現地では「オア」と呼ぶらしいです。
近所だとイトーヨーカドーやヨークマートの柑橘コーナー
もしかしたら7イレブンにもあるかもしれません。
こんど試して見ます!
イスラエル産の果物としては、スイーティーが数年前から出まわっていますね。
やはり柑橘類で、見た感じはグレープフルーツくらいの大きさで黄緑色です。
色からは酸っぱそうに見えますが、ほとんど酸味がなく甘い果物です。
初めて買って食べた時には、イエス様もこの果物を召し上がったのかな?と思いながら…
果物も穀物も、野菜も肉や魚も、みんな命があり、その命をいただいて
私たちは生きているんですね。
聖体拝領もパンとぶどう酒の形と味のもとにキリストのからだ、命をいただき、
私たちはキリストを生きているのですね。
食べ物の与え主に感謝!
私たちの食べ物となってくださったイエス様に感謝!
今週の火曜日、初めて赦しの秘蹟を受けました。
狭い所で跪いて、膝もガクガクしていたので、終わって
神父さまから言われた罰(ばつ)である、マリア様のお祈りも
唱えないまま部屋を出てしまい、妙な高揚感と爽快感に包まれたまま
忘れてしまいました。この、失念してしまった罰(ばつ)を帳消しにしてくれる
免償(めんしょう)という制度が、あるようなのですが
聖体拝領や、前に出て聖書を朗読したりすることでも
リセットできるようなことがコチラ↓に書いてありましたが、今も続いているのでしょうか?
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/indulgence/index.htm
神父様から言われた「罰」ではなくて「償い」ですが、
これは告白室を出てから、いつ行っても良いのです。
なるべく早くやるに越したことはありませんが、遅くはありません。
今でも良いのですよ。
どうぞ、ご心配なさいませんように!
懐かしい本の画像、ありがとうございました。
一昨日の堅信式講座の帰り際に
マリア様の履物(サンダル)について
質問されていた御婦人のことを思い出しました。イタリアのルネサンス期の画家ティエポロの
油彩「無原罪の御宿り」を見ると、
確かにマリア様が金色の履物で蛇を踏みつけています。これは以下、創世記3:15に由来しているとのことでした。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」お前とは悪魔である蛇のことであり、女の子孫とはエヴァの後代にあたる
マリア様でありイエス様のことです。服飾の歴史から調べてみるとローマ帝国時代はギリシア同様
靴は、男女ともサンダルが一般的であったように記されています。マリア様が地上におられた当時、ローマ支配下にあったイスラエルでは
実際にサンダルを履きながら暮らしていた人も居たことでしょうし
マリア様もサンダルを履きながら日常生活を過ごしていた可能性も否めません。また、兵士用のサンダルを履く聖母を描いた、別の画家による絵画もあり
蛇の頭を砕き易く、かつ自分のかかとの防御を目的とした
戦闘用としての履物を身に着けた状態とも解釈できます。
P.S.
本日、晩のミサが滞りなく無事に終わりましたことを神様に感謝いたします。
そろそろ夏休みシーズンですが
旧暦で7/27は土用の丑の日ということで
スーパーの店頭ではウナギの蒲焼が目につくようになりました。
この時期にウナギを食べる習慣は江戸時代に始まったそうです。今年は1串が1500円 以上もする超高級魚になってしまいました。
原因は養殖用の稚魚が大不漁のためということです。
旧約聖書のレビ記は、規程ばかり書かれていて
身を引いてしまう書物です。この中で動物については、清いので食べてよいものと
汚れているので食べてはいけないものを定めています。神様が、なぜこのような分類をしたかというと
絶滅の恐れがある動物については、「汚れている」として
人間が食用として乱獲することを防ぐのが目的だったという話を
聞いたことがあります。
レビ記11:10では、次のように記されています。
「しかしひれやうろこのないものは、海のものでも、川のものでも、水に群がるものでも、水の中の生き物はすべて汚らわしいものである。 これらは汚らわしいものであり、その肉を食べてはならない。死骸は汚らわしいものとして扱え。 」ウナギは、ヒレ、ウロコが目立たない水生動物の代表です。
今、稚魚が獲れなくなったのも乱獲が原因ではないかと言われています。このような事象に照らし合わせながら読んでいくと、読み飛ばしたくなったり
避けてしまいがちなレビ記も、真剣に取り組んでみようという気持ちになります。
神が絶滅を危惧して食べてはいけない動物を定めた、というのはデマです。
レビ記では、汚れた動物と清い動物と分けていますが、創世記を読めば、神は造られたものをご覧になって、すべて良しと満足なさっています。レビ記で、その動物が清いか汚れているかを区別する基準は、それがヘビに似ているかどうか、ということです。旧約聖書には正しいことも間違ったことも、堂々と書かれているので、すべて鵜呑みにしては間違って解釈してしまうおそれがあります。適切な指導の下で読むことをお勧めします。
私たちはすでに新しい契約の時代(新約聖書)に生きているので、古い約束の時代(旧約聖書)に書かれていることは、救いを送ってくださる神と人間との関わりを知るために読むのであって、ユダヤ教に逆戻りをするためではないのです。十戒を歪めてたくさんの規則を編み出してがんじがらめになっている人間を、イエス様が救ってくださいました。十戒を完成させたのがイエス様の「愛の掟」です。レビ記を読んで不安になるより、マタイ5章の「山上の説教」を読んで平和な心になってくださいね!
司祭館入り口、マリア像前の白百合が
美しく咲きはじめる季節となりました。さて、要理クラスの授業のなかで
ユダヤ教とキリスト教との関係を説明された際
下記のお話がとても印象に残っています。…*…
ある敬虔なユダヤ教徒が、神に祈っていた。「神様、私の息子がカトリックに改宗してしまいました。
どうしたらよいのでしょう?」神様
「そうか。汝の気持ちはよくわかるぞ。実は、うちの息子もなんじゃ」
<* うちの息子= イエス・キリスト>
…*…
インターネットで探したら、次のようなお話も載っていました。
…*…
熊に襲われようとしている、キリスト教徒の男が神に
「あの野蛮なる熊にキリストの教えを授けてください」と祈った。
しかし熊は、飛びかかり覆い被さった。そのとき、熊は手を合わせて何かブツブツ言っている。「天に召します我らの主よ、今日も食事を与えてくれたことに感謝します」
…*…
まだ、まだ、たくさんあるようですが
ブラックなネタが多いので興味があったら
下記のHPを覗いてみてください。
http://www.geocities.jp/asamayamanobore/joke/kami/kami1-50.html
去る8/18(土)夜、鷺沼納涼会に参加しました。
お酒も程よく廻った頃、諸先輩方より
「昔のミサは、全部ラテン語だったんだョ」と
言われましたが、いまいちピンときませんでした。
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第22回 荘厳司教ミサ
日時: 2012年10月6日(土) 午後3時(諸聖人の連祷 2時40分 より)開場 午後2時
場所: 東京大司教区カテドラル関口教会聖マリア大聖堂
主催: カトリック・アクション同志会
主司式: ペトロ 岡田 武夫 大司教(東京大司教区 教区長)
共同司式: 駐日ローマ法王庁大使 ジョゼフ・シェノットゥ 大司教他 司祭多数(予定)
ミサの意向: - 信仰年を迎えて -
Missa pro evangelizatione populorum
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女性はベール着用が義務とのことです。
続報になりますが、定期的にラテン語のミサを行っている
カトリックのグループが、もう一つありました。
属人区、オプス・デイ(Opus Dei) です。
新宿区で今月に開催される、ミサの案内を頂いて判りました。
鷺沼教会は、(公立の)横浜教区の中にあって私立校のような存在。
という例えが、教区と修道会の違いを表現するのに、わかり易いかもしれませんが
属人区は、サレジオのような修道会とも異なる組織のようです。
ゆるしの秘蹟は週に1回以上、ミサへは毎日出席などの
教区と比較してワンランク上の厳しい決まりもあるらしいです。
また、かつて話題となった映画ダ・ヴィンチ・コードでは、殺し屋のシラスという
修道僧が、このオプス・デイに所属しているという設定でした。
シラスが棘付きの鎖で自分の太腿を痛めつける自虐シーンは
オプス・デイの「肉の苦行」の事実にもとずいているとのことです。
イエス様の受難に倣い、鞭や鎖を使用する苦行は伝統的らしく
オプス・デイにおいては、現在でも行われているという噂があります。
あのマザー・テレサ様でさえ、そのような苦行をしていたと言われています。
ちなみに、ダイエットも肉の苦行に含まれるようです。
プロテスタント系の讃美歌集、新聖歌に表題で載っている曲なので
カトリック系では、歌われることのない曲かもしれませんが
一度聴いてしまってから、なぜか頭から離れなくなってしまい
最近は毎日、祈りに代えて心の中で歌っています。
歌詞は次のようなものです。
♪ある日イエス様に聞いてみたんだ
どれくらい僕を愛してるの?
これくらいかな? これくらいかな?
イエス様は黙って微笑んでる
♪もう一度イエス様に聞いてみたんだ
どれくらい僕を愛してるの?
これくらいかな? これくらいかな?
イエス様は優しく微笑んでる
今日、初めて年末恒例鷺沼チャリティコンサートを鑑賞させて頂きました。
最後の曲目「(メサイア)ハレルヤ」には、第九の合唱にも似た感動を覚えました。教会という所でなければ、ステージに花束を持っていきたいくらいでした。
鷺沼教会ファミリーアンサンブルの演奏もに目からウロコでした。
鷺沼管弦楽団としても充分活動できるほど規模のものでした。
開演前、騒がしい子供達もイエス様のお名前のアナウンスとともに
たちまち静かになったことにも驚きました。松尾神父さまのイソップ童話から引用されたアリとキリギリスの話も良かったです。
遊び人キリギリスの演奏がなくなると冬、働き者のアリ達は狂ってしまったという
お話は、現実感がありました。
ハンドベルは気を許せば、テンポが遅くなってしまいそうなところが
難しそうに感じました。