などいろんな汁物を混ぜて手で食べる。60-200円ぐらい。あちこちに出店がある立ち飲みのチャイも甘くて美味しい。印度の貧乏旅行は世界有数の苦行とされているが、南印度はそんなことない。人々の気質が良い(北印度は違うらしい)。適度な距離感で接してくれる。だいたい親切。人が多いが、意外とぶつからない。質素だが、人々に余裕がある。中国よりもまったりしていて疲れない。近年の中国人は習近平の管理体制で気質をすり潰され、悪い意味で日本人みたいに自己抑圧しているのでげんなりする(だから中国人は日本など外国に行くとタガが外れて嫌われる)。トウ小平時代の狂騒な感じと全く違う。印度人は自由気ままで良い。印度人(ヒンドゥ教徒)の宗教観は、たぶん私のような日本人と似ている。それが居心地の良さの隠れた要素だと思う。日本人の主要な宗教である仏教と神道は、いずれも印度が起源だ。神道は、日本独自の宗教と言われているが、実はそうでない。明治以降の国家神道は、それ以前の古神道とたぶん全く違うものだ。日本には、仏教が伝来する前に、南印度から東南アジア経由でバラモン教(の様式、思考?)が入ってきている。それが日本にそれ以前にあった信仰と習合して古神道になった。そこにまた、中国経由で印度から仏教が入ってきて、神仏習合や本地垂迹が進められて日本の宗教が形成された。

仏教や修験道(吉野)などの宗教勢力は、中世の日本で大きな政治力を持っていた。徳川幕府は自分たちの他に大きな権力が存在することを嫌い、仏教勢力を弱体化させ、寺を幕府配下の勢力に再編し、寺が幕府の名代として農民らを管理する体制を作った。この転換によって、日本の仏教は宗教として形骸化し、寺の僧侶は深い思考の宗教家でなく、浅薄な小役人になった。それは今でも続いている。徳川幕府から政権を奪った長州藩による明治政府は、新政府の脅威になりかねない既存政治勢力である宗教界をさらに潰すため、神仏分離や廃仏毀釈など、宗教改革のふりをした破壊策を徹底した。明治政府は神道を国教にしたが、それは古神道を習合先の仏教から分離して国教にしたのでなく、古神道の中の一つの要素にすぎなかった天皇家の系列の信仰だけを神道として仕立て直したものだ。明治政府(長州)は、おそらく長州藩士の中にいた南朝系皇室の子孫を明治天皇として日本の頂点に据える王政復古によって権力を握り、その一環として、長州の傘下に入れた天皇家をまつる国家神道を日本の国教に定めた。

皇室や伊勢神宮をありがたいものと考える人に異存はないし、南朝が正統でかまわないが、それらの権威の構造の背後に、長州が日本の権力を奪取した歴史があるのは覚えておいた方が良い。日本のもともとの宗教は天皇中心でなかったはずだ。皇室は渡来系だし。長州が(英国の入れ知恵で)近代の天皇制や日本国家、皇室原理主義的な国家神道を打ち立てた。そこにおいては実のところ、政治的に皇室より長州の方が上位にいる。皇室は長州の一部だ。戦後は米国(米英)が日本を支配し、米傀儡の日本外務省の高官が宮内庁長官になり、皇室を監視・管理している。戦後はびこったリベラル(反米を掲げる米欧傀儡)も反天皇だ。皇室中心の国家神道も封じ込められている。自民党は長州の党である。日本をうまく統治する力があるのは自民党だ。長州人の安倍晋三が生きていたら、日本は今の世界多極化にもっとうまく対応できた(だから殺された)。他の政党が政権をとると、日本は今よりもっと失敗する。それらも事実だ。国家神道が神聖視する靖国神社(東京官幣社)は、殉職した公務員のための神社だ。近代日本国家を支えてきた官僚制度も長州による産物だ。靖国神社は日本人のたましいのように喧伝されるが、実のところ長州が作った官僚制の一部だ。官僚制をたましいとして崇める日本人が、根っから小役人なのは自然なことだ。

[中略]

私は歩行以外の修行をしたことはない(怖いの嫌だから今後もしない)。だが、修行とは何かを考えてみると、煩悩、快楽、恐怖心、生死など、自分の人間としての特性と向き合って突き詰め、人間の領域から神の領域に少し入ってみる・覗き見する行為だと考えられる。自分の死期が近い行者は、那智の滝から飛び降りたり、小舟で熊野灘の沖合から流してもらって死ぬ最期の行をやった(明治政府は飛び降りを違法化)。これも、自分の死と向き合って神の領域を見ようとする行為だろう。仏教でも、空海が持ってきた(印度発中国経由の)密教における宇宙の中心は胎蔵界(子宮、母性、大地、受精)であり、生まれてくること(と死ぬこと)、生命の神秘だ。(皇室中心性の歪曲に縛られていない、本当の)古神道に近い存在だと思われる道端の「地蔵」も、大地や胎内・子宮を象徴している(だから地蔵)。そして、印度のヒンドゥ教やヨガの宇宙観も、これらと同様の志向だ。

[中略]

長州政府による国家神道は、日本人を天皇原理主義で扇動し、日本を強化して大日本帝国にした。だが敗戦で、それらの構造はすべて破壊され、小役人と反日リベラル左翼が跋扈する戦後になっている。「小役人管理体制だって、平和なら良いじゃないか」。それは肯定する。戦後の日本権力(長州と官僚機構)が、意図的に日本を弱い国にする策を続け、米国に加圧されても好戦性を出せない「弱いふり」戦略で成功してきたのも事実だ。近年のドイツは何重にも自滅させられているが、日本はあまり傷んでいない。それは、弱いふり戦略のおかげだ。
それらの点を踏まえつつも、公式な宗教がつまらない小役人体制になっている(新興宗教もいかがわしい)日本から南印度に行くと、宗教が生きている感じがして良いなと思う。


https://tanakanews.com/240213india.htm
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