Google Groups no longer supports new Usenet posts or subscriptions. Historical content remains viewable.
Dismiss

spin

56 views
Skip to first unread message

Takayuki Nakamura

unread,
Oct 23, 1996, 3:00:00 AM10/23/96
to

In article <ibes-22109...@news.ps.toyaku.ac.jp>,
ib...@ps.toyaku.ac.jp says...
>電子スピン、とか核スピン、とか言いますけど、
>スピンとはいったいどのような現象でしょう?
>(まさか本当に自転しているだけと言う事はないですよね?)
>
>電子スピンは、分子軌道法の議論をする際に、
>核スピンは NMRの議論をする際によく出てきますが、
>"spin"の意味がよく判らず、結果的に全体が把握できなくなります。
>
>よい参考書等があればあわせて紹介して頂けると有り難いです。
>#理工系の人にとっては本当に基本的な事かもしれませんが、
>#薬学部では、さすがにここまではやらないです。

#化学系でもあまり突っ込んではやらなかったです。
#詳しいのは物理系の一部ですね。
物理・分析化学の本は応用分野はいろいろ書いてありますが、
スピン自体は量子力学とかの本ですね。

基礎物理化学 W.J.Moore 東京化学同人
量子力学 J.L.Martin 丸善
Modern Quantum Mechanics J.J.Sakurai Asddison-Wesley

#physicsとmatterに振ったので沢山フォローがつくでしょう。

--
// Takayuki Nakamura
// arum...@ca2.so-net.or.jp


Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 25, 1996, 3:00:00 AM10/25/96
to

In article <54lc7e$o...@newsgate.so-net.or.jp>, arum...@ca2.so-net.or.jp says...

>
>In article <ibes-22109...@news.ps.toyaku.ac.jp>,
>ib...@ps.toyaku.ac.jp says...
>>電子スピン、とか核スピン、とか言いますけど、
>>スピンとはいったいどのような現象でしょう?
>>(まさか本当に自転しているだけと言う事はないですよね?)
>>
>>電子スピンは、分子軌道法の議論をする際に、
>>核スピンは NMRの議論をする際によく出てきますが、
>>"spin"の意味がよく判らず、結果的に全体が把握できなくなります。
>>
>>よい参考書等があればあわせて紹介して頂けると有り難いです。
>>#理工系の人にとっては本当に基本的な事かもしれませんが、
>>#薬学部では、さすがにここまではやらないです。

スピンを自転とかイマジネーションで理解することよりも、

そういう自由度があることとパウリの排他律の結果、ある限られた対称性
をもつ状態しか許容されないことや、その結果として交換相互作用が生じる
ことが重要ではないでしょうか?


----------
 南部 芳弘:Yoshihiro Nambu
   internet:na...@obl.cl.nec.co.jp   Nifty :JAH03215


Yukio Ishihara

unread,
Oct 26, 1996, 3:00:00 AM10/26/96
to

In article <54pc2h$b...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp
says...

>
>In article <54lc7e$o...@newsgate.so-net.or.jp>, arum...@ca2.so-net.or.jp
says...
>>
>>In article <ibes-22109...@news.ps.toyaku.ac.jp>,
>>ib...@ps.toyaku.ac.jp says...
>>>電子スピン、とか核スピン、とか言いますけど、
>>>スピンとはいったいどのような現象でしょう?
>>>(まさか本当に自転しているだけと言う事はないですよね?)
>(略)

>スピンを自転とかイマジネーションで理解することよりも、
>
>そういう自由度があることとパウリの排他律の結果、ある限られた対称性
>をもつ状態しか許容されないことや、その結果として交換相互作用が生じる
>ことが重要ではないでしょうか?
>
なるほど。
じゃ、こういう言い方もあるかな?

電子(等)には作用量子単位の値を持つある「属性」がある。
ところで、作用量子(プランク定数)の dimensionは角運動量と
[たまたま]一致するもんだから、我々にはそれがスピン(自転)
であるかのように見える・・・・

石原 幸男
<Yukio Ishihara of theR.A.N.S.>
東京都杉並区上井草2-17-19-120
Kamiigusa 2-17-19-120 Suginami-ku
Tokyo, Japan
TEL 03-3395-6343 FAX 03-3301-5778
yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp


Shinji Kono

unread,
Oct 26, 1996, 3:00:00 AM10/26/96
to

河野 真治@琉球大情報工学です。

In article <54pc2h$b...@obl1.obl.cl.nec.co.jp> ,
na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes

>そういう自由度があることとパウリの排他律の結果、ある限られた対称性
>をもつ状態しか許容されないことや、その結果として交換相互作用が生じる
>ことが重要ではないでしょうか?

計算できるという観点からはそうでしょうけど、
運動量と平行移動対称性
のような、そういう説明が欲しいような気がします。

スピンの存在はDirac方程式から出てくるわけですけど、そういう
式の変形みたいなものだけでなく、物理的な説明があっても良いで
すよね。ファインマンは、スピンの必要性をもっと直接的に説明で
きるような理論が、ゲージ理論の先にあると考えていたと思います。

>スピンを自転とかイマジネーションで理解することよりも、

スピンを自転と考えるのは僕もはずれだと思う。でも、イマジネー
ションで理解するのは重要ですよね。スピンというのは、もっと
電子のような基本的な物理要素だという気がします。

---
Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 26, 1996, 3:00:00 AM10/26/96
to

In article <21406.8...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>, ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp says...

> 運動量と平行移動対称性
>のような、そういう説明が欲しいような気がします。

>スピンの存在はDirac方程式から出てくるわけですけど、そういう
>式の変形みたいなものだけでなく、物理的な説明があっても良いで

そういう観点では、波動関数の空間回転に対する対称性からスピンが出る
わけですね。スカラー、スピノール、ベクター、、、テンソル、、、。
講談社から出ている高橋 康先生の本がおもしろいような。

そういう面もおもしろいのですが、化学屋さんや物性やさんにとっては、


>>そういう自由度があることとパウリの排他律の結果、ある限られた対称性
>>をもつ状態しか許容されないことや、その結果として交換相互作用が生じる
>>ことが重要ではないでしょうか?

のほうが重要だと思いました。これが理解できればスピンの重要性が理解
できると思ったのです。経験ですが。

例えば、なぜ水素分子が安定なのかを理解できれば化学、物性におけるス
ピンという概念の重要性は理解できるのでは?と思います。

Yukio Ishihara

unread,
Oct 27, 1996, 2:00:00 AM10/27/96
to
>河野 真治@琉球大情報工学です。
>
>In article <54pc2h$b...@obl1.obl.cl.nec.co.jp> ,
>
>スピンの存在はDirac方程式から出てくるわけですけど、そういう
>式の変形みたいなものだけでなく、物理的な説明があっても良いで
>すよね。ファインマンは、スピンの必要性をもっと直接的に説明で
>きるような理論が、ゲージ理論の先にあると考えていたと思います。
>

スピンがDirac方程式から出てくるというのはわかるとして、
それじゃ、軌道角運動量のほうはどうなんでしょうか?
電子が一定軌道上を惑星みたいに公転してるという原子模型は
いまどき中学生だます(^^;くらいにしか使いませんよね。それ
でも角運動量が存在するってのはちょっと不思議な気がします。

# 電子軌道くらいなら半古典描像もある程度成り立つというこ
# とでしょうか?

Shinji Kono

unread,
Oct 27, 1996, 2:00:00 AM10/27/96
to

河野 真治@琉球大情報工学です。間違ったクロスポストは落としました。

In article <54ul2j$k...@lightning.asahi-net.or.jp> ,
yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes
>スピンがDirac方程式から出てくるというのはわかるとして、
>それじゃ、軌道角運動量のほうはどうなんでしょうか?

そっちの方は、力学系の対称性の話(と対応原理から..) からスム
ースに出ると思います。解析力学に直接結びついてるという点では
古典的といっていいのでしょうね。

もちろん、そういう意味ではスピンを対称性から議論するというの
はあたりまえのことなんだけど、その対称性の議論が先に来ること
がないのがスピンの話の不思議な所ですよね。だからスピンは古典
力学とはまったく関係ないわけですけど...

まあ、あんまりこだわってもしょうがないんだけど、Dirac の量子
力学の導出は、「これしかない!」って感じでできますよね。一方、
Dirac 方程式の方は、「1次の微分方程式が共変であるためには...
」っていう感じで、「えー、なにそれ...」って気がしません? そ
うではなくて、「XX という物理があるので、一次の方程式が二次
の共変式になる」っていう説明が欲しい。そのXXという物理は必ず
スピンを根源的に説明するものだと感じます。

だからっつうても、最初にわけわからん対称性をいきなり仮定されるのもなぁ...

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 28, 1996, 3:00:00 AM10/28/96
to

In article <5514de$1u...@lightning.asahi-net.or.jp>, yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp says...

>というものであったようなので、スピンがパチンコ玉みたいな古典
>アナロジーで説明できないということであれば、でわ、軌道角運動
>量のほうは惑星の公転でどの程度説明できるのか/できないのか、
>知りたいと思ったわけです。

イメージはあまりあてにならないでしょう。

例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。
この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
できるものでしょうか?
私にはイメージできませんでした。で、古典的イメージは捨て去りました。

Yukio Ishihara

unread,
Oct 29, 1996, 3:00:00 AM10/29/96
to

In article <551s0n$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp
says...

>イメージはあまりあてにならないでしょう。
>
>例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。
>この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
>できるものでしょうか?
>私にはイメージできませんでした。で、古典的イメージは捨て去りました。
>

そうですね。だから古典力学の角運動量イメージで理解できない(あてはま
らない)という点ではスピンも軌道角運動量も同じでしょうね。
ハミルトニアンを演算子で書換えると量子論になるってのは、式を立てるの
には便利だけど、本質じゃないんでしょう。ま、こちらは「院生だまし」く
らいにはなる。
# そこまで言うか・・・・<(^^;

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 29, 1996, 3:00:00 AM10/29/96
to

In article <554hbh$7...@lightning.asahi-net.or.jp>, yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp says...

>
>In article <551s0n$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp
>says...
>>イメージはあまりあてにならないでしょう。
>>
>>例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。
>>この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
>>できるものでしょうか?
>>私にはイメージできませんでした。で、古典的イメージは捨て去りました。
>>
>
>そうですね。だから古典力学の角運動量イメージで理解できない(あてはま
>らない)という点ではスピンも軌道角運動量も同じでしょうね。

ただですね、どういう場合でも古典的イメージが当てはまらないかというと、
そうでもないのです。

数年前の話だったと思うのですが、リドベルグ原子の高角運動量状態をレーザ
を利用してコヒーレントに励起し、電子の wave packet をつくる話がありま
した。この wave packet は軌道を周回する古典的点電荷のように振る舞う
という話でした。

私は、

角運動量固有状態 --> 非古典的
角運動量固有状態の重ね合わせで作られるコヒーレントな波束 --> 古典的

と思っています。これは光子の場合に、

個数状態 --> 非古典的
個数状態の重ね合わせで作られるコヒーレント状態 --> 古典的

ということと対応があると思ってます。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Oct 29, 1996, 3:00:00 AM10/29/96
to

大阪大学(核物理研究センター)の水野です.

スピンのことで,ちょっとコメントをさせて下さい。

In article <551s0n$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <5514de$1u...@lightning.asahi-net.or.jp>, yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp says...
>>というものであったようなので、スピンがパチンコ玉みたいな古典
>>アナロジーで説明できないということであれば、でわ、軌道角運動
>>量のほうは惑星の公転でどの程度説明できるのか/できないのか、
>>知りたいと思ったわけです。
>
> イメージはあまりあてにならないでしょう。

私は,ある程度は,あてにできる,という印象をもっています.

そもそも,角運動量というのは,ベクトルですけど,ある方向を向いていて,
古典的にも,あんなものが保存する,なんて,イメージできますか?
(例えば,地球ゴマが倒れないのは,一見不思議に見えません?)

で,それがイメージ出来るなら,イメージできるのでは??


分かり易い話をすると,原子核くらい大きいと(また,内部状態が変形して
いたりすると),回転する,と思うわけですが,それが自転である,
などという形で,目に見える気がします。

でもまあ,スピンというのは,「素粒子には内部自由度があるんだ」,それは,
ちょうど地球の公転にたいして,自転のようなものさ,と思えばいいのでは?

ちょうどいい教科書があるのですが,

久保謙一,鹿取謙二,共著「スピンと偏極」(培風館,新物理学シリーズ27)

この本ではp.8の,1-3荷電粒子の自転運動,とか,
5-4ディラック方程式と電子のスピン,等が関係しているでしょう.

西島和彦「相対論的量子力学」(培風館,新物理学シリーズ13)という本も
ありますが,昔この本の説明を分かり易いとおもった事があります(最近の教科書
では,どれが分かり易いですか?)


アイソスピン,というのもありますが,これも,内部自由度の一種だと思う
わけです.これも抽象的な空間を考えて,そこでの,ある種の方向の自由度
です。ここ迄来ると,(これを回転(自転)の自由度だとおもってもいいですが)
抽象的空間ですから,自転といわれても困ります。そこでどなたかがおっしゃっ
たように,内部状態を区別する量子数に対応する自由度だ,とおもっても
いいのでは?

さらにもっと抽象的な空間もあるわけですね.例えば,素粒子の内部自由度には
スピン以外にもいろいろあって,たとえば,ストレンジネス,という自由度。
これは,アイソスピン空間での対称性を拡張して扱えるようだから,
ストレンジネスという内部自由度もあるんだなー,とか.

アイソスピンの拡張が,素粒子のフレーバー,と呼ばれる属性ですね.
もともと,ミクロの世界ですがら,直接に目に見ることが出来ず,なんらかの
外場との相互作用を通じて,その粒子の性質を観測をせざるをえない分けです。
スピンの場合は,磁場を放り込んでやると,その違いが観測出来る,という
わけです.


>
> 例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。
> この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
> できるものでしょうか?
> 私にはイメージできませんでした。で、古典的イメージは捨て去りました。

角運動量はベクトルですから,特定の方向を(古典的にも)持っています。

角運動量がゼロ,ということは,そういう特定の方向を(その運動状態が)
持たない(古典的にも)ということで,それは,波動関数が等方的であることと,
共通のイメージがもてないでしょうか?

ハミルトニアンに回転対称性があると,その波動函数の角運動量ゼロ状態が
時間的にも保存する,ということになります。ゼロだからおかしい,
というわけではないと思います.


ここで,いきなり原子核とか素粒子のスピンの話になります。内部状態とは
一体何か?ということです。

原子核というのは,多体系ですが,それ全体としては,ほぼ理想的な
孤立系です。ですから,座標軸の取り方というのはないはずであり,従って,
原子核の全体のハミルトニアンというのは,空間回転に対して,不変になって
いるはずです。従って原子核全体は,角運動量の良い固有状態になっています.
それを,原子核全体としてのスピンと呼んでいます。そして,原子核全体の
角運動量(スピン),というのがあって,これが,NMR等に関係
しますね?

でも,その多体系全体としての角運動量を,構成粒子のどのような運動でもって
説明できるか,ということは,かならずしも自明ではありません.
(竹田さんの説明[原子核のshell-Model]は,原子核の磁気モーメント等に
対しても,かなり良い近似であることがわかっていますが,それからのずれ,
というものを十分満足に説明する究極理論,といったものは,原子核の場合
には,まだ,ないのです。原子核内部での中間子の運動も関係することが
実験的にも,確認されていますが,まだわからないことだらけです).

このことは,素粒子(のスピン)でも同様です.

素粒子全体の内部角運動量が,スピンです.しかし,ハドロンの場合,
その素粒子内部のクォーク+グルーオンの多体系でもって,素粒子全体の
スピンが説明できるか,というと,それは必ずしも自明ではありません.


しかし,それでも,ある素粒子(または素粒子系)全体のスピン,というのは
意味があって,従ってその孤立粒子系の内部角運動量というものを考えることは,
出来ると思います。それは,結局,その孤立系の持つ,対称性(内部対称性)
の問題になると思います.


Shinji Kono

unread,
Oct 29, 1996, 3:00:00 AM10/29/96
to

河野 真治@琉球大情報工学です。
In article <554hbh$7...@lightning.asahi-net.or.jp> ,
yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes
>ハミルトニアンを演算子で書換えると量子論になるってのは、式を立てるの
>には便利だけど、本質じゃないんでしょう。ま、こちらは「院生だまし」く
>らいにはなる。

それはわりと本質です。この書き換えがh->0の時のニュートン近似
を保証しているわけですから。むしろ古典力学の方が近似なのであ
ってハミルトニアン演算子の方が本質ですよね。

ハミルトニアンの回転対称性が角運動量の保存という近似として
僕たちには見えるわけですよね。量子力学の方が直接的です。
(SとかPとかって僕は直接的に回転に見えるんだけど、僕が異常なのかなぁ)

スピンの対称性はローレンツ変換の対称性から出るわけですけど、
これも、本当は逆で、スピンの対称性を近似するとローレンツ変換が
導出される、と、こうなってほしい。

まあ、その近似ってのを定義しろっていわれると困るんだけど。
古典論からみない近似ってのもありえないような気もするし...

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

補足:

In article <556eo4$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp says...

>特定の運動量を持たないのは、不確定性があるためで、角運動量の方向が
>あらゆる方向にゆらいでいるということでしょう。

光子の個数演算子と位相演算子が共約な演算子であるのと同様に、
角運動量演算子と角運動量の方向を規定する演算子は共約で交換しない
はずです。

#けど、そういう話はあんまり聞いたことがないなぁ。。。

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

In article <1996Oct29.163955@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>> イメージはあまりあてにならないでしょう。
>
>私は,ある程度は,あてにできる,という印象をもっています.
>
>そもそも,角運動量というのは,ベクトルですけど,ある方向を向いていて,
>古典的にも,あんなものが保存する,なんて,イメージできますか?
>(例えば,地球ゴマが倒れないのは,一見不思議に見えません?)

>> 例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。


>> この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
>> できるものでしょうか?
>> 私にはイメージできませんでした。で、古典的イメージは捨て去りました。
>
>角運動量はベクトルですから,特定の方向を(古典的にも)持っています。


>角運動量がゼロ,ということは,そういう特定の方向を(その運動状態が)
>持たない(古典的にも)ということで,それは,波動関数が等方的であることと,
>共通のイメージがもてないでしょうか?

イメージの仕方はそれでかまわないと思います。
特定の方向を持たない角運動量というのを古典的にみたことはないですね。

特定の運動量を持たないのは、不確定性があるためで、角運動量の方向が
あらゆる方向にゆらいでいるということでしょう。

Yukio Ishihara

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

In article <2295.84...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>,
ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp says...

>
>河野 真治@琉球大情報工学です。
>In article <554hbh$7...@lightning.asahi-net.or.jp> ,
> yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes
>>ハミルトニアンを演算子で書換えると量子論になるってのは、式を立てるの
>>には便利だけど、本質じゃないんでしょう。ま、こちらは「院生だまし」く
>>らいにはなる。
>
>それはわりと本質です。この書き換えがh->0の時のニュートン近似
>を保証しているわけですから。むしろ古典力学の方が近似なのであ
>ってハミルトニアン演算子の方が本質ですよね。
>

本質じゃない、というのはやはり言い過ぎだったかな?

>ハミルトニアンの回転対称性が角運動量の保存という近似として
>僕たちには見えるわけですよね。量子力学の方が直接的です。

という見解では皆さん一致してるようですね。

>(SとかPとかって僕は直接的に回転に見えるんだけど、僕が異常なのかなぁ)
>
となるとこれは主観の問題?

>
>まあ、その近似ってのを定義しろっていわれると困るんだけど。
>古典論からみない近似ってのもありえないような気もするし...
>

古典力学では、角運動量保存は万有引力の(というより中心力の)
性質から導き出されるわけだけど、量子論の回転対象性のほうが
本質だとすれば、古典論の角運動量も定義しなおすとか?
つまり、「はじめに角運動量ありき」で(つまり、万有引力より
「ケプラーの法則」のほうが本質で)、そもそも宇宙にはこれが保
存するような力しか存在できないだ、とか・・・
# あー、またSFになってしまう・・・<(^^;

OYANAGI Yoshio

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

元物理屋の小柳義夫です。

In article <556pnt$8...@lightning.asahi-net.or.jp> yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes:
>古典力学では、角運動量保存は万有引力の(というより中心力の)
>性質から導き出されるわけだけど、量子論の回転対象性のほうが
>本質だとすれば、古典論の角運動量も定義しなおすとか?

ええと、古典力学でも、並進対称性から運動量保存が、回転対称性
から角運動量保存が出ます。当たり前です。学部の2年生の授業で
今井功先生から習い、高校の力学と、大学の古典力学は、似ている
ようだけどやはり違うと感心した覚えがあります。

小柳義夫

Yukio Ishihara

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

In article <1996Oct29.163955@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp
says...
>
>そもそも,角運動量というのは,ベクトルですけど,ある方向を向いていて,
>古典的にも,あんなものが保存する,なんて,イメージできますか?
>(例えば,地球ゴマが倒れないのは,一見不思議に見えません?)
>
角運動量は「軸性ベクトル」ですよね。これって運動量や力のような
「極性ベクトル」と比べて人工的って気がしません?

Masaki OSHIKAWA

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

押川です。

In article <551s0n$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp> na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
イメージはあまりあてにならないでしょう。

例えば、S状態は波動関数が等方的で電子雲は球状です。
この状態が各運動量が0であるということが古典的イメージからイメージ
できるものでしょうか?


できると思いますよ?

s 状態を古典的に(もちろんこれは本当は正しくないわけですが)
電荷密度が球状に分布していると考えます。

それで、s状態では その電荷密度が全体として回転していなくて
静止していると考えると、角運動量がゼロになるのは自然な帰結でしょう。


#もちろん s状態の波動関数自体は古典的には導出不可能だが、
#角運動量がゼロになることは 古典的にイメージできるでしょう。


In article <556q5t$8...@lightning.asahi-net.or.jp> yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes:
In article <1996Oct29.163955@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp
says...
>
>そもそも,角運動量というのは,ベクトルですけど,ある方向を向いていて,
>古典的にも,あんなものが保存する,なんて,イメージできますか?
>(例えば,地球ゴマが倒れないのは,一見不思議に見えません?)
>
角運動量は「軸性ベクトル」ですよね。これって運動量や力のような
「極性ベクトル」と比べて人工的って気がしません?


一般には角運動量は本来 2階の反対称テンソルと考えるべきで、
ただ 3次元の場合に限ると 2階の反対称テンソルを 軸性ベクトルと
同一視できるので、普段そうやっているだけです。

ついでに言うと、普段 磁場も軸性ベクトルだと思っていますが、
これも同様に本来 2階の反対称テンソルです。

したがって、全部テンソルを使って考えることにすれば
「人工的」な軸性ベクトルは追放することができます。
(かえって ややこしくなるでしょうが、そういう意味で「気分」はいいです。)


--
Masaki OSHIKAWA < oshi...@physics.ubc.ca >
--------------------------------------------------------------------
Dept. of Physics & Astronomy | Phone: (604)822-1383
University of British Columbia | FAX : (604)822-5324
6224 Agricultural Road, |-----------------------------------
Vancouver BC V6T 1Z1 CANADA |

sakaguchi fuminori

unread,
Oct 30, 1996, 3:00:00 AM10/30/96
to

ちと口出しですが、坂口と申します。

この種の問題は、

「ある表現困難な模型を表記が楽な別な模型にシンボリックに翻訳する訓練をして
おくと、もとの"ある表現困難な模型"を表記し易くなるだけでなく理解し易くなる」

という類の話ではないでしょうか。ちょっと例が違うかも知れませんが、
難しい漢字に略字体や俗字体(もとの意味を伝える部首が失われる)が
あったりするのと同じでは。

問題は、このとき代わりに用いられた"表記が楽な別な模型"の物理的意味を
無理に考えようとしていることにあるような気がします。
(無理に考えれる場合もありますが、いつもそうとは限りません。大抵はこじつけ)

この種の翻訳には功罪があり、誤解を誘発する虞がある一方で、そのおかげで
多くの人が難しい数学を知らなくてもスピンを理解できるのだと思います。

#最近この種の、「科学理論の表現法の問題」に大変興味をもっています。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Oct 31, 1996, 3:00:00 AM10/31/96
to

水野@阪大(核物理研)です.

ちょっと気になったもので,コメントです.

In article <554hbh$7...@lightning.asahi-net.or.jp>, yuki...@sh0.po.iijnet.or.jp (Yukio Ishihara) writes:
> In article <551s0n$9...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp
> says...


> ハミルトニアンを演算子で書換えると量子論になるってのは、式を立てるの
> には便利だけど、本質じゃないんでしょう。ま、こちらは「院生だまし」く
> らいにはなる。

> # そこまで言うか・・・・<(^^;

そうですね.ちょっと言い過ぎかもね.

ご存知かと思いますが,場の量子論で(でなくてもいいのかな^^;),
相互作用表示をとると,相互作用のハミルトニアンというのは,
相互作用のラグランジアンと等しく(符号は反対ですが)なりますよね?

で,このラグランジアン(密度)というのから,すべてが計算できるわけです.
例えば,エネルギーとか,系の各構成要素の運動方程式とか,遷移確率とか,
散乱振幅とか,ですね.

そういう意味で,ある系(未知の性質をもった,調べたい対象)が
どんなハミルトニアンを(あるいはラグランジアンを)持っているか,
ということ,そのものが,研究の対象である,ということさえ,出来る
わけです.

それが,本質かどうか,というのは別の問題ですが,現在の我々の知識や
興味では,(まあ普通は)ある物質系の運動状態を理解し,それを定量的に
予言したい,ということに主眼がありますから,そういう観点からは,
「それがどんなハミルトニアンを持つか?」 というのは,本質的に重要
だと言える,と思います。

_______________________________________________________________________
-- QULEN97 International Conference on Quark Lepton Nuclear Physics --
qul...@rcnp.osaka-u.ac.jp TEL:+81-6-879-8943 FAX:+81-6-879-8899
http://www.rcnp.osaka-u.ac.jp/‾qulen97/ RCNP, Osaka University, Japan
‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾‾

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 31, 1996, 3:00:00 AM10/31/96
to

In article <OSHIKAWA.96...@appi.mmm.t.u-tokyo.ac.jp>, oshi...@mmm.t.u-tokyo.ac.jp says...

>既に議論されているように、古典的な「自転」ということでスピンを
>理解するにはいろいろな無理があります。
>一番典型的なのは Stern-Gerlach の実験でしょう。

どういうところに無理があったでしょう?Up/Down の二値以外取り得ない
ことかな?


>ただ、「自転」と考えるのもそれほど捨てたものではないと思います。
>少なくとも、古典的なイメージで考える範囲ではもっとも近い描像でしょう。
>
>「自転」と思うことで、電子の軌道運動に無関係な 角運動量と 磁気モーメント
>が存在することが理解できます。
>(荷電粒子が自転すると、環状電流が生じたことになり磁気モーメントが
>生じる)
>ここで、スピンの角運動量は 単に次元が角運動量と一致すると言うだけではなく、
>古典的な角運動量と対応しているものです。
>例えば、 Einstein-de Haas 効果というのがありますが、これは次のような
>ものです。
>
>鉄などの強磁性体の磁気モーメントは 主に電子のスピンから来ていますが
>(つまり、たくさん集まると古典的な磁気モーメントと見なせる)、
>このような強磁性体を紐で吊っておいて、その後で磁場をかけて
>電子スピンの向きを変えてやります。そうすると、電子スピンによる
>角運動量が変化しますから、全体の角運動量を保つために 磁性体が
>勝手に回転しはじめます。(古典的な角運動量が発生)
>
>したがって、個人的には 「スピンを自転とかイマジネーションで理解する」
>こともそれなりに重要と思います。少なくとも、歴史的には一定の役割を
>果たしたと思われます。特に歴史的なことに関しては、

少なくとも磁場との相互作用に関しては、イマジネーションは通じるで
しょう。
違いがあるとすれば、量子化された固有状態があることぐらいなのかな?

電子が本当に自転しているのかどうかは、見たことがないのでわかりません。
自転しているとすれば、軸が定まらない自転みたいなかんじだらうか???

Ken-ichi Nakano

unread,
Oct 31, 1996, 3:00:00 AM10/31/96
to

いくつか質問を書いておきます。

Y.Mizuno (ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp) wrote:

>アイソスピン,というのもありますが,これも,内部自由度の一種だと
>思うわけです.これも抽象的な空間を考えて,そこでの,ある種の方向
>の自由度です。

>さらにもっと抽象的な空間もあるわけですね.例えば,素粒子の内部自由度
>にはスピン以外にもいろいろあって,たとえば,ストレンジネス,という自由度。
>これは,アイソスピン空間での対称性を拡張して扱えるようだから.................

> アイソスピンの拡張が,素粒子のフレーバー,と呼ばれる属性ですね.


時空間に関与する自由度を外部自由度とよぶことにすれば、内部自由度
とは時空間に関与せずに物理的状態を規定する自由度だということに
なります。

物理系の変換が群を構成しているときに、このような群のもとで不変な性質
が存在する場合、この系は対称性をもっているということになります。粒子の
種類を変換する場合のように、時空間に関与しない変換のもとで不変な
物理系の性質は、内部対称性であるということになります。

強い相互作用のもとで不変なアイソスピン不変性、ストレンジネス不変性と
よばれる内部対称性を「拡張」するものとして、フレーバーとよばれる内部
自由度を考えることになったとのことですが、この「拡張」とはどういうこと
なのですか?

また、上記引用文中の「拡張」とSU(3)とよばれる代数的構造との関連に
ついては、どのようなことになるのですか?

ぜひご教示くださるようお願いいたします。


Ken-ichi Nakano

Yoshihiro Nambu

unread,
Oct 31, 1996, 3:00:00 AM10/31/96
to

In article <55a1lr$6...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp says...

>>s 状態を古典的に(もちろんこれは本当は正しくないわけですが)
>>電荷密度が球状に分布していると考えます。
>>
>>それで、s状態では その電荷密度が全体として回転していなくて
>>静止していると考えると、角運動量がゼロになるのは自然な帰結でしょう。
>

>けど、水素原子とかでは電子は1個だから、分布しているというのは変でし
>ょう?

ちょっと考えたんですが、S状態は電子が軸の定まらない公転運動をしている
と考えれば、一応説明可能そうですね。

しかし、実際は押川さんのおっしゃるように電子は点電荷ととらえることは
できないと思います。
量子波動というのは(測定しなければ)場所を特定できません。逆に場所を
特定すると波動でなくなる。つまるところ不確定性ですね。
この辺のことを、私は(量子)ゆらぎという言葉で表現しました。

エネルギー固有状態において電子の位置は量子ゆらぎによりゆらいでいます。
このため、角運動量ベクトルの方向もゆらぐわけです。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 1, 1996, 3:00:00 AM11/1/96
to

水野です. ご質問があったので,ちょっとだけ書きます。

In article <01bbc73c$34c34c00$b102...@nec9821.highway.or.jp>, "Ken-ichi Nakano" <nak...@highway.or.jp> writes:
> いくつか質問を書いておきます。


>>アイソスピン,というのもありますが,これも,内部自由度の一種だと
>>思うわけです.これも抽象的な空間を考えて,そこでの,ある種の方向
>>の自由度です。

>>さらにもっと抽象的な空間もあるわけですね.例えば,素粒子の内部自由度
>>にはスピン以外にもいろいろあって,たとえば,ストレンジネス,という自由度。

>>これは,アイソスピン空間での対称性を拡張して扱えるようだから.................
>> アイソスピンの拡張が,素粒子のフレーバー,と呼ばれる属性ですね.

>

> 強い相互作用のもとで不変なアイソスピン不変性、ストレンジネス不変性と
> よばれる内部対称性を「拡張」するものとして、フレーバーとよばれる内部
> 自由度を考えることになったとのことですが、この「拡張」とはどういうこと
> なのですか?

良く似た性質の素粒子が(例えば陽子でいうと),陽子と,中性子の2つ,
だけではなくて,なんともう一つあった,ってことです.今の例ですと,
陽子と中性子とラムダ粒子と呼ばれる素粒子が,まあ,そっくりなわけです.

そしてそういう性質の似た素粒子が,他にも発見され,(ちょうど角運動量
のz成分みたいに)それらが同じ多重項の仲間だ(粒子を入れ換えても軸を
取り直しただけみたいだ),と理解されたわけです.

そこで,陽子と中性子を区別する内部量子数であるアイソスピンを拡張して,
...,
となったわけです.誰かが勝手に拡張したのではなく,実験が,その必要を
教えてくれました。

1950年代の終わり頃,だったでしょうか?

それがいわゆる坂田模型の提案となり,それが更にいわゆる,クォーク模型
へとつながったわけですね.この当たりのことは,お聞きになったことがある
とおもいます.

>
> また、上記引用文中の「拡張」とSU(3)とよばれる代数的構造との関連に
> ついては、どのようなことになるのですか?

これについては,上でもちょっと触れましたが,それ以上は
すいませんが,たとえば次の教科書を引用させて下さい。
本屋での立ち読みでも行ける程度の分量です:

ハルツェン・マーチン「クォークとレプトン-現代素粒子物理学入門-」
(小林,広瀬 共訳,培風館)
この本でいうと,
2.9 SU(3)群のもう一つの例:アイソスピンとストレンジネス,
というセクション(p.47),とその前後を見て下さい。

「素粒子物理学」の関係なら,どんな教科書にも書いてあるとおもいます.


Ibe Shigehisa

unread,
Nov 1, 1996, 3:00:00 AM11/1/96
to

井部誠久(元記事)です

多くの方の御意見を伺う事が出来て大変光栄です。
まだまだわからない点等はありますが、
参考書も幾つか紹介されていましたので、
これから勉強して行きたいと思います。
皆さんどうも有り難うございました。

#このスレッドでの議論はまだまだ続きそうなので、
#今後も注目しています。

--
☆普遍にして不変、且つ、多才にして多彩☆
東京薬科大学大学院 薬学研究科
博士前期課程二年 井部誠久(Shigehisa Ibe)
E-mail Address>>ib...@ps.toyaku.ac.jp

Yukio Ishihara

unread,
Nov 1, 1996, 3:00:00 AM11/1/96
to

In article <556eoh$r...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>,
c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp says...
>
>この種の問題は、
>
>「ある表現困難な模型を表記が楽な別な模型にシンボリックに翻訳する訓練をし

>おくと、もとの"ある表現困難な模型"を表記し易くなるだけでなく理解し易くな
る」
>
> (略)

>
>問題は、このとき代わりに用いられた"表記が楽な別な模型"の物理的意味を
>無理に考えようとしていることにあるような気がします。
>(無理に考えれる場合もありますが、いつもそうとは限りません。大抵はこじつ
け)
>

蒸し返すようですが、こーゆーのも「神話の怪物」の一種なんでしょうか?

坂口さんのおっしゃることが少しわかりかけたかな、と思うこのごろです。

# また違うって言われたらどうしよう、おろおろ・・・

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 1, 1996, 3:00:00 AM11/1/96
to

水野です。 一言だけですが.

自己フォローになりますが:
In article <1996Oct31.143316@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) writes:
>> 特定の運動量を持たないのは、不確定性があるためで、角運動量の方向が
>> あらゆる方向にゆらいでいるということでしょう。
>
> ゼロの時には,そういうことはないんじゃないですか?

ゼロでなくても,ある観測量の固有状態というのは,その観測量が
保存する,というか,揺らがない,ってことではないですか?

ハミルトニアンというのがありますと,これは,ハミルトニアンと
可換(あたりまえ)ですから,アミルトニアンの固有値としての
エネルギーは,いい量子数になって,エネルギーは,きっちり決まる訳です。

ハミルトニアンが空間回転に対して不変であるとすると,(これは
角運動量で書ける所のいわゆる回転の演算子と交換する,ということですが),
そのとき,角運動量は保存します。

でもこの時,運動量はゆらいでいます。というか,増えたり減ったりして
いるわけです(多分ね)。座標で書けるポテンシャルエネルギーの部分も,
同様に,揺らいでいる訳です。しかしながら,その足し算(運動エネルギーと
ポテンシャルエネルギーの和)であるハミルトニアンは,これは保存します
(つまり,揺らがない)。

ということで,角運動量の場合でも,
「運動量や座標の不確定性があるから,角運動量ベクトルの向きも
あらゆる方向に揺らいでいる」,ということにはならない,
と思いますが...

もちろん,交換しない成分もあるわけですから,そういう揺らいでいる
方向はあります。しかし,保存する方向の成分も,ちゃんとありますよね。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 2, 1996, 3:00:00 AM11/2/96
to

水野です.

In article <559su0$2...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <1996Oct31.143316@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...
>>つまり,角運動量ゼロとは,回転しても変わらないような状態ですね.
>>古典的には,それは,回転していない,となるのではないでしょうか?
>
> 古典的には、回転(公転)していないとすれば直線運動でしょう?

その通りですね.
でも,その極限として,止まっていても,いいですよね?

> 直線運動なのに、電子雲が球形というのは変に感じませんか?

古典的には,エネルギーが一番低い状態,というのは,ポテンシャルの
底にあって,回転も,直線運動もしていない,止まった,状態ではないでしょうか?

その止まった状態(角運動量も運動量もゼロ)が,量子論的にはS状態
だと思いますが.それが,球対称である,という性質は,アナロジーで理解
(まあ,大した理解でもないですが,イメージできないこともない)出来るかな,
とおもったのです.


量子論的には,粒子を空間的に(原子内部の電子にように)極在させると運動量
は,ご指摘のように,ゼロにはならず分布を持ちます。しかし,それは,
そのハミルトニアンが,運動量の固有状態を,同時固有状態として持たないから,
ですね.

ですから,s状態が,止まっていないで,動いているように見えるわけですが,
それでも,その古典極限は,とまっていてもいいのではないかとおもいます.

また,運動量の固有状態が固有函数になるようなハミルトニアンというのも,
ちゃんとあって,それは,運動エネルギーだけで出来た,ハミルトアナン,です.
その固有函数が,平面波ですよね.平面波は,運動量の決まった状態であり,
(量子論的にも)運動量がゼロ,というのも,含むのではないでしょうか?

止まっているからおかしい,ということはないとおもいます.
(止まる事が出来ないのは,閉じ込めた時です).

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 2, 1996, 3:00:00 AM11/2/96
to

坂口です。

> 蒸し返すようですが、こーゆーのも「神話の怪物」の一種なんでしょうか?
>
> 坂口さんのおっしゃることが少しわかりかけたかな、と思うこのごろです。
>
> # また違うって言われたらどうしよう、おろおろ・・・

あの話はもうご勘弁を・・・(ただ赤面)

ただ、そういうシンボル化や言語の翻訳が、科学の説明の中でどういう役割を
果たしているのかは、興味深いテーマだと思います。

今回の例の場合、SU(2)とSO(3)が似ている性質の群である点が回転模型への翻訳を
可能にした(SU(2)をSO(3)に類似の性質をもつ部分とそうでない部分に分解して、
その "そうでない部分"までつられて回転に喩えた)のだと思います。
この場合、"そうでない部分"(スピン)に自転模型をおくのは、物理的意味が
その模型だけでは厳密に考えられない"略字体"のようなものなのだと思いますが・・

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 2, 1996, 3:00:00 AM11/2/96
to

水野です.

In article <559su0$2...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <1996Oct31.143316@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...
>>つまり,角運動量ゼロとは,回転しても変わらないような状態ですね.
>>古典的には,それは,回転していない,となるのではないでしょうか?
>
> 古典的には、回転(公転)していないとすれば直線運動でしょう?

その通りですね.
でも,その極限として,止まっていても,いいですよね?

> 直線運動なのに、電子雲が球形というのは変に感じませんか?

古典的には,エネルギーが一番低い状態,というのは,ポテンシャルの
底にあって,回転も,直線運動もしていない,止まった,状態ではないでしょうか?

その止まった状態(角運動量も運動量もゼロ)が,量子論的にはS状態
だと思いますが.それが,球対称である,という性質は,アナロジーで理解
(まあ,大した理解でもないですが,イメージできないこともない)出来るかな,
とおもったのです.


量子論的には,粒子を空間的に(原子内部の電子にように)局在させると運動量


は,ご指摘のように,ゼロにはならず分布を持ちます。しかし,それは,
そのハミルトニアンが,運動量の固有状態を,同時固有状態として持たないから,
ですね.

ですから,s状態の粒子が,止まっていないで,動いているように見えるわけ
ですが(そして実際に動いてはいるのですが),それでも,その古典極限は,
とまっているとおもいます.それは,基底状態だから,という単純な理由です.

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 2, 1996, 3:00:00 AM11/2/96
to

坂口です。

> 蒸し返すようですが、こーゆーのも「神話の怪物」の一種なんでしょうか?
>
> 坂口さんのおっしゃることが少しわかりかけたかな、と思うこのごろです。
>
> # また違うって言われたらどうしよう、おろおろ・・・

あの話はもうご勘弁を・・・(ただ赤面)

ただ、そういうシンボル化や翻訳が、科学の説明の中でどういう役割を
果たしているのかは、興味深いテーマだと思います。

今回の例の場合、関連する群の性質が似ている点が回転模型への翻訳を可能にした
のだと思います。この場合、スピンに自転模型をおくのは、物理的意味が

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 4, 1996, 3:00:00 AM11/4/96
to

南部@NECです。

In article <1996Nov2.094050@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>古典的には,エネルギーが一番低い状態,というのは,ポテンシャルの
>底にあって,回転も,直線運動もしていない,止まった,状態ではないでしょうか?
>
>その止まった状態(角運動量も運動量もゼロ)が,量子論的にはS状態
>だと思いますが.それが,球対称である,という性質は,アナロジーで理解
>(まあ,大した理解でもないですが,イメージできないこともない)出来るかな,
>とおもったのです.
>
>

>量子論的には,粒子を空間的に(原子内部の電子にように)極在させると運動量


>は,ご指摘のように,ゼロにはならず分布を持ちます。しかし,それは,
>そのハミルトニアンが,運動量の固有状態を,同時固有状態として持たないから,
>ですね.
>

>ですから,s状態が,止まっていないで,動いているように見えるわけですが,
>それでも,その古典極限は,とまっていてもいいのではないかとおもいます.
>

>また,運動量の固有状態が固有函数になるようなハミルトニアンというのも,
>ちゃんとあって,それは,運動エネルギーだけで出来た,ハミルトアナン,です.
>その固有函数が,平面波ですよね.平面波は,運動量の決まった状態であり,
>(量子論的にも)運動量がゼロ,というのも,含むのではないでしょうか?
>
>止まっているからおかしい,ということはないとおもいます.
>(止まる事が出来ないのは,閉じ込めた時です).

しかし、原子模型で止まった電子というのは聞いたことがないですね。
止まってしまうと原子核に落ち込んでしまうのではありませんでしたっけ?
不確定性によりとまらないから落ち込まない。。。

固有エネルギー状態というのは、固有運動量状態でしたっけ?
原子の中の電子の位置は不確定ですね。

私の場合は止まっているという解釈はせず、動いているけど軌道がすごく
おおきく揺らいでいるような理解をしています。

解釈は人の好みでよいですね。結果に影響しないかぎり。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 5, 1996, 3:00:00 AM11/5/96
to

水野です.

In article <55kr2j$4...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
>>止まっているからおかしい,ということはないとおもいます.
>>(止まる事が出来ないのは,閉じ込めた時です).
>
> しかし、原子模型で止まった電子というのは聞いたことがないですね。

おっしゃる通り,基本的には,ないですね.
(但し,s状態での波動函数では,運動量セロという成分もありますが...).


> 止まってしまうと原子核に落ち込んでしまうのではありませんでしたっけ?
> 不確定性によりとまらないから落ち込まない。。。

そうでしたね.

>
> 固有エネルギー状態というのは、固有運動量状態でしたっけ?

自由粒子ではそうですね.
粒子が空間的に束縛されている時には,そうじゃ,ないですね.


> 原子の中の電子の位置は不確定ですね。

そうですね.分布を持ちますね。

>
> 私の場合は止まっているという解釈はせず、動いているけど軌道がすごく
> おおきく揺らいでいるような理解をしています。

量子論的には,私も,そう思います。

でも(しつこいですが)その古典的対応物は,(今のs状態は基底状態ですから),
それは,止まっているわけです.だから,古典的には,それも球対称って
ことでイメージ出来ていいんじゃない? ということが言いたいんですが。

s状態の揺らぎは,ゼロ点振動に対応するものですから,それは
(ゼロ転振動は)古典的にはゼロになると思います.

まあ,わかっておられる方に,あまりにも分かり易い説明を繰り返すのも,
かえって失礼,というか分かり難いという気がして,申し訳ないですが。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 5, 1996, 3:00:00 AM11/5/96
to

水野です.

In article <55kr2j$4...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
>>止まっているからおかしい,ということはないとおもいます.
>>(止まる事が出来ないのは,閉じ込めた時です).
>
> しかし、原子模型で止まった電子というのは聞いたことがないですね。

原子内電子の場合には,おっしゃる通り,基本的には,ないですね.
(但し,運動量空間の原点付近をよく見ると,s状態での波動函数では,
運動量ゼロという成分もありますが...).


> 止まってしまうと原子核に落ち込んでしまうのではありませんでしたっけ?
> 不確定性によりとまらないから落ち込まない。。。

そうでしたね.

>
> 固有エネルギー状態というのは、固有運動量状態でしたっけ?

自由粒子ではそうですね.
粒子が空間的に束縛されている時には,そうじゃ,ないですね.


> 原子の中の電子の位置は不確定ですね。

そうですね.分布を持ちますね。

>
> 私の場合は止まっているという解釈はせず、動いているけど軌道がすごく
> おおきく揺らいでいるような理解をしています。

量子論的には,私も,そう思います。

でも(しつこいですが)その古典的対応物は,(今のs状態は基底状態ですから),
それは,止まっているわけです.だから,古典的には,それも球対称って
ことでイメージ出来ていいんじゃない? ということが言いたいんですが。

しつこいですが,s状態の古典的イメージは何か?という問題ですよね?
s状態の揺らぎは,ゼロ点振動に対応するものですから,それは
(ゼロ点振動は)古典的にはゼロになると思います.

Shinji Kono

unread,
Nov 5, 1996, 3:00:00 AM11/5/96
to

河野 真治@琉球大情報工学です。
In article <1996Nov5.220405@rcnpax> ,
ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) writes
>原子内電子の場合には,おっしゃる通り,基本的には,ないですね.

最初に提案された原子のトムソン模型は、電荷が原子の中にプラス
マイナス混じっているというものです。そう、混ぜご飯のおにぎり
だと思えばいいわけです。これは、基本的には電子静止モデルです。

もちろん、このモデルは電子の散乱実験から否定されてしまうわけ
ですけど、電子/電荷が動いているという模型(ラザフォード模型)
には、電磁波放射によりエネルギーを放出してしまうという理論的
欠点があります。

>そうですね.分布を持ちますね。

この分布を電子密度と考えるのも正確には間違いですよね? (化け
学やさんはもちろん、そう考えているんですけど...)

つまり、電子のエネルギー順位はもともと「古典的な意味で動いて
いる電子」なんぞは表していないとするのが正しい理解だと思いま
せんか? 角運動量はあるけれども動いてはいない、何故なら、電磁
波を放射しないから。動いたとすれば、それは遷移であって、それ
は電磁波放射あるいは、電子散乱を伴う。こうだと思うんです。

そうすればスピンや電子の軌道角運動量は、原子の内部変数だとい
うことになってめでたしめだたし、当たり前、ってことになります。
当たり前すぎてつまらないっか。

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 6, 1996, 3:00:00 AM11/6/96
to

In article <1996Nov5.220405@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>でも(しつこいですが)その古典的対応物は,(今のs状態は基底状態ですから),
>それは,止まっているわけです.だから,古典的には,それも球対称って
>ことでイメージ出来ていいんじゃない? ということが言いたいんですが。
>
>しつこいですが,s状態の古典的イメージは何か?という問題ですよね?
>s状態の揺らぎは,ゼロ点振動に対応するものですから,それは
>(ゼロ点振動は)古典的にはゼロになると思います.

はい。

平均的には止まっているということですね。
しかし、ゆらぎはすっごく大きい。

ですから、平均的動きをイメージするぶんには止まっているというふうに
考えれると思います。
ゆらぎというものをダイナミクスの一部と考えると、やはり動いていると
いうこともできるんぢゃないかと思います。

このどうにもイメージしにくい、相反的なところが量子論の特徴ですね。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 6, 1996, 3:00:00 AM11/6/96
to

水野です.

In article <55ot0i$a...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
>>しつこいですが,s状態の古典的イメージは何か?という問題ですよね?
>>s状態の揺らぎは,ゼロ点振動に対応するものですから,それは
>>(ゼロ点振動は)古典的にはゼロになると思います.
>
> はい。
>
> 平均的には止まっているということですね。
> しかし、ゆらぎはすっごく大きい。

古典的には,(量子力学的な)ゆらぎは,ないですよね?

そういうことを,いいたいのですが.


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 6, 1996, 3:00:00 AM11/6/96
to

水野@阪大(核物理研究センター)です.

In article <16850.8...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>, ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji Kono) writes:
> 最初に提案された原子のトムソン模型は、電荷が原子の中にプラス
> マイナス混じっているというものです。そう、混ぜご飯のおにぎり
> だと思えばいいわけです。これは、基本的には電子静止モデルです。
>
> もちろん、このモデルは電子の散乱実験から否定されてしまうわけ
> ですけど、電子/電荷が動いているという模型(ラザフォード模型)
> には、電磁波放射によりエネルギーを放出してしまうという理論的
> 欠点があります。

本論には関係しませんが,アルファ粒子の散乱でしたね,確か。
とにかく,原子内部の電子は,基本的には運動している
けれども,それは古典的な運動ではない,というようなことは,
どんな教科書にも書いてありますが,その通りでしょう.


>
>>そうですね.分布を持ちますね。
>
> この分布を電子密度と考えるのも正確には間違いですよね? (化け
> 学やさんはもちろん、そう考えているんですけど...)

波動函数の絶対値の2乗を,密度分布だと思うのは,
間違いではないとおもいますが。(おっしゃりたいのは,
どういう意味でしょうか?)

>
> つまり、電子のエネルギー順位はもともと「古典的な意味で動いて
> いる電子」なんぞは表していないとするのが正しい理解だと思いま
> せんか? 角運動量はあるけれども動いてはいない、何故なら、電磁
> 波を放射しないから。動いたとすれば、それは遷移であって、それ
> は電磁波放射あるいは、電子散乱を伴う。こうだと思うんです。

ウーン,それも,ちょっとね.

やっぱり,量子力学的粒子だって,それなりに(日常語ですいません)
動いているっておもうわけです.

でも,その動き方というのは,定常波のように,無限に周期運動を繰り返して
いる,ということではないですかね?(古典的イメージとしては).


>
> そうすればスピンや電子の軌道角運動量は、原子の内部変数だとい
> うことになってめでたしめだたし、当たり前、ってことになります。
> 当たり前すぎてつまらないっか。

どうも,かみあいませんね.どうしてでしょうね? ま,いいか.とにかく,
内部構造が明らかになったものについては,もう内部変数だということは
ないです。しかし近似的に,そう扱ってもいいということはあります.

今のような,原子内部の電子の軌道運動のよううに,オリジンがはきっきり
出来るものは,そのままでいいでしょう.それを敢えて内部変数だと思える
ようなスケールの現象もあるでしょうから,それも,それでいいです.

でも,運動しているかどうか,というスケールの観点での議論では,
やっぱり,量子力学的粒子であっても運動している(つまり運動量が
有限の所に分布を持つ)とおもいますが.


Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 6, 1996, 3:00:00 AM11/6/96
to

In article <16850.8...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>, ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp says...

>つまり、電子のエネルギー順位はもともと「古典的な意味で動いて
>いる電子」なんぞは表していないとするのが正しい理解だと思いま
>せんか? 角運動量はあるけれども動いてはいない、何故なら、電磁
>波を放射しないから。動いたとすれば、それは遷移であって、それ
>は電磁波放射あるいは、電子散乱を伴う。こうだと思うんです。

固有エネルギー状態は「古典的な意味で動いている電子」ではないですね。
おっしゃるとおりだと思います。

「古典的な意味で動いている電子」は、波束状態であって、固有エネルギー
状態の重ね合わせで実現可能です。外的に作ることができるかどうかは別
問題ですが。
このような状態は定常状態として存在し得ません。ということで、古典的
イメージと一致しますね。

>そうすればスピンや電子の軌道角運動量は、原子の内部変数だとい
>うことになってめでたしめだたし、当たり前、ってことになります。
>当たり前すぎてつまらないっか。

少なくとも、固有エネルギー状態に古典的対応はないと思います。
古典的イメージで語るのには無理があります。
光で言えば個数状態と同じような非古典的状態だと思います。

Ken-ichi Ohshima

unread,
Nov 6, 1996, 3:00:00 AM11/6/96
to

ご専門の方々の議論のなかに入るのは
忍びないのですが、、ドシロートの疑問なので。。。


幾人かの方が「量子粒子が動く」とか「電子が運動している
」(古典的に近いイメージで)というようなことを
おっしゃっているのですが、量子「粒子」が「動く」って
いうのは、どういうことなんでしょうか。

軌道角運動量やスピンを古典的イメージと対応させるって
いうことは、なんか「仮」のことだと思ってたのですが、、、
同様に、電子という「粒子」が原子核の周りにある、とか
いうイメージも「仮」のものだと思っていたのですが、、、?

正しくないのかもしれませんが、私の理解では、
波動関数で記述される以上、少なくとも、「特定の
軌道上を運動する粒子」というふうに考えるのは
違っているのだと思っていました。でないと、光子を
一個づつスリットに通しても干渉が起こるような現象を
うまく説明できなくなってしまうような気がするのですが、、、
特定の軌道上を運動「しない」ということは、「不連続
に飛んで」もいいわけで、こういうのも含めて「動いている」
ということなのでしょうか。それとも、軌道運動自体は
本当にあるのだけど、その軌道が揺らいでいる、というのが
正しい理解なのでしょうか?

もっと言えば、「粒子」になるのは観測したとき(なんか
の反応を起こしたとき)だけなので、、、つまり、本質的には
「波動関数」なのだけど、それが「粒子的反応を起こす」というだけ、
観測しないときに粒子を考えた場合は、その波動関数内では物理法則は
成り立たなくて、何が起こるかわからない、ということだと思って
いたのですが、、、、
スピンとか軌道角運動量とかは、波動関数の属性のようなもので
具体的なイメージには還元できないものだと思っていたのですけど、、、

#ぜんぜん間違ってたらすいません。


#クソプロバイダーのニュースサーバーが半月も止まっているので、
#Dejanewsから投稿するという悲しい現実(;_;)。。。。


---------------------------------------------------
* 予欲無言。 天何言哉、四時行焉、百物生焉。 (^^) *

大島 健一
e-mail: ohsh...@super.win.or.jp
-----------------------------------------------------------------------
This article was posted to Usenet via the Posting Service at Deja News:
http://www.dejanews.com/ [Search, Post, and Read Usenet News!]

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 7, 1996, 3:00:00 AM11/7/96
to

In article <1996Nov6.204134@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...


>古典的には,(量子力学的な)ゆらぎは,ないですよね?
>
>そういうことを,いいたいのですが.

もちろんないです。

量子力学的ゆらぎがあるから、電子は原子に落ち込まずに済むということ
で、量子力学的ゆらぎのない古典描像では電子は原子に落ち込んでしまう
わけですよね?

Shinji Kono

unread,
Nov 7, 1996, 3:00:00 AM11/7/96
to

河野 真治@琉球大情報工学です。
In article <847295...@dejanews.com> ,
ohsh...@super.win.or.jp (Ken-ichi Ohshima) writes
>軌道角運動量やスピンを古典的イメージと対応させるって
>いうことは、なんか「仮」のことだと思ってたのですが、、、

そうね。僕の考え方は大島さんと近いかもしれない。でも、

In article <1996Nov6.203942@rcnpax>,


ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) writes:
> やっぱり,量子力学的粒子だって,それなりに(日常語ですいません)
> 動いているっておもうわけです.

こういう考えもわかります。軌道とかいう言葉を使った段階ですで
に動力学的なアナロジーが入っているわけですしね。アナロジーが
欲しいのだったら、スピンを自転と捉えるのも良いと思います。

しかし、アナロジーと物理理論とは違うものですよね? (それとも同じものなのか?)

> 本論には関係しませんが,アルファ粒子の散乱でしたね,確か。

そうですよねぇ。この散乱段面積の計算がつらくて... (どうして電子だと
思ったのかな)

> 波動函数の絶対値の2乗を,密度分布だと思うのは,
> 間違いではないとおもいますが。(おっしゃりたいのは,
> どういう意味でしょうか?)

正確には、観測した時の見つける確率分布でしょう? 定常状態につ
いて記述しているわけではありませんよね。定常状態(=化学結合と
か) では +/- が重要ですし、化学結合とかを議論する時に電子が
点として局在しているとか、ぐるぐる廻っているとかは考えません。
むしろ電子雲とかの方が化学者の直感とあってます。そんなような
意味です。

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 7, 1996, 3:00:00 AM11/7/96
to

In article <1996Nov6.203942@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>やっぱり,量子力学的粒子だって,それなりに(日常語ですいません)
>動いているっておもうわけです.
>

>でも,その動き方というのは,定常波のように,無限に周期運動を繰り返して
>いる,ということではないですかね?(古典的イメージとしては).

たぶん、固有エネルギー状態の位相は不確定でしょうから、古典的イメージ
の、位相と振幅が明確に定まった波ではないでしょう。
振幅は定まっているけど、位相はランダムな波みたいな感じでしょう。


>でも,運動しているかどうか,というスケールの観点での議論では,
>やっぱり,量子力学的粒子であっても運動している(つまり運動量が
>有限の所に分布を持つ)とおもいますが.

量子力学的ゆらぎを運動とみなすかどうか?ということではないですか。
Observable の期待値が古典的対応となるわけですが、量子力学的ゆらぎ
の場合Observable の期待値はゼロであるが、Observableの相関は有限と
いうことがありえます。こういうのを古典的運動とみなすかどうかですね。
古典的ゆらぎは古典的運動なんだから、量子力学的ゆらぎも運動であると
言ってもいいし、Observable の期待値だけを問題にする立場からはゆらぎ
は運動ではないとも言えますね。

#最近の研究のおもしろいところは、こういったゆらぎに関わるところだと
 思ってますが。

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 7, 1996, 3:00:00 AM11/7/96
to

シロウトの口出しですみませんが、坂口です。


水野様の記事より


> >
> > そうすればスピンや電子の軌道角運動量は、原子の内部変数だとい
> > うことになってめでたしめだたし、当たり前、ってことになります。
> > 当たり前すぎてつまらないっか。
>

> どうも,かみあいませんね.どうしてでしょうね? ま,いいか.とにかく,
> 内部構造が明らかになったものについては,もう内部変数だということは
> ないです。しかし近似的に,そう扱ってもいいということはあります.
>
> 今のような,原子内部の電子の軌道運動のよううに,オリジンがはきっきり
> 出来るものは,そのままでいいでしょう.それを敢えて内部変数だと思える
> ようなスケールの現象もあるでしょうから,それも,それでいいです.
>

> でも,運動しているかどうか,というスケールの観点での議論では,
> やっぱり,量子力学的粒子であっても運動している(つまり運動量が
> 有限の所に分布を持つ)とおもいますが.

河野様がご指摘の、電子の角運動量を原子の内部物理量だと見なすことと、
よく似たことばかり最近考えていたので・・・

原子の"ある種の内部自由度"のもつ性質を、
3次元回転の性質と同型な性質の部分と、そうでない性質の部分とに分解して、
前者に古典的電子の公転の模型を与えて軌道運動と解釈し、
後者に"無理やり"自転模型をなぞらえてスピンとし電子の内部自由度みたく扱った、
と考えれば、電子の軌道角運動量を原子の内部物理量の一種とみなして
特に公転模型を意識・強調しないように解釈することも、
それほど不自然ではないのではないでしょうか。

#「内部」の定義によるとは思いますが・・・

もっとも、前者と3次元回転とは数学的な対応が成立しますし、
また、電子の正体(??)はすでに皆に共通認識されていますので、
わざわざ電子の軌道角運動量が原子の内部物理量であることを強調するよりも
電子の軌道運動の角運動量と解釈するのが解りやすいとは思うのですが。
(これに対して後者は、似ているけど本当は回転と厳密には対応がつきませんから、
スピンの自転解釈は"模型もどき"だと思います。)

未解釈なものの性質のうち、既知なものの性質でソックリ代用できる部分は、
模型として代入して読み替えようよう、という操作のおかげで、
科学がここまで進歩してきたのだとも、考えられるのではないでしょうか。

模型そのものが"そこ"にあるのではありませんから、模型にあるような「運動」を
"そこ"に見出そうなんて、もともと無理な問題では?
むしろ、模型にある「運動」が、"そこ"で何に翻訳されているかが重要では?
別な例ですが、例えば、自由粒子の運動量に関しても話は全く同じです。
無限に広がった平面正弦進行波の中に「何かの等速直線運動」を読み取るのは、
ちと無理があるのではないのでしょうか。てな話は大島様の議論とも似てるかな?


とか、以上シロウトの解釈でした。
           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

水野です. ちょっとコメントします.

In article <847295...@dejanews.com>, ohsh...@super.win.or.jp (Ken-ichi Ohshima) writes:
> 幾人かの方が「量子粒子が動く」とか「電子が運動している
> 」(古典的に近いイメージで)というようなことを
> おっしゃっているのですが、量子「粒子」が「動く」って
> いうのは、どういうことなんでしょうか。

その粒子が,運動量を持っている,ということだと思います.


>
> 軌道角運動量やスピンを古典的イメージと対応させるって
> いうことは、なんか「仮」のことだと思ってたのですが、、、

「古典的イメージ」という言葉の意味は,人によって違う
ようですが,まあ,たとえ量子力学的な量であっても,
測定出来る量ですから,「どこか」からは,「仮」ではなくなる
(測定値になる)のではないでしょうか?


> 同様に、電子という「粒子」が原子核の周りにある、とか
> いうイメージも「仮」のものだと思っていたのですが、、、?

電子は,それ自体の大きさは,点(上限がわかっているだけ)ですから,
「粒子」だとおもいます.(波でもあるけれど^^;)。

そういう電子が,原子核のまわりに,あるんでしょ? ちゃいますか?


>
> 正しくないのかもしれませんが、私の理解では、
> 波動関数で記述される以上、少なくとも、「特定の
> 軌道上を運動する粒子」というふうに考えるのは
> 違っているのだと思っていました。でないと、光子を
> 一個づつスリットに通しても干渉が起こるような現象を
> うまく説明できなくなってしまうような気がするのですが、、、

こちらとおもえば,またあちら,というように,点である電子は,
あっちにあることもあれば,こっちにいることもある,その存在確率
は分布を持っている.(何回も測定すれは,色々な場所にいる確率が,
だんだん,分かって来る,見えて来る),ということなのでは?)
スリットの時と同じではないでしょうか?

大体,一個の電子の波動函数が広がっているわけですから,いろいろな所に
いる確率が(いろいろ)ある,ということですよね?

また,その状態の特徴としての量子数ですが,s状態とか,p状態とかを,
そういう特定の性質をもった(しかし,それぞれ,特有の「分布」を持った)
「軌道」というようなもの(広がっているけれど特定の軌道)の上にある,
と呼んでいる,とおもいますが.


> 特定の軌道上を運動「しない」ということは、「不連続
> に飛んで」もいいわけで、こういうのも含めて「動いている」
> ということなのでしょうか。

運動状態,というものを考えます。電子は,そういう特定の状態
にあります.

その運動状態が(外場によって)変化するとき,これを遷移といいます.

その遷移の時,その最中には,どんな動き方をしているか,というのは,
ずっと複雑になるでしょう(つまりあらゆる状態を取り得る,という
変な中間状態になっているでしょう).


> それとも、軌道運動自体は
> 本当にあるのだけど、その軌道が揺らいでいる、というのが
> 正しい理解なのでしょうか?

どちらかと言えば,そういうイメージに近い,と,私はおもいますが.

> もっと言えば、「粒子」になるのは観測したとき(なんか
> の反応を起こしたとき)だけなので、、、つまり、本質的には
> 「波動関数」なのだけど、それが「粒子的反応を起こす」というだけ、
> 観測しないときに粒子を考えた場合は、その波動関数内では物理法則は
> 成り立たなくて、何が起こるかわからない、ということだと思って
> いたのですが、、、、

このあたりは,よくわからないので,そっとしておきます.


> スピンとか軌道角運動量とかは、波動関数の属性のようなもので
> 具体的なイメージには還元できないものだと思っていたのですけど、、、

出来ないと言われても,それでも人間は,イメージをもって,考えたいと
思うわけです.

そして,角運動量のようなもの(古典的にもきちんと定義出来て,イメージが
持てる量)には,古典的イメージ(人によって違うとしても)を持てないもの
でしょうか? 私は,なんらかのイメージを言葉にして,持ちたいと,まあ
思う分けです。

イメージを持とうとする目的は,「では,それがxxという反応を起こした時には,
こんどはどうなるか?」という問題を考えるときに,その結果が目に見えるように
なるから(つまり直感的に結果が予測出来るから)だとおもいます.

例えば,3次元の球対称な束縛系でのs波のイメージは,基底状態ですから
ゼロ点振動であって,「まんまる」ですが,かすかに震えている,それでもって
広がっている(運動領空間でも,原点から始まってこのあたりまで広がっている
はず,とか),というようなイメージを,私は,持っています。

そうすると,例えば,ですが,こんなふうに,考えることになります.

s状態に,2階のテンソルの摂動でd状態が混じったとすると,密度分布は
こんなふうになるはずで,そうすると,4重極モーメントは,まあ,この程度
になるだろう.実験結果もそのくらいだし,まあ理解出来る。でもそうすると,
遷移の時に両者の干渉があるはずだから,そうすると,この測定の結果は,
こういうふうになるはずだ。今度はその実験をしてみることにするが,s状態は
運動量空間ではこのあたり,d状態はこのあたりに来るはずだから,実験条件
としてはxxでいいだろう,とかいうようなことが,直感的に理解でき,
直感的に考える事が出来るようになると思います。


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

>>古典的には,(量子力学的な)ゆらぎは,ないですよね?

>
> もちろんないです。
> 量子力学的ゆらぎがあるから、電子は原子に落ち込まずに済むということ
> で、量子力学的ゆらぎのない古典描像では電子は原子に落ち込んでしまう
> わけですよね?

はい,そうでしょうね.
やはり,何だか当たり前のことを書かせてしまって,大変失礼しました.

水野

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

南部さん,水野です. しつこくて,すいません.

In article <55rmto$b...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <1996Nov6.203942@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...
>>やっぱり,量子力学的粒子だって,それなりに(日常語ですいません)
>>動いているっておもうわけです.
>>でも,その動き方というのは,定常波のように,無限に周期運動を繰り返して
>>いる,ということではないですかね?(古典的イメージとしては).
>
> たぶん、固有エネルギー状態の位相は不確定でしょうから、古典的イメージ
> の、位相と振幅が明確に定まった波ではないでしょう。
> 振幅は定まっているけど、位相はランダムな波みたいな感じでしょう。

ウ~ン,あれって,ランダムなんですかね?
定数だけずらす不定性はありますが,やっぱり位相は(時間的には定常状態
は振動ですから)決まっているのでは? (重箱のすみ,で,申し訳ない).

>
>
>>でも,運動しているかどうか,というスケールの観点での議論では,
>>やっぱり,量子力学的粒子であっても運動している(つまり運動量が
>>有限の所に分布を持つ)とおもいますが.
>

> 量子力学的ゆらぎを運動とみなすかどうか?ということではないですか。

そういう問題みたいですね.ようやく,なににひっかかっておられるのか,
わかってきました.

> Observable の期待値が古典的対応となるわけですが、量子力学的ゆらぎ
> の場合Observable の期待値はゼロであるが、Observableの相関は有限と
> いうことがありえます。こういうのを古典的運動とみなすかどうかですね。
> 古典的ゆらぎは古典的運動なんだから、量子力学的ゆらぎも運動であると
> 言ってもいいし、Observable の期待値だけを問題にする立場からはゆらぎ
> は運動ではないとも言えますね。

まず,平面波は,あれは運動していると思うわけですね。

運動量空間での波動函数の成分というのは,そういう平面波の成分に
フーリエ分解して見ている,ということですから,要するに,
運動量があれば動いていると,私には,見えるんですよね。


>
> #最近の研究のおもしろいところは、こういったゆらぎに関わるところだと
>  思ってますが。

フムフム。これは,もうすこし,具体的に教えていただけますでしょうか?

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

南部さん,水野です. しつこくて,すいません.

In article <55rmto$b...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <1996Nov6.203942@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...
>>やっぱり,量子力学的粒子だって,それなりに(日常語ですいません)
>>動いているっておもうわけです.
>>でも,その動き方というのは,定常波のように,無限に周期運動を繰り返して
>>いる,ということではないですかね?(古典的イメージとしては).
>
> たぶん、固有エネルギー状態の位相は不確定でしょうから、古典的イメージ
> の、位相と振幅が明確に定まった波ではないでしょう。
> 振幅は定まっているけど、位相はランダムな波みたいな感じでしょう。

ウ~ン,あれって,ランダムなんですかね?
定数だけずらす不定性はありますが,やっぱり位相は(時間的には定常状態

は単振動ですから)決まった動き方をしているのでは?

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

南部@NECです。好奇心からの質問ですが、、、

In article <1996Nov8.015848@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>In article <847295...@dejanews.com>, ohsh...@super.win.or.jp (Ken-ichi Ohshima) writes:
>> 幾人かの方が「量子粒子が動く」とか「電子が運動している
>> 」(古典的に近いイメージで)というようなことを
>> おっしゃっているのですが、量子「粒子」が「動く」って
>> いうのは、どういうことなんでしょうか。
>
>その粒子が,運動量を持っている,ということだと思います.

では、その粒子の運動量の平均値はゼロであるけれど、有限の揺らぎをもっ
ている場合はどう考えます?


>> 軌道角運動量やスピンを古典的イメージと対応させるって
>> いうことは、なんか「仮」のことだと思ってたのですが、、、
>
>「古典的イメージ」という言葉の意味は,人によって違う
>ようですが,まあ,たとえ量子力学的な量であっても,
>測定出来る量ですから,「どこか」からは,「仮」ではなくなる
>(測定値になる)のではないでしょうか?

Observable の相関を通じてのみ測定できる量は、古典的でしょうか?
非古典的ですか?

Observable の平均値はゼロだけど揺らぎが有限である場合、これは古
典的でしょうか、非古典的でしょうか?

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 8, 1996, 3:00:00 AM11/8/96
to

水野です.

In article <55se8b$b...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 原子の"ある種の内部自由度"のもつ性質を、
> 3次元回転の性質と同型な性質の部分と、そうでない性質の部分とに分解して、
> 前者に古典的電子の公転の模型を与えて軌道運動と解釈し、
> 後者に"無理やり"自転模型をなぞらえてスピンとし電子の内部自由度みたく扱った、
> と考えれば、電子の軌道角運動量を原子の内部物理量の一種とみなして
> 特に公転模型を意識・強調しないように解釈することも、
> それほど不自然ではないのではないでしょうか。
> #「内部」の定義によるとは思いますが・・・

(よく理解できませんが,とにかく)そう考える時,どういう得をする
のでしょうか? (純粋な質問です).そう考える事のメリットです.
それがわかりません.どういう条件だと,そう考えた方がいいか?


>
> もっとも、前者と3次元回転とは数学的な対応が成立しますし、
> また、電子の正体(??)はすでに皆に共通認識されていますので、
> わざわざ電子の軌道角運動量が原子の内部物理量であることを強調するよりも
> 電子の軌道運動の角運動量と解釈するのが解りやすいとは思うのですが。
> (これに対して後者は、似ているけど本当は回転と厳密には対応がつきませんから、
> スピンの自転解釈は"模型もどき"だと思います。)

粒子そのものが,古典的なものではないので,スピンうんうんも,あくまで
アナロジーに過ぎないのでしょうね.模型もどき,という言葉は,あまり
使われませんが,気持ちは,なんとなくわかるかもしれない.

>
> 未解釈なものの性質のうち、既知なものの性質でソックリ代用できる部分は、
> 模型として代入して読み替えようよう、という操作のおかげで、
> 科学がここまで進歩してきたのだとも、考えられるのではないでしょうか。

多分そうなんでしょうね.そして,その意味も有効性もその限界も
その理由もよくわかってやらないといけない,とかいうようなことは
あるでしょうね,きっと.


>
> 模型そのものが"そこ"にあるのではありませんから、模型にあるような「運動」を
> "そこ"に見出そうなんて、もともと無理な問題では?

模型は,その運動で,実際の運動が理解できないといけないとおもいます.


> むしろ、模型にある「運動」が、"そこ"で何に翻訳されているかが重要では?

ここは,同感です.


> 別な例ですが、例えば、自由粒子の運動量に関しても話は全く同じです。
> 無限に広がった平面正弦進行波の中に「何かの等速直線運動」を読み取るのは、
> ちと無理があるのではないのでしょうか。てな話は大島様の議論とも似てるかな?

この辺りは,我々はどうおもうかというと,平面波だとしても,それは巨視的
には,軌跡を作るような軌道を描くとおもっていて,それで,粒子の運動だと
思えるのかもしれません.(まあ実際には波束ということかな.)


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 9, 1996, 3:00:00 AM11/9/96
to

水野@阪大です. 好奇心から,書いてみます。

In article <55tudo$e...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> 南部@NECです。好奇心からの質問ですが、、、
> In article <1996Nov8.015848@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>>> 幾人かの方が「量子粒子が動く」とか「電子が運動している
>>> 」(古典的に近いイメージで)というようなことを
>>> おっしゃっているのですが、量子「粒子」が「動く」って
>>> いうのは、どういうことなんでしょうか。
>>
>>その粒子が,運動量を持っている,ということだと思います.
>
> では、その粒子の運動量の平均値はゼロであるけれど、有限の揺らぎをもっ
> ている場合はどう考えます?

全体としては,止まっている.構成粒子は運動している,と考えます。

例えば,原子核全体としては止まっている。内部の陽子や中性子は
運命的に(と私は言っているのですが)動いている,という場合です.

これの古典的イメージは,
簡単のために1次元にすると,
2個の球が,バネでつながっていて,それを浮かせておいて,
引っぱって,離したあとの運動です.

3次元のものも,イメージできれば,それが(古典的?)原子核かな?


>
>>> 軌道角運動量やスピンを古典的イメージと対応させるって
>>> いうことは、なんか「仮」のことだと思ってたのですが、、、
>>
>>「古典的イメージ」という言葉の意味は,人によって違う
>>ようですが,まあ,たとえ量子力学的な量であっても,
>>測定出来る量ですから,「どこか」からは,「仮」ではなくなる
>>(測定値になる)のではないでしょうか?
>
> Observable の相関を通じてのみ測定できる量は、古典的でしょうか?
> 非古典的ですか?

ご質問の意味を誤解しているかもしれませんが,(多分そうでしょう),
ミクロのスケールのものであれば,非古典的だとおもいます.
その議論をするとき,人は,古典的イメージでもって,考えているのだと
思います.

>
> Observable の平均値はゼロだけど揺らぎが有限である場合、これは古
> 典的でしょうか、非古典的でしょうか?

上と,同様です.


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 9, 1996, 3:00:00 AM11/9/96
to

坂口です。


> (よく理解できませんが,とにかく)そう考える時,どういう得をする
> のでしょうか? (純粋な質問です).そう考える事のメリットです.
> それがわかりません.どういう条件だと,そう考えた方がいいか?

原子だけのことを考えるなら、それがどういう要素から構成されているかは
考える必要がありません。電離が起こったり、etc の時に、初めて解釈の道具に
なります。これは、核反応が起こらなければ原子核中の陽子や中性子に言及する
必要のないのと同じです。

電離などの場合ですら、原子(やイオン)中の電子の個数に応じて内部状態が
あり、さらに、そのそれぞれに、主量子数や角運動量に関する更に細かい内部構造が
あると考えれば、(通常の説明で言う電子の個数に関する)内部状態の変化に伴って
電子が放出されるという解釈でも、何ら不便は無いと思います。同様に、
例えば光子のやりとりにより、角運動量に関する内部状態に変化が起こると
考えれば。 

電子の軌道角運動量とかいうけれど、厳密には電子・核の2体間の相対運動を
量子化して導かれるものに相当しますし、原子のなかで電子の古典的実在(??)が
どうなっているのかなんて、模型でしか説明できません(水素原子の場合は
これでもまだいい方で、多電子原子になったら、その模型に対応する数学モデルすら
単なる近似に過ぎません)。 なら、いっそのこと、原子のなかで電子の実在(??)が
どうなっているのかなんて、考えなければどうでしょうか。つまり、核と電子の
2種類の構成要素をいつまでもイメージとして引きずるのではなく、あくまで
一つの原子であって、それが磁気モーメントや電荷(イオンの場合)を持つと。
そうすれば、原子の中の電子の姿と古典的電子像とのギャップにに悩まずに
済むという、大きなメリットがあるでしょう。

何か今回の問題の背後には、細かく要素還元した方が自然を理解したことになる、
という、一種のイデオロギー(ちょっと言い過ぎか。ごめん。)みたいなものを
感じます。要素還元は有用な手法ですが、必ずしも必要の無いところまで要素還元
しなければ分かった気にならない、というのなら、ちょっと抵抗があります。
また、「人類がすでに説明の還元に成功したものを、還元前の説明に戻すと違和感を
覚える」という発想は、むしろそういう発想こそが私に違和感を覚えさせます。
最近も別なスレッドで度々申し上げているように、「対象の正体は何か」よりも、
「対象をどのように規定するか」「対象をどのように見なすか」の方が、自然現象を
理解する上で重要ではないのいでしょうか。

> 模型は,その運動で,実際の運動が理解できないといけないとおもいます.

この意味は、ちょっと難しいですね。例えば今回のような議論なら、「波束」という
接点を用いれば、模型との関連が綺麗に確認できます。けれども、「波束」を
持ち出した時点で、(内容は量子力学でも)すでに発想は古典に回帰しているのでは
ないでしょうか。

このような模型解釈法よりは、むしろ、数学構造が同じものは「同じ"もの"」と
見なす訓練をつけた方が、スッキリいくような気がするのですが・・・・

> この辺りは,我々はどうおもうかというと,平面波だとしても,それは巨視的
> には,軌跡を作るような軌道を描くとおもっていて,それで,粒子の運動だと
> 思えるのかもしれません.(まあ実際には波束ということかな.)

波束ということでしょうね。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Kenichiro Aoki 青木健一郎

unread,
Nov 9, 1996, 3:00:00 AM11/9/96
to

スピンと関係ないですが,ちょっと前の記事について:

In article <16850.8...@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp> "sk" = ko...@ie.u-ryukyu.ac.jp (Shinji Kono) sez:

sk> 河野 真治@琉球大情報工学です。
...
sk> 最初に提案された原子のトムソン模型は、電荷が原子の中にプラス
sk> マイナス混じっているというものです。そう、混ぜご飯のおにぎり
sk> だと思えばいいわけです。これは、基本的には電子静止モデルです。

意味がちょっと明確ではないですが最初に提案された原子模型が
Thomson 模型であるというのならそれは間違っています:

1901 Perrin, 1902 長岡らが核を中心とした「土星」モデルを提案して
います.電磁気学は古典的に重力に似ていますから土星型模型は自然な
発想だったでしょう.良く知られているようにこれらのモデルは不安定
です.

1902 Kelvin, 1903 Thomson らがこの問題を解決するために plum
pudding model を提唱するわけです.他のモデルが不安定であるためこ
のモデルが大きな支持を集めたように思われます.
....
sk> もちろん、このモデルは電子の散乱実験から否定されてしまうわけ
sk> ですけど、電子/電荷が動いているという模型(ラザフォード模型)
sk> には、電磁波放射によりエネルギーを放出してしまうという理論的
sk> 欠点があります。

1909 の Geiger+Marsden の実験 (Rutherford の suggestion による),
そして 1911 Rutherford による点電荷による散乱による結果の説明に
より,不安定性は百も承知で中心に小さい核があるという見方を再びと
らざるを得なくなったのです.
---
Kenichiro Aoki 青木 健一郎
Dept. of Physics, Hiyoshi Campus, Keio University, Yokohama, 223 JAPAN.
223 神奈川県横浜市港北区日吉 4-1-1 慶應義塾大学 日吉物理学教室
PGP public key available on request.

Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 9, 1996, 3:00:00 AM11/9/96
to

In article <8473949...@dejanews.com>, ohsh...@super.win.or.jp says...

> 波動関数を「存在確率」とか「運動量の確率」と
>解釈する以上、雲のほうを実体的イメージとして考えるのは
>正しくなくて、おっしゃるように、粒子のほうを実体的イメージと
>考えるべきなのかも知れません。あるいは、単に、「場合による」

第二量子化のフォーマリズムでは、波動関数は固有モードを規定している
にすぎないですね。
たとえば、マイクロウェーブの共振器中にはどういう固有モードがたつか?
そういうものを計算しているわけですね。量子井戸の固有波動関数なんて
まさにそのものです。
電子が電磁場と違うのは、電子がフェルミ粒子であるがために、交換相互
作用があるところでしょうか。


> たとえば、先のスリットの話で、二重スリットの
>片方の切れ目を手で隠すと、干渉が起らなくなって、今まで
>干渉のために暗くなっていた部分が今度は明るくなる、という
>ような現象を、「一個の粒子が、、、、」というイメージで
>考えることはムズカシイな、と思ったのです。手で隠した瞬間に
>粒子の運動が突然変わる(その手のところに到達する前から
>変わっている必要がある)というのは、ちょっと考えにくかった
>んです。そこで、「雲」のほうが本質だと考えたんですが、、、

ゆらぎの大きさが明るいところと暗いところで違うんだ、という考え方も
できるんですね。第二量子化のフォーマリズムでは、そういう言い方にな
ります。(考える状態によって異なりますが)

第二量子化のフォーマリズムでも、量子が粒子であると考える必然性は
ないように思えます。固有モードがあって、その振幅は量子化されている、
振幅と位相には不確定性がある、状態は固有モードの重ね合わせである、
それだけのことのはず。


>>> もっと言えば、「粒子」になるのは観測したとき(なんか
>>> の反応を起こしたとき)だけなので、、、つまり、本質的には
>>> 「波動関数」なのだけど、それが「粒子的反応を起こす」というだけ、
>>> 観測しないときに粒子を考えた場合は、その波動関数内では物理法則は
>>> 成り立たなくて、何が起こるかわからない、ということだと思って

粒子という概念が登場するのは、やっぱり観測過程においてのみですね。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 10, 1996, 3:00:00 AM11/10/96
to

大島さん,水野です. 雑談ですが.

In article <8473949...@dejanews.com>, ohsh...@super.win.or.jp (Ken-ichi Ohshima) writes:
> この辺のことを明示的に議論している本っていうのは
> あまりみたことがないんで、自分で勝手に”解釈”している
> ものですから、、、、

今もう一度,昔勉強した教科書を読み直してみると,意外に,どこかに
書いてあるかもしれませんよ ^^


> 水野さんwrote:


>>電子は,それ自体の大きさは,点(上限がわかっているだけ)ですから,
>>「粒子」だとおもいます.(波でもあるけれど^^;)。
>>
>>そういう電子が,原子核のまわりに,あるんでしょ? ちゃいますか?
>

> 私は、虚数の「雲」があるんだ、と思ってました(^^;。
> 「雲」が、観測すると「点」になるんだ、と、、、、
> というか、「点状」の反応を起こす「雲」がある、というような、、、

粒子の存在確率をあらわす波動関数の絶対値の2乗を,濃淡でもって,
雲のように,かいてあるだけ,ということではだめですか?

また教科書のどこかには,束縛状態の波動関数は,実数に取ることが出来る,
というようなことが,書いてるはずですから,「あれ」を虚数(の雲)である
と思う必要はありません.


>
> 「雲」も「点」も、「~がある」という言葉を使う
> 以上、やっぱりイメージの世界なんでしょうね。実際に見たり
> 触れたりして確かめたわけじゃないですし。
> そういえば、ある量子力学の教科書に、「ホントウはどうなっているのか、
> などと考えてはいけない。」と書いてありました(^^;。

教訓的ですね.^^;;;

先日も,QCDの理論的発見者として著名な David Gross が,Supersymmetry
の存在に関して,非常に説得力ある,格調高い講演をしてくれた後で,雑談を
していたら,量子力学は難しい,我々はもと勉強しなければいけない,と,
言っていて,びっくりしました.

でも,2重スリットが分からない,という意味では無いでしょう(多分).

電磁気学の発見以来,その本当の意味が,ゲージ理論として把握されるのに,
80年かかったのだ,と彼は言います。であるから,量子力学の本当の意味は,
あるいは supersymmetry の本当の意味を理解するにも,随分かかるであろう,
というような意味だと思います。


>
> 「雲」のほうを本質と考えたのは、、、、


> たとえば、先のスリットの話で、二重スリットの
> 片方の切れ目を手で隠すと、干渉が起らなくなって、今まで
> 干渉のために暗くなっていた部分が今度は明るくなる、という
> ような現象を、「一個の粒子が、、、、」というイメージで
> 考えることはムズカシイな、と思ったのです。手で隠した瞬間に
> 粒子の運動が突然変わる(その手のところに到達する前から
> 変わっている必要がある)というのは、ちょっと考えにくかった
> んです。そこで、「雲」のほうが本質だと考えたんですが、、、

> この辺はどう考えたらいいのかよくわかりません。

粒子の,存在確率に関する,確率振幅が,波として,伝わる(だから
干渉もする),と考えればいいのではないでしょうか?
#確率振幅が,というのは,粒子が,というのとは,違いますよね?
(こういうのを,確率解釈,とよんでいるわけですが)

>
>
> これは私が勝手に解釈していることなのですが、、、
> 波動関数が、ある領域を占めていたとすると、一回の測定では、
> その領域内のどこで粒子が見つかっても「問題ない」わけです。
> その一回の測定で、「なぜそこに見つかったのか」というのは
> ぜんぜん因果的には説明できなくて、つまり、その一回の測定
> については、「法則が存在しない」と解釈できます。しかし、
> 一億回の測定については、分布としての法則が存在します。

そういう法則を,確率的法則,と呼んではどうでしょうか?
(あるいは,確率を正しく予言できる,という,法則).


> それと、粒子は直接「見る」ことができなくて、なんらかの
> 「反応」を通して間接的に知ることができるだけです。これは、
> 「粒子がある」と解釈するよりも「粒子のような反応が起る」という
> ように解釈したほうが、よいのではないか、と思い、上の
> 「雲のほうが本質」という考えとあわせて、「粒子的な反応
> を起こす、法則のない雲」(^^;と考えていました。

「粒子の反応を記述する,確率法則に従う波動関数」,ということでも
まあ,理解できますよね?


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 10, 1996, 3:00:00 AM11/10/96
to

水野です. コメントですが.

In article <56109t$m...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 坂口です。


> 電子の軌道角運動量とかいうけれど、厳密には電子・核の2体間の相対運動を
> 量子化して導かれるものに相当しますし、原子のなかで電子の古典的実在(??)が
> どうなっているのかなんて、模型でしか説明できません(水素原子の場合は
> これでもまだいい方で、多電子原子になったら、その模型に対応する数学モデルすら
> 単なる近似に過ぎません)。 なら、いっそのこと、原子のなかで電子の実在(??)が
> どうなっているのかなんて、考えなければどうでしょうか。つまり、核と電子の
> 2種類の構成要素をいつまでもイメージとして引きずるのではなく、あくまで
> 一つの原子であって、それが磁気モーメントや電荷(イオンの場合)を持つと。
> そうすれば、原子の中の電子の姿と古典的電子像とのギャップにに悩まずに
> 済むという、大きなメリットがあるでしょう。

それって,メリットですか?
核と電子という2種類の構成要素が存在する(して運動をしている)から,
s波であろうが何であろうが,その運動を考える,その運動方程式まで,
もうわかっているのに,何を躊躇する必要があるのか,よくわかりません.


>
> 何か今回の問題の背後には、細かく要素還元した方が自然を理解したことになる、
> という、一種のイデオロギー(ちょっと言い過ぎか。ごめん。)みたいなものを
> 感じます。要素還元は有用な手法ですが、必ずしも必要の無いところまで要素還元
> しなければ分かった気にならない、というのなら、ちょっと抵抗があります。

アトミズム,というのは,一つの方法に過ぎません。しかし,それが非常に
成功してきた事を我々は知っている,というだけです.
そんな,イデオロギーなんて難しい事を^^;;;


> また、「人類がすでに説明の還元に成功したものを、還元前の説明に戻すと違和感を
> 覚える」という発想は、むしろそういう発想こそが私に違和感を覚えさせます。
> 最近も別なスレッドで度々申し上げているように、「対象の正体は何か」よりも、
> 「対象をどのように規定するか」「対象をどのように見なすか」の方が、自然現象を
> 理解する上で重要ではないのいでしょうか。

具体的な対象(この世界の様々なもの)を最もよく理解したい,というだけです.
それに成功する(それに関する,考え得るあらゆる実験の試練に耐えられる)模型
であれば,違和感があろうがなかろうが,受け入れざるをえないでありましょう.
そして,なぜ,そうなのか,ということを,必死で考える事になるだけです.

そもそも,違和感があるかないか,ということが問題なのではないと思います.


>
>> 模型は,その運動で,実際の運動が理解できないといけないとおもいます.
>
> この意味は、ちょっと難しいですね。例えば今回のような議論なら、「波束」という
> 接点を用いれば、模型との関連が綺麗に確認できます。けれども、「波束」を
> 持ち出した時点で、(内容は量子力学でも)すでに発想は古典に回帰しているのでは
> ないでしょうか。

そういうわけでもないと思いますが...
上の意味は,上に書かれた通りに,理解できないでしょうか?


>
> このような模型解釈法よりは、むしろ、数学構造が同じものは「同じ"もの"」と
> 見なす訓練をつけた方が、スッキリいくような気がするのですが・・・・

あ,そうなのですか.例えば,例をあげていただけると,うれしいです.


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 10, 1996, 3:00:00 AM11/10/96
to

In article <560jrf$5...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <8473949...@dejanews.com>, ohsh...@super.win.or.jp says...

> 第二量子化のフォーマリズムでも、量子が粒子であると考える必然性は
> ないように思えます。固有モードがあって、その振幅は量子化されている、
> 振幅と位相には不確定性がある、状態は固有モードの重ね合わせである、
> それだけのことのはず。

どういう粒子の場を考えているのか,ということは,大事ではないでしょうか?

>
>>>> もっと言えば、「粒子」になるのは観測したとき(なんか
>>>> の反応を起こしたとき)だけなので、、、つまり、本質的には
>>>> 「波動関数」なのだけど、それが「粒子的反応を起こす」というだけ、
>>>> 観測しないときに粒子を考えた場合は、その波動関数内では物理法則は
>>>> 成り立たなくて、何が起こるかわからない、ということだと思って
>
> 粒子という概念が登場するのは、やっぱり観測過程においてのみですね。

なんだか,粒子がお嫌いのようで^^;;;

粒子という概念は,私のイメージでは,多粒子系の波動関数がどうなっているか,
粒子の座標に関する入れ換えに対する(全体の波動関数の)対称性がどうなって
いるか,あるいは加算的量子数がどうなっているか,等を考えるときに,観測し
なくても(波動関数を作る段階で)やっぱり必要になるとおもいます。


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 10, 1996, 3:00:00 AM11/10/96
to

坂口です。シロウトで厚かましいかも知れませんが、このくらいは素朴な疑問


> それって,メリットですか?
> 核と電子という2種類の構成要素が存在する(して運動をしている)から,
> s波であろうが何であろうが,その運動を考える,その運動方程式まで,
> もうわかっているのに,何を躊躇する必要があるのか,よくわかりません.

問題に依存します。核と電子の相対運動(??) がモノをいうような問題に関しては、
おっしゃる通りです。けれども、それと直接関係ない問題の際には、単に
「近似的にそう見なす」のではなく、「その問題に関しては原子の内部状態だ」と
断言しても、何ら支障はないと思いますが・・・
#解釈は、あくまで解釈です。(解釈とは"運動方程式"がfitしたことも含みます)

> あ,そうなのですか.例えば,例をあげていただけると,うれしいです.

まさにピッタリなのが今回の例ではないでしょうか。「原子のある種の内部自由度」
の波動関数を球面関数展開したものと、3次元回転とが同型対応をしているから、
電子の軌道(角)運動と解釈したのでなかったでしょうか。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp

Takayuki Nakamura

unread,
Nov 10, 1996, 3:00:00 AM11/10/96
to

In article <1996Nov8.020308@rcnpax>,
ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

電子が原子に落ちこまないように、古典描像にいろいろ条件を
つけた訳ですね、歴史的に。
電磁輻射を禁止するという条件をつけたらどうなるでしょうか。

--
// Takayuki Nakamura
// arum...@ca2.so-net.or.jp


Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 12, 1996, 3:00:00 AM11/12/96
to

In article <1996Nov10.223016@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

>なんだか,粒子がお嫌いのようで^^;;;

嫌いというわけではないんですが、、、:-)

>粒子という概念は,私のイメージでは,多粒子系の波動関数がどうなっているか,
>粒子の座標に関する入れ換えに対する(全体の波動関数の)対称性がどうなって
>いるか,あるいは加算的量子数がどうなっているか,等を考えるときに,観測し
>なくても(波動関数を作る段階で)やっぱり必要になるとおもいます。

第二量子化(場の量子論)では、場に現れる座標は粒子の位置とは関係ない
ですよね?
座標が粒子の位置と考えるのは第一量子化の範囲ですね。

Ken-ichi Ohshima

unread,
Nov 13, 1996, 3:00:00 AM11/13/96
to

大島です。よーやく、ニュースサーバーが動いた(--;。

mizunoさんwrote:


>
>粒子の,存在確率に関する,確率振幅が,波として,伝わる(だから
>干渉もする),と考えればいいのではないでしょうか?
>#確率振幅が,というのは,粒子が,というのとは,違いますよね?
>(こういうのを,確率解釈,とよんでいるわけですが)

そうなのですが、、、、^^; 私のアタマの中では、そういう風に考えた瞬間に
「ゆらぐ粒子」像が消えてしまって、「透明な確率の波」のようなものに
なってしまう、という感じです。


>そういう法則を,確率的法則,と呼んではどうでしょうか?
>(あるいは,確率を正しく予言できる,という,法則).

これは、ぜんぜん本題とは関係ないかもしれませんが、
結構面白い話のような気がします。

たとえば、「条件Aがあれば、結果Bが得られる。
条件Aがなければ、結果はCである。」という物理法則
を誰かが提起したとします。

この場合、この法則どおりの実験結果がたくさん得られて、
かつ、法則に反する実験結果が一つも得られなければ、
この法則が証明されます(一つの成功事例では証明されません)。

逆に、条件Aのもとで、結果がBであったりCであったり
して、BとCの比率が半分づつであるならば、その法則は
認められず、因果関係がない、とみなされると思います。
この場合、「法則がない」ということだと思います。

その中間、B70%,C30%の場合は、「法則がある」と
「法則がない」の中間の状態であって、、、、という気が
するんです。昔、アインシュタインは、人間に宇宙の法則が
理解できることが不思議だと言ったそうですが、「法則が
ある」こと自体が不思議です。(^^;

Nambuさんwrote:


>第二量子化のフォーマリズムでは、波動関数は固有モードを規定している
>にすぎないですね。
>たとえば、マイクロウェーブの共振器中にはどういう固有モードがたつか?
>そういうものを計算しているわけですね。量子井戸の固有波動関数なんて
>まさにそのものです。
>電子が電磁場と違うのは、電子がフェルミ粒子であるがために、交換相互
>作用があるところでしょうか。

あまり詳しくはないですが、、、、(^^;
ボース粒子の場合は、形式上では、フォノンとかと区別つかないん
でしょうか? でも、根本的に違うものなんですよね。
数学的形式のみに本質があるのではない、ということでしょうか。


Mizunoさんwrote:


>電磁気学の発見以来,その本当の意味が,ゲージ理論として把握されるのに,
>80年かかったのだ,と彼は言います。であるから,量子力学の本当の意味は,
>あるいは supersymmetry の本当の意味を理解するにも,随分かかるであろう,
>というような意味だと思います。

これも関係ないですが(^^;、昔、sci.physicsに「重力って何なんだ?」ってい

質問を投稿していた人がいて、それに対して「そういう問いには答えられない
と思う」って答えたことがあります。そのとき出た話で、「水」というものを
を見たことのない子供に「水ってなに?」と聞かれたら、その答えは、

- 液体の一種 (->より一般的概念の一部だ、と言ってるだけなのでダメ)
- 透明で流れてしまうもの ( -> 性質を言ってるだけなのでダメ)
- ほら、これが水だよ (-> 実際のものを見せてるだけだからダメ)

など、「性質」か、「一般的概念の特殊例」であるか、「既知の
ものと同様のものとして還元する」か、「実際のものを見せるか」、しか
できなくて、結局「何か?」には何も答えてない、という話をしました。
でも、これらの知識を集めると、より深く「理解した」ことになるんで
しょうね。 量子力学が「より一般的な理論の特殊例」と考えられる
ようになる、というのは信じられませんが、David Gross氏の言う
「本当の意味の理解」というのはそういうことなのでしょうね。

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 13, 1996, 3:00:00 AM11/13/96
to

水野です.

In article <564pl1$a...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 問題に依存します。核と電子の相対運動(??) がモノをいうような問題に関しては、
> おっしゃる通りです。けれども、それと直接関係ない問題の際には、単に
> 「近似的にそう見なす」のではなく、「その問題に関しては原子の内部状態だ」と
> 断言しても、何ら支障はないと思いますが・・・

そういう意味では,定義により,そうなりますが,我々は,内部構造をすでに
知っているので,やっぱり近似であるとおもうでしょう。

例えば,原子核の陽子や中性子には,クォークやグルーオンの内部構造が
あることを知っていますが,その内部構造を考える必要がない問題も
たくさんあります.だから,その問題については,内部状態だ,
ということになるでしょう.しかし,その種の問題が,QCD和則でもって,
初めて,統一的に理解された,という例もあります.それが出来たのは,
何事に対しても断言せず,常に,近似であることを忘れてはいないからだ
という気がします.


>
>> あ,そうなのですか.例えば,例をあげていただけると,うれしいです.
>
> まさにピッタリなのが今回の例ではないでしょうか。「原子のある種の内部自由度」
> の波動関数を球面関数展開したものと、3次元回転とが同型対応をしているから、
> 電子の軌道(角)運動と解釈したのでなかったでしょうか。

今の場合,球面関数は,展開の便利な基底というよりは,角運動量の固有関数だと
思うので,わざわざ同型という概念に訴えることなく,私は理解しますが....

ただ,数学による,問題の抽象化が重要であることは,おっしゃる通りだと
思います.でも,それがなくても,具体的なものは,まずは具体的に理解出来ると
思います.


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 13, 1996, 3:00:00 AM11/13/96
to

水野です.

In article <566lse$3...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> (補足) 変数分離可能性と"個別"描像
> 議論の流れからは相当はずれますが、背後にもっと重要な問題が隠れていると
> 思うので・・・・

よく理解できないので,コメントします.

> もちろん、核と電子の質量比を考えれば、電子が固定されたクーロンポテンシャルの
> 中を運動しているという近似描像は大いに説得力がありますが、よく考えると
> 上の通りです。多体系の中の個別の構成要素の姿をとらえることにこだわると、
> かえって難しく、相対位置は原子の内部座標みたいに考えたほうがわかりやすい
> のではないでしょうか。

相対位置は,相対座標であって,内部座標というのこそ理解出来ません。
(なにか,新しい座標がいるとは思えない,ということです).

例えば,重陽子というのがあります.これは,陽子と中性子との
束縛状態であり,その波動関数は,まさに,相対運動の波動関数
となります.で,それだけのことです.何が問題なのでしょうか?


>
> #問題設定に依存しない描像を無意識のうちに求めようとしている点に、すでに
>  問題があると思います。もっとはっきり言うと、言語に依存せずに対象は規定
>  できないことを知りながら、その対象の個別実在を無意識に求めている点に
>  原因があるのではないでしょうか。

電子は電子であり,それは,普遍的なものだとおもいます.
その運動を記述する言語には,問題設定に依存して,いろいろな模型
(例えば,トーマスフェルミだとかハートレーフォックとか,...)
があることを,我々は,しっています。求めているのは,個別実在という
ようなものではなく,運動のよりよい理解であり,記述だとおもいます.

対象の個別実在というのは,素粒子であり,そのエレメンタリーな存在も性質も
よく分かっていますね。わからないのは,その複合系であり,そうなった時の
内部での粒子の運動形態です.個別実在は,別の実験で,すでに,わかっている
のではないでしょうか? わからないのは,運動なのだとおもいます.


>  自由空間を単独で飛び回っている電子にあるような個別実在と同じものを、
>  多体系の中の電子にまで求めていい根拠は実は無いのでは?必要すら無いのでは?

...ということで,私には理解出来ません。


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 13, 1996, 3:00:00 AM11/13/96
to

坂口です。


> そういう意味では,定義により,そうなりますが,我々は,内部構造をすでに
> 知っているので,やっぱり近似であるとおもうでしょう。

全体を一つと見ることよりも、むしろ、内部構造を近似して変数分離したかのように
解釈することの方がよほど「近似」では?
原子の電子軌道解釈なんて(特に多電子原子の場合は)完全に近似だと思いますが。

> それが出来たのは,
> 何事に対しても断言せず,常に,近似であることを忘れてはいないからだ
> という気がします.

おっしゃりたいことはわかりますが、「常に近似であることを忘れてはいないから」
ではなくて、「常により細かな近似還元法が存在する可能性があることを
忘れてはいないから」では?

> 今の場合,球面関数は,展開の便利な基底というよりは,角運動量の固有関数だと
> 思うので,わざわざ同型という概念に訴えることなく,私は理解しますが....

ちょっと説明不足があったようです。球面関数は展開の便利な基底というのでは
なくて、

原子のある種の内部自由度の固有関数が球面関数
         +            →回転運動解釈→電子の軌道運動
球面関数は3次元回転群と数学的同型対応がある

ということを申し上げていたのであり、すなわち、おっしゃっている
「球面関数は角運動量の固有関数」ということと同じです。

> ただ,数学による,問題の抽象化が重要であることは,おっしゃる通りだと
> 思います.でも,それがなくても,具体的なものは,まずは具体的に理解出来ると
> 思います.

数学による記述のおかげで「具体的なもの」が初めて規定できたのでは
なかったのでしょうか。 並進対称性や回転対称性を意識しない世界において
本当に○子が規定できるのか(もっとはっきり言うと、○子が存在するか)は、
決して自明ではないと思うのですが。
#先日の"怪物失言"の核心はこの問いにあったのですが。

> 相対位置は,相対座標であって,内部座標というのこそ理解出来ません。
> (なにか,新しい座標がいるとは思えない,ということです).

原子を1つだと考えると、位置座標は3つしかありませんから、複合系を
記述するためには、位置座標があと3つ要ります。これを原子の内部座標で
あると考えればいいのでは。少なくとも構成要素を無理に見いだそうとしない限り
「相対位置」なんて定義できませんから。

> 求めているのは,個別実在という
> ようなものではなく,運動のよりよい理解であり,記述だとおもいます.
>
> 対象の個別実在というのは,素粒子であり,そのエレメンタリーな存在も性質も
> よく分かっていますね。わからないのは,その複合系であり,そうなった時の
> 内部での粒子の運動形態です.個別実在は,別の実験で,すでに,わかっている
> のではないでしょうか? わからないのは,運動なのだとおもいます.

その「運動」の「よりよい理解や記述」が、構成要素の座標に関して変数分離
できないことが問題ですから、「複合体の様子」は議論できても、
「個々の構成要素の運動」は正確にいうと記述できないのではないでしょうか。
できるのは、どんな模型で分解していくかしか・・・


           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 14, 1996, 3:00:00 AM11/14/96
to

水野です. 今度は,場の演算子のイメージの話になってきましたね.

In article <568jrs$2...@obl1.obl.cl.nec.co.jp>, na...@obl.cl.nec.co.jp (Yoshihiro Nambu) writes:
> In article <1996Nov10.223016@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp says...

> 第二量子化(場の量子論)では、場に現れる座標は粒子の位置とは関係ない
> ですよね?
> 座標が粒子の位置と考えるのは第一量子化の範囲ですね。

これですが,...,えっと,ですね,私もようわからんですが,
場の演算子に出て来る座標,というのは,やっぱり(粒子の)座標だと思うのです。

ただ,それは,(粒子の)場,なので,その場は(その粒子が)いろんな状態を
とりうる無限の能力を持っている,ということを表現しているのであると思う
ので,その場を,粒子の状態の固有関数で展開すると,無限に項が出て来る,
というわけだと思います.これは,ノーマルモードでの展開と同じでしょう.
(ですから,その展開係数が,演算子になっている,というわけです)
....違うのかな?

ということで,場の演算子に出て来る座標というのは,あれは,やっぱり,
粒子がここにあるかもしれないという,粒子の座標可能性(?)のような量で,
坂口さん流にいえば,粒子座標もどき,というか,粒子の座標to be ,
みたいなもの,だとおもうのです.

ウ~ム,ちょっと苦しいですが.^^;;;

とにかく,言いたいことは,粒子の場があらわすものは,やっぱり(最終的
には=行列要素をとれば)粒子だ,というようなことです.


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 14, 1996, 3:00:00 AM11/14/96
to

水野です.

In article <3288A1...@super.win.or.jp>, Ken-ichi Ohshima <ohsh...@super.win.or.jp> writes:
>>#確率振幅が,というのは,粒子が,というのとは,違いますよね?
>>(こういうのを,確率解釈,とよんでいるわけですが)
>
> そうなのですが、、、、^^; 私のアタマの中では、そういう風に考えた瞬間に
> 「ゆらぐ粒子」像が消えてしまって、「透明な確率の波」のようなものに

確率の波が透明だ,というのは,なかなかいいですね.きっとそうだという
気がするのがいいです.
そして「ゆらぐ粒子」像とも矛盾しないかもしれない.


> その中間、B70%,C30%の場合は、「法則がある」と
> 「法則がない」の中間の状態であって、、、、という気が

その例は理解できませんが,....,

> 昔、アインシュタインは、人間に宇宙の法則が
> 理解できることが不思議だと言ったそうですが、「法則が
> ある」こと自体が不思議です。(^^;

これはとてもよく理解出来ます。


> - 液体の一種 (->より一般的概念の一部だ、と言ってるだけなのでダメ)
> - 透明で流れてしまうもの ( -> 性質を言ってるだけなのでダメ)
> - ほら、これが水だよ (-> 実際のものを見せてるだけだからダメ)

この例もとても面白いですね.

> でも、これらの知識を集めると、より深く「理解した」ことになるんで
> しょうね。 量子力学が「より一般的な理論の特殊例」と考えられる
> ようになる、というのは信じられませんが、David Gross氏の言う
> 「本当の意味の理解」というのはそういうことなのでしょうね。

彼は,We have to learn more. と言っていました。

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 14, 1996, 3:00:00 AM11/14/96
to

> ということで,場の演算子に出て来る座標というのは,あれは,やっぱり,
> 粒子がここにあるかもしれないという,粒子の座標可能性(?)のような量で,
> 坂口さん流にいえば,粒子座標もどき,というか,粒子の座標to be ,
> みたいなもの,だとおもうのです.

坂口流でもそうは言わんと思うんですが・・・・・

南部様のおっしゃているのは、そのことではなくって、第二量子化でやることは
各モードの「振幅」を位置みたいに思って量子力学にするけど、粒子の位置とは
関係ないよ、っていうことを、あのように表現された(つまり、生成消滅演算子が
定義される空間の座標の話であって、各モードのラベルとして付けられた座標や
もとの空間の座標の話ではない)のだと思うのですが・・・・

(南部様。違ってたらごめんなさい。)

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 14, 1996, 3:00:00 AM11/14/96
to

(補足)

2ヶ月ほど前に fj.sci.philosophy において以下のようなことを書きましたので、
今回の議論とからめて、自分で引用しておきます。
> 誤解の無いように申し上げておくと、「還元」を否定しているのではありません。
> 還元の手順の体系を整備することは、自然現象の一つの標準的記述法を構築する、
> 重要で有意義な作業です。ただ、問題は、還元のために必要な道具は、数学的・
> 言語的なものであって、それを敢えて物理的実体(??)になぞらえて解釈する
> 必然性は必ずしもないのではないか、という点です。
> ("実験"が言語に引きづられていることは、すでに何度も申し上げました。
>  つまり、その言語体系の特殊な道具のみで説明できる状況の"実現"です。)

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 14, 1996, 3:00:00 AM11/14/96
to

> 例えば,重陽子というのがあります.これは,陽子と中性子との
> 束縛状態であり,その波動関数は,まさに,相対運動の波動関数
> となります.で,それだけのことです.何が問題なのでしょうか?

そのとき、「重陽子の中で陽子がどんな運動をしているか」なんて問いが意味を
もちますか? あくまで、陽子-中性子 という"二体"系の運動が議論できる
だけです。 これは、構成要素の運動の様子と言うよりは、重陽子の様子です。

波動関数が構成要素の座標に関して変数分離できないような場合は、純粋状態の
密度作用素を片方の構成要素の自由度に関して部分トレースをとると、もはや
純粋状態ではなくなります。物理学の皆様がこの点をどう解釈していらっしゃる
のかは存じませんが、シロウトの私が教科書の定義通りに解釈すれば、この場合は
個々の構成要素の運動の様子を単独で取り出して理解することはできないと
解釈できると思います。

類似の問題には、「2スピン相互作用で、一重項状態においては、片方のスピンは
どちら向きか」みたいな無意味な問いがあります。 古典力学では、2体が
どのような相互作用をして運動しようとも、片方の構成要素だけの運動を記述・
議論することができます。その発想を当たり前のように感じていると、量子系では
戸惑うことになりますが、模型としてその発想を捨てていないあたりが、私には
理解しづらいところなのです。もちろん、メカニズムとしてのハミルトニアンが
古典系のどのような問題のハミルトニアンに対応するかという点からの「運動の
アナロジー解釈」ならできますが・・・・

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 15, 1996, 3:00:00 AM11/15/96
to

水野です. 近似とは,という件ですね.

In article <56birc$d...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
私:


>> そういう意味では,定義により,そうなりますが,我々は,内部構造をすでに
>> 知っているので,やっぱり近似であるとおもうでしょう。

坂口さん:


> 全体を一つと見ることよりも、むしろ、内部構造を近似して変数分離したかのように
> 解釈することの方がよほど「近似」では?

近似であることを知っている時(近似ということばを使う時,常に
そうですが),近似は近似であって,ただ,それだけです.つまり,
何をやっているか,わかってやっているのですから,近似したこと自体が
問題になることは,ないとおもいます.

> 原子の電子軌道解釈なんて(特に多電子原子の場合は)完全に近似だと思いますが。

近似でしょうね.
というか,やっぱり,なにをおっしゃりたいのか,私にはわかっていないんですね.


>
>> それが出来たのは,
>> 何事に対しても断言せず,常に,近似であることを忘れてはいないからだ
>> という気がします.
>
> おっしゃりたいことはわかりますが、「常に近似であることを忘れてはいないから」
> ではなくて、「常により細かな近似還元法が存在する可能性があることを
> 忘れてはいないから」では?

それも,忘れないでしょうね,普通の人は.(実際に,多くの場合,
必要に応じて,近似の精度をあげているのではんでしょうか?)
#だから,ご指摘の意味が,わかりません.すいません.

>
>
>> ただ,数学による,問題の抽象化が重要であることは,おっしゃる通りだと
>> 思います.でも,それがなくても,具体的なものは,まずは具体的に理解出来ると
>> 思います.
>
> 数学による記述のおかげで「具体的なもの」が初めて規定できたのでは
> なかったのでしょうか。 

それは,当然ですが....

> 並進対称性や回転対称性を意識しない世界において
> 本当に○子が規定できるのか(もっとはっきり言うと、○子が存在するか)は、
> 決して自明ではないと思うのですが。

それは,いまさら,あたりまえのことなので,それがなにか問題であったかの
ようにおっしゃることの意図が,まだ,見えないです.すいません.

すでによく分かっていることがあったとして,それを意識しない世界?
を考えるとは,どういうことでしょうか?
そもそも,そういうことを考えることで,何が得なのでしょうか?
どういうことを学べるのか? ということです.それが,さっぱりわかりません.

物理を語る言葉が数学であることは,誰でも知っていることですよね?

だから,どういう言葉(どういう数学)で,その物理を語るか,ということに
「物理の記述」が依存しないわけはないです.でも,その違いがあるんだよ,
ということを,いまさらのように,言われても,そうですよ,それがどうか
したのですか?(それを指摘することに,どういう意味があるんですか?)
ということになるのです.(なぜかというと,全部,わかっていることだから).

> #先日の"怪物失言"の核心はこの問いにあったのですが。

あれも(ちゃんと読まなかったですが),なぜ,何が問題なのか,
全然理解していません。すいません.


>
>
>> 相対位置は,相対座標であって,内部座標というのこそ理解出来ません。
>> (なにか,新しい座標がいるとは思えない,ということです).
>
> 原子を1つだと考えると、位置座標は3つしかありませんから、複合系を
> 記述するためには、位置座標があと3つ要ります。これを原子の内部座標で
> あると考えればいいのでは。少なくとも構成要素を無理に見いだそうとしない限り
> 「相対位置」なんて定義できませんから。

構成要素がはっきりしている場合もあれば,不明確な場合(例えば,核子の
中のクォークとかグルーオンの座標が,そういう例かな?)もあると
思います.でも,構成要素を無理に見いだしているかどうかは,その問題を
扱う人が,一番よくしっていることでしょう.

原子の場合は,何をやっているのか,よくわかっているとおもいます.


>
>> 求めているのは,個別実在という
>> ようなものではなく,運動のよりよい理解であり,記述だとおもいます.
>>

> その「運動」の「よりよい理解や記述」が、構成要素の座標に関して変数分離
> できないことが問題ですから、「複合体の様子」は議論できても、
> 「個々の構成要素の運動」は正確にいうと記述できないのではないでしょうか。
> できるのは、どんな模型で分解していくかしか・・・

え,そうなんでしたっけ? 純粋にテクニカルな質問ですが,変数分離出来ない?

解いた後で,変数変換をすれば,(個々の構成要素の運動の様子を
それとして,提出して見せる事は)出来るのではないのかな?
例えば調和振動子の場合には,解析的にも出来たのではなかったのかな?
(タルミ・モシンスキー変換とかありましたね?)

でもたとえ解析的に出来なかったとしても,原理的な問題があるわけでは
ないし,綺麗には書けないかもしれないが,出来ないことではないのでは??

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 15, 1996, 3:00:00 AM11/15/96
to

水野です. ちょっと前の記事ですが...

坂口さんは,こういうこと(下記)が,おっしゃりたいんですよね?


In article <56109t$m...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 最近も別なスレッドで度々申し上げているように、「対象の正体は何か」よりも、
> 「対象をどのように規定するか」「対象をどのように見なすか」の方が、自然現象を
> 理解する上で重要ではないのいでしょうか。

これだけ取り出してみると,まあ,あたりまえ,というか,正しいことを
おっしゃっているんではないですか?

対象を理解するために,別の人がそれぞれ別の模型を出してきて,
(別の数学的表現で)議論することは,しょっちゅう,あるのではないでしょうか?

でもその目的は,やっぱり「対象の正体はなにか?」ということだとおもいます.

対象の正体といっても,そのすべて,ではないですよね?
それが対象のどういう性質を捉えるための模型か? という問題設定によると
思います.

でも,そういうことは,いまさら指摘するまでのこともなく,当たり前
のことではないでしょうか?

例えば,原子核物理学の教科書には,原子核の構造(=構成要素の運動形態)
を理解する模型と構造,その意味は? というようなことが,必ず議論して
あります.それは,おそらくどんなxx物理学でも,同様ではないでしょうか?

ですから,いやしくも物理をやっている人にとっては,模型の意味の
理解のようなことは,当たり前といえば当たり前であって,So what ?
というところでは?


そして,原子核の模型にはいろいろあるというわけです.
でも知りたい事は,模型を通じてではありますが,やっぱり,
原子核の構造(という抽象的なもの)を理解したい,というわけです.

でも,模型は模型だということを,よくわかってやっているとおもいますよ.
というのは,その模型の成立の根拠,ということまで,必ず議論されますから,
その限界を承知でやっていることは,わかりますよね?


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 15, 1996, 3:00:00 AM11/15/96
to

坂口です。

近似の話や数学言語や模型の話は長くなるのでまた新ためてポストします。

きょうはとりあえず・・・・

> え,そうなんでしたっけ? 純粋にテクニカルな質問ですが,変数分離出来ない?
>
> 解いた後で,変数変換をすれば,(個々の構成要素の運動の様子を
> それとして,提出して見せる事は)出来るのではないのかな?
> 例えば調和振動子の場合には,解析的にも出来たのではなかったのかな?
> (タルミ・モシンスキー変換とかありましたね?)

(X+cY)^2 + (X-cY)^2 = 2(X^2+c^2Y^2)
なんか利用すると変数分離できる特殊な場合はあるでしょう。
調和振動子の場合もこの例では?

一般の場合は、変数変換 (X,Y)→(u,v) すると
Ψ(X)Φ(Y) → ψ(u,v)
において、ψ(u,v)はuのみの関数とvのみの関数の積には書けません。
(変数分離型の展開ならできますが、1項だけでは無理です)

たとえば、先日挙げたスピン1重項の例では、
(|↑>_1 |↓>_2 -|↓>_1 |↑>_2 )/¥sqrt{2}
のように最低でも2項必要になり、個々の構成要素の自由度に変数分離できません。
つまり、個々の構成要素の様子を記述しているのではなく、あくまで2つの
構成要素の関係の様子に関する記述になると思います。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 16, 1996, 3:00:00 AM11/16/96
to

再び坂口です。

Re: spin の議論における水野様のご指摘を受けまして、
「近似」「数学言語」「模型」「要素還元」について。

予めおことわりしておきますと、それらが悪いとか間違っているとか誤解されている
とかいう問題を指摘するつもりは一切ありません。先日の記事の言葉遣いに
やや過激な表現がいくつかありましたことをお詫びいたします。

そうではなくて、以下の議論では、これらを用いて自然現象を理解することが
どういうことであるのか、これらによって規定される物理的実在(??)はどういう
意味において"存在"していると見なせるのか、という素朴な疑問です。

したがって、このグループで議論するにはやや不適切なテーマかも知れませんが、
話が物理学の理論に深く関連していますので、ここにて問題提起させて頂きます。
#スピンや軌道角運動量の問題からは離れるので、サブジェクトを変えます。
 ただし、今までの議論の流れを引用すると長くなるので、その続きの部分から。


水野様:


> それは,いまさら,あたりまえのことなので,それがなにか問題であったかの
> ようにおっしゃることの意図が,まだ,見えないです.すいません.
>
> すでによく分かっていることがあったとして,それを意識しない世界?
> を考えるとは,どういうことでしょうか?
> そもそも,そういうことを考えることで,何が得なのでしょうか?
> どういうことを学べるのか? ということです.それが,さっぱりわかりません.
>
> 物理を語る言葉が数学であることは,誰でも知っていることですよね?
>
> だから,どういう言葉(どういう数学)で,その物理を語るか,ということに
> 「物理の記述」が依存しないわけはないです.でも,その違いがあるんだよ,
> ということを,いまさらのように,言われても,そうですよ,それがどうか
> したのですか?(それを指摘することに,どういう意味があるんですか?)
> ということになるのです.(なぜかというと,全部,わかっていることだから).

> 対象を理解するために,別の人がそれぞれ別の模型を出してきて,


> (別の数学的表現で)議論することは,しょっちゅう,あるのではないでしょうか?
>
> でもその目的は,やっぱり「対象の正体はなにか?」ということだとおもいます.
>
> 対象の正体といっても,そのすべて,ではないですよね?
> それが対象のどういう性質を捉えるための模型か? という問題設定によると
> 思います.
>
> でも,そういうことは,いまさら指摘するまでのこともなく,当たり前
> のことではないでしょうか?

私はこれらの問題をそれほど簡単なものとは考えておりません。

使用言語に依存しないで「対象」が規定できますか?

「対象の正体はなにか?」という問いの中に、すでに
「使用言語の選択に依存しない対象」の存在を暗に前提としていませんか?

先日の記事において、「対象をいかに規定するか・どう見なすか、
という問いの方が重要では?」と申し上げたのは、このためです。

もっとも、ある研究者集団が「ある言語を標準言語と決め、その言語で規定される
問題を自然科学の対象とみなす」と取り決めすれば、この問題は一応は
解決したように見えます。けれども、そのとき、その「対象」が自然現象と
本当に関係がありますか?

○子の存在というのは、こういう問題だと思うのですが・・・

#物理学批判の意図はありません

> 例えば,原子核物理学の教科書には,原子核の構造(=構成要素の運動形態)
> を理解する模型と構造,その意味は? というようなことが,必ず議論して
> あります.それは,おそらくどんなxx物理学でも,同様ではないでしょうか?
>
> ですから,いやしくも物理をやっている人にとっては,模型の意味の
> 理解のようなことは,当たり前といえば当たり前であって,So what ?
> というところでは?
>
>
> そして,原子核の模型にはいろいろあるというわけです.
> でも知りたい事は,模型を通じてではありますが,やっぱり,
> 原子核の構造(という抽象的なもの)を理解したい,というわけです.
>
> でも,模型は模型だということを,よくわかってやっているとおもいますよ.
> というのは,その模型の成立の根拠,ということまで,必ず議論されますから,
> その限界を承知でやっていることは,わかりますよね?

これはよく理解できます。模型の解釈で混乱させられるには、いつも私のような
シロウトですから。今回のスピンの議論も、どちらかというとセミプロや
アマチュアに相当する方々が、模型そのものに物理解釈を無理に見いだそうと
しているのが原因で起こったと思います。プロの方々は、模型がどういう意味で
模型なのかを知り抜いていらっしゃいますから・・・・

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

水野です.

In article <56eosk$c...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> (補足)
> 2ヶ月ほど前に fj.sci.philosophy において以下のようなことを書きましたので、
> 今回の議論とからめて、自分で引用しておきます。
>> 誤解の無いように申し上げておくと、「還元」を否定しているのではありません。
>> 還元の手順の体系を整備することは、自然現象の一つの標準的記述法を構築する、
>> 重要で有意義な作業です。ただ、問題は、還元のために必要な道具は、数学的・
>> 言語的なものであって、それを敢えて物理的実体(??)になぞらえて解釈する
>> 必然性は必ずしもないのではないか、という点です。

あらゆる事を,原理的に疑ってみる事が出来るのが,物理学の特徴だと思います.
そこが素晴らしいところでしょうね.だから,それに魅かれるのかも.

でも,物理的実体というのは,なぞらえる,などというものでしょうか?
存在するから,あるいは,存在すると(ある根拠に基づいて)思うから,
それを,考えるのではないでしょうか?

物理を考える時,数学や,言語は,必ず必要ですし,それを誰も否定しはしない
(当たり前の事と思う)でしょう.

だけれど,数学や言語が先にあるのでは無い,とまあ,私は,素朴に
おもっとりますです。

それが,まるで逆ではないか?というような物言いをされると,
なんかちょっと,違うと感じます。

物理学が,単なる(と敢えて申し上げます)数学になってしまうのは,
かえって危険ではないですか? 数学は,それでまた素晴らしいです.
本当に素晴らしいとおもいます.でも,物理学が目指すものとは違う
わけですよね?


>> ("実験"が言語に引きづられていることは、すでに何度も申し上げました。
>>  つまり、その言語体系の特殊な道具のみで説明できる状況の"実現"です。)

これも,まあ,当たり前だと(私などは)思いますよ.

言語体系,というのは理論,というようなことで,それは,その時の法則と
しての,物理学のパラダイムを規定していますから,それから逃れるのは,
なかなか困難でしょう.(ある意味では,不可能に近いように,見えます).

でもまあ,そういうようなことは,みんなわかってやっているんではないですか??

それでも,ですね,そういうことをよくわかっている人々もいて,
物理学として,なんとかそれを越えたい,とまあ,おもっているわけです.
で,そういうのが,総体として,物理学なのである,ということです.

こういうことも,ご理解いただけますよね?


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

水野です.

In article <56f35v$l...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
>> 例えば,重陽子というのがあります.これは,陽子と中性子との
>> 束縛状態であり,その波動関数は,まさに,相対運動の波動関数
>> となります.で,それだけのことです.何が問題なのでしょうか?
>
> そのとき、「重陽子の中で陽子がどんな運動をしているか」なんて問いが意味を
> もちますか? あくまで、陽子-中性子 という"二体"系の運動が議論できる
> だけです。 これは、構成要素の運動の様子と言うよりは、重陽子の様子です。

これを機会に確認したいと思いますが,知りたいとおもったら,陽子だけの
(あるいは中性子だけの)波動関数を知ることは,できるとおもっております。
知る必要があるかどうかは別にしてですが。
#違っていたら,恥だなー。

要するに,重心運動を抜くということの具体的な内容ですね.
こういう計算は,出来るはずですねどね(自分でやったことはない).
重心からの相対座標で書けばいいですが,その厳密性のチェックです.


>
> 類似の問題には、「2スピン相互作用で、一重項状態においては、片方のスピンは
> どちら向きか」みたいな無意味な問いがあります。

おー,これが無意味だとわかっておられるならば,問題ないですね.


> どのような相互作用をして運動しようとも、片方の構成要素だけの運動を記述・
> 議論することができます。その発想を当たり前のように感じていると、量子系では
> 戸惑うことになりますが、模型としてその発想を捨てていないあたりが、私には
> 理解しづらいところなのです。

え,そーゆーことが問題なのですか?

量子論的には,粒子番号を付けられないからだ,ということではだめですか?


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

水野です.

In article <56jpm8$i...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> Re: spin の議論における水野様のご指摘を受けまして、
> 「近似」「数学言語」「模型」「要素還元」について。

> やや過激な表現がいくつかありましたことをお詫びいたします。

いえいえ,坂口さんの紳士的な議論の姿勢には,みなさん好意的に
みておられるとおもいますよ.#別にそれが必要ではなく,内容が大事ですが.

>
> そうではなくて、以下の議論では、これらを用いて自然現象を理解することが
> どういうことであるのか、これらによって規定される物理的実在(??)はどういう
> 意味において"存在"していると見なせるのか、という素朴な疑問です。

これも,誰もが抱く疑問でしょうね.
私で役不足であれば,私の友人でもある太田さん(理研)にご登場を
お願いしますので,お手柔らかに^^;;; #ジョーダンに近いです。^O^


さて:
> したがって、このグループで議論するにはやや不適切なテーマかも知れませんが、
> 話が物理学の理論に深く関連していますので、ここにて問題提起させて頂きます。
>
私:


>> それは,いまさら,あたりまえのことなので,それがなにか問題であったかの
>> ようにおっしゃることの意図が,まだ,見えないです.すいません.

(ウンヌン)
.....


>> でも,そういうことは,いまさら指摘するまでのこともなく,当たり前
>> のことではないでしょうか?
>
> 私はこれらの問題をそれほど簡単なものとは考えておりません。
> 使用言語に依存しないで「対象」が規定できますか?

このご指摘の意味そのものが,理解できません.
できないことがあたりまえなのでは???

でも,実体はあるでしょう.


>
> 「対象の正体はなにか?」という問いの中に、すでに
> 「使用言語の選択に依存しない対象」の存在を暗に前提としていませんか?

いません.あるから,ある,それだけです.

でも,それはある様に見えるだけ,なのかどうか,という点については,
物理学の歴史をひもとくまでもなく,我々は幾多の失敗を繰り返して
きたわけです.でも,それも常識ですよね???

それが,人間の認識能力の限界ではないでしょうか?

でも多少とも救われる事は,我々は,そういう限界を,よく理解
している,ということだとおもいます,

>
> 先日の記事において、「対象をいかに規定するか・どう見なすか、
> という問いの方が重要では?」と申し上げたのは、このためです。

お気持,わかります.でも,分野を引っ張っているほどの人材は,
おそらくそういうことを,よーく分かった上で,研究をしている
ことでしょう.

>
> もっとも、ある研究者集団が「ある言語を標準言語と決め、その言語で規定される
> 問題を自然科学の対象とみなす」と取り決めすれば、この問題は一応は
> 解決したように見えます。けれども、そのとき、その「対象」が自然現象と
> 本当に関係がありますか?

それも,そういう人々は,よーくわかっているはずです.
彼らが書いた教科書には,そういうことが書いてあって,それがその世代と
次世代のパラダイムを作るのでしょう.

> #物理学批判の意図はありません

そういうことも,私は,感じられますから,ご安心下さい。


>> でも,模型は模型だということを,よくわかってやっているとおもいますよ.
>> というのは,その模型の成立の根拠,ということまで,必ず議論されますから,
>> その限界を承知でやっていることは,わかりますよね?
>
> これはよく理解できます。模型の解釈で混乱させられるには、いつも私のような
> シロウトですから。今回のスピンの議論も、どちらかというとセミプロや
> アマチュアに相当する方々が、模型そのものに物理解釈を無理に見いだそうと
> しているのが原因で起こったと思います。プロの方々は、模型がどういう意味で
> 模型なのかを知り抜いていらっしゃいますから・・・・

みなさんの真摯な議論には,感銘を受けます。でも,プロと言われる程の
人々の厳しさも,であればこそ,同時に理解も出来るかとおもいます.

だいたい,自分が日々扱っている,(それをもって,なにかを理解している
はずの)模型が,空虚であることを,長期間,疑問も抱かずに,居られる
人がいるでしょうか?

残念ながら,模型を通じてしか,我々は,自然を理解できないわけですが,
常に,その模型というものの意味,というのは,厳しく反省され続けている
とおもいますよ.

逆にいいますと,その模型の意味も限界もよくわかっていて,
だから,あとその模型でもって,あと何年くらい飯がくえるか,
ということがジョーダンのネタになっています,といえば,だいたいの
ことはわかっていただけるでしょうか? わかりますよね?


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

水野です.

In article <56gn7p$p...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 坂口です。
> 近似の話や数学言語や模型の話は長くなるのでまた新ためてポストします。

おてやわらかに.^^


で:


> 一般の場合は、変数変換 (X,Y)→(u,v) すると
> Ψ(X)Φ(Y) → ψ(u,v)
> において、ψ(u,v)はuのみの関数とvのみの関数の積には書けません。
> (変数分離型の展開ならできますが、1項だけでは無理です)

そういう意味ですか.そりゃそうだわ.
でもまあ,それでもかまわん,という人が多いのでしょうね.
結局,観測量が計算できたらいい,というように.

で,坂口さんのご指摘は,「それは物理ではないんでないの?」という
ことですよね?

で,そういう疑問を一旦持つと,物理ってなんだろう? と悩んでしまう。

原理的,普遍的な法則性と,定量性(数字が出せる)というようなことなんで
しょうかね?
でもその境界があるわけではなく,その姿もどんどん変わっているし,
なんでも取り込んで行く自由度もあるし,物理観も人其れ其みたいだし。

>
> たとえば、先日挙げたスピン1重項の例では、
> (|↑>_1 |↓>_2 -|↓>_1 |↑>_2 )/¥sqrt{2}
> のように最低でも2項必要になり、個々の構成要素の自由度に変数分離できません。
> つまり、個々の構成要素の様子を記述しているのではなく、あくまで2つの
> 構成要素の関係の様子に関する記述になると思います。

ここは,ちょっとおかしいのでは?
これはもともと,2つの同種フェルミ粒子が空間的に近くにあって
量子論的に(ミクロのスケールで)粒子相関がある時に
2粒子が区別出来ない,ということを表現している式ですよね?

変数分離できない時には,こうなるよ,という式ですから,分離できないのは,
あたりまえですよね?


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

水野です.

In article <56m7sq$6...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 坂口です。

>> 要するに,重心運動を抜くということの具体的な内容ですね.
>> こういう計算は,出来るはずですねどね(自分でやったことはない).

>
> のように変数分離でき、エネルギー固有状態の波動関数も
> Σ Φ(q_+)Ψ(q_-)
>
> さて、変数変換(q_+、q_-)→(q_1、q_2)によって元の各構成要素の座標に
> 戻したとき、波動関数がそれがq_1だけの関数とq_2だけの関数の積に
> 書けるでしょうか?
>
> 例外なら簡単に見つかって、

これは,きっとそうでしょう.一般的には,書けないかもしれません.
そういう重心系の運動の補正というのは,原子核物理学では,あまり
大きくないので,そういう時には,調和振動子の場合(これは解析的に
出来たはず)の時の補正係数を利用して,補正をしていたはずです.

で,補正が大きい時には,やっぱり展開になるんでしょうね.
そういう展開の収束が早くなるように,きっと工夫をしたりするんだと
思います.

で,そういうのが,物理なの? と言われると,しょーがないんじゃない?
ということになるんでしょう.

こんないい加減な回答では,だめでしょうか? ^^;;

> 複数項の展開になるということは、相棒の構成要素の波動関数を指定しなければ
> 知りたい構成要素の波動関数が決まらないということですよね。

すいません,ここ,理解出来ません。相関しているのだから,
波動関数にもその影響がないわけはない,というのではだめですか?

出来るだけ独立になるように,解く分けですが,それでもどこかに相互の
影響がある,という事実は,かならず出てきますよね?
(そうでなければ,かえっておかしいですよね?)


> けれども、異種粒子の相対運動の場合のように区別できる場合でも、変数分離
> 不可能なことが、個別の構成要素の運動は単独では記述できない、という
> 先日から申し上げている大きな問題を生み出していると思います。

もともと,無理な場合に,それは無理だ,ということをおっしゃっているのでは?

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

坂口です。(説明不足があったので、一旦キャンセルして第2版です。)


水野様の以下のご指摘について


> これを機会に確認したいと思いますが,知りたいとおもったら,陽子だけの
> (あるいは中性子だけの)波動関数を知ることは,できるとおもっております。
> 知る必要があるかどうかは別にしてですが。
> #違っていたら,恥だなー。
>

> 要するに,重心運動を抜くということの具体的な内容ですね.
> こういう計算は,出来るはずですねどね(自分でやったことはない).

> 重心からの相対座標で書けばいいですが,その厳密性のチェックです.

調和振動子か何かで例外的に変数分離できる場合かもしれませんが、一般には
以下の問題になると思います。ここでは簡単のために、1次元の場合。

添字 _1 と _2 で表される2つの構成要素があるとします。これらの複合系の
ハミルトニアンが

H = P_1^2 + P_2^2 + V(Q_1-Q_2)

(QとPはそれぞれ位置演算子・運動量演算子。細かなfactorは省略しました。)

であるとき、変数変換

q_+ = q_1 + q_2

q_- = q_1 - q_2

により、

H = H_+ + H_-

H_+ = P_+^2 /2

H_- = P_-^2 /2 + V(Q_-)

のように変数分離でき、エネルギー固有状態の波動関数も、それぞれの固有関数の積

Σ (const) Φ(q_+)Ψ(q_-)

型の線型和になります。ただし、ここで和をとるのは、H_+のエネルギー固有値と
H_-のエネルギー固有値の和が一定値になるような項に制限されます。

さて、問題は、逆変数変換(q_+、q_-)→(q_1、q_2)によって元の各構成要素の
座標に戻したとき、波動関数がそれがq_1だけの関数とq_2だけの関数の積に
書けるでしょうか?

例外なら簡単に見つかって、たとえば全エネルギーがH_-の基底状態以上で
2番目の固有値以下の場合、線型和の資格を満たす項はΨ(q_-)が基底状態の
項のみとなりますから、2項のみになります。つまり、波動関数は

A exp(i k q_+)Ψ_0(q_-) + B exp(- i k q_+)Ψ_0(q_-)

 = [A exp(i k q_+)+B exp(- i k q_+)] Ψ_0(q_-)

    (k=¥sqrt{E-E_+_0}  添え字_0は基底状態を表す)

のように、q_+のみの関数とq_-のみの関数の積になります。この場合には、
逆変数変換(q_+、q_-)→(q_1、q_2)によって得られる波動関数
ψ(q_1,q_2)は、 q_1だけの関数とq_2だけの関数の積 η(q_1)χ(q_2) には
明らかに書けません。
(複数項の展開 Σ_j η_j(q_1) χ_j(q_2) ならできますが)

こういう展開になるということは、相棒の構成要素の波動関数 χ_j(q_2) を
指定しなければ、知りたい構成要素の波動関数 η_j(q_1) が決まらない
ということですよね。これはスピン1重項の場合と同じ状況ではないのでしょうか。

#上記の議論に間違いがあればご指摘下さい。


> え,そーゆーことが問題なのですか?
>
> 量子論的には,粒子番号を付けられないからだ,ということではだめですか?

うっかりしておりました。同種の場合はこれがまず大きな相違ですね。
けれども、古典系との相違はそれだけではありません。
異種粒子の相対運動の場合のように区別できる場合でも、変数分離不可能なことが、
個別の構成要素の運動は単独では記述できない、という
先日から申し上げている大きな問題を生み出していると思います。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 17, 1996, 3:00:00 AM11/17/96
to

坂口です。
#前回投稿の記事の追加訂正に伴うキャンセルと、水野様からのレスが行き違いに
 なってしまいました。すみません。(但し、第2版も、話の大筋は全く同じです)

(以下、水野様からの2通のレスについて。引用の順序は一部入れ替えました。)


> そういう意味ですか.そりゃそうだわ.
> でもまあ,それでもかまわん,という人が多いのでしょうね.
> 結局,観測量が計算できたらいい,というように.

「変数分離」の意味に関してこちらの説明不足があったようです。
波動関数そのものが知りたい、という観点で議論しておりました。

確かに、物理量の期待値の時間発展や、相棒側を特別な状態に指定して部分内積を
とったときの波動関数の時間発展は求まるでしょう。


> すいません,ここ,理解出来ません。相関しているのだから,
> 波動関数にもその影響がないわけはない,というのではだめですか?
>
> 出来るだけ独立になるように,解く分けですが,それでもどこかに相互の
> 影響がある,という事実は,かならず出てきますよね?
> (そうでなければ,かえっておかしいですよね?)

もちろん相関しているからそうなんですけど、古典力学の場合は相互作用が
あっても個別の粒子の運動を記述できますよね。この違いを申し上げていたの
です。

で、そういうこと自体は何も問題ではないんですが、相関している場合に片方の
構成要素がどんな姿をしているかなんて問いが出てきたから(原子中の電子)、
背後にあるそういう問題点を指摘したまでです。なぜ素人にわかりにくいか。

> これは,きっとそうでしょう.一般的には,書けないかもしれません.
> そういう重心系の運動の補正というのは,原子核物理学では,あまり
> 大きくないので,そういう時には,調和振動子の場合(これは解析的に
> 出来たはず)の時の補正係数を利用して,補正をしていたはずです.

これは勉強になりました。

> ここは,ちょっとおかしいのでは?
> これはもともと,2つの同種フェルミ粒子が空間的に近くにあって
> 量子論的に(ミクロのスケールで)粒子相関がある時に
> 2粒子が区別出来ない,ということを表現している式ですよね?
>
> 変数分離できない時には,こうなるよ,という式ですから,分離できないのは,
> あたりまえですよね?

> もともと,無理な場合に,それは無理だ,ということをおっしゃっているのでは?

ええと、ちょっとスピン1重項の例は良くなかったようですね。同種粒子だと
ご指摘の問題がまず先にありますから、変数分離どころじゃありませんね。
だったら異種のフェルミ粒子ではどうでしょうか。

H = H_1 + H_2 - a(S_1_x S_2_x + S_1_y S_2_y + S_1_z S_2_z)

(こんな系あったっけ? どちらの粒子もスピン以外の角運動量が0状態の場合)
この場合でも話は同じで、一重固有値に属する固有ベクトルは
|ψ>_1 |χ>_2 (|↑>_1 |↓>_2 -|↓>_1 |↑>_2 )/¥sqrt{2}
のように展開に2項必要となり、個々の構成要素の自由度に変数分離できません。
(x方向やy方向のスピン基底を用いて表現しても、やはり2項必要です。)
この場合のスピンの状況は、重陽子の場合の位置や運動量の状況と似ていませんか?


> で,坂口さんのご指摘は,「それは物理ではないんでないの?」という
> ことですよね?

> で,そういうのが,物理なの? と言われると,しょーがないんじゃない?
> ということになるんでしょう.

そこまで酷いこと言うつもりは・・・・

ただ、専門家の方々が、そのことを気にしていらっしゃらないとしたら、
気にしなくてもよい理由があると思うのです。それが知りたいのです。

> で,そういう疑問を一旦持つと,物理ってなんだろう? と悩んでしまう。
>
> 原理的,普遍的な法則性と,定量性(数字が出せる)というようなことなんで
> しょうかね?
> でもその境界があるわけではなく,その姿もどんどん変わっているし,
> なんでも取り込んで行く自由度もあるし,物理観も人其れ其みたいだし。

これは難しい問題を含んでいるのではないでしょうか。
私はシロウトなのでよくわかりませんが、物理の研究者の方々の間で
この問題に関してどの程度コンセンサスが得られているのでしょうか。

#これらに関しては、Model and Language のスレッドで、
 また議論いたしましょう。(今日は長くなるので・・・・)

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 18, 1996, 3:00:00 AM11/18/96
to

水野です.

In article <56ml7s$e...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> で、そういうこと自体は何も問題ではないんですが、相関している場合に片方の
> 構成要素がどんな姿をしているかなんて問いが出てきたから(原子中の電子)、
> 背後にあるそういう問題点を指摘したまでです。なぜ素人にわかりにくいか。

ウム,そこが問題でしたか.
大抵の場合,物理量(行列要素)の計算の時の,重心の補正については,
解決しているはずです.

例えば,核子のある模型が提案されたあと,そういう問題が出てきて,
その模型における重心運動の補正をどうやるか,ということで,博士論文
になった例もあります.

相関した2粒子の運動の時,古典的にも,2粒子の重心のまわりの
1粒子の運動が,相手粒子の影響を受ける事は当たり前(一般には)で
しょうから,個別にあたるしかないでしょうね.一般論がありますか?

多体系の重心の補正に関する一般論の論文は,みたことあります.
1950年代に原子核物理で議論されたことがありました.

>
>> これはもともと,2つの同種フェルミ粒子が空間的に近くにあって
>> 量子論的に(ミクロのスケールで)粒子相関がある時に
>> 2粒子が区別出来ない,ということを表現している式ですよね?

> ええと、ちょっとスピン1重項の例は良くなかったようですね。同種粒子だと
> ご指摘の問題がまず先にありますから、変数分離どころじゃありませんね。
> だったら異種のフェルミ粒子ではどうでしょうか。

まったく異種のフェルミ粒子だったら,区別できる,というわけですよね?
そういうときには,反対称化する必要はないとおもいますが....


> のように展開に2項必要となり、個々の構成要素の自由度に変数分離できません。
> (x方向やy方向のスピン基底を用いて表現しても、やはり2項必要です。)

まったく異種だったら,直積で,いいんではないですか?


> この場合のスピンの状況は、重陽子の場合の位置や運動量の状況と似ていませんか?

似ているとおもわれるでしょうが,普通は,2核子系だとおもって,
アイソスピンでもって陽子と中性子を区別しています.
だから,同種フェルミ粒子系となります.普通の空間と,スピン空間と,
アイソスピン空間と,3つの空間の波動関数の積になります。で,粒子番号を
付け替えた時に,全体として,反対称になるように,波動関数を
作ります。だから,ようするに,2粒子を区別できないので,分離は
そういう意味で,出来ないと思います。


>
>> で,坂口さんのご指摘は,「それは物理ではないんでないの?」という
>> ことですよね?
>

> ただ、専門家の方々が、そのことを気にしていらっしゃらないとしたら、
> 気にしなくてもよい理由があると思うのです。それが知りたいのです。

そこに,なにか,新しい問題があるとは思えないからでしょう(推測するに).
あるいは,きっと,現実に,こまることがないから.

>
>> で,そういう疑問を一旦持つと,物理ってなんだろう? と悩んでしまう。
>> 原理的,普遍的な法則性と,定量性(数字が出せる)というようなことなんで
>> しょうかね?
>> でもその境界があるわけではなく,その姿もどんどん変わっているし,
>> なんでも取り込んで行く自由度もあるし,物理観も人其れ其みたいだし。
>
> これは難しい問題を含んでいるのではないでしょうか。
> 私はシロウトなのでよくわかりませんが、物理の研究者の方々の間で
> この問題に関してどの程度コンセンサスが得られているのでしょうか。

得られていない,というところに自由度があるとおもわれませんか?

場の量子論の定式化一つを取ってみても,いろいろは見方,考え方
があるのではないでしょうか?
相対性理論の理解の仕方にしても,電磁気学の整理の仕方にしても,
超対称性の理解にしても,我々は,常に学んでいるという面があると
おもいます.そのことに,コンセンサスがある必要はあるでしょうか?


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 18, 1996, 3:00:00 AM11/18/96
to

坂口です


> 相関した2粒子の運動の時,古典的にも,2粒子の重心のまわりの
> 1粒子の運動が,相手粒子の影響を受ける事は当たり前(一般には)で
> しょうから,個別にあたるしかないでしょうね.一般論がありますか?

すいません。ちょっとまだ意味が通じていないようです。

確かに古典系でも互いに影響を受けるんですけど、そのことが量子系の相関に
対応していて、そのとき量子系では個別の構成要素だけの姿を規定できないことが、
シロウト目にはわかりにくいという主張です。

古典系では、互いに影響を受けて運動していても、粒子1の運動だけを記述したり
論じたりできます。(たとえば、相互作用がクーロン力なら、重心の並進運動と
相対座標の楕円運動の合成で、片方だけの粒子の運動が記述できます。)
量子系では2つの構成要素の波動関数を変数分離できないので、粒子1だけの
波動関数を論じることはできない、という点が異なるという指摘です。

したがって、シロウトが複合系の中での個々の構成要素の運動の様子を無理に
見出そうとするよりは、複合体を1つのものとみなして、相対運動は内部状態に
喩えた方がわかりやすいのでは、というのが、そもそもの主張でした。

> まったく異種のフェルミ粒子だったら,区別できる,というわけですよね?
> そういうときには,反対称化する必要はないとおもいますが....
>

> まったく異種だったら,直積で,いいんではないですか?

そうでしょうか。スピン-スピン相互作用があれば、
ただの直積 |↑>_1 |↓>_2 は、エネルギー固有状態には
なり得ないと思います。念のため、項 S_1・S_2 を行列表示して
(factor 1/2 や 1/¥sqrt{2} はすべて省略しました。表記簡素化のため)

1 0 0 0  (基底はそれぞれ↑↑、↑↓、↓↑、↓↓)
0 -1 2 0
0 2 -1 0
0 0 0 1

の固有値・固有ベクトルを計算してみましたが、 固有値は1(三重縮重)と
-3(非縮重)であり、非縮重の方の固有ベクトルは(0,1,-1,0)となり、
これは反対称型の展開となり、どのようなスピン基底をとっても
_1 と _2 とに変数分離できませんでした。

#何か勘違いしているようでしたら、すみません。
 もしかして、全く異種ではスピン-スピン相互作用がないこというですか


> 似ているとおもわれるでしょうが,普通は,2核子系だとおもって,
> アイソスピンでもって陽子と中性子を区別しています.
> だから,同種フェルミ粒子系となります.普通の空間と,スピン空間と,
> アイソスピン空間と,3つの空間の波動関数の積になります。で,粒子番号を
> 付け替えた時に,全体として,反対称になるように,波動関数を
> 作ります。だから,ようするに,2粒子を区別できないので,分離は
> そういう意味で,出来ないと思います。

ご指摘ありがとうございます。アイソスピンは勉強しておりませんでしたので・・・

#抽象的な議論については、別スレッドにて後日ポスト致します。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 19, 1996, 3:00:00 AM11/19/96
to

坂口です。


水野様。レスポンスありがとうございました。Re: spin の議論における
御意見とも併せまして、以下ではお応え致します。


> このご指摘の意味そのものが,理解できません.
> できないことがあたりまえなのでは???
>
> でも,実体はあるでしょう.

> いません.あるから,ある,それだけです.

(別記事中)


> でも,物理的実体というのは,なぞらえる,などというものでしょうか?
> 存在するから,あるいは,存在すると(ある根拠に基づいて)思うから,
> それを,考えるのではないでしょうか?

このあたりがやや理解に苦しむところです。「あるからある」? でも、どうして?

もしそうなら、対象の存在を規定するものは何ですか。
規定していない「ものそのもの」が予め存在する???

「存在」と「言語による規定」とは不可分で表裏一体であり、どちらかだけ単独で
切り離して前提とすることはできない、というのが自然なように思われるのですが。
(実はこのあたり、私もよくわからないところなのですが。)


(別記事中)


> だけれど,数学や言語が先にあるのでは無い,とまあ,私は,素朴に
> おもっとりますです。
>
> それが,まるで逆ではないか?というような物言いをされると,
> なんかちょっと,違うと感じます。
>
> 物理学が,単なる(と敢えて申し上げます)数学になってしまうのは,
> かえって危険ではないですか? 数学は,それでまた素晴らしいです.

というわけで、「数学が先」と言うつもりもありません。言語と対象とは不可分で
同時規定だと思います。けれども、そのとき、規定される"存在"は数学や言語に
依存しています。これを純粋に物理的実体とみなすかどうか。

#数学が先行しても観測データと合わなければ意味がないわけですし・・・

(以下、別記事中の関連する箇所も混ぜて引用いたします)

> でも,それはある様に見えるだけ,なのかどうか,という点については,
> 物理学の歴史をひもとくまでもなく,我々は幾多の失敗を繰り返して
> きたわけです.でも,それも常識ですよね???
>
> それが,人間の認識能力の限界ではないでしょうか?
>
> でも多少とも救われる事は,我々は,そういう限界を,よく理解
> している,ということだとおもいます,

> お気持,わかります.でも,分野を引っ張っているほどの人材は,
> おそらくそういうことを,よーく分かった上で,研究をしている
> ことでしょう.

> だいたい,自分が日々扱っている,(それをもって,なにかを理解している


> はずの)模型が,空虚であることを,長期間,疑問も抱かずに,居られる
> 人がいるでしょうか?
>
> 残念ながら,模型を通じてしか,我々は,自然を理解できないわけですが,
> 常に,その模型というものの意味,というのは,厳しく反省され続けている
> とおもいますよ.

> 逆にいいますと,その模型の意味も限界もよくわかっていて,
> だから,あとその模型でもって,あと何年くらい飯がくえるか,
> ということがジョーダンのネタになっています,といえば,だいたいの
> ことはわかっていただけるでしょうか? わかりますよね?

研究者の皆様のご苦労に頭の下がる思いがいたしました。

野次馬の私でも疑問に思うくらいですから、研究現場の皆様方は真剣に考えて
いらっしゃると思います。なにか(少しでも)これらの問題に解決している
点があれば、教えて頂きたく存じます。

> > この問題に関してどの程度コンセンサスが得られているのでしょうか。
>
> 得られていない,というところに自由度があるとおもわれませんか?
>
> 場の量子論の定式化一つを取ってみても,いろいろは見方,考え方
> があるのではないでしょうか?
> 相対性理論の理解の仕方にしても,電磁気学の整理の仕方にしても,
> 超対称性の理解にしても,我々は,常に学んでいるという面があると
> おもいます.そのことに,コンセンサスがある必要はあるでしょうか?

確かに、コンセンサスのないことがむしろ現在発展中の証拠かも知れませんね。
今後の益々のご発展を。

> でもその境界があるわけではなく,その姿もどんどん変わっているし,
> なんでも取り込んで行く自由度もあるし,物理観も人其れ其みたいだし。



> あらゆる事を,原理的に疑ってみる事が出来るのが,物理学の特徴だと思います.
> そこが素晴らしいところでしょうね.だから,それに魅かれるのかも.

何でも取り込む自由度や、原理的に疑う選択の可能性を、常に秘めていることが、
学問の素敵なところだと、私も思います。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 20, 1996, 3:00:00 AM11/20/96
to

(追加) 異種フェルミ粒子間のスピン相互作用について

もしそれを考えないとすると、例えば水素原子の基底状態の超微細構造なんかは
どう説明するんですか。

やっぱり、異種であれ、個々の構成要素の様子の直積には変数分離できないのでは。
 (S_1_z S_2_z の固有ベクトルならすべて変数分離できるでしょうが、
  S_1・S_2 の固有ベクトルは必ずしもそうできるとは限りません。)


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 21, 1996, 3:00:00 AM11/21/96
to

水野です.

In article <56u3ss$c...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> (追加) 異種フェルミ粒子間のスピン相互作用について
> もしそれを考えないとすると、例えば水素原子の基底状態の超微細構造なんかは
> どう説明するんですか。

いえ,その通りなんですけどね.そういう相互作用もありますよね.
ここは坂口さんのおっしゃるとおりです.

で,多分,問題はそこからですが,私は,異種のフェルミ粒子系をあつかった
ことはないので(と軽く言い訳をして^^;;;),間違った事をいっていたら
訂正してください.

>
> やっぱり、異種であれ、個々の構成要素の様子の直積には変数分離できないのでは。

一般に,2つの角運動量の合成系(がよい量子数となる近接した2粒子系)
の波動関数は,2つの波動関数の直積を重ね合わせたもの(その重ね合わせ
の係数が,いわゆるクレプシュ・ゴルダン係数ですよね?)で,書ける事は
よくわかっています.でも,そのことと,変数分離?,とおっしゃることは,
別ですよね?

坂口さんは,1項だけで,書けて欲しいのでしょうか?
そうではないとして,もうすこし.

合成して,そのあとに,2粒子系が同種粒子系ならば,(同種の2フェルミオン
系ならば)反対称化(2ボソン系なら,対称化)をしますよね.

で,その2つが,異種の粒子だったら,どうか? という問題です.

粒子座標の番号を付け替えた時に,...,関係しているという物理的な
理由が,私には見えないので,反対称化は,必要ないのでは?
おかしいかな?

例えば,片方が非常の重かった時,それと,軽い電子との,状態を入れ換えた
ような振幅を,同時に考える必要はないようにおもうのですが....

おかしいでしょうか?

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 21, 1996, 3:00:00 AM11/21/96
to

再び坂口です。


> 一般に,2つの角運動量の合成系(がよい量子数となる近接した2粒子系)
> の波動関数は,2つの波動関数の直積を重ね合わせたもの(その重ね合わせ
> の係数が,いわゆるクレプシュ・ゴルダン係数ですよね?)で,書ける事は
> よくわかっています.でも,そのことと,変数分離?,とおっしゃることは,
> 別ですよね?
>
> 坂口さんは,1項だけで,書けて欲しいのでしょうか?

はい、そういうことです。1項だけで書けてほしいというのは(相関の無い場合
を除いて)無理ですから、書けない一般の場合には複合系の中の個別の構成要素の
姿を無理に見出そうとするのは素人には苦しい、というのが私の主張です。
敢えてやるならば、以下のような方法が考えられます。

*個々の構成要素の物理量の期待値なら議論できる

*相棒の構成要素をある特定のベクトルに指定すれば、もう一方の構成要素の
 波動関数が議論できる( |>_1 = _2<指定|>_{複合系} )

*その系のハミルトニアンに対応する古典系を考え、その古典系の中での
 個々の構成要素の運動なら議論できる

*変数分離型の展開の中でなるべく第1項に成分が集中する展開を考え、第1項に
 ついて独立粒子近似の意味において個別の構成要素の波動関数を議論する

おそらく水野様が「運動」と呼んでみえるのは、このうち3番目では?

> 合成して,そのあとに,2粒子系が同種粒子系ならば,(同種の2フェルミオン
> 系ならば)反対称化(2ボソン系なら,対称化)をしますよね.
>
> で,その2つが,異種の粒子だったら,どうか? という問題です.
>
> 粒子座標の番号を付け替えた時に,...,関係しているという物理的な
> 理由が,私には見えないので,反対称化は,必要ないのでは?
> おかしいかな?

おっしゃるとおり、対称化や反対称化は必要ないのですが、スピン1/2同士の
間の相互作用のときは、異種であっても、エネルギー固有状態のうち、3重項の
波動関数はスピン部分がたまたま対称で、1重項の波動関数はスピン部分が
たまたま反対称になっていると思います。(先日の行列の計算が間違っていたら
ご指摘下さい。) この「たまたま」は、粒子のスピン座標を入れ換える演算子が
たまたま 1/2 + 2 S_1・S_2 と一致していることに由来すると
思うのですが・・・ (この演算子の固有値は、3重項では1/2+2*(1/4)=1、
1重項では1/2+2*(-3/4)=-1 であり、確かに対称・反対称を表している)

対称化や反対称化は、むしろ同種粒子の場合に「不適切なものを排除する」規則だと
思います。例えば、同一2電子系は1重項のみ許されるとか。異種粒子では
この制限がなくなって全部許されるのではないでしょうか。

で、問題の場合は、3重項には変数分離可能なもの(|↑↑>など)がありますが、
1重項のエネルギーには固有ベクトルは1種類しかなく、これが変数分離
できませんから、エネルギー固有状態としてはやっぱり一般に変数分離は無理だと
思います。この点に関しては、同種でも異種でも話は同じではないでしょうか。

> 例えば,片方が非常の重かった時,それと,軽い電子との,状態を入れ換えた
> ような振幅を,同時に考える必要はないようにおもうのですが....

入れ換えるのはスピンに関する部分だけであり、他の自由度の部分はそのまま
直積です。従って粒子の入れ換えではありません。ですから不自然ではないと
思います。数式通りに解釈したらこうなると思うのですが、おかしいでしょうか?


あ、それから先日の議論のことですが、重心が静止している場合に話を限っても、
やっぱりその場合でさえ変数分離不可能だと思います。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 21, 1996, 3:00:00 AM11/21/96
to

In article <56rmra$4...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp says...


>> でも,実体はあるでしょう.
>
>> いません.あるから,ある,それだけです.
>
>(別記事中)
>> でも,物理的実体というのは,なぞらえる,などというものでしょうか?
>> 存在するから,あるいは,存在すると(ある根拠に基づいて)思うから,
>> それを,考えるのではないでしょうか?
>
>このあたりがやや理解に苦しむところです。「あるからある」? でも、どうして?
>
>もしそうなら、対象の存在を規定するものは何ですか。
>規定していない「ものそのもの」が予め存在する???

素粒子はあらかじめあるものとして仮定して考えるのがふつうでは?
なぜって、そう考えるとおおくの観測事実とつじつまがあうからです。
つじつまがあわなくなると、新たな素粒子を仮定するというやりかた
が常套手段では?

私はそれに疑問を感じたことはないです。

----------
 南部 芳弘:Yoshihiro Nambu
   internet:na...@obl.cl.nec.co.jp   Nifty :JAH03215

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 22, 1996, 3:00:00 AM11/22/96
to

水野です.

In article <571ha1$5...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 再び坂口です。

熱心ですね.敬服します.先日来,実は福井へ出張だったのですが,
(「QCDと原子核」という研究会),残念ながら会場が大学でなく,
その前後も多忙で,大学には寄れませんでした。

>
>> 一般に,2つの角運動量の合成系(がよい量子数となる近接した2粒子系)
>> の波動関数は,2つの波動関数の直積を重ね合わせたもの(その重ね合わせ
>>

>> 坂口さんは,1項だけで,書けて欲しいのでしょうか?
>
> はい、そういうことです。1項だけで書けてほしいというのは(相関の無い場合
> を除いて)無理ですから、書けない一般の場合には複合系の中の個別の構成要素の
> 姿を無理に見出そうとするのは素人には苦しい、というのが私の主張です。

そこまでおっしゃるのなら,おそらく,無理ではないでしょうか?
複合系の分離といっても,限界があるってことなんでしょうね.
どうなんでしょう? よくわかりません.無理なものは,無理なのでは?

勿論,模型をとれば,それが可能であることは,これもいいですよね?
例えば,原子核の中の,一個の核子の波動関数(のフーリエ変換)の
姿を見いだす事は,普通に議論の対象になりえます.


> 敢えてやるならば、以下のような方法が考えられます。
>
> *個々の構成要素の物理量の期待値なら議論できる
>
> *相棒の構成要素をある特定のベクトルに指定すれば、もう一方の構成要素の
>  波動関数が議論できる( |>_1 = _2<指定|>_{複合系} )
>
> *その系のハミルトニアンに対応する古典系を考え、その古典系の中での
>  個々の構成要素の運動なら議論できる
>
> *変数分離型の展開の中でなるべく第1項に成分が集中する展開を考え、第1項に
>  ついて独立粒子近似の意味において個別の構成要素の波動関数を議論する
>
> おそらく水野様が「運動」と呼んでみえるのは、このうち3番目では?

水野さんが「運動」と呼んでいるものは,もう一つの考えであり,
*運動領空間の波動関数を運動(=運動量分布)だとみなす.
です.

> おっしゃるとおり、対称化や反対称化は必要ないのですが、スピン1/2同士の
> 間の相互作用のときは、異種であっても、エネルギー固有状態のうち、3重項の
> 波動関数はスピン部分がたまたま対称で、1重項の波動関数はスピン部分が
> たまたま反対称になっていると思います。(先日の行列の計算が間違っていたら
> ご指摘下さい。) この「たまたま」は、粒子のスピン座標を入れ換える演算子が
> たまたま 1/2 + 2 S_1・S_2 と一致していることに由来すると
> 思うのですが・・・ 

なるほど,そうかもしれないです.スピン空間は抽象的な空間であり,
そこではそうなっているとおもってもいいんですかね?
>どなたか,チェックしてください.

>
> 対称化や反対称化は、むしろ同種粒子の場合に「不適切なものを排除する」規則だと
> 思います。

規則だからそうする,という感じではなくて,おそらく,きっと,
もっと,物質的な基盤があるのでは? 実際に,ミクロの世界で,粒子が空間的に
(その波動関数が)重なっているときに,とっちがどっちだと,区別できない,
という物理的な現実を表現しているのであると,おもいますが...
(その結果として,排除の論理となるのだと.....。それを規則と呼びたけ
ればよんでもいい,というような)


>
>> 例えば,片方が非常の重かった時,それと,軽い電子との,状態を入れ換えた
>> ような振幅を,同時に考える必要はないようにおもうのですが....
>
> 入れ換えるのはスピンに関する部分だけであり、他の自由度の部分はそのまま
> 直積です。従って粒子の入れ換えではありません。ですから不自然ではないと
> 思います。数式通りに解釈したらこうなると思うのですが、おかしいでしょうか?

まあ,どちらが,スピン上でどちらが下かは,わからない,ということなんで
しょうかね? (クレプシュ・ゴルダン係数で合成すると,自然にそうなるという
わけですが).

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 22, 1996, 3:00:00 AM11/22/96
to

水野@阪大(核物理研究センター),哲学は苦手,です.

In article <56rmra$4...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 坂口です。


>
> このあたりがやや理解に苦しむところです。「あるからある」? でも、どうして?
>
> もしそうなら、対象の存在を規定するものは何ですか。
> 規定していない「ものそのもの」が予め存在する???
>

> 「存在」と「言語による規定」とは不可分で表裏一体であり、どちらかだけ単独で
> 切り離して前提とすることはできない、というのが自然なように思われるのですが。
> (実はこのあたり、私もよくわからないところなのですが。)

(後略)


こういう本もありますので,ご参考までに.

Bruce Gregory著,亀淵訳「物理と実在-創り出された自然像-」(丸善)

Richard Rorty, "Philosophy and the Mirror of Nature", (Princeton University
Press, 1979)

あと,最近,京都賞を受賞された,クワイン博士(W.O.Quine)の仕事
の中にも,関連する議論がありそうですが,どれがそうかは,
ちょっとまだ,見ていません。すいません.でも邦訳もいくつか出ている
ようですよ.
例えば,「ことばと対象」,「自然化された認識論」,あたりが
関係しそうですが....

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 22, 1996, 3:00:00 AM11/22/96
to

(補足と訂正) 外部磁場のある場合

先日投稿いたしました記事に、ちょっと勇み足があったようです。

今まで外部磁場のない場合のスピン-スピン相互作用のみを考えていましたが、
粒子の種類によって磁気モーメントが異なる点を考慮すれば、外部磁場のある
場合には状況が異なって来て、近似的に変数分離できる固有ベクトルが出てきます。
このことを考慮していなかったため議論を混乱させたことをお詫びします。

すなわち、S_1・S_2 の固有ベクトルの議論と、

c_1 B・S_1 + c_2 B・S_2 + S_1・S_2

の固有ベクトルの議論とは話が違うんですね。これにうっかりしていました。

後者では固有値の縮重が解けて、4つの固有値が一般には出てきます。
同種粒子の場合はc_1=c_2なので、固有ベクトルは やはり

|↑↑>と|↓↓>と(|↑↓>+|↓↑>)と(|↑↓>-|↓↑>) 

なんですが、c_1とc_2の値が異なるとこうはならないんですね。
特にc_1とc_2が大きく異なる値で、かつc_1Bとc_2Bが十分大きいときは、
第3項(スピン-スピン相互作用)が近似的に無視できて、このとき固有ベクトルは
近似的に

|↑↑>と|↓↓>と|↑↓>と|↓↑> 

となり、すべて変数分離できます。現実の状況では、磁場が全くない状況というのは
むしろ特殊な場合だから、異種の場合に反対称型の固有ベクトルが出てくることは
少ない、ということですね。これなら納得いたしました。

失礼いたしました。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 23, 1996, 3:00:00 AM11/23/96
to

坂口です。


> 熱心ですね.敬服します.先日来,実は福井へ出張だったのですが,
> (「QCDと原子核」という研究会),残念ながら会場が大学でなく,
> その前後も多忙で,大学には寄れませんでした。

ご多忙の所を、いつも質問に答えて下さり、ありがとうございます。
#ちょっとこちらの投稿の頻度を自粛した方がよろしいでしょうか?


> 例えば,原子核の中の,一個の核子の波動関数(のフーリエ変換)の
> 姿を見いだす事は,普通に議論の対象になりえます.

この場合の、1個の核子の波動関数(のフーリエ変換)の定義について、
またいつか教えて頂ければありがたいのですが。


> 水野さんが「運動」と呼んでいるものは,もう一つの考えであり,
> *運動領空間の波動関数を運動(=運動量分布)だとみなす.
> です.

失礼いたしました。運動量空間ということは、位置座標表示での波動関数の
フーリエ変換のようなものを考えればよろしいのでしょうか。ただ、普通の
フーリエ変換ならやっぱり p_1, p_2 の2変数関数になりますし、このような
基底変換によって変数分離可能性が変化することは無いと思うのですが。

#何か勘違いしておりましたら、すみません。


> 規則だからそうする,という感じではなくて,おそらく,きっと,
> もっと,物質的な基盤があるのでは? 実際に,ミクロの世界で,粒子が空間的に
> (その波動関数が)重なっているときに,とっちがどっちだと,区別できない,
> という物理的な現実を表現しているのであると,おもいますが...

わかりました。やっぱり背後に何らかの理由があるのでしょう。学生演習向きには
「規則」で済まされることもあるけれど、これだと「公式の丸暗記」みたいなもの
かも知れませんね。単なる数学的ルールだけでなく、それが成立する理由を常に
考えることが大切だと、あらためて感じました。


> まあ,どちらが,スピン上でどちらが下かは,わからない,ということなんで
> しょうかね? (クレプシュ・ゴルダン係数で合成すると,自然にそうなるという
> わけですが).

少なくとも外場としての磁場がない特殊な場合には、理論通りにいうと
やっぱりそう解釈するしかないような気がしますが・・・・

(ついでに、一般の核運動量の合成についていうと、同様の磁場なしのケースでは
 全く同じ理由で、核スピンと相互作用している原子中の電子がどの軌道核運動量の
 軌道にあるか唯一に指定できないケースが起こり得ると思います。但し、
 実際には、核スピンが起こす磁場よりも強い外部磁場が存在する場合が多いので、
こんなことは滅多に問題にならないのかも知れません。)

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 23, 1996, 3:00:00 AM11/23/96
to

> こういう本もありますので,ご参考までに.
(後略)

文献のご紹介ありがとうございました。少し勉強してきます。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 23, 1996, 3:00:00 AM11/23/96
to

水野です.

In article <575lk9$l...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> ご多忙の所を、いつも質問に答えて下さり、ありがとうございます。
> #ちょっとこちらの投稿の頻度を自粛した方がよろしいでしょうか?

本当に聞きたいとおもっておられるようですので,まあ,社会貢献?の
意味もあって(笑),出来る限りお答えします.

そう言えば,以前太田さん(理研)が,工学批判をされていて,
それに,工学関係の方は,ちゃんと反論されたのでしょうか?
#もし,反論をすべきならば,ですが....

>
>> 例えば,原子核の中の,一個の核子の波動関数(のフーリエ変換)の
>> 姿を見いだす事は,普通に議論の対象になりえます.
>
> この場合の、1個の核子の波動関数(のフーリエ変換)の定義について、
> またいつか教えて頂ければありがたいのですが。

原子核の重心の廻りの,1粒子の波動関数というものを考える事が出来ます。
(ここが近似です)。
それの,3次元のフーリエ変換です.(球対称だとすれは,角度部分は
球面調和関数,動径部分はまあ,適当に[モデルにより]球面ベッセル関数
になったり.)

縮退しているときは,1個の核子の,,,といっても,区別できない個数の
核子は同じ分布をもったりします(勿論,ある量子数では区別しますが).


>
>> *運動領空間の波動関数を運動(=運動量分布)だとみなす.


>
> 失礼いたしました。運動量空間ということは、位置座標表示での波動関数の
> フーリエ変換のようなものを考えればよろしいのでしょうか。ただ、普通の
> フーリエ変換ならやっぱり p_1, p_2 の2変数関数になりますし、このような
> 基底変換によって変数分離可能性が変化することは無いと思うのですが。

やはり,相対運動と重心の運動(の運動量空間での分布),というふうに,
考えています。

>> もっと,物質的な基盤があるのでは? 実際に,ミクロの世界で,粒子が空間的に
>> (その波動関数が)重なっているときに,とっちがどっちだと,区別できない,
>> という物理的な現実を表現しているのであると,おもいますが...

....


> かも知れませんね。単なる数学的ルールだけでなく、それが成立する理由を常に
> 考えることが大切だと、あらためて感じました。

数学は,勿論大事ですし,物理を語るための言葉,推論の論理的必然を
考えるための道具として無しではすまないですが,物理を考えるための人間の
想像力の源は,やはり,この自然の具体的存在というものにあると思うのです。

そして,イメージを持たないで,言葉を語ることは出来ないように,
イメージを持って物理現象を語ることが,常に出来ると私は思うのです。

そういう意味で,イメージを持てない,と言われると,ついつい,
出てきてしまう.

でも,数学的に,論理的にありうるものを,全て挙げていただければ,
そのうちであまりにもきれいなものは,(私は繰り込みも十分にすごい,
と思うのですが),実際に自然のどこかに存在するかもしれませんね.
そういう意味では,数学の発展も,非常に大事でしょうけど(よく知りませんが).

Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 23, 1996, 3:00:00 AM11/23/96
to

In article <575ll8$l...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp (sakaguchi fuminori) writes:
> 文献のご紹介ありがとうございました。少し勉強してきます。


ご存知かとおもいますが,かのパウリも,認識論に傾倒していた
みたいで,こういう本もありますので,メモしておきます.

W.パウリ,藤田純一訳「物理と認識」(講談者,昭和50年初版)

ちなみに,この翻訳をされた藤田先生は,原子核物理学の理論の
専門家であった方でした.

水野


Yoshihiro Nambu

unread,
Nov 23, 1996, 3:00:00 AM11/23/96
to

In article <5730l3$7...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp>, c54...@sakura.kudpc.kyoto-u.ac.jp says...

>
>
>(補足と訂正) 外部磁場のある場合
>
>先日投稿いたしました記事に、ちょっと勇み足があったようです。
>
>今まで外部磁場のない場合のスピン-スピン相互作用のみを考えていましたが、
>粒子の種類によって磁気モーメントが異なる点を考慮すれば、外部磁場のある
>場合には状況が異なって来て、近似的に変数分離できる固有ベクトルが出てきます。
>このことを考慮していなかったため議論を混乱させたことをお詫びします。

納得されたようですが、2つの系の間にコヒーレントな相互作用がある場合には
系は独立ではありませんので、状態は独立な二つの系の状態の直積になるとは
限りませんよ。
いわゆる、entangled state になることはありえます。

スピン多重項の話は同種粒子の場合で交換関係が重要な役割を果たします。
この場合は、直接的な相互作用がなくても entangled state になります。
交換関係は一種の相互作用のように見えますね。

コヒーレントな相互作用がある場合は、交換関係なんて関係なく、entangled
state になることがあります。異種粒子であってもです。

#そういうことで、私の以前の発言に誤りがありました。

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 24, 1996, 3:00:00 AM11/24/96
to

坂口です。


水野様。

> 本当に聞きたいとおもっておられるようですので,まあ,社会貢献?の
> 意味もあって(笑),出来る限りお答えします.

ありがとうございます。


> そう言えば,以前太田さん(理研)が,工学批判をされていて,
> それに,工学関係の方は,ちゃんと反論されたのでしょうか?
> #もし,反論をすべきならば,ですが....

おっしゃている件かどうかわかりませんが、数カ月前このグループで
「理学 vs 工学」論争があり、手厳しい工学批判や、それに対する反論や、
この論争自体をナンセンスとする意見などが繰り広げられたことがありました。

あの時は私も口出しして、
「(特に今の日本では)理学と工学の間にあまり明確な境界はなく、それよりも
 理学内部・工学内部でも分野が細分化されていて、各分野毎に常識や価値観が
 異なっている。だから自分の専門分野の常識だけで他の分野を評価すべきでは
 ないのでは? むしろ常識の相違によって議論が噛み合わない点に何かの
 論点の手がかりがあるから、そちらに注目するのも良いのでは?」
みたいなことを書きました。あの頃は「科学であるかないかの判断基準」の問題を
真面目に考えていましたので、この判断基準が研究者集団によって微妙に
異なっていることに興味があったからです。(ちょうど同じ頃、fj.sci.philosophy
でも、科学性の判断基準の議論をしていましたので。)

理学工学論争はその後立ち消えになっているようですが、「批判」とかコワいこと
言わないにしても、ああいう議論を真面目にやってお互い切磋琢磨するのも、
全く無意味ではないと思います。ただ、どうしても主観や感情に流れ易く
フレームになりやすいテーマですので、その点にさえ留意していたら・・・
(特にお金の話や政治的な論争になると・・・・ そういえば、常温核融合や
 加速器建設費の論争はどうなったんでしょうか。)

#「お金がムダ」とか「どちらが偉い」とか「あんなのクダラナイ」みたいなこと
 うっかり言い出すから 話が変な方へ行ってしまうのではないでしょうか。
 それよりも、価値判断の基準がどう異なっているのかとか、どういう関係に
 あるのかとか、どこまでが常識を共有できるかとか、どうすれば円滑に
 コミュニケーションできるかとか・・・の方が大切だと思います。

#伝統的に分野の分類や社会的権威が確立されている研究者集団と、まだ歴史が浅く
 現在発展中で分類も流動的な分野の研究者集団の間で、この種の論争が起こると、
 話はさらにややこしくなる場合が多いように見受けられます。

> 原子核の重心の廻りの,1粒子の波動関数というものを考える事が出来ます。
> (ここが近似です)。
> それの,3次元のフーリエ変換です.(球対称だとすれは,角度部分は
> 球面調和関数,動径部分はまあ,適当に[モデルにより]球面ベッセル関数
> になったり.)

> やはり,相対運動と重心の運動(の運動量空間での分布),というふうに,
> 考えています。

ありがとうございました。やっぱり変数分離できるように座標変換(この例では
重心運動と相対運動の分離)した先で考えるのが慣習のようですね。

> 数学は,勿論大事ですし,物理を語るための言葉,推論の論理的必然を
> 考えるための道具として無しではすまないですが,物理を考えるための人間の
> 想像力の源は,やはり,この自然の具体的存在というものにあると思うのです。
>
> そして,イメージを持たないで,言葉を語ることは出来ないように,
> イメージを持って物理現象を語ることが,常に出来ると私は思うのです。
>
> そういう意味で,イメージを持てない,と言われると,ついつい,
> 出てきてしまう.
>
> でも,数学的に,論理的にありうるものを,全て挙げていただければ,
> そのうちであまりにもきれいなものは,(私は繰り込みも十分にすごい,
> と思うのですが),実際に自然のどこかに存在するかもしれませんね.
> そういう意味では,数学の発展も,非常に大事でしょうけど(よく知りませんが).

自然(と言うか、自然と認識の関わり方)は実に多様なので、「数学的・論理的に
ありうるものでモデル化できる問題は、探せば自然のどこかにある」のかも
知れません。ただ、きれいなものほど普遍的に見いだされる傾向があることを、
昔から非常に不思議に思っています。(これについては、自然と認識の関係に関する
大きな抽象的問題を含んでいると思いますので、また後日、別スレッドにて。)


どうもありがとうございました。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


Y.Mizuno, Osaka, Japan

unread,
Nov 24, 1996, 3:00:00 AM11/24/96
to

坂口さん,水野です. 自己フォローですが,ご参考までに.

In article <1996Nov22.031528@rcnpax>, ymi...@rcnpax.rcnp.osaka-u.ac.jp (Y.Mizuno, Osaka, Japan) writes:
>> 「存在」と「言語による規定」とは不可分で表裏一体であり、どちらかだけ単独で
>> 切り離して前提とすることはできない、というのが自然なように思われるのですが。
>

> こういう本もありますので,ご参考までに.


> Richard Rorty, "Philosophy and the Mirror of Nature", (Princeton University
> Press, 1979)
> あと,最近,京都賞を受賞された,クワイン博士(W.O.Quine)の仕事

...


> 例えば,「ことばと対象」,「自然化された認識論」,あたりが
> 関係しそうですが....


上で引用した,クワインとローティですが,
大阪大学文学部哲学の入江先生に教えていただいた所,
以下のような出版社から出ている様です。

『言葉と対象』勁草書房
これは,クワインの主著である。

ローティについては、
  『哲学と自然の鏡』産業図書
  『哲学の脱構築』御茶の水書房
  『連帯と自由の哲学』岩波書店
があるが、最初のものが、彼の出世作にして代表作である。
(これを上に引用しています).

...ということです。


それで:
”これらを直接に読まれても、何がどのように問題になっているのか、ピンとこ
ないかもしれません。その場合には、京大の富田さんの本をお勧めします。
  富田恭彦『クワインと現代アメリカ哲学』世界思想社
  富田恭彦『アメリカ言語哲学の視点』世界思想社
富田さんは、ローティとE-MAILで議論しているそうです。”

ということでした.

ご参考になるかどうか,わかりませんが.

あと,クワインについては,京都賞のページ:
http://japan.park.org/Japan/Kyoto/kyotosho/conte-j.html
から,そのホームページ:
http://users.aol.com/drquine/wv-quine.html
を辿れます。

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 26, 1996, 3:00:00 AM11/26/96
to

坂口です。


南部様。コメントありがとうございます。


> 納得されたようですが、2つの系の間にコヒーレントな相互作用がある場合には
> 系は独立ではありませんので、状態は独立な二つの系の状態の直積になるとは
> 限りませんよ。
> いわゆる、entangled state になることはありえます。

#先日の記事は、「異種なら反対称化する必要がなく直積でよい」という水野様の
御意見に対する反論の一角でした。私の反論は、「磁場が無ければ異種でも
 反対称型の固有ベクトルが出て直積にはならない」「けれども磁場があれば
 近似的に直積とみなせることがあるから、この意味で水野様の主張は納得できた」
 というものでした。ちょっと交通整理を。

異種で磁場(z方向)のある場合でも、厳密にはすべてが直積にはなりません。行列

a+b+1 0 0 0
0 a-b-1 2 0
0 2 b-a-1 0   /4 (行列の基底は↑↑,↑↓,↓↑,↓↓)
0 0 0 1-a-b

の固有ベクトルを考えれば、すぐ分かります。申し上げたのは、a と b が大きく
異なる値でかつ1より十分大きい場合には、近似的に(0,1,0,0)や(0,0,1,0)に
近いベクトルが固有ベクトルとなり、これらが直積|↑↓>や|↓↑>に対応する、
という、あくまで近似の話です。なお、|↑↑>と|↓↓>((1,0,0,0)と
(0,0,0,1))は、この場合でも厳密な意味でエネルギー固有状態になっています。

> スピン多重項の話は同種粒子の場合で交換関係が重要な役割を果たします。
> この場合は、直接的な相互作用がなくても entangled state になります。
> 交換関係は一種の相互作用のように見えますね。
>
> コヒーレントな相互作用がある場合は、交換関係なんて関係なく、entangled
> state になることがあります。異種粒子であってもです。

1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0
0 0 1 0 0 1 0 0 0 -1 2 0
0 1 0 0  = 1/2 [ 0 0 1 0 + 0 2 -1 0 ]
0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1
↑ ↑ ↑
スピン座標の交換       1  スピン-スピン相互作用(×4)

確かに、物理的解釈としては、直接の相互作用と座標の交換とは全然違うような
印象を受けますが、上記のように考えれば、数学的には正体は同じだと思います。


なお、今回の議論では、確かに2種類の問題

1.異種の場合に、個々の構成要素の自由度に変数分離できるか

2.同種粒子を区別して、片方だけの様子を議論できるか

がゴッチャになってしまったところがありますが、上記のように考えると
もともとこの2つは非常によく似た問題ではないかという気がしています。

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


sakaguchi fuminori

unread,
Nov 27, 1996, 3:00:00 AM11/27/96
to

坂口です。(紛らわしい点があったので、一旦キャンセルして、再投稿しました。)


南部様。コメントありがとうございます。


> 納得されたようですが、2つの系の間にコヒーレントな相互作用がある場合には
> 系は独立ではありませんので、状態は独立な二つの系の状態の直積になるとは
> 限りませんよ。
> いわゆる、entangled state になることはありえます。

#先日の記事は、「異種なら反対称化する必要がなく直積でよい」という水野様の
御意見に対する反論の一角でした。私の反論は、「磁場が無ければ異種でも

 スピン間の相互作用により反対称型の固有ベクトルなどが出て直積にはならない」


「けれども磁場があれば近似的に直積とみなせることがあるから、この意味で
 水野様の主張は納得できた」 というものでした。ちょっと交通整理を。

異種で磁場(z方向)のある場合でも、厳密にはすべてが直積にはなりません。行列

a+b+1 0 0 0
0 a-b-1 2 0
0 2 b-a-1 0   /4 (行列の基底は↑↑,↑↓,↓↑,↓↓)
0 0 0 1-a-b

の固有ベクトルを考えれば、すぐ分かります。申し上げたのは、a と b が大きく
異なる値でかつ1より十分大きい場合には、近似的に(0,1,0,0)や(0,0,1,0)に
近いベクトルが固有ベクトルとなり、これらが直積|↑↓>や|↓↑>に対応する、
という、あくまで近似の話です。なお、|↑↑>と|↓↓>((1,0,0,0)と
(0,0,0,1))は、この場合でも厳密な意味でエネルギー固有状態になっています。

(同種粒子ではa=bなので、固有ベクトルのうちこれら以外の2つは直積では
書けません。磁場なしの場合は異種でも同種でもa=b=0となり、同様です。)

sakaguchi fuminori

unread,
Nov 27, 1996, 3:00:00 AM11/27/96
to

坂口です。


水野様。文献のご案内ありがとうございました。
一部の物理学者の方々が哲学分野の方々とコミュニケーションを取られている点、
とても興味深く感じました。


話は変わりますが、先日 Re: spin で水野様がお書きになった

> でも,数学的に,論理的にありうるものを,全て挙げていただければ,
> そのうちであまりにもきれいなものは,(私は繰り込みも十分にすごい,
> と思うのですが),実際に自然のどこかに存在するかもしれませんね.

について。すでに申し上げたように、自然と(人間の)認識との関わり方には
大きな多様性があるので、数学的・論理的にありうるもので表現され得る問題は、
探せばどこかにあるのではないかと思います。ただ、疑問なのは、「なぜ、きれいな
ものほど普遍的に見いだされる傾向があるか」という点です。

これを自然の摂理だと単純に見なす考え方には、個人的にはかなり抵抗があります。
むしろ、記述しやすい問題の成立条件とか、見つけ易い(自然と認識の間に単純な
関係が成り立ち易い)特徴への着目とか、根本的で重要であると見なされ易い問題の
選択基準とかと絡めて解釈した方が、より自然なような気がします。

さらに言えば、「自然現象に関連した諸問題の中で、どういう問題が物理学の
研究対象となり易いか」を考えると、この問題は一層広がりを帯びてくるのでは
ないのでしょうか。

規定されていない自然現象そのものが予め記述言語と独立に存在するとか、
自然現象の有り様や仕組みが説明可能・記述可能・理解可能であるとかいう
暗黙の前提を、一旦全部捨て去って、白紙状態から再び問い直してみたい
気がしています。

#こんなことばかり毎日考えていたら論文書けなくなるけど・・・

           坂口文則(福井大学工学部電子工学科)
           sa...@digcom.fuee.fukui-u.ac.jp


It is loading more messages.
0 new messages