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[副島隆彦の学問場道]#3095 安倍派(統一教会)つぶし、解体の最新状況とインドネシアがもの凄く重要だ論 2024/01/04
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to Dentsudai Thai OBs & OGs
副島隆彦です。 今日は、2024年1月4日(木)です。新春のお慶びを申し上げます。今年もよろしく。冒頭で。今日のぼやきに、私が書いた「今年のNHK大河の源氏物語の秘密」を載せたので、読み入ってください。
能登半島地震(1日)、羽田空港での航空機衝突事故(2日)で、日本は始まりました。今年も、いろいろなことが起きるのだろう。私は遠くから静かに見ている。自分に関係する大事件が起きた時も、もう急いで現場に駆け付けたりの、激しい動きは自分には出来ない。私は、数年前から飛行機に乗るのが怖くなった。だからもう外国旅行にも行かなくなった。2日3日に、箱根駅伝をテレビで見ている多くの日本国民と同じだ。その前に、大晦日の紅白歌合戦を見て、「今の歌手の芸能界はこんな風なんだ」と感心する。私が年の初めに、まず書いて皆に伝えて、教えたいことは、インドネシアという国が、これから物凄く、重要な国になる、という事実だ。このことを、どうしても急いで書いて皆に伝えておかなければ、と、私は、年末から焦っていた。ようやく書ける。私、副島隆彦が、他の日本人のすべてよりも一早く、インドネシアを巡る大きな真実を、早く伝えないといけない。まず、一枚だけ、インドネシアの写真(画像)を載せる。(プラボウォとジョコ大統領の息子が並んでいる、11月21日付けのFTの写真)大統領選への出馬登録後に支持者に手を振るプラヴウォ国防相(左)と、ジョコ大統領の長男ギブラン氏
副島隆彦です。 この、顔の悪い、本当に大(だい)悪人だった、インドネシアの軍隊を、すべて握っている、プラボウォという男が、次のインドネシアの大統領になる。これはもう決まっていることだ。 選挙は、2月14日である。今の善人で、気取らないで、庶民大衆の味方であり、国民に大変な人気のあるジョコ・ウイドド大統領は、5年2期、10年(2014年から)の任期を終える。まだ62歳だ。そして何と。この悪人顔のプラボウォの横に副大統領になると決まっている、ジョコの長男坊のギブラン(36歳)が立っている。ここに大きな秘密がある。だが、西洋白人の、イギリスの 高級紙のFT(ファイナンシャル・タイムス)の記者たちでも分からない謎がある。 私、副島隆彦はそれを解読した。
その前に、最新の日本の政治のことを、急いで、ここで書いて置く。
日本の政治は、岸田首相による(法務省・検察庁の独自の判断ということになっているが)自民党安倍派=統一教会(とういつきょうかい。人類のがん細胞だ。狂った人間たちの集団だ)を日本の国家体制から取り除いて、カルト(邪教。じゃきょう)の組織として、国家体制から摘出(てきしゅつ)手術するという大きな闘いが今も続いている。今の安倍派潰(つぶ)し解体作業の実行は、日本国民にとって大変、喜ばしいことである。森喜朗(もりよしろう)はじめ安倍派の幹部たち全員が逮捕され、起訴されて刑事裁判に掛けられればいいのだが。そこまでは行かないだろう。森喜朗とその直接の子分たちは、厳密には、統一教会ではない。むしろ、統一教会を嫌っている、右翼暴力団体質の男たち(任侠=にんきょう=風の 愛国者を気取る)である。私、副島隆彦は、前回(12月14日)には書かなかったが。今度の安倍派つぶしは、岸田文雄の、人生最大の悲願である「大宏池会(だいこうちかい)の復活、再統合」の復讐劇だ。岸田は、23年前に、森喜朗と野中広務(のなかひろむ)によって、宏池会の加藤紘一(かとうこういち)が当然に、次の首相になる予定で、そのための正当な手続きをずっと踏んで来たのに、それが叩き壊れた。あの2000年11月20日の ”加藤の乱”の屈辱、恥辱の日のことを。決して忘れていない。加藤紘一が、森喜朗首相(当時)たちの、あまりもの非道(ひどう)にたいして、無念の怒りに駆られて、森への野党の不信任決議に同調して賛成投票する、という行動に出ようとした。この時に、横から谷垣禎一(たにがきさだかず)が縋りついて、「あなたは親分なのだから」と、必死で泣きながら止めた。その下の横に岸田も泣きながらいたのだ。私たちは、あの日本の政治ドラマの重要な「刃傷(にんじょう)松の廊下(ろうか)」の忠臣蔵並みのシーンを、今でも覚えてる。副島隆彦です。だから岸田は、あの時の激しい屈辱を今も忘れていない。だからあれから23年後の今の政治ドラマは、明らかに復讐劇なのだ。 このあと、谷垣禎一は、大好きなスポーツ用の自転車を漕いでいて、人為的なピアノ線の仕掛けで大転倒して首の骨を折られた。今も車椅子の生活だ。このことへの復讐でもある。だから、岸田、頑張れ。あの日本国のばい菌の大ワルどもを、今こそ成敗せよ。私、副島隆彦は、昔、谷垣禎一に、宏池会の箱根の勉強会に呼ばれて講演して、そのあと夕食で、お酒をご馳走になったことがある。その時、園田博之(そのだひろゆき。熊本が選挙区。園田天々光の義理の息子。立派な政治家だった)から、「副島さん。あんたの考えと私たち宏池会の考えは同じだ」と褒(ほ)められたことがある。嬉しかった。この政治家たちは自民党の中にあって、本当に清廉潔白な人たちだ。何も汚(よご)れた悪いことをしない。ただし、汚れていない政治家は、人間の本性(ほんせい)の中にもある、現実の世の中にある穢(きたな)い、泥臭い力と、本当の実力が無い、とも言われる。
森喜朗の忠実な子分の、萩生田光一(はぎうだ こういち)くらいになると八王子市のチンピラ上がりの暴力団でありながら、統一教会の強力な支援で当選していた議員である。しかも創価学会の強い支援も受けてきた。このあたりは汚れた福祉と土建の利権政治だ。森喜朗は最後に(12月7日)「 萩生田を先頭にして、一つにまとまって、岸田と戦うんだ」と幹部の子分たち8人を集めて怒鳴っていた。でもこれも崩れ去った。岸田は森喜朗からの電話に出なくなった。例の“5人組”は「血相を変えて、会長。会長だけは捕まらないでください。私たちが身を挺して守りますから。何とか逃げてください」と、もうほとんど国定忠治(くにさだ・ちゅうじ)の新国劇(しんこくげき)の名月赤城山(めいげつあかぎやま)のような感じになった。ところが “6人目のユダ” になっていた下村博文(しもむら はくぶん。9月に、森に土下座して謝ったが許してもらえなかった。文教族を森から自分が奪い取った、と一瞬、文科大臣のときに下村は勘違いした)がすでに検察庁に10月段階で、ゲロゲロ自白して、安倍派事務総長 経験者(2018年はじめまで)として、内部帳簿をすべて検察官に渡した。だからもう安倍派の幹部どもは逃げられない。ここで、ひとつだけ書き加えて置く。大(だい)ワルの暴力団体質の、森喜朗の父親の、森茂樹(もりしげき)は、実に立派な田舎政治家だった。誰も書かないので、私がここに書いて置く。石川県の南の 小松(こまつ)市の隣りの何とか村の村長を長く務めた。この人は、戦争中はずっと軍人で、中国戦線を、満州事変から、南京攻略、武漢三鎮(ぶかんさんちん)の攻略まで、ずっと最前線にいた。中隊長(大尉)クラスで、部下たちと戦い続けた。それなのに死ななかった。強運の人だ。戦争の末期(1944年)は、部隊ごと南方戦線に回されて、トラック群島への上陸作戦とかに出ている。それでも死ななかった。そして戦後は、ずっと田舎の村長をした。この森茂樹は、戦後は戦争への鎮魂と、それからロシア(人)と友好関係を築くための日本海側の活動を熱心にやった。バカ息子の喜朗とは大きな違いだ。人の一生は、その人自身の選択と、持って生まれて性格、性癖 と、それから時の運(フォルチューナ fortuna ) に支配される。
この目下の安倍派(統一教会)の解体問題については、もう、これだけにしたい。次々に数人は逮捕されるだろう中堅小物の政治家たちなんか、どうでもいい。あとは政治資金規正法の不記載(ふきさい)罪の罰金刑で、50人くらいが処罰されて、終わりにする気だろう。このあと、こいつらが総選挙のときに、それぞれの選挙区で、たたき落されるかどうかの問題だ。私は12月14日に、ここに書いたが、安倍派99人の底(そこ)のほうにたまっていた30人くらいの、福田達夫(ふくだ たつお)派の若手の政治家たちが、生き残って、安倍派が崩れ果てた後、福田派として旗揚げすればそれでいいことだ。そうだ。ここでどうしても書いておかなければいけないことは、今、法務大臣をやっている、小泉龍司(こいずみ りゅうじ)という政治家は、気骨のある立派な政治家である。このことを、今の差し迫った状況で、日本国民に教えておかなければならない。小泉龍司は、埼玉県の北のほう(深谷市、埼玉11区)から出ている政治家だ。ずっと無所属の議員だった。私は2005年、今から18年前の、郵政民営化という大きな闘い(アメリカによる、馬鹿ヤロウの小泉純一郎を手先に使った、日本国民の大事なお金=郵貯と簡保、それから年金の積立金)を、ゴールドマンサックスをコンサルにして、アメリカに差し出し、現に奪い取られた)のときに。この時、小泉龍司は国会で、ワルの竹中平蔵総務大臣に向かって、確か次のように質問(発言)した。「竹中さん。私はあなたのように英語は上手にしゃべれないけれど、日本国民の大事なお金を、アメリカにどんどん差し出すのはよくないのではないか」と。極めて正しいことを堂々と言っていた。その後、小泉龍司は、郵政民営化に反対した(52人の自民党の決意した議員たちと共に)。そのあとの9月の選挙で落とされた。小池百合子のような愚劣な(この女も統一教会の分派=文鮮明の5男坊派=だ )者たちがのさばった。小泉龍司は、その後、2014年に、二階派に入って、それから自民党に復党した。小泉龍司は、東大法学部を出た、秀才でまじめな人間だ。極めて実直な人間だ。20年前から、私と私の弟子たちは「あのひとは偉いなあ」と話しあっていた。だから、この小泉龍司が、去年の9月の内閣改造の時から、法務大臣(法相)になっていたことは、素晴らしい布陣(ふじん)だ。だからこの時から岸田は、安倍派つぶしをやる気だったのだ。
もし今、この小泉龍司法務大臣の 悪口を書く、テレビ新聞の記者がいたら、そいつは、紛(まぎ)れもなく統一教会員である。絶対に許さん。皆さんも、じっと政治の動きをニューズで見ていて、彼ら腐ったメディアやテレビ評論家どもを監視しなければいけない。そして、これくらいのことは分かりなさい。彼ら、腐り果てた、安倍派の提灯(ちょうちん)持ちの、テレビ評論家どもも、内閣官房機密費(かんぼうきみつひ。報奨金。ほうしょうきん)から、毎年、数百万円ずつ出ている(ワイロとして貰っている)。このことが、一覧表と共に、明らかにされればいいのだ。そうしたら、こいつらの、テレビ有名人の人生も終わる。テレビ、新聞の政治部長たちも同じだ。お前たちも政治家たちと長年、ツルんで(深くつながって)汚れているのだ。国民を洗脳する道具どもだ。今こそ、こいつらも叩き潰せ。法務大臣は、検察庁に対して、指揮権を持つ、内閣(政権)からの重要な重し、目付け役だ。 いい加減な人間はこういう重要事態では就任させたらいけない。 皆が知っている、汚れまくりの、死にぞこないの、田原総一郎(たはらそういちろう)なんか、、国民がテレビで見ている前で、縛り首(絞首刑)にするしかない。田原は、森喜朗と、東京の下町の銭湯(せんとう)で、一緒に湯船に入って対談している本まで出している。それから、松本剛明(まつもとごうめい)が総務大臣に復職した。この人は、元民主党で、小沢一郎にも近かった人だ。この松本剛明(ごうめい。たけあき)は、検察官あがりで、清廉潔白な政治家だ。政治資金規正法などを管掌(かんしょう)している都道府県の選挙管理委員会とかは総務省の管轄だ。だから重要だ。もう一人、立派な政治家がいる。それは、浜松の南隣りの磐田(いわた)市(静岡3区)から出ている、宮澤博行(みやざわひろゆき 48歳)という政治家だ。防衛副大臣を辞めた。12月13日に、「自民党5派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題」で、清和政会(安倍派)から受けた、ノルマを超えた分のキックバックの金額が、3年間で140万円有った。収支報告書に記載して訂正した」と国会内で、テレビカメラの砲列と記者たちに、壁(かべ)ドン されて、壁際(かべぎわ)に追い詰められた時に、正直に対応した。その時、宮澤は、「(派閥の事務総長から)しゃべるな、じゃべるな。これですよ」と、正直にしゃべった。これが静岡の地元の有権者たちに大変、評判がよかったようだ。だから宮澤は次の選挙でも何が有っても、落ちないだろう。福田派に入るだろう。松野頼一(まつのよりかず。官房長官だった)も、本当は、福田派であることの正体を顕(あらわ)すだろう。この若手の宮澤博行も東大法学部出の秀才だ。小さい頃から貧乏な家で、アルバイトでずっと生きて来た。市会議員になって(28歳)、それから周りから、その実直な性格を慕われて、それで衆議院議員に当選した。これからの日本の指導者になる者は、貧乏な家から出てくる学歴のちゃんとある、人生の苦労も知っている、優秀な人間でないといけない。民衆もそれを期待している。もうバカ息子の3代目の世襲(せしゅう)議員どもは、全員、滅ぼせ。小泉進次郎(こいずみしんじろu)のような、近くで見たら、背がチビコロで、こんなに小さくて、マスコット人間のような、ハンサムお人形さんのような人間が、この世にいるのか、と私は思った。何が「地盤、看板、鞄(かばん。資金)が無いと政治家にはなれない」だ。それからヘンな芸能人あがりやバカな美人女(本当の正体は鬼女=おにおんな=だ。男たちを次々に食い殺す。自分の体、女体=にょたい=を使って這い上がる)どもも、もう上に上げてはいけない。宮澤博行が初当選したは、2012年12月の、仕組まれた、民主党の 野田“ブタ野郎”佳彦(のだよしひこ。こいつも松下政経熟の一期生で、統一教会だ。私、副島隆彦を一本釣りしに、2000年頃、私の前に出現したことがある)のあとの、安倍晋三(あべしんぞう。去年の7月8日に、高転(たかころ)びで、処分された)の首相復帰のときの、“ 安部チルドレン”だ。 だから、宮澤は、安倍派なのだが、この男は、防衛族(ぼうえいぞく)に入ったが、なかなか筋を通す政治家だ。 アメリカからの日本の防衛費の倍増の要求に対して、「そんなに急激に防衛費だけを上げることはできない」と、健全な発言をした。だから、2020年の防衛費増強とウクライナ支援金(日本国民には内緒で、2021年と22年で3兆円ぐらい出している)の時、安倍晋三首相と 狂気の高市早苗に対して、「そんなに出せない」と、歯を剥きだして、いがみ合っていた、官房副長官(かんぼうふくちょうかん。政治家の方の)だった木原誠二(きはらせいじ。財務省上がりで、財務省のカネの配分権を握っている。木原はアメリカに物凄く嫌われている。だから木原は偉い。だからCIAの手先の文春大砲=ぶんしゅんたいほう=に狙われた。何とか今も、岸田と警察庁が木原を守っている。木原にアメリカ政府との交渉の、ど怒鳴り合いを英語でやらせないと、他の政治家では出来ない )と 共同のスタンスを宮澤博行たち自民党の防衛族の若い政治家たちは取った。だから、私は、宮澤のこの温厚な態度と健全な精神を評価している。宮沢は、当選した時(今、4回生)、自分の頭の髪の薄さから、「日本を明るくする会(頭のハゲの照り返しで)」という新人たちの議員連盟を作った。
ここで、最後に書いて置く。2009年の1月からだった。今から15年前だ。小沢一郎を、無理やり、嵌(は)め殺したのが、「陸山会(りくざんかい)事件」だ。すでに盟友の鳩山由紀夫(はとまやゆきお)の政権(2008年8月末から)は、たったの8か月で崩された。 陸山会は、小沢一郎の政治団体だ。ここの収支報告書に、「5千万円の記載がない。小沢は、政治資金規正法違反の犯罪者だ」と、激しい小沢弾圧を、検察庁とテレビ、新聞が、一斉に行った。血塗られた汚れた、刃を振るって、田中角栄(たなかかくえい)の申し子の、実力政治家の小沢一郎の政治生命を、無理やりでも断とうとした。マイケル・グリーン(安倍晋三の先生)たち、アメリカの、CIAの日本操(あやつ)り班が、司令塔でやった。ところが、この政治献金の、西松建設(にしまつけんせつ)からの5千万円は、小沢一郎の収支報告書に記載されていたのだ。この事実が判明した時には、さすがに、テレビ、新聞、週刊誌どもも真っ青になった。それでもだ。それでも、自分たちがアメリカの命令で、振り上げた刀を今さら下に下(おろ)せない。このあとは、見苦しく、発狂状態になってテレビ新聞が、「小沢は、悪者だ」キャンペーンを張り続けた。 あの時の、テレビ新聞週刊誌の幹部記者どもを今からでも、全員、引きづり出して処刑しなければいけない。今、あいつらは、自分の血で汚れた唇を拭いながら、「もう、いいや。オレたちは、あの時はあの時で、上に命令されてやっただけだからさ」と、惨めなサラリーマン根性を丸出しにして、どこか東京の郊外の家で、ひっそりと生きているのだろう。だから、こいつらには、ジャーナリストとしての名誉は全く無い。それが、現世(げんせ)からのこの者たちへの仕返しだ。小沢一郎は、西郷隆盛と似て、朝の散歩を子犬を連れて、下駄で、外を歩いた。そして、「このアパートが売りに出ているのか。これはなかなか、いいなあ。それなら、これを買って、秘書たちの住居にしよう」と、その為の政治献金を使った。純然たる政治活動の一環だ。私たち、田中角栄、小沢一郎を応援し続ける、日本国民、1千万人が残っている限り、私たちは負けない。今の、統一教会で、汚れ切った立民と国民の指導部どもを引きづり下ろして、本当に健全な、野党を作り直さないといけない。兵庫県明石(あかし)市市長を12年間やって善政をやって、今は、満を持している、泉房穂(いずみふさほ)が、明石の地盤から、次の総選挙に出れば、西村康稔(やすとし。経産大臣を辞任した)に勝つから、準備しているだろう。あのトカゲのような顔をした、ワルの西村を、公然と応援する明石の経営者団体も、役人組織も、今はもう身動きできない。市民たちが厳しく監視している。だから、こうやって、汚れていない新しい、人の世の苦労を知っている政治家たちが、どんどん今から、たくさん出て来る。本当にいいことだ。ああ、日本の政治の話は、これで本当にやめる。もうこれだけにする。
いよいよ、ここから、インドネシアの話に戻る。インドネシアという日本の南の方に有る大きな国(スマトラ島とジャワ島という大きな島=それぞれ人口1億人ぐらいと、その他の多くの島嶼=とうしょ=が1万2千島もあると言う。ボルネオ島とニューギニア島など。そこに7千万人から成る )が、本当に、急激に、世界政治(ワールド・ポリテイックス)で、重要な国に競(せ)りあがって来た。このことの説明をする。私の以下の文章を読んだ人は、きっと全員、驚くだろう。「そんな、重大な事実がインドネシアに有ったとは、知らなかった。これまで誰も教えてくれなかったよ」と。何が重大なことかを簡略に書く。ところが、私が簡略に書こうとすると、またこれが大量の文書になる。実に困ったことだ。私の長文を読む脳の訓練ができていない人たちは、ここで すでにたくさん脱落するようだ。仕方がない。インドネシアはもう、人口が2億7千万人もいる。ほんのこないだまで、2億人だと思っていたら、もうすぐ3億人である。非常に若い国である(老人はさっさと死ぬ)。インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は、見るからに実直な男で全く威張る気配もなく、世界水準の大物政治家に到達した(現在62歳)。華僑系の血も入っているようだ。貧乏な家具屋から地元の市長になり(2005年、44歳)その後、ジャカルタ首都州知事になって、それから国民の信望を集めて大統領になった。今年、2期目10年で辞める。だが、ジョコは極めて頭のいい男だから、今年の2月14日の大統領選挙に向かって、素晴らしい奇策に出ている。ジョコの実の父親は、1965年(今から58年前だ。私は、12歳だ)の軍事クーデターの時に殺されていようだ。ここにはインドネシアという国が背負った、悲惨(ひさん)極(きわ)まりない過去の悲劇が横たわっている。300万人のインドネシア共産党支持者と華僑が殺された。私は、ずっと、50万人ぐらいだろうと思っていた。そのように本とかに書いてあった。ジョコはなんと、自分の長年の政敵で、インドネシア国軍、と、狂暴な暴力団(パンチャシリ)とか反共右翼たちを取りまとめて握って、支配してきた、見るからに悪い顔をしたプラボウォという男を、何と、2019年には、自分の国防長官(国防相)に抜擢してきた。 過去2回大統領選挙(2014年と2019年)で、このプラボウォに勝っている。下に載せた写真の顔つきを見たら分かるでしょう。この極悪人だったプラボウォが、今年の2月14日の大統領選挙で当選することが、ほぼ決まっている。このプラボウォは、かつて、40年間インドネシアを独裁者として支配した、スハルトの娘(次女)と結婚している。1997年7月の「アジア通貨危機」(香港返還の4日後からはじまった)の時に、スハルトは、アメリカから捨てられて、翌年、大統領を辞めた。わざとらしくアメリカが仕組んだ反政府デモが起きていた。日本から橋本首相が「もう辞めなさい」と説得に行っている。ここからが重要だ。プラボウォが次の大統領になるということは、インドネシアは再び恐ろしい軍事独裁の反響右翼の、アメリカの手先の国に戻る、ということを意味している。と普通は考える。ところが、どうも、そうではないようだ。この悪人だったプラボウォが、本気で反省して悔悛(かいしゅん)したらしいのである。プラボウォは、政敵であった、ジョコ・ウィドドに、2015年から、強く説得され教育されて、考えを改めたのである。ここが、日本から見ていて、インドネシア研究の専門の学者や新聞記者たちでも、分からない点だ。インドネシアは「1965年にすさまじい軍事クーデターが起きて、300万人のインドネシア共産党員と華僑系の人間たちが殺された。私はずっと、殺されたのは50万人ぐらいだろうと思っていた。ところが、2014年に公開されたオランダとスウエーデン製のインドネシアの政治の世界を描いた、ドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」2012年作 )が、2014年に日本でも公開されて、私たちに衝撃を与えた。どうやら300万人だったようだ。針金で区部をぐるぐる巻きにして、出血しないで絞め殺して、布袋に入れて、ソロ川に、放り込んだ。そのことを証言している、恐ろしいヤクザ者たちが、踊りを踊りながら、自分の青年時代の蛮行を、不敵な笑い顔で、ずっとしゃべっていた。私はこの映画を見て、ぞっとした。このことは、後で述べる、
この事実は、デヴィ夫人の回想禄とも重なる。こデヴィ・スカルノという、日本の庶民層から這い上がった、下品だけれども、世界基準では貴族をきどる女性がたどった、この数奇な人物が重要だ。彼女は、インドネシア(イスラム国家)の国王(大統領)の正式の第4夫人だから、“プリンセス・デビ“と正式に、ヨーロッパの社交界で呼ばれる人物である。デヴィは、スカルノ大統領と結婚した。日本からの貢ぎ物である。ジャカルタに渡って、1年もしないで、クーデターが起きた。この大混乱に巻き込まれて、お屋敷の窓から逃げ出すようなことまでして、デヴィは生き延びた。敵のスハルト派の将軍の奥さんたちとも親しかったからだ。のスカルノは、その後、幽閉されて、もう2度と会えなかった。その時にお腹に出来ていた、娘のカリーナが、この後、生まれて本当によかった。この話もずっとしなければいけない。プラボウォはこの、「9・30クーデター」の大虐殺ときに24歳である。まだ下っ端軍人であった。それでも大量殺戮に下級将校として加わっている。この時の集団殺戮は、銃や刃物で殺すのではなくて、針金を首にぐるぐる巻きつけて、血が出ないようにして、袋にいれて、あの有名なソロ河に投げ込んだ。すさまじい残虐行為であった。これをやらせたのは、アメリカのCIAであった。アメリカに反抗的だったスカルノを倒して、その次に、軍人のスハルトを大統領に立てて、インドネシアをアメリカの直接の支配下においた。 Clyde MacAroy クライド・マッカーロイ という、このあと駐インドネシア・大使になった男が、この大虐殺を、スハルト将軍のインドネシア軍に実行させた。殺害すべき人間たちは、すべて、事前にCIAが調べていたとおりの情報と資料に基づくものだ。1965年というのは、日本では、東京オリンピックの次の年だ。新幹線も通って、高度経済成長で、アメリカの指導のもとで、日本が、どんどん豊かな国になり始めた年だ。このときインドネシアは地底(じぞこ)に沈んだ。本当に、世界の舞台から消えて、真っ暗な、南洋の 地獄の国となった。それから50年たって、ようやくインドネシアは復興しようとしている。次の新興大国として、意気揚々と、世界の檜(ひのき)舞台に戻ってきた。私はインドネシアに行ったことがないから、何でも見てきたようなウソは書けない。だが、物凄く感慨深いものがある。今、インドネシア人が、日本に観光旅行でたくさん来ている。男でちょっと偉い人達は、丸い四角い帽子をかぶっているのだが、それはほとんど見かけない。女の人たちの、イスラム教徒のヴェール(アバーヤの上)を頭に被っている。カラフルな色ものは、マレーシア人だ。地味な灰色か黒を着ているのが、インドネシア人女性だ。どちらも同じ、マラヤ人である。マラヤ人は、元々はインドから来たイスラム教徒たちだ。 マレーシアは16世紀の500年間、イギリスの植民地だった。インドネシアは同じく500年間、オランダの植民地だった。そのオランダから1946年に、早くも独立した。激しい独立戦争を戦ったから、インドネシア人はオランダ、イギリス人を今も大嫌いである。そして、このインドネシア独立運動を、本気で助けてくれた旧日本軍の軍人たちが大好きなのだ。旧日本軍は、インドネシアでは、ほとんど悪いことをしていない。だから今もインドネシアは、ものすごく親日(しんにち)的な国である。このことを日本人があまり分かっていない。去年の8月、徳仁(なるひと)天皇と雅子皇后が、即位後の初めての外国として、国賓として訪問した(下に写真を載せた)。この時、ジョコ・ウィドドの奥様(大統領夫人)と雅子皇后が、一緒に歌を歌った。それは「ブンガワンソロ・・・・」という歌である。 「ブンガワンソロ。川の流れに・・・・」という歌だ。これはインドネシア人が、オランダから独立するときの、独立を誓った時の、民衆の歌である。このインドネシア独立運動があまりにもうまく行き過ぎたから、その後に、大きな悲劇が生まれたのだ。日本が1945年の8月に8月に敗戦した後、武装解除されて捕虜収容所に入れられた10万人?の日本兵のうち、2000人の日本人が、その後も、インドネシアに居(い)残った。日本に帰っても、もう日本は焼け野原だ。復興なんかできない。と思ったらしい。ほとんどの日本兵捕虜は帰っていった。
だが、現地人の女性と結婚して子供をつくった日本兵たちは帰らなかった。彼らが「ムルデカ」という軍事組織を作って、戦争中からインドネシア人の青年たちを軍事訓練して、武器弾薬を与えて、独立運動を本気で助けた。インドネシアは他のアジア諸国と違って独立戦争がものすごくうまくいった。内部での紛争も全くなかった。スカルノとハッタ(副大統領になる)の2人が指導者になって、日本軍の支援を受けながら、さっさと独立後の新国家をつくった。彼ら、独立運動の青年たちを育てたのは現地への派遣された日本軍だ。特に偉かったのは、今村均(いまむら きん。ひとし)大将である。インドネシアのことを、蘭印(らんいん)という。「オランダ植民地のインド」という意味だ。ここへの派遣軍の司令官(第16軍司令官)であった、この今村均大将は、おどろくほどに立派な軍人であり、ものすごく部下たちから戦後も尊敬された。現地のインドネシア人を全く虐(いじ)めなかった。だから、スカルノたちがオランダ軍とイギリス軍に対して一気に勝利した。インドネシアのかなり東のはずれのニューブリテン島のラバウル航空隊という、とんでもない東方に、日本軍の陸軍と海軍の駐屯地があった。ここを今村は、最後に、要塞化して、自給自足の態勢を築いた。だから、米軍(マッカーサー大将)はラバウルは強いので、ほったらかして、先へ先へと進軍した。ラバウルの日本兵たちは餓死しないように作物を植えて生き延びた。それを指揮したのも今村均大将である。今村は戦後、裁判にかけられたが、何も悪いことをしていないので、有罪にならなかった。ところが今村は、自ら進んで、自分の部下たちがいるインドネシアの刑務所に入りにいった。マッカーサーがひどく感心したらしい。2年くらい入ってから日本に帰って来た。このことは、小説家の角田房子(つのだふさこ)が書いた「責任 ラバウルの将軍 今村均」(1984年刊)に詳しく描かれている。インドネシアは独立後も、ニューギニアの東半分やバンダアチェの領有問題で、旧宗主国(そうしゅこく。コロニアル・マスター)のオランダと、長く、1960年代まで戦争を続けた。だからインドネシア人は、オランダが大嫌いなだ。ところが、それでも、あとのほうで書くが、500年間の植民地時代にオランダ人と血が混じっているから、複雑なことになる。日本人のように欧米白人とほとんど血が混じらなかった民族は、却(かえ)って世界性が無い、外国語が出来ない、という欠点があるだろう。
フィリピンやベトナムやミャンマー(旧ビルマ)は独立後も、ぐじゃぐじゃの内部紛争があったので、まとまりが悪かった。ところが、インドネシアは、さっさと、日本軍の応援で独立出来たので、優れた政治感覚で、スカルノ初代大統領が、「アジア・アフリカ会議(A・A会議)」というのを呼び掛けて作った。1955年に非同盟(ひどうめい)で中立国の同盟、理念を打ち出して、世界政治運動を始めた。アジアやアフリカ諸国に呼び掛けて、バンドン(ジャカルタから140km)で「バンドン会議」を開いた。そこには、40か国ぐらいが集まった。バンドン会議の60周年で、習近平たちが、このバンドンの地で、皆で、とぼとぼと、悲しそうに歩いた。多くのインドネシア人が殺されたことへの哀悼と、鎮魂だ。つい最近2023年10月2日に、このバンドンまでの高速鉄道が開通した。中国の資金と技術である。インドネシア国民は大変喜んでいる。おそらくこの高速鉄道網がさらにスマトラ島とジャワ島2700kmの全部に通すことにだろう。そうなれば、どれぐらいインドネシアの経済が成長することか。スカルノたちは調子に乗りすぎたのだ。ソビエトや中国側に立たず、同時にアメリカやヨーロッパ先進国側にも立たない、中立のA・A会議という国際運動である。これにアメリカが激しく怒った。それで、前述した1965年の「9・30クーデター」で300万人が虐殺された。 この時からインドネシアは世界政治の地底に沈んだ暗闇に落ちたのだ。インドネシアには「プルタミナ石油」という巨大な国有の石油会社がある。隣りのマレーシアには、「ペトロナス」という石油・天然ガス会社がある。今、首都クアラルンプールには世界第2位の高さの「大丈夫かよー」と言われている、ペトロナス・タワーがある。世界1位を奪ったのは、ドバイの、ブルジェ・ハリファ・タワー(830m、163階建て 完成2010年)だ。プルタミナ石油はずっと、三菱、ロックフェラー系が握っている。先述したCIAのクライド・マッカロイが日本で育てたのが、統一教会の大幹部でもある岸信介(きしのぶすけ)である。アメリカはスカルノ体制をたたきつぶして、日本にインドネシア原油をたくさん輸入させて、サウジアラビアからのもあるが、日本の高度経済成長を実行させた。その前に、1964年までに、日本のすべての石炭の鉱山を廃止した。これを“エネルギー革命”という。だから、インドネシアのスカルノは立派で優秀な人物だったが、アメリカにしてみれば、この野郎、許さん、ということだったのだ。中国も当時は、バカだから、その翌年の1966年から、毛沢東が再度権力を握って、文化大革命を始めた。このあとの10年間で、1億人くらいの中国農民が餓死した。だからインドネシア人は、腹の底から深く反省したのだ。この流れに極悪人だった、プラボウォのような軍隊トップの極悪人も加わる。ジョコ・ウィドドが、2015年からプラヴォの家の近くに引っ越して、徹底的に話し込んで、説得したようだ。「私たちの国は、もうあんな悲惨なことをやってはいけない。同じ国民どうし対立して殺し合いをやってはいけない。外国にいいように操(あやつ)られてはいけない。インドネシアは、世界に向かって理想を主張できる国にならなければならないんだ」とプラボウォを、教え諭した。だから、こいつの顔がどんどんよくなっている。だから今年からもインドネシアが大事なのだ。
このことを、副島隆彦が急いで日本国民に教えておかないといけない。 アメリカの手先のパーどもが、何も知らないくせに、威張っているヘンな国であるのが今の日本だ。
世界の言論を支配しているように自分たちでは思い込んでいる、後ろにを載せる11月21日のFT(フィナンシャル・タイムズ紙)が、その証拠だ。前の方に載せた、プラボウォの横に立っているのが、ジョコ大統領の長男、ギブランである。このギブランが副大統領になる。奇妙なことに、ジョコの政党与党の「闘う民主党」からも候補者がでている。だけと、もう結果は出ている。ジョコは、スカルノの長女であるメガワティという、元の大統領が、この闘う民主党の党首であるから、もう、彼女たち頭の悪い人間たちを見限っている。だから世界の政治評論では、「ジョコはこれから独裁者になって、上から大統領のプラボウォを操る気だ」という評論が、日本でもFTに倣(なら)って、今から始まるだろう。その程度の足りない頭の記者たちの記事である。自分たち英と米の白人がいつまでも、一番、頭がいいと信じ込んでいる。私の最新刊の 『中国は嫌々(いやいや)ながら世界覇権を握る』に載せたが、金杉憲治(かなすぎけんじ)という外交官が、インドネシア大使だったのだが、次の中国大使に決まった。金杉は、親米(しんべい。pro-America プロウ・アメリカ)のアメリカの手先の外交官のように思われているが、決してそうではない。これから日本と中国とインドネシアの三角同盟をつくるための、外務省の重要な人材である。つい最近までの、垂英夫(たるみ ひでお)駐中国大使がちょっとひど過ぎた。垂(たるみ)は、中国に大嫌われながら、中国大使をずっとやっていた。ペルソナ・ノン・グラタータ(好ましからざる人物)として強制帰国させられてもおかしくなかった。それは、佐藤優(さとう まさる)氏が『外務省ハレンチ物語』(2009年刊、徳間書店)に書いた、ハレンチきわまりない、上月豊久(こうづき とよひさ)駐ロシア大使(外務省の女子職員たちをたくさん犯した)と同じようなアメリカの忠実な手先だ。彼ら古臭い外交官の時代が終わろうとしている。このあとは、私は、急いで、デヴィ夫人の伝記『デヴィ・スカルノ回想記』(2010年刊、草思社。旧姓 根本七保子の回想禄)からたくさん引用したいが、もう皆さんお疲れでしょうから、またにします。私は10年前に、デヴィ夫人と握手をして写真もとって、『税務署に痛めつけられた有名人たち』(光文社、2014年刊)という私の本で対談もした。私は、これから、デヴィの娘カリーナが、オランダ系の夫と産んだ息子が、どれぐらい3か国を繋(つな)ぐのに、重要かが分かる。この話は、そのうち書きます。
インドネシアはこれから大きく成長する。たとえば、日本の水産の養殖(ようしょく)技術がインドネシアにすでに移転していて、やがて世界の漁獲量の半分くらいはインドネシアになるだろう。今は、大きな高級魚一匹3万円みたいなのが、大きな生け簀(す)に入れられて、東京の“成田漁港”(成田空港)から中国に輸出されている。これからは、インドネシアから中国へ貨物便で高級魚が運ばれていくだろう。インドネシアは、資源大国でもある。世界第7位の石油と天然ガスの産出国である。だから、日本と中国とインドネシアが同盟を結べば素晴らしいことになる。そのことを一番よく分かっているのが、日本の天皇家である。だから皇室外交をやって、ジョコ大統領夫妻を国賓として招き、そのあと天皇皇后が訪問した(6日間)。私たちは、今年2月のインドネシア選挙をじっとみつめて、東アジアの運命を一緒に切り開くことを考えなければいけない。 副島隆彦記
副島隆彦 拝
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