コーディネーター:田沼幸子(東京都立大学)
森田良成(桃山学院大学)
松川恭子(甲南大学)
田沼幸子(東京都立大学)
コメンテーター 酒井朋子(京都大学)
人類学者は長期調査において様々な人々のオーラルヒストリーを聞き、 「ネイティブの視点から」当該地の
文化や人々を理解するための手段としてきた。 一方で個々の経験を聞くことで、 「視点」 は一様ではなく、 当
該地の歴史や社会的背景に影響を受けながらも、人それぞれの解釈があることに気付かされてもきた。大学
院時代の 2 年前後にわたる長期調査の後、就職した後は関連する地域への短期調査を繰り返してなんとか研
究を継続しつつ、日々の教育と業務に追われる。
しかしこの「教育」において、多くの人類学者が長期調査で得た知見と研究の延長線上で、様々な試みを
おこなっている。オーラルヒストリーに関わる教育研究もその一つである。学生自身について、あるいは学
生の身のまわりの人についての話を聞くことは、彼ら自身がそれまで持っていた「当たり前」を問い直す契
機になる。 そしてそれが、これまでは受け身で情報や知識を学ぶ側だった学生を、 「主体的」 に考えさせるき
っかけとなるーー先んじて期待されるように動く、という「主体的」ではない。自分が平凡かつ透明で中立
な存在ではなく、他とは違う見方や思考を持った存在であると認識した上で、改めて世界との関係性を捉え
直す、という意味においてである。ただ、オーラルヒストリーは経験を言語化することが前提となっている
が、対象となる自分や人は、自らとその経験を語る言葉をすでに常に持っているわけではない。この時、ま
だ言語化されていないーあるいはこれからも言語化し得ないかもしれない経験を、語り伝えようとする経験
そのものも含めて視覚的・感覚的に表現・伝達する方法として、マルチモーダル人類学が応用できるのでは
ないか。本テーマセッションは、こうした問題意識をもとに、三人の教育・研究実践を紹介する。
森田良成(桃山学院大学)
「無音のワンカットから映像と言葉の関係を考える:映像制作を取り入れた教育実践」
森田は、学部生対象の授業で行っている映像制作を取り入れた教育実践について報告する。学生たちは、
「固定カメラによる、1 分間の無音のワンカット」の撮影を出発点として、最終的に身の回りの人や自分自
身を対象にした短編ドキュメンタリー制作に取り組んでいく。この経験を通して、映像あるいは言葉によっ
て世界をいかに切り取ることができるのかを考えながら、映像と語りの関係、すなわち言語化以前のものと
言語化されたものとの関係に対する理解を深め、他者とのコミュニケーションの可能性と、自らと世界との
関係をとらえなおしていく。
松川恭子(甲南大学)
「大学教育における 「自己語り(self-narrative) 」 を共有する場作りの試み:インド・ ゴアでの協働から考
えたこと」
松川は、インド・ゴア大学社会学科所属時の現地指導教員が修士の学生たちに推奨した自己の経験から社
会問題を問い直す教育実践に触発され、 「自己語り(self-narrative) 」を取り入れた様々な学部教育の試み
を行ってきた。例えば、写真、音楽、ナレーションを組み合わせて作る「自己語り」の動画「デジタル・ス
トーリーテリング」 の制作過程では、 「語りを共有する場づくり」 を工夫することで、学生たちが自らを振り
返り、他者に開示する語りが可能になった。また、インドの学生との協働の試みでは、各社会での大学教育
という制度の問題が「自己語り」に影響を与えていることがわかった。
田沼幸子(東京都立大学)
「人前で見せることで口をついて出ることば:大人が試みる Show & Tell」
田沼はマンチェスター大学で学んだ映像制作の手法を日本でのフィールドワークの授業に応用してきた。
ある時期から短い映像を撮影・上映する前に Show & Tell という何かモノを持ってきて話す、という回を入
15れるようにした。すると、各自がイキイキと話し、質問し、打ち解ける様子が見られた。上記を応用したワ
ークショップを昨年、バルセロナの教育学部の学部生・大学院生に向けて行った。今年はバルセロナ自治大
学のワークショップで学んだコラージュを日本で取り入れた。これらは相手の話を聞く前に自己を捉え直し、
語り直すことの重要性を示している。
コメンテーター 酒井朋子(京都大学)