村上春樹新作について

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佐藤清文

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May 9, 2013, 2:42:28 AM5/9/13
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直観的に書くのは好きじゃない。似合わないから。でも、まあリクエストだ。村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。相変わらず、キンクスの昔のアルバム・タイトルみたいだな。

デビュー以来、村上春樹の一貫した主張は「意味なんかない」だ。例えば、作品に「羊」が出てきたとする。これに意味はない。「ドクダミ」でも罰にかまわない。任意の記号だ。法律の甲や乙とかそんなもの。無意味になるように無意味になるように書いている。多過ぎて、わざとらしい。

作者の自意識が世界に優越してるってのが動機にある。それは気の利いた安っぽいセリフを欠きたがることからもわかる。今回も「俺は思うんだが、事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ」などB級映画のセリフみたいのが満載。人によってはいくらでもつっこめるんじゃないか?

意味なんかないって言うのなら、日常会話みたいのを書けばいい。日常会話は人間関係を確かめ合うもので、意味なんかない。「おはよう」に意味がある?作者の自意識が過剰だからクサいセリフを書きたがる。日常性を追求できない。

自意識が過剰だから、村上春樹は作家として書いてはいけないことを書いちまう。主人公の孤独を「生の欠落」や「暗い淵」と言い表している。でも、この一言のために一本の作品が書かれるんじゃないのか?「生の欠落」なんか一人の作家の生涯のテーマになるもんじゃないか?

考えて書いてるとは到底思えないんだよね。こういう書いちゃいけないことを書いてるのを見ると。こんな安易な表現をするから、主人公の孤独が軽いし、若い。昔からあるんだよね、村上春樹にはこういうの。『ノルウェイの森』の飛行機の中で頭を抱えるシーンとか。

歳とるとな、孤独に時間が入ってくんのよ。自分の顔を鏡で見る。この白髪でしわの男は一体誰だ?人生失敗したな。こうなる予定じゃなかった。どこで間違えたか。でももう時間がない。かすかな風でふっと消えてしまいそうな心もとないロウソクの火のように人生が思えてくる。

村上春樹には気恥ずかしに溢れている。バーなどで見知らぬ人同士の会話もその一つ。日本人は知らない愛人と話すのが苦手だ。おまけに、最近はけんか防止でテーブル席が増えてる。見知らぬ人でも話しやすくなる場もあるが、そういう工夫も特にない。でも、まあ、いいdろう。

見知らぬ人とは素にも才能が要る。相手のリズムに合わせられること。話題や知識が豊富なこと。特に後者が弱いから日本人は見知らぬ人との会話が苦手。で、村上春樹の主人公にもこの二つがあまり感じられない。作者にはこうした認識がない。今回もバーの会話が出てくる。

しかし、「とりあえずチーズかナッツでもつまもうかと思ったから」ってバーに入るっていつの時代だよ?80年代じゃないつーの!今の時代はもう飲み方が違う。しかも、この曖昧な物言いは何?80年代はまだ知識がないからこの程度でいいけど、今は違うだろう!

森嘉郎の「ひからびたチーズ」に「ミモレットだろう」ってつっこもが普通に入る時代よ。結構バーに行っている主人公がこれだけもの知らないで、女性にもてるって、いつの時代よ?もう少しこだわった知識持って店を選ぶだろう、今時なら。作りが甘いんだよ。思い付きと思い込みで書いてるから。

まあ、現代人は自分の仕事のことは詳しいけど、それ以外は素人が多い。そんだけ複雑化・専門化してるからね。自分の仕事のことが書かれても違うなとはわかっても、どこがどう違うか言い表せない。暗黙知だから。作家はそれを明示知にして書かなきゃいけない。言語化するんだからさ。

こういう言い方すると、文学にはフィクションの楽しみがあると反論がある。でも、それは尾崎紅葉が言ってたこと。紅葉は今の春樹のように人気があった。自分は社会のことも考えるけど、文学は文学で楽しめばいいってね。でも、それは読者の通念に依存してるってこと。

時代と向き合って、それと格闘して新たな表現を紡ぎだす。紅葉にはそれがない。だから、時代が過ぎると読まれなくなったし、実際専門家以外もう読めない。漱石が時代を超えたのと好対照。村上春樹にとって事件や出来事は作品の口実。時代との格闘がない。だからその本質をつかめない。

阪神大震災の後に「かえるくん東京をすくう」ってのを村上春樹は書いた。関西の地震に刺激を受けた東京の大みみずが地震を起こそうとするのをかえるくんが救うという話。関西にはないと信じられていて起きたというのがあの地震の一般的な衝撃だろ?なのにまた東京か?

『日本沈没』を含め文学も今度大地震が来るとしたら関東や東海って書いてきたんだよ。だからこそさ、阪神大震災の後なら、日本全国どこでも地震があるという意識に変わったわけじゃない?それをまた東京で地震とするのはどういう認識なんだと思わない?地震は口実だと思えない?

村上春樹がこれだけ売れるってことは時代の気分をくみ上げるのが長けているんだよ。と同時に、好き嫌いがわかれるってのは価値観を書いてるから。今回もそう。価値判断なんだよねえ。価値相対化の時代にこれはよくないぜ。どうやってそれを共存させてくかだからさ。

『多崎つくる』の最後の方だけどさ、「孤独」って、書いちゃいかんだろ、セリフとして。それを書かずに作者と読者が意識共有して、そうじゃないかとするのが文学じゃねえの?言語を通じた想像力の中で共有するのが文学だろ?主人公は女性に依存して助けてもらうだろ?信頼じゃない。

書いちゃいけないことを書いた作品が売れる。それはさ、人が信じられない時代だってことじゃねえの?
人を信じられん作家は一言多いもの。もしそんな時代だとしても、作家がそれやっちゃいかんだろう?だからこそ、って気持ちで書くもんじゃねえの?
読者を信じろよ。

色彩がないか。いつまで俺の眼ももつんだろうね。毎日付き合っているから疲れたよ。
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