昨日のU-23 vs韓国戦の出来が良かったことで、
ますます矢面に立たされているジーコですが、
あまたある批判記事から、これはと思うものをご紹介します。
特に、「Variety Football」はやっぱりすごい。
こういう風になりたいなぁ、と。
つうか、日本代表監督、って仕事には興味はお持ちでないのか?と。
現に、素人がやってるんだし。:-P
http://members.jcom.home.ne.jp/varietyfootball/report/report_10.html
以下は、武藤文雄氏のページから。
「やる気が無い。」のか、それとも「してはいけない。」と思っているのか。
私的には、後者だと思いますが、これはこれで説得力があるかと。
http://www.geocities.jp/hsyf610muto/sayonarazico040219.html
最後に、今話題の抗議行動。
残念ながら、参加できないのですが、
楽しく(分けないか^^;)、にぎやかにやってほしいな、と。
くれぐれも、妙なところで暴れたり、もめたりしないようにしてほしいな。
言うまでも無いけど。
あと、東スポはさすが。
http://soccerunderground.com/blog/archives/000082.html
私的には、今この時期、あまり戦術で拘束する監督は長期的に見たとき、
得策でない、と思っているんですが、
選手の健康管理をないがしろにして、生命の危機に陥れるようなら、
どんなに有能な監督でもNG、だと思います。
--
| 片倉@OMA同盟参上 ka...@vesta.dti.ne.jp ...愛してる? |
| しかし祭りの後には一体、 ...愛してないよ|
| オイラの手の中には、 しかし、求めるものは、 ...闘うの? |
| 何が残るというのだろう 遥か遠く、路は果てしない ...闘うさ!|
"片倉@OMA同盟参上" wrote:
> どうも片倉@OMA同盟参上と申します。
>
> 昨日のU-23 vs韓国戦の出来が良かったことで、
> ますます矢面に立たされているジーコですが、
> あまたある批判記事から、これはと思うものをご紹介します。
2/23の日経夕刊の1面の半年連載の1面掲載のコラムで岡野俊一郎氏も
監督批判を正面きって取り上げているわけではないにせよ
先日のオリンピック代表の試合とA代表の試合を比べてオリンピック代表
の方が面白い試合だったとあっさり評価しています。
--
mailto:shi...@dd.iij4u.or.jp
Nobuhiro Shibuya at Office
Tokyo Japan
> 最後に、今話題の抗議行動。
参加者は60人とたいしたことなかったみたいですが、けっこう
あっちこっちのスポーツ紙で取り上げられたからデモンストレー
ションの役には立ったかな。
でも、取り上げたスポーツ紙も、ことの本質があんまり見えてない
のか、ニッカンあたりは「選手の起用法などに不満なファンが集
まった」とか、的を外した論評をしていました。(予定原稿?)
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/p-sc-tp3-040223-0014.html
選手の起用法とかだと、一部の選手のファンがフラストレーション
を起こしてるみたいにとれますが、問題はそんな表層的なことじゃ
ないということをスポーツ専門紙ならちゃんと報道しないと。
萩原@グリフィス大学
「采配に対する疑問の声」(スポニチ)というのも違う。言うなら
「采配」じゃなくて、総合的なビジョンとマネジメントの問題で
しょう。あと「やる気」を問題にする向きもありますが。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2004/02/25/02.html
スポーツ紙というのはどうしてこう問題を表層化したがるんだろう。
萩原@グリフィス大学
片倉@OMA同盟参上 wrote:
> 昨日のU-23 vs韓国戦の出来が良かったことで、
> ますます矢面に立たされているジーコですが、
あらためてこのときのビデオを見比べつつ、つらつらと思ふ……、
山本のチームはトルシエ的だと言われるけど、結局あれを日本人が継承すると、
こうなるんだよなあ。組織的効率的機能美の追求。でもどこか窮屈。トルシエの
代表チームに足りなかったこと(柔軟性、自主性、意外性)が補填されるという
よりは、トルシエのチームの組織重視の部分をより精緻化してスムースに動くよ
うにチューンアップしたらこうなるのかという感じ。かといってトルシエの限界
を凌駕しているわけではないしそのままでは超える可能性もない。
一方、ジーコのチームはまったく形が出来ていないし、個人個人がうまく噛み
あっていないにもかかわらず、局面局面で選手それぞれが創造性を志向している
ことはなんとなくわかる。ときとしてわけのわからないボールの動きが怪我の功
名として意外性をかもし出したりもしているがあれが意図されたものでない保証
もない。この方向性は、思えば山本にない「トルシエの限界を超えていく可能
性」を秘めているようでもあるよなあ……。
改めて思うのは、ジーコが作っているのは「ブラジル代表」なんだろうな、と。
ということは、ジーコのチームは、選手間に軋轢・内紛を生じつつ、格下チーム
に取りこぼしを作りつつ、サポーターをイライラやきもきさせつつ、地区予選を
四苦八苦して勝ち上がり、本戦グループリーグでようやく形を作りつつ2位通
過、ベスト16でやっとチームができあがって、そこからいよいよ本領発揮。な
どという途方もないチームなのではあるまいか。
日本代表の組織の作り方としては空前で、ことによると絶後かもしれないブラジ
ル代表式日本代表チームというのがこれなんだとしたら、なんとなくこの行く末
を見てみたい気がしてきました。そりゃ日本人の性向に合わないかもしれない。
マネジメントに現代的センスがないかもしれない。選手の技量的に時期尚早なの
かもしれない。また単に時代遅れの戦艦大和かもしれない。けど、なんとなくつ
いそこに「雄大なロマン」という名の「可能性」を感じてしまう私。そこいくと
解任要求デモなんかやってる連中のケツの穴の小さいこと……。って、ううう、い
かん、いかん。ちょっと待て。我に返れ。
萩原@グリフィス大学
"kaz hagiwara" <kazhagiw...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c26i5q$1q3eqf$1...@ID-83482.news.uni-berlin.de...
> 一方、ジーコのチームはまったく形が出来ていないし、個人個人がうまく噛み
> あっていないにもかかわらず、局面局面で選手それぞれが創造性を志向している
> ことはなんとなくわかる。ときとしてわけのわからないボールの動きが怪我の功
> 名として意外性をかもし出したりもしているがあれが意図されたものでない保証
> もない。この方向性は、思えば山本にない「トルシエの限界を超えていく可能
> 性」を秘めているようでもあるよなあ……。
オマーン戦見ましたよ、私。
もう、申し込んじゃってたし。
で、その感想は、弱くなったなんて生易しいもんじゃないってことです。
1言で言うと、
「ダメになった」。
創造性を志向する以前に、連携を模索してる状態です。
とにかく前見たときより遥かに組織がない。
あのボロボロにやられたアルゼンチン戦より組織がないんですよ。
一緒にやってれば連携が深まるなんて、嘘だと結論します。
そもそもそんなやり方で強くなったチームがあるんですかね?
ブラジルはホントにそんなやり方で強くなったのか?
他の国は?
このままいけば、なんとかなるなんて、そういう次元の問題じゃない
ですよ。萩原さん。
--
東京都 飯塚顕充
でも、まだ寝ぼけてるうちにもう一つ寝言を持ちかけてみようかな。
>> 創造性を志向する以前に、連携を模索してる状態です。
>> とにかく前見たときより遥かに組織がない。
>> あのボロボロにやられたアルゼンチン戦より組織がないんですよ。
いままで日本が「組織、組織」と念仏のように唱えて培ってきたそれは、日本の
長所であり武器であり、よりどころであったわけですが、それは自発的に作られ
たというより、作って与えられたものを憶えた組織だったわけです。であるがゆ
えに、選手個々はそれの墨守に懸命になって、それはそれなりに上手にこなした
わけですが、一方、自分たちで臨機応変に組織を作り出す能力に目覚めることは
ついにないまま来た、と。
日本代表が今ある姿は実にその裸の自分たちの姿であって、裸の自分のふがいな
さに危機感を抱かざるをえない状況が今ここにあるわけです。しかも「自分達で
臨機応変に組織を作り出す能力に目覚める機会を与えられて」いながら、その責
任はジーコにあり、自分たちはその下で責任追及を免除されているというありが
たい状況です。
ジーコがクビになるまでのこの状況をいい機会に、選手がいろいろな意味で自分
達でやらなきゃという自覚に目覚めることこそが殻を破るエネルギーになる、
と。まあ、水の中にいきなり落とされて泳げと言われているようなものですが、
みんなド素人でもあるまいし。
>> 一緒にやってれば連携が深まるなんて、嘘だと結論します。
連携が深まるなんていう以前の状況であることはたしかです。ないところから
「作る」段階なんだから。前よりもっと組織がない状態に今あるということは、
ジーコの「これまでに外的に与えられた『組織』を解体する作業・組織は外から
与えられるものだという依頼心を払拭する作業」が成功しつつあるとも言えるわ
けです。この1年半をその解体作業に費やして、で、めでたく解体したところか
ら今度は「自発的な『組織』の構築」が始まると。中田英あたりは、自分のペー
ジで、組織が与えられないことよりも、むしろ選手に危機感が欠如していること
に苦言を呈しているくらいですが、上の理屈で行けば「危機感」こそが自発的な
組織の構築への原動力だから、すでに覚醒している選手からすれば、当然の苦言
とも言えます。
組織を「与えて」いくやりかただと、ワンステップ、ワンステップに時間がかか
りますが、自分で臨機応変に組織を作る能力を「開発する」場合、その基礎作り
には時間がかかっても、一度できてしまえば加速度的に応用が利くようになると
も考えられます。チーム全員がその能力を身につけるまで待つ必要もないでしょ
う。おおかたの構成員にその能力が備われば、新しく参加するメンバーにその能
力(少なくともその必要性)が伝播する時間も短期間ですみます。要は「カル
チャー」作りでしょう。(ジーコについてはその能力がまた問題になるわけです
が……)
>> そもそもそんなやり方で強くなったチームがあるんですかね?
ごもっとも。でも、「日本」には必要(悪)なのかも。
>> このままいけば、なんとかなるなんて、そういう次元の問題じゃない
>> ですよ。
そういう危機感を選手が強く持てばなんとかなる……んじゃない……かな……(寝言な
ので断言できない)
萩原@グリフィス大学
"kaz hagiwara" <kazhagiw...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c28mjv$1ps1cf$1...@ID-83482.news.uni-berlin.de...
> >> 創造性を志向する以前に、連携を模索してる状態です。
> >> とにかく前見たときより遥かに組織がない。
> >> あのボロボロにやられたアルゼンチン戦より組織がないんですよ。
>
> 一方、自分たちで臨機応変に組織を作り出す能力に目覚めることは
> ついにないまま来た、と。
まず前提として確認したいのは、組織のないチームはない
ってことです。代表でもクラブチームでも。
で、その上で、「臨機応変に組織を作り出してきたチーム」
なんてものが本当にあるのかって、ことなんですよね。
あるのかなぁ、そんなの。
というか、矛盾してません? 自然発生してきたら、それは
「組織」と言わないんでは?
「組織」って方針を決めて、みんなで一致団結して動くから「組
織」なんであって、方針なく勝手に出来上がったものは、なん
だろうな? 言葉がみつかりませんけど、別のものでしょう。
> しかも「自分達で臨機応変に組織を作り出す能力に目覚める
> 機会を与えられて」いながら、
臨機応変にラインを下げたり、FW追い越してゴールエリアま
で行ったり、というのはありますけど、それは既存に存在する
組織を状況に応じて変化させることで、「組織を作り出す能力」
ではありませんよね。
そもそもそんな、「組織を作り出す能力」なんて選手に求めら
れているんでしょうか? ジーコジャパンには求められているん
でしょうけど、通常の代表選手に求められる能力なんですかね?
> その責任はジーコにあり、自分たちはその下で責任追及を免除
> されているというありがたい状況です。
中田が、クライフやベッケンバウアーのように、いきなり監督
になっても結果が出せるようになるかもしれません。(^^;)
> >> 一緒にやってれば連携が深まるなんて、嘘だと結論します。
>
> 「これまでに外的に与えられた『組織』を解体する作業・組織
> は外から与えられるものだという依頼心を払拭する作業」
> が成功しつつある
組織は監督が定めた方針の下に構築するから、「組織」と
呼称すると思います。
ついでにこれは構築するより、壊すことの方が遥かに簡単
で、しかも維持し続けるだけでも多大な労力を必要とするもの
ですよね。
成功も何も、メンテナンスをしないから壊れたとしか思えない
んですが。
> むしろ選手に危機感が欠如していることに苦言を呈しているくらいですが、
でも攻めの形がないというインタビューに
「それは監督の仕事」と突き放したセリフも言ってましたけど。
> >> そもそもそんなやり方で強くなったチームがあるんですかね?
>
> ごもっとも。でも、「日本」には必要(悪)なのかも。
どこもやってないんじゃ、本当にその先があるのかわかりま
せんよね。
> >> このままいけば、なんとかなるなんて、そういう次元の問題じゃない
> >> ですよ。
>
> そういう危機感を選手が強く持てばなんとかなる……んじゃない……
> かな……(寝言なので断言できない)
ありもしない幻想を追っかけてると思うんですが。
--
東京都 飯塚顕充
横から割り込んですみません。
In article from
kaz hagiwara wrote:
> 飯塚さん、ありがとうございます。我に返りつつあります。
>
> でも、まだ寝ぼけてるうちにもう一つ寝言を持ちかけてみようかな。
>
>
>
>>> 創造性を志向する以前に、連携を模索してる状態です。
>>> とにかく前見たときより遥かに組織がない。
>>> あのボロボロにやられたアルゼンチン戦より組織がないんですよ。
>
>
>
> いままで日本が「組織、組織」と念仏のように唱えて培ってきたそれは、日本の
> 長所であり武器であり、よりどころであったわけですが、それは自発的に作られ
> たというより、作って与えられたものを憶えた組織だったわけです。であるがゆ
> えに、選手個々はそれの墨守に懸命になって、それはそれなりに上手にこなした
> わけですが、一方、自分たちで臨機応変に組織を作り出す能力に目覚めることは
> ついにないまま来た、と。
>
> 日本代表が今ある姿は実にその裸の自分たちの姿であって、裸の自分のふがいな
> さに危機感を抱かざるをえない状況が今ここにあるわけです。しかも「自分達で
> 臨機応変に組織を作り出す能力に目覚める機会を与えられて」いながら、その責
> 任はジーコにあり、自分たちはその下で責任追及を免除されているというありが
> たい状況です。
>
> ジーコがクビになるまでのこの状況をいい機会に、選手がいろいろな意味で自分
> 達でやらなきゃという自覚に目覚めることこそが殻を破るエネルギーになる、
> と。まあ、水の中にいきなり落とされて泳げと言われているようなものですが、
> みんなド素人でもあるまいし。
私も、オマーン戦までは、そんな風に思ってました。
しかし、オマーン戦で、39度の発熱が会った選手を使った、と言うのを聞いて以来、
この人、本質的な点で、選手のことを何も考えてないな、と思い、
さらに、今後、熱地での試合が続くことを考えると、
選手を殺しかねない、と考えるようになりました。
んで、今では、「ジーコ、辞めてくれ」派です。
そうしたら、案の定、だそうです。
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-040306-0051.html
たぶんに、この人は、熱地での試合について、知識も無ければ、経験も無い。
だから、こんな寝ぼけた発言ができるんだと思います。
付き合っている協会も協会。
誰か説得できんのかねぇ。
fj.rec.sports.soccerではジーコ就任以来、私も含めてジーコじゃだめだという
雰囲気が支配的だったわけですが、ここまで反ジーコの雰囲気に染まってくると
それもなんだか一方的だし、他方で川淵JFA会長に代表されるような、ジーコ
に期待する雰囲気もまだあるわけです。最近じゃジーコ解任デモに対抗してジー
コ支援のデモまで起きているし。どうしてそんなにジーコに期待できるのか、そ
れを知りたいということもあって、あえて逆の立場から一石を投じてジーコを肯
定する可能性を探ってみたわけです。しかし、肯定材料が尽きてしまいました。
案外底が浅かったのは、私のジーコに対する理解なのか、ジーコそのものなのか。
とにかくジーコの日本代表を肯定的に見ようとすると、結局はジーコの出自とか
過去の名声とか経験とか、あるんだかないんだかわからないものに立脚しなけれ
ばならないというのには参りました。しまいには、選手個々の潜在能力に期待し
たような希望的肯定論しか書けないのは実に苦しかった。
そういう弱い論拠じゃ、結局
> ありもしない幻想を追っかけてると思うんですが。
で終ってしまう。
箇条書きにしてまとめると
肯定材料と反論(カッコ内):
・ジーコは世界的サッカー選手であった。ゆえに、世界で戦うことの意味
を知っているはず。中でも1982年大会のあの美しいブラジル代表を日本
選手で再現できるとすれば、監督はジーコしかいない。(世界で戦うこ
との意味を知っているというだけでは何の保証にもならない。日本選手
でブラジル代表を作るなんて気が知れない。1982年などという埃をかぶっ
たサッカーを引っ張り出してきてどうするつもりか。名選手必ずしも名
監督ならず。)
・ジーコはフィールドでは選手の自主性を尊重し自由に任せている。また、
ジーコは「何もしない」ことを持って、選手に自覚への危機感を与えつ
づける。ゆえに選手は個々成長し、自主性をもって、柔軟で意外性のあ
るサッカーができるようになるはずだ。(はずだといっても何の確証も
ない。近代サッカーでチームに組織をあたえないのは狂気の沙汰だ。監
督が「何もしない」ことがチームを強くする理論的背景はないし、前例
もない)
・ジーコは代表に選ばれるということがいかに名誉なことか知っている。
ゆえに、当然、代表に選ばれれば、選手は奮起して、ベストを尽くし、
国のために死に物狂いでプレーすることを前提としてセレクションして
いる。また、代表に選ばれたことの重さを身をもって体現させることで
チーム全体の雰囲気を高めていくにちがいない(といっても、病人を使
うとはなんだ。治ったばかりの怪我人を90分も使うとは何だ。暑熱順
応対策せずに試合に臨むとは何事だ。選手を殺してしまってはサッカー
どころではない。)
そのほかに、
栄光のブラジルサッカーは、局面での2、3人の連携で、試合をひっくり返すよ
うなゴールを演出してきた。2002年のドイツ戦でのゴールを見よ。あれこそが
「意外性」である。11人がすべて連携した「組織」など必要ない。日本には局
地的な連携に巧みな「黄金のカルテット」がいる。
なんてことまで書こうとしましたが、なんだか虚しくてやめました。
だれか、どうしてジーコなのか、もっと強い論拠で説明してくれる人、いませんか。
萩原@グリフィス大学
<c2f9me$323$1...@newsl.dti.ne.jp>の記事において
ka...@vesta.dti.ne.jpさんは書きました。
> どうも片倉@OMA同盟参上です。
...
> たぶんに、この人は、熱地での試合について、知識も無ければ、経験も無い。
> だから、こんな寝ぼけた発言ができるんだと思います。
> 付き合っている協会も協会。
> 誰か説得できんのかねぇ。
協会会長はこんなこと言っています。
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/p-sc-tp3-040308-0006.html
トップがこれでは説得など無理でしょう。
/* 學而不思則罔思而不學則殆 */
/* (論語為政第二) */
/* 大豆生田 利章 */
"kaz hagiwara" <kazhagiw...@yahoo.co.jp> wrote in message
news:c2h4f8$1sc246$1...@ID-83482.news.uni-berlin.de...
> 肯定材料と反論(カッコ内):
>
> ・ジーコは世界的サッカー選手であった。ゆえに、世界で戦うことの意味
> を知っているはず。中でも1982年大会のあの美しいブラジル代表を日本
> 選手で再現できるとすれば、監督はジーコしかいない。(世界で戦うこ
> との意味を知っているというだけでは何の保証にもならない。日本選手
> でブラジル代表を作るなんて気が知れない。1982年などという埃をかぶっ
> たサッカーを引っ張り出してきてどうするつもりか。名選手必ずしも名
> 監督ならず。)
最も擁護の意見で見られるのは、「鹿島を強くした」というものだと
思います。
しかし、これも総監督的な立場で1からチームを構築するトルシエや
他の監督と同等と語れないです。
> 日本選手でブラジル代表を作るなんて気が知れない。1982年
> などという埃をかぶったサッカーを引っ張り出してきてどうする
> つもりか。
これも私は異議がある。
たぶんジーコもお手本にしてると思うんですが、これがジーコも含
めて大きく勘違いをしている。
テレ=サンターナ著「我が心のサッカー」という本があります。
そこには以下のように書いてある。
「ディフェンス陣のグループとしてのまとまりがよくなければ、失点を
大量に食ってしまう」
「才能のある選手でありながら、グラウンドで的確なポジションを与
えられていないために目立たないという場合がある。監督はそうし
た選手がもっと活躍出来るようにふさわしいポジションを見つけな
ければ成らない」
「チームの内外に規律が必要である」
「チーム内でのポジション決定には、様々な要因が影響する。個人
の性格や身体的特徴がそれだ。私は大概、空いているポジション
に的確な選手を当てはめることが出来た」
当時のビデオを見るとわかりますが、テレ=サンターナのブラジル
代表は今ほど洗練されてないとは言え、ゾーンディフェンスを使った
組織的なチームです。
どうもジーコには特段の指示はしていなかったようなんですが、ト
ニーニョ=セレーゾやファルカンには細かく指示を出しています。
ソクラテスが「パグサン・オルガニザーダ」(組織化された自由)と表
したのには、そういう背景があるのです。
要するに「自由から生まれた組織」で、あのテレ=サンターナの
ブラジルもやっていないんです。
「我が心のサッカー」では「組織」という言葉こそ使ってないものの、
語られている「規律」「ポジション」というのは、明らかに現在の「組織」
であり、テレ=サンターナのサッカーは「自由と組織の高度な融合」
という現代の目指すサッカーそのものです。
ジーコが指示されていなかったとすれば、それはその方が生きる
からで、他のメンバーも同様だったのではありません。
ジーコは(他の人も)壮大な勘違いをしていると思います。
--
東京都 飯塚顕充
ただ、鹿島ではかなり基礎的なことから「教えて」いたのに、代表
では何も教えていないのはどうしたことかと訝る声もあるようで
す。つまり、鹿島を強くしたようには代表のレベルを上げようとは
していない。暑熱対策せずにシンガポールに行くと語った文脈から
も同様の気分がうかがい知れますが、代表に呼ばれるようなレベル
の選手に教えることは何もないと思っているのかもしれません。そ
のあたりが「勘違い」なんでしょうね。
> テレ=サンターナ著「我が心のサッカー」という本がありま
> す。
> そこには以下のように書いてある。
> 「ディフェンス陣のグループとしてのまとまりがよくなければ
> 、失点を大量に食ってしまう」
略
> 当時のビデオを見るとわかりますが、テレ=サンターナのブラ
> ジル代表は今ほど洗練されてないとは言え、ゾーンディフェン
> スを使った組織的なチームです。
ここで語られている「組織」とはディフェンス組織のことですね。
そしておそらくサッカーにはディフェンス組織以外に必要な組織は
ないわけです。トルシエにしても組織として与えたのはディフェン
スばかりでした。そして、そのディフェンスの組織化にその任期の
ほとんどを費やしたわけです。ディフェンスの組織化のあと、トル
シエは、そのディフェンスから攻撃に移るまでのオートマタイゼー
ションまでは作りましたが、結局攻撃に独創性が育たなかった。お
そらく育てる時間は彼にはなかったしそのすべもなかったんでしょう。
一方ジーコはと言えば、わざわざディフェンスに穴を作るような最
終ラインの人選、システムにないポジションへの交代選手の投入、
選手任せの3バックの気まぐれ導入など、どこにディフェンスのポ
リシーがあるのかと疑いたくなるようなマネージメントが続いてい
ます。
その根拠のひとつは「攻撃は最大の防御である」ということらしい
んですが、攻撃ならたしかにまとまった組織を作る必要はないわけ
です。卓越した能力を持つ選手2、3人の連携があれば攻撃はでき
ます。そして、守備と違って、攻撃は「教えられない」ものですか
ら、こういう考え方で行くかぎり、監督は攻撃に関して才能ある選
手を選ぶ以外何もすることがないわけです。まあ、「勘違い」とい
うことなんでしょうが。
思えば、テレ・サンターナの「組織と自由の高度な融合」はきちっ
とした守備組織の上に天性の卓越した攻撃センスをもつ選手を得て
はじめて完成するという類の物だったわけです。ただ、サンターナ
監督のブラジル代表は前任者のチームとは「自由」という点できわ
だった違いを見せたことも事実で、その開放されたかのようなサッ
カーが「美しい」と表現された理由でもあるわけです。ジーコが影
響を受けているのはまさに、その「自由」であり、また、勘違いの
原因もその「自由」だということなんでしょう。
萩原@グリフィス大学