さて、それでは今回の本論、「凡夫こそ本仏」の大宣言 を破していくことにしよう。
「"凡夫でしかない"と卑下し・・・」 と。まず 「凡夫でしかない----」 と卑下した言い方は、池田氏も言うようにこれは仏道修行者として誤った心
の有り方である。
卑下は十四謗法の「 慢謗法」(きょうまんほうぼう)の七慢中の「卑慢謗法」(ひまんほうぼう)にあたる。謙(へりくだ)っているようで、その本心に
慢心を隠した、真には謙虚でない卑しい心である。
ここで池田名誉会長は、「"凡夫でしかない" どころか "凡夫こそ仏なのだ"」と。 "人間こそが最高に尊貴なのだ"」 と大転換を宣言している
が、ここが大きな問題点である。
この転換論は、「迷いの衆生そのまま」が短絡的に「そのままで仏。最高に尊貴な存在である」とする行き過ぎた転換論であり、「未だ得るざるを得たりと
謂(おも)い」(妙法蓮華経方便品第二・開結P100)そのものとなってしまう。これを「増上慢」と言うのである。
仏道修行者に求められる求道心とは、「上求菩提 下化衆生」(じょうぐぼだい げけしゅじょう)。すなわち、上=仏に菩提を求め、下=衆生に布教化導
していくことが、仏の境界を開くことを願い菩薩道を修する者の心得であり、宗祖日蓮大聖人が『持妙法華問答抄』(平新P298)に仰せの
『上根に望めても卑下すべからず。下根を捨てざるは本懐なり。下根に望めても 慢(きょうまん)ならざれ。上根も漏るゝ事あり、心をいたさざるが故
に。』
との「上冥下化」(じょうみょうげけ・上の者にも卑下せず、下の者には高慢にならずに教化していくべきこと)の決定心(けつじょうしん)に住すことが弘
教者の心得であるが、「中道主義」とやらを標榜する池田氏自身の発想に、実は道念を置くべきニュートラルポジションがないのである。