「全民衆よ!汝自身の尊貴さに目覚めよ!」とは、何とも仰々しいサブタイトルであるが、個人の趣味に属するものであろうからここでは一笑に付すのみ
としておこう。
まず手始めに、斉藤教学部長の発言にある釈尊の「始成正覚」考について一言させていただく。
斉藤氏は、 「実際のところは "人間として" 真剣に正しき道を求めたからこそ "わが仏界" に目覚めた。そうやって目覚めたからこそ、 "人間
として" 最高の生き方ができた。 として「人間・釈尊」の視点へと、会員・読者を誘引しているが、
~ 実際のところは釈尊の本地は久遠(久遠実成)よりの仏であり、釈迦仏が「人間として」真剣に正しき道を求めたからこそ、久遠(久遠実成)よりの仏
であることを悟られた。その過去世からの因縁に従って一切衆生救済のために法を説いたからこそ、「人間として」最高の生き方をしたのである。 ~
という「仏・釈尊」としての視点にも言及しなければ、片手落ちであろうと思う。
釈尊は、「妙法蓮華経如来寿量品第十六」に至り、「我實成佛已来。無量無辺。百千萬億。那由他劫。」(開結P429)と、「始成正覚」の迹を発(は
ら)って「久遠実成」の本地を顕し、三十成道において初めて悟りを開いたのではないことを明かした。そして、創価学会が日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ日興門
流を自称し、その会則の序分に
【釈尊に始まる仏教の慈悲と平和の精神は、大乗仏教の真髄である法華経に集約され、一切衆生を救う教えとして明示された。日蓮大聖人は、法華経の根
本を三大秘法として顕され、未来永遠にわたる人類救済の道を確立された。 】
とするのならば、再往、釈尊は久遠元初自受用報身仏との契約に従って末法のために法華経を説かれたのである。 とまでも言及すべきであろう。
釈尊の成道は、私達のような貪・瞋・痴・三毒強盛の荒凡夫が仏の教化によって「わが仏界」に目覚めるのとは根本的に異なるのである。