最近、アンガス・マディソンについて書いて思ったことがある。彼は西暦1年から2006年に亘る世界各地の人口動態と実質GDP、一人当たりGDPを調べることに生涯を捧げた人物。非常にスケールの大きいことをしたが、日本語版のウィキペディアでの記述はそのことにも触れていない。こういう人物は日本人の想像力を超えているから、検索すらされることもないのではないかと思った。
新たな文芸批評の方法論を提唱して10年以上が経つ。従来文芸批評は解釈に依存する傾向がある。解釈は検証が難しいため、その成果を共有するのが困難。それに賛同するコミュニティの中で信奉される。思わせぶりな作品は解釈によってあたかも深いかのように錯覚されることも多い。
だから、アカデミズムでは歴史研究が中心。歴史的意味規定であれば、文学研究の成果を共有できる。私自身もこの歴史的アプローチを大いに認めている。ただ、作品をappreciateするには、そこで使われている要素の機能から考察することも必要。文体論ではなく、文章論が効果的。
外国語としての日本語に基づく文章論を「リテラシー・スタディーズ」として提案してきた。方法論から考案したわけ。外国語としての日本語なら他者と共有可能。とどうじに、ならではのことも捉えられる。文法から文学を読むのは楽しみと無縁だと思うなら、推敲の過程を思い出せばよい。
こういう考えに則って中原中也の『一つのメルヘン』を文章論から読解してみた。この方法論は文章ならすべて扱えるので、汎用性が高い。参考になると思うので、もしよかったら、読んでみてください。