copyright じゃまったくないので、とりあえず law
ですが適宜振って下さい。
☆Subject: Re: pokemon
In article <3EEC7313...@mx.biwa.ne.jp>
fuh...@mx.biwa.ne.jp writes:
>> ていうか、そもそも刑罰法規があるからといって、
>> 全ての犯罪行為が必ず処罰される事の保証は全く
>> 無い訳で
たしかに。
>> ある刑罰法規に違反している場合には全ての行為を
>> 処罰しなければならないという事の方が、個別の
>> 情状等を考慮しないという点で不当だと思う。
いえね、100% というのは物理的に不可能だとは
思いますよ。でも、
100件の犯罪に対して50件だけ処罰されるという
のなら個人的には、まぁまぁ公平かな?と思いますが
100件の犯罪行為のうち1件、あるいは1/1000件だったら
それでもOKですか?
スピード違反にしたって、時間比率で言えば1万分の
1位では?
#もっとですよね。1/1億位かも。
携帯盗撮だったら全国で何回シャッターきられたか
私には予想もつきませんが(汗)、私の記憶では
新聞報道されたのは1件位だったかと。
#もうニュースにもならない位
#多く検挙されてるとか?(^^;
以下余談
逆にいえば、盗撮自体犯罪なの?も不明ではあります。
#逮捕されれば、の罠にはまっている証拠 > 私。
これまた判例を積み上げていく好例なのでしょうけど、
世論が「それってやはり罪だよなぁ」と認めた時点で
そうなっていくと。
記憶で書いていますが、トイレの盗撮の検挙?
などでは、対象となる法律がないからか
「建造物侵入」かなにかでだったと思います。
「目にみえる物を映してなにが悪い」てな
無茶な論理も立てられますが、美術館などでも
同様の問題があるそうで、いずれ法律になって
いくんでしょうね。
#なんか、せち辛い世の中ですが、マナーが
#悪いと仕方ないのかも。
--
携帯カメラの記事で「マナー」という表現を
みました。確か海岸とかでの水着の撮影みたいな話。
#中吊り広告でみただけかも。
法律は、理系的発想とは違うと思います。「衡平原則」というのがあります。
Tarokun
>From:Nagata
>Date:2003/06/15 19:15:18 JST
>Message-ID:<bcigk6$15nt$1...@news2.rim.or.jp>
>
>100件の犯罪に対して50件だけ処罰されるという
>のなら個人的には、まぁまぁ公平かな?と思いますが
私その感覚がそもそもおかしいと思います。
公平さを比率で判断することに何の意味があるんですか?
端的に言いましょう。
警官に賄賂を送って見逃してもらった場合
他にも捕まっていない人がいて
暗数を含めた全犯罪に占める有罪処罰の率が50%だとしても
これは我々は「不公平」と評するのではないのですか?
そしてその理由は比率ではなく
「お金で処罰を逃れた」という点に求めるのではないですか?
公平さを判断するのは
「差が発生した理由は何か」という検討の結果
「その理由は正当だor正当ではない」という評価をして
その評価をもって公平か否かの判断にしているはず。
比率のような「差の存在」自体では
公平かどうかを判断しないはずです。
……暗数も含めて犯罪者を全部有罪にしないとだめだという
非常識な極論者を除けば……。
>逆にいえば、盗撮自体犯罪なの?も不明ではあります。
「盗撮」の定義は?
その定義によって、
別の点で処罰されるのは別に問題ないと思います。
>記憶で書いていますが、トイレの盗撮の検挙?
新聞報道された例はたいてい都道府県ごとに定めている
「迷惑防止条例」違反ですよ。
トイレなら軽犯罪法1条23号もありますが……。
(個人的には軽犯罪法の規定を刑罰規定だと思いたくないのではあるが。)
それにやってはいけないことについて
全て刑罰をもって対抗するというのも
それはそれでいかがなものかと私は思います。
……別に刑罰でなくてもいいんじゃないんですか?
----------------------------------------------------------------------
Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
c...@nn.iij4u.or.jp 佐々木将人
(This address is for NetNews.)
----------------------------------------------------------------------
ルフィミア「私のアンソロ本を書くって本当?」
まさと 「それ、微妙に間違っている……。」
In article <20030616...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> >100件の犯罪に対して50件だけ処罰されるという
> >のなら個人的には、まぁまぁ公平かな?と思いますが
>
> 私その感覚がそもそもおかしいと思います。
> 公平さを比率で判断することに何の意味があるんですか?
(引用順を変えます)
> 公平さを判断するのは
> 「差が発生した理由は何か」という検討の結果
> 「その理由は正当だor正当ではない」という評価をして
> その評価をもって公平か否かの判断にしているはず。
Nagataさんは書いていないけど、私は、「同じ条件で、100件の
犯罪に対して50件だけ処罰される」といった比率を問題にしている
ように読んでしまっていました。
> 端的に言いましょう。
> 警官に賄賂を送って見逃してもらった場合
> 他にも捕まっていない人がいて
> 暗数を含めた全犯罪に占める有罪処罰の率が50%だとしても
> これは我々は「不公平」と評するのではないのですか?
> そしてその理由は比率ではなく
> 「お金で処罰を逃れた」という点に求めるのではないですか?
そういう条件がつけば、そうですね。
ただ、同じような犯罪を犯したのに、彼は逮捕を逃れて私は
逮捕されたとか、駐車違反がたまたま見つかっちゃって運が悪い
とか、あの人は捕まらなかったのに私ばっかり不公平だとか、
そういうことが多くの人々が心に抱いているようでは、あまり
よろしくない状態なのではないかと思いました。
そんな風に人々に思われているのだと、遵法精神の面などで、
問題だと感じます。
つまり、見つかるのは運が悪い、逆に見つからなきゃ
何してもいいんだ、と思われているようでは、まずい
でも、どれだけの人が現実にそう思っているのかとか、
これが法学の問題なのかは、よく分からない。むしろ哲学の
問題?
--
阿部圭介(ABE Keisuke)
ko...@mcc.sst.ne.jp (NetNews用)
> Nagataさんは書いていないけど、私は、「同じ条件で、100件の
> 犯罪に対して50件だけ処罰される」といった比率を問題にしている
> ように読んでしまっていました。
あらゆる条件の下での話として読んでもそんなに不自然さは
感じないですけどね。
佐々木さんが変なのは、特定の条件を導入してるからで。
--
ayu
もとの文章からは、そこまでは読めませんでしたけど、もし条件が皆同じという、
ある意味作為的なモデルを設定するのでしたら、もし誰かが処罰されて、誰かが処罰
されれなかったら、その時点で、不公平だと思います。もしそれが許されるのでした
ら、なにかモデルの外から外部的要因が入ってくるでしょう。
佐々木さんの説明でも、同じ状況の人なら同じように扱うというのが含意されてい
ると思います。
もとのスレッドがわからないのでなんともいえませんが。
Tarokun
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/16 22:30:25 JST
>Message-ID:<koabe-F86CB9....@news.fu-berlin.de>
>
>Nagataさんは書いていないけど、私は、「同じ条件で、100件の
>犯罪に対して50件だけ処罰される」といった比率を問題にしている
>ように読んでしまっていました。
この指摘は割と重要なんですよ。
段階を分けて議論すると
比率が「もしかしたら不公平が行われているのではないか?」と疑問に思い、
詳しい検討を行うきっかけにする
一種の警報装置としての役割があることについては
私は否定するものではありません。
……だけど警報装置がなっているから不公平だというのは本末転倒でしょ。
そしてなぜ警報装置として作動するかと言えば
「もし同じ条件でこれこれの比率になるのは不公平」
って論理のはずなんですね。
だけど「同じ条件だ」ってことの確認は
たいていは全くとれていないし
だからこそ詳細に理由を検討するのです。
「警報が鳴ったから不公平だ」式論理が本末転倒なのは
上でも述べたとおりだけど
さらにそれって「数字のマジック」にまんまとはまっている訳やん。
(数字が出るだけで信じてしまう類)
比率として変だと思ったら
その比率が発生した原因を探るのはむしろ定石でしょ?
それなくして数字だけがひとり歩きすると
「その数字にどんな意味があるの?」と批判されてしまう訳です。
In article <bcn5fl$f9n$1...@nn-tk104.ocn.ad.jp>,
"Tarokun" <tar...@hotmail.com> wrote:
> もとの文章からは、そこまでは読めませんでしたけど、もし条件が皆同じという、
> ある意味作為的なモデルを設定するのでしたら、もし誰かが処罰されて、誰かが処罰
> されれなかったら、その時点で、不公平だと思います。もしそれが許されるのでした
> ら、なにかモデルの外から外部的要因が入ってくるでしょう。
>
> 佐々木さんの説明でも、同じ状況の人なら同じように扱うというのが含意されてい
> ると思います。
というか、分かりやすい条件が入っていて不公平に
扱われているというのは、原因が分かりやすいわけ
です。ですが、少なくとも表面上同じ条件に見えるのに
扱いが異なると、「そりゃなんなの?」という非常に
もやもやとした不公平感が湧くのではないかなと
思ったのです。
現実に、例えば全部の駐車違反が必ず取り締まられる
というのは不可能だと思いますが、どうすれば(どのように
あれば)「ちっ、みんな同じことやっているのに」とか
「あちゃー、運が悪かった」とかいう不公平感をなくす
ことができるのかな。
最初は、啓蒙とか倫理観の向上とかを考えていたので、
哲学の話かなと思ったのですが、交通違反以外も含めて
政策上の対応についての研究はあるのかなとあとになって
思いました。例では交通違反を挙げましたが、交通違反
以外の刑法犯などを含め全般的に、こうしたことって
分野としてはどういう分野になるのだろう?
Tarokun
"ABE Keisuke" <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote in message
news:koabe-29E8E1....@news.fu-berlin.de...
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/18 00:16:11 JST
>Message-ID:<koabe-29E8E1....@news.fu-berlin.de>
>
>どうすれば(どのように
>あれば)「ちっ、みんな同じことやっているのに」とか
>「あちゃー、運が悪かった」とかいう不公平感をなくす
>ことができるのかな。
無理でしょ。
……「法を守ろう」って意識の欠落
もしくは法を破ったことへの反省の欠落だもん。
その不公平感の原因は。
……心理学で言うところの合理化?(責任転嫁やん。)
>政策上の対応についての研究はあるのかなとあとになって
>思いました。
それなら政策科学。
ただし犯罪者が感じる不公平感の除去は目指してないと思う。
あえて言うなら刑事政策。
ただしこっちも犯罪者が感じる不公平感の除去は目指してないと思う。
だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
(いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
In article <20030618...@nn.iij4u.or.jp>, c...@nn.iij4u.or.jp says...
>>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>>Date:2003/06/18 00:16:11 JST
>>Message-ID:<koabe-29E8E1....@news.fu-berlin.de>
>>
>>どうすれば(どのように
>>あれば)「ちっ、みんな同じことやっているのに」とか
>>「あちゃー、運が悪かった」とかいう不公平感をなくす
>>ことができるのかな。
>
>無理でしょ。
>……「法を守ろう」って意識の欠落
> もしくは法を破ったことへの反省の欠落だもん。
> その不公平感の原因は。
> ……心理学で言うところの合理化?(責任転嫁やん。)
この辺って多分、
たかが万引きで警察に通報なんかするな
てえのと通じてるんだろうな。
で、同様に
大抵の場合は訴えられたりしないんだから、ビデオのダビングぐらいで
目くじら立てるんじゃない
なんてえ主張にもつながってるんでしょうね。
#訴えられたときに考慮に値するだけの理論武装をしてからやるならなんも
#言わんのだけどね、ってえのは個人的意見。
>だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
>不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
>(いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
罪を犯さなければ公平に処罰されない。
......ってのは極論かな。
--
-----------------------------------------------------
ではまた mailto:oik...@po.jah.ne.jp
物事の肯定的な側面を証明するより、
否定的な側面を証明する方が、はるかに難しい
-----------------------------------------------------
以下、8/17まで
8/17(日) Y‐33b ハーベストホーム
In article <bcpsid$1a6$1...@news.jaipa.or.jp>,
oik...@po.jah.ne.jp (Hiroyuki Oikawa) wrote:
> この辺って多分、
> たかが万引きで警察に通報なんかするな
> てえのと通じてるんだろうな。
> で、同様に
> 大抵の場合は訴えられたりしないんだから、ビデオのダビングぐらいで
> 目くじら立てるんじゃない
> なんてえ主張にもつながってるんでしょうね。
私が思っていたのとはちょっと違うみたい。
万引きだろうが殺人だろうが、「普通、逮捕されたり、
罰を受けたりする」のであれば、それはそれでいいの。
ああ、でも結局、現実にはより重い罪に対して、より多くの
捜査の資源を振り分けなければいけないのだから、同じかな。
うーん。
In article <20030618...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> >どうすれば(どのように
> >あれば)「ちっ、みんな同じことやっているのに」とか
> >「あちゃー、運が悪かった」とかいう不公平感をなくす
> >ことができるのかな。
>
> 無理でしょ。
> ……「法を守ろう」って意識の欠落
> もしくは法を破ったことへの反省の欠落だもん。
> その不公平感の原因は。
> ……心理学で言うところの合理化?(責任転嫁やん。)
完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
そうでもないのですか?
> だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
> 不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
> (いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
行うべき時に行われているのであれば、不公平ではない
と思うのですが、そういうこととは違うのかなあ。
佐々木さんの言わんとしていることが理解できていないです。
On Wed, 18 Jun 2003 23:58:09 +0900, ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> >どうすれば(どのように
>> >あれば)「ちっ、みんな同じことやっているのに」とか
>> >「あちゃー、運が悪かった」とかいう不公平感をなくす
>> >ことができるのかな。
>>
>> 無理でしょ。
>> ……「法を守ろう」って意識の欠落
>> もしくは法を破ったことへの反省の欠落だもん。
>> その不公平感の原因は。
>> ……心理学で言うところの合理化?(責任転嫁やん。)
>
>完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
>のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
>そうでもないのですか?
不公平感を無くすことがそんなに大事ですか?
完全に公平な運用ってどんなんだろう、という疑問もありますが、
もしそれが可能だとしても、不公平感は何か別の
悪感情に置き換えられるだけではないでしょうか。
「みんな同じことやっているのに」なんて言う人にとっては
自分が捕まったことが問題であって、他のみんながどうか
なんて本当はどうでもいいのではないでしょうか。
別の記事で
On Mon, 16 Jun 2003 22:30:25 +0900, ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>ただ、同じような犯罪を犯したのに、彼は逮捕を逃れて私は
>逮捕されたとか、駐車違反がたまたま見つかっちゃって運が悪い
>とか、あの人は捕まらなかったのに私ばっかり不公平だとか、
>そういうことが多くの人々が心に抱いているようでは、あまり
>よろしくない状態なのではないかと思いました。
>
>そんな風に人々に思われているのだと、遵法精神の面などで、
>問題だと感じます。
と書かれていますが、
佐々木さんの指摘は、それは逆で、遵法精神に問題があるので
「自分ばっかり」とか「運が悪かった」とか言えちゃうのでは、
ということだと思います。
--
FUKUI Tsuyoshi
☆Subject: Re: 処罰の公平性 (Re: pokemon
In article <3ef08525$0$258$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>
tfu...@asahi-net.email.ne.jp writes:
>> と書かれていますが、
>> 佐々木さんの指摘は、それは逆で、遵法精神に問題があるので
思わず連想したのが某検事総長様 (^^)
--
もう10年以上前かなぁ。私がまだ関東に戻ってなかったような...
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/18 23:51:29 JST
>Message-ID:<koabe-B5558B....@news.fu-berlin.de>
>
>万引きだろうが殺人だろうが、「普通、逮捕されたり、
>罰を受けたりする」のであれば、それはそれでいいの。
道路交通法違反だけ特別扱いする理由なし。
……ちなみに道路交通法違反罪だって
普通逮捕されたり罰を受けたりしていますよ。
>From:Nagata
>Date:2003/06/18 16:57:24 JST
>Message-ID:<bcq5lk$1sve$1...@news2.rim.or.jp>
>
>>> 佐々木さんの指摘は、それは逆で、遵法精神に問題があるので
>
>思わず連想したのが某検事総長様 (^^)
でもまあ彼は逃げなかったね。
>From:Hiroyuki Oikawa
>Date:2003/06/18 14:22:08 JST
>Message-ID:<bcpsid$1a6$1...@news.jaipa.or.jp>
>
>この辺って多分、
> たかが万引きで警察に通報なんかするな
>てえのと通じてるんだろうな。
根っこは通じていると思いますよ。
>で、同様に
> 大抵の場合は訴えられたりしないんだから、ビデオのダビングぐらいで
> 目くじら立てるんじゃない
>なんてえ主張にもつながってるんでしょうね。
ですね。
……法律学の議論っていわば訴えられた時の話なんで
「訴えられなきゃ……」というのはいい悪いを抜きにしても
それ自体外れている。
>罪を犯さなければ公平に処罰されない。
>......ってのは極論かな。
残念ながら冤罪の発生の危険性は常にあるから……。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/18 23:58:09 JST
>Message-ID:<koabe-942337....@news.fu-berlin.de>
>
>> その不公平感の原因は。
>> ……心理学で言うところの合理化?(責任転嫁やん。)
>
>完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
>のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
>そうでもないのですか?
そうでもないことを心理学で説明していると思いますよ。
(「合理化という防衛機制」なんてまんまでしょう。)
>> だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
>> 不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
>> (いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
>
>行うべき時に行われているのであれば、不公平ではない
>と思うのですが、そういうこととは違うのかなあ。
は?
>佐々木さんの言わんとしていることが理解できていないです。
フクイさんの <3ef08525$0$258$44c9...@news2.asahi-net.or.jp> を
熟読するように。
> 佐々木さんの説明でも、同じ状況の人なら同じように扱うというのが含意されてい
> ると思います。
そりゃわかるんですが、公平さを比率で判断する事があの説明で
どうやって否定できるのか、よくわからん…。
--
ayu
In article <3ef08525$0$258$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> 不公平感を無くすことがそんなに大事ですか?
不公平だと思われているということが、由々しきことだと
思ったのです。
> 完全に公平な運用ってどんなんだろう、という疑問もありますが、
> もしそれが可能だとしても、不公平感は何か別の
> 悪感情に置き換えられるだけではないでしょうか。
> 「みんな同じことやっているのに」なんて言う人にとっては
> 自分が捕まったことが問題であって、他のみんながどうか
> なんて本当はどうでもいいのではないでしょうか。
ほかの悪感情であるなら、まだいいのかもしれません。
どうして、「不公平」にこだわるのかというと,法の下の平等
って、誰に対してもいつでも同じに法が適用されるということ
であって、少なくとも日本では法の運用の前提だ、と私が思って
いるからです。
現実にはそれが不可能だとはいえ、「そんなの建前の話だ」
とか「そんなのうそっぱちだ」とか「みんな同じことやって
いるのに、おれだけじゃないか」とか言われること自体が、
なんだかいやな感じがするのです。
でも、いつものようにどこかで何かを勘違いしている可能性が
高いので、いつものように解きほぐせたらいいな。
> 別の記事で
(中略)
> >そんな風に人々に思われているのだと、遵法精神の面などで、
> >問題だと感じます。
>
> と書かれていますが、
> 佐々木さんの指摘は、それは逆で、遵法精神に問題があるので
> 「自分ばっかり」とか「運が悪かった」とか言えちゃうのでは、
> ということだと思います。
相互的な作用ではないのかなと思っているのです。
つまり、遵法精神に問題があるから、自分ばっかりと思う
ということもあるかもしれないけれども、逆に、
「現実に不公平な運用が行われている」ということが
あったとすると、遵法精神に悪影響が与えられるのでは
ないかということです。
In article <20030619...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> >完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
> >のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
> >そうでもないのですか?
>
> そうでもないことを心理学で説明していると思いますよ。
> (「合理化という防衛機制」なんてまんまでしょう。)
生まれる可能性があるのかー。このあたりはもう少し勉強して
みたいです。
不公平感が生まれたとしても、完全に公平に運用されて
いるのだとすると不公平ではないことは説得できないの
かな、と思っていました。
> >> だって究極的には不公平に思ってもらってもかまわないんだもん。
> >> 不公平だと思おうが思うまいが法を行うべき時には行うだけのこと。
> >> (いわゆる確信犯の問題と底ではつながっています。)
> >
> >行うべき時に行われているのであれば、不公平ではない
> >と思うのですが、そういうこととは違うのかなあ。
>
> は?
「行われるべき時に行われている」というのは、「行われる
べき時に、行われたり行われなかったりではなく、という
ことなのですよね? 「行われるべき時に、行われたり行われ
なかったり」というのが、不公平な状態だと思っていたのです。
私は、上にも書いたように公平に運用されているのであれば、
不公平感を抱いたとしてもまるで実態と違うことを考えている
わけで、なんとかなるのではないかと、思っていたのです。
でも、そうでもないのですね。
In article <20030619...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> ……法律学の議論っていわば訴えられた時の話なんで
> 「訴えられなきゃ……」というのはいい悪いを抜きにしても
> それ自体外れている。
すると、遵法意識の醸成という議論は、例えばfjでいうと、
どのグループで議論すると適当なのでしょうか?
「自分ばっかり【捕まらない】のは不公平だ」と言う人が存在しない
(いや、まあ世の中は広いので、稀にはいるのかもしれませんが)
ということ自体が、この手の問題に「公平さ」を持ち出すおかしさを
物語っているような気がします。
On Thu, 19 Jun 2003 23:34:49 +0900, ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>相互的な作用ではないのかなと思っているのです。
>つまり、遵法精神に問題があるから、自分ばっかりと思う
>ということもあるかもしれないけれども、逆に、
>「現実に不公平な運用が行われている」ということが
>あったとすると、遵法精神に悪影響が与えられるのでは
>ないかということです。
遵法精神に悪影響を与えるのは、単に
「こういうことをやっても捕まらないこともある」
という認識ではないでしょうか。
つまり、自分は捕まらないだろう、という甘い見通し。
この時点では、捕まったり捕まらなかったりする人がいるのは不公平だ、
なんて観点はないでしょう。
なのに、自分が捕まると「不公平だ」となる。
ここには、阿部さんの指摘されるような悪循環の構造は存在しないように思います。
--
FUKUI Tsuyoshi
☆Subject: Re: 処罰の公平性(Re: pokemon
In article <20030619...@nn.iij4u.or.jp>
>> 佐々木将人@函館 です。
>> > たかが万引きで警察に通報なんかするな
>> 根っこは通じていると思いますよ。
最近では、踏切事故になった書店の話が新聞に載っていました。
#自粛 - 応援 - 再開 - また閉店。
交通違反で追撃パトカーから逃げて死んじゃったりという
事件も。
このあたりについては、私自身、どうあるべきという
判断がありません。
>> ……法律学の議論っていわば訴えられた時の話なんで
>> 「訴えられなきゃ……」というのはいい悪いを抜きにしても
>> それ自体外れている。
うーん。法律を知らないですが、法と罰則と運用とかの
関係で訴えられなくても、法律体系として、どうあるべき?
とかの議論はありそうに思います。
ちょっと視点を変えます。
「不公平」と書きましたが、もしかして救済の手立ては
あるんじゃないか?と思いました。
書店で立ち読みした本で、ねずみ取りの証拠能力うんぬん
で裁判に持ち込めば、半分以上は無罪になるとか?
それの真偽は私は確認できませんが、もしそうなら
「不公平」だと思えば、それを主張して裁判で判断
してもらうのも可能なような。
#でも、法律がおかしい、とか主張したところで
#法治国家である以上、通らないか(笑)。
☆Subject: Re: 処罰の公平性(Re: pokemon
In article <20030619...@nn.iij4u.or.jp>
>> 佐々木将人@函館 です。
>> 道路交通法違反だけ特別扱いする理由なし。
>> ……ちなみに道路交通法違反罪だって
>> 普通逮捕されたり罰を受けたりしていますよ。
一口に「道路交通法違反」といいますが、最高速度違反に
限定して考えるとして、何をもって違反とするのか
という論点もあるように思います。
昔、法科の知人に「6法を丸暗記したところで
全然意味ない。法律わかったことにはならない」
とか言われて、なんでだろ?と思ってましたが、
法律自体はあちこち矛盾していて、解釈の仕方で
いろいろとれる。判例も時代とともに変わる
という事例を知るにつけ、なんとなく意味が
判ってきています。
スピード違反にしても、40Km 制限のところを、
41Km で走った場合、それは本当に犯罪なの?
と問うてみたいです。
遵法意識とかありましたが、遵法意識のある
みなさんはタクシーには絶対乗らないのでしょうか?
#TVドラマみたいに、1万円渡して「信号無視して
#極力急いでくれ」みたいな使い方は特例として、
#深夜とか、たいてい +20Km 位で走っていませんか?
#それを違反とみなすなら、そこに料金を支払う
#ことは違法行為を冗長していませんか?
逆にいうと、深夜に +20Kmで走ることはとりたてて
普通に実行されていること、誰もが認めていること、
とすればそれはすでに「違法行為」とは認められない
んじゃないでしょうか。
陪審員制度が日本に出来たとして、そういう
運転手さんがたまたま対象で私がたまたま
そこで投票する側だったら無罪にしてしまうかも。
#それっていけないこと?
スピード制限なんて必要ない、とか思うことも
ありますが、仮に制限がまったくなくなったら
逆に「いくら出してもいいんだ」とかいって
住宅地の回りを100Km で疾走する人も出てくる
ことでしょう。
やはり、それは困り物。
#まぁ、暴走行為とかで取り締まれるか(笑)。
真新しい道路って大抵無制限(60Km)、はみだし
禁止もなかったりしますが、1年、2年と
たつうちに、いろいろ規制が増えてきます。
これって変ですよね。
事故があったり、地元の人が文句を言うに
つれ言い訳のように規制をしていくのでしょう。
結局、責任逃れ、○○なのは警察が△△して
ないから、という世論も影響してるかも?
事故があれば、とりあえず規制しておこうとか
ありそうに思います。
無謀運転は別にして、混合交通ではあっても、
自分の身は自分で守る。制限速度にしても
実態にあった規制のしかたとかに変わって
いって欲しいです。
点数が少ない(今は車ないので、そういうことは
ないですが(大汗))時に旅行したりすると
すぐに車にあおられてストレスたまりまくりです。
単調に 40Km 制限とかじゃなく、default は
50Km 事故地点の前後 100m は 30Km とか。
環状線も 数年前に 40->50 に緩和されてり
してますし、だんだん実態に合わせる方向
にはなっているとは思います。
#でもあれって単に渋滞対策だったっけ。
#法律というより traffic な話題ですか? すみません。
もう耳タコなほど、既出ネタかも。m(..)m
☆Subject: Re: 処罰の公平性(Re: pokemon
In article <koabe-DF06D5....@news.fu-berlin.de>
>> 阿部です。
>> > 「訴えられなきゃ……」というのはいい悪いを抜きにしても
>> > それ自体外れている。
>>
>> すると、遵法意識の醸成という議論は、例えばfjでいうと、
>> どのグループで議論すると適当なのでしょうか?
「法律学」ではなくても、fj.soc.law な話題な気はします。
そのために法律体系をどうするか、とか、執行体勢を
どうするか?なら。
どう啓蒙するか、ってな話題だと社会学に近いような?
そうなると soc.low じゃなくなりそうです。
Nagata wrote:
> ながたです。
>
> 書店で立ち読みした本で、ねずみ取りの証拠能力うんぬん
> で裁判に持ち込めば、半分以上は無罪になるとか?
むしろ、不起訴ないしは起訴猶予あたりじゃないかと...
実際、私も一度そういう経験がありまして、(^^;
前に走っていた車は止められなかったのに私だけ、
違反切符を切られた。
で、私は「不公平」というと少なくとも自分が違反
していた事を認めてしまっているようなニュアンス
になるので、「不公平」だという主張じゃなくって、
殆ど同じスピードで走っていたのに前の車と私とで
測定値が大きく異なるのでは測定装置の精度が信頼
できないと。
で、処分は「起訴猶予」でした。
まぁ、略式とはいえ、こういう些細な事件でいちいち
裁判するコストも判断材料にはなったでしょうけど。
> それの真偽は私は確認できませんが、もしそうなら
> 「不公平」だと思えば、それを主張して裁判で判断
> してもらうのも可能なような。
で、不起訴/起訴猶予の処分が「不公平」だと思えば
検察審査会に、っていう手段もある訳ですが...
> #でも、法律がおかしい、とか主張したところで
> #法治国家である以上、通らないか(笑)。
法律が憲法違反だという主張は充分通りそうな。
>>>道路交通法違反だけ特別扱いする理由なし。
>>>……ちなみに道路交通法違反罪だって
>>> 普通逮捕されたり罰を受けたりしていますよ。
>>
>
> 一口に「道路交通法違反」といいますが、最高速度違反に
> 限定して考えるとして、何をもって違反とするのか
> という論点もあるように思います。
ていうか、道路交通法の場合、殆どのスピード違反は
行政処分で対応されていたりしますが、そこでいきなり
逮捕されたりしたら、やっぱり不公平なのかも知れない
ですが、ここで問題にしているのってそういう話じゃ
ないですよね?
刑罰と行政処分では、少しばかり違った基準があっても
かまわないと思うし、それらを区別して議論しないと...
> スピード違反にしても、40Km 制限のところを、
> 41Km で走った場合、それは本当に犯罪なの?
> と問うてみたいです。
問う事を止めやしませんが、多分それは机上の空論で、
現実に厳密に適用出来なければ、それこそ不公平な事に
なってしまいますね。
--
稲川 史(ふひと) http://www.biwa.ne.jp/~fuhito/
~fuhito/rtmach/ (device_read_buffer()って何?)
>From:FUKUI Tsuyoshi
>Date:2003/06/19 16:42:15 JST
>Message-ID:<3ef1e7e7$0$259$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>
>
>「自分ばっかり【捕まらない】のは不公平だ」と言う人が存在しない
>(いや、まあ世の中は広いので、稀にはいるのかもしれませんが)
>ということ自体が、この手の問題に「公平さ」を持ち出すおかしさを
>物語っているような気がします。
私もそう思います。
>遵法精神に悪影響を与えるのは、単に
>「こういうことをやっても捕まらないこともある」
>という認識ではないでしょうか。
厳格に言うと
「こういうことをやっても捕まらないことがある」
ということをもって
>つまり、自分は捕まらないだろう、という甘い見通し。
から、その行動に出てしまうことが問題なのです。
で、そういう行動様式を指して「遵法精神の欠如」と言うんでしょ?
>ここには、阿部さんの指摘されるような悪循環の構造は存在しないように思います。
ですね。
>From:Nagata
>Date:2003/06/19 17:11:50 JST
>Message-ID:<bcsqsm$5os$1...@news2.rim.or.jp>
>
>うーん。法律を知らないですが、法と罰則と運用とかの
>関係で訴えられなくても、法律体系として、どうあるべき?
>とかの議論はありそうに思います。
「法律体系としてどうあるべき」という議論って
結局は「法律をどのように作るか」という議論なんですな。
法律をどのように作るかってえのはたいていは法律学の担当ではない訳です。
そしてね、
「この法律の意味内容はどうだろう。
この行為にあてはめるとどういう結論になるだろう。」
という議論と
「そうは言っても裁判にならないじゃないか」という議論は
明確に別物です。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/19 23:44:58 JST
>Message-ID:<koabe-8B3A8F....@news.fu-berlin.de>
>
>> そうでもないことを心理学で説明していると思いますよ。
>> (「合理化という防衛機制」なんてまんまでしょう。)
>
>生まれる可能性があるのかー。
可能性があるどころか
心理学では「一般的に見られること」として扱っているはずですよ。
(防衛機制自体は病的現象として把握しているのではないはず。)
>From:Nagata
>Date:2003/06/19 17:36:54 JST
>Message-ID:<bcssbm$7pc$1...@news2.rim.or.jp>
>
>書店で立ち読みした本で、ねずみ取りの証拠能力うんぬん
>で裁判に持ち込めば、半分以上は無罪になるとか?
>
>それの真偽は私は確認できませんが、もしそうなら
残念ながら偽と言っていいでしょう。
平成13年度の司法統計によれば
(最高裁のホームページから探せるよ)
地裁起訴の道路交通法違反事件で9114人中無罪になったのは0人
簡裁起訴の道路交通法違反事件で313人中無罪になったのは9人
……裁判に持ち込めば99.9%の確率で有罪判決が出ます。
全体で見た時の99.95%よりは無罪率は高い?(笑)
ただし
>「不公平」だと思えば、それを主張して裁判で判断
>してもらうのも可能なような。
それは可能ですよ。
そしてたいていは
「あんたのやったことは犯罪」と言って有罪判決が出るだけだし。
(ちなみに無罪判決は事実の立証に失敗した例であって
立証できればたいていは有罪判決が出ます。
違法性阻却事由や責任阻却事由として「不公平」を認めた事例は
いまだないはず。)
>スピード違反にしても、40Km 制限のところを、
>41Km で走った場合、それは本当に犯罪なの?
>と問うてみたいです。
犯罪です。
……犯罪でないとする理由がわからない。
>逆にいうと、深夜に +20Kmで走ることはとりたてて
>普通に実行されていること、誰もが認めていること、
>とすればそれはすでに「違法行為」とは認められない
>んじゃないでしょうか。
なりません。
詳細は私がうだうだ言うより
柴田光蔵先生の「法のタテマエとホンネ」を御読みください。
……昭和47年前後、某商社の米の買い占め行為を
「食糧管理令」で処罰した例が紹介されています。
In article <3ef1e7e7$0$259$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> 「自分ばっかり【捕まらない】のは不公平だ」と言う人が存在しない
> (いや、まあ世の中は広いので、稀にはいるのかもしれませんが)
> ということ自体が、この手の問題に「公平さ」を持ち出すおかしさを
> 物語っているような気がします。
どのように物語っているのかがよく分からないです。
もう少し、説明をください。
そもそもこの手の問題に限らず「不公平だ」というときに、
不公平によって利益を得ている人が「自分ばっかり【捕まら
ない】のは不公平だ」と言うことはそれほどないといえるかも
しれないし、逆に不公平によって利益を得ている人で
「そんな不公平、おかしいよ」と思って(思っているだけで、
利益は受けたままかも知れないけど)いる人はいると思うし、
どうして上記引用部のように決めつけられるのかが不思議です。
> On Thu, 19 Jun 2003 23:34:49 +0900, ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
> >相互的な作用ではないのかなと思っているのです。
> >つまり、遵法精神に問題があるから、自分ばっかりと思う
> >ということもあるかもしれないけれども、逆に、
> >「現実に不公平な運用が行われている」ということが
> >あったとすると、遵法精神に悪影響が与えられるのでは
> >ないかということです。
>
> 遵法精神に悪影響を与えるのは、単に
> 「こういうことをやっても捕まらないこともある」
> という認識ではないでしょうか。
> つまり、自分は捕まらないだろう、という甘い見通し。
> この時点では、捕まったり捕まらなかったりする人がいるのは不公平だ、
> なんて観点はないでしょう。
観点があろうとなかろうと、「こういうことをやっても
捕まらないこともある」ということが行われているというのは、
不公平が行われているということではないのですか?
「こういうことをやっても捕まらないこともある」ことは
公平な運用が行われているのですか?
> なのに、自分が捕まると「不公平だ」となる。
不公平を不公平と認識したとも言えるのではないかと思います。
「自分が捕まると」と限定しているけど、駐車違反の取り締まり
などでは、自分が捕まらなくても公平にまんべんなく行われて
いると思っていない人って、結構いそうな気がします。
とはいえ、「なのに、自分が捕まると『不公平だ』となる」
ようなのはいやな感じだから、そうは思わせないようには
できないのかな、と思っているのです。でも、できないの
ですよね。
In article <bcssbm$7pc$1...@news2.rim.or.jp>, yna...@st.rim.or.jp says...
>遵法意識とかありましたが、遵法意識のある
>みなさんはタクシーには絶対乗らないのでしょうか?
>
>#TVドラマみたいに、1万円渡して「信号無視して
>#極力急いでくれ」みたいな使い方は特例として、
>#深夜とか、たいてい +20Km 位で走っていませんか?
>#それを違反とみなすなら、そこに料金を支払う
>#ことは違法行為を冗長していませんか?
#冗長→助長か?
運転者がスピード違反するのと、スピード違反したタクシーにお金を払う
ことは、まったく関係ありません。
#道交法と契約の話を並べてどうしろと......。
>真新しい道路って大抵無制限(60Km)、はみだし
>禁止もなかったりしますが、1年、2年と
>たつうちに、いろいろ規制が増えてきます。
それだけ遵法意識の低い人が多いと言うことでしょうね。
#「流れに乗る」ことがスピード違反の免罪符のように思われていること
#を考えれば。
>点数が少ない(今は車ないので、そういうことは
>ないですが(大汗))時に旅行したりすると
>すぐに車にあおられてストレスたまりまくりです。
個人的には、煽られた程度で「ストレスたまりまくり」という人には、極
力運転して欲しくありません。
☆Subject: Re: 処罰の公平性(Re: pokemon
In article <20030620...@nn.iij4u.or.jp>
>> 佐々木将人@函館 です。
>> 「法律体系としてどうあるべき」という議論って
>> 結局は「法律をどのように作るか」という議論なんですな。
>> 法律をどのように作るかってえのはたいていは法律学の担当ではない訳です。
なるほど。どういう風に記述するか?なら法律学になりそうですが、
何をどのように立法するか、となると政治というか
別の分野ですね。よくわかりました。
#三権分立という言葉だけ憶えてますが詳細わすれてます。バカ>私
☆Subject: Re: スピード違反(Re: 処罰の公平性
In article <bcv5of$1d3c$1...@news.jaipa.or.jp>
>> 及川@jahです。
>> >#ことは違法行為を冗長していませんか?
>>
>> #冗長→助長か?
すみません、jochou といれたつもりで気づきませんでした。
>> #「流れに乗る」ことがスピード違反の免罪符のように思われていること
>> #を考えれば。
週刊誌の記憶では、某氏も北海道?で、「50Km? で走っていると
次から次えと追い越しをかけれらて却って危険だから…」
とかなんとか。
#自分の身を守るじゃなくて追い越しする人の身を案じてだったか
#と思います。
>> 個人的には、煽られた程度で「ストレスたまりまくり」という人には、極
>> 力運転して欲しくありません。
大抵は先にいかせて、逆にあおるんですけどね。(危険行為(汗))
#もっと悪質ドライバーだったり。
以下余談
スピード違反もいいけど、車間距離不保持?のルールを
定めて自動計測装置をつくって、ガンガン取り締まって欲しい
と常日頃思っていました。日常的に車乗ってた当時。
In article <koabe-8B3A8F....@news.fu-berlin.de>,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> >完全に公平に運用されていれば、そもそも不公平ではない
>> >のだから、不公平感は生まれないのではないかと思うのですが、
>> >そうでもないのですか?
>>
>> そうでもないことを心理学で説明していると思いますよ。
>> (「合理化という防衛機制」なんてまんまでしょう。)
>
>生まれる可能性があるのかー。このあたりはもう少し勉強して
>みたいです。
防衛機制やその一種としての合理化は
心理学の入門書なら、たいてい書いてあると思いますよ。
(合理化の踏み込んだ説明となると、入門書では厳しいかもしれないけど)
…って、僕もこれを読んでちょこっと調べてみただけですが(^_^;
その「ちょこっと調べてみた」範囲では、
確かに防衛機制、その一種としての合理化は
(心の)健康状態でも起こりうるものとして説明されていました。
>不公平感が生まれたとしても、完全に公平に運用されて
>いるのだとすると不公平ではないことは説得できないの
>かな、と思っていました。
それで納得できる人は、今現在
不公平と考えることがそもそも合理的な考え方ではないことも
説明されれば納得できる人だと思います。
-------------------------------------------
Yasuyuki Nagashima
yas...@horae.dti.ne.jp
-------------------------------------------
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/20 22:54:47 JST
>Message-ID:<koabe-855D9B....@news.fu-berlin.de>
>
>> 「自分ばっかり【捕まらない】のは不公平だ」と言う人が存在しない
>> (いや、まあ世の中は広いので、稀にはいるのかもしれませんが)
>> ということ自体が、この手の問題に「公平さ」を持ち出すおかしさを
>> 物語っているような気がします。
>
>どのように物語っているのかがよく分からないです。
わかんないかい?
上記の記述は不公平感について述べているのだが
AとBが不公平だと感じるという言明は
「Aは不公平である」
「Bは不公平である」
のどっちを言ってもいいはずでしょ。
不公平と感じるというのであれば。
でも現実には
A……交通違反をして検挙されたことの不公平
B……交通違反をして検挙されなかったことの不公平
とした場合にBを持ち出す人はいない訳です。
(捕まらなかったのは不公平なんで処罰してくださいと自首した例が
何件あるかでまるわかりでしょう。
探すほどのデータではないんで探してないけど。)
とすると
この不公平感の正体というのは
「自分が検挙されたことへの不満」でしかない訳です。
(もしくは防衛機制か。)
ゆえに公平か否かの問題では全然ないことを物語っている。
>そもそもこの手の問題に限らず「不公平だ」というときに、
>不公平によって利益を得ている人が「自分ばっかり【捕まら
>ない】のは不公平だ」と言うことはそれほどないといえるかも
>しれないし、逆に不公平によって利益を得ている人で
>「そんな不公平、おかしいよ」と思って(思っているだけで、
>利益は受けたままかも知れないけど)いる人はいると思うし、
そこまでわかって、なんで
>どうして上記引用部のように決めつけられるのかが不思議です。
そうなるの?
不公平が問題じゃない、不利益が問題になっているってことでしょう。
不公平でも利益を得てればいいってことは。
>観点があろうとなかろうと、「こういうことをやっても
>捕まらないこともある」ということが行われているというのは、
>不公平が行われているということではないのですか?
不公平感と不公平は違います。
ここははっきりさせましょう。
「不公平だから不公平感が発生し
公平であれば不公平感は発生しないはずだ」
というのが間違いであることは
既に書いてきたとおりです。
>「こういうことをやっても捕まらないこともある」ことは
>公平な運用が行われているのですか?
はい。
不公平だというのであれば
なぜ不公平であるかを述べましょう。
公平さを失わす事情が必ずあるはずですから容易に説明できるはずです。
(たとえば私が出した賄賂を渡してもみ消したなんてえのはそうですね。)
当然「暗数が0でない限りそれは不公平だ」という極論を主張されるのであれば
それはそれでかまいませんが。
私はそのような極論には反対しますし
仮にそこに不公平があったからと言って
捕まえた者を処罰できないというのは本末転倒であることは
既に述べたとおりです。
……だから不公平かどうかというのは全くの脇道の議論なのです。
>> なのに、自分が捕まると「不公平だ」となる。
>
>不公平を不公平と認識したとも言えるのではないかと思います。
全く言えませんね。
上記の説明のとおり阿部さん自ら
不利益を受けたから不公平だと言っています。
>とはいえ、「なのに、自分が捕まると『不公平だ』となる」
>ようなのはいやな感じだから、そうは思わせないようには
>できないのかな、と思っているのです。でも、できないの
>ですよね。
はい。
公平にやったって不公平と感じる人が出ることは
心理学で説明されていると思います。
>From:Nagata
>Date:2003/06/20 17:30:15 JST
>Message-ID:<bcvgb7$1gjs$1...@news2.rim.or.jp>
>
>なるほど。どういう風に記述するか?なら法律学になりそうですが、
これはなりますね。
>何をどのように立法するか、となると政治というか
>別の分野ですね。よくわかりました。
そうです。
それは例えば政治学であったり、経済学であったり、政策科学であったり。
In article <20030621...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> 不公平が問題じゃない、不利益が問題になっているってことでしょう。
> 不公平でも利益を得てればいいってことは。
まだ分からないです。
そうすると、およそ世の中の「不公平」というのは、
不公平として問題にできないということなのでしょうか?
> >「こういうことをやっても捕まらないこともある」ことは
> >公平な運用が行われているのですか?
>
> はい。
> 不公平だというのであれば
> なぜ不公平であるかを述べましょう。
> 公平さを失わす事情が必ずあるはずですから容易に説明できるはずです。
> (たとえば私が出した賄賂を渡してもみ消したなんてえのはそうですね。)
おまわりさんが忙しいとか、たまたまだれも見ていなかった
とか、さまざまな事情で不公平な運用が行われているという
ことなのでは?
「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」というのが、
どうして公平といえるのかが分からないです。
> 当然「暗数が0でない限りそれは不公平だ」という極論を主張されるのであれば
> それはそれでかまいませんが。
> 私はそのような極論には反対しますし
どうしてですか?
私は、完璧な公平なんてできない以上、むしろある程度の
不公平は仕方がないというように思っていました。
In article <koabe-531CE1....@news.fu-berlin.de>,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
およそ完璧な公平ができない以上、
どういう運用がされていると、「公平」といえるのか、
どういう運用であれば、公平だと考えればいいのかという
ところを明確にしたいです。
たとえば、スピード違反の取り締まりで、同じ日に同じを走って
いたのに、警察の取り締まりの都合上、午後3時に違反した人は
捕まって、午後5時に違反した人は捕まらないのは仕方がない
とか、そういうのは、私の上記引用部の書き方だと「仕方が
ない」不公平だと思うのですが、そういうことは、端的には
どのように説明すればいいのかしら。
On Sat, 21 Jun 2003 21:30:08 +0900,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> 不公平が問題じゃない、不利益が問題になっているってことでしょう。
>> 不公平でも利益を得てればいいってことは。
>
>まだ分からないです。
>そうすると、およそ世の中の「不公平」というのは、
>不公平として問題にできないということなのでしょうか?
この疑問はちょっと的を外していると思います。
>> 不公平が問題じゃない、不利益が問題になっているってことでしょう。
>> 不公平でも利益を得てればいいってことは。
の部分は、
公平さが実現されれば不公平感も解消される
という主張に対する反論(の一部)ですから。
それはそれとして、
>そうすると、およそ世の中の「不公平」というのは、
>不公平として問題にできないということなのでしょうか?
この疑問自体に対する答えは、そんなことはない、でしょう。
でも、不公平を問題にするには、何が公平で何が不公平なのかを
きちんと評価することが必要となります。
その評価の基準として、阿部さんは
「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」ということがあれば不公平だ
と考えられているようです。しかし、
「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」だけでは不公平とは言えない
という話は既に出ています。
ここまでの流れでは
(1)「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」は不公平ではないのか
(2)「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」から来る不公平感は
遵法意識に悪い影響を与える
という2つの論点が出ています。
(1)に対しては、佐々木さんの <20030616...@nn.iij4u.or.jp> で、
(2)に対しては、僕の <3ef1e7e7$0$259$44c9...@news2.asahi-net.or.jp> や
佐々木さんの <20030621...@nn.iij4u.or.jp> で
それぞれ反論が出ています。
ただ、僕の印象では、(1)への反論に対して阿部さんは(2)を主張し、
(2)への反論に対しては(1)を主張し、という感じで話が噛み合わなく
なりつつあります。これ以上は堂々めぐりかもしれません。
--
FUKUI Tsuyoshi
In article <3ef47718$0$261$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> ただ、僕の印象では、(1)への反論に対して阿部さんは(2)を主張し、
> (2)への反論に対しては(1)を主張し、という感じで話が噛み合わなく
> なりつつあります。これ以上は堂々めぐりかもしれません。
そうですね。私は「なるほど!」と心から言えるような、
核心に至っていない感じがしています。
何度も説明してもらっているのですが、「どうして《それ》を
《不公平》と言ってはいけないか」が分からないのです。
> >そうすると、およそ世の中の「不公平」というのは、
> >不公平として問題にできないということなのでしょうか?
>
> この疑問自体に対する答えは、そんなことはない、でしょう。
> でも、不公平を問題にするには、何が公平で何が不公平なのかを
> きちんと評価することが必要となります。
不公平として問題にしていい不公平と、現在の話題との
違いが、私は理解できていません。
問題にしていい不公平の例と、問題にできない例を
比較していただけるとありがたいです。
不公平が問題であって、そこに利害が絡んでいるということでは?
普通に考えて「後ろ暗い行為から利益を得たことを黙っている」というのはそ
れほど不自然には感じませんから。
>>> なのに、自分が捕まると「不公平だ」となる。
>>
>>不公平を不公平と認識したとも言えるのではないかと思います。
>
>全く言えませんね。
>上記の説明のとおり阿部さん自ら
>不利益を受けたから不公平だと言っています。
上記より「利益を受けた時は沈黙し不利益を受けた時は不公平だと言う」こと
自体に矛盾はなく、それが「不公平が存在しない」根拠になるわけではないと
思います。
>公平にやったって不公平と感じる人が出ることは
>心理学で説明されていると思います。
これも「だから不公平ではない」とは言えないし、速度超過や違法駐車の取締
りが「ちょっと公平とは言い難い」やり方で行われているのは事実と言って
も過言ではないでしょう。
--
wacky
> Followup-To: fj.soc.traffic
☆Subject: Re: 処罰の公平性 (Re: pokemon
In article <3ef5129a$0$269$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>
wa...@all.at writes:
>> これも「だから不公平ではない」とは言えないし、速度超過や違法駐車の取締
>> りが「ちょっと公平とは言い難い」やり方で行われているのは事実と言って
>> も過言ではないでしょう。
逆に考えてそういう不公平?を世論が受け入れていることなんでしょう。
世間が徹底的に取り締まるベキと考えているなら
みんなが発見次第、かたっぱしから通報して検挙して
もらうようになるかと思いますが、市民一人ひとりが
見逃しているのが現実でしょう。
#北海道の方では、住宅地とかすぐに通報されるという
#噂を20年前に聞きましたが、そんなことはないかも(汗)。
結局、車社会とかいいつつ、駐車場は全然足りないんじゃない
でしょうか。営業車とかとくに困るでしょう。
最近では、秋葉原などでは、商店の無断使用対策なのか?
店のまんまえにパーキングとか出来てますが。
#あれ、客にとってもじゃまなんですが。よく止める勇気ある
#と思います。傷つけられそう(笑)。
車の持ち主にとっては、駐車場が増えるのは有りがたいことかも。
#その分、取り締まりもやりやすくなってる?
ここ8年行ってないですが、大阪日本橋では、車がびっしり。
#これも取り締まると店の売り上げにひびくとか噂が(笑)。
京都では、2重駐車は取り締まってるのを「よく」目撃
しましたが、1重は、黙認してます。これも変(^^;
だけど、まぁそういうものなんでしょうね。(どっかの市場)
PS
駐車違反は、はじめて車を買ったその月にやられました(笑)。
天理でトコヤにいっってるたったの30分の間に。それが
トラウマとなり、それ以降はありません。これも抑止力?(違)
#しかも、たまたま年に2回程度の強化月間だったらしい。
On Sun, 22 Jun 2003 10:17:04 +0900,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> ただ、僕の印象では、(1)への反論に対して阿部さんは(2)を主張し、
>> (2)への反論に対しては(1)を主張し、という感じで話が噛み合わなく
>> なりつつあります。これ以上は堂々めぐりかもしれません。
>
>そうですね。私は「なるほど!」と心から言えるような、
>核心に至っていない感じがしています。
ですから、
(1)への反論への反論
(2)への反論への反論
を直接して欲しいのですが…。
(1)から(2)、(2)から(1)へと論点を行ったり来たりするのでなく。
>不公平として問題にしていい不公平と、現在の話題との
>違いが、私は理解できていません。
僕は、不公平として問題にしていい不公平と、問題にできない不公平が
あるなんて話はしていないはずですが。
僕の投稿のどの部分を読んでそう思われたのかご指摘いだだけますか?
--
FUKUI Tsuyoshi
全く反対です。それだと雪印と同じです。
いろいろ書きたいことはあるんだけど
一点に絞る。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/21 21:30:08 JST
>Message-ID:<koabe-531CE1....@news.fu-berlin.de>
>
>おまわりさんが忙しいとか、たまたまだれも見ていなかった
>とか、さまざまな事情で不公平な運用が行われているという
>ことなのでは?
「不公平」かどうかの判断基準は
「暗数0か否か」ってことでよいのね?
(「不公平感」じゃないよ。)
言い換えれば犯罪は全て検挙されなければ既に不公平であるということだね。
私は反対。
不公平というのは通常
「差がないこと」を言うのではなく
「非合理的な理由に基づく差が存在すること」を指すから。
公平と平等は必ずしも同じ概念ではないとは言え
憲法14条の差別の禁止が
異なる扱いをすることを全て禁止していると読んではいけないことと同じ。
ちなみに刑事訴訟法248条によって
起訴自体検察官の裁量が許される訳で
(チッソ川本事件ですら公訴権濫用論は否定された。)
検察官が裁量できることをもって「不公平」と言うなら
その「不公平」というのは
およそ世間的に通らない意味における不公平でしかない。
検察官が裁量できることをもって「不公平」と言わないなら
捜査機関が検挙しなかったorできなかったものがあることをもって
直ちに「不公平」と評価するのは
短絡的。
ちなみに英語の「fair」の反対語は「foul」
不正・違法・こすい・ずるいなどの訳語を与えられるもの。
単純に「差がある」だけではだめ。
私も同じです。そのような態度には反対します。
が、実際問題として雪印だけが特別な悪の組織であったわけではありません。
#でもって、告発した西宮冷蔵の方が倒産してしまう世の中。
--
wacky
探そうとしましたが、条件絞込みが不適切で
うまく以下の数値にたどり着けませんでした。
>地裁起訴の道路交通法違反事件で9114人中無罪になったのは0人
>簡裁起訴の道路交通法違反事件で313人中無罪になったのは9人
>……裁判に持ち込めば99.9%の確率で有罪判決が出ます。
> 全体で見た時の99.95%よりは無罪率は高い?(笑)
上の件数は道路交通法全体に対してですから
このうちいわゆるねずみ取り裁判の割合が不明なので
例としては不適切かなと思います。
クルマ雑誌などの月間ニュース欄やレポートとして
ねずみ捕り裁判関連の記事が時々掲載されますが、
これらを読んだ印象として
どうもねずみ捕りを裁判に持ち込む件数自体が極めて少ないように
私には思えます。
簡易裁判所への裁判に持ち込む人が年間数人レベルなら
統計とNagataさんの主張が両立しそう。
ただ、
取り締まりをうけた測定日時場所や、設備の設置,運用状況などを
その場で写真などにきちんと記録しておかないと
裁判を維持するに必要な証拠が不足するので、
これがない人は大抵は裁判に持ち込まないと思われます。
立ち読みした本に半数以上が無罪と書かれているからと言って、
数字だけを鵜呑みにしないほうがよろしいかと>Nagataさん
--
----------------------------------------------------
Taro Yoshida E-mail ta...@dcc.co.jp
----------------------------------------------------
>From:Taro Yoshida
>Date:2003/06/23 13:17:19 JST
>Message-ID:<bd5v0d$okf$1...@dccns.dcc.co.jp>
>
>>平成13年度の司法統計によれば
>>(最高裁のホームページから探せるよ)
>
>探そうとしましたが、条件絞込みが不適切で
>うまく以下の数値にたどり着けませんでした。
>
>>地裁起訴の道路交通法違反事件で9114人中無罪になったのは0人
>>簡裁起訴の道路交通法違反事件で313人中無罪になったのは9人
>>……裁判に持ち込めば99.9%の確率で有罪判決が出ます。
>> 全体で見た時の99.95%よりは無罪率は高い?(笑)
司法統計->年報->刑事事件->32表・35表
>上の件数は道路交通法全体に対してですから
>このうちいわゆるねずみ取り裁判の割合が不明なので
>例としては不適切かなと思います。
不適切というほどはずしちゃいませんよ。
道路交通法違反罪の場合
反則金相当で反則金を実際に支払えば(いわゆる青きっぷ)
そもそも刑事事件にならないんで32・35表にはあがってこないし
いわゆる赤きっぷは交通略式なんで14表
三者処理でなくても略式であればやはり14表にあがってくるんで
32表・35表にはあがらない。
32表・35表というのは
「違反自体が悪質なので公判請求」
「違反者が悪質なので公判請求」
(特に32表は地裁事件だからいわゆるほぼ交通三悪事件。)
でなければまさに
「被告人が争っている事案」
ですからね。(争っていれば反則金も略式も不適用。)
通常1審刑事事件全体の有罪率が99.95%で
道路交通法違反に限定すれば99.9%で
その道路交通法違反も母数から軽い方の事案は抜かれていて
無罪人員が10人程度であるにもかかわらず
その10人の多くがねずみ取り裁判で
>簡易裁判所への裁判に持ち込む人が年間数人レベルなら
>統計と
「その本の記述(証拠能力を争うと半分は無罪)」とが両立する
有罪率がいきなり50%台に落ちる
……と考えるのは
それは統計の読み方として問題大ありだと思います。
だからもともとその本の記述は根拠のない感想にすぎないものなのです。
もしその本が根拠も示さず証拠能力を争うと半分は無罪と言っていいなら
「函館地裁管内で平成以後無罪が出た例に道路交通法違反なし。
道路交通法違反で無罪主張した例は全敗。」
くらい言ってもいいな。(笑)
なお
「Nagataさんの主張」が
「不公平を理由に争う」ことを意味しているのであれば
統計以前にアウトです。
別投稿でもちらっと書いたけど
チッソ川本事件ですら公訴権濫用は否定され
「それ自体が別個犯罪を構成するのではない限り
裁量で起訴不起訴を決めることは違法ではない。」
と示されている以上
交通違反において自分だけ捕まるのは不公平だなどという主張は
通る訳がありません。
「あんたのやったことは犯罪」と言って有罪判決が出るだけ……です。
☆Subject: Re: スピード違反 (Re: 処罰の公平性
In article <20030623...@nn.iij4u.or.jp>
>> 佐々木将人@函館 です。
>> 「Nagataさんの主張」が
>> 「不公平を理由に争う」ことを意味しているのであれば
>> 統計以前にアウトです。
了解しました。
>> チッソ川本事件ですら公訴権濫用は否定され
>> 「それ自体が別個犯罪を構成するのではない限り
>> 裁量で起訴不起訴を決めることは違法ではない。」
結局、世論がそれを認めているのでしょうね。
個人的には、裁量についても裁判所が管轄して欲しい気も
しますが、それは無理なお願いな気もしますし、「現場」を
しらない私が「会議室」であーだこーだ考えても
意味がないと思い、やめておきます(^^;
--
yna...@st.rim.or.jp
/* 事件は~ 織田さん特集あるらしい。契約してないTBS(謎) */
情報ありがとうございます。
>>上の件数は道路交通法全体に対してですから
>>このうちいわゆるねずみ取り裁判の割合が不明なので
>>例としては不適切かなと思います。
>
>不適切というほどはずしちゃいませんよ。
>道路交通法違反罪の場合
>反則金相当で反則金を実際に支払えば(いわゆる青きっぷ)
>そもそも刑事事件にならないんで32・35表にはあがってこないし
>いわゆる赤きっぷは交通略式なんで14表
>三者処理でなくても略式であればやはり14表にあがってくるんで
>32表・35表にはあがらない。
これは了解しています。
>32表・35表というのは
>「違反自体が悪質なので公判請求」
>「違反者が悪質なので公判請求」
>(特に32表は地裁事件だからいわゆるほぼ交通三悪事件。)
>でなければまさに
>「被告人が争っている事案」
>ですからね。(争っていれば反則金も略式も不適用。)
これも判るのですが、
ねずみ捕りの無罪率の話題で
道路交通法全体の裁判有罪率99.9%を当てはめるのは
ちょっと行き過ぎかなという主旨で書きました。
個人的な印象で
>「違反自体が悪質なので公判請求」
>「違反者が悪質なので公判請求」
の割合が
>「被告人が争っている事案」
よりかなり大きいイメージがあったので。
大きな追突事故に関する刑事裁判や、
営業車の無免許運転での雇用側の責任問題なんてのは
新聞で多々見かけているもので。
#もちろん割合を知っているわけではないので
#私の憶測ではありますし、申し訳ないとは思うのですが。
#理系のせいか有効数字が気になるってのもあり。
>>簡易裁判所への裁判に持ち込む人が年間数人レベルなら
>>統計と
>
>「その本の記述(証拠能力を争うと半分は無罪)」とが両立する
>有罪率がいきなり50%台に落ちる
>……と考えるのは
> それは統計の読み方として問題大ありだと思います。
ねずみ捕り関連の裁判件数について
新聞雑誌などより
私が「非常に少ない(年数件程度か?)」という印象を持っていたために
#ここがそもそも問題ではある。個人的にきちんと割合調べないとね(^^)
その程度の件数ならありうるかという読みでした。
なので
>「違反自体が悪質なので公判請求」
>「違反者が悪質なので公判請求」
>「被告人が争っている事案」
の割合が不明の道路交通法全体の裁判有罪率、99.9%を
そのまま当てはめるのが統計の読み方として気になったわけです。
>だからもともとその本の記述は根拠のない感想にすぎないものなのです。
本の具体的な誌名がない以上これは判ります。
#誌名が判れば本の参考文献欄を当たる手があるのですが。
>もしその本が根拠も示さず証拠能力を争うと半分は無罪と言っていいなら
>「函館地裁管内で平成以後無罪が出た例に道路交通法違反なし。
> 道路交通法違反で無罪主張した例は全敗。」
>くらい言ってもいいな。(笑)
元の統計でも地裁起訴では全敗ですからいいんじゃないでしょうか。
新潟では簡易裁判所で無罪判決1件でて
地裁にいったようです。参考まで。
http://autoascii.jp/issue/2001/0406/article8284_1.html
さて、
この手の検証をするには
元記事の出典文献調査と同時に
道交法裁判中にねずみ捕り裁判がどの程度あるかを
調べる必要があるわけですが、
この手の情報って裁判所に行かないと閲覧できないのでしょうか。
地元の図書館で簡裁313件の件名、概要などが閲覧できれば
暇な時にでも調べてみようと思うのですが。
キーになる文献名などお教えいただければ幸いです。
>「Nagataさんの主張」が
>「不公平を理由に争う」ことを意味しているのであれば
>統計以前にアウトです。
>別投稿でもちらっと書いたけど
>チッソ川本事件ですら公訴権濫用は否定され
>「それ自体が別個犯罪を構成するのではない限り
> 裁量で起訴不起訴を決めることは違法ではない。」
>と示されている以上
>交通違反において自分だけ捕まるのは不公平だなどという主張は
>通る訳がありません。
これについては異論ありません。
>From:Taro Yoshida
>Date:2003/06/24 13:51:27 JST
>Message-ID:<bd8lce$2qe$1...@dccns.dcc.co.jp>
>
>ねずみ捕りの無罪率の話題で
>道路交通法全体の裁判有罪率99.9%を当てはめるのは
>ちょっと行き過ぎかなという主旨で書きました。
私行きすぎだとは全然思ってませんよ。
>個人的な印象で
>>「違反自体が悪質なので公判請求」
>>「違反者が悪質なので公判請求」
>の割合が
>>「被告人が争っている事案」
>よりかなり大きいイメージがあったので。
これ自体は間違いないです。
だけど、
「全体の有罪率の中で道路交通法違反だけが特異な現象を示している」
「道路交通法違反の中でも
いわゆるねずみ取りの事案だけ特異な現象を示している」
と考えるのはそれこそ根拠のない話ですね。
実際
「全体の有罪率の中で道路交通法違反だけが特異な現象を示している」
の方は数字が出ていて
0.05%なんて差はあるけど
こんなんで「特異」ととる方がどうかしています。
(後で述べますけど定性的な話としては
特異が起こる要因は実は存在しているけど
それはもし働いているならむしろ有罪率は上がる方向に働くんです。)
後者については数字が出てないけど
だからといって
「道路交通法違反の中でも
いわゆるねずみ取りの事案だけ特異な現象を示している可能性がある」
と主張するのは、可能性の存在自体は間違いじゃないけど、
その可能性をことさら述べるのはバランスは失していますな……。
(で、バランスを失していることは後述の定性的な話をすれば
明らかになるでしょう。)
むしろ「他の事件とそう変わらないな」と思う方が自然。
>>もしその本が根拠も示さず証拠能力を争うと半分は無罪と言っていいなら
>>「函館地裁管内で平成以後無罪が出た例に道路交通法違反なし。
>> 道路交通法違反で無罪主張した例は全敗。」
>>くらい言ってもいいな。(笑)
>
>元の統計でも地裁起訴では全敗ですからいいんじゃないでしょうか。
でも元の統計は平成13年統計だけど
上の私の話は平成元年から平成15年6月23日までだから(笑)
(ちなみに24日今日になっても状況に変化はなしです。(爆笑))
それに函館地裁管内の簡裁の数字も含めています。
根拠なしでいいなら
道路交通法違反の無罪主張は年数件の単位で出ていますよ。
否認じゃない事件が95%以上なのは間違いないですが。
……んで全敗。
>新潟では簡易裁判所で無罪判決1件でて
>地裁にいったようです。参考まで。
>http://autoascii.jp/issue/2001/0406/article8284_1.html
いや、簡裁刑事の控訴は高裁です。
あと簡裁には「裁判長」はいないっす。
>この手の情報って裁判所に行かないと閲覧できないのでしょうか。
ってえか裁判所も含めてどこも持ってないです。
なぜなら調べてないから。
だから各自の体験を集計するしかないんですね。
(データがある訳ないというのも
「半分無罪ってそりゃ嘘でしょ」と判断した要因の1つ。)
>キーになる文献名などお教えいただければ幸いです。
裁判所の統計は文字どおり「司法統計」というタイトルで刊行されているはずです。
あと警察の発行する「警察白書」も参考になるでしょう。
ちなみに定性的な話を1発。
道路交通法違反における無罪主張率は
(他の事件や全体平均と比べて)なかなか高いとは思いますよ。
それは「うまくやれば」と思わせるものがあるのでしょうし
そういうように無責任に煽る本の存在もあるでしょうし……。
で、前にも書いたけど警察だってずさんはずさんなんです。
測定方法だって必ずしも毎回毎回正確だとは言えない
実際、有罪判決を出すために要求される
「合理的な疑いをさしはさむことができないほどの証明」
というハードルにひかかかる例が出て
その例では無罪判決が出る訳です。
……で、ここが重要なポイントなんだけど
一般人も買える法律系の専門雑誌には、
新たな論点で無罪が出た判決ってたいてい載るんですよ。
当然一般人が買えない部内資料的な刊行物も存在して
(でも文献としてひかれることがあるから一般人も買えるのかも。)
そういうのでは当然のように載っちゃうわな。
警察向けのなら「こんな無罪を出さないように」なんて
特集がもしかしたらあるかもしれない……。
そういう無罪判決を教訓に警察だって対策を講じてくる訳ですよ。
次第に取り締まりの精度や証拠の精度が上がっていく。
そして交通事犯って他の事件に比べて定型的な要素が大きいし
事案も大量にあるからマニュアル化が容易。
だからトータルで見れば
「警察が取り締まりの精度を高めてきている」という点で
確かに特異な状況というのは存在するものの
特異な状況が存するのであればむしろ有罪率はあがる訳ですから
いきなり50%に落ちるなんてえのは
いよいよ想定しにくい訳です。
In article <20030622...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> >おまわりさんが忙しいとか、たまたまだれも見ていなかった
> >とか、さまざまな事情で不公平な運用が行われているという
> >ことなのでは?
>
> 「不公平」かどうかの判断基準は
> 「暗数0か否か」ってことでよいのね?
> (「不公平感」じゃないよ。)
> 言い換えれば犯罪は全て検挙されなければ既に不公平であるということだね。
>
> 私は反対。
> 不公平というのは通常
> 「差がないこと」を言うのではなく
> 「非合理的な理由に基づく差が存在すること」を指すから。
率直に言うと、まずどんなことも同じように扱われるというのが
基本にあって、その周囲にさまざまな理由による揺れというか、
公平に含めていいんじゃないという範囲があるようなイメージで
捉えています。
また、これをもちだすとまた論点が混ざってしまうかも知れない
ですが、いくらなんでもおまわりさんが四六時中25メートル置き
くらいに立っていて、駐車違反とかスピード違反を取り締まって
いるのもどうかと思うのですが、さりとて駐車違反で捕まる人が
年に一人というのも極端で、そのあたり最適値みたいなのがある
のではないかという気がしています。
> 公平と平等は必ずしも同じ概念ではないとは言え
> 憲法14条の差別の禁止が
> 異なる扱いをすることを全て禁止していると読んではいけないことと同じ。
(引用順を変えます)
> ちなみに英語の「fair」の反対語は「foul」
> 不正・違法・こすい・ずるいなどの訳語を与えられるもの。
> 単純に「差がある」だけではだめ。
公平と平等の違いについて、是非とももう少し具体例による
説明を伺いたいです。「法の下の平等」ということも含め
きっちりと理解したいです。
> ちなみに刑事訴訟法248条によって
> 起訴自体検察官の裁量が許される訳で
> (チッソ川本事件ですら公訴権濫用論は否定された。)
> 検察官が裁量できることをもって「不公平」と言うなら
> その「不公平」というのは
> およそ世間的に通らない意味における不公平でしかない。
世間的に通らないというのは、法律論として認められない
というのか、多くの人が納得しないという多分にあいまいな
ところなのか、という疑問があります。せっかくなので、
こうしたところも、すっきりとしたいです。
あと、他の国ではどのように考えられているのかなども、
知りたいです。
In article <3ef57931$0$261$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> ですから、
> (1)への反論への反論
> (2)への反論への反論
> を直接して欲しいのですが…。
> (1)から(2)、(2)から(1)へと論点を行ったり来たりするのでなく。
直接反論をしているつもりなのですが、行ったり来たりに
なっているみたい。ごめんなさい。
なんだか今伺っている説明だと納得ができなくて、でも
その納得できなさが、うまく表現できていません。
> >不公平として問題にしていい不公平と、現在の話題との
> >違いが、私は理解できていません。
>
> 僕は、不公平として問題にしていい不公平と、問題にできない不公平が
> あるなんて話はしていないはずですが。
> 僕の投稿のどの部分を読んでそう思われたのかご指摘いだだけますか?
In article <3ef47718$0$261$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> でも、不公平を問題にするには、何が公平で何が不公平なのかを
> きちんと評価することが必要となります。
上記引用部です。しかし読み直すと、評価できないのであれば、
そもそも不平等という問題ではない、ということですね。
ごめんなさい。
でも、どう評価するのか、それに照らし合わせると現在の話題は
どうなのか、というのが私にはつかめていません。
| Message-ID: <bcssbm$7pc$1...@news2.rim.or.jp>
| 書店で立ち読みした本で、ねずみ取りの証拠能力うんぬん
| で裁判に持ち込めば、半分以上は無罪になるとか?
| それの真偽は私は確認できませんが、もしそうなら
記憶をたぐると「裁判に持ち込む」んじゃなくて
「青キップ等の承認印を押さない」のでは?と
思います。それならありそうですか?
#比率は別にして(^^;
承認をしない=裁判になる、と誤解していました。
#というか不起訴という言葉もその当時から見た
#記憶もあるのですが、バラバラになってました。
まぁ、承認しない=(被告?が)裁判に持ち込もうとする
--> その結果不起訴になることがある。
ならあながち間違いでも...(大汗)。
という訳で、
☆Subject: Re: スピード違反 (Re: 処罰の公平性
In article <bd8lce$2qe$1...@dccns.dcc.co.jp>
ta...@dcc.co.jp writes:
>> >「その本の記述(証拠能力を争うと半分は無罪)」とが両立する
>> >有罪率がいきなり50%台に落ちる
>> >だからもともとその本の記述は根拠のない感想にすぎないものなのです。
>>
>> 本の具体的な誌名がない以上これは判ります。
>> #誌名が判れば本の参考文献欄を当たる手があるのですが。
裁判にはなっていないのかも?知れません。すみません。
おしいれを整理したら出てくるかも?ですが、ないかも。
#ラジオライフとか、かなり古いネコマップ系の本とか...
もう10年以上車ない生活なので、とんと御無沙汰。
あるいは、やはり偶然書店で立ち読みした全然別の
改造系の雑誌かも(笑)。
--
yna...@st.rim.or.jp
レンタカーにレーダつけてるという噂はありません(おぃ)。
On 03.6.21 9:30 PM, in article
koabe-531CE1....@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>
> 「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」というのが、
> どうして公平といえるのかが分からないです。
「同じことをすると、捕まる確率がほぼ同じ」ってことじゃ
ないでしょうか?
確率が100%であろうが10%程度であろうが、人による扱いの差がなければ
公平と言えるのではないか、と。
もちろん、あまり確率が低いと「捕まったのは運が悪かった」的発想を
助長させるかもしれませんが、それは「不公平だから」というのとは
違いますよね。
なお「同じことをしたのに俺は捕まってあいつは捕まらないのは不公平だ」と
いうような奴は、たとえ捕まる確率がほぼ100%になったとしても、こんどは
「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは不公平だ」
などと言い出したりして、どこまでいってもそういう意味での
「不公平感」はなくならないように思います。
--
湯川伸樹 @ 愛知県名古屋市
yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp
佐々木さんがそう認識している事は了解しています。
>後者については数字が出てないけど
>だからといって
>「道路交通法違反の中でも
> いわゆるねずみ取りの事案だけ特異な現象を示している可能性がある」
>と主張するのは、可能性の存在自体は間違いじゃないけど、
>その可能性をことさら述べるのはバランスは失していますな……。
>(で、バランスを失していることは後述の定性的な話をすれば
> 明らかになるでしょう。)
>むしろ「他の事件とそう変わらないな」と思う方が自然。
ネズミ捕り裁判件数がある程度多ければこれはその通りです。
件数が少ないと、
例えば日本国民の男女比がうちの男女比に当てはまらないように
統計上の数字と乖離してきますよね。
前記事のようにわたしはねずみ捕り裁判の件数が少ないのではと
考えていたので乖離の可能性が気になっているというわけです。
実際の件数が不明の状態ではバランス失っていると言う点は
確かにその通りですね。すみません。
>>この手の情報って裁判所に行かないと閲覧できないのでしょうか。
>
>ってえか裁判所も含めてどこも持ってないです。
>なぜなら調べてないから。
そうなんですか。
>だから各自の体験を集計するしかないんですね。
>(データがある訳ないというのも
> 「半分無罪ってそりゃ嘘でしょ」と判断した要因の1つ。)
ねずみ捕り裁判だと
確かそれを専門にしている弁護士がいた記憶あるので
そういった人のところにはある程度(全部じゃないと思うけど)
データが集積しているかもしれませんね。
>>キーになる文献名などお教えいただければ幸いです。
>
>裁判所の統計は文字どおり「司法統計」というタイトルで刊行されているはずです。
>あと警察の発行する「警察白書」も参考になるでしょう。
ありがとうございます。
>……で、ここが重要なポイントなんだけど
> 一般人も買える法律系の専門雑誌には、
> 新たな論点で無罪が出た判決ってたいてい載るんですよ。
> 当然一般人が買えない部内資料的な刊行物も存在して
> (でも文献としてひかれることがあるから一般人も買えるのかも。)
> そういうのでは当然のように載っちゃうわな。
これは判ります。
> 警察向けのなら「こんな無罪を出さないように」なんて
> 特集がもしかしたらあるかもしれない……。
ここは佐々木さんの想像ですよね。
「今後こんな犯罪を出さないように」という訓示などは
テレビなどでも見られますから、
雑誌の特集でなくても同種のことは充分ありうるとは思いますけど。
> そういう無罪判決を教訓に警察だって対策を講じてくる訳ですよ。
> 次第に取り締まりの精度や証拠の精度が上がっていく。
> そして交通事犯って他の事件に比べて定型的な要素が大きいし
> 事案も大量にあるからマニュアル化が容易。
> だからトータルで見れば
> 「警察が取り締まりの精度を高めてきている」という点で
> 確かに特異な状況というのは存在するものの
> 特異な状況が存するのであればむしろ有罪率はあがる訳ですから
道路交通法違反の場合、
極端に悪質でない限り明らかに有罪であると本人が認めた場合には
略式裁判で済ます選択があるわけですから
精度が上がって有罪率が上がると
正式裁判に行く人の割合が下がる形になると思うのですが。
ということでWeb公開されている司法統計から
第35表の終局総人数および第14表略式裁判の新受人数を抜き出してみました。
35表 14表
終局総人数(a) 新受人数(b) 割合(a/b)
H11 332 867573 0.0383%
H12 331 754350 0.0439%
H13 313 731740 0.0428%
この3年間では特異な状況はあるともないとも言えません。
新受人数が減った事が捜査精度向上によるものなのか
交通マナーの向上によるものなのかはわかりませんが
ちょっと気になる所ではあります(今回の議論からずれてしまうので割愛)。
交通事故発生件数や自動車保有状況、人口を含めて
もうすこし昔からの資料があればなにかが見えてくるかもしれないですね。
> いきなり50%に落ちるなんてえのは
> いよいよ想定しにくい訳です。
特異な状況があると言えなかったのでここは割愛。
ともかく、
今すぐ調べられる資料では
簡裁起訴の道交法違反の正式裁判313件中無罪9人
など、道路交通法全体の情報しかないわけですし、
道路交通法で正式裁判になる中に、いわゆるねずみ捕り裁判がどれだけあるか、
それらの有罪・無罪はどうなのかについては、
私が調べるか、調べた人から資料提供うけない限り話が続かない事もまた確か。
佐々木さんと私の意見が同じ点、相違する点、その理由も判りましたし、
機会がありましたら私が調べてみると言う事で議論としてはここまでかな?
佐々木さん、おつきあいありがとうございました。
>From:Taro Yoshida
>Date:2003/06/25 13:52:57 JST
>Message-ID:<bdb9r9$1v6$1...@dccns.dcc.co.jp>
>
>件数が少ないと、
>例えば日本国民の男女比がうちの男女比に当てはまらないように
>統計上の数字と乖離してきますよね。
その点は否定しませんし
数として被告人が認めている事件に比べれば
圧倒的に少ない点もそのとおりです。
……でも冷静に考えれば
もし集団が小さいがゆえに
比率があてにならないのであるなら
99.9%もあてにならない程度に
50%もあてにならない数字ではある訳です。
>>ってえか裁判所も含めてどこも持ってないです。
>>なぜなら調べてないから。
>
>そうなんですか。
そうです。
……別に統計って趣味でやっている訳じゃないから……。
それが何らかの必要がありそうでやっているんだけど
さすがに「道路交通法違反」の事案の中で
「ねずみ取り」の事案を検討する実益が
裁判所にはないし
裁判所が他の機関に何かをお願いする関係でも実益はないでしょう……と。
>> 警察向けのなら「こんな無罪を出さないように」なんて
>> 特集がもしかしたらあるかもしれない……。
>
>ここは佐々木さんの想像ですよね。
そうです。
もしかしたらないかもしれない……。
>道路交通法違反の場合、
>極端に悪質でない限り明らかに有罪であると本人が認めた場合には
>略式裁判で済ます選択があるわけですから
>精度が上がって有罪率が上がると
>正式裁判に行く人の割合が下がる形になると思うのですが。
まずね。
私個人はああいう定性的な意見を述べたものの
「実は効いてないんじゃないか」と思っているものなんです。
ところで
「精度が上がって有罪率が上がると正式裁判に行く人の割合が下がる」
というのは「有罪率が高いしより高くなっている」ことを
被疑者の多くが知っているということが前提になりますよね?
……でもそれほど知らないような気はするな……。
>交通事故発生件数や自動車保有状況、人口を含めて
>もうすこし昔からの資料があればなにかが見えてくるかもしれないですね。
そうですね。
紙ベースの資料の頃から追わないと……。
>佐々木さん、おつきあいありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ。
>From:Nagata
>Date:2003/06/24 16:03:10 JST
>Message-ID:<bd9snu$js6$1...@news2.rim.or.jp>
>
>最初にお詫び、私のいい加減な記憶を頼りにした記事が
>元で混乱させてしまい失礼しました。
じゃあさあ、
記憶に頼らなくてもいい、私の数少ないヒット作
「交通違反チャート」も見ておきましょうよ~。(笑)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/4496/project2/rr/1002.htm
それを見るとわかるように
>記憶をたぐると「裁判に持ち込む」んじゃなくて
>「青キップ等の承認印を押さない」のでは?と
>思います。それならありそうですか?
……それ「裁判に持ち込む」のとほとんど同旨です。
>承認をしない=裁判になる、と誤解していました。
……ちっとも誤解じゃない……。
>まぁ、承認しない=(被告?が)裁判に持ち込もうとする
>--> その結果不起訴になることがある。
>
>ならあながち間違いでも...(大汗)。
まあそれはね。
「なることがある」のは間違いなし。
だけど一方で「起訴されればたいてい有罪」なのも
データに裏づけられた事実。
ちなみに刑事だから被告「人」ね。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/24 21:41:20 JST
>Message-ID:<koabe-C324DA....@news.fu-berlin.de>
>
>率直に言うと、まずどんなことも同じように扱われるというのが
>基本にあって、
そりゃ細かい議論には全然使えない基本でしょう。
「同じ」というのが実は評価基準によって複数あり得て
しかもその相互間で衝突が起き得るものである以上、
重要なことは「何の点において同じ」かという「何の点」
すなわち同じこと自体ではなく
何の点を重視して評価するかという観点です。
A案「東京都にも鳥取県にも同額の1億2000万円の交付金を交付する」
のも
B案「東京都にも鳥取県にも人口1人あたり同額の10円の交付金を交付する」
のも
いずれでも
「東京都と鳥取県を同じに取り扱っている」と主張することは可能です。
おさえておかなければならないのは
ある基準で同じだと判断するということは
別の案を「同じではない」と判断しているということです。
この時に単に「同じか否か」を議論するのは
ナンセンスそのものであります。
交通違反についても同じことが言えます。
「公平」というものが差の不存在を示すなんて単純な話ではないことは
既に指摘したとおりですが
捕まる人と捕まらない人がいたって
それがどういう観点で同じか否かを考えることの方が大事なのであって
それを放っておいて単純に「同じ」だとか「違う」だとか議論するのが
ナンセンスなのです。
だからこそ同じじゃないと判断する基準が大切になるのです。
>> 公平と平等は必ずしも同じ概念ではないとは言え
>> 憲法14条の差別の禁止が
>> 異なる扱いをすることを全て禁止していると読んではいけないことと同じ。
>(引用順を変えます)
>> ちなみに英語の「fair」の反対語は「foul」
>> 不正・違法・こすい・ずるいなどの訳語を与えられるもの。
>> 単純に「差がある」だけではだめ。
>
>公平と平等の違いについて、是非とももう少し具体例による
>説明を伺いたいです。
今回の議論に関係あるの?
それより公平にしても平等にしても
「ある基準で公平・平等とされることは
別の基準では不公平・差別とされることがある」
ことをおさえる必要があると思うんだが……。
ちなみに平等には「等しい」という概念が含まれていますが
公平にはかならずしも「等しい」という概念が含まれていません。
……そして平等と言えども絶対的な「等しさ」を要求している訳ではないのが
憲法14条の話です。
合理的な区別であれば許されるということは
ある基準からは平等とされないかもしれないけど
それゆえに直ちにだめとなるのではなく
違う扱いをすることの合理性があれば許される
言い換えれば違う基準で平等であり、その基準が妥当なら
憲法14条違反を問わないというのが肝要な訳です。
>世間的に通らないというのは、
世間の人は不公平という言葉を
単に「差がある」という意味では使ってないということです。
このあたりは別投稿の湯川さんの指摘が参考になるでしょう。
お巡りさんがの目の前で行えばほぼ確実に捕まりますよね?
その際、そのお巡りさんが自分の判断で勝手に見逃したりした場合は
不公平だと言えるでしょう。
スピード違反は現行犯が原則、よって罪を犯した時点で見つからなかった
場合はその罪を問われません。それをもって不公平だと言うことは出来ます。
前者は個人が勝手に不公平な運用をしているだけで全体的には問題無い
ですよね?
後者は運用をしている側はルールに則っているので「不公平だ!」と言ったと
ころでそれは屁理屈ってもんです。
> 「同じことをして捕まったり捕まらなかったり」というのが、
> どうして公平といえるのかが分からないです。
つ~ことでそれはシステムがそうなっているからです。
それに正確には「同じこと」では無いことに注意して下さい。
> その際、そのお巡りさんが自分の判断で勝手に見逃したりした場合は
> 不公平だと言えるでしょう。
> スピード違反は現行犯が原則、よって罪を犯した時点で見つからなかった
> 場合はその罪を問われません。それをもって不公平だと言うことは出来ます。
>
> 前者は個人が勝手に不公平な運用をしているだけで全体的には問題無い
> ですよね?
「問題無い」の意味がわからん…。
> 後者は運用をしている側はルールに則っているので「不公平だ!」と言ったと
> ころでそれは屁理屈ってもんです。
「屁理屈」とは言わないんじゃないかなぁ。
んで、「不公平なルール」とか「不公平なシステム」が
あるという事をpapaさんは認めているわけですけれど、
なんでそこで「不公平だ!」と言っちゃいけんのでしょうか。
--
ayu
ですのでそのお巡りさんだけがおかしいのであり
全体としての問題では無いですよね。
勿論そのお巡りさんの存在自体も問題です。
が、此処での問題は主に不公平についてですので・・・
> > 後者は運用をしている側はルールに則っているので「不公平だ!」と言ったと
> > ころでそれは屁理屈ってもんです。
>
> 「屁理屈」とは言わないんじゃないかなぁ。
> んで、「不公平なルール」とか「不公平なシステム」が
> あるという事をpapaさんは認めているわけですけれど、
> なんでそこで「不公平だ!」と言っちゃいけんのでしょうか。
結果が不公平なのとシステム自体が不公平なのは同一
に考えてはイカンでしょう。
そのルールが不公平だと思う場合はそのルールそのものに対して
文句を言うべきであり、結果(この場合は例えば速度違反?)
に文句を言うのは筋が違うのでは無いでしょうか。
In article <20030625...@nn.iij4u.or.jp>,
c...@nn.iij4u.or.jp (SASAKI Masato) wrote:
> そりゃ細かい議論には全然使えない基本でしょう。
> 「同じ」というのが実は評価基準によって複数あり得て
> しかもその相互間で衝突が起き得るものである以上、
> 重要なことは「何の点において同じ」かという「何の点」
> すなわち同じこと自体ではなく
> 何の点を重視して評価するかという観点です。
なるほど。でも……
> 交通違反についても同じことが言えます。
> 「公平」というものが差の不存在を示すなんて単純な話ではないことは
> 既に指摘したとおりですが
> 捕まる人と捕まらない人がいたって
> それがどういう観点で同じか否かを考えることの方が大事なのであって
> それを放っておいて単純に「同じ」だとか「違う」だとか議論するのが
> ナンセンスなのです。
……交通違反の取り締まり、例えば駐車違反の取り締まりとか、
スピード違反の取り締まりとかの場合は、どのような観点に
よって公平といえるのか、具体的に頭に浮かんでいません。
> >> 公平と平等は必ずしも同じ概念ではないとは言え
> >> 憲法14条の差別の禁止が
> >> 異なる扱いをすることを全て禁止していると読んではいけないことと同じ。
> >(引用順を変えます)
> >> ちなみに英語の「fair」の反対語は「foul」
> >> 不正・違法・こすい・ずるいなどの訳語を与えられるもの。
> >> 単純に「差がある」だけではだめ。
> >
> >公平と平等の違いについて、是非とももう少し具体例による
> >説明を伺いたいです。
>
> 今回の議論に関係あるの?
だってだって、佐々木さんが「ちなみに」と、興味を引くような
ことを書いたから、もっと知りたいと思ったのに~。
> ……そして平等と言えども絶対的な「等しさ」を要求している訳ではないのが
> 憲法14条の話です。
> 合理的な区別であれば許されるということは
> ある基準からは平等とされないかもしれないけど
> それゆえに直ちにだめとなるのではなく
> 違う扱いをすることの合理性があれば許される
> 言い換えれば違う基準で平等であり、その基準が妥当なら
> 憲法14条違反を問わないというのが肝要な訳です。
違う基準で「平等」なの?
違う扱いをすることの合理性という話は、どちらかというと
「この程度の揺れ(範囲)なら、平等に含めていいじゃん」
といったようなことと理解していました。
同じことを言っているのかも知れないが、私はニュアンスが
つかめていないです。
In article <BB1F1E5C.2EB%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> 「同じことをすると、捕まる確率がほぼ同じ」ってことじゃ
> ないでしょうか?
> 確率が100%であろうが10%程度であろうが、人による扱いの差がなければ
> 公平と言えるのではないか、と。
憲法のいう法の下の平等というのは、法が適用される確率が
等しければそれで充分ということなのでしょうか?
極端な話、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
なんてことでも、それは憲法のいう法の下の平等なのですか?
> もちろん、あまり確率が低いと「捕まったのは運が悪かった」的発想を
> 助長させるかもしれませんが、それは「不公平だから」というのとは
> 違いますよね。
うーん。どうして違うのかが、まだピンときていません。
確率が90%でも10%でも、捕まる人と捕まらない人がいる
ことには変わりがないけど、捕まる人の方が少ない方が
「不公平」という発想が出てきそうな気がします。が、
いま考えが変わりつつあるところなので、もう少し考えて、
みます。
> なお「同じことをしたのに俺は捕まってあいつは捕まらないのは不公平だ」と
> いうような奴は、たとえ捕まる確率がほぼ100%になったとしても、こんどは
> 「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは不公平だ」
> などと言い出したりして、どこまでいってもそういう意味での
> 「不公平感」はなくならないように思います。
「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは
不公平だ」というのは、あらかじめ定められた処罰が、
定められたとおり適用されているうえでのことで、私に
とっては説明がつく「不公平感」なので、いいのです。
On 03.6.28 6:45 PM, in article
koabe-DC8B81....@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
> 憲法のいう法の下の平等というのは、法が適用される確率が
> 等しければそれで充分ということなのでしょうか?
> 極端な話、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
> なんてことでも、それは憲法のいう法の下の平等なのですか?
無作為に抽出した30%の人に殺人の特権が与えられている訳では
ないですよね。そういった意味で、現在の法律では殺人の罪を
犯した人は100%殺人罪に問われると思いますよ。
状況やら証拠やら捜査体制やらさまざまな事情で捕まる人
捕まらない人、捕まっても処罰される人、されない人など
出てきますが、それはあくまで結果の話でして、そこに至る
までの間になんらか非合理的な理由があってそういう結果になったので
ないのなら、それは「公平」と言えるでしょう、という意味です。
> 「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは
> 不公平だ」というのは、あらかじめ定められた処罰が、
> 定められたとおり適用されているうえでのことで、私に
> とっては説明がつく「不公平感」なので、いいのです。
異なる人間が異なる時間・場所で周りの状況も含めて全く同一の
犯罪を犯すことは不可能ですよね。だけどそれを、
ある局面では「同じなのに不公平だ」といい、別の局面では
「違うのに不公平だ」という。
要は単に「不公平だ」と主張したいだけ、そうすることで不満を
言いたいだけってことで、そういう点でどちらも同じなんです。
・・・それと、
捕まる、捕まらないってことだって、警察がいつ・どこで・どのような
捜査をするかは警察の判断に任されているし、捕まえたって起訴するか
しないかは検察官の判断に任されている、ってこともあらかじめ
定められていて、それをそのように適用しているだけってことなのじゃ
ないですか?
あまり変な比喩を考えると、それにとらわれて正しい判断ができなくなりませんか。
そもそも犯罪検挙にしろ交通違反にしろ"無作為に抽出"はされていないと思います。
本当に無作為に抽出されているのであればそれは大きなスキャンダルでしょうから、
きちんとした資料の裏づけを元に糾弾したほうがよいでしょう。
そもそも法の前につれてきて裁くまでにされる努力の結果と
法の前に出されてその法の下に平等に扱われることは別のことではないでしょうか。
>
> > なお「同じことをしたのに俺は捕まってあいつは捕まらないのは不公平だ」と
> > いうような奴は、たとえ捕まる確率がほぼ100%になったとしても、こんどは
> > 「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは不公平だ」
> > などと言い出したりして、どこまでいってもそういう意味での
> > 「不公平感」はなくならないように思います。
>
> 「あいつは俺よりひどいことをやっているのに同じ処罰なのは
> 不公平だ」というのは、あらかじめ定められた処罰が、
> 定められたとおり適用されているうえでのことで、私に
> とっては説明がつく「不公平感」なので、いいのです。
客観性のない不公平感を議論しても無駄ではないでしょうか。
客観的には同じ罪を犯していても、
罪を犯した当人が他者との比較を普通に行えないと言うことで、
そのごく個人的に限定された主観を元にした不公平感を、
一般論で論じようとすること自体が変だと思います。
In article <BB241C5B.127%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> 状況やら証拠やら捜査体制やらさまざまな事情で捕まる人
> 捕まらない人、捕まっても処罰される人、されない人など
> 出てきますが、それはあくまで結果の話でして、そこに至る
> までの間になんらか非合理的な理由があってそういう結果になったので
> ないのなら、それは「公平」と言えるでしょう、という意味です。
結局、確率の問題ではなく、確率的に不公平であっても、
あるいは必ずしも全員が捕まらなくても、説明がつけば
いいということですよね。等しくなくても、ある程度の
範囲を等しいものと考えましょうということではないの
ですか?
> 異なる人間が異なる時間・場所で周りの状況も含めて全く同一の
> 犯罪を犯すことは不可能ですよね。だけどそれを、
> ある局面では「同じなのに不公平だ」といい、別の局面では
> 「違うのに不公平だ」という。
> 要は単に「不公平だ」と主張したいだけ、そうすることで不満を
> 言いたいだけってことで、そういう点でどちらも同じなんです。
ずーっと疑問なのですが、心理学的に説明をしていますが、
「不公平だ」という声が本当にただそう主張したいだけか、
実際「不公平だ」といわれても仕方がないことなのかという
検討って、全然しなくていいものなのですか?
例えば、「不公平だ」といわれても、駐車違反の取り締まりが、
渋滞発生地域とか、事故多発地帯とか、子どもが遊ぶ公園の
周囲とかで重点的に行われているとかであれば、たとえ確率的に
一緒でなくても、話として説明がつくと思うのです。
それが、何だかよく分からないけどときどき駐車違反を取り
締まっているというのであれば、「なんで自分ばっかりが
そうなるのだ。不公平だ」という感覚を助長しやすい気が
します。
>From:Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>
>Date:2003/06/29 04:32:28 JST
>Message-ID:<BB241C5B.127%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>
>
>捕まる、捕まらないってことだって、警察がいつ・どこで・どのような
>捜査をするかは警察の判断に任されているし、
まあ警察については刑事訴訟法上は
「犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする。」
(189条2項)とあるので
犯罪があると思料するのに捜査をしないというのは本来はだめなんでしょうが
でも全く裁量が認められないものでもないでしょうし
>捕まえたって起訴するか
>しないかは検察官の判断に任されている、ってこともあらかじめ
>定められていて、
これは既に指摘のとおり248条がありますので
「検察官が起訴しないのは不公平」というのは
主張自体失当です。
(個々の事案で不起訴が不当だと考えるのであれば
検察審査会に申し出るという手続もあります。)
よって
>それをそのように適用しているだけってことなのじゃ
>ないですか?
おおむね正解
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/28 18:27:06 JST
>Message-ID:<koabe-69B87E....@news.fu-berlin.de>
>
>……交通違反の取り締まり、例えば駐車違反の取り締まりとか、
>スピード違反の取り締まりとかの場合は、どのような観点に
>よって公平といえるのか、具体的に頭に浮かんでいません。
不公平であることを
みんなにわかる基準によって客観的に説明できない限り
それは「不公平感」にすぎません。
よって「気のせいです」と言われて終わりです。
>だってだって、佐々木さんが「ちなみに」と、興味を引くような
>ことを書いたから、もっと知りたいと思ったのに~。
私の言いたいことは
「公平」というのは必ず「評価」を伴うということです。
「差」の存在は評価というよりは単なる比較です。
(少なくとも公平よりは評価に依存する割合が低い)
英語の方がわかりやすいんじゃないんですか?
>違う基準で「平等」なの?
>違う扱いをすることの合理性という話は、どちらかというと
>「この程度の揺れ(範囲)なら、平等に含めていいじゃん」
>といったようなことと理解していました。
>同じことを言っているのかも知れないが、私はニュアンスが
>つかめていないです。
東京都と鳥取県に1億2000万円ずつ配るのは平等なの?
東京都と鳥取県に人口1人あたり10円ずつ配るのは?
で、東京都に1億2000万円、鳥取県に600万円配るのは?
東京都に人口1人あたり10円配り、
鳥取県に人口1人あたり200円配るのは?
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/06/28 18:45:07 JST
>Message-ID:<koabe-DC8B81....@news.fu-berlin.de>
>
>極端な話、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
>なんてことでも、それは憲法のいう法の下の平等なのですか?
どこが不平等なの?
それがきちんと説明できなければ
不公平「感」にすぎません。
>確率が90%でも10%でも、捕まる人と捕まらない人がいる
>ことには変わりがないけど、捕まる人の方が少ない方が
>「不公平」という発想が出てきそうな気がします。
それは「不公平感」であって「不公平」ではないんでないの?
ABE Keisuke wrote:
>
> ずーっと疑問なのですが、心理学的に説明をしていますが、
> 「不公平だ」という声が本当にただそう主張したいだけか、
> 実際「不公平だ」といわれても仕方がないことなのかという
> 検討って、全然しなくていいものなのですか?
なぜしなきゃいけないんですか?
> それが、何だかよく分からないけどときどき駐車違反を取り
> 締まっているというのであれば、「なんで自分ばっかりが
> そうなるのだ。不公平だ」という感覚を助長しやすい気が
> します。
助長して何か困ることはありますか?
> 憲法のいう法の下の平等というのは、法が適用される確率が
> 等しければそれで充分ということなのでしょうか?
> 極端な話、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
> なんてことでも、それは憲法のいう法の下の平等なのですか?
憲法のいう法の下の平等というのは,「人種、信条、性別、社会的身分
又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」
ことなのだから、「女性だと処罰されない」(性別)だとか
「警察官だと処罰されない」(社会的身分)だとか「○○家の
人は処罰されない」(門地)のようなのはいけないけど、
「見つからなければ処罰されない」とか「罪が軽ければ
処罰されない」のごときは問題ないかと思われます。
さて、「無作為に抽出した30%の人には殺人罪が問われない」
ですが「あらかじめ抽出した30%のひとはその後の殺人罪が処罰
されない」との意なら、抽出されたこと自体が社会的身分になって
不平等とおもいます。任意の殺人事件において殺人犯がわかっても
30%の確率で処罰されないとの意なら、まあ抽出が真に無作為であ
る限りは不平等とはいえないと思います。
--
西山智明
Tomoaki Nishiyama
On 03.6.29 8:33 AM, in article
koabe-929572....@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
> 結局、確率の問題ではなく、確率的に不公平であっても、
> あるいは必ずしも全員が捕まらなくても、説明がつけば
> いいということですよね。等しくなくても、ある程度の
> 範囲を等しいものと考えましょうということではないの
> ですか?
えーと、、、言葉のニュアンスの問題かなとも思うので
なかなか伝えるのは難しいですが、、、
そうですねぇ、、、例えば、さいころを6回振ったとして、
結果はたまたま1が2回、2が2回、4と5が1回出たとします。
その結果をもって1と2が「なんで3とか6は1回も出ないのに
おれらばっかり2回も出るんだ。不公平じゃん」と言って
いるようなもん、と思っていただければ分かってもらえる
かしらん。
確率的には当然1/6づつで公平なわけですが、個々の事例で
みれば当然偏りはあるわけですね。
> ずーっと疑問なのですが、心理学的に説明をしていますが、
> 「不公平だ」という声が本当にただそう主張したいだけか、
> 実際「不公平だ」といわれても仕方がないことなのかという
> 検討って、全然しなくていいものなのですか?
「不公平だ」と言われてもしかたがないことかどうかの検討って、
結局、結果に差が生じた理由の検討そのものってことですよね。
これって、議論のかなり最初のころに指摘があったと思いますが、
例えばわいろとか渡したとかの非合理的な理由で処罰を免れ
たのならそりゃ不公平でしょう、と。
あるいはさっきのさいころの例ですと、1や2が出やすいような
細工がしてあったなら、不公平といわれても仕方がない。
だからそういう理由があるのかどうかという検討は意味をもつと
思いますけど、「あいつは捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」
っていう主張にはそういう理由の検討ってすっぽり抜けていると思うし、
たいていはそんな理由なんかないのでしょう?
もしなんらか本当に非合理的な理由があってのことなら
端的にその理由の方で主張するでしょうから。
> それが、何だかよく分からないけどときどき駐車違反を取り
> 締まっているというのであれば、「なんで自分ばっかりが
> そうなるのだ。不公平だ」という感覚を助長しやすい気が
> します。
でもその「自分ばっかり」ってのが完全に錯覚ですもん。
その人が駐車違反をするのを狙って取り締まりしてるわけじゃ
ないでしょ?
〆 ̄ ABE Keisuke さんの <koabe-69B87E....@news.fu-berlin.de>
| Date: Sat, 28 Jun 2003 18:27:06 +0900
| NewsGroups: fj.soc.law
| Subject: Re: 処罰の公平性 (Re: pokemon
|― から
> ……交通違反の取り締まり、例えば駐車違反の取り締まりとか、
> スピード違反の取り締まりとかの場合は、どのような観点に
> よって公平といえるのか、具体的に頭に浮かんでいません。
自分の感覚ですが、
複数台の駐車違反車両があって、駐車違反を取り締まりがありました。
この違反車両は、全て同一区画内にあります。
ある取り締まり時刻において
「全ての該当車両を[検挙する/しない]」⇒ 公平
「全ての該当車両のうち1部のみを検挙する」⇒ 不公平
かと思います。
"ほぼ同時刻"に、"ほぼ同じ場所"で、おきた違反(*) に対し、
警察力を行使(= 違反の検挙)するのならば、特別な理由が無い限り
上記全ての該当車両を対象にする。
あたりが、自分の感覚です。
--
SAKUDA Yasunori mailto:sak...@selene.dricas.com
> 確率的には当然1/6づつで公平なわけですが、個々の事例で
> みれば当然偏りはあるわけですね。
それ、そういうサイコロ使ってるという前提があるから言える
話とちゃうの?
今回の話で、サイコロ自体の特徴を考慮せずに「気のせいだ」で
済ましちゃうのは迂濶だし、つまらん話だと思います。
#パチンコで裏物を否定する人もそんな感じ。
--
ayu
On 03.7.1 1:31 AM, in article bdpoka$7vt$1...@nh1.u-aizu.ac.jp, "ayumu oshimi"
<d805...@u-aizu.ac.jp> wrote:
> Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> writes:
>
>> 確率的には当然1/6づつで公平なわけですが、個々の事例で
>> みれば当然偏りはあるわけですね。
>
> それ、そういうサイコロ使ってるという前提があるから言える
> 話とちゃうの?
> 今回の話で、サイコロ自体の特徴を考慮せずに「気のせいだ」で
> 済ましちゃうのは迂濶だし、つまらん話だと思います。
そのことに触れているのが、そのすぐ後の
On 03.6.30 1:00 AM, in article
BB253C11.133%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp, "Nobuki Yukawa"
<yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> あるいはさっきのさいころの例ですと、1や2が出やすいような
> 細工がしてあったなら、不公平といわれても仕方がない。
>
> だからそういう理由があるのかどうかという検討は意味をもつと
> 思いますけど、「あいつは捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」
> っていう主張にはそういう理由の検討ってすっぽり抜けていると思うし、
> たいていはそんな理由なんかないのでしょう?
の部分。
で、例えば駐車違反の取り締まりにそういった「特徴」があるの?
あるのなら、捕まった人はそういった問題点を指摘して「不公平だ」と主張
すべきだし、それを挙げずに(挙げることができずに)単に「あいつは
捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」なら、やはり「気のせい」
でしょう。
--
湯川伸樹 @ 愛知県名古屋市
yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp
「あいつは捕まらなくて俺は捕まった」という状況自体に不公平性がある場合
もあるのではないでしょうか。
・隣の車は俺より先に停まっていたのに俺だけ駐車違反
・みんな同じ速度で走行していたのに俺だけスピード違反
といった状況があったとすれば、通常区別が無いと思われる状況で区別が現れ
ているので不公平である可能性があるでしょう。で、この場合区別が為された
理由を示すべきなのは区別した方だと思います。
#例えばこれが「面倒なので一部を意識的に見逃した」とかだったら不公平の
#謗りは免れないでしょう。
--
wacky
> で、例えば駐車違反の取り締まりにそういった「特徴」があるの?
ぼくは知らない。
湯川さんは特徴知ってます?
> あるのなら、捕まった人はそういった問題点を指摘して「不公平だ」と主張
> すべきだし、それを挙げずに(挙げることができずに)単に「あいつは
> 捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」なら、やはり「気のせい」
> でしょう。
「あいつは捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」
から「気のせい」という判断しかできないんですかね。
出来ないのなら、その証明が欲しいです。
僕は今回の件に関してそもそもサイコロがどういう物か
情報を与えられていないし、また、サイコロの出目を以て
グラサイかどうかの判断、推測が不可能だとする根拠も
与えられてないと感じます。
その辺もう少し詳しい説明必要ではないですか。
--
ayu
あの~「まともに相手をしてやっても、せいぜい皮肉しか返ってこない
ひねくれ者の病人」の相手をしている事に気づいていますか?
# わかっていてやっているとしたら、なんとも奇特な……。
"wacky" <wa...@all.at> wrote in message
news:3f017557$0$260$44c9...@news2.asahi-net.or.jp...
> 「あいつは捕まらなくて俺は捕まった」という状況自体に不公平性がある場合
> もあるのではないでしょうか。
同様に「あいつは捕まって俺様は捕まらなかった」って状況も
存在するんでしょうが、そういう場合に「不公平だ」とか言う
やつってあんまり聞かないですね。
> ・隣の車は俺より先に停まっていたのに俺だけ駐車違反
> ・みんな同じ速度で走行していたのに俺だけスピード違反
ちゅうか、それ「みんな違反」なんでしょ。
# 単に、あんただけが捕まっただけのこと。
こういう文句を言う奴って「違反」と言う行為と「捕まった」
という結果の区別がついていないやつが多いように思えるのは、
気のせいかしら?
> といった状況があったとすれば、通常区別が無いと思われる状況で区別が現れ
> ているので不公平である可能性があるでしょう。で、この場合区別が為された
> 理由を示すべきなのは区別した方だと思います。
識別できる差異をもって特定のものを意図して捕まえたなら、
そりゃ区別でしょう。しかし、たまたま捕まえられた一台が
あんただからといって「俺様だけ区別された」とか考えるのなら、
自意識過剰の馬鹿(そのままか?)という謗は免れないでしょう。
# まあ、実際は他県ナンバーのファミリーカーの方が文句を
# 言わずにサインする(「サインしなければ、また、こっち
# の警察署まで来て貰うことになるよ」とか「子供も見て
# いるのに、お父さんがそんな駄々こねちゃいけないなあ~」
# とか言えば、一発?)とか、新しめのVIPは捕まえると
# 面倒な事になる人が乗ってる危険性が高いとかいうのが、
# 知らず知らずのうちに、深層心理に働くというのは、否定
# しませんが、それは区別とは呼べないでしょう。
> #例えばこれが「面倒なので一部を意識的に見逃した」とかだったら不公平の
> #謗りは免れないでしょう。
全部を捕まえるのは現実的ではないので、一部を捕まえた。
全部を捕まえると通行に支障が出るので、一部を捕まえた。
全部を捕まえると障害になって危険なので、一部を捕まえた。
非常に合理的ですね。そこに妬みや嫉みを重ねて「不公平だ」
とホザいている愚か者にはわからないだけの事でしょう。
「あんまり聞かない」から何?
「あんまり聞かないんだから公平だ」であれば論理性に欠ける主張と指摘せざ
るを得ません。
#以降も何か「言い掛かりを付けるのが目的」みたいなので略。
--
wacky
"wacky" <wa...@all.at> wrote in message
news:3f02d670$0$266$44c9...@news2.asahi-net.or.jp...
> > 同様に「あいつは捕まって俺様は捕まらなかった」って状況も
> > 存在するんでしょうが、そういう場合に「不公平だ」とか言う
> > やつってあんまり聞かないですね。
>
> 「あんまり聞かない」から何?
> 「あんまり聞かないんだから公平だ」であれば論理性に欠ける主張と指摘せざ
> るを得ません。
はて?単なる例示をもって、そこに書かれていない事を
読み取ろうとするのは、無理がありませんか?
# というか、それが「読めてしまう」のは「ヤマシさ」の
# なせる業なんでしょうかね?
# 警官に呼び止められただけで暴れ出してしまうような・・・
だいたい「俺様だけ捕まって不公平だ」という主張は「論理性に
欠ける」というか屁理屈でしかない事については
"yam" <h_...@h8.dion.ne.jp> wrote in message
news:TYyMa.64$FN4...@news1.dion.ne.jp...
$ 識別できる差異をもって特定のものを意図して捕まえたなら、
$ そりゃ区別でしょう。しかし、たまたま捕まえられた一台が
$ あんただからといって「俺様だけ区別された」とか考えるのなら、
$ 自意識過剰の馬鹿(そのままか?)という謗は免れないでしょう。
:
$ 全部を捕まえるのは現実的ではないので、一部を捕まえた。
$ 全部を捕まえると通行に支障が出るので、一部を捕まえた。
$ 全部を捕まえると障害になって危険なので、一部を捕まえた。
$ 非常に合理的ですね。そこに妬みや嫉みを重ねて「不公平だ」
$ とホザいている愚か者にはわからないだけの事でしょう。
で明確に述べているんですが・・・・
> #以降も何か「言い掛かりを付けるのが目的」みたいなので略。
と、読んでいないようなので、お話になりませんね。
いずれにしろ、「都合の悪いことは見えない」と言いたいだけなら、
何も言わない方がみっともなくないように思いますが・・・・
#老婆心ながら、アドバイス。
ひとまずここまでで理解したことのまとめと、さらなる疑問です。
私は、公平な取り締まりというのは、例えば
駐車違反の取り締まりだとしたら、およそ駐車違反をした人が
すべて取り締まられるのが「究極の公平」とでもいいましょうか、
理想像としての公平・平等だと思っていました。だから、
捕まる人と捕まらない人がいること自体が、その理由のいかんを
問わずひとまず「不公平」といえると考えていました。
ところが、公平というものは、さまざまな切り口によって
異なる実現の仕方が考えられる。
そして、湯川さんによると、公平な取り締まりとは、たとえば
すべての駐車違反の人々が取り締まられる確率が同じであれば
よいのだ、公平だといえるということでした。
また、作田さんによると、ある1回の取り締まりにおいてすべての
駐車違反が取り締まられれば公平だといえるということでした。
<bdo4lr$k72$1...@nn-os104.ocn.ad.jp>
私は、作田さんの説明は「駐車違反ならば必ず取り締まられる
可能性があるから公平だといえる」というように受け取り、
これは理解できると思いました。
In article <BB253C11.133%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> えーと、、、言葉のニュアンスの問題かなとも思うので
> なかなか伝えるのは難しいですが、、、
>
> そうですねぇ、、、例えば、さいころを6回振ったとして、
> 結果はたまたま1が2回、2が2回、4と5が1回出たとします。
> その結果をもって1と2が「なんで3とか6は1回も出ないのに
> おれらばっかり2回も出るんだ。不公平じゃん」と言って
> いるようなもん、と思っていただければ分かってもらえる
> かしらん。
> 確率的には当然1/6づつで公平なわけですが、個々の事例で
> みれば当然偏りはあるわけですね。
たぶんニュアンスだとは思うのですが、やっぱり理解できないなあ。
本当にさいころを振るような決め方で取り締まっているので
あれば、「確率が同じだから平等だ」とはいえると思うのですが、
そんな取り締まりの仕方をしているのかという疑問があります。
あと、確率が同じであればいいとなると、多かれ少なかれ
取り締まられない人が出てくると思うのですが、そういう
人が存在することを認めていいのかという部分が私の中で
処理できていません。
> だからそういう理由があるのかどうかという検討は意味をもつと
> 思いますけど、「あいつは捕まらなくて俺は捕まった。だから不公平」
> っていう主張にはそういう理由の検討ってすっぽり抜けていると思うし、
> たいていはそんな理由なんかないのでしょう?
> もしなんらか本当に非合理的な理由があってのことなら
> 端的にその理由の方で主張するでしょうから。
私は先にも書いたとおり、全員が捕まらないということ自体が
不公平だと考えていたから、これまでこうした指摘が何なのかが
よく理解できていなかったのですが、ようやく理解し始めたかも。
> > それが、何だかよく分からないけどときどき駐車違反を取り
> > 締まっているというのであれば、「なんで自分ばっかりが
> > そうなるのだ。不公平だ」という感覚を助長しやすい気が
> > します。
>
> でもその「自分ばっかり」ってのが完全に錯覚ですもん。
> その人が駐車違反をするのを狙って取り締まりしてるわけじゃ
> ないでしょ?
そうねえ。その人が駐車違反をしたことが悪いというのは
もちろん前提なのですが、駐車違反した人が全員は取り締ま
られていない現実を考えると、結局たまたま捕まっちゃった
人はその運命をのろえということなのかしら。
In article <bdo4lr$k72$1...@nn-os104.ocn.ad.jp>,
SAKUDA Yasunori <sak...@selene.dricas.com> wrote:
> "ほぼ同時刻"に、"ほぼ同じ場所"で、おきた違反(*) に対し、
> 警察力を行使(= 違反の検挙)するのならば、特別な理由が無い限り
> 上記全ての該当車両を対象にする。
>
> あたりが、自分の感覚です。
なるほど。これなら私も理解できます。
そうすると残りの問題は「いつどこで取り締まりを行うか」が
どのように決められているのかですね。
私は以前の投稿にも書いたのですが、この部分はむしろ
説明がつくような理由があれば(例えば、子どもが多い公園の
周囲は重点的に取り締まるとか)、必ずしも確率的に公平
でなくてもいいのではないかと思っているのですが、
そういう考えはまずいかしら。
#若干、引用が前後しています。
On 03.7.3 10:05 PM, in article
koabe-FD50A4....@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>
> そして、湯川さんによると、公平な取り締まりとは、たとえば
> すべての駐車違反の人々が取り締まられる確率が同じであれば
> よいのだ、公平だといえるということでした。
えーと、「すべての駐車違反の人々が取り締まられる確率が同じ」とは
言っていないです。これだと、どういう所にどういうふうに駐車違反しても
おなじ確率で捕まる、と言っているようですよね。
そうじゃなくて、同じような場所に同じような時間に同じような車種で
同じような駐車の仕方で駐車違反をした場合に、それを「俺」が
した時と「あいつ」がした時とで取り締まられる確率が同じ、つまり
人以外の条件が同じだったときに捕まる確率はおんなじでしょ、という
意味です。
で、それはつまり
> 「駐車違反ならば必ず取り締まられる
> 可能性がある
であり、その可能性が通常は「俺」と「あいつ」でほぼ同じと考えられる
から
> から公平だといえる」
ということを言いたいのです。
> 本当にさいころを振るような決め方で取り締まっているので
> あれば、「確率が同じだから平等だ」とはいえると思うのですが、
> そんな取り締まりの仕方をしているのかという疑問があります。
取り締まる側は、その場所を取り締まろうと決めるときに、普通は
そこで「誰が」駐車違反をしているか、ということは考慮せずに
決めていますよね。だから、駐車違反して捕まるのが「俺」であっても
「あいつ」であっても、ほぼ同じ確率だといえる、という意味。
これが例えば、あの車は警察署長の息子の車だから取り締まるの
やめとこ、とか、あいつからはわいろもらったから見逃したる、とか
だったら細工したさいころと同じでしょ、という意味でもある。
> あと、確率が同じであればいいとなると、多かれ少なかれ
> 取り締まられない人が出てくると思うのですが、そういう
> 人が存在することを認めていいのかという部分が私の中で
> 処理できていません。
?
> 私は、作田さんの説明は「駐車違反ならば必ず取り締まられる
> 可能性があるから公平だといえる」というように受け取り、
> これは理解できると思いました。
と書かれていますよね。
捕まる確率が1なら、「駐車違反は必ず取り締まられる」、
確率が0なら「駐車違反は絶対取り締まられない」。
確率がその間だからこそ「駐車違反ならば必ず取り締まられる
可能性がある」なんでしょ? そしてそれは、その時その時の
取り締まりでは取り締まられない人がいる、ってことを
当然に含んでいますよね?
だけど例えばある人が何回も同じような駐車違反を繰り返すとして、
それぞれの時では捕まったり捕まらなかったり、だけど
長いスパンでトータルしてみると、ある一定割合になっている。
確率っていうのはそういう意味。
#最初に出てきた「検挙率」だって、同じような意味合いですよね。
またその前のところで、
> また、作田さんによると、ある1回の取り締まりにおいてすべての
> 駐車違反が取り締まられれば公平だといえるということでした。
と書かれていますが、これだって考えてみれば同じことですよね。
ある区画が取り締まりの対象になってそこに駐車している車全てが
その時には取り締まられたとしても、じゃあそのすぐ隣の区画に止めて
ある車はどうなの?、とか、取り締まりの開始時間の直前にその場を
去った車、取り締まりが終了した直後にそこに止めた車は?、とか、
ほぼ同じ条件であってもその時その時では必ず取り締まられない人は
存在する訳です。
> そうねえ。その人が駐車違反をしたことが悪いというのは
> もちろん前提なのですが、駐車違反した人が全員は取り締ま
> られていない現実を考えると、結局たまたま捕まっちゃった
> 人はその運命をのろえということなのかしら。
いいえ。駐車違反をした自分自身をのろえ、ということ。
だって駐車違反しなければ駐車違反で取り締まられる可能性を
限りなく0に近づけることができて、そういう人は現実に
全員が取り締まられていないのですから。
話をちょいと元にもどしますけど、「俺は捕まったのにあいつは
捕まらなかった。だから不公平」という主張、後にどんな言葉が続くと
おもいますか?
「不公平だからあいつも捕まえろ」でしょうか?あいつを捕まえても
捕まえなくても、自分が捕まった状態ってのは変わらないですよね。
「あいつを捕まえたのだったら、俺が捕まったのも納得する」と
言うかもしれません。でもそれは裏返せば「あいつを見逃したのだったら
俺も見逃さなければ不公平だ」って言っているのと同じですよね。
要はこの主張って、「俺も見逃せよ」と言いたい、ってのが背景に
あると。
そういうふうに考えたときのこの「不公平感」ってどう思われます?
In article <BB2D3090.155%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> えーと、「すべての駐車違反の人々が取り締まられる確率が同じ」とは
> 言っていないです。これだと、どういう所にどういうふうに駐車違反しても
> おなじ確率で捕まる、と言っているようですよね。
えー!? そうじゃなかったのですか?
確率っていったらそう捉えるものだと思っていました。
> そうじゃなくて、同じような場所に同じような時間に同じような車種で
> 同じような駐車の仕方で駐車違反をした場合に、それを「俺」が
> した時と「あいつ」がした時とで取り締まられる確率が同じ、つまり
> 人以外の条件が同じだったときに捕まる確率はおんなじでしょ、という
> 意味です。
「同じこと」というのは単に「駐車違反した」ということでは
なく、「同じ時刻同じ場所に駐車違反した」ということだったの
ですね。
となると、そこで誰かが取り締まられる確率というのは、
結局その地点で取り締まりが行われる確率ということと
同じなのでしょうか? そして、それぞれの場所ごとの
確率は、異なるということでしょうか? で、それはそれで
よいということでしょうか?
私は地点ごとの確率は、異なっていても説明がつけばよいと
考えています。
> > あと、確率が同じであればいいとなると、多かれ少なかれ
> > 取り締まられない人が出てくると思うのですが、そういう
> > 人が存在することを認めていいのかという部分が私の中で
> > 処理できていません。
>
> ?
湯川さんが書いていたのと違う「確率」で考えていたのですが、
全駐車違反者のうち捕まる人の確率が50%だとすると、半数の
人は駐車違反を犯しても捕まらないのですが、一方で捕まる人が
いて、一方で捕まらない人がいると。でも、確率50%であっても
確率が等しければ「公平」なんだから、その「公平」の中では
捕まらない人がいることを認めていることになる、と捉えて
いました。
現実に、捕まった人は点数が減ったり罰金が科せられたりして、
捕まらなかった人はそういうことがない。その「差」は、何と
呼べばいいのかしら。
> > 私は、作田さんの説明は「駐車違反ならば必ず取り締まられる
> > 可能性があるから公平だといえる」というように受け取り、
> > これは理解できると思いました。
>
> と書かれていますよね。
> 捕まる確率が1なら、「駐車違反は必ず取り締まられる」、
> 確率が0なら「駐車違反は絶対取り締まられない」。
> 確率がその間だからこそ「駐車違反ならば必ず取り締まられる
> 可能性がある」なんでしょ? そしてそれは、その時その時の
> 取り締まりでは取り締まられない人がいる、ってことを
> 当然に含んでいますよね?
というか、作田さんの説明から私が受け止めたことは、たとえ
AさんとBさんの捕まる確率が等しくなくても、あるいはC地点と
D地点の取り締まりが行われる確率が等しくなくても、取り
締まりが行われれば必ず取り締まられる、ということです。
そこに、どうして確率が関係するのかが分からないです。
「確率」ということに目が行ってしまい忘れていましたが、
結局のところ、
「人による扱いの差がなければ公平と言えるのではないか」
だけでよかったのではないかという気がします。
> だけど例えばある人が何回も同じような駐車違反を繰り返すとして、
> それぞれの時では捕まったり捕まらなかったり、だけど
> 長いスパンでトータルしてみると、ある一定割合になっている。
> 確率っていうのはそういう意味。
そうなの? なんか全然違う気がする。
千葉駅の駅前にばっかり駐車違反する人と、住宅地にばっかり
駐車違反する人の確率は違うと思う。
> #最初に出てきた「検挙率」だって、同じような意味合いですよね。
同じなの?
> ある区画が取り締まりの対象になってそこに駐車している車全てが
> その時には取り締まられたとしても、じゃあそのすぐ隣の区画に止めて
> ある車はどうなの?、とか、取り締まりの開始時間の直前にその場を
> 去った車、取り締まりが終了した直後にそこに止めた車は?、とか、
> ほぼ同じ条件であってもその時その時では必ず取り締まられない人は
> 存在する訳です。
そうそう。で、それをどう納得させれば(すれば)いいのか
ということに関心があるのです。
> 言うかもしれません。でもそれは裏返せば「あいつを見逃したのだったら
> 俺も見逃さなければ不公平だ」って言っているのと同じですよね。
> 要はこの主張って、「俺も見逃せよ」と言いたい、ってのが背景に
> あると。
> そういうふうに考えたときのこの「不公平感」ってどう思われます?
そう思わせちゃいけないから、「公平」だと思えるような
取り締まりをしてほしいと思っているのですが。
On Sun, 06 Jul 2003 11:04:44 +0900,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> ある区画が取り締まりの対象になってそこに駐車している車全てが
>> その時には取り締まられたとしても、じゃあそのすぐ隣の区画に止めて
>> ある車はどうなの?、とか、取り締まりの開始時間の直前にその場を
>> 去った車、取り締まりが終了した直後にそこに止めた車は?、とか、
>> ほぼ同じ条件であってもその時その時では必ず取り締まられない人は
>> 存在する訳です。
>
>そうそう。で、それをどう納得させれば(すれば)いいのか
>ということに関心があるのです。
>
>> 言うかもしれません。でもそれは裏返せば「あいつを見逃したのだったら
>> 俺も見逃さなければ不公平だ」って言っているのと同じですよね。
>> 要はこの主張って、「俺も見逃せよ」と言いたい、ってのが背景に
>> あると。
>> そういうふうに考えたときのこの「不公平感」ってどう思われます?
>
>そう思わせちゃいけないから、「公平」だと思えるような
>取り締まりをしてほしいと思っているのですが。
やはり堂々めぐりのようですね。
「理解してきた」というようなことをおっしゃっていますが、
結局のところ、阿部さんは
「不公平感は、その存在自体が悪いことだ」
「違反者はすべてつかまらなければ公平ではない」
という考えから一歩も動いていないのですよ。自覚されていないようですが。
佐々木さんの <3EFEDD34...@nn.iij4u.or.jp> に対しては
どういう返答をされるのでしょう?
これ以上は、同じところを廻り続けるか、無駄に話が細かく
なっていくだけでしょうし、この辺が潮時ではないでしょうか。
--
FUKUI Tsuyoshi
In article <3f079535$0$253$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> やはり堂々めぐりのようですね。
>
> 「理解してきた」というようなことをおっしゃっていますが、
> 結局のところ、阿部さんは
> 「不公平感は、その存在自体が悪いことだ」
> 「違反者はすべてつかまらなければ公平ではない」
> という考えから一歩も動いていないのですよ。自覚されていないようですが。
ああ、そうですね。うーん。
なんというか、「どう考えればいいのか」ということは
分かってきた(という気がしている?)ですが、納得できて
いない感じです。
どうして「不公平感は、その存在自体が悪いことだ」「違反者は
すべてつかまらなければ公平ではない」と考えるのが駄目なのか、
というところで立ち止まっちゃっています。
> 佐々木さんの <3EFEDD34...@nn.iij4u.or.jp> に対しては
> どういう返答をされるのでしょう?
今のところ、分かりません。
たぶん、答えられないというのは考え方がおかしいのでは、
ということなのでしょうが、でも腑に落ちないのです。
> これ以上は、同じところを廻り続けるか、無駄に話が細かく
> なっていくだけでしょうし、この辺が潮時ではないでしょうか。
せっかくつかみかけた気がしているのに、終わらせたく
ないなあ。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/07/06 21:36:18 JST
>Message-ID:<koabe-A24E8E....@news.fu-berlin.de>
>
>> 佐々木さんの <3EFEDD34...@nn.iij4u.or.jp> に対しては
>> どういう返答をされるのでしょう?
>
>今のところ、分かりません。
>たぶん、答えられないというのは考え方がおかしいのでは、
>ということなのでしょうが、でも腑に落ちないのです。
その腑に落ちない……というのは
ひととおりの説明を受けたあとの話である以上
合理的な説明が自らできなければ
結局「感覚でしょ」とか「気のせいです」と言われる類のものです。
>せっかくつかみかけた気がしているのに、終わらせたく
>ないなあ。
まず自らその感覚を第3者にわかるように説明することです。
単なる感情の吐露では議論になりません。
ちなみに私は
「東京都と鳥取県」問題も出していますよ。
On 03.7.6 11:04 AM, in article
koabe-CA2AA6....@news.fu-berlin.de, "ABE Keisuke"
<ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
> In article <BB2D3090.155%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
> Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
>
>> えーと、「すべての駐車違反の人々が取り締まられる確率が同じ」とは
>> 言っていないです。これだと、どういう所にどういうふうに駐車違反しても
>> おなじ確率で捕まる、と言っているようですよね。
>
> えー!? そうじゃなかったのですか?
> 確率っていったらそう捉えるものだと思っていました。
そう取られたのでしたら、私の書き方がまずかったかな?
私の書いた意味は前記事の通りですので、すみませんが
そのつもりでそれ以前の記事を読み返してみてくださいな。
> となると、そこで誰かが取り締まられる確率というのは、
> 結局その地点で取り締まりが行われる確率ということと
> 同じなのでしょうか?
わいろとかが存在しなければ、その通りです。
もうすこし詳しく書くと、
(1) その誰かがその地点で違法駐車をしたという前提で
(2) その時にその地点で取り締まりが行われた
この2つが満足されたときに、その誰かが取り締まられる。
(1)が成立しても、取り締まりが行われなければ、捕まらない。
ここに「俺」と「あいつ」の間の不公平って、存在しますか?
存在するというのならどこに存在しますか?
> そして、それぞれの場所ごとの
> 確率は、異なるということでしょうか?
場所ごとの確率が異なっても、(2)の確率が異なるだけで、
やはり「俺」と「あいつ」で「その地点」ってのが同じだったら
同じこと。なにか「俺」と「あいつ」の間の不公平って入り込む
余地ありますか?
> で、それはそれで
> よいということでしょうか?
いけないとする理由はありますか?
> 結局のところ、
> 「人による扱いの差がなければ公平と言えるのではないか」
> だけでよかったのではないかという気がします。
そういうことをずっと言っているのですが、、、、、、
>> 言うかもしれません。でもそれは裏返せば「あいつを見逃したのだったら
>> 俺も見逃さなければ不公平だ」って言っているのと同じですよね。
>> 要はこの主張って、「俺も見逃せよ」と言いたい、ってのが背景に
>> あると。
>> そういうふうに考えたときのこの「不公平感」ってどう思われます?
>
> そう思わせちゃいけないから、「公平」だと思えるような
> 取り締まりをしてほしいと思っているのですが。
ありゃ、、、最初に戻っちゃったな、、、、
「違法行為をしたところ、取り締まりを受け捕まった。だけど見逃せよ。」
っていう主張って、考慮に値する主張なんですか?ってことなんだけど。
なぜ「そう思わせちゃいけない」のかを、これまでの議論をふまえて
説明してもらわないと、堂々めぐりっすね。
阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
「~は公平である」と「~は正しい状態にある(=問題ない)」とを
ほぼ同義に捉えられているように見えます。
その感覚でもって、
(1)捕まらない人がいたとしても、これこれを満たしていれば公平だと言える
という説明を
(2)これこれを満たしていれば(=公平ならば)、捕まらない人がいてもかまわない
という意味にとっているのではないかと思います。
典型的な例を以下にあげます。
<koabe-CA2AA6....@news.fu-berlin.de>
>湯川さんが書いていたのと違う「確率」で考えていたのですが、
>全駐車違反者のうち捕まる人の確率が50%だとすると、半数の
>人は駐車違反を犯しても捕まらないのですが、一方で捕まる人が
>いて、一方で捕まらない人がいると。でも、確率50%であっても
>確率が等しければ「公平」なんだから、その「公平」の中では
>捕まらない人がいることを認めていることになる、と捉えて
>いました。
まさに、
公平 → 捕まらない人がいることを認めている
という捉え方です。
<koabe-FD50A4....@news.fu-berlin.de>
>あと、確率が同じであればいいとなると、多かれ少なかれ
>取り締まられない人が出てくると思うのですが、そういう
>人が存在することを認めていいのかという部分が私の中で
>処理できていません。
「確率が同じであればいい」とは、公平と言って良いのかどうかに関する
「いい」の話なのですが、阿部さんは、
「取締まられない人の存在を認めてもいい」の話と取り違えています。
誰に対しても取締まられる確率が10%ならば公平である、と評価したからといって
10%じゃ低すぎるだろ、と言っちゃいけないということではありませんし、
残り90%も捕まえろと言っちゃいけないということでもありません。
その根拠として「不公平」を挙げるのには無理があるというだけの話です。
誰に対しても同じ確率であれば公平である、という話と
その確率でいいのか、という話は独立です。
公平さを保ちながら、その確率を上げていく(もちろんリソースの及ぶ限りで)
努力を続けるのは当然のことです。
--
FUKUI Tsuyoshi
In article <3f09a787$0$267$44c9...@news2.asahi-net.or.jp>,
tfu...@asahi-net.email.ne.jp (FUKUI Tsuyoshi) wrote:
> 阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
> 「~は公平である」と「~は正しい状態にある(=問題ない)」とを
> ほぼ同義に捉えられているように見えます。
そうです。
(以下、逆戻りしているみたいなことを書くかも知れませんが、
どこで引っ掛かっているのか明らかにした方が解決への近道だと
思うので、どういう考えをしていたかということをもう一度
書いてみます)。
つまり、公平であるのだったら、「公平じゃない。不公平だ」
というような人に対して説明がつくだろうと思っていたのです。
> 誰に対しても取締まられる確率が10%ならば公平である、と評価したからといって
> 10%じゃ低すぎるだろ、と言っちゃいけないということではありませんし、
> 残り90%も捕まえろと言っちゃいけないということでもありません。
> その根拠として「不公平」を挙げるのには無理があるというだけの話です。
>
> 誰に対しても同じ確率であれば公平である、という話と
> その確率でいいのか、という話は独立です。
> 公平さを保ちながら、その確率を上げていく(もちろんリソースの及ぶ限りで)
> 努力を続けるのは当然のことです。
そうです。
いまとなっては、「公平」というのが、例えば「ある地域で、
ある時刻に駐車違反の取り締まりを行う際に、駐車違反して
いる誰もが一様に取り締まられていればいい」というようなこと
だと分かりかけているのですが、依然としてうまく納得できて
いないのがこの部分です。
一つには、確かに取り締まりが行われれば誰もが取り締まられる
としても、取り締まられる率が100%でない限り、意図していない
としても、取り締まられる人と取り締まられない人が存在して
しまうわけです。そこで、取り締まられる人と取り締まられない人
の差というか、違いというかは、どのように考えればいいのかが
消化できていません。
袖の下を使ったなんていう意図的なことであれば、ものすごく
分かりやすく「ふざけるな!」といえるのですが。
また、取り締まられる率が10%だというのはどうして駄目なのか
ということに対する考え方として、私は次のように考えて
しまっています。
つまり、10%というのは、法が、10人に1人にしか適用されて
いない。本来誰にでも適用されるべき法が、(誰かを意図的に
選んだのではないとはいえ)ほとんどの人が適用される人が
適用されていないというのは不公平なのではないか。誰にでも
適用されるという公平な状態にしなければいけない(ここでの
公平は、私がこれまで思ってきた、誰にでも適用されるという
公平としています)。
とりあえずは、自分が引っ掛かっている(と思われる)部分を
書いてみました。
In article <BB2E650A.160%yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp>,
Nobuki Yukawa <yuka...@p4.numse.nagoya-u.ac.jp> wrote:
> >> 言うかもしれません。でもそれは裏返せば「あいつを見逃したのだったら
> >> 俺も見逃さなければ不公平だ」って言っているのと同じですよね。
> >> 要はこの主張って、「俺も見逃せよ」と言いたい、ってのが背景に
> >> あると。
> >> そういうふうに考えたときのこの「不公平感」ってどう思われます?
> >
> > そう思わせちゃいけないから、「公平」だと思えるような
> > 取り締まりをしてほしいと思っているのですが。
>
> ありゃ、、、最初に戻っちゃったな、、、、
> 「違法行為をしたところ、取り締まりを受け捕まった。だけど見逃せよ。」
> っていう主張って、考慮に値する主張なんですか?ってことなんだけど。
元に戻っちゃったし、変なことを書いちゃいました。
ごめんなさい。
最初に思っていたつもりのことは、
駐車違反が全部取り締まられる→法がきちんと適用されている
→OK
という前提で、
駐車違反がで取り締まられた人が「俺の友達もいつも駐車違反
しているのに捕まったことがない」と発言したとして、
・「おとなしく捕まるけど、あいつも捕まえろ」→法の
きちんとした適用を望むから、むげに否定できない。
・「俺も見逃せ」→法を逃れようとしているから、それは
だめ。
というようなことでした。だから、考慮に値しない
ということですね。
※上記は、古い考え方に基づいて考えているので、
もうちょっとこれまでのことを踏まえて考え直します。
>From:ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp>
>Date:2003/07/09 22:55:57 JST
>Message-ID:<koabe-74DD78....@news.fu-berlin.de>
>
>> 阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
>> 「~は公平である」と「~は正しい状態にある(=問題ない)」とを
>> ほぼ同義に捉えられているように見えます。
>
>そうです。
その語法は非常に特殊。
>つまり、公平であるのだったら、「公平じゃない。不公平だ」
>というような人に対して説明がつくだろうと思っていたのです。
で、説明をつける必要があるの?
>一つには、確かに取り締まりが行われれば誰もが取り締まられる
>としても、取り締まられる率が100%でない限り、意図していない
>としても、取り締まられる人と取り締まられない人が存在して
>しまうわけです。そこで、取り締まられる人と取り締まられない人
>の差というか、違いというかは、どのように考えればいいのかが
>消化できていません。
捕まらない人がいること自体を問題にするのは
私は極端な議論で採用できないと思います。
(理由は既述。)
>つまり、10%というのは、法が、10人に1人にしか適用されて
>いない。本来誰にでも適用されるべき法が、(誰かを意図的に
>選んだのではないとはいえ)ほとんどの人が適用される人が
>適用されていないというのは不公平なのではないか。誰にでも
>適用されるという公平な状態にしなければいけない(ここでの
>公平は、私がこれまで思ってきた、誰にでも適用されるという
>公平としています)。
公平の判断基準を比率だけに求めている時点で誤り。
On Wed, 09 Jul 2003 22:55:57 +0900,
ABE Keisuke <ko...@mcc.sst.ne.jp> wrote:
>> 阿部さんは「公平」という言葉を非常に広い意味で使われているようです。
>> 「~は公平である」と「~は正しい状態にある(=問題ない)」とを
>> ほぼ同義に捉えられているように見えます。
>
>そうです。
どうりで話が噛み合わないわけです。
>一つには、確かに取り締まりが行われれば誰もが取り締まられる
>としても、取り締まられる率が100%でない限り、意図していない
>としても、取り締まられる人と取り締まられない人が存在して
>しまうわけです。そこで、取り締まられる人と取り締まられない人
>の差というか、違いというかは、どのように考えればいいのかが
>消化できていません。
比較する必要がありますか?
違反しているのに取り締まられない人がいる
→ もっとちゃんと取り締まれよ
というだけの話では?
「違反しているのに取り締まられない人がいる」が正しくない状態であることには
同意します。なぜ正しくないかというと、違反という正しくないことが
放置されているからです。不公平だからではありません。
>また、取り締まられる率が10%だというのはどうして駄目なのか
>ということに対する考え方として、私は次のように考えて
>しまっています。
違反しているのに取り締まられない人が多いから駄目なんでしょう。
--
FUKUI Tsuyoshi
> 違反しているのに取り締まられない人が多いから駄目なんでしょう。
それは、「不公平だから駄目」という事でしょうか。
--
ayu