この対談講座集・第5巻の中で池田名誉会長と教学部幹部は、「如来神力品第二十一」における釈尊から地涌の菩薩への付嘱を題材にとって、仏と九界の衆
生との垣根を取り払い、「凡夫でしかない」という従属的な信仰的立場から、「凡夫こそ仏なのだ」「人間こそが最高に尊貴なのだ」という主体的な信仰への
変革こそが法華経の心 であるとしている。
その文証として日蓮大聖人御書全集から『諸法実相抄』の
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候
はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』(全集P1358)
同じく、
『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』(全集P1359)
を、その究極の表現として挙げ、
「信仰実践者である衆生・凡夫こそ本仏であり、教えを説く仏は衆生の影(迹)の役割となる。であるから、仏は我等衆生にとって主師親三徳を備えてい
るのではなく、実は我等衆生が主師親三徳を被らせることによって仏を尊貴たらしめているのである。」
「凡夫こそ本仏。仏は迹仏にすぎない。」
という、まさに「仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言」であると宣揚している。
さらに、「絶対者と思われている神仏は、 実は凡夫=人間の影であり、用(働き)であり、人間のための手段にすぎない」として「人間のための宗教」の
大宣言であるとし、「人間が上、仏が下」とする創価学会独自の法義解釈を展開している。