去年つながった(謎めいた)天外伺朗と、活動をするようになって、色々と刺激を受けている。まだ、得体が知れない感もあるけど、コミュニティや意識についての鋭いポイントはすごく参考になっている。
*彼の意見をどこまで理解しているのか分からないし、全部に賛成しているわけではない。
コミュニティ活動をしている人、エコビレッジに関心がある人には、「シンコミュニティ論」がおすすめ。オルタナティブコミュニティの歴史や、コミュニティの落とし穴などを分かりやすく解説している。

特に、参考になっているのが
・美しい物語を掲げる危うさ
・コミュニティでよくある装いの傾向と、危うさ
・僕たちの中に潜んでいる シャドーモンスター。(元は、ユング心理学のシャドー)
「意識の変容」というと、多くの人がまるで聖人のようになると錯覚しますが、事実は真逆であり、むしろ平気で「ダメ人間」をさらせるレベルが「ティール」なのです。。。
コミュニティとしては、「グリーン」は「いい人」を装っている穏やかな集団ですが、「ティール」は「ダメ人間」をさらす人が増えてくるので、かえってトラブルが多くなるでしょう。
以下が、彼のメルマガから流れてきたもの
『コミュニティ』(9月発売)より、一部抜粋。
ティール・コミュニティに分類された「はっぴーの家ろっけん」と「べてるの家」について
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マネジメントの視点で見ると、この二つのコミュニティは、「ソース」である首藤義敬、向谷地生良の卓越した人間力、「ホールド力」により支えられていることは、まず間違いありません。
ちょっと面白いのは、両方ともかなり個人の力量に依存したオペレーションをしていますが、それをサポートする「スローガン」を多用していることです。スローガンはルールのように強制力は持っていませんが、人間集団の健全性を保つためにとても役立ちます。
「はっぴーの家ろっけん」の首藤義敬は、以下のようなスローガンを運用の指針にしています(9章)。
*日常の登場人物を増やす
*違和感も三つ以上重なると、どうでも良くなる。
*「どうにもならんこと」は、じつは「どうでもええこと」
*トラブルはお題だ
*だらしなさを愛し、デザインしてみる
*クレーマーは必ずファンに変わる(クレームをいってくるほど関心がある人だ)
*弱みは強みだ
*遠くのシンセキより近くのタニン
*共感や相互理解はなくてもよい
同じように「べテルの家」では、次のようなスローガンが掲げられています(4章)。
*苦労を取り戻す
*昇る人生から降りる人生へ
*べてるに来れば病気が出る
*勝手に治すな自分の病気
*自分でつけよう自分の病名
*弱さを絆に
*弱さの情報公開
*安心してさぼれる会社づくり
*利益のないところを大切に
*手を動かすより口を動かせ
*三度の飯よりミーティング
*安心して絶望する
*今日も明日も明後日も問題だらけ、それで順調
この二つのコミュニティのスローガンをご覧いただいて、どう感じられたでしょうか。両方とも、いわゆる「脱力系」ですね。とても「ゆるく」、どこにも緊張が見られません。これが「ティール」の特徴です。
3章では「生存のレベル」、つまり、機能、性能、能力、貢献、やる気、向上意欲などが評価されるレベルから、ただ存在しているだけで尊重される「存在のレベル」への変容が、「実存的変容」だ、と述べました。上記のスローガンが「存在のレベル」になっていることはおわかりいただけるでしょうか。
「はっぴーの家ろっけん」は認知症老人、「べてるの家」は統合失調症の方々のシェルター機能を担っているので、「存在」が尊重されていることは当然なのですが、それが、この「ゆるい」スローガンに表現されています。
この「ゆるさ」がどこから来るかというと、じつは巻頭の「多重の我の図」の第3層「虚飾の我」が限りなく薄くなっているからです。「虚飾の我」は緊張や対立の源であり、相当に薄くなっていないと、このような「ゆるい」スローガンは出てきません。「ダメ人間」をさらす、というのと同じことです。
首藤義敬や向谷地生良などは「あけわたし」の「実存的変容」を超えていることが、これからわかります。つまり、二人は、「ティール」を目指したのではなく、「あけわたし」を達成しているから、組織がひとりでに「ティール」になったのです。
それに対して、「傲慢さ」を抑圧している三井紀代子は、まだ「あけわたし」のレベルまでは行っておらず、現状ではコミュニティがひとりでに「ティール」に向かうことは期待できません。
前述のように「あけわたし瞑想」などのワークを実行していただければ、変容は早く進みますが、そうでなくても、これから「傲慢さ」を大いに発揮できれば
「虚飾の我」が少しずつ薄くなっていき、オペレーションもどんどん変わっていきます。それは、「傲慢さ」を抑えた「自律分散」より、はるかに「ティール」に近付いていくことは間違いないでしょう。
「自律分散」を目指して、必死に努力をしてもさっぱり「ティール」に近づけないのに、自分を許してどんどん「傲慢さ」を発揮すれば、ひとりでに「ティール」に近付いていける、というちょっと天邪鬼な人間心理の秘密があるのです。